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00:00:00J.O.B.K
00:00:09J.O.B.K
00:00:13大阪放送局
00:00:15100年前、日本で2番目の放送局として誕生した大阪放送局
00:00:23地域に根差した放送局として、人権問題、とりわけ非差別部落の問題を継続的に放送してきました。
00:00:38江戸時代、身分制度の外側に置かれた人たちが暮らした地域。
00:00:46そこに住んでいたり、出身というだけで受ける理不尽な差別。
00:00:53地場産業である仕事までもが差別される現実を伝えてきました。
00:01:14100年前、部落の人々が差別に立ち向かう原点となった全国水平社。
00:01:21関係者の貴重な証言も記録しました。
00:01:28我々の手によって勧告をすると、我々は人間の顔をはみ取られるような待遇を受けたという。
00:01:34差別との戦い、歴史や産業、文化、部落には様々な表情があります。
00:01:45大阪放送局が制作してきた番組を振り返りながら、
00:01:53ブラック問題の過去と現在、そして未来へ向けたメッセージを伝えます。
00:02:001958年、大阪放送局制作のドキュメンタリー番組。
00:02:25高度経済成長から取り残された、京都市内の非差別部落を記録していました。
00:02:33古い木造住宅が密集、共同のトイレ、そして井戸。
00:02:47線路で拾った石炭の燃えカスを燃料にする家も少なくなかったといいます。
00:02:54こちらは奈良県。靴作りが盛んな部落。
00:03:02手作業で革靴を作る職人の技を記録しています。
00:03:09高中は1日15時間働いて300円。
00:03:16部落出身者への差別のため、仕事を選ぶことはできませんでした。
00:03:21公務員試験が2回と、それから一般会社が2回受けましたが、筆記試験には5番以内には入ったと思います。
00:03:29何といっても見事調査をされまして、その次に高等質問されますから、全部落とされてしまって、今はまたうちの中でみんなと同じような仕事をしているという状態です。
00:03:42結婚をめぐる差別も伝えています。
00:03:45できたらね、街の人としたいと気持ちはあるんですけどね、私らはもう全然おもてしません。
00:03:54もう、あほらしくてね、そんなことをそんな人のところ嫁にしてね、一生間日陰に暮らすなんて私は嫌いです。
00:04:0270年前、大阪市内の非差別部落に突入できた木本久恵さん。
00:04:15当時の暮らしを語ってくれました。
00:04:17雨が降ったら、家の中で傘を刺さるの。雨漏りする。
00:04:26風が吹いたら、戸賀音をこけて風が入ってきたとかね。
00:04:34雨漏りぐらいですないよ。月が見えるぐらい。
00:04:39雨が3日も降ったら、八百山、しょうがいけない。
00:04:44下駄直しも靴直しもダメ。
00:04:47そうなったら、おい、誰か米持ってらんか、みたいな。
00:04:53誰かが助け合いするって。
00:04:56ほんまにそうですよ、助け合いする。
00:05:01もう、これがなかったらまだ死んでる。
00:05:081965年、政府の諮問機関はある答申を出しています。
00:05:14ブラック問題の解決は、国の責務であり、国民的課題である。
00:05:28憲法は、すべての国民が平等で、家柄によって差別されないこと。
00:05:35健康で文化的な、最低限度の生活を送る権利などを定めています。
00:05:50もはや、基本的人権が損なわれた状態を放置することは許されませんでした。
00:05:57しかし、問題を指摘すべき放送のあり方も問われていました。
00:06:061967年、NHK製作のドラマで、
00:06:11差別を助長する表現が、当事者団体から抗議を受けます。
00:06:16これをきっかけに、大阪放送局の職員有志によるブラック問題研究会が誕生。
00:06:27ブラック出身者や学者を招き、
00:06:30非差別ブラックの暮らしや差別の現実について、
00:06:34勉強会を繰り返しました。
00:06:36参加した大阪出身のディレクターは、
00:06:45子供時代にブラックと出会った経験を語っています。
00:06:49私は小学生の頃、この地区の学校に学びました。
00:06:57継ぎはぎの洋服を着て、目の病気にかかっていたりした友達が、
00:07:03どこの組にも何人かいて、
00:07:06遊戯の時間に手をつながなければならないとき、
00:07:11私たちは、汚いとか差別的な言葉を意識的に使った。
00:07:22ブラック問題を自らの問題として向き合う
00:07:26研究会メンバーによる番組制作が始まりました。
00:07:36皆さんは、ブラック解放の問題に関心をお持ちになったことがあるでしょうか。
00:07:46明治になって市民平等が謳われ、
00:07:49あるいは戦後、新憲法によって基本的人権が保障されていると言われております。
00:07:54しかし、それにもかかわらず、
00:07:56現在なおブラック差別に苦しみ続けている人がいるという現実を、
00:08:00皆さんはどう理解されるでしょうか。
00:08:021968年12月、
00:08:08大阪放送局では、
00:08:10ブラック問題を特集した番組を制作、
00:08:143夜にわたって放送しました。
00:08:16就職をめぐる厳しい差別の現実、
00:08:24その結果としての苦しい生活、
00:08:29貧困が生み出す劣悪な生活環境、
00:08:33そして子どもの不就学、
00:08:36差別の中で負の連鎖が続いていました。
00:08:39国の責務、国民の課題であるブラック問題は、
00:08:47私たち一人一人が考えるべき課題であることを訴えました。
00:08:55番組の冒頭、
00:08:57一人の青年がインタビューに答えています。
00:09:00社長の弟やね、
00:09:03弟がもうその、
00:09:06お前はあそこのもんだと、
00:09:08言葉が悪いと、
00:09:09お前だけバカが多いんだと、
00:09:11計算も何もできんから、
00:09:14お前はいつまた経っても、
00:09:16職工やいうようなね、
00:09:18いろんな差別をされてね、
00:09:19泣き泣き帰ってきたんですよね。
00:09:21帰ってきても、
00:09:22家帰れば貧しいし、
00:09:25すぐ働かなあかんし、
00:09:27そのようなことがあっても、
00:09:29どこ行ってもダメだという、
00:09:31もうことでね、
00:09:33もうグレてね。
00:09:37差別のために、
00:09:39自暴自棄になったと語った、
00:09:41佐久田明さん。
00:09:4383歳です。
00:09:4760年代までの暮らしはね、
00:09:49昔いう、
00:09:51ボロ会、
00:09:52あの女性はね、
00:09:54それで、
00:09:55男性は土木、
00:09:56それで、
00:09:59依頼仕事、
00:10:00いうのが、
00:10:01同棲場やなんかあるでしょうよ。
00:10:03その関係、
00:10:04塩が移密したときに、
00:10:05鉄を拾ってから、
00:10:07あれでしょう。
00:10:07だから、
00:10:08範囲回収を、
00:10:09全部やっておる、
00:10:11関係が多いかったね。
00:10:15佐久田さんが育った、
00:10:17非差別部落。
00:10:19毎日、
00:10:19共同の井戸で水を汲むのが、
00:10:22子どもたちの仕事。
00:10:23水道は、
00:10:25部落の手前で止まっていました。
00:10:29部落入るには、
00:10:31全然なかった。
00:10:31井戸を使うという。
00:10:32ここで、
00:10:33しかない。
00:10:34それで、
00:10:35子ども会が、
00:10:37水組み屋台を呼んで、
00:10:39子どもらが、
00:10:39戦いをやってからじゃないかな。
00:10:43立ち上がったのは、
00:10:45部落の人たち自身でした。
00:10:48行政に訴えかけ、
00:10:501968年に、
00:10:52初めて、
00:10:53水道が引かれます。
00:10:54就職差別に抗議する活動も、
00:11:00取り組まれます。
00:11:02佐久田さんの姿も、
00:11:04そこにありました。
00:11:09これはいわゆる、
00:11:11部落地名相関。
00:11:13非差別部落を一覧にし、
00:11:15就職などの差別に使われた書籍です。
00:11:19購入した企業の多くは、
00:11:27追求を受ける中、
00:11:29部落問題に取り組む姿勢に、
00:11:32転じていきました。
00:11:34明るくなったね。
00:11:35人間的性に。
00:11:37どこそこは誰かに仕事を行った、
00:11:39みんな羨まれたような状況が、
00:11:42だんだんだんそれが、
00:11:43あちこち仕事をできるようになってから、
00:11:47だいぶその生活が、
00:11:48だんだん変わってきたというかね。
00:11:51夜通りまでないけど、
00:11:52生活変わってきたというか。
00:11:581969年、
00:12:01童話対策事業特別措置法が制定。
00:12:05生活環境の改善などに、
00:12:08国の予算がつくようになりました。
00:12:18法律制定から10年、
00:12:271979年の番組です。
00:12:32童話対策事業が進んだ部落の姿を、
00:12:36さまざまな課題に向き合う、
00:12:38住民の声とともに伝えています。
00:12:40乳児を預かる保育所では、
00:12:46これまで、
00:12:47業者や靴直しを手伝ってきた女性たちが、
00:12:52資格を取り、
00:12:53調理師として働いています。
00:12:55住民がお金を出し合って、
00:13:21生活挙動組合も作られていました。
00:13:25やっぱり生活の苦しい中で、
00:13:28安いものを食うて食べたいというのは、
00:13:31みんなで寄って相談して、
00:13:33こういう生協の店を作り上げた。
00:13:36これを持って電車に乗るのは、
00:13:38かっこ悪いという形で、
00:13:40出てきた人もあったので、
00:13:42負けたという意味じゃないんだけど、
00:13:45みんながずっと買えるような、
00:13:47気持ちを生かすじゃないかということで、
00:13:49今度はこれに変えたわけです。
00:13:53ありがとう。
00:13:55地域の施設では、
00:14:02式児学級が開かれています。
00:14:05差別や貧困のために、
00:14:07学校に通えなかった人たちの、
00:14:10学習の場です。
00:14:11当時、
00:14:16この地域で、
00:14:17読み書きに浮従している人の割合は、
00:14:204割近くに上っていました。
00:14:2240代で初めて文字を学んだという女性が、
00:14:30インタビューに答えています。
00:14:32年購状を書いていたんだけど、
00:14:36初めて鉛筆とか、
00:14:39ボールペンで持ったんだけど、
00:14:42ボールペンが太いのか何か知らんけど、
00:14:44手がものすごく痛くなりまして、
00:14:47どのようにもすることができないんだけど、
00:14:50やっぱり、
00:14:51先生に、
00:14:52出して本当に来るのかなと思って、
00:14:55不安に何もって、
00:14:56それを書いてましたんだけどね。
00:14:59うちのお母さんが、
00:15:01おめえ、年賀状来たぞって言われまして、
00:15:04え、本当?言って、
00:15:06初めていただきまして、
00:15:10声だけ。
00:15:11もう嬉しくて嬉しくて、
00:15:13ほんまにたまりません。
00:15:17童話対策事業によって、
00:15:20大きく変わった部落の姿。
00:15:23ここで生まれ育った女性が、
00:15:26思いを語っています。
00:15:28小さい時には、
00:15:30あの真っ黒な、
00:15:31真っ黒気な障子、
00:15:34真っ黒気の電気、
00:15:36薄暗い部落の中、
00:15:39手探りせんと通れんような道地裏、
00:15:42むしろあげて入る便所。
00:15:45今こういう、
00:15:46この建物ずっと見てると、
00:15:49これなんかこうね、
00:15:52世の中が変わって明るいな。
00:15:57日本の社会が、やっぱりようになるということの大事です。
00:16:021986年の番組では、
00:16:21部落の生活を支えてきた文化についても取り上げています。
00:16:26広島県小野道市。
00:16:31正月に部落を出て、
00:16:34各地の家々を回り、
00:16:36衆議をもらう、
00:16:38門付けの芸能、
00:16:39春駒です。
00:16:40一度は姿を消しましたが、
00:16:52この頃、
00:16:53子どもたちが地域の文化として、
00:16:56学ぶようになっていました。
00:16:57佐久田明さんの祖母や母親も、
00:17:04正月になると春駒を踊り、
00:17:07門付けを行っていました。
00:17:09これがうちの大黒が持っていた春駒です。
00:17:17ああ、そうなんですか。
00:17:18はい。
00:17:20数付け、北久保のものはみんな出てきていた。
00:17:24それで北久保各家へ寄って、
00:17:26みんな遊郭行ったり、農村へ行ったり、
00:17:31町の中へ春駒を踊って行って、
00:17:35衆議をもらった。
00:17:35失われたきっかけは、
00:17:40地元の新聞に、
00:17:42程度の低い芸能だと揶揄されたことでした。
00:17:50本当は大切にしていたものだ。
00:17:52そうそう。
00:17:53これ早く、守り紙が、
00:17:56紙って言って、
00:17:56ずっと置いとったらいいや。
00:17:59これだけ、
00:18:00あの家、代々、
00:18:02それは、
00:18:02もっと艶があったよって言ったよね。
00:18:08復活を呼びかけたのは、
00:18:10佐久田さんでした。
00:18:11女性や子供たちが、
00:18:13生活のために踊った、
00:18:15尾道の春駒。
00:18:17しかし、聞いてみれば、
00:18:19嫌な思い出ばかりではなかったと言います。
00:18:22入学を行って、
00:18:25お姉さんがおひねにくれる。
00:18:28それが嬉しかったよって。
00:18:31親が、
00:18:33そこの店からもらうんじゃないし、
00:18:34子供らは、
00:18:35お姉さんからおひねにもらう。
00:18:38それが一番嬉しかったよってね。
00:18:40同じ、
00:18:40虐げられて、
00:18:43身を売りながら、
00:18:44生花生老を人からもらうんだね。
00:18:47優しい人くれたり、
00:18:48貸してくれたなんかしてね、
00:18:49それを用いたいです。
00:19:012020年、
00:19:04大阪放送局では、
00:19:07今も健在の門付け芸を取材しています。
00:19:15徳島県の無形民族文化財、
00:19:18サンバソーマーシ、
00:19:20人形を担ぎ、
00:19:22旅をしながら家へを回って、
00:19:25役を払い、
00:19:26服を招き入れてきました。
00:19:31江戸時代には、
00:19:33サルマーシや漫才など、
00:19:35さまざまな門付けの芸能を行う人たちがいました。
00:19:39これらには、
00:19:43お祓いなどの意味がありましたが、
00:19:46近代になると、
00:19:47迷信の類として否定され、
00:19:51次々と姿を消していきました。
00:19:571972年、
00:19:59徳島県の部落の女性が、
00:20:02相手の家族から結婚に反対され、
00:20:05命を絶つ事件が起きます。
00:20:07女性の家が人形使いだったことから、
00:20:15門付けを行ってきた人たちは、
00:20:18差別を恐れ、
00:20:19人形を捨ててしまったといいます。
00:20:26そんな中、
00:20:2790年代まで、
00:20:29門付けを続けていた人の写真が、
00:20:31残っています。
00:20:33これ、山の方。
00:20:38背中側から撮った写真が多くて、
00:20:40かなり気を使われています。
00:20:43基本、写真を撮らさなかった。
00:20:45師匠は。
00:20:46だから、ほとんど残っていない。
00:20:49やはり、家族、周りの親戚の人たち、
00:20:52絵の配慮やな。
00:20:54特に、小屋は孫が、
00:20:56辛い思いをしたらいかん、
00:20:57ということで。
00:20:5830年前、
00:21:03この人形使いのもとに、
00:21:05一人の女性が弟子入りします。
00:21:09中内雅子さん。
00:21:11当時27歳。
00:21:15中内さんは、
00:21:16部落に移り住み、
00:21:18芸を学ぶ傍ら、
00:21:20地域のお年寄りに、
00:21:21聞き取りをしました。
00:21:23お世辺さんのことを聞いたら、
00:21:29知らん、知らん、
00:21:30ほんなん知らん、
00:21:30っていうところだったので、
00:21:32それほど差別が厳しいんか、
00:21:34一つ一つ語ってくれる中で、
00:21:36このお世辺さんを流したんじゃ、
00:21:39っていうことも、
00:21:39やっぱり語ってくれるようになったんですよ。
00:21:42ほんだら、
00:21:42ほんまに腹立つな、
00:21:44悔しいな、
00:21:45差別は、
00:21:46人の健康や命、
00:21:48奪い、
00:21:51文化まで放ていくっていうか。
00:21:57弟子入りから3年。
00:21:59師匠は引退し、
00:22:01中内さんたちが後を継ぎます。
00:22:13師匠から受け継いだ門付け先は、
00:22:17400件でした。
00:22:18今年もお願いします、
00:22:21おばあちゃん。
00:22:23今では、
00:22:24元日から春先にかけて、
00:22:271000件以上を回っています。
00:22:29おばあちゃん。
00:22:30よっ。
00:22:30よっ。
00:22:30よっ。
00:22:30よっ。
00:22:30よっ。
00:22:46あんよめでたあんよ
00:22:54本当に毎年行かせてもらってたら
00:22:58それぞれのうちにドラマがあるんですよね
00:23:01赤ちゃんが生まれたで子供さんが進学するって
00:23:06嬉しいこともあればやっぱり病気をされて
00:23:09またお亡くなりになられた方もおいでるっていうか
00:23:13そんなことを一緒に共有させてもらいながらっていうか
00:23:18だから福を届けて
00:23:19私たちもおうちの人から学ばせてもらう
00:23:22幸せをいただくようなこんな感じです
00:23:25大阪放送局では
00:23:35埋もれた歴史に光を当てる番組も制作してきました
00:23:40僧侶たちが亡くなった部落の人に
00:23:50差別的な解明をつけてきた問題
00:23:531980年代に表面化します
00:23:57江戸時代半ばから
00:24:01近代化が進んだ明治以降のものまで
00:24:05差別解明は全国各地で見つかっています
00:24:09先祖の墓に刻まれた文字が
00:24:16差別解明だと知った人たちは
00:24:18大きなショックを受けていました
00:24:21誰が何て言っても
00:24:24どういう差別されようと
00:24:26やっぱり自分たちの先祖ですって
00:24:29大事にしてました
00:24:30お前たちのその方の解明は
00:24:35犬か猫の死んだ解明と同じだ
00:24:38でうちのお母が来て
00:24:41見たところがそういうやつがとてもあるわけ
00:24:45死んだ人間までね
00:24:46そうだよね
00:24:47差別されてくるようで
00:24:49墓石をそのままにするのか
00:24:53埋めてしまうのか
00:24:55議論が続けられました
00:24:58長野県上田市の寺院
00:25:07話し合いの末
00:25:09お参りできる形で
00:25:11合資することになった墓石が
00:25:13安置されています
00:25:15深井一美さん
00:25:20先祖の墓石八木を
00:25:23ここに移しました
00:25:25これっぽくな
00:25:28しもべって意味ですね
00:25:30これもそうですね
00:25:32しもべの女ということです
00:25:37でこれなんかもう
00:25:39買い物すらつけないと
00:25:42亡くなった日付だけ入れて
00:25:45七蔵さんおじゅうさんお父さんと
00:25:49三人の予想に亡くなった
00:25:51明日ですね
00:25:52これ10歳のみたいな女の子ですよ
00:25:57
00:25:57一両牧道場ね
00:26:00こういうふうに
00:26:02差別解明をつけるわけですよ
00:26:04でこれなんかもっと許せないですね
00:26:08みんな許せないんだけども
00:26:11これなんかもね
00:26:12ここに
00:26:13欄外に暗い生地があるでしょ
00:26:15はい
00:26:16でこれ本来この中に
00:26:18中になっちゃいけないですね
00:26:21暗いが下だという意味だから
00:26:23こっちにも差別解明あるんだけども
00:26:26それをかけてこの残骸に暗いをつけたという
00:26:30意図的にそういうふうにやったんですね
00:26:35それでも墓石を見える形で安置したのは
00:26:43生をつないでくれた先祖の思いを残すためだと
00:26:48深井さんは言います
00:26:50死ぬっていうことに対してはね
00:26:53本当に生きてる時に厳しい差別とか
00:26:57いろいろ受けるわけだから
00:26:58せめて仏教の教えであるね
00:27:02あの世は平等のバラエノの
00:27:05あのところなんだと
00:27:07いう思いで亡くなったと思うんですよ
00:27:10みんな
00:27:10あのねやっぱり
00:27:12祖先とかね
00:27:14あの
00:27:14産んでくれたね
00:27:17親っていうのは大事だと思うんですよ
00:27:20ただの父じゃないんですやっぱりね
00:27:22この下に眠ってるわけですから
00:27:25厳しい時代を
00:27:30部落の祖先はどのように生きてきたのか
00:27:34その問いを鋭く投げかけることになる出来事が
00:27:431978年長野県で起きます
00:27:47当時の浅品村
00:27:53現在の佐久市で
00:27:55県営住宅に貼られた一枚の紙
00:27:59部落民の住む土地は一坪もない
00:28:05早く出て行け
00:28:07区民一同
00:28:09この村において
00:28:13北別部落の人たちに
00:28:16ただ
00:28:17住む家が
00:28:19住む土地が一坪もないと
00:28:21私どもは
00:28:23本当に冷たい冷や水を
00:28:26頭からかけられた
00:28:28あるいは
00:28:29あるいは古国を
00:28:31どっ払い刺されたような
00:28:34気持ちです
00:28:35本当に私たちが
00:28:39この土地に住む
00:28:41土地が一坪も与えられないのか
00:28:44部落の人々は
00:28:48抗議の声を上げると同時に
00:28:51自分たちがこの土地に住み続けてきた
00:28:54根拠を探ります
00:28:56ところが
00:28:59地域の歴史を記した古文書は
00:29:02名主の家から
00:29:03東京の学生院大学に
00:29:06寄贈されていました
00:29:08運動は
00:29:11古文書を取り戻す取り組みへと
00:29:13進んでいきます
00:29:15当時
00:29:19学生院大学の若手研究者だった
00:29:22斉藤陽一さん
00:29:24地元住民とのやりとりを
00:29:27覚えています
00:29:28学生院大学のある先生が
00:29:33ブラウクの歴史を明らかにするために
00:29:37古文書を返してほしいと
00:29:38いうことなら
00:29:40ブラウクのことを書いてある古文書だけ
00:29:42お返しすればいいんじゃないかと
00:29:45そうしましたら
00:29:46先生たちが見ても
00:29:48わからなくても
00:29:50私たちが見ればわかるんです
00:29:52だから全部返してください
00:29:54おっしゃったんですね
00:29:56私たちが見れば
00:29:58わかるんだっていうですね
00:30:00私はその言葉にちょっとショックを
00:30:02受けたんですが
00:30:041年近い話し合いの末
00:30:09学生院大学が所有する古文書類
00:30:132万点が地元に帰宅されることになりました
00:30:17斉藤さんも長野県の
00:30:22非差別部落に移り住み
00:30:24住民とともに研究を続けてきました
00:30:28学生院大学で保管していたときは
00:30:32これが非差別部落にかかるものだ
00:30:35ということはわからなかった
00:30:36こちらに戻ってきて
00:30:38みんなで研究すると
00:30:41あれ?なんかこれおかしいぞと
00:30:43この地の部落のルーツに関する資料
00:30:471707年
00:30:5020キロ離れた部落から
00:30:53最初に移り住んだ人が
00:30:55村に提出した証文です
00:30:58治安を乱す人がやってきたときには
00:31:04村人の求めに応じて
00:31:06捕まえたり
00:31:07追い払ったりする旨を
00:31:09記しています
00:31:11つまり元はといえば
00:31:16村にとって大事な仕事
00:31:19村を守るという
00:31:22そのために
00:31:2420代の若夫婦なんですよ
00:31:2820代の若夫婦が
00:31:29親元を離れてここへ引っ越してきて
00:31:32ここから部落の歴史が始まる
00:31:34そうなったら今頃になって
00:31:37お前たちの住む年は一つもないから
00:31:40早く出ていけないと言われる
00:31:42筋合いなんか全くないということが
00:31:45これから言えると思うんですね
00:31:48古文書返還から45年
00:31:53斉藤さんは地元の住民や学校の先生たちと
00:31:58今も勉強会を続けています
00:32:02そこでは
00:32:06教育の場で部落の歴史をどう伝えればよいのかも
00:32:11話し合っています
00:32:13幕府や藩は得たや否認とされた人々に対して
00:32:18生活条件の悪いところに住ませたり
00:32:22というふうに書いてある
00:32:23そういう村もあるかもしれませんが
00:32:26私が見た資料は
00:32:29幕府や藩によって命じられたわけではなくて
00:32:32多分村と話し合いをして
00:32:34それじゃあここへ住みなさいというね
00:32:362人の子どもが結婚差別にあったという女性
00:32:55差別がなくならない理由を歴史の中に求めていました
00:33:00ブラックの人ってすっごい
00:33:05こんな年代経っても差別されるって
00:33:11よっぽどひどいことしたんだろうなって
00:33:14ずっと思ってたんですよ
00:33:17それって何なんだろうっていう動画すごく不思議で
00:33:21関西という大きなブラックとはちょっと違うんですね
00:33:29それは多分それぞれの村でこういう役目を担ってた
00:33:34旧餅月町には道長があって
00:33:38この界隈の人たちはみんなそこ行って
00:33:41武術を習って
00:33:44それで警備役に当たったっていう
00:33:48だからあっちにもこっちにも
00:33:52っていうことになるんだと思うんですよね
00:33:54村の警備は命がけの役目でした
00:34:00長野県で使われている小学生向けの教材には
00:34:09幕末の新州で実際にあった事件が紹介されています
00:34:14村を守るため大けがをしながら暴れる浪人を取り押さえた
00:34:23部落の人たち
00:34:25村人さえ無事ならばとは
00:34:29事件を報告する公文書に記された言葉です
00:34:33この村人さえ無事ならばっていうこの言葉って
00:34:43これ本心で言ってるのかなって
00:34:45私はそう思うんですよ
00:34:49だってこれなくしたら自分の職業なくなっちゃって
00:34:53生きていけないじゃないですか
00:34:55厳しい差別を受けた人たちが
00:35:24果たして村人の安全をそこまで気にかけるだろうか
00:35:30素朴な疑問です
00:35:32さっきの子供の話も考えていくと
00:35:37警察官が怪我した場合に
00:35:40助けようとした人が死んじゃったらもっと困るんだ
00:35:43とりあえず私は怪我したけども
00:35:46助けようとした人が助かっていれば
00:35:48私は怪我してもしょうがないよねって思うのと
00:35:52俺はそんなに変わらないと思う
00:35:54いじめられてきた
00:35:56差別されてきた
00:35:56詐欺しめられてきたってことを
00:35:58あんまり教育の中で強調しちゃうことによって
00:36:01子供たちがそういうふうに
00:36:05思えなくなっちゃうことがあるんじゃねえのかな
00:36:08江戸時代の新州で
00:36:13村の警備を担った人々は
00:36:16見返りとして収穫の一部を受け取る
00:36:19一輪稲という権利を持っていました
00:36:22その権利が失われたのは
00:36:30明治維新から4年後
00:36:321871年のこと
00:36:35得たや否認などの
00:36:41差別的な故障をなくし
00:36:43職業身分とも平民同様とする
00:36:47いわゆる解放令
00:36:49非差別身分からの解放を意味すると同時に
00:36:56身分に付随した職業上の権利も失われました
00:37:00新たな職の保障はなく
00:37:05多くの部落で人々は急速に困窮していきました
00:37:10長野県の非差別部落で育った深井一美さん
00:37:18子供の頃
00:37:19母親たちが一日中
00:37:22藁寺を編むのを手伝っていました
00:37:24ここがね
00:37:27藁を叩いたところです
00:37:29だいたいお釈迦町があるから
00:37:32そこから顔なりもらってきて
00:37:35沢水をそこで汲んで
00:37:38水道がないからね
00:37:39これも確か井戸ないと思います
00:37:41この地も
00:37:43この裏の地が井戸あったかな
00:37:45そこから汲んだり
00:37:46で、藁を叩いたのはね
00:37:49この辺ですね、これ
00:37:50この辺
00:37:52昔はね、水を口に払わないんで
00:37:55キャッて吹いて
00:37:56それを叩くわけですよ
00:37:58柔らかくして
00:37:59編めるように
00:38:00まず一番先は縄
00:38:01造りの縄を縄う
00:38:04それであとは
00:38:06この柱がこうついていて
00:38:08ここをこういう風に引っ張って
00:38:10これで藁通り作るわけですね
00:38:13藁寺とか藁通りを
00:38:14で、藁を叩くときに
00:38:18力仕事ですから
00:38:19ただ叩いているじゃなくて
00:38:22えー、その近所の人の
00:38:24おばあやらの名を言うわけですよ
00:38:26おいちょば、さよさ、おりおう
00:38:30ふくさ、ふくさっていうのは
00:38:32うちの袋ですから
00:38:33で、ここで
00:38:34おやじの悪口言いながら
00:38:37藁を叩いて
00:38:38造りを作ったと
00:38:39おやじの悪口言いながら
00:38:44おやじの悪口言いながら
00:38:46水汲んできて
00:38:48おやじの悪口言いながら
00:38:50おやじの悪口言いながら
00:38:51やられたもんですよ
00:38:52だから小学校から
00:38:53私やりましたんでね
00:38:54おやじの悪口言いながら
00:38:56おちょばさやさおりおばふくさ
00:38:59早くに父親は亡くした深井さん
00:39:04仕入れた馬のもつを母親と一緒に売り歩く行商も大切な仕事でした
00:39:11重たい糸缶を背負い片道10キロ以上の山道を歩いて往復
00:39:20部落の人たちのネットワークが頼りでした
00:39:23行商で行く先というのはどういうところに回っていくわけじゃないですか
00:39:28それは真山の非差別部落ですね
00:39:31売る場所は全部部落です
00:39:34もつの行商も全部私たちの言葉でお仲間というんです
00:39:42お仲間のところへ行くと
00:39:44よくそこが我々お仲間の人たちが住んでいるところだということを
00:39:51よくね分かっていったもんだなと
00:39:55今になってみて初めて感じるんですね
00:39:57しかも歩いてね
00:40:01100年前
00:40:10人間としての誇りを胸に
00:40:13差別との戦いに立ち上がった人々がいました
00:40:20大阪放送局にはその貴重な証言が数多く残っています
00:40:26当時の学校では子どもによる差別に教師までもが加担していたこと
00:40:35上級者や力の強い奴が私たち見ると
00:40:40エタゴロチ
00:40:42コージャンと声出しているんです
00:40:44エタゴロチ
00:40:45ブラックメンチの意味はエタゴロとかエッタとかいう奴
00:40:49そして花々しい奴なんて言うと
00:40:53タンツバを掛ける
00:40:58私はもうあのねえ
00:41:00やっぱり気ないタンツバを頭に掛けられたこと
00:41:03エッタにエッタち我々たち何があらがたつかち
00:41:07これは戦士はことごとくそういうことを言うと
00:41:09理不尽な仕打ちに対する悔しい思い
00:41:16自分たちはね
00:41:19こう言って部落に生まれてから
00:41:21ただ生まれたところが部落だって言うんで
00:41:28やっぱりいじめられたでしょうがね
00:41:31そんでこれが一つ離れて
00:41:37隣の村に生まれとったらね
00:41:40差別はされんね
00:41:42それが悔しいからですね
00:41:45同じ人間にどうして
00:41:47いじめられるかっていうところで
00:41:50しかし
00:41:55当時の役所は
00:41:58世間から同情されるよう
00:42:00部落の側に改善を求めるばかりだったといいます
00:42:04朝起きたら顔が荒れ
00:42:09便利を減ったらってやれ
00:42:12これをガリバンにして
00:42:14顕著があったらしいですよ
00:42:16あまりの馬鹿にしているということにしかならないのですよ
00:42:20その当時私は
00:42:21それはそういうふうに受け取らんと
00:42:24部落に対しての啓蒙のありがたい出しだと
00:42:30そう思ってください
00:42:31これに対し
00:42:34関西を中心とする部落の若者たちが立ち上がります
00:42:39差別は差別される側ではなく
00:42:44差別する側の問題ではないのか
00:42:48中心メンバーの一人が当時の思いを語っています
00:42:52政府も頼みにならんし
00:42:57融和団体はもちろんこんなもの
00:42:59力にもあれにもならん
00:43:02そして相当年配の我々の先輩は
00:43:08お上品な融和運動で
00:43:11解決するだろうという考え方で
00:43:16なんかその講演会やったり
00:43:19あれは部落内部の整備整頓というようなことに
00:43:23重点を置いているけれども
00:43:24そんなことでこの問題は解決するはずがない
00:43:27同情を求めて卑屈になるのではなく
00:43:33自分たち自身が誇りを持って立ち上がろう
00:43:37米田さんたちは
00:43:40部落の住民による団体の結成を
00:43:44全国に呼びかけます
00:43:46その名は水平社
00:43:48創設メンバーの坂本誠一郎さんが
00:43:57名前に込めた理念を語っています
00:44:00水平社ということはあらゆる尺度です
00:44:09尺度というものは人間が作ったものである
00:44:13その人間の作ったものによって
00:44:16いろいろ差が出てくる
00:44:19絶対差のでけない水平というものは
00:44:24平等というものは水平以外にないであろうという理屈から出ているんです
00:44:34だから我々は今民族あるいは種族
00:44:41それから人間の異なった国の国境というものがあると
00:44:48これがやがて解消される日は遠い将来ではあるが
00:44:53亡くなってしまうであろうと
00:44:551922年3月3日
00:45:01京都市岡崎公会堂
00:45:05全国水平社創立大会が開かれ
00:45:10全国の非差別部落から多くの人が集まりました
00:45:15当時の複雑な気持ちを語っている人がいます
00:45:23全国水平創立のポスターが目に入って
00:45:30嬉しいような何か恐ろしいようなね
00:45:35というのはもうその我々はそれまでやっぱり
00:45:40元を隠そう隠そうという気持ちでしょ
00:45:43そこで自分の方からね
00:45:45その看板掲げて大会を開くという
00:45:51それからそういうようなことをしないで
00:45:53これなんでそういうようなことをするだろうかというのは思いと
00:45:56やっぱり何とかしたいというような思いが
00:45:59どうかしないのならんというような思いがあるからね
00:46:02言われるような複雑な気持ちで行ったですね
00:46:07大会で採択された水平社宣言
00:46:11部落の若者たちが思いを込めた宣言は
00:46:16日本で初めての人権宣言です
00:46:20俳優三国連太郎も心打たれた一人でした
00:46:26私の実家というのは看護家屋でしてね
00:46:34死んだ人が出ると看護家
00:46:39当時は丸い看護家だったんですけど
00:46:41それを作るにはあちこち回って歩く職業だったんです
00:46:46あまり好まれてはいなかったんですがね
00:46:49でも私はやっぱり戦争に行って
00:46:55戦争から帰ってきてから初めて
00:46:56平和という問題にも関心が強くなりましたし
00:47:03一体人間って何だろうかということを
00:47:09考え始めた時に
00:47:11この宣言を読ませていただいたわけですね
00:47:15全国に散在する我が特殊ブラック民を団結せよ
00:47:20獣の皮剥ぐ報酬として
00:47:25生々しき人間の皮を剥ぎ取られ
00:47:30獣の心臓を削く台下として
00:47:35温かい人間の心臓を引き裂がれ
00:47:38そこへくだらない嘲笑の唾に吐きかけられた
00:47:44呪われの世の悪夢のうちにも
00:47:49なお誇り得る人間の血は枯れずにあった
00:47:53我々が得たであることを誇り得る時が来たのだ
00:48:00人の世に熱あれ
00:48:04人間に光あれ
00:48:09我々が得たであることを誇り得る時が来たのだと
00:48:14こういうところがね
00:48:16私にとっては一番
00:48:19愉快でもあるし
00:48:21感激の
00:48:23一番
00:48:25深かったか高かったかというところですね
00:48:29言葉を変えることばかりに気を取られておったのでは
00:48:34本当の差別の解消にはならないと
00:48:38自らそれを追って背負って
00:48:41どうしたんだと
00:48:43エトだったらなんだと
00:48:45徳浦君だったらどうしたんだと言えるような
00:48:48運動でなければいけないというのが
00:48:52運動の精神でしたし
00:48:54獣の皮は後報酬として
00:48:58生々しき人間の皮を剥ぎ取られというのがある
00:49:01生産者であるということですね
00:49:04牛肉あるいは皮革というものの生産者であって
00:49:12立派に我々は社会のために
00:49:16尽くしているんだということの
00:49:17自覚ができたら
00:49:19もう誇り得る時が来たんだと
00:49:21こういう生産者としては誰にも劣らないという
00:49:25今度の考え方ですね
00:49:28水平者の精神は
00:49:32時代を超え
00:49:34多くの人々に誇りを持って生きる勇気を
00:49:38与え続けています
00:49:40かつて差別の理由ともされた
00:49:52部落の地場産業を
00:49:54誇り得るものとして
00:49:56見直す動きがあります
00:49:58大阪
00:50:02何は部落の歴史を伝える資料室です
00:50:07ちょっと見ていただきたいと思います
00:50:09この太鼓は
00:50:10この
00:50:12聖徳2年
00:50:141712年11月吉日
00:50:17摂州 木津 渡辺村 中野町
00:50:21最苦人太鼓は山田部ということで
00:50:24300年以上経っている太鼓ということです
00:50:27これを見る限り2回は張り替えているようですね
00:50:32表に書くなんてことをすると
00:50:35やはり
00:50:36非差別民が
00:50:39何どうぞとこう書いているということになるので
00:50:42ただ
00:50:43作り手としては
00:50:44自分たちが作らない方は
00:50:46この太鼓はできないというプライドがあったので
00:50:49こういうふうに中に
00:50:51作ったものの年代と名前
00:50:54しかも顔をまだ書いているんですよ
00:50:58江戸時代
00:51:00渡辺村と呼ばれた地域には
00:51:03大阪の町の治安維持にあたる見返りとして
00:51:07川どん屋の免許が与えられます
00:51:10渡辺村は
00:51:15全国から
00:51:16年間10万枚とも言われる牛馬の皮を集め
00:51:21商品として送り出す
00:51:23西日本の比較ネットワークの要
00:51:28江戸時代の人口は
00:51:304000人から5000人に達していました
00:51:37この地で建成を誇ったのが
00:51:39太鼓屋マタベイでした
00:51:47幕末の資料には
00:51:49現在のお金に換算して
00:51:51およそ70億円の財産を持ち
00:51:55和官の賃品が
00:51:57倉庫いっぱいに詰まっていると
00:51:59記されています
00:52:01渡辺さんのところは
00:52:03一番最後の渡辺さんが
00:52:055代目とも言われているんですけども
00:52:07この方は北九州の方です
00:52:113代目の方は奈良の方で
00:52:16どちらも非差別部落なんですけど
00:52:18今のようにインターネットも
00:52:20携帯電話もない時代に
00:52:23非差別部落下のネットワークというか
00:52:25すごかった
00:52:26実施に必ずの商売を継がさない
00:52:30飽きないに長けた人間を
00:52:32ブラッカーネットワークで聞いて
00:52:35蔡武太郎もおらんかと
00:52:37いやここにこんななかなか
00:52:40詳細長けたものがおると
00:52:43言うならその話をつけて
00:52:46要請して招き入れると
00:52:49今年3月
00:52:53展示室の前で
00:52:55あるイベントが開かれていました
00:52:59和太鼓の皮を張り替える実演
00:53:06桂木小一郎さんは
00:53:0960年以上
00:53:10太鼓作りを専門に行ってきた職人です
00:53:19仕入れた革の見立て
00:53:21傷をチェックし
00:53:23太鼓に使う場所を決めます
00:53:32これなんか貼ったら破れます
00:53:34これも
00:53:35だからこういうところを外して
00:53:37いいところで使います
00:53:39この着てる時に
00:53:42こすったり
00:53:43で、怪我したりとか
00:53:45で、あと結び支えた
00:53:47そういう傷みんなチェックで
00:53:48太鼓用に絵の馬鹿寄ってやるんですけど
00:53:50なおここで見たら
00:53:52顔屋に乗って
00:53:54ええ顔やってるのと言われますけどね
00:53:56私らは見る目がまた違うから
00:53:58太鼓としてね
00:54:02それであと厚みを見て大きさを決める
00:54:08その大きさを決めるっていうのは
00:54:10どういうことですか?
00:54:11これで何数の太鼓を取ろうかなっていうのを
00:54:14その厚みと厚みと厚みの合間を見てやっていくんですけどね
00:54:19これで何尺?
00:54:201尺に取ろうんやん?
00:54:212尺?
00:54:22うん、ちょっとそれ以外
00:54:23そこまで置きますよ
00:54:24湿らせて柔らかくした太鼓の皮を銅に張り
00:54:37音を確認しながら伸ばしていきます
00:54:41大阪の地で何百年も続いてきた太鼓作りの技術です
00:54:52江戸時代、集まった原皮は姫路でなめされ
00:55:08丈夫で柔らかい皮に加工されていました
00:55:13姫路では千年以上前から
00:55:17川のなめしが行われてきたとされます
00:55:20市内を流れる市川が
00:55:25良質な皮の製造に適していました
00:55:2960年前の映像には
00:55:34瓦で作業するたくさんの職人たちの姿が見えます
00:55:41しかし、次第に専用式の製造技術が普及
00:55:46伝統的な製法は姿を消していきました
00:55:50この地で太鼓川の製造をしている大崎哲夫さん
00:56:09今、市川で伝統的な皮作りを復活させようと取り組んでいます
00:56:15仕入れた牛などの原皮は
00:56:34河川につけることで体毛が抜けやすくなります
00:56:39水中のバクテリアの働きによると言われています
00:56:44やっぱり昔の先輩というか先人たちが
00:56:57考えた技術というのがこういうのがあるんやというのには
00:57:00最初は非常に感銘して
00:57:03それを僕も仕事としての太鼓川を作る職人なので
00:57:08原点の一つである
00:57:10やっぱり市川の川漬けというものを再現したいという気持ちがあったので
00:57:16そこが一番興味深い
00:57:20せーの
00:57:25川から引き上げた原皮
00:57:29毛根からきれいに脱毛できます
00:57:32これは毛の根元から取れているんですよ
00:57:41ここ
00:57:43ここ
00:57:45これ分かります?
00:57:47それが重要で
00:57:50これがきれいに取れるんだよね
00:57:51だから上の毛だけを無視しているのではなくて
00:57:56毛根から取れる
00:57:58それがやっぱり
00:58:00ここがね
00:58:02そういうのがねきれいに取るのですよ
00:58:08自然の力すごいですね
00:58:10自然の力すごいですね
00:58:11自然の力すごいですね
00:58:12自然の力すごいですね
00:58:14すごいです
00:58:18想像できるでしょ
00:58:20こっちかこんな色の瞬間がね
00:58:23僕が好きですよ
00:58:24一緒に作業をするのは
00:58:30皮を使って作品作りをしている若者たちです
00:58:36皮の傷とか虫肩とかを見つけたら
00:58:42出てたんやなっていうのはすごい感じますね
00:58:46体毛と裏側の脂肪などを落とした皮は
00:58:52板に打ち付けて乾燥させます
00:59:08大崎さんの製造する皮は
00:59:10太鼓や鼓などの伝統楽器に使われています
00:59:22昔の人たちから話しとったらね
00:59:26結構辛いことを思い出すから
00:59:28もうそんなのやめとけっていう人も結構いるんですよ
00:59:30でもそうではなくて
00:59:32それをちゃんとした形でやっぱり残していくっていうのが
00:59:36必要だなと思ったのが
00:59:38やっぱりね
00:59:40それを分解と思ってくれる人たちが
00:59:42めちゃくちゃ増えてきたんですよ
00:59:44そこは本当に大事ですよ
00:59:46昔の人たちはしんどい記憶とつながっている
00:59:48いろんな意味で多分しんどかったと思いますよ
00:59:52日本の伝統文化の中に一つ革産業があるんやっていうことは
00:59:56本当にあの
00:59:58僕はもうめっちゃ素晴らしいことだと思う
01:00:01多分みんな素晴らしいと思いますよ
01:00:03その仕事がなかったらその音も聞けないわけやから
01:00:052002年、国の童話対策事業は終結
01:00:19部落に対する特別な施策はなくなりました
01:00:26公営住宅には地域の外からも
01:00:29新しい住人が入ってくるようになっています
01:00:32今年のお花見にはあいにく雨が降り出してしまったけど
01:00:42大阪住吉で続く四季寺学級
01:00:46四季寺学級
01:00:49来年で60年を迎えます
01:00:55今では外国出身の人たちも学びに来ます
01:01:01四季寺学級ができたときから通う木本久恵さん
01:01:06文字を学んだ原点を伝え続けています
01:01:10三重いくつになって今さらなうちに習うの
01:01:16恥ずかしいってそのときは思った
01:01:20でもやっぱり靴直し、仕事を配達に行ったり
01:01:27ゲップで靴を売ったのを集計に行ったりするのに
01:01:33何丁目のどこそこの誰々って言ったかって
01:01:39分かりにくい
01:01:41ああ、これやっぱり習わなあかんわと思って
01:01:46連れ合いに行ったら
01:01:49今さら地域なろうって何すんねん
01:01:54靴の修電屋に何で地域がいんねん
01:01:59こう言うて言われた盛りに
01:02:04いやー、そのとき試案したけど
01:02:08やっぱり行こうと思って
01:02:11夕飯早かった、わりと
01:02:142号毎日お酒飲みやはんねんな
01:02:20もう1号よけ足して
01:02:24早いこと寝てもうて
01:02:25お酒飲みに行った
01:02:30昔の皆さんの
01:02:33そのことであるんですけど
01:02:40今まですごく頑張った
01:02:46こうなったんだけど
01:02:48キモトさんみたいなのを忘れないように
01:02:54そのこと、大変なこと
01:02:57まだ私たちに教えてくれるとか
01:03:03それはすごい大事
01:03:07はい、以上です
01:03:10ありがとうございます
01:03:11ありがとうございます
01:03:12はい、ありがとうございます
01:03:19住吉地区で
01:03:21昔から受け継がれているものの一つが
01:03:24食文化
01:03:26毎週移動販売がやってきます
01:03:31売っているのは牛のホルモン
01:03:33そして馬肉の燻製です
01:03:40こういう燻製肉
01:03:45かつうどんに使うような油かす
01:03:51はい
01:03:52それと
01:03:54黒かす
01:03:56牛のね、皮の裏側を加工したやつなんです
01:03:59はい、皮の裏というか
01:04:00皮取ったところについた油
01:04:02はい、そうですか
01:04:04はい、あと
01:04:06冬場はこういうのにこごりね
01:04:08こういう
01:04:11はっはっはっ
01:04:13ぐらい
01:04:14その地域に根付いたものはやっぱり
01:04:18そこで食されるというか
01:04:20うん
01:04:22食べたらね、みんなおいしいけど
01:04:24知らないだけで
01:04:26はい
01:04:28うちは生姜醤油
01:04:30西干しは
01:04:32で、食べるのが結構ね
01:04:34うち唐辛子醤油やな
01:04:36唐辛子醤油
01:04:37何これ?
01:04:38醤油とミニと生姜
01:04:40甘く、甘く味付けする
01:04:43そうめんつゆと
01:04:46しょうがとかも
01:04:48へぇー
01:04:50住吉地区で
01:04:52子ども食堂の運営に携わっている若者たちです
01:04:59アピレス入れへんかったら固まれへん
01:05:02フランスでいうテリーヌみたいなもんやからこれね
01:05:04ここでは、週3日の子ども食堂をはじめ
01:05:11さまざまな取り組みをしています
01:05:17子どもたちの居場所づくりの中心を担う
01:05:21藤本真穂さん
01:05:23活動の原点は10年前の出来事
01:05:28地域に400枚もの差別ビラが巻かれたことでした
01:05:35いろんな同級生とか後輩がまだおるやんか
01:05:39それ変えてみるやん
01:05:41学校とか会社とか
01:05:43それで私連絡が来てて
01:05:45結婚考えてる人がいてるけど
01:05:48自分がブラック出身って言ってないっていうこととか
01:05:52会社に言ってないっていうこととか
01:05:55会社とかも別に言わなくてもいいことやし
01:05:59パートナーにも言うか言わんかっていうのは
01:06:04自分で決めたらいいこと
01:06:07だけど、あの時は相手にも言ってたらどうしようとか
01:06:13会社にも言ってたらどうしようとか
01:06:15そういうことですごい
01:06:19みんなパニックやったなって思いますね
01:06:24これはやばいなと思って
01:06:27いろんな若者が相談できる場所が地域にないっていうこと
01:06:31人間関係がどんどん少なってきてる住吉って
01:06:35ほんまにやばいなと思って
01:06:37いろいろやり始めた
01:06:40子ども食堂を運営するメンバーの中には
01:06:44地域の外から通ってくる人もいます
01:06:48高校生の頃からボランティアとして通う男性
01:06:53今はこの地域の福祉施設で働いています
01:06:57子どもと接するっていうのが
01:07:02ちょっと自分の中で好きになったんで
01:07:05ちょっと続けたいなと思って
01:07:07ちょっと人見知りっていうのがあったんで
01:07:10そうやん
01:07:11ほんまですよ
01:07:13小学3年生から子ども食堂に通う高校生
01:07:18今はボランティアとして関わっています
01:07:22みんなでご飯作って一緒に食べて
01:07:26片付けもするみたいなのがなかったから
01:07:29楽しかった
01:07:31めっちゃ
01:07:33だから今も楽しかったから
01:07:36大きくなったけど
01:07:38なんていうの?
01:07:40ずっと小3からおるから
01:07:42もういいえみたいな
01:07:44もう一個のいいえみたいな
01:07:46だからちょっと
01:07:47そうです
01:07:50母親に勧められて
01:07:53ボランティアに来た高校生もいます
01:07:57お母さんとかは
01:07:59行ったらあかんみたいな時代やったから
01:08:02そうじゃなくて
01:08:05もっと違うところのことも知ってほしいな
01:08:07とか思ったのかなって思います
01:08:09なんでいるかって言ったら楽しいからと
01:08:12嬉しい
01:08:14友達もいてるしね
01:08:17みんなおるから
01:08:18みんなおるから
01:08:20なんか自分の中で変わったこと?
01:08:22変わったこと
01:08:24ご飯作れるようになった
01:08:26イエーイ
01:08:28それまではあまり作らなかった?
01:08:31作れなかった?
01:08:33作れない、包丁も持ってない
01:08:35ほんま?
01:08:37行ってなかったら多分お母さんに
01:08:39包丁もたんときて
01:08:40なんか
01:08:42嘘、ほんまに
01:08:44マジで行ってるからまだ信用はある
01:08:46最初包丁バーンってやっちゃう
01:08:48ほんまに
01:08:50やばいから
01:08:52巻き張りちゃうんやから
01:08:54ほんまに
01:08:56聞きますよね、普通にね
01:08:58あそこの
01:09:00どこどこは
01:09:02すごい危ないから
01:09:04近寄らんほうがいいでとか
01:09:05さすがに知らん人に
01:09:06いやいやそれは
01:09:07とかって
01:09:09やっぱり言いづらいじゃないですか
01:09:10全然全く知らん人に
01:09:12人間関係ない人にいきなり言われへんと思うわ
01:09:14確かにな
01:09:16よっぽどもう
01:09:17差別発言巻き散らしてたら
01:09:18言うけど
01:09:20こっちも精神衛生上
01:09:22良くないよな
01:09:24差別と出会うとか
01:09:26なんか当事者やから言わなあかんみたいな
01:09:28ところみたいなのもめっちゃ嫌やし
01:09:30私もブラック当事者やけど
01:09:32じゃあ自分が
01:09:35差別受けるばっかりな側じゃないわけやん
01:09:38逆にするほうのほうが確率高いかもしれん
01:09:42だからなんかそういうのは
01:09:44みんなで考えれる
01:09:46これが差別やんなとか
01:09:48これって人傷つくやんなみたいな
01:09:51自分も傷つくし
01:09:53相手も傷つけるみたいなのは
01:09:55考えれる場所とか
01:09:58雰囲気っていうのは
01:09:59こう常に持っとかないと
01:10:02あかんやなと思ったり
01:10:04最後に
01:10:07これからの放送に期待することを
01:10:10聞いてみました
01:10:12ブラック差別が
01:10:14たとえなくなったとしても
01:10:17僕はブラック差別は
01:10:19伝え続けないといけない
01:10:21と思うんですね
01:10:23なんかこう
01:10:25戦争とかもそうかな
01:10:26だから戦争が終わって
01:10:29じゃあ伝えなくていいのかっていうと
01:10:30そうじゃないですよね
01:10:32ブラック差別を
01:10:34学び続けるとか
01:10:36伝え続けるっていうことは
01:10:38やはり同じような過ちを
01:10:40犯さないために必要なんちゃうかな
01:10:42っていうふうに思うんです
01:10:44ブラックのいいところもあるし
01:10:46そこでどう生きてきたのかみたいな
01:10:49いろんな人の生き様みたいなのが
01:10:51取り上げてもらえたらなと思ってます
01:10:54ブラック問題だけじゃなくて
01:10:57いろんな課題に関して
01:10:59考えるタイミング
01:11:02生きていく中で
01:11:04忙しく目まぐるしく生活していく中で
01:11:07じゃあこの人何に困ってんねんやろとか
01:11:10どうしたらいいのかなとか
01:11:12自分は何に困ってるんだろうみたいなことを
01:11:16考えるタイミングってすごく少ないなと思ってて
01:11:19やっぱりそこは広い放送みたいなところに
01:11:25期待はしてるかなって
01:11:27そういうことをいろんな種を
01:11:29巻いてもらえるかなって思ってるので
01:11:31思ってるのです
01:11:32音楽
01:11:41放送が始まって今年で100年
01:12:04障害のある人たちを放送はどのように描いてきたのか
01:12:09小さき声にどう向き合い何を伝えてきたのか
01:12:15当事者の視点で振り返ります
01:12:20放送は12月5日夜9時
01:12:26みんな見てね
01:12:32障害のあるお母さんとずっと一緒に暮らしてきました
01:12:36小さい頃からなんとなくお母さんのできないことは手助けしたいな
01:12:42ずっと母のケアをしてるっていうのが
01:12:49自分の人生を大切にしてることだって言えるのかな
01:12:52トイトイ
01:12:53自分の人生を生きるってどういうこと?
01:12:56Eテレも今日夜8時
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