- 2 days ago
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00:00馬鹿
00:05一機見
00:07二位置の会で2019年のアーカイブの中で僕の映像どれから残ってるのかなって言うことで1035件あったらしいですけど
00:20さすがゆうさん検索したら1329
00:25It's been a bit long since I've been here.
00:32It's the first time I've been playing with you.
00:36I'm going to play with you.
00:46Today's guest is musician Yuu.
00:51本当か言ってますよこんにちは
00:58今日は踊りヘッドファンの格好でいらっしゃるというふうにお聞きしてたんですけど
01:03事務所が嘘をついたりしてちょっとくらないから暗いしなさいしょからちょっと崩れていますけどどうぞよろしくお願いします
01:13今回のギュギュッとするお題は誰もが贈りもらったことのあるお土産NHKアーカイブスの中からお土産の映った映像をひたすら探ってみました。
01:43お土産を買う人そしてもらう人ありがとうとその数2万5000件以上そんなお土産の歴史をギュギュッとしてみると。
02:13キーワードとなる3つの乗り物が飛び出してきました果たしてお土産とどんな関係があるのか早速ひも解いていきましょういやこれね俺お土産人に買っていくの好きだからお土産これ今回はちょっと参考にしたいんですけど
03:13まずは66年前1959年夏の林間学校でお土産を買う子どもたちの姿が残っていました。
03:22大きなふりの木の下で
03:31大きなふりの木の下で
03:36和歌山県荒野祭。林間学校の子どもたちが大勢来ています。
03:45林間学校は日程がぎっしり詰まっていて忙しいものです。子どもたちも歩いてばかりいます。しかし子どもたちはそれでも楽しいのです。
03:59ある子どもはこんなことを言っています。
04:02あのねあの僕たちもねここ小屋さん家で涼しい思いして喜んでるけどねあのお母ちゃんも喜んでると思うね。
04:09なんてか言うと僕はいつおしゃべりでね家の人にあの嫌われてるね。
04:14しゃべってるのが一人いなくなったらねお母ちゃんはちょっと楽でちょい。
04:18なんか優しくて切ないなぁ。
04:21特売場さながらの買い物風景。
04:24デパート。
04:25親の風景を並べていた子どもたちがおしゃもじや肩たたきを買っています。
04:30しゃもじ。
04:31確かに。
04:32なんだったんだろうしゃもじ買うって。
04:36真剣にお土産を選ぶ子どもたちの姿。
04:41もらう人の喜ぶ顔を想像してお土産を贈る。
04:45日本ではどこででも見かける光景です。
04:53そもそもお土産が日本で広まったのは江戸時代に大ブームとなったお伊勢参り。
05:03当時旅はお金がかかってしまうため近所の人から資金を集め代表者が伊勢神宮を参拝その証しとしてお札を買って帰ることが日本のお土産文化の始まりだったといわれています。
05:22だからそのお小遣いを頂いたくので料費を頂いたくらいお返しをするっていうのがお土産の始まりなんでしょうね。
05:31その文化は受け継がれ、1967年の映像にもお伊勢参りでお土産を買って帰る人々の姿が残っていました。
05:46ありがたい天照高台神宮様の掛け軸は、時世が移り変わってもまだまだ根強い人気を持っています。
06:05伊勢参りのお土産に10本20本とまとめて買う農家の人も大勢います。
06:13ご利益を近所の人に分けてあげたい。
06:21その気持ちは江戸時代から変わっていません。
06:29お札とかでもお守りとかいまだに行くと買っちゃいますね。お友達とか家族の分とか。
06:38お守りってもらうはいいけど処分するのに一番困るものじゃない。
06:42私はちゃんとお届け上げしてもらいます。
06:46今度はちょっとそれ行くとき言って、俺もまとまと。
06:51どうぞ。
06:52時代は江戸から明治へ。
07:01お土産をより一層広めた立役者が。
07:071889年、新橋神戸間に東海道線が開通。
07:16今までいけなかった土地の名産品をお土産にできるようになりました知らない土地の知らない名産品より良いお土産を買うために人々が手に取った雑誌が。
07:43風俗画法。
07:47政治から流行まで幅広く取り扱った当時の雑誌です。
07:54そこには東海道線の各駅の名物が書かれていました。
08:03例えば静岡わさび漬け。
08:08名物として評判が良く、値段の安い割に低菜が良く、土産物には特に良い。
08:16岐阜、アユの塩辛は高額だがお酒好きな人への贈り物には適している。
08:30昔のコメントにはこんな下りも。
08:35名古屋にはこれぞという名物と呼べるものはない。
08:42名古屋といえばやっぱりウイローじゃないですかね。
08:45ウイローだよね、名古屋は。
08:47お土産選びを失敗したくない。
08:50厳しい批評も当時の人々にとっては大事な情報源だったのです。
09:02その後も鉄道の発展とともに徐々に日本各地の名産品がお土産として手に入るようになり、
09:10昭和に入ると、岡山のきびだんご、京都の八津橋など、
09:18今でも人気の高い名家も売り上げを伸ばしていきました。
09:27僕ね、10代の時に夏休みのアルバイトで、
09:31新幹線の中でお土産物を売るアルバイトしてたんですよ。
09:35へぇ、そんなのあったっけな。
09:37だからいわゆる駅の食堂車とかが入ってる同じ会社がやるんだけど、
09:41カートを押す人っていうのはもうね、社員の人じゃないと無理なの。
09:46あれはテクニックがいるんで、足にゴーンとか当てると。
09:49あ、ダメです。
09:50だから俺みたいにアルバイトは通過するたんびに持たされて、
09:54静岡名物、わさび好きでございます。
09:57もうそこ過ぎたら次、ウイローを持たされた。
10:00へぇ、お土産屋さん。
10:03各地各地のお土産を売ってたんですよ。
10:07へぇ。
10:08途中で、アイスクリームとかも売りに行かされるわけ。
10:12もうお土産がずっと、もう止まらない間。
10:15その時に、俺、谷村真嗣さんにアイス売ったんですよ。
10:19最高の思い出じゃないですか。
10:21この場合とやっててよかったって思った。
10:24思ってたよね。
10:26そして、戦後の焼け野原から日本人が徐々に元気を取り戻していった1950年代。
10:36働く人々のモチベーションを高め、流行したのが、
10:45団体旅行でした。
10:51その大人数での移動を可能にしたのは、
11:02貸切観光バス。
11:06復興が進み、道路事情も改善。
11:11旅の手段として台頭してきたのが、
11:14貸切観光バス。
11:17この頃、バスの車両台数は一気に増加。
11:22バス黄金時代を迎えました。
11:29土産物屋の前にバスの到着。
11:32土産物屋との事前交渉に基づいて、
11:35バスは決まった店の前にピタリと止まります。
11:391台のバスからは、少なくとも5、60人のお客が降りてきます。
11:50店に入れば、ちょっと品物を手にしてみようと思うのが人情。
11:55そこに生まれる購買心を狙って、
11:58土産物屋は一生懸命です。
12:09戦後、旅行の復活とともに、お土産文化も復活。
12:15団体客を受け入れるため、
12:18土産物店も大型化していきました。
12:22そして、1959年。
12:27あるニュースが飛び込んできました。
12:30それは…
12:32文部省の教育課程の改定によって、
12:35修学旅行は学校行事の一つとして明確に位置付けされ、
12:40それ以来、今では全国の全ての学校が
12:43修学旅行を行うようになったのです。
12:47東京大会
12:59東京大会
13:05東京大会
13:09東京大会
13:14当時の映像には修学旅行でお土産に夢中になる生徒たちの姿が残っていました。
13:24それは京都でのこと。
13:29舞妓の鑑賞もまた社会見学の一つである。 舞妓の歴史的背景に始まって衣装や踊りの解説までがつく。 やはり額を収める旅行なわけである。
13:52お土産タイムで生徒たちが手に取ったのは舞妓さんの絵はがき舞妓さんの姿を家族にも見せたかったのかもしれませんね。
14:16お店には修学旅行の生徒が押し寄せお土産は売れに売れたといいます。
14:33そんな中最も人気となったお土産の一つがペナント!ペナントってあったよね!やばっ!
14:52旅先での感動を気軽に持ち帰ることができるということで修学旅行生たちに大人気!
15:04もともとは山岳部の学生が登頂の記念に山頂にペナントを立てたのが発祥の一つともいわれています。
15:16当時はこんなふうに部屋一面に貼る光景がよく見られました。
15:25まだまだ観光地への旅行がビッグイベントだった時代。
15:30お土産は旅の思い出の一部だったのです。
15:37昔はペナントがメインでしたけどねお土産の誰の家に行ってもペナント張ってあったよねそうだよアラスカとかそう何かねシカゴみたいなそういうそうそうもう何か例えばそこが日田高山であろうとシカゴとか普通に売ってたもんねそう関係なくそう本当に三角であればいいみたいなね何か。
16:06何か優は修学旅行どこ行くんですか東京の子は東京の子は小学校は日光が小学校は中学で京都と書いたし俺も中学の時京都だったから何か夜新京国とかに行ってお土産物を買いましたねほんとうんその時に一応何か野球部の中で告白しなきゃいけないって先輩に無理やり告白させたんですけどね
16:35それで一応彼女とされてる手もつないだこともない目を合わすのが恥ずかしいからなるべく避けてたっていう人はいるんだけどその人とお土産物屋さんの中で針金を曲げてアルファベットで人の名前作るそれをお互い作ってめちゃくちゃ照れくさかったっていうかわいい何かありましたね針金を曲げてアルファベットで人の名前作る
17:05そして時代は高度成長期の真っ只中サラリーマンの平均月収が4倍となり1億総中流時代に突入すると多くの人々にプレジャーを楽しむ余裕が生まれてきました
17:28そんな時代に旅に変革をもたらしたのが
17:36大型旅客機
17:40大型旅客機が運航されると北から南まで日本全国に足を運べる時代が到来
17:511972年には沖縄が日本に返還されパスポートは必要なくなりました
18:00その頃人気を博した旅の目的地の一つが
18:19しれとこ
18:20今年はしれとこを歌ったレコードが150万枚も売れたといいます
18:29みなさま聞き合わせるところにようこそいらっしゃいました
18:33しれとこを訪れる観光客の特徴は若い女性の2,3人連れ
18:41当時の観光客が選んだお土産は
18:58現地でしか買えない希少性の高いもの
19:07中でも北海道で人気のお土産が
19:10木彫りのクマ
19:16あなんか酒加えてるやつうちのパパも持ってた
19:211970年代には年間およそ250万体も生産され
19:28お茶の間のブラウン管テレビの上などに鎮座していました
19:32そんな木彫りのクマは
19:38キボリグマの発祥についてはいろいろな説がありますが
19:43その一つが北海道ヤクモ町です
19:46その郷土資料館の片隅に
19:51スイス製の小さなキボリグマが残っています
19:54ヤクモのクマ掘りの手本となったキボリグマです
19:58大正時代、北海道ヤクモ町で農業指導をしていた
20:06尾張徳川家19代目当主、吉地下が
20:10スイス旅行のお土産として持ち帰ったもの
20:13農家の冬場の収入源にと
20:17政策を進めたと言われています
20:19この時期、旭川地域でも
20:25巧みな木工技術を持つアイヌの人たちにより
20:29キボリグマが作られました
20:31そして道内各地に広がりを見せ
20:36やがて鮭やマスをくわえた姿で
20:42北海道土産の定番に
20:44クマはかつてはこの姿で親しまれました
20:49本当にどこの家にもあったわよ
20:58みんなもう重いとかでかいとか
21:03気にしてない時代だよね、お土産が
21:05本当にね
21:06俺もなんか一時期集め始めて
21:09途中でも辞めました
21:105校ぐらいになって邪魔になって
21:11だってでかいもんね
21:13でかいもん
21:13俺子供の頃に百貨店で
21:17北海道店とかがあって
21:21そこに本当小学生の時連れて行ってもらった時に
21:24その時にアイヌの方がいらっしゃってて
21:27クマのね木彫りのペンダントに
21:30裏で手彫りで名前を彫ってくれるっていうので
21:35マサヤって言って
21:36イナンクルみたいな
21:38アイヌ語みたいな
21:39入れてもらって
21:41俺それ今でも持ってるんですよ
21:43何かオシャレじゃないですか
21:45それ
21:45いやもうこれくらいでっかいクマで
21:47もう何ならちょっと
21:48もうラッパーみたいな
21:49クマ
21:51かっこいいじゃないですか
21:53そう時計とクマにしようかな
21:55いいかもです
21:57だから意外とこういうものって
21:59もらったものをずっと覚えてたりするからね
22:02子供は特に
22:03そうですよね
22:04お土産は旅先など地方からだけではありません
22:14東京に出稼ぎに来た民謡歌手のドキュメント番組の中に
22:34東京土産に喜ぶ子供たちの姿が残っていました
22:39夜の東京池袋
22:47民謡酒場で津軽ジョンカラブシを歌う大沢知世さん
23:03弘前出身の出稼ぎ民謡歌手です
23:08大沢さんの住まいは池袋駅に近い木造アパートの三畳間です
23:19洗い場は共同で風呂もない部屋ですが
23:25月に1万円という安い家賃が魅力です
23:30最近では宴会の席にも呼ばれるようになる
23:38馴染みも増えて
23:39家への仕送りもこのところ10万円も超え
23:431ヶ月の収入は20万円も超えるようになりました
23:485月の初め
23:58リンゴの花がいつもより早いとの知らせを受け
24:03大沢さんは弘前に向かいました
24:05上野を出て弘前まで
24:11およそ12時間の長旅です
24:15楽しみにしていた孫たちと1年ぶりの再会です
24:30ので 泡を扎させんです
24:49アカリルゴナー
24:52アカリルゴナー
24:53アカリルゴナー
24:54アカリルゴナー
24:55I'm going to go to Tokyo, and I'm going to go to Tokyo.
25:25It's time to get back to the house, but it's time to get back to the house.
25:55But now I have a little bit of money that I bought it, but I still have a lot of money that I bought it.
26:12大切な人のためにお土産を選ぶその姿は思いやりであふれていましたあれですよね今なんかお中元お世話とかも年賀状もなくなってうんそうそうそうそうだからやっぱりなんかお世話になってる方にお土産買うとかねやっぱり
26:38なんか結構海外の人ってじゃあ日本に来ました日本に来たらリリーさんに会いたいですみたいな時に気を張らないただの普通の袋入りのビスケット一つとかそういうのくれるじゃん俺ああいうの普通に嬉しいんだけど
26:51それがいいと思います
26:54あのだから個包装でねそれでくれたりした方がいやでも俺も結構なんか海外行くことも多くてやっぱ自分のものを買うよりも人のお土産選んでる方が楽しいじゃないでもやっぱそのお土産を買う相手がいない時もあるわけうんうんなんかもうその空き時間が楽しくないのよそうだよね-
27:24選んでその人のことを思いながらお土産を探してるっていうのはやっぱり幸せなことなんですよね。
27:31《そうですよね》
28:01《そうですよね》
28:31《俺もなんか昔ユーに変な下着あげたことあるな》
28:48私あのこのお土産の最初に思い出してたんですよ実は俺の下着をとんでもねえものをね
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