- 2 日前
やせ細ったアフリカの黒人たちの写真から始まるこの物語は、ザンジバルに残る奴隷貿易の闇と、インド洋交易の歴史をたどる歴史解説です。透き通る海と白い砂浜で知られる観光地の裏側に、アラブ人が主導した東アフリカの奴隷貿易という重い現実がありました。
季節風を利用したインド洋交易、ダウ船、ストーンタウン、バガモヨの収容所、奴隷市場跡の教会など、現地取材を交えながら丁寧に掘り下げます。大西洋三角貿易との違い、ザンジバルが奴隷売買の中継地として果たした役割、そして今も残る歴史の痕跡まで、世界史の見方が変わる内容です。
アフリカ史、奴隷貿易、ザンジバル旅行、インド洋交易、世界史の闇を知りたい人におすすめのドキュメンタリー解説です。歴史学習、国際協力への理解、旅先の背景を知るための視聴にも向いています。
アフリカ史ドキュメンタリー、東アフリカの奴隷貿易、ザンジバルの歴史、世界史解説、インド洋交易史、ストーンタウン取材、歴史教育コンテンツを探している方に最適です。歴史の背景を深く知りたい人のための、考察型の歴史ナレーションとしても楽しめます。
季節風を利用したインド洋交易、ダウ船、ストーンタウン、バガモヨの収容所、奴隷市場跡の教会など、現地取材を交えながら丁寧に掘り下げます。大西洋三角貿易との違い、ザンジバルが奴隷売買の中継地として果たした役割、そして今も残る歴史の痕跡まで、世界史の見方が変わる内容です。
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ニューストランスクリプション
00:00痩せ細ったアフリカの黒人たち 彼らの身に一体
00:03何が起こったのか
00:04この写真が撮影されたのは現在ではアフリカの楽園として
00:08知られている場所です 透き通る海と白い砂浜が広が
00:12り世界中から観光客が訪れるリゾート地
00:15その名はザンジバル
00:18ザンジバルはアフリカ大陸の東部に位置するタ
00:21ンザニア共和国の一部ですが 独自の文化と歴史
00:24を持つ特別な地域です
00:26タンザニア本土から海を隔てた島々で構成され
00:29強い自治権を有するこの地域には独自の大統領もいます
00:33現在は年間60万人以上の観光客が訪れるなど アフリ
00:37カ有数の観光地としても人気がある島です
00:40私も実際にザンジバルを訪れましたが 青く透き通
00:43った海、美味しい魚料理、そしてリゾート地ならではの華やかな雰囲
00:48気に驚かされました
00:49砂漠やサバンナ、熱帯雨林といった 一般的なアフリ
00:53カのイメージとは大きく異なり 別世界のようにさえ感じ
00:57られます
00:57しかしこの美しい島々には 観光地としての顔とは別にもう
01:02一つの顔があります
01:03それが奴隷貿易という負の歴史です
01:06奴隷貿易と聞くと多くの人が思い浮かべるのは
01:09ヨーロッパ人が主導した大西洋三角貿易ではないでしょうか
01:131000万人以上のアフリカ人が 主にアフリカ大陸の
01:17西側から拉致され
01:18アメリカ大陸やカリブ海で過酷な労働を強い
01:21られた歴史は 様々な映画や本で描かれてきました
01:24ハラカンタのチャンネルでも この大西洋三角貿易について何度か
01:28取り上げています
01:29しかし奴隷貿易の被害は アフリカ大陸の西側だけ
01:33に限られたものではありません
01:34アフリカ東部でもアラブ人が主導する奴隷貿易が
01:38長年にわたって行われ
01:39ザンジバルはその中心地の一つでした
01:42この地域で行われた奴隷貿易は インド洋を介して行わ
01:45れ
01:46売られた人々はアラビア半島 インド さらにはペルシ
01:50ャワーの各地へと送られていきました
01:51東アフリカで行われた奴隷貿易とは どのようなもの
01:55だったのか
01:55この地で捉えられた人々は どのような苦難を経験した
01:59のか
01:59現地で取材した内容をもとに 東アフリカで行わ
02:02れた奴隷貿易の歴史に迫ります
02:05どうも皆さんこんにちは ハラカンタです
02:07ハラカンタのチャンネルでも たびたび取り上げてきた奴隷貿易
02:11の歴史
02:11奴隷貿易と聞くと 多くの人がまず思い浮かべる
02:14のは
02:15大西洋三角貿易ではないでしょうか
02:17アフリカの人々がアメリカ大陸に連行され
02:20現地のプランテーションで 過酷な労働を強いられた
02:23歴史です
02:24大西洋三角貿易で最も被害を受けたのは アフリ
02:27カ大陸の西側の地域でした
02:29その一方 東アフリカでは アラブ人が主導する奴隷貿
02:33易が行われていました
02:34東アフリカでの奴隷貿易は 大西洋三角貿易よ
02:38りも さらに古い歴史を持っています
02:40東アフリカの沿岸地域は インド洋を介した公益ネ
02:44ットワークの一部として
02:45紀元前から発展してきました
02:47では どのようにしてこの地域が公益の中心となり
02:51奴隷貿易に巻き込まれていったのか
02:53ザンジバルで取材した内容にも触れながら
02:55インド洋公益の歴史を紐解いていきましょう
02:58インド洋は太平洋 大西洋に次いで 地球上で3番
03:02目に大きな海です
03:03その海域は広大で アフリカ アラビア半島 インド
03:07さらにはその先の 東南アジアや中国までを繋いでいます
03:11このインド洋を介して行われた公益は
03:13紀元前から現代に至るまで
03:15世界の文化や経済に 多大な影響を与えてきました
03:19インド洋公益の最大の特徴は
03:21季節風 モンスーンという 自然現象を利用して行われたこと
03:25です
03:25季節風とは1年の中で 風向きが一定期間ごとに
03:29変わる風のことで
03:30この風の仕組みが インド洋公益を可能にしました
03:33インド洋では季節風が 南西の風と北東の風に分か
03:37れて吹きます
03:384月末から9月にかけては 南西から北東へ
03:42つまりアフリカ大陸から アラビア半島やインドに向
03:45かって風が吹きます
03:46この風に乗ることで 船はスムーズに目的地まで移動
03:50することができました
03:51その一方で11月から3月にかけては 風向きが逆転し
03:55北東から南西へと吹きます
03:57この逆向きに吹く風に乗ることで 出航した船はキロ
04:00に着くことができました
04:01この規則的な風向きの変化は 反戦による長距離
04:05の航海に最適な条件だったのです
04:07当時の船はエンジンなどの 動力を持たない反戦
04:10でした
04:11そのため風向きが安定しない限り 長距離の航海は非常
04:14に困難です
04:15しかしインド洋の季節風を利用することで
04:18アフリカ東部 アラビア半島 インド
04:21さらには中国に至るまで 広大な交易ネットワークが築
04:24かれていました
04:25この広大な交易ネットワークを支えたのが
04:28ダウ船と呼ばれる木造の反戦です
04:30ダウ船はその軽量な構造と 大きな穂によって
04:34風を効率的に受けることができ 大量の積み荷を運ぶ
04:38ことができました
04:39インド洋交易の中心地の一つが アフリカ東部に
04:42位置するザンジバル島です
04:44ザンジバルはアフリカ内陸部から 海へと繋がる
04:47重要な拠点として栄えました
04:49この島は造儀や奴隷など アフリカ大陸の内陸部
04:53で採れた資源が
04:54海外へと輸出される 中継地になったのです
04:56一方でザンジバルには 外部の世界から多くの物資が
05:00もたらされました
05:01布や香料 陶器 ガラス製品などが この地に持ち込
05:05まれ
05:05地元の生活に 新しい文化的要素が加わります
05:09さらにザンジバルは その交易の発展に伴い
05:12様々な文化が交差する地になりました
05:14アラブ人 インド人 中国人など 多くの外国人がこの地
05:18を訪れ
05:19その一部はザンジバルに定住します
05:21ザンジバルにもともと住んでいた人々と 彼らの間
05:24で結婚が行われ
05:26根欠の文化や人種が育まれました
05:28この結果 ザンジバルは多様性に富んだ地域として
05:32今日まで発展を遂げてきたのです
05:34ザンジバルを取材した際の様子を ご覧ください
05:37ザンジバルは古くから インド洋光駅の中継地として
05:40栄えた場所なので
05:41インドの文化 それから中東の文化
05:45そしてアフリカの文化 ヨーロッパの文化
05:47いろんな文化が入り混じってできたのが ストーンタウン
05:51なので
05:52宗教もね 今こうやってイスラム教の方も
05:55イスラム教がストーンタウンに関しては すごく多い
05:58んですけれども
05:58イスラミックな文化とか 家の作りとかもある一方で
06:02アフリカンな文化とかも残っていて
06:05非常にいろんなものがごちゃごちゃに 混ざっているような感じで
06:08いろんな場所を歩いて見て回るだけでも すごく楽しむこと
06:12ができますね
06:13歩いていても気づくんですけど 現地の方の顔の様子とか見て
06:17いても
06:18僕がこれまで行ってきたアフリカの地域
06:20アフリカの国々の人たちの様子と やっぱりちょっと違
06:24うんですよね
06:25ずっと昔からザンジバルは インドとか中東とか
06:30そういった地域から村の人たちが来ていたので
06:32もともとザンジバルで 生まれ育ったっていう
06:36いわゆる原住民と呼ばれる方々の 子孫っていうのは
06:40今はかなり少なくなってきている みたいなんですよね
06:43なので根欠が進んで
06:45肌の色が黒色から インドとかアラブとか
06:49そういったちょっと褐色の方に 近づいていって
06:54いわゆるその黒人 本当の黒人っていう方っていうのは
06:57全体的に見たら
06:59数は相対的に少ないんじゃないかな というふうに感じますね
07:03インド洋交易の影響で ザンジバルをはじめとする
07:06東アフリカ沿岸地域では
07:08スワヒリ文化と呼ばれる 独自の文化が形成され
07:11ました
07:12スワヒリという言葉は アラビア語で海岸地方を意味
07:15する
07:15サワーヒルに由来しています
07:17この名前が示すように スワヒリ文化は
07:19アラブ商人たちが住んでいた 沿岸部や港町で誕生
07:23しました
07:23スワヒリ文化は アフリカのバントゥ系文化を基
07:27盤に
07:27アラビア インド ペルシャ そしてヨーロッパの文化が
07:30融合して生まれました
07:32その象徴とも言えるのが スワヒリ語です
07:35スワヒリ語は 地元のバントゥ語を基盤としなが
07:38ら
07:38アラビア語やペルシャ語 さらには英語やポルト
07:41ガル語の影響も受けています
07:43例えば サファリという言葉は
07:44スワヒリ語としてよく知られていますが
07:46その語源は アラビア語で旅を意味するサファリに
07:49あります
07:50このように スワヒリ語には
07:52交易を通じて取り入れられた 外来語が数多く含
07:55まれているのです
07:56スワヒリ文化を象徴する建築物が 多く残るのが
08:00ザンジバル島の中心地である ストーンタウンです
08:03ストーンタウンには サンゴ礁の石灰岩と
08:06マングローブの木材で 作られた建物が立ち並んでいますが
08:09これらの建物には アラビア インド
08:12さらにはヨーロッパの建築様式も見られます
08:14その多様性こそが スワヒリ文化の独自性と
08:17ザンジバルが古くから 国際的な影響を受けてきたこと
08:21を
08:21物語っています
08:22ザンジバルを訪れた際 現地のガイドに
08:24スワヒリ文化とスワヒリ語について 解説してもら
08:27いました
08:30ザンジバルを訪れた
08:56スワヒリ文化の独自性としました
09:01それから スワヒリ文化の独自性と スワヒリ文化の
09:11独自性を
09:12使用される ウーロッパの建築様式
09:23スプレーズはスプレーズがั
09:50あとセントときのドアチアのお壁さんに探дел属にosi
09:52ずness権とアラブスの開口 Indians
09:58アラブスの関 överヶカのアラブスの結合、こちらはア
10:03ラビスのカ所ではアラブスのカ所など
10:04誰かはこのドアチェンハを持つ人物を使用しました
10:09どんなドアもOne told she was aquelesお長いも使用し、これは家を
10:16あなたが意見してきました
10:17その扇の通り鳥は。
10:19その扇はその扇の悪いものな方があり still
10:22し、その扇を引き寄せるようにこの扇の扇の誇りを引き
10:46寄せ
10:46スタートで戻り輝くと金が入っていますが、宛の家ではと
10:53ても建ては鍛えられています。
10:55だった時に、 スライブの投稿を借り合わせ、金額が入
11:00ることができます。
11:00そのため、負荷には鍛えられていませんでした。
11:05スタートで戻り輝くため、宛を借り合わせし、スライブ
11:13に入ることができます。
11:13そして、スタートで戻り輝くのはあると言った。
11:26ここまで見てきたインド洋交易の歴史にはもう一つの側面が
11:30あります
11:30それが奴隷貿易です
11:32奴隷貿易の歴史こそが冒頭に紹介した写真に大
11:36きく関係しています
11:37奴隷貿易の歴史を見ていきましょう
11:39その前にお知らせを挟ませてください
11:41私ハラカンタは世界を無視しない大人になるためにという本を
11:45自費出版しています
11:46私自身がアフリカでの活動を始めた原点につ
11:50いて書いた一冊です
11:51興味のある方はぜひ概要欄のリンクや動画下のショ
11:54ップからお買い求めください
11:55全国各地で社会問題に向き合うために必要な姿勢
11:58についての講演会を行っています
12:00国際協力や社会貢献をテーマにハラカンタの講演
12:03会にご関心のある企業や教育機関の皆様
12:06少しでも興味がございましたら概要欄のリンクからお気軽
12:09にお問い合わせください
12:09東アフリカの奴隷貿易は8世紀頃からインド用講
12:13演技の一部として本格化し
12:15大西洋奴隷貿易が始まるよりも遥か以前から行わ
12:19れていました
12:19売り飛ばされた奴隷たちは何をさせられたのか
12:22多くの奴隷は召使いとして使えたり農業や土木
12:26建設の労働力として酷使されました
12:28しかし中には軍人として王や貴族に仕えたアフリカ
12:32出身の奴隷もいます
12:33また女性の場合召使いや妾として権力者の下で働か
12:38されていました
12:39インド用講演技を通じて東アフリカ一帯にイス
12:43ラム教が広まっていくと奴隷貿易の形にも変化が
12:46訪れました
12:47イスラム法ではイスラム教徒を奴隷とすることが禁
12:50じられています
12:51そのためイスラム教が広まった東アフリカ沿岸部では
12:54奴隷の供給地がアフリカの内陸部へと移り変
12:58わり
12:58イスラム化が進んでいない地域の人々が主な対象
13:01にされたのです
13:02さらに18世紀後半東アフリカの奴隷貿易は大
13:05きな転換期を迎えます
13:07この時期フランスはモーリシャスやレユニオン
13:10島といったインド用の島々でコーヒーやサトウキビ
13:14のプランテーションを開発しました
13:15これらの農園では大量の労働力が必要とされたため多
13:19くの奴隷が求められたのです
13:21モーリシャスやレユニオン島はマダガスカリ
13:23よりもさらに東に位置する小さな島国ですが
13:26こうしたプランテーションが奴隷貿易を活発化させた
13:29一因になりました
13:30また同じ頃にザンジバルではスパイス産業が盛ん
13:34になり特にクローブの栽培が拡大します
13:37このスパイス農場でも労働力としての奴隷が欠かせ
13:40ませんでした
13:41ある推計によれば1850年代のザンジバルの総人
13:45口約30万人のうち6割以上に当たる約20万人が
13:49奴隷だったと考えられています
14:18こうした奴隷需要の増加に伴い
14:20奴隷商人たちはアフリカの内陸部にまで足を踏み
14:24入れ奴隷を捕まえるようになりました
14:26例えばタンザニア本土の沿岸部にあるバガモヨという町
14:29はザンジバル島への奴隷輸出の中継地として重要
14:33な役割を果たしました
14:34アフリカ大陸の内陸部から連れてこられた奴隷たちは
14:37バガモヨで一時的に収容されその後ザンジバル
14:41島へと送られていったのです
14:42現在でもバガモヨには当時の奴隷貿易の痕跡が残さ
14:47れています
14:47例えば奴隷を一時的に保管するための収容所が現在も存
14:51在しており
14:52その場所からは当時奴隷として捕まえられた人々の苦
14:55難を感じることができます
14:57バガモヨに残る奴隷の収容所を取材した映像を
15:00ご覧ください
15:03この場所はエントランスです
15:05でもエントランスは非常に厚いです
15:12ドアも重厚な感じで当時の歴史を思い出すような
15:17感じで作られています
15:21このファシリティは何かのような感じですか?
15:43さっきもガイドの方が説明してくれたように
15:49この建物自体は奴隷貿易の時代に内陸部から送ら
15:53れてきた奴隷が
15:55対岸にあるザンジバル島に送られる前に一時的に
15:59保管されていた建物なんですけど
16:01こういった扉すごい装飾がされていて
16:04この装飾一つ一つにもちゃんとした意味があるみたいです
16:08ちょっとカメラ近づけてもらうと
16:10ここ見えますかね
16:12ここにパイナップルの絵とココナッツの絵があるんです
16:15けど
16:16これっていうのは例えばこの装飾っていうのは
16:19ここの建物を持っていたオーナーの人が一番最初に
16:22パイナップルとココナッツを植えた
16:25ここの奴隷貿易っていうのはアラブの商人たちがやっていましたが
16:28そのアラブの中東の地域からやってきた人が
16:30ここでパイナップルとかココナッツを植えたっていうことを
16:33表す装飾があったりとか
16:35あと横のこっち側にはチェーンですね
16:38鎖が上までずっとついているんですけど
16:40これっていうのは当時奴隷を輸送するときに奴隷同士を鎖
16:46で繋いでいたので
16:47ここの建物の所有者は奴隷商人だったっていうことを示したり
16:51とか
16:51あともう一個面白いのが
16:53このチェーンの横にあるのが
16:55デーツ
16:56日本語で言うと夏目かな
16:58デーツの実を表していて
17:01つまりアラブの商人たちだったので
17:03イスラム教の人が多いんですよね
17:05イスラム教の断食月間ラマダンは日中は食べ物
17:08を食べることはできませんけど
17:09日が沈んでから食べ物を食べる
17:12その時にデーツをよく食べるんですね
17:14デーツって砂漠でも栽培することができて
17:17そして同時にものすごく栄養が豊富な食べ物なんですね
17:21なのでデーツのようにものすごく強くてたくましいようなビジネ
17:26スをするみたいな
17:27そういったデーツのようにたくましく生きるみたいな
17:29そういった意味を込めてここにデーツの装飾をしているようです
17:34この町の名前はバガモヨという風に今では言いますが
17:37もともとはブアガモヨという言葉から来ているみたいです
17:42ブアガというのが現地の言葉で
17:44自分が肩に担いでいるような荷物を地面に置くっていう
17:48そういった意味があって
17:49モヨっていうのが心っていう意味
17:52なので自分の心をここに置いていくっていう意味で
17:55さっき回したように売られていく奴隷の人たちが
17:58自分の心はここに置いていくっていう
18:00せめてものをこの言葉として残したっていう
18:03そういった由来があったりとか
18:04あともう一つ由来があるみたいで
18:06内陸部の方から奴隷を移送してきた
18:09キャラバン、商人の人たちが
18:10何日間もかけて歩いてきたけれども
18:13ようやくこのバガモヨという港に着いて
18:15自分のこの旅が終わる
18:16ようやく心が安らぐ
18:18そういった意味で心を置いていく
18:20バガモヨっていう意味もあるみたいで
18:23このバガモヨっていう町の名前には
18:24由来が二つあるみたいですね
18:36今少し建物から移動してきた場所に来たんですけれども
18:39この開けた場所にやってきました
18:42当時はここに運ばれてきた奴隷たちが
18:45一時的に保管されていたみたいですね
18:47ガイドの彼はそのコモディティがここに保管されて
18:50いた
18:50っていう風に言ってましたけど
18:51コモディティって日本語で言うと商品ですね
18:54当時は奴隷っていう
18:55もう人間も商品としては使われていたし
18:58他には造毛とか
19:00あとは動物とか
19:01そういったものと一緒にここに
19:02一時的に保管をされていたみたいです
19:05もう天井もないしね
19:06もう2週間近くこういった場所で
19:08ずーっと保管されていたみたいで
19:11伝染病とかも蔓延して
19:12中にはここで命を落とす人たちもいたみたいですね
19:44今僕の後ろにインド洋が見えていますけど
19:47方向的にはですね
19:48あっちの方向にダルエスサラーム
19:51この向かって左側
19:52こちら側にザンジバルがあります
19:54でちょっとこっちのね
19:56右側の方に崩れかけた建物がありますけど
19:59当時はここに奴隷を輸出するための港があったらしくて
20:03この向こう側の方にですね
20:06ちょっと遠くて見えづらいかもしれないですけれども
20:08向こう側の方に
20:09奴隷を一時保管するための
20:11さっき訪問したキャンプがあって
20:13そこから奴隷が輸送されてきて
20:15この港に連れて来られて
20:17そしてこの港から奴隷の人たちが
20:19当時はダウ船というですね
20:21船に乗せられて
20:22向こうのザンジバルの方に
20:23輸出をされていったみたいです
20:25奴隷防疫が行われていた当時は
20:27こっちの方からですね
20:29奴隷の人たちが連れて来られて
20:33おそらくここを歩かされて
20:35もう目の前にすぐ海が見えると
20:37さっきも説明しましたけど
20:39このまま船に乗せられて
20:40ザンジバルに輸出をされていったみたいです
20:42すごいね今この
20:44ちょうど夕日が沈んでいく時間帯で
20:46海の音もすごく穏やかだし
20:49景色もすごい綺麗なんですけれども
20:51当時ね奴隷の人たちが
20:53何を思ってこの海を眺めていたかって考えると
20:56非常に感慨させられるものがありますね
20:59今からだいたい200年前ぐらいの出来事ですけれども
21:03きっとねこのバカ模様っていう場所も
21:06経済発展が進んで
21:07当時とはまたいろんな景色変わっていると思うんですけれども
21:10とはいえやっぱりこの景色自体はね
21:12その200年前の時代から
21:13そんなに大きく変わっていないと思うんで
21:15本当に200年前
21:17当時奴隷として売られていった人たちが
21:19何を考えて
21:20何を思ってここから出発していたかってことを考えると
21:24非常にいろんなことを考えさせられますね
21:29私が長年関わってきたウガンダ北部も
21:31かつて奴隷狩りの対象になっていました
21:33ウガンダの北部にあるベイカーズフォートという場所には
21:36売り物にならないと判断された奴隷が
21:39処刑されたとされている処刑場が残されています
21:42ベイカーズフォートを取材した際の様子については
21:45過去の動画で詳しくお伝えしているので
21:47ぜひご覧になってみてください
21:48こうしてアフリカの内陸部から捕らえられた奴隷たちは
21:52長い道のりを経て
21:53ザンジバル島に集められ
21:55そこで売買されていました
21:56ザンジバルは東アフリカにおける奴隷貿易の中
21:59心地として
22:0019世紀までその役割を果たしたのです
22:03過去の動画でも何度か紹介しましたが
22:05ザンジバル島のストーンタウンには
22:07奴隷たちが売られる前
22:08一時的に保管されていた倉庫が
22:10現在も当時の形のまま残っています
22:12ここで奴隷たちは長期間閉じ込められ
22:15劣悪な環境の中で売られる時を待っていました
22:18その倉庫を取材した際の映像をご覧ください
22:28奴隷がかつて捕らえられていたという場所に来ました
22:36すごい
22:38そんな感じです
22:39あの場所は暮かしさは漢字が遺棄った?
22:42はい
22:42そうだったりを保管されていた間は
22:442つの座りをしていました
22:46ここに3つが座りです
22:47この座りは大きく
22:49そしてこの座りも小さい
22:51そこに男性の中心地を持った
22:53女性の中心地を持っていた
22:5875名と女性の中心地は
23:0240名と女性の中心地を持っていました
23:0375人の場所に住んでいました。
23:08この場所は、この場所に住んでいました。
23:08毎日、ここに、
23:10そして、その場所に、
23:11その場所に、
23:11その場所に、
23:13そこに、この場所に住んでいました。
23:15この場所に、
23:16その場所に住んでいました。
23:23こちらの部屋には、
23:25男性50人が
23:27一時的に保管されていたみたいですね。
23:31当時、
23:33使われていた鎖、
23:35おそらくこれは、
23:36再現したものだと思いますが、
23:38当時、奴隷たちを収容する、
23:41繋げるために、
23:42使われていたチェーンが、
23:44実際に置かれています。
23:48先ほども説明したように、
23:50当時は、
23:51ここに、男性の奴隷
23:5250人が、詰め込まれていたみたいです。
23:55今、僕、身長178cmあるんですけど、
23:59こうやってしゃがんでも、
24:00頭ギリギリ入るかどうかっていう高さですね。
24:03おそらくここからここまで、
24:05大体1mぐらいの高さしかないんですけど、
24:07奥行きもね、
24:09そうだなぁ、
24:10大体5mあるかないかぐらい、
24:135m四方の広さに、
24:15高さ1mっていう感じで、
24:18窓もね、あそこにちっちゃいのが、
24:192つあるだけなんですね。
24:21当時、ここに、
24:2350人もの男性たちが、
24:25閉じ込められていたって考えると、
24:27衛生環境もまずね、
24:29悪かっただろうし、
24:30食事とか、トイレとか、
24:33どういう風にしていたんだろうな、
24:34すごく気になりますね。
24:36私は、
24:3750人の奴隷が、
24:40この時点で、
24:41どうやって、
24:43トイレを管理するのか?
24:44トイレを使って、
24:47この場所に、
24:48この場所に、
24:49この場所に、
24:49この場所に、
24:50この場所に、
24:50トイレを使って、
25:00この場所に、
25:02この場所に、
25:03本当に、
25:04本当に、
25:04ちょうど、
25:04タイミングを見る、
25:06ホーム、
25:10トイレを、
25:11何となく、
25:11本当に、
25:13なんですけど、
25:13他の場所には、
25:15日本の場所に、
25:16もっと、
25:4019世紀に入ると大西洋奴隷暴起の禁止に向け
25:44た動きを
25:44先行して進めていたイギリスが
25:46東アフリカでも奴隷暴起の禁止に向けて介入を始
25:50めました
25:501822年イギリスの圧力を受けたザンジバルの
25:54支配者サイードは
25:55奴隷暴起を制限する条約をイギリスと結びます
25:58しかしこの条約はキリスト教国家との奴隷暴起を禁
26:02止する内容に限定されており
26:04アラビア半島や西アジアを対象とした奴隷暴起
26:07にはほとんど効果がありませんでした
26:09最終的にイギリスは1873年にザンジバルとさ
26:13らなる条約を締結し
26:14全ての奴隷売買を禁止する内容を盛り込みました
26:17この条約が結ばれた日にザンジバルの中心地にあ
26:21った奴隷市場は閉鎖され
26:22その跡地には後に教会が建てられました
26:25この教会は奴隷暴起の終焉を象徴する建物として
26:29現在もストーンタウンに残っています
26:31しかしこの条約によっても奴隷暴起が完全になくなることは
26:35なく
26:35密輸などの非合法な形で続けられました
26:38東アフリカにおける奴隷暴起が完全に姿を消したのは
26:4220世紀に入ってからのことです
26:44ちなみにイギリスが奴隷暴起を禁止した背景には
26:47人道的な理由だけではなく
26:49もう一つ重要な経済的な理由があります
26:52この点についてはこちらの動画で詳しく解説をしていますので
26:55ぜひ合わせてご覧ください
26:57冒頭で紹介した写真は
26:59ザンジバルストーンタウンにある博物館に展示されて
27:02いるものです
27:02この写真は1868年に撮影されたもので
27:06売られる直前に救助された奴隷たちの姿を映したもの
27:09です
27:09彼らの表情からは
27:11当時の状況がいかに絶望的だったかを
27:13伺い知ることができます
27:15ここまで奴隷暴起の歴史を詳しく見てきましたが
27:17このような悲惨な過去の歴史に対して
27:20今生きているアフリカの人たちは
27:22どのように考えているのか
27:23タンザニアでの取材をサポートしてくれた
27:25現地の人たちに考えを聞いていました
27:27この質問を聞いてください
27:31この動画でのチャンネルで
27:33アフリカの歴史の歴史にあります
27:37アフリカのアフリカの視聴者が
27:39動きました
27:40だから歴史は悲しいです
27:44アフリカ人については
27:45この質問を聞いてください
27:46アフリカ人の歴史の歴史の歴史に
27:52アフリカ人の歴史の歴史の歴史に感じています
27:58アフリカ人は
28:01仕事がある原因です
28:05アフリカ人の歴史は
28:06前方からの身か何もなわけです
28:07アフリカ人によって
28:07カリカ人の歴史の歴史の歴史に
28:08わずなのに
28:11parentingをかけるこれらの歴史が
28:15ちゃんとしても
28:23だからあなたは外国人や外国人は、アフリカの名前に
28:31とっては、
28:33アラブとアフリカ人の中に合っていた証言をしていた。
28:36あなたは外国人の歴史にある アフリカ人のテーマ
28:40やアフリカ人の歴史を紹介していた。
28:41アフリカ人の歴史によっては、アフリカ人の歴史
28:46に感じていたか?
28:46アフリカ人の歴史を知りたいことができる。
28:52でも今ライは言うとき、この仕事は常に仕事が这是なし。
28:59今日の島に私達のバガモヨなどはとても重要です。
29:04彼らが多分のある人は、彼らが多分のñorに来た。
29:07彼らは彼らが多分の大人が関わらないことだ。
29:10彼らは、あふとなる人間の出現、アフィカン、エローペ
29:17ン、
29:18彼らは同様に参加して、
29:46彼らが語っていたように
29:47当時のアフリカで行われていた奴隷貿易は
29:50あるアフリカ人の集団が別のアフリカ人を捉え
29:53ヨーロッパ人やアラブ人に売り渡す形で行われて
29:57いました
29:57奴隷貿易を主導していたヨーロッパ人やアラブ人は
30:00自分たちに協力的なアフリカの勢力に武器や
30:03報酬を与え
30:04他の集団を襲撃させ奴隷として捉えさせる仕組
30:07みを築いていたのです
30:08当時のアフリカで権力を持っていた者たちも
30:10この貿易に深く関与しており責任の一端を担っていました
30:14そのため奴隷貿易の加害者をヨーロッパ人やアラブ
30:18人だけに限定することはできない
30:19というのが彼らの考えでした
30:21このインタビューには実は一つだけ裏話があります
30:25私が彼らに奴隷貿易の歴史についての考えを聞
30:28かせて欲しいと伝えたところ
30:30撮影を開始する前に少し時間が欲しいと言われていました
30:33彼らはガイドの仕事をしていることもあり
30:36この動画を見た日本人や外国人にもっとアフリカを訪
30:39れて欲しいと考えています
30:41そのためあまりに強い意見を述べることで視聴者がア
30:44フリカに興味を持たなくなることを懸念し
30:46中立的な立場を意識しながら話をしてくれたのです
30:50かつて奴隷市場があった場所に建てられた教会は
30:53現在では奴隷貿易の歴史を伝える博物館としても利用
30:57されています
30:57この教会はザンジバルでは最も有名な観光スポット
31:01になっており
31:02奴隷貿易の悲惨な歴史を今に伝えています
31:05ザンジバルは透き通る海と白い砂浜が広がる
31:08美しい景観を持つながら
31:10かつて奴隷貿易の拠点でもあったという複雑な歴史を
31:14持つ特別な場所です
31:15アフリカへの旅行を考えている方はザンジバルを
31:18訪れ
31:18その魅力と歴史の両面に触れてみてはいかがでしょうか
31:24東アフリカで行われていた奴隷貿易について
31:27現地での取材を交えながらお話ししてきましたがい
31:30かがだったでしょうか
31:31ぜひ皆さんの感想をコメント欄で聞かせてください
31:34私が運営するオンラインコミュニティシナジーでは
31:37国際協力やアフリカをテーマにした勉強会や交
31:40流会を定期的に開催しています
31:42私がyoutubeで扱っているようなテーマは
31:45なかなか身近な人と話す機会は少ないかもしれません
31:48シナジーでは同じ興味関心を持つ仲間をきっと見
31:51つけられるはずです
31:52国際協力やアフリカに興味がある方は
31:55ぜひ概要欄のリンクからシナジーのホームページご
31:57覧ください
31:59ということで今回も最後までご紹介さりありがとうございました
32:02またリカイの動画でお会いしましょう
32:04ご視聴ありがとうございました
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