00:00昔々のことですが、江戸の麹町に何代も続いた亀屋という呉服屋がありました。
00:17そこの主という人は貧乏人にお金を恵んでやったり、親なしっ子の面倒を見てやったりして、一人で喜んでおるようなお人よしでした。
00:30ある日のことでした。その亀屋へ汚いなりをした白い髪の毛をボサボサにしたじいさまがひょっこりやってきました。
00:47わしゃ道具屋じゃがここの店の前の端っこで飽きないようしたい。ちょっとばかし場所を貸してもらえんじゃろうか。
00:59いいともいいとも好きなように使いなさい。
01:04ところがこのじいさま道具屋だというのに大きなとっくりを一個ぶら下げているだけであとは何にも持っていない。
01:14どうやって飽きないをするのか見ているとじいさまはとっくりに向かって手を合わせ、そして口の中でゴニョゴニョとなえたかと思ったら、
01:25とっくりの中からほうきを一本ずるずるっと引き出してささささっと店の端っこを履きました。
01:37それから今度はむしろをつるつるっと引っ張り出してそこへしくっと、たまげる主を尻目に出るわ出るわ。
01:47とっくりの中からあんどんだの、かさだの、まねきねこ、きゅうす、ちょうちん、いろんなものを取り出してむしろの上に並べました。
01:59するとあっという間に亀屋の店の前に古道具の山が出来上がりました。
02:11何しろにぎやかな講師町の通りで、あちまち人だかりが出来、品物が飛ぶように振れていきます。
02:19おかげさまで良い商いが出来ました ありがとうございました
02:49あ、もしもし、お前さんちょっとお待ち いやー、わしは今日ほどびっくりしたことはない この不思議なとっくりをもう一度見せてくれんかの
03:04このとっくりならどこで見るのも同じです どうですわしの家までおいでなりませんか そこでゆっくりと
03:16そんなわけで亀屋の主はもんつきの羽織や袴に着替えて 汚いみなりのじいさまとテクテクテクテク歩いていきました
03:31江戸の町の路地から路地をぐるぐる歩いているうちに
03:38ここがわしの家じゃん
03:48そこにはびっくりするほど大きな家がありました
03:53そこに年寄りは一人で住んでいて 他に誰もおりません
03:58そこで例のとっくりから たばこ分やらお茶やらおまんじゅうやら出して
04:17おまえさんのそのとっくりじゃがどんな仕掛けになっているのか 不思議で不思議でたまらんのじゃ
04:38おまえさんが気に入ったというのは あげてもいいですよ
04:43え?わしにくれる?
04:46このとっくりは長いことわしが持っていて ずいぶん重宝したもんじゃ
04:52もうそろそろ誰かに譲ろうと思っとったところでな
04:57それで気持ちの優しい人探しておった おまえさんならちょうどいい
05:02ささ、いまここで差し上げましょう
05:05お!お!お!お!このとっくりをわたしに これはもうありがたきしあわせでござん
05:15はあ!お!お!お!お!お!
05:23このとっくりはな 持った人ののぞみを何でもかなえてくれますよ
05:29おまえさん何か お望みはないかね
05:33のぞみ?
05:34いやあ・・・アキナイのほうもうまくいっているし
05:38もう大して望みもありません
05:41ただいっしょにいちどは、唐天塾ぐらい は見ておきたいと思っておりましたが
05:47いまはその望みもなくなって
05:49せめて日本の名所戸籍を見て 死にたいというぐらいのものですよ
05:54ですよ。
05:56ほう、そりゃ絶えやすいことじゃ。
05:59そのトックリンに入れば日本中が見られますわい。
06:03えぇ!?
06:04この小さなトックリンに入れるんですかい?
06:08騙されたと思って入ってごらんなさい。
06:16えぇ、しかし、どうやってこの中に?
06:20いや、なに、ちょっと手を合わせてやっておくんなさい。
06:26そこで主は立ち上がってトックリンに向かって手を合わせて拝みました。
06:50トックリンの中に吸い込まれた主は、気がつくと不思議なところに立っていました。
06:59ほう。
07:01ほう、ここは富士山のフゴと日本の松原じゃないか。
07:06さあ、それからが大変。
07:12亀屋の主は東海道の日本松原を振り出しに、ずっと西へ下りながら、
07:19尾張名号、鳴門、瀬戸内など、あらゆる名所を見て回りました。
07:25金太郷。
07:40天の橋立。
07:44九州は桜島。
07:49長崎は出島見物。
07:53さて、今度は東の方へのぞって、日光、松島と、日本国中すっかり見物してしまいました。
08:03まー、これで日本中の名所戸籍もほとんど見つくしたわい。
08:18やれやれ。
08:20そろそろ亀屋の店も心配になって、さて帰ろうと立ち上がった途端、
08:26いつの間にやら桑畑の真ん中に立っておりました。
08:31おや、どうしたことじゃ。いつの間にか桑畑じゃ。
08:38ふと見ると、足元にあのとっくりが置いてあります。
08:43どうやらとっくりの中の旅から今戻ったところらしい。
08:49さて、家へ帰ろうと近くの農家へ訪ねました。
08:54ごめんください。ここは一体どこなんでしょうね。
08:58ここかね。ここは東西南北、桑の都、八王子川さん。
09:05これは大変だ。江戸からどのぐらい離れておりますかい。
09:10そうさね。十二、三里はあるかね。
09:14ひゃあ、そりゃていけんだ。
09:17亀屋の主はびっくりして江戸の麹町へ引き返してみましたが、どうしたこと。
09:23自分の店も女房も専門員もおりません。
09:27近所の人もみんな知らない人ばかり。
09:30あの、ここは確か亀屋というご福屋では。
09:37亀屋の主はがっかりして、それで八王子の方へ戻って行き。
09:43甲州街道に沿ったところに宿屋を出し、看板代わりにとっくりを軒先に吊るしました。
09:56そうすると客が増え、とっくり亀屋といえば知らない人もいない宿屋になって、長く繁盛したそうです。
10:05はい、いらっしゃいませ。ごゆっくりお休みよ。
10:13さあ、いらっしゃい、いらっしゃい。お泊りは亀屋、とっくり亀屋でございます。
10:18お部屋はございます。さあ、どうぞどうぞ。いらっしゃいませ、いらっしゃい。お泊りはとっくり亀屋でございます。
10:26そうしてそのとっくり亀屋という宿屋は、つい近年まで八王子にあったということです。