- 2 months ago
Category
🎥
Short filmTranscript
00:00It was released in 1954, the first one of the GOLJIL.
00:21The GOLJIL was destroyed by the war,
00:27銀座である。
00:37ゴジラは、ある建物に向かった。
00:43銀座のランドマーク、和光の時計塔である。
00:48ゴジラの巨大さを強調するために、身長は、
00:52時計塔の高さに合わせて設定されたといわれる。
00:57今や、ゴジラの通過した後は炎の海と化し、
01:02見渡せば銀座終わり町から、
01:04新橋、多町、千葉、千葉浦方面は全くの火の海です。
01:08ただいま、ゴジラは移動を開始いたしました。
01:11どうやら、築谷橋方面に向かう模様であります。
01:15破壊と想像を繰り返してきた銀座。
01:19時代は常に、この街を追いかけてきた。
01:27明治時代、いち早く西洋化を遂げた銀座は、
01:34文明開化の発信地となった。
01:38しかし、大正末期。
01:43未曾有の震災が街を襲う。
01:47危機から立ち上がった銀座は、
01:52最先端のモダン都市へと変貌を遂げる。
01:56自由と美をまとったモダンガールが、
02:02日本の女性像を塗り替えた。
02:05しかし、やがて、
02:10モダンガールの姿は、街から消える。
02:14そして、再び、銀座は怪人に消した。
02:20焼け残った服部時計で、
02:29新中軍の地方が開かれました。
02:32辛うじて残った建物は、
02:35占領軍専用の施設となる。
02:38銀座の主役は、アメリカ人に交代した。
02:43しかし、銀座はその苦難を、
02:47新たなエネルギーに変える。
02:50東京ブーギウギ、リズムーギウギ、
02:54心づきづき、ワクワク。
02:59夜の蝶は闇に消えて、
03:02ミッドナイト東京の幕が開く。
03:05夜の銀座では、
03:08名だたる大物たちを虜にする伝説のマダムたちが、
03:12火花を散らした。
03:15高度成長の光を浴びて輝きを増した銀座は、
03:21数々のスターを生み出し、
03:24大衆文化を牽引していく。
03:28東京でひとつ、銀座でひとつ。
03:40日本の10年間は、
03:43西洋の1世紀にも相当する。
03:47銀座と銀座の界隈とは、
03:51これから先も、
03:53一日一日と変わってゆくであろう。
04:00ちょうど活動写真を見つめる子供のように、
04:04休みなく変わってゆく。
04:07時勢の絵巻物をば、
04:10目の痛くなるまで、
04:12見つめていたい。
04:14映像の世紀、
04:22バタフライエフェクト。
04:25変わることで、
04:27変わらない街であり続けた、
04:29銀座。
04:31度重なる悲劇を力に変えてきた、
04:34唯一無二の街、
04:36銀座100年の記憶を、
04:38紐解いてゆく。
04:44これは、明治31年に、
04:52フランスのルミエール社が撮影した、
04:54最も古い銀座の映像である。
04:57ガストーや人力車、
05:00さらに馬車鉄道など、
05:02当時最先端の文化があふれていた。
05:05撮影されたのは、
05:16街のメインストリート、
05:18銀座通り。
05:20明治5年の大火を契機に、
05:22近代的な都市計画が導入され、
05:25日本で初めての、
05:27煉瓦造りの街並みが築かれていた。
05:36明治初頭。
05:38新橋と横浜を結ぶ、
05:40日本初の鉄道が開通。
05:43東京の新たな玄関口となった銀座には、
05:46最新の西洋文化が流れ込んだ。
05:51日本初の西洋式調材薬局、
05:55資生堂。
05:57アンパンを考案した木村屋など、
06:01文明開化の到来を告げる商店が、
06:04店を構えた。
06:09ルミエール社の映像には、
06:11銀座のシンボルとなっていた建物が、
06:13映り込んでいた。
06:15ハットリという文字が見える。
06:23明治27年に完成した、
06:28ハットリ時計店。
06:30現在の和光である。
06:36屋上にあげた、
06:38巨大な時計台は、
06:40場所が場所だけによく目立って、
06:42錦絵にも描かれ、
06:44絵はがきにも写されて、
06:46地方の人は、
06:48銀座の図といえば、
06:50必ず、
06:52この時計台を中心とする景色を、
06:54見せられたのである。
06:56これは、
07:00創業者、
07:02服部錦太郎の姿を捉えた、
07:04貴重な映像である。
07:09昭和5年頃。
07:11錦糸町の時計工場、
07:13成功者を訪れた際の様子である。
07:2113歳で、
07:22時計技術を学び始めた服部は、
07:2431歳の時、
07:26国産時計の製造に着手。
07:29工場を次々に増設し、
07:32大量生産に成功した。
07:38一日を24時間と定めたばかりの日本に、
07:42時間という新たな制度を浸透させていった。
07:49時計屋を始めれば、
07:51修繕の傍ら、
07:53時計を売ることもできるし、
07:56動物屋のように、
07:58多額の資本の必要はない。
08:01腕一本、
08:04スネ一本の自分でも、
08:06技さえ覚えれば、
08:08取り付ける商売だ。
08:10そうだ。
08:12時計屋になるかな、だ。
08:16これは、
08:17大正末期の銀座通りの映像。
08:21馬車鉄道に代わって、
08:23明治末期に開通した、
08:25路面電車が見える。
08:27しかし、
08:29あるはずの時計塔は見えない。
08:32この時、服部は、
08:34時計塔の建て替え工事に取り掛かっていた。
08:38その、さなかのことだった。
08:41大正12年9月1日、
08:46未曾有の震災が関東地方を襲った。
08:50地震によって発生した火災で、
08:54銀座はほぼ全域が消失した。
09:09服部時計店の建て替え工事は、
09:12中止を余儀なくされた。
09:15銀座通りは、
09:24惨憺たる有様で、
09:26かつて誇った賑やかさは、
09:29見る陰だになく、
09:31不念失物の建物でも、
09:34ほとんどその残骸だけで、
09:36およそ、焼けうるものは、
09:39ことごとく焼き尽くされてしまっていた。
09:42その、レンガの焼け跡は、
09:46ローマの廃墟といった有様で、
09:49誠に寂しく感じ、
09:52午前の明るい日であったけれども、
09:56一種、すごいような心持ちを禁じ得なかった。
10:04全てを失った銀座。
10:07だからこそ、
10:09街は大胆に生まれ変わっていく。
10:13震災からわずか2か月後の11月10日、
10:17銀座通りの商店は一斉に店開きに踏み切った。
10:23焼け跡には、
10:26モダンなデザインのバラックが、
10:28姿を現した。
10:30震災の翌年には、
10:35銀座初のデパート、
10:37松坂屋がオープン。
10:39これは松坂屋が、
10:42日本で初めて実施した、
10:44屋上動物園の映像である。
10:46街なかに突然現れた猿やライオンを一目見ようと家族連れの客でにぎわった。それまで百貨店には下足板が置かれ靴を脱いで入るのが一般的だった。しかし松坂屋は日本初の全館土足入場を実施。
11:14敷居の高かったデパートに庶民を引き込んだ。
11:21震災後の銀座に他にも次々とデパートが姿を現す。
11:27その活気が街を再び動かし始めた。
11:33復興に向かう銀座の顔となったのは、 新しい時代をまとう女性たちだった。
11:48洋装に身を包み、髪を短く切った短髪の女性たち。
11:55伝統を脱ぎ捨て、さっそうと歩く姿は、 モダンガールと呼ばれた。
12:02モダンガールの存在に企業も目をつけた。
12:09これは昭和7年に撮影された、 資生堂の街頭広告の映像。
12:16商品名を変えたパラソルを指したモダンガールが、 1か月にわたって東京の盛り場を練り歩いた。
12:41街にあふれるモダン
12:53ガールは流行に敏感な若者たちを銀座に引き寄せた
12:58旧正専門学校で絵を学んでいた絵本作家矢瀬隆もそんな
13:08若者の一人だった。
13:16田舎から出てきて奥に鉛の抜けない少年は、
13:21唖然呆然夢見心地で銀座の歩道を歩いた。
13:29この町に僕の青春はあったし、
13:33学校よりもはるかに多くのことを学んだ。
13:38サンドイッチマンからも、
13:41映画館のもぎり城からも、
13:44みんな僕の先生だった。
13:52華麗な復興を遂げる銀座で、
13:55全盛期を迎えたのが、
13:57カフェ文化である。
14:03明治末期、銀座に誕生したカフェは、
14:08文化人が集う静かなサロンだった。
14:15震災後、女級と呼ばれる女性の接待を売りにする店が流行り、
14:20店舗数が激増。
14:23昭和3年には、カフェなどの飲食店は、
14:27銀座界隈に1,000件以上あったといわれる。
14:38一日に稼ぐチップの額が、
14:40公務員の初任給を上回る人気助給も現れ、
14:44空前の女級ブームが巻き起こった。
14:51昭和7年、
14:582代目の時計塔が完成。
15:01大震災を乗り越えた、銀座のシンボルとなった。
15:06この日は震災記念日。
15:0911時58分を合図に、
15:12東京市内は赤として越えなく、
15:15締めやかな黙祷は捧げられました。
15:19服部の時計台から、
15:2112時を打つ鐘の声が、
15:24その頃はなんとなく、
15:26耳新しく聞きなされた。
15:30服部の鐘の音を合図に、
15:32酒場やカフェが一斉に表の火を消すので、
15:36街はにわかに薄暗く、
15:39集まってくる円卓は、
15:42動けないほど混み合ううち、
15:44運転手の喧嘩が始まる。
15:52昭和12年。
15:54日中戦争が始まると、
15:56街の風景は変わり始める。
15:59無敵陸軍の成果、
16:01戦車隊の大行進が、
16:02生徒の中心に展開され、
16:04朝日新聞社のグランデより。
16:07流行の発信地銀座は、
16:09その影響力ゆえに、
16:11プロパガンダの最前線となった。
16:16ファッションショーの舞台だったデパートに、
16:19軍用機が現れた。
16:21カフェも、軍機であふれていく。
16:3110月1日から挙行された、 防空総合訓練は、
16:34全国民一人残らず参加のもとに、
16:36被害を最小限度にとどむべく、
16:38懸命の訓練を続けました。
16:40鉄器来襲に備え、
16:43街の明かりを消す、
16:45透過感性が始まると、
16:47自慢のネオン街は、
16:49闇に包まれた。
16:57銀座通りの主役は、
16:59洋装に身を包んだモダンガールから、
17:02割烹着姿の国防夫人にとって変わった。
17:09出征する兵士に贈るお守り、
17:12千人針を縫う女性たちが、
17:15十五の模範となっていった。
17:22しかし銀座は、
17:24精一杯の抵抗を見せた。
17:27ハイキューパンの製造指定工場となった木村屋は、
17:36小麦粉の輸入が激減する中で、
17:39混ぜ物を使ったパン作りを研究し、
17:42伝統の味を守ろうとした。
17:50資生堂は、和装の改良着を考案し、
17:54女性たちのおしゃれ心を支えようとした。
18:01モンペでは、
18:02いかに実用性に富んでいても、
18:05あまりにも美的要素に欠けているために、
18:08実際にはなかなか着にくいものでございます。
18:14袖口にゴム紐を通して縮め、
18:17活動に便で、
18:19かつ腕の奥が見える心配もありません。
18:23非常時にふさわしい、
18:25はつらつたる美しさを求めるのも、
18:28当然ではないでしょうか。
18:33しかし、昭和16年、
18:35太平洋戦争が開戦すると、
18:38資生堂の建物にも、
18:41戦意高揚の言葉が掲げられた。
18:48時計塔にも、
18:49勝利を祝う垂れ幕が下ろされた。
18:52決戦下、
18:54再び巡り来たった、
18:55意味ある海軍記念日を迎えて、
18:57海の若鷲の開列が行く。
18:59昭和20年、1月27日、
19:08銀座は初めて空襲に見舞われた。
19:11ついに、我らの誇る都心は、
19:18今や血の滴る真の戦場と化し、
19:21銀座も第一線の陣地と少しも変わらない、
19:26精算な戦場となった。
19:28有楽町の黒殿ガード下に来て、
19:33愕然とした。
19:35ガードの壁に叩きつけたように、
19:39血と肉片が張り付いて、
19:42その下に性別もわからない胴体が、
19:46爆風に飛ばされて、
19:48泥と血に染まっていた。
19:53銀座四丁目交差点に来てみると、
19:56急挙動が燃えていて、
19:59地下鉄入口の階段には、
20:029人の人が生き埋めになっていた。
20:10昭和20年、8月15日、終戦。
20:16関東大震災を乗り越え、
20:18モダン都市として輝いた銀座は、
20:21再び焦土となった。
20:26時計塔も爆風を受け、損傷。
20:30針は止まった。
20:379月8日、
20:39連合国軍による占領が始まった。
20:42ちょっこり現れたおなじみのスター、
20:47カイロンパワーの軍服姿。
20:50新中軍でにぎわう、
20:52今日この頃の神座風景です。
20:55隣接する有楽町に、
21:01GHQ本部が置かれ、
21:03銀座の主役は、
21:05アメリカ人となった。
21:07この大きなガラノルドパート部屋の
21:18カロウジで残った建物は、
21:20次々と摂取され、
21:23占領軍専用の商店に生まれ変わった。
21:26焼け残った服部時計店に、新中軍の守護が開かれました。楽しい買い物のひとときです。
21:38服部時計店はオフリミット日本人立ち入り禁止の購買所となり、店は土産物や日用品を買い求める占領軍の兵士たちであふれ返った。
21:55やっと帰郷した私の目に、そこだけまばゆくPXがあった。
22:06こわだかに談笑する米兵。その周りを靴磨きの少年が群がり、色鮮やかな原色の熱火チーフの姫君が、見上げるほどのG.I.にぶら下がるように腕を組んでいる。
22:24つい昨日まで竹槍を持たされていた私にとって、震えがくるほどの大ショックであった。
22:39占領軍専用の売春施設も作られた。
22:44占領軍の性犯罪を恐れた日本政府の主導で、特殊慰安施設協会、RAAが設立された。
22:54松坂屋の地下は占領軍専用のキャバレー、オアシス・オブ・銀座となった。
23:03しかし、性病の蔓延と占領軍の家族からの猛反対で、RAAの慰安所は半年で閉鎖された。
23:17仕事を失った女性たちは占領軍相手の外傷となり、銀座や隣の有楽町にあふれた。
23:28パンパンと蔑まれても、路上に立つしかなかった女性たち。
23:34苦しい境遇にあって、彼女たちは一人の女性に心を寄せていた。
23:41東京武器行き、リズム行き行き、心好き好きワクワク。
23:54海を渡り響くわ東京武器行き。
24:01戦後、有楽町の日劇で武器の女王と呼ばれた笠木静子は、終戦直後、婚約者を病で失っていた。
24:13笠木は、残された娘を女で一つで育てながら、ステージに上がっていた。
24:23一曲済むたびに、楽屋でおっぱいを飲ませてはまた舞台へ。
24:31歌プラス、苦闘の生活、人柄。
24:36それが人気を呼んで、楽町や浜の夜の女たちに、姉さんと慕われた。
24:51笠木は、日劇に通い詰める彼女たちと交流を深めていく。
24:57これは、外相たちの構成組織、白鳥会の結成パーティーの写真。
25:06笠木は後援者となり、女性たちの再出発を支えた。
25:15昭和25年、笠木は活動の場をアメリカへと広げるため、日本を離れることになった。
25:25日劇で行われた送別コンサートには、女性たちが詰め掛け、
25:32ホール1階の半分、800席を買い占めた。
25:40ひときわ大きく豪華な花束を贈り、門出を祝った。
25:46楽鳥でも靴磨きでも何でもいい。
25:53そういう民衆の底の底の人たちにまで、
25:57私は私の芸を理解してもらい、そして一緒に喜んでもらいたい。
26:03これが私の生き甲斐です。
26:10昭和発行の日、まず町の表情が変わりました。
26:15昭和27年4月、サンフランシスコ平和条約が発行し、
26:23占領軍は町から去った。
26:25これは、服部時計店が制作したテレビCMである。
26:33服部時計店は、戦後まもなく開始されたテレビ放送に目をつけ、
26:40再建に向け動き出す。
26:42成功者の時計が、記事をお知らせいたします。
26:55そして、店舗は、日本の光を届けるという願いを込め、
27:01和光と名前を変えた。
27:05空襲で破損した時計盤は修復された。
27:08新たな鐘の音は、ロンドンのビッグベンと同じもの。
27:14銀座は、その音とともに、復興への歩みを始める。
27:23占領時代は、銀座にエンターテインメントという副産物を残していた。
27:30音楽、映画、ダンス、ファッション。
27:35欧米文化を吸収した銀座は、新たな大衆文化の発信地となる。
27:41日本初のシャンソン喫茶、銀パリでは、専属第一号の歌手として、
27:51まだ17歳の丸山昭弘がデビューした。
27:54これは、女性でもいかがわしい種類の男性でもありません。
28:01いわゆるシスターボーイと称する男の歌手です。
28:05人武以来の美少年と称された丸山は、たちまち時代の長寿となった。
28:15若き日の涙
28:25三島由紀夫など、銀パリに集った文化人に才能を見出され、
28:30歌謡界に衝撃を与える。
28:33メケメケ、声切り。会えないかもしれん。
28:41メケメケ、お前を。達者で暮らしな。
28:47一もしごろ、夜の仕事場へ向かう女性たち。
28:57復興の足音が聞こえ始めた銀座に、高級クラブも次々と開店した。
29:05夜の銀座では、後に伝説として語り継がれる二人のマダムが火花を散らしていた。
29:12これは1953年に公開された映画、プーさん。
29:19出演しているのは、銀座のバー、エスポワールのマダム、河辺瑠美子である。
29:29戦前はバーの女級として、終戦直後は占領軍専用クラブのダンサーとして、夜の銀座を生き抜いてきた。
29:38強揚と気配り、洗練された話術で、名だたる政治家や文化人を虜にした。
29:45私の好きな顔、河辺瑠美子。
29:52私の好きな顔、河辺瑠美子。
29:59瑠美子さんの顔には、疲れを知らない健康な逸落が輝いていて、
30:07顔全体のいささか思うもしくて、
30:12河辺瑠美子さんの顔には、疲れを知らない健康な逸落が輝いていて、
30:19顔全体のいささか思うもしい果実の重量は、
30:24葡萄の芳醇と座盆の管轄を合わせ含んでいる。
30:30実に明晰なエロティシズムだ。
30:35そして、もう一人の伝説のマダムが、
30:39京都から銀座に進出した、
30:42バー、お染めの上場秀。
30:47秀も映画に出演している。
30:52いらっしゃいませ、山口さん。しばらくどんね。
30:56お染め、あんたのとこに写真のモデルに出てる子いるやろ。
30:59るいちゃんですか。
31:00今日来てるか。
31:02るいこと言うんですか。
31:04京都の芸妓出身の秀は、
31:07華やかな留美子とは対照的に、
31:10おっとりとした素朴な佇まいで人気を集めた。
31:14田中角栄や川端康成、
31:18小津康二郎など大物たちを魅了した。
31:22ルミ子と秀は、一人の男を奪い合った。
31:31吉田茂の側近、白須二郎である。
31:37二人の店の常連だった。
31:40白須は、秀の銀座出店を支援。
31:46ルミ子の激しい嫉妬を勝った。
31:49二人のライバル関係は、小説や映画のモデルにもなった。
31:56銀座の夜には、
32:01時代を動かす者たちの野心があふれていた。
32:06この場所で認められることが、
32:08男の信用と地位を示す証となった。
32:13酒を飲むといえば、やはり銀座だった。
32:20彼女たちには、銀座の女としての、
32:25よそのそれにはない見識があり、プライドもあった。
32:30知らず知らずのうちに、
32:33どれほど色々なことを銀座で、
32:36つまり、彼女たちから教わったことだろうか。
32:41当時の銀座は、
32:44一種独特のコミュンともいえた。
32:53復興した銀座は、高度成長の光を浴び、
32:58またも姿を変えてゆく。
33:05海の縄で知られたすべちがいの橋も、
33:08今はアスファルトの下に埋まった。
33:11築谷橋は、
33:13新しいという文字をつけ、
33:15ハイウェイになった。
33:17最先端のファッションビルが出現。
33:21街は、
33:23人々の膨れ上がる消費欲で、
33:25輝きを増していく。
33:27大時計は、
33:30深夜12時、
33:31土井市長、金井市長の東京は、
33:33銀座4丁目、
33:34総ガラス張りのビルに、
33:35明かりが灯りました。
33:38ついでに、
33:39辺りの美観を損なうからと、
33:41前にあった古い交番を取り壊し、
33:43超モダンなポリスボックスを、
33:45警視庁に寄贈しました。
33:47日本中の憧れを集める銀座は、
33:57数々の名作映画の舞台となった。
34:01冗談じゃないよ。
34:02これ以上のんびり走れっかよ。
34:04私、この車にはブレーキがついちゃいねえんだから。
34:08石原雄次郎主演の大ヒット映画、
34:11銀座の恋の物語。
34:14街並みを緻密に再現した巨大オープンセットに、
34:20実景を交えて撮影された。
34:23東京でひとつ、
34:31銀座でひとつ、
34:36日本に夢と希望が満ちていた時代。
34:41若者たちは、
34:43スクリーンの中の二人に未来を重ねた。
34:581970年、
35:00銀座に新しい顔が現れた。
35:03日本初の歩行者天国である。
35:12センターラインを踏みしめて楽しい散歩。
35:18懐かしい出店。
35:20怒られない坊や。
35:22人間らしさを求めてやってきた人、78万人。
35:35銀座といえば、柳と言われるほど。
35:391975年、変貌する銀座を、
35:43作家井上久志がレポートした番組がある。
35:48昼間100万人も人が出る銀座ですが、
35:51住んでいる人はたったの6000人です。
35:55この時代、ビルの建設ラッシュによって、
36:00戦前2万人以上いた銀座住民の数は減り続けていた。
36:04どうですか、柳の地元に住んでいらっしゃる方としてですね。
36:13ここは住みですか、銀座は。
36:16それがね、住みにくいんですよね。
36:19まあ、魚屋内も、下に売ってる所はないね。
36:23何でも、デパートへあくのまっていくようなもんでね。
36:27まあ、どっちかって言えば、とても住みにくいと思うんですけども。
36:31それがまた、嫌いじゃないんです。
36:35そいつがまた好きなんですよね。
36:38暮らしの気配は確かに薄れた。
36:42しかし、変化の中にこそ、銀座らしさがある。
36:47銀座住民の美学だった。
36:51新年の歩行者天国。
36:54また、銀座には多くの人たちが集まり、
36:57住民たちの姿は消えました。
36:591980年代半ば。
37:09バブルが到来すると、銀座はかつてない熱気に包まれた。
37:14貴金属や宝飾品など、高額商品が飛ぶように売れた。
37:23東京銀座にあるこの土地は、270平方メートル余りの広さですが、
37:36去年10月、壺あたり1億2千万円という、史上最高の壺単価で取引され、
37:41地価高騰に慣れきった東京の不動産業者をさえ驚かせました。
37:471985年、銀座の地価が日本で初めて1坪1億円を超えた。
37:55翌年、和光の時計塔前の路線価は、1平方メートル830万円に達した。
38:07そして、諸賀用品などを扱う老舗、旧居堂前が、日本一地下の高い土地となった。
38:18銀座は数字が踊る陶器の場となり、街の姿を変えていく。
38:251坪3.3平方メートルあたり1億円以上もするとあっては、
38:29神様といえどもビルの屋上に追いやられてしまうのでしょうか。
38:341階で柏で打つと、パイプを通って屋上の本殿に届くという神社も登場しました。
38:41やっぱりこういう地下の高いところでやむを得ないんじゃないですかね。
38:47相続税の負担は、店の経営を圧迫していった。
38:55老舗が店を畳んでしまい、目抜き通りには口の葉が欠けるように空き地が目立つようになった。
39:01相続税が払えず、土地を手放すケースが増えているのである。
39:04銀座の120年以上の伝統、いわゆる商品の伝統文化が、このいわゆる税金ということで、店を閉めなきゃならないということはあんなことに悲劇だと思っている。
39:19戦後復興期に文化の担い手となった場所も、このころ次々と姿を消した。
39:26娯楽の伝道と呼ばれた日劇が、約半世紀にわたる歴史の幕を閉じることになりました。
39:37公演最後の日、舞台裏にはいつもと変わらない活気があふれていました。
39:43娯楽の中心がテレビに変わり、日劇は解体を余儀なくされた。
39:50そのサヨナラコンサートに、かつて外相の女性たちと交流を重ねた、武儀の女王、笠木静子の姿があった。
39:57そのサヨナラコンサートに、かつて外相の女性たちと交流を重ねた、武儀の女王、笠木静子の姿があった。
40:07もう涙が出そう。
40:15そうですか。
40:18本当に、この舞台から私はもう、私の一番いい時代を築かせていただきました。
40:25本当にこの舞台、もう忘れません。生涯。
40:301990年、シャンソン喫茶、銀パリも最後の日を迎えた。
40:40地下高騰に伴う家賃の値上がりによって、39年の歴史に幕を下ろした。
40:49さよならコンサートの鳥を務めたのは、三輪昭弘だった。
40:56やわて私も追いぼれて、歌えなくなったら、
41:06若い小鳥たちの歌を聴くでしょう。
41:17いろんな思い出がありますよ。
41:22古き良き時代と、そこへ出入りしてきた人たちの人間ドラマ、人間模様。
41:30そういうものが全部、縦糸、横糸になって、私の人生の中に織り込まれていったわけだから。
41:37歌い続けましょう、愛しいのギンパリで。
41:47歌い続けましょう、愛しいのギンパリで。
42:02歌い続けましょう、愛しいのギンパリで。
42:19バブル崩壊後、銀座はまたも姿を変える。
42:25バブル景気を目当てに店を構えた金融機関などが相次いで撤退跡地に現れたのは海外の高級ブランド店だった銀座の主役は海外から訪れる富裕層に変わった
42:48一方、明治以来の老舗は今も健在である。
42:55変わり続けることで変わらないものを守っている。
43:02破壊と想像の100年を見つめてきた銀座のランドマーク、時計塔。
43:09今も変わらぬ時を刻んでいる。
43:16この間、ある人が来て。
43:23簡単で容量を得たる教訓はないかと言うから。
43:30僕は、急ぐな、休むなと言った。
43:37急げば、休まなければならぬ。
43:40今も変わらぬ時を刻んでいる。
43:43この間、ある人が来て。
43:45簡単で容量を得たる教訓はないかと言うから。
43:50僕は、急ぐな、休むなと言った。
43:55急げば、休まなければならぬ。
44:00休まず進まんとすれば、急いではならぬ。
44:25ご視聴ありがとうございました。
Comments
1