- 2 日前
ウガンダ北部に残る奴隷貿易の遺跡、ベイカーの砦を歩きながら、アラブ商人が主導した東アフリカの奴隷狩りと、その現場に今も残る処刑場の痕跡をたどります。現地を案内するのは、ウガンダ在住19年の小川慎吾さん。岩陰に閉じ込められた収容跡や、斧で切られた地面の傷など、当時の状況を伝える場所を実際に見ていきます。
ここでは、健康で力のある人だけが選別され、使えないと判断された人は処刑され、遺体はハイエナやライオンに食われたとも語られます。さらに、奴隷貿易が同じアフリカ人同士の分断を生み、その後の植民地支配や紛争の土台にもつながっていった歴史まで掘り下げます。アフリカ史、奴隷貿易の遺跡、植民地支配の影響を考える現地ルポです。
アフリカの歴史、東アフリカの奴隷貿易、ウガンダ北部の遺跡、ベイカーの砦、植民地支配、分断統治、歴史散策、海外取材のドキュメンタリーを探している方におすすめです。現地映像で学ぶ歴史解説、アフリカ史の現場取材、奴隷貿易の実態を知りたい人の検索にも役立つ内容です。
ここでは、健康で力のある人だけが選別され、使えないと判断された人は処刑され、遺体はハイエナやライオンに食われたとも語られます。さらに、奴隷貿易が同じアフリカ人同士の分断を生み、その後の植民地支配や紛争の土台にもつながっていった歴史まで掘り下げます。アフリカ史、奴隷貿易の遺跡、植民地支配の影響を考える現地ルポです。
アフリカの歴史、東アフリカの奴隷貿易、ウガンダ北部の遺跡、ベイカーの砦、植民地支配、分断統治、歴史散策、海外取材のドキュメンタリーを探している方におすすめです。現地映像で学ぶ歴史解説、アフリカ史の現場取材、奴隷貿易の実態を知りたい人の検索にも役立つ内容です。
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ニューストランスクリプション
00:00どうもみなさんこんにちは、ハラカンタです。
00:01私は現在、ウガンダ北部にあるベイカーの砦、ベイカー
00:06ズフォートという場所に来ています。
00:07ハラカンタのYouTubeでは、過去に何度もアフリカの奴隷貿
00:11易の歴史について取り上げてきましたが、
00:13このベイカーの砦も奴隷貿易の遺跡の一つです。
00:17今回は奴隷貿易の歴史にも詳しい日本人の方にですね、
00:20このベイカーの砦でどんなことが行われていたのかを案
00:23内してもらおうと思います。
00:32ウガンダ在住19年の小川慎吾さんです。
00:35小川さん、よろしくお願いします。
00:36はい、よろしくお願いします。
00:38このベイカーズフォートについて簡単に概要を聞いて
00:41もいいですか?
00:41ここは19世紀に入ってから、アラブ商人がアチョリの
00:46地域の人たちを奴隷狩りをして、
00:49ここに集めてきて奴隷を選別してエジプトに送ったり
00:52ということをしていた、
00:54いわゆる奴隷貿易の拠点になります。
00:56実際にどういった奴隷貿易が行われているのか、
00:59その形跡が分かる場所がいろいろあるみたいなので、
01:03ちょっと小川さんにいろいろと案内をしてもらおうかなと思います。
01:06ここが食料を貯蔵したり、あと武器を貯蔵するための場所
01:12で、
01:12こういうところに食料、武器を貯蔵して、ここを拠点にしていたんです
01:17けど、
01:17こっち見てもらうと、この大きな岩の下に隙間があって、
01:22その下に実は奴隷を収容していた場所で、
01:26女性と男性を分けて、こういうこの下にですね、
01:32こんな狭い場所に入れられていたんですね。
01:34そうそう、この中に入るともう少し広いスペースがあるんですけど
01:37も、
01:38ここに奴隷を閉じ込めて、
01:39礼士で蓋をして出れないように閉じ込めて、
01:42奴隷を収容していた場所ですね。
01:46ここは元々女性の奴隷たちが閉じ込められたエリ
01:49アですけど、
01:50今回僕のアシスタントで、女子大生の坂本さんが来て
01:53くれているので、
01:54実際に中に入ってもらおうかなと思います。
01:56坂本さん、身長いくつですか?
01:58155です。
02:00155センチ。
02:01寝ないと入れない。
02:03うーん、すっごい狭い。
02:05この中に何人くらい奴隷の人たちが入ったんですかね?
02:08数十人とかって言われてるけど、正確な数は分からないですよね。
02:13こんな狭いスペースに数十人の人たちを閉じ込めて
02:16おくと、
02:17本当に物として扱われたんだなって感じますね。
02:20何日くらい閉じ込められてたかとかは分かるんですか?
02:243日間とかネットの文献とかで。
02:28うん、一定期間閉じ込められてテストすることもあったし、
02:31一定期間閉じ込められた後で、その造業を北に下ってい
02:36って、
02:36南スーダン、スーダンを通ってエジプトまで造業を持って
02:40奴隷が運ばれていくっていう。
02:42ここに閉じ込められて体が弱ってきたりとか、体力がない人
02:47は、
02:47この裏側にある処刑場に連れて行かれて、そこで首を切
02:52られて、
02:53使い物にならないってことで、そのままこの死体を下の茂み
02:57に放り出されたっていう。
02:59体力のある奴隷が好まれてたってことですよね。
03:02そうですね。力のある、体力のある、まあ男性はですね。
03:06そういう奴隷が好まれて、彼らが選別されて、奴隷として駆
03:11り出されていったっていう。
03:13で、エジプト中東の方に運ばれていったっていうことですよね。
03:21ここは処刑場と呼ばれる奴隷の人たちが殺されていた
03:25場所ですか?
03:25奴隷は駆られてきてから、その使える奴隷と使えない奴隷、
03:30つまり健康的で力のある奴隷が選別されて、
03:34体の弱い老人であるとか、そういう使えない奴隷はここで処
03:39刑をされて、捨て去られると。
03:41使える奴隷だけ選別されていくっていう、こっちでは裁判というふうに
03:45称されて、言われてるんですけれども、
03:47その裁判って、つまり選定をして、使える、使えないっていうことを選別
03:51してから、
03:51使えない奴隷をここで処刑するという、処刑場だった場所ですね。
03:55ここで首を切られた犬隷が捨てられて、当時はライオン
03:59とかハイエナに食われてたって話があるんですけど、本当ですかね。
04:02この辺りは、ゾウが非常に多い地域でもあって、他にもハ
04:07イエナだったりライオンなんかも、
04:08当時は野生の動物がいたので、
04:10この岩場の向こう側に茂みが、今もありますけれども、あの下に被
04:16災が放り投げられて、
04:17そこをハイエナだったり、そういった動物が食べていくということ
04:21があったっていうのは、よく言われていることですね。
04:25でも景色はすごい綺麗ですね。地平線が綺麗に見えて、本当に遠
04:30くの方まで見渡せます。
04:32でも全く同じ景色を、当時奴隷として売られていく人た
04:36ちも見ていたって考えると、非常に考えさせられるものがありますね。
04:41この辺りは地面に大きめの傷がついている場所が多
04:44いんですけど、
04:44ここは奴隷として連れ去られた人たちの中で、売り物
04:48にならないと判断された人たちが、斧で首を切られて、
04:52処刑されていた場所で、その時に斧でついた地面の傷が、
04:56今でも残っています。
04:59ここの奴隷貿易は、誰が奴隷を売り返していたんですか?
05:03今日はアラブ商人が、その奴隷狩りをしていた砦で拠点にな
05:07るんですけど、
05:07ただ奴隷を直接買っていたのは、つまり奴隷を直接捕まえていたのは、
05:11実はアラブ商人ではなくて、
05:13同じアチョリのアフリカ人だったんですね。
05:16今はアチョリ族とかアチョリ人って、部族って形で語
05:19られることが多いんですけれども、
05:21もともと、なんとか族っていうアイデンティティではなくて、
05:25もう少し小さなクランという、日本語で言う子族という、
05:28そういうクランの単位で、このアチョリの人々が他の
05:32クランと、
05:32まあ喧嘩もするけど共存して、長年暮らしていたところなんですけど、
05:37アラブ商人がやってきて、その一部のクランに対して衣
05:41服を提供するとか、
05:43武器を提供するとかっていう形で、その一部のクランがアラ
05:47ブ商人の手先になって、
05:49他の同じアチョリのこのクランを借り出すっていうこと
05:52をしていたので、
05:54実は同じアチョリの人たちがアチョリの人を
05:56奴隷にするという、
05:58アチョリの人たちのその、いわば文化であったり、
06:00その共存している彼らのそういった仕組みとか制度みたいなもの
06:04も、
06:04ここが壊れ始めたというふうにも言われていて、
06:08つまりこれまではそのクラン同士の力関係はいろいろある
06:11にせよ、
06:12問題があってもそれなりに彼らなりに伝統的に、
06:15この人と人を共存するとか、人と人と自然がどうすれば
06:20共存できるかみたいな、
06:21いろんな掟とかいろんな考え伝統ってものがあったものが壊
06:26されて、
06:26アチョリ人同士が戦いを始めるっていう、
06:29まさにその始まりがこのアラブ人による奴隷狩りの
06:33中で始まったっていうふうにも言われていて、
06:36実はその後、植民地支配を受けてイギリスが分断統
06:40治をして、
06:41その後、ウガンダの北と南の対立構造が残されて、
06:45今の紛争につながっていくっていう、
06:48いわばその一番最初のこの地域の分断が始まったの
06:51がアラブ商人の奴隷狩り。
06:53直接奴隷を捕まえていたのを同じアフリカ人がアフ
06:55リカ人を狩るという、
06:57まさにヨーロッパ人がこの三角貿易、西アフリカ中
07:00心に三角貿易の中でやってたような奴隷狩りっていうのが
07:04ここでも行われていて、
07:05当然アラブ商人たちも奴隷を売って、彼らもその富、利
07:09益を得ていたんだけれども、
07:11この地域でですね、銅がたくさんいる場所で、造芸を持ってそれ
07:16を運ばせていたんですけれども、
07:17造芸がどこで事情があったのかっていうと、
07:20当時ヨーロッパ諸国っていうのは、特にイギリスは奴隷狩
07:23り、奴隷貿易を禁止しようという動きがあったんだけれども、
07:26でもここから運ばれた造芸っていうのは、ヨーロッパ諸国の人たち
07:31が贅沢のために使うという、
07:33そういう需要があって造芸が運ばれるという、もちろん現地に
07:37いるアラブ商人たちが残虐なことをしてきたってこともある
07:41けれども、
07:41誰のために造芸を運んで、誰が造芸を使っていたのか、消
07:46費していたのかっていうところも含めて考えると、
07:48この地域だけで起こっているっていう話ではなくて、
07:51ヨーロッパ諸国がですね、何百年にもわたって行ってきた三
07:55角貿易と同じような構図が、
08:00東アフリカで起こった奴隷攻撃にもある、一つ重要な
08:03ポイントかなと思いますね。
08:06それにしても本当に大きい岩ですね。
08:08本当にすごい、この一枚岩ですからね。
08:14これが本当に絶妙なバランスで崩れずに、
08:19ずっと立ってるっていうのもすごく不思議で、これなんかも巨大ですよね。
08:25こっちもこれも一枚岩で。
08:30今はこういった場所は手入れとかはほとんどされてない
08:33んですかね。
08:34こういう場所を歴史的な遺跡でもあるので、
08:37政府も保護して手入れしようとはしているんだけれども、
08:42実際にはなかなか十分に手入れはされてないっていうのが現
08:46状ですね。
08:52今僕が立っているこの場所が奴隷の人たちがセレク
08:56ション、
08:56つまり男性の奴隷であれば屈強な体かどうか、体力が
09:00あるかどうか、
09:01女性の奴隷であれば美しいかどうか、
09:03そういったセレクションがこの場で行われて、
09:06奴隷として売ることができるっていうふうに判断された奴隷
09:09たちは、
09:09奥の方に見えているあの出口からですね、出て行って、
09:13エジプトの方まで歩かされて、そこからいろんな場所に
09:17売られていたと。
09:18一方でここで奴隷としての価値がないっていうふうに判断
09:21された人っていうのは、
09:23首を斧で切られて、そのままこの下に捨てられてですね、
09:26肺穴とかライオンとかに食べさせるってことが行われていたみたい
09:30です。
09:35この場所もですね、大きい岩に挟まれているちょっと空洞ができて
09:41いて、
09:41ここには奴隷の人たちが約70人詰め込まれていたみたいです。
09:46この入口のところにも岩で塞がれて逃げないようにされていたみたい
09:51なんですけど、
09:51中にはここから逃げる奴隷もいて、
09:54でもここから逃げても当時は肺穴とかライオンとかその辺に
09:57いっぱいいたので、
09:58逃げていく奴隷を監視役の人たちも笑って見てて、
10:03結局逃げても途中で食べられて死んでいくっていう奴隷の人
10:07たちもいたみたいですね。
10:08ここも実際さっきちょっと奴の方入ってきましたけど、
10:10当時ここにほぼ飲まず食わずの状態で70人もの奴隷
10:14がいたって考えると、
10:16全く衛生的じゃないし、本当に当時は奴隷がものとして扱わ
10:20れていたんだなってことを感じますね。
10:31ここの砦の名前にベイカーというイギリス人の名前
10:34が使われてますけど、
10:35ベイカーっていうのはどういった人物だったんですか?
10:37サムエル・ベイカーっていう人なんですけど、
10:39イギリスの軍人であり探検家であったんですけど、
10:42当時この地域、このウガンダの北部とちょっと上に行くと南
10:46スーダンがあって、
10:47コンゴがあって、この辺り一帯をエクアトリア地域
10:50っていう風に呼ばれていて、
10:52そこを統治していたサムエル・ベイカーっていうのが、
10:5519世紀の半ば以降、このナイルの原理を探して、
10:58このウガンダの方に降りてきたんですね。
11:00当時だからアラブ商人が奴隷攻撃をしていて、
11:03そこを発見したのがそのベイカーだったので、
11:06そのベイカーが奴隷商人を追い出していったっていう経緯
11:09で、
11:10ここベイカーズ・フォートっていう名前が付けられてるんです
11:12けど、
11:12サムエル・ベイカーっていう人物ってよく言われるのが、
11:15二つの側面を持ってるって言われていて、
11:17一つは地元の人からすれば、アラブ商人を追い出
11:20してくれた、
11:21その奴隷狩りをやめさせてくれたっていうその側面を持ってる。
11:24それが一つ。
11:25ただ、一方でその当時のイギリスっていうのは、
11:27イギリスはその前に散々西側のアフリカで、
11:30世界で最も奴隷攻撃をしてきたのがイギリスで、
11:33その当時は奴隷攻撃の時代から、
11:35イギリスの産業資本主義が進んでいく中で、奴隷よ
11:39りも欲しいもの、
11:39つまりそれが資源だったり原料だったり、奴隷攻撃の時
11:43代ってヨーロッパ人ってない。
11:44沿岸部にいて、アフリカ人を使ってアフリカの奴隷
11:47を狩り出させてきたんだけれども、
11:49その後、植民地域に入っていく中で、
11:52どんどんどんどん内陸に入って、植民地支配をして
11:54いく。
11:55ちょうどその頃で、サムエル・ベイカーっていうのは、
11:57まさにその先頭に立ってこのウガンダに入ってきた人間で、
12:00ウガンダを植民地化していく、その先頭に入って入ってきて、
12:04この地域の人たちを彼らも虐殺をしていくし、
12:07その中でその植民地化していって、分断統治していくっていう、
12:10そういうふうの側面、両方の側面を持っているっていうふうに
12:13言われている中でもありますね。
12:16ドレボ駅が終わったからといって、その後のウガンダに平
12:19和が訪れたっていうふうには、
12:21決して言えないということですかね。
12:22そうですね。むしろその分断統治っていうのが、
12:25やっぱりイギリスが入ってきてから始まっているので、
12:27つまりウガンダの中の一部のこの地域の人たちは、
12:31強いてあげられる側、イギリス側に教育を与えたり、
12:34いったのは南部の人たちで、その分断統治することで、
12:37イギリスに向かってこないような形で、
12:39イギリスが統治してきたことで、
12:41よりそのこのウガンダって国の中の分断が進んでいったって
12:45いうことが、
12:46独立後、対立構造が残って今の紛争の原因になっているっていう。
12:50意味においては、その植民地支配っていうのが、
12:53この地元の人たちの、命を奪うだけではなくて、
12:55地元の人たちのその監修だったり、文化だったり、
12:58そういろんな仕組み制度みたいなものに、
13:01いろんな意味で影響を与えていたっていうのは、
13:03植民地危機の方が大きなものがあったっていうふうにも、
13:07言えるかなと思いますね。
13:08当時イギリスは19世紀に入って、
13:111807年に奴隷貿易を禁止して、
13:13その後その33年、1833年に奴隷制自体も禁止していく中
13:18で、
13:18アラブ商人の奴隷攻撃を避難していくんだけれども、
13:22実はアラブ商人が捕まえた奴隷を、
13:25例えばブラジルであったり、
13:26その新大陸、西新土諸島で、
13:28実はイギリスの奴隷商人が使っていたり、
13:30あるいはイギリスの金融機関が、
13:33そういった奴隷商人に投資をしていたり、
13:35そういう意味においてイギリスっていうのは、
13:37一応19世紀に入ってから奴隷攻撃を禁止しているんだけれ
13:40ども、
13:40かといってその完全にそのイギリス、
13:42ヨーロッパ諸国が奴隷貿易と無関係になったかっていうと、
13:46実はそうではなくて、
13:47この地域で借り出されたアチョリの奴隷たちも、
13:50エジプトまで連れて行かれて、
13:51多くはアラブ諸国に売り出されたりしたんだけれども、
13:54一部はその新大陸、
13:56例えばヨーロッパ諸国が運営しているプランテーションで、
13:58たらかさせられたり、
13:59その利益をイギリス、ヨーロッパの会社だったり、
14:07必ずしもイギリスが奴隷攻撃を禁止させて、
14:10それで全てハッピーになったかっていうと、
14:12そうではない。
14:13繰り返しですけれども、
14:14その後奴隷攻撃の時代の後のアフリカ分割の時
14:18代で、
14:18この地域を植民地化する中で、
14:20現地の人たちを虐殺しながら、
14:22この地域を統治し、
14:24そして分断統治して、
14:26その後また今の紛争がですね、
14:28独立を続いているというところにおいても、
14:30植民地の影響は全く無視することができないので、
14:34必ずしもベイカーをヒーローとして、
14:37称えるようなことを言っている地元の人は、
14:39そんなにたくさんいるわけではない。
14:41この地域の奴隷貿易は、
14:42アラブ商人が主導していたとはいえ、
14:44ヨーロッパの人たちの豊かな生活も、
14:47間接的に支えていたということですよね。
14:49そうですね。
14:49ここで取れた象芸、
14:50象を殺して、
14:52それをこの地域で買い出してきた奴隷に
14:55運ばせていたんだけれども、
14:56その最終消費地っていうのは、
14:58ヨーロッパ諸国だったので、
14:59間違いなくそのヨーロッパの人たちが、
15:01この奴隷貿易によって、
15:02何らかの利益をやっていたというふうに
15:05考えるべきだと思うんですね。
15:07あとは新大陸に連れ出された奴隷も、
15:09一部いたみたいなので、
15:10その人たちが働いて作ったものが、
15:12ヨーロッパで消費されていたということとかもあるんですか?
15:15当時は砂糖であったり、
15:17鉱物資源であったり、
15:191833年イギリスが奴隷制度を廃止して以降、
15:22例えばブラジルなんかだと、
15:24イギリスの鉱山会社が奴隷を使い続けていて、
15:28そこの当然鉱山で取れた銀っていうものが、
15:31ヨーロッパ諸国の富、
15:33資本を蓄積していくってことに繋がっていたっていうのは、
15:3619世紀に入ってからも続いていたっていうことは、
15:39忘れちゃいけない部分だと思いますね。
15:43日本の富士の鉱山会社
15:51物って言われるじゃない。
15:52あ、こっちで生活していると。
15:54ムズングとかじゃなくて。
15:56ムズングとか、白人とか外国人っていうので。
15:58北部の方の人たちは、物って言ってきますね。
16:02よくムズング、ムズングって、
16:03アフリカ来たことある人だったら、
16:05経験したことあると思うんだけど。
16:06白人だ、白人だとか、外国人だっていうときに、
16:09ヴァントゥゴケ、グアンダで南部の人たちってムズング
16:12ムズグンって言うんですけど
16:13こっちの人たちモノって言うんですよ
16:15モノっていう語源何かっていうと
16:17実はモネっていう言葉があって
16:19モネっていう言葉の実は意味っていうのは
16:22混乱を引き起こす
16:23トラブルを引き起こす人たちっていう意味があるんですよ
16:26この今いるここにアラブ商人たちがやってきて
16:29そのアラブの人たちがアフリカのアチュリの人
16:32を奴隷を買ったり
16:34一部のアフリカの人に奴隷狩りをさせて
16:36関係性を混乱させたりした時に
16:38アラブの人たちのことをモネって呼び始めたのが
16:41元々の始まりなんですよ
16:43現地の言葉、こっちの言葉
16:45そう、こっちの言葉でモネ、モネ
16:47それが今発生してモノって言われるようになってるんですけど
16:50なんでモネ、つまりこの混乱を引き起こす
16:53トラブルを引き起こす人たちっていう風に言われてた
16:55のが
16:55なんでモノになったのかって言うと
16:57実はすごく複雑な感情がこの地域の人たちの中には
17:00あって
17:01ここはアラブの人たちがいて
17:02そこにイギリス人が来てアラブ商人を追い出
17:05して
17:05そこから植民地支配が始まっていくわけじゃないですか
17:08その中でもちろんイギリスが悪いこともたくさんしてきた
17:11んだけれども
17:12でもアラブ商人を追い出してくれたとか
17:14その後その近代化を進めてくれたとか
17:17ウガンダを統治するイギリス人に対して
17:19彼らは私たちにいろんなものを与えてくれるものがくれる
17:22し
17:23クリスチャニティ、宣教師の影響もあるんだけれども
17:25それからそのモノっていう言葉に変わったのは
17:28モノっていうのは実は上司とかボスっていう
17:31そういう意味合いも含まれた言葉なんですよ
17:34だからモネ、混乱を引き起こす外国人っていうところも
17:37引き継ぎつつ、つまりイギリス人に対してもそういう思
17:40いもあって
17:40イギリスが入ってきて分断されて
17:42彼らはこの地域に混乱を引き起こすっていう
17:45その意味も含めながら
17:47でも同時にモノ、つまり上司で近代化を与えてくれる
17:51自分たちにモノをくれる
17:52それによって国内で対立している人たちと
17:55同じアフリカ人と戦う時に力をくれる
17:58そういう存在だからっていうことで
18:00モノっていう、上司っていう
18:02その二つのある意味正反対の
18:04混乱を引き起こす敵っていう意味と
18:07自分たちが尊敬する上司だ、ボスだっていう
18:10この両方がミックスしている状態で
18:12モノっていう言葉が今使われるようになってて
18:15でも後者の方もちょっと考えさせられますね
18:18肌の白い人間たちが自分より上だみたいな
18:21いろいろ教えてくれるっていう
18:22文明家っていう
18:24彼らが先に行ってるみたいな
18:25意味も込められてるって考えると
18:28ちょっと複雑な気持ちになります
18:29だからそういう人ばっかりじゃなくて
18:32未だにそのモノ、イギリス人だったり
18:35なんなら今海外からこの地域に来る人たちのことも
18:38彼らは自分たちの伝統文化を破壊して
18:41混乱をもたらす人だっていう
18:43見方をする人もやっぱりいるっていう
18:44そういう複雑なものがこの地域にある
18:47モノって結構現地の子供たちとかも普通に言って
18:50普通に言いますよね
18:51だから南部とかケニアとかタンザニアとか
18:55ああいうバントー合計の国に行くと
18:57ムズングムズングって言われるのと同じような感覚で
18:59この辺だと歩いてるとモノモノ
19:01中国人であろうとヨーロッパ人であろうと
19:04外国人に対してはモノって
19:06子供たちはそういう背景意味もわからずに使ってると思うんだ
19:10けども
19:10面白い
19:11面白いというか興味深いです
19:12ねえなるほど
19:13そういった歴史があるそうです
19:21アフリカの奴隷貿易の歴史の一端がわかる遺跡
19:25を回りましたが
19:25いかがだったでしょうか
19:26僕の普段の動画ではアフリカで今起きている問題とか
19:30今の生活について取り上げることが多いですけれども
19:33アフリカが経験してきた得意な歴史について考える
19:37そんなきっかけになっていれば嬉しいです
19:39実はこの動画を撮影した2週間後からですね
19:42隣国タンザニアのザンジバルという場所に行きます
19:45ザンジバルは奴隷貿易の一大拠点として栄えた
19:49場所ですので
19:49より深く奴隷貿易の歴史が学べるようです
19:52またねザンジバルで撮影した動画もアップしていきますので楽し
19:56みに待っていてください
19:57今回の動画の感想もぜひ皆さんコメント欄で書いてくれたら
20:00嬉しいです
20:01ハラカンタの海外取材はハラカンタを応援するサポーター
20:04ズクラブの皆様のご支援によって成り立っています
20:07ハラカンタのYouTube活動を応援してくださる方はぜひ
20:10概要欄のリンクからホームページご覧になってみてください
20:13いつも応援してくださる皆様本当にありがとうございます
20:16アフリカのリアルな実態がわかる現地の生の映
20:19像これからもまだまだたくさんアップしていきますので
20:22チャンネル登録まだお済めない方はぜひチャンネル登録お願いいたします
20:26ということで今回も最後までご視聴くださりありがとうございました
20:29また次回の動画でお会いしましょう
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