- 2 日前
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https://community.camp-fire.jp/projects/view/599505
イラク西部の都市ファルージャ――かつてアメリカ軍、イスラム武装組織、アルカイダ、そしてイスラム国(ISIS)との間で激しい戦闘が繰り広げられた街です。今回は、イラクで22年間活動を続ける高遠菜穂子さんと共に、この地を訪れました。
取材では、アメリカ軍と地元武装勢力の間で行われた「第二次ファルージャの戦い」で命を落とした人々が眠る集団墓地を訪問。当時この街で何が起きていたのか、そして長年イラクで活動してきた高遠さんが今、何を思うのかを聞きました。
戦争をなくすために、私たちはイラクの教訓から何を学べるのか――ぜひ最後までご覧ください。
※この動画は2025年5月に撮影したものです。最新の現地情勢を反映したものではありません。最新情報はニュースや外務省の発信をご確認ください。
◆高遠菜穂子さんが代表を務める一般社団法人ピース・セル・プロジェクトのHPはこちら
https://www.peacecellproject.org/donate
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https://www.kantahara.com/entry/profile-of-Kanta-Hara
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紙版➡https://kantahara.thebase.in/items/5867180
Kindle版➡https://amzn.to/
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イラク西部の都市ファルージャ――かつてアメリカ軍、イスラム武装組織、アルカイダ、そしてイスラム国(ISIS)との間で激しい戦闘が繰り広げられた街です。今回は、イラクで22年間活動を続ける高遠菜穂子さんと共に、この地を訪れました。
取材では、アメリカ軍と地元武装勢力の間で行われた「第二次ファルージャの戦い」で命を落とした人々が眠る集団墓地を訪問。当時この街で何が起きていたのか、そして長年イラクで活動してきた高遠さんが今、何を思うのかを聞きました。
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ニューストランスクリプション
00:00ここもね、集団墓地ですね。ものすごい数のお墓があります。
00:052004年11月から12月に行われた米軍による秘装攻
00:09撃、その時の方々のお墓です。
00:12アリの子一匹入れないぞっていう勢いで米軍は包囲攻撃
00:15をして、死者は6000人を超えるたくさんの犬が遺体を
00:19貪っていたりとか、
00:21米軍の装甲車が遺体を踏んづけて歩くのを目の
00:23前で見てしまったと。
00:24初めて武器を取って復讐してやろうかって思ったって。
00:26戦争を止めたい。戦争を起こさないようにしたい。
00:31イラク西部に位置するファルージャ。
00:33かつてアメリカ軍と地元の武装勢力、さらにはイ
00:37スラム過激派との間で激しい戦闘が繰り広げら
00:40れた街です。
00:41そんなファルージャに2003年のイラク戦争の頃から関
00:44わり続けている日本人がいます。
00:46人道支援に携わってきた高藤直子さんです。
00:50今回は高藤さんに同行し、かつてこの街で何が起きて
00:53いたのか、
00:54そして今、現地の人々がどのような暮らしをしているのか
00:57を詳しく見ていきたいと思います。
01:31ファルージャの中心地から15分ほど車で移動してきた場
01:35所にやっていきました。
01:36ここもね、集団墓地ですね。
01:39ものすごい数のお墓があります。
01:43本当にいろんな場所に集団墓地があって、戦争で亡く
01:47なった方の数の多さが、こういった集団墓地の多さから
01:50わかります。
01:52イラク戦争の時代、そしてその後の米軍占領の時代、何
01:55があったのか、詳しく話を聞いてみようと思います。
01:58この辺りにある小さいブロックもですね、アラビア語で番号
02:02だけが書いてあるんですけれども、
02:04身元不明のご遺体がこの下に眠っているみたいです。
02:08イステラム教はね、土層なので、あの土の下に埋めますけれ
02:11ども、
02:12当時ですね、アメリカ軍の攻撃、特殊な武器が使われた
02:16か何かで、
02:17もう遺体の損壊があまりにも激しいと。
02:19そういう遺体の損壊があまりにも激しいご遺体はですね、
02:23身元が結果的にわからなかったので、番号しかお墓には書かれ
02:27ず、
02:28その人の名前も書かれていないという、
02:31この辺りも番号しかないお墓が続いていますね。
02:34本当にブロック1個しか置いていないです。
02:38土が盛り上がっている部分があるので、この下にはご遺体が眠
02:43っているんだと思います。
02:45ここにも集団墓地がありますけれども、
02:47ここに埋葬されている方々はどういった方々だったんでしょうか。
02:51この集団墓地は2004年11月から12月に行われた米軍
02:56による総攻撃、
02:572回目の総攻撃というふうに、セカンドバトルとかと言
03:00われますけど、
03:01その時の殉教者の方々のお墓です。
03:05どういった光景が当時ここにあったんですかね。
03:08私の友人がバトルが終わって、一旦する包囲が解か
03:12れるときに、
03:13住民代表たちと一緒に私の友人が英語ができた
03:16ので、
03:16米軍と直接交渉して中に入らせてくれというふうに言った
03:20んですね。
03:21その時に町の代表たちと彼が入るんだけど、そこで見
03:24た光景というのがすごかったと。
03:26とにかくもう遺体が腐敗が始まっているし、
03:30それからもう本当にたくさんの犬が遺体を貪っていたりとか、
03:37それだけでもショッキングだったのに、米軍の走行者が遺体
03:39を踏んづけて歩くのを目の前で見てしまったと。
03:42それから米兵がミートフック、金属のミートフックを使って投
03:47げて遺体を回収するみたいなことをやっていて、
03:51それを目の前で見たときに本当に殺意を覚えたという
03:55か、そういうふうに彼は言ってましたけど、
03:56初めて武器を取って復讐してやろうかって思ったって彼は言
04:00ってましたけど、
04:00米軍はその町の代表たちにカメラはいいよって言った
04:04けど、ビデオはダメだって言ったんですよ。
04:06彼はそのカメラを持ってその中に入ったんだけど、そういう光景
04:10を見たもんだから、
04:11一瞬復讐してやろうと思ったけれども、そうじゃなくてこの光景を世界
04:14中に伝えてやるっていうふうに気持ちを切り替えて、
04:18遺体を受け取るときにビデオカメラを持って、1
04:21日中ビデオを回して、
04:22トラック何台にも分けて、そのご遺体が運ばれてくるの
04:25を全部記録して、
04:27その身元確認をする様子とかも全部記録して、
04:32そのご遺体が非常に特殊なご遺体になってたり、焼け焦
04:36げてたり、真っ黒焦げになってたり、
04:38青白くなってたり、膨らんだり、皮膚が全体ゴム手袋
04:42に剥げていたりとか、
04:44ちょっとすごい状態だったんですよ。
04:45ほとんどの人が身元がわからないから、所持品、免許証
04:50とかIDとか、
04:51それから写真とかリングとか、いろんなもので身元を確認しよう
04:56としたっていう要素を、
04:58全部彼はカメラに収めた。ビデオに。
05:00で、その時にイラクは土葬なんで、毛布にご遺体を、
05:04米軍のボディーバッグから毛布にくるみ直して、
05:09で、埋葬するっていう土を持って、
05:12で、身元がわからなかった人たちには番号を振って、
05:16で、そのリスト、この人はこういう所持品を持ってましたみたいなリスト、
05:20それとその番号をブロックに振って埋葬した。
05:26その様子が、今ここにもまだ見て取れますけど、
05:29未だその身元のわからない人たちにとって何について並
05:32んでますね。
05:33その時の様子を、
05:35えー、私はそれを何時間にも及ぶ映像を、
05:39すごい映像だったんですよ。
05:41で、本当に、
05:43なんていうんですかね、もう、
05:44私がそれを渡された時に言われたのが2つあって、
05:471つは、世界中にこの映像を届けてくれって言われたんですね、
05:511つは。
05:52米軍はきっと何か特殊な兵器を使ったんじゃないかってすごい
05:56言われた。
05:56だからそれを世界中に見て知ってもらって調べてもらいたいって
06:00いうことを言われたんですね。
06:01伝えてくれと調べてくれ。
06:03それをなんか言われたので、
06:05まあ日本のテレビ局に持って行ったり、
06:08それから講演会、もうほぼ毎日講演会でその話をしたりっていう
06:11のをずっと何年もやってたんですね。
06:13で、テレビ局でも扱ってはくれたんですけれど、
06:16まああまりにもひどいので、
06:18やっぱり全部カットか、もう全体がモザイクになって、
06:22画面全体モザイク見たくなっているので、
06:24まあ視聴者の方は何を映っているか多分わからないっていうよう
06:26な状況だったので、
06:28ああもうこれは自分の言葉でちゃんとお断りを入れて、
06:33あの見てもらう形を取るのがいいのかなと思って、
06:36全国をそれを回ってました。
06:552004年の4月と、
06:584月から5月にかけての包囲攻撃と、
07:0011月からの包囲攻撃2回あったんだけど、
07:031回目の時って軍事的に米軍はファルーチャ制圧
07:08できなかったんだよね。
07:09やっぱり抵抗が激しくてレジスタンスの。
07:12で、2回目の時は、
07:141回目の時のね、
07:16本当に火にならないぐらい、
07:19激しい攻撃をしたの。
07:21で、死者も桁が1個違った。
07:24うん。
07:25で、4月の時には、
07:26まだそれでも国際のジオとか、
07:29私みたいなフリーのエドワーカーみたいな人とかが、
07:33イギリス人とかオーストラリア人とかも結構入ってた
07:36んですよ。
07:36支援物資もって。
07:38で、こう、
07:39例えばオーストラリア人の友達はパスポート見せて、
07:42米軍にこう、
07:43オーストラリア人ですって言って交渉して、
07:45医薬品運びに来ました、通してくださいみたいな交渉しながら入
07:48っていくとか、
07:49それから救急車に乗ってたのはイギリス人の友人だけど、
07:53でも撃たれるんだよね、
07:54救急車と真ん中撃たれる。
07:55まあ、真ん中だったから誰も死ななかったけど、
07:57救急車が狙われみたいなこともすごくあったり、
08:00うん、あった。
08:01で、その1回目の時は、
08:04そのオーストラリア人の友達は、
08:06逃げられないでいる家族たちが500人ぐらいいたって言って
08:10たかな。
08:11それで米軍に、
08:12この人たちを逃がしてあげてくださいと、
08:14こんな危ないから逃がしてあげてくださいって言ったの。
08:17で、なんでそこに逃げられなかったかっていうと、
08:19男性は14歳以上は戦闘年齢とみなすっていうことで、
08:23中学校2年生ぐらいだよね。
08:24中学校2年生ぐらいの男の子たちは、
08:26みんなもう逃げちゃダメって言われた。
08:28避難しちゃダメ。
08:29避難させてもらえなかった。
08:30なので、
08:31要するに息子たちが逃げられないんだったら、
08:33私たちも逃げないって言って、
08:35お母さんとか娘たちも一緒になって残っちゃったみたいな。
08:37人たちもたくさんいたんですよ。
08:39家族と一緒にいるっていう。
08:41で、その人たちがこう一緒に固まっているっていう。
08:43それをオーストラリアの人たちが交渉して逃がすみたい
08:45なことをやったりとか、
08:46それができたのが1回目。
08:48だけど2回目は完全に、
08:50本当にもうアリの子1匹入れないぞっていう勢いで、
08:52米軍は包囲攻撃っていうのをして、
08:54なので、
08:55死者は6000人を超える、
08:56そういう状況。
08:59すざまじ攻撃だったんだよね。
09:01で、それで本当に完全に包囲だから、
09:04埋葬を撮影した友人なんかも、
09:07包囲攻撃中は何もできないわけです。
09:09で、それが終わってから、
09:10米軍に交渉して中に入れてくださいって言って入る。
09:12で、そこにはもう本当に大変な状況。
09:15もう遺体も腐敗も始まっている状況だし、
09:18っていう感じ。
09:20本当に1回目、2回目、
09:24その違いはやっぱり、
09:26第三者の目があるかないかで、
09:27これだけの違いが出るのかっていうのは、
09:29すごい思った。
09:30だから紛争地の中で、
09:31外国のジャーナリストが来るとかっていうのは、
09:33そういう意味合いもすごくあるし、
09:36外国の国際NGOとか、
09:37外国のエイドワーカーとか、
09:39そういった人たちが紛争地に入るっていうのは、
09:41そういった抑止にもなるっていう、
09:44本当にもう微々たるものは、
09:46微力でしかないけれども、
09:47全く誰もいないととんでもないことが起きる。
09:50あるいは何もなかったことにされちゃう。
09:52その何もなかったことにされたところで、
09:55何が起きているかって言うと、
09:55本当に恐ろしいことが起きている可能性がある。
09:58それは本当に教訓です。
10:01ベトナム戦争の時に、
10:02アメリカって結構自由に報道をさせたじゃないですか。
10:06それで世界的に反省運動が起きて、
10:08湾岸戦争あたりからかなり情報統制をし始めて、
10:11それがさらにイラク戦争になって、
10:13ファルジャの第二次ファルジャの戦闘の時には、
10:16徹底的に情報統制を強いたっていう感じなんですかね。
10:20それと出したい情報を出すために、
10:23エンベッドっていう方法を取って、
10:24要するに重軍取材、
10:25米軍側からの映像を流す。
10:27だからまさにイラク戦争なんて、
10:29そういう感じでライブ中継だったからね。
10:32そうすると、
10:33我々が日本でテレビの報道で見ているものっていうのが、
10:36いかに一面しか切り取っていない可能性があるっていうことを、
10:40やっぱり頭に入れておく必要があります。
10:41そうですね。
10:42本当に特に紛争地っていうのは、
10:44一番大変な時って、
10:46報道に乗ってくる時って、
10:47もう完全に人道危機になっているんですよ。
10:49完全にこれから危機が起きますよっていう時に報道はなくて、
10:53危機になって人が散々亡くなってから、
10:56それこそだから2003年で、
10:58私が入ってもう1ヶ月もしないうちに、
11:01私たちが聞いたのは、
11:04日本のメディアから取材に来てたフリージャーナリスト
11:08が言われてたのが、
11:08死者がもうちょっと多くなったらもう一回言ってとかね。
11:11それから、いやーイラクは賞味期限切れてるからねって私も
11:14言われたし。
11:15だんだんそうやって、
11:16人道危機な状況はニュースになるけど、
11:19それからは消えていくじゃないですか。
11:21そうするとまた死者が、
11:23これまでは10人でニュースになったけど、
11:2520人、30人が続いていったらもうニュースにならなくて、
11:28100人になったらニュースになるみたいな、
11:30そういう感じになってくるじゃないですか。
11:33で、そのうち何もなくなる。
11:34ポッと出てくる点のような報道をつなげてしまう
11:38と、
11:38わけがわからないし、間違った見方になってしまうし、
11:42そこはすごく危険だなと。
11:43だからやっぱり、どこの紛争地を見るにも、
11:46点と点の報道をつなぐのではなくて、
11:48やるべきは点と点の間で何が起きてたのかっていう
11:51のを、
11:51調べようと努力することはすごく大事かもしれません。
12:04ご視聴ありがとうございました。
12:45この後ろにあるクリニックは、
12:48タカトーさんが作られたんですか?
12:49作ったというか、もともとそのあったところに、
12:52荒廃しててもう全然医薬品もなかったので、
12:54整備して、バグダットから医薬品を運んで、
12:57再開させたところです。
12:592005年とかかな?
13:00日本の寄付者の方たちのお金を使ったというふうに聞
13:03いたんですけどね。
13:04100%日本からの寄付金で整理して、
13:06きれいにして、
13:07医薬品を入れて、
13:08エラク戦争の後の、
13:10その状況を知った日本の人たちが、
13:13タカトーさんの活動を応援したいというふうに思ってく
13:15ださって、
13:15寄付してくださった感じですね。
13:16本当にその通りで、
13:17100%日本の皆さんからの寄付で、
13:20ずっとやってきました。
13:21どういった方々が、
13:23ここも含めてですけど、
13:24どういった方々がタカトーさんの活動に寄付をしてく
13:26ださっているんですか?
13:27そうですね。
13:28一番、私、寄付金を最初集めてなくて、
13:32自分のボランティアとして来てたけど、
13:35特に寄付金を集めることはしてなかったんですけど、
13:37新聞に載ったんですよね。
13:39それで新聞社のところに寄付金が、
13:41読者の方が送られたみたいで、
13:43そのタカトーさんの記事を読みました、みたいな。
13:46で、感想と一緒にお金が送られてきて、
13:48どうしますかって言われて、
13:50それが2回ぐらい続いたので、
13:52じゃあ、イラク支援ボランティアタカトー・ナホコっていう
13:54郵便局の口座を家の人に作ってもらって、
13:56そこからです。
13:57本当に皆様がそこにお金を入れてくださって、
14:02それだからこそ、すぐに緊急対応できるっていうのがありました。
14:05いつもそこに入れて、
14:07タカトーが緊急支援で走るときに、
14:09これ使ってくれみたいなメッセージとともに、
14:11皆さんお金を集めてくださって、
14:14なので、本当に緊急支援がもうしょっちゅうしょっちゅう必要にな
14:17ったから、
14:17その寄付金をいただいたのをすぐ持って、
14:20走って現場行ってみたいな、
14:22本当に協力してくれる人がいっぱいいました。
14:25ここの診療所もイラク戦争後に、
14:28米軍占領時代とかに戦闘とかで気づいた方とか、
14:31空爆で気づいた方が来て、
14:32治療を受けるクリニックっていうことだったんですかね。
14:34もっと地元のPHC、
14:38クライマリーヘルスケア。
14:40なるほど。
14:41必ずしも戦闘で気づいた方だけじゃなくても、
14:43この地域の人たちが利用できる。
14:45疾患も含める、いろんな、そういう、そういった人たちの方が
14:48多いと思います。
15:02高藤さん、今日はファルージャをご案内してくださりありがとうございました。
15:05ありがとうございます。
15:052003年のイラク戦争の頃から、
15:07ファルージャに関わっていた高藤さん、
15:09だからこそ、当時何があったのかっていうお話も聞かせていただき
15:12ましたし、
15:13そして20年間でどういった変化があったのかっていうところも聞か
15:16せていただいたので、
15:16非常に勉強のある時間になりました。
15:19ありがとうございます。
15:20本当に来ていただいたことがまず嬉しいです。
15:23こういうふうに、
15:24いろいろ確かにバグダットとかに比べると、
15:27ちょっと動きにくい部分もありましたけど、
15:30でも今こういうふうに普通にカメラを持って、
15:32アンバールで、
15:33みんなと仲良く住民と人々と写真を撮りながら、
15:37そういうのができるっていうことがまずすごく感慨深いし、
15:40それから今回原さんとここに来れて、
15:43自分の中でもすごく、
15:45なんていうのかな、この22年を振り返る、
15:48で、なんか一つのなんかこう、
15:50すごい整理もついて、
15:52なんていうのかな、
15:53すごいいい機会になりました。
15:56振り返るいい機会になりました。
15:59やっぱりすごく複雑なので、
16:01すごくめちゃめちゃ入り組んだ関係性とか、
16:04そういったものを全部説明しないと、
16:07わからないだろうな、難しいだろうな、
16:10理解してもらえるかなとか、
16:11そういうふうに思ったりもするんだけど、
16:12でも、そこが私は、
16:16なんていうのかな、目的というよりは、
16:19点と点の間を少しでも知ってもらいたい、
16:22点と点の間には数えきれない話があって、
16:25数えきれないバックグラウンドがあって、
16:28っていうことをお伝えできればなっていうふうに思います。
16:31その機会になったのですごく嬉しいです。
16:34僕も今回現地で取材していて、
16:36点と点でしか見えてなかったものが線で繋がってくると、
16:40同時に、確かにそこで生きていた現地の人たちが
16:42いたんだ、
16:43っていうことを知れたので、
16:45今まではイラクって聞くと、
16:47ニュースの向こう側の世界とか、
16:48というふうに思っていましたけど、
16:50確かにそこで笑って、
16:52泣いて、喜んで、悲しんで、
16:54っていう人たちがいたっていうことを聞いて、
16:56本当に僕らと同じような人たちが、
16:59壮絶な時代を生き抜いたんだっていうことを実感して、
17:02すごくイラクの人たちを身近に感じる取材にもな
17:04りましたね。
17:05ありがとうございます。
17:06本当に今回通訳を務めてくれたアセクも、
17:10本当に辛い時期を過ごしてきたし、
17:14今日も集団没地に行ったり、
17:16それから赤ちゃんの調査を一緒にしていて、
17:19ドクターサミラなんかと話していると、
17:23なんだろうね、私でさえこんなふうに、
17:25わーってこう、
17:26エモーショナルになっちゃうから、
17:30そうだね、
17:31なんかやっぱり当事者の皆さんは、
17:33本当にすごく深い傷を負っていて、
17:38でもそれでも生きていくっていうね、
17:40そのなんかこう、
17:42力強さというかね、
17:44そういったところを本当に毎度毎度、
17:46特にこのアンバールの人たちは、
17:48本当に忍耐強いと思うので、
17:52いつも勇気もらいます。
17:55頑張ろうと思いました。
17:57頑張ろうって何を頑張るか?
17:59戦争を止めたい。
18:01戦争を起こさないようにしたい。
18:05それを頑張ろうと思いました。
18:08私も本当に、
18:09さっき集団墓地に行った時に、
18:11すごくこう、
18:13最後の瞬間とか、
18:15ちょっと想像すると、
18:16すごく自分も恐怖感とらわれるような、
18:18本当にこう、
18:19いろいろ想像してしまったんですけど、
18:20同時にやっぱり前を向こうってことを思うと、
18:23やっぱり改めて、
18:24これからの人生、
18:25私はまだまだこの仕事を通じて、
18:27世の中を良くしていきたい、
18:28戦争をなくすために、
18:29自分できることを考えていきたいな、
18:31というふうに思ったので、
18:32私自身も何か決意が新たになる、
18:34取材になったなというふうに思っています。
18:35そういう意味でも、
18:36本当にありがとうございました。
18:37本当にありがとうございました。
18:38と言いつつも、
18:39まだまだイラク取材続きますので、
18:42また明日からもよろしくお願いします。
18:44ありがとうございました。
18:51イラク戦争の激戦地の一つとされた、
18:54ファルージャを詳しく見てきましたが、
18:55いかがだったでしょうか。
18:57日本で生活しているとね、
18:58想像を絶するような話が、
19:00たくさんあったかなと思いますけれども、
19:02紛れもなく、
19:03実際にこの場で、
19:04過去に起きた出来事です。
19:06私自身も、
19:07すごく理解に苦しむようなことがあったり、
19:09思わず感情的になりそうな話が、
19:11たくさんありましたけれども、
19:12一方で、
19:13イラク戦争から20年以上が、
19:14そしてその後の内戦であるとか、
19:16イスラム国の支配を乗り越えて、
19:18確実にこのファルージャも復興をして、
19:21そして平和が戻ってきている、
19:22そんなことも感じました。
19:24どんな悲劇に見舞われた場所であっても、
19:26そこから力強く立ち上がる人々がいること、
19:29そういったことをですね、
19:30実際にこのイラクに来て、
19:31取材をしたことで感じました。
19:33ぜひ皆さんの動画の感想も、
19:35コメント欄で聞かせてください。
19:36ハラカンタの海外取材は、
19:38ハラカンタを応援するサポーターズクラブの、
19:40皆様のご支援によって、
19:41成り立っています。
19:44イラクに対して抱いていたイメージとか、
19:46イラク戦争に対して持っていた知識、
19:48大きく覆っているんじゃないかなという風に思います。
19:51今後もですね、
19:52オートのメディアでは、
19:52扱うことが難しい世界の実情を、
19:55このハラカンタのチャンネルを通じて、
19:56発信していきたいと思います。
19:57皆様の応援があるからこそ、
19:59こうやってイラクに来て、
20:00取材をすることができています。
20:02ハラカンタのYouTube活動、
20:03応援してくださる方がいらっしゃいましたら、
20:05ぜひ概要欄のリンクから、
20:06サポーターズクラブのホームページご覧ください。
20:08今回の動画、
20:09何か一つでも新しい学びがありましたら、
20:11ぜひ最後にポチッと一押し、
20:12高評価ボタンもよろしくお願いいたします。
20:14ということで、
20:15今回も最後までご視聴くださり、
20:16ありがとうございました。
20:18また次回の動画でお会いしましょう。
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