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トランスクリプション
00:00:00どんどん!どんどん!
00:00:05皆さんが心に残る番組は何ですか?
00:00:11じゃあ死ねへんで!
00:00:14死ねへんで!
00:00:19ドラマやドキュメンタリーで NHKが繰り返し伝えてきた戦争
00:00:25時代とともに体験者が少なくなる中で 貴重な証言を記録し 資料を発掘してきました
00:00:35日が回ってきたぞ!
00:00:41そして今 最新の技術を使って戦争体験を伝える 新たな試みも
00:00:49悔しかったでしょうね
00:00:56そこにいる仲間を助けられないとかね
00:01:01放送開始から100年
00:01:05今夜は過去の番組を振り返りながら
00:01:09あの戦争をこれからどう伝えていくかを 考えていきます
00:01:151941年12月8日
00:01:25臨時ニュースを申し上げます
00:01:34臨時ニュースを申し上げます
00:01:36帝国陸海軍は本8日未明 西太平洋において
00:01:40アメリカイギリス軍と戦闘状態に入れる
00:01:43この日 日本軍がハワイ真珠湾を奇襲
00:01:51太平洋戦争が始まりました
00:01:55人々が海戦を初めて知ったのは ラジオのニュースでした
00:02:04この時ラジオに一心に耳を傾けていた 10歳の少年がいました
00:02:14戦時下の子供の暮らしを描いた著書などで知られる 山中久史さん
00:02:24ものすごい緊張したもんね
00:02:31臨時ニュースを申し上げますと来た時に
00:02:35もう僕はね 朝新聞を取りに来るのが 僕の役目だったんですけどね
00:02:41その新聞を置いて聞きほらましたもの
00:02:44山中さんは担任の指導で この日のことを作文に書きました
00:02:54全校でラジオのニュースを聞いた
00:03:01我が航軍のものすごい活躍だ
00:03:06とうとうやったぞ
00:03:10さあ これから大人も子供も 一体で総力戦だ
00:03:2212月8日にあれを聞いてね 戦争が始まったってことがあるでしょ
00:03:26それ以後そのコールサインが鳴るとね
00:03:30今度は何だって
00:03:34香港を陥落させたぞなんて言ったら みんな大騒ぎでしたよ
00:03:40特別配給があったんですよ
00:03:44それでキャラメルをしゃぶりながらね
00:03:46戦争って悪くねえな
00:03:48こんなキャラメルが食えるんだもんって 思いましたよ
00:03:55日本でラジオ放送が始まったのは 太平洋戦争開戦の16年前
00:04:08撃きました 優位の銃を抜きまして 球はセンター前ヒットになりました
00:04:12社団法人日本放送協会は 国の管理のもと 多彩な番組を放送していました
00:04:20しかし日中戦争が始まると 政府は戦争目的のためにラジオの利用を図るとして 統制を強めました
00:04:44こうして戦意を煽る番組が 次々と作られていくことになります
00:04:55当時発行されていた雑誌に 放送現場で働く人の言葉が掲載されています
00:05:05放送を国家の宣伝機関として 言い換えれば鎮丼屋ですね
00:05:16そういう考えでいくのは 一向差し支えないと思う
00:05:22音楽番組では毎日 軍歌が繰り返し放送されるようになりました
00:05:33音楽番組では毎日 軍歌が繰り返し放送されるようになりました
00:05:39勝ち抜く僕ら諸国民 天皇陛下のために
00:05:47死ねと教えた父母の熱い致死を 身に受けて心に消し抜け
00:06:02ヒローダー好きだったかな
00:06:04ひでえ歌だよね 死んでこいって言うんだから
00:06:09みんなで歌えっていうことだったんでしょうね
00:06:14しかし日本軍は敗退を重ね 戦死者は増え続けていきました
00:06:28そして1944年 航空機で敵艦に体当たりする特攻を始めます
00:06:42軍は特攻作戦が国民の戦意向上にも つながると考えました
00:06:51ラジオが伝えたのは 特攻隊員たちの遺言でした
00:07:06左光呼吸章
00:07:20ローダー科学 日本特攻撃
00:07:30お疲れ様に挙げてこの近くに復帰しましょう
00:07:36どうぞ
00:07:38お疲れ様に大切に
00:07:43今後の守りを守ると
00:07:45取材に応えた遠藤茂さん
00:07:5322歳
00:07:5512月7日
00:07:58フィリピン近海で戦死しました
00:08:00悲壮感を煽ったっていうのかな
00:08:07今考えると怖い話だよね
00:08:15特攻機に乗って突っ込んでいけばね
00:08:18一思いに死ねるから
00:08:19そういう風になりたいと思いましたね
00:08:23だから何が何でも海軍兵学校に入りたい
00:08:27あるいはその横原に行きたい
00:08:30子供たちにはそのことを怖いと思わせないように煽ってるわけですからね
00:08:38戦争末期
00:08:43おびただしい命が失われていきましたが
00:08:47ラジオがその事実を国民に伝えることはありませんでした
00:08:5380年前の8月15日
00:09:09ラジオは天皇の肉声という異例の放送で終戦を伝えました
00:09:16日本放送協会の報道部員だった柳沢康夫さん
00:09:24生前戦時下の放送を振り返り思いを語っています
00:09:31当時はですね
00:09:34もう放送局というのは
00:09:36日本政府がやらせる放送をやる組織だと
00:09:42いう建前の中でみんな動いてたと
00:09:47だから個人的にはいろんな
00:09:50それは思いはありますよね
00:09:53人それぞれの思いはあるけれども
00:09:56戦争宣伝に参加したわけ
00:10:00参加したってそれをむしろ
00:10:03そいつを積極的にやったわけですからね
00:10:07それに対する
00:10:09ジャーナリストとしての反省というのは深刻ですよね
00:10:16片渕さんは映画
00:10:23この世界の片隅にを制作されるにあたって
00:10:26戦時中にラジオを聞く場面描かれていましたけれども
00:10:30当時のラジオ放送
00:10:32人々はどのように受け止めていたと感じますか
00:10:35今のアナウンサーさんよりも
00:10:39ずっと感情を込めてしまっている
00:10:41場合によってはおたけび町という
00:10:44ほとんど甲高い声で怒鳴るようにして
00:10:47焚きつけるように放送することも
00:10:51普通に行われていたみたいで
00:10:53それぐらい何て言うんですかね
00:10:55国民を煽るという立場に
00:10:58放送があってしまった
00:11:01そのことは他にそういう大きなメディアがない
00:11:07新聞もありますけれども
00:11:08大きなメディアとしては
00:11:09放送はかなり人の心を掴んでいたんだろうな
00:11:14と思うだけに今思うと
00:11:17ちょっともっと別の形があったらよかったのにな
00:11:21って思ったりもします
00:11:23それしか信じれないってことですよね
00:11:27今はいろんな信じれることがたくさんあるけど
00:11:30その当時ラジオでしか新聞でしかっていう
00:11:37それはみんなそれを信じますよね
00:11:41だからみんなで撮影している時も
00:11:44一生懸命ラジオをかじりついて聞いているっていう
00:11:49これしかないんだ
00:11:52私は恐怖でした
00:11:55これしかないんだって思ったことに
00:12:00こうした当時の放送のあり方から
00:12:03私たちは何を学ばなければいけないと思いますか
00:12:07完全に権力の宣伝機関
00:12:13そのことに関して放送に携わっている人も
00:12:18新聞の記事を書いている人も
00:12:21特に自分を感じなかった
00:12:23メディアが自立していくというには
00:12:26その自立していくだけの精神や思想や
00:12:30心構えというのは必要ですね
00:12:32それにやっぱり欠けていたというのが
00:12:36メディア全体に言える反省点だと思いますね
00:12:39権力の下請け機関になるような
00:12:43メディアがそういう役割を果たすようなことにならないように
00:12:46監視をするというのは大事なことだと思いますね
00:12:50日本の放送が政府から自立し
00:12:55言論の自由を得たのは
00:12:57戦後放送法が制定されてからのことです
00:13:00戦後復興とともにテレビが普及し
00:13:04新たな時代を迎えることになります
00:13:06テレビはあの戦争とどう向き合ってきたのでしょうか
00:13:13街の隅々までNHK東京テレビジョンの開局を伝えて
00:13:18人民の目を奪いました
00:13:201953年テレビ放送開始
00:13:25日本はこの後高度経済成長の時代に突入していきます
00:13:33もはや戦後ではないとまで言われていた時代
00:13:41テレビは戦争の生々しい傷跡を伝えていきました
00:13:46この番組では戦地から帰ってこない夫を待つ家族の姿を伝えました
00:13:58陸軍上等兵広瀬武裕
00:14:10昭和20年満州の安山で消息を絶った
00:14:14妻の貞子さんは夫の竹博さんが出生した昭和18年以来
00:14:24毎朝欠かすことなく朝食を捧げてきた
00:14:28かつて夫が使っていたその茶碗にご飯を盛り
00:14:34写真に向かって様々なことを語りかけるという
00:14:38夫が生きていることを信じ
00:14:43父の帰りを待つことに
00:14:45この母とこのすべてがかけられていたに違いない
00:14:49長年行政の担当者が
00:14:56広瀬上等兵の消息を調査しましたが
00:14:59足取りはつかめませんでした
00:15:02この日担当者が貞子さんに
00:15:07戸籍上死亡したことにする
00:15:09戦時死亡宣告に同意するかどうか尋ねました
00:15:13家庭裁判所に戦時死亡宣告を申し立てするわけです
00:15:21それで裁判が確定しますと
00:15:24援護法それから恩急法
00:15:27また戦没者の妻に対する特別給付金
00:15:33こういうものが支給されるようになるんですけども
00:15:36申し訳ないですけども
00:15:40自分の心の生産が取れないもので
00:15:43その書類を持ってしまうと
00:15:46大事な大事な宝が
00:15:48もうこれで私の手から取られてしまうのかと思うと
00:15:52全然書けなくなっちゃって
00:15:54字も何も見えなくなってしまうんです
00:15:56でもこんなに夫婦というものは
00:16:01愛情が深くなっていってしまうんでしょうかね
00:16:04結婚生活なんて本当に短いんですけども
00:16:08おかしいでしょうね
00:16:10私みたいな意地を張っている人間が
00:16:14今でも帰りそうな気がして
00:16:17なんだかヨレヨレの軍服着て
00:16:20転め込むような気がするんです
00:16:23それで提出できないんです私は
00:16:26ただ本当に
00:16:28子供と3人1日でいいから暮らしたいんです
00:16:33それだけなんです
00:16:33未機関車の調査は
00:16:43たとえ暗礁に乗り上げようと
00:16:45壁に突き当たろうと
00:16:46留守家族の納得が行くまで
00:16:49続けられなければならない
00:16:50国の名において行われた戦争と
00:16:54その犠牲者に対しての
00:16:57それは当然の償いだからである
00:17:00その犠牲者に対しての
00:17:03その犠牲者に対しての
00:17:05その犠牲者に対しての
00:17:06その犠牲者に対しての
00:17:08その犠牲者に対しての
00:17:10その犠牲者に対しての
00:17:11夜の軍服着て
00:17:13転め込むような気がするんです
00:17:15それでいいです
00:17:17もうヨレヨレでも何秒決める
00:17:20一目みたいんです
00:17:22それだけなんです
00:17:23それで手を押すべきなんです
00:17:25ただ本当に子供と3人
00:17:31一律で日々から暮らしたいんです
00:17:34それだけなんです
00:17:36どんな格好しててもね
00:17:51帰ってくると信じてるから
00:17:55それだけですよ
00:17:58だから決して意地を張ってる
00:18:04ということじゃないと思う
00:18:07お金の問題でもないって
00:18:09母は言ってましたからね今ね
00:18:11そりゃそうだと思いますよ
00:18:13決して楽な生活じゃなかったですからね
00:18:24番組の放送から2年後
00:18:27貞子さんは夫の戦時死亡宣告を受け入れました
00:18:33そして小さな箱だけが手渡されました
00:18:38遺物なんかないですからね
00:18:42白い箱でしたけど
00:18:44たぶんね
00:18:46コロコロ音がしたから
00:18:49なんかそういう
00:18:51石かなんかじゃないですかね
00:18:54開けては見てないですけどもね
00:18:57こんな小さい箱ですよ
00:18:59おそますだなと思いましたね
00:19:04もう少しはっきりしたね
00:19:06死亡したという
00:19:08確認っていうかね
00:19:10確証があるもんでしたらいいんですけどね
00:19:15例えば
00:19:16いはずだとかね
00:19:18なんかそういうものがあって
00:19:20これはそうだよって言うなら
00:19:22まだ少しは
00:19:24救われたのかなと思って
00:19:26大阪で開催された万国博覧会で幕を開けた
00:19:391970年代
00:19:43日本は経済大国となり
00:19:45戦争の傷跡は見えにくくなっていきました
00:19:50一方、世界では核兵器の数がますます増加
00:20:03広島、長崎の被爆者たちは危機感を強めていました
00:20:14そんな中で大きな反響を呼んだ番組がありました
00:20:19被爆者が描いた原爆の惨状を元にした
00:20:36ドキュメンタリー番組です
00:20:38中央に座っている子供が私です
00:20:45全身やけどの母と弟を見守っていましたが
00:20:53弟は正午ごろ
00:20:55私の目の前で息を引き取りました
00:20:59私は異様なものを見てはっとした
00:21:09近づいてみると赤ちゃんをしっかり両手に抱いた
00:21:14女性らしき真っ黒焦げの走る姿の立ったままの死体
00:21:20この人は一体誰だったのか
00:21:23この人は一体誰だったのか
00:21:26この橋の田本やね
00:21:33実はこの番組のきっかけとなったのは
00:21:40一人の被爆者がNHKに届けた一枚の絵でした
00:21:59原爆10日当日の夕方に目にした光景です
00:22:12橋の下に
00:22:15焼けトタンが動くんですね
00:22:18あれを思ってよく見ますと
00:22:20やけどした娘さんが
00:22:22トタン被ってるんです
00:22:24荒くずの上で裸で軽げとるんですけど
00:22:28背中が痛かったと思うんです
00:22:35小林さんから直接絵を受け取ったのが
00:22:38当時ディレクターだった原田豊彦さんです
00:22:45未だにまぶたに焼き付いて離れないとおっしゃる
00:22:49それでこの絵の説明を聞いてもすごい詳細で
00:22:54昨日のことのように覚えていらっしゃるんですよね
00:22:58それはやっぱりすごいなと思いました
00:23:00どの一枚も簡単に描いたものじゃないんですよね
00:23:05やっぱり描き残したいっていう強い思いがあった一方で
00:23:10一番辛い悲しい思い出を思い出さなきゃいけない
00:23:18向き合わなきゃいけないっていうその葛藤がね
00:23:21すごく終わりになったと思います
00:23:23これだけの思いの満ちたこもったものをね
00:23:28扱ったっていうのがいい加減にはほんとできないっていうね
00:23:33ちゃんと作者の思い通りに世の中にお伝えしなきゃっていう気持ちにはなりましたね
00:23:45この当時NHKには2200枚の絵が集まり
00:23:53全国各地で展示会も開催されました
00:23:57家の下敷きになっている妹、お母ちゃんって呼んだ
00:24:04訪れた人は合わせて22万人以上
00:24:12原爆の惨状を絵で伝える試みは
00:24:16放送をきっかけに大きく広がっていったのです
00:24:23市民の手で原爆の絵をという映像の中でご紹介した絵は
00:24:28片渕さんもたくさんご覧になったということですけれども
00:24:31あれだけの数がそろってみると
00:24:34何が起こったのかがかなり分かってきてしまう
00:24:39本当にそこにあったのは
00:24:41本来人間が持っている尊厳というものが
00:24:44全部吹き飛ばされてしまった
00:24:46奪い取られてしまった
00:24:48剥ぎ取られてしまったっていうそういう姿ばっかりで
00:24:51それは本当に例えば映画とかそういうもので
00:24:56表し得ないぐらい残酷なものなんですね
00:25:00生々しいものだったりするわけです
00:25:03ここに何かが起こった
00:25:05こんなようなことが起こったのは間違いないっていうふうに
00:25:08信じたら終えないそういうような気持ちをいただきました
00:25:15映像では夫の帰還を待ち続ける女性の切実な声も伝えていました
00:25:20小野さんはカーネーションで夫を戦亡で亡くした女性を演じられましたけれども
00:25:27どうご覧になりましたか
00:25:29うーん
00:25:31いやーそりゃ帰ってくると信じますよね
00:25:35信じたいですよね
00:25:37私の撮影の時はお骨が戻ってきて
00:25:41死んだんだ
00:25:44戦死したんだっていう気持ちが出てきましたけど
00:25:48あのお母さんと息子さんっていうのは
00:25:51物がない石かもしれないものに対して
00:25:55死んだのかもしれないっていうことで人生を送らなきゃいけないっていう
00:26:00なんかそう思うと私たちがそのお芝居の中で
00:26:07戦死された方の人たちの家族を演じるってことが
00:26:15なんか合ってるのかなって思っちゃうんですよね
00:26:19この感情で合ってたのかな
00:26:23ただ悲しいだけではない
00:26:26なんかこうこの怒りというものがもっと
00:26:33私たちが伝える側として出すには
00:26:36もっと必要だったんじゃないかなとか
00:26:39なんかすごくそれは感じました
00:26:43戦後っていう言葉が何をこう
00:26:46例えば日本のその
00:26:48まあ敗戦による上落からの
00:26:52復活を表すのかもしれないってこともありますけど
00:26:57戦争が何を残したのか
00:26:59まあ傷跡って言葉使われてましたけども
00:27:02その何を残したのかが続いている限り
00:27:07そうですね
00:27:08誰かの中にはまだ戦後が残っているってことなんだろうな
00:27:11というふうに思います
00:27:13天皇陛下におかせられましては
00:27:19本日吹上御所において奉仰をあらせられました
00:27:25昭和が終わり
00:27:27新たな時代を迎えた日本
00:27:321990年代に入るとバブル経済が崩壊し
00:27:37第二の敗戦とも言われる時代に突入しました
00:27:45日本の組織のあり方が問われる中で
00:27:48戦争の時代を新たな切り口で検証する番組が
00:27:52シリーズで放送されました
00:27:55いろんな意味で歴史の転機を迎えている日本なんですが
00:28:10その日本に今何が問われているんでしょうか
00:28:14今回私たちはその問題を
00:28:1750年前の太平洋戦争で日本が敗れた原因を
00:28:21現代の視点で改めて分析することによって
00:28:24考えてみることにしました
00:28:29第4週で取り上げたのは
00:28:32おびただしい犠牲が出たインパール作戦
00:28:36多くの反対がありながら強行された
00:28:39その意思決定の過程を検証しました
00:28:45作戦を発案したのは
00:28:47第15軍司令官 牟田口連夜中将である
00:28:51牟田口衆将は激しい気象と強気の作戦指導で知られた指揮官であった
00:28:58しかし当初15軍内部ではこの作戦に反対する意見が強かった
00:29:06特に尾端参謀長は
00:29:08食料や弾薬の補給が困難であると強く反対した
00:29:13尾端参謀長が第一にこの作戦構想を成り立たんと
00:29:22補給なき作戦というものは
00:29:25これは兵をああいう
00:29:28海海のジャングルの中に掘り込んで
00:29:31殺すようなもんだと
00:29:32しかし牟田口司令官は
00:29:36尾端参謀長の意見を消極的だと知りづけ
00:29:39参謀長就任わずか1月間で更迭してしまった
00:29:44これによって15軍内部で
00:29:46作戦に反対する者は
00:29:48次第に口をつぐむようになる
00:29:54昭和19年1月4日
00:29:56インパール作戦の計画案は大本営に提出された
00:30:03大本営の議論では
00:30:05作戦部長に就任していた真田少将が
00:30:08再度慎重論を述べた
00:30:11自動車も飛行機もない状態では
00:30:13絶対に反対である
00:30:15この時、参謀総長の杉山玄水が
00:30:19別室に真田を呼んで作戦認可をこう促した
00:30:22寺内さんのたっての希望だから
00:30:27何とかやらしてやってくれ
00:30:32その結果
00:30:34多くの参謀が懸念した通り
00:30:36補給は困難に陥り
00:30:383万の将兵が
00:30:40戦闘や上などでなくなっていきました
00:30:48企画を立ち上げたのは
00:30:50昭和史に関する番組を数多く手掛けてきた
00:30:54中田誠一さんです
00:31:00日本は
00:31:02バブルの最高潮に達した時に
00:31:07戦後のバブル経済ははじけたわけですね
00:31:10そこで何が来たかというと
00:31:12銀行、証券会社
00:31:17こういうのが潰れてね
00:31:19それで結局
00:31:22社員は路頭に迷うような状況になりつつあった
00:31:27これは戦争の時の構造と一緒だなという感じがしましたね
00:31:32過去の歴史には何が間違っているか
00:31:37繰り返さないように
00:31:39一つ一つ念をしていくことが必要でしょうね
00:31:431990年代
00:31:47アジア各地で経済発展や民主化が進む中
00:31:51日本に対し
00:31:53戦後保障を求める声が高まりました
00:31:55日本に対し
00:31:57戦後保障を求める声が高まりました
00:32:02韓国犠牲者全員の苦痛を
00:32:05記録してよ!
00:32:07記録してよ!
00:32:09記録してよ!
00:32:15インドネシアでは兵法と呼ばれた
00:32:17日本軍の補助兵士とその遺族3万4千人が
00:32:21戦争中に転引された貯金の返還などを
00:32:23日本政府に求めています
00:32:26インドネシアでは4万人から5万人の人たちが
00:32:29兵法になったと言われています
00:32:31兵法はシンガポールやミャンマーの前線にも派遣され
00:32:35日本軍と共に戦いました
00:32:36国と共に戦いました
00:32:37国はインドネシアでは
00:32:41日本にはおかげで
00:32:43東京に戦いました
00:32:45それが日本の国は
00:32:47国に戦いました
00:32:49戦してもらいました
00:32:53去年12月、3人の元慰安婦が東京で初めて訴訟を起こし、この問題が公のものとなりました。
00:33:07韓国政府は先月、日本の資料と元慰安婦の証言をもとに、中間報告を発表しましたが、動員は朝鮮総督府による強制的なものだったと、日本政府の主張に真っ向から反論しています。
00:33:23現在、日本政府は国の関与を認めてはいますが、動員にあたって強制を裏付ける資料は見つからなかったという立場を取っています。
00:33:44その後、日韓両政府は慰安婦問題の最終的な解決で合意。
00:33:56これに基づいて設立された財団に、日本は10億円を拒否し、一部の元慰安婦や遺族に支援金が支給されました。
00:34:05しかし、その後、韓国政府は真の問題解決にならないとして財団を解散すると表明。
00:34:17日本政府は引き続き合意の実施を求めています。
00:34:2290年代には、日本の組織の問題を問う番組ですとか、アジアの人々からの訴えに耳を傾ける番組も作られました。
00:34:37古い世代は、我々はアメリカに負けたけどアジアの国に負けてないなんていうことを言うんですよ。
00:34:43そういうようなことで、アジアに対する目が全く向いてなかったのを、やっと次の世代が目を向けて、いろんな問題を提起するようになったと思います。
00:34:58アジアに対して、我々の国がなしたことに対して、きちんと総括していないと。
00:35:07それをやはりやらなきゃいけないんじゃないかというような話をよく議論していましたね。
00:35:11本来はこれはきっかけでなければいけなかったんじゃないかなと思うんですね。
00:35:16ここで一つの番組を作った。
00:35:18ある視点から見ると、こういうような結果が見えた。
00:35:22それを次々と繰り返して検証し続けることが、本当は必要なような気がして。
00:35:28そうした時に、他の視点から見るともっと違うものが見えてくるかもしれない。
00:35:36この題材というのは、何年かおきに繰り返すべきだったんではないかなと思うんです。
00:35:412000年代に入り、戦争体験者がますます少なくなる中で、新たな伝え方が模索されていきます。
00:35:56この番組では、テープや資料に残された証言から、沖縄戦の実装に迫りました。
00:36:06ヨミタンソンは戦争体験を掘り起こし、去年、孫氏戦時記録としてまとめました。
00:36:202500人の証言を集め、当時の全ての村民の足取りを追いました。
00:36:32お父さん、お母さんも一発にやられて、この子だけ確かにどっかに崩れてからに生き残ったんでしょうね。
00:36:48助けてくれ、助けてくれ、とても掴むわけよ。
00:36:54誰も助けることもできないでしょ。
00:36:58残酷だね、戦争とは。
00:37:02千葉なかまどさん、86歳。
00:37:1460年前、沖縄戦の最中に起きた集団自決で、5歳の長男を亡くしました。
00:37:23話したくないわ、これ。思い出したくないから。あんまり話さない。
00:37:30カマドさんは、誰かが話さなくては真実が埋もれてしまうという、賢明な説得に応じて証言しました。
00:37:494月1日、上陸から30分で、チビチリガマはアメリカ軍に発見されました。
00:37:57逃げ場を失った人たちが考えたのは、自決でした。
00:38:05敵に捕まることを恐れた18歳の娘が、まず声を上げました。
00:38:11もう敵にやられるよりか、もうお母さんの手で殺してくれ、殺してくれ、して、もうひざまずいっても願ったもんだから、じゃあやろうよ、お母さん。
00:38:25もう血をもうすーっと見たんだから、うちの仲間が出てくるときは、みんな血だね。
00:38:31千葉なカマドさんは、孫子には証言しましたが、家族に集団自決の話をしたことはありません。
00:38:43周囲で、次々自決していく親子を目の当たりにして、どう思ったのか。
00:38:51カマドさんの答えは、意外なものでした。
00:38:59羨ましかったよ。そんな早くも死なれる人よ。
00:39:06そうなんだろう。
00:39:08鴨さんは、子供のために生きようとは思わなかったの。
00:39:10うん。これまでは考えられなかったな。
00:39:13うん。そうなんだ。
00:39:15それはもう考えられなかった。
00:39:25死の死のしか考えられないな。
00:39:2860年と言ってもね。
00:39:35今頃だって、昨日も一つしか考えられない。
00:39:39本当に。この辛さは。
00:39:42最後のおばあちゃんと言っても、
00:40:12あるんだと思うんですけどね
00:40:15でもさっきおっしゃられたように
00:40:17語りたくないっていうのが
00:40:21本当なんだろうなとは思います
00:40:27今のいろんな国を見ていてもそうですけど
00:40:30それは語りたくないですよね
00:40:33あんな悲惨なことは
00:40:36私たちはそういったような
00:40:42苦しさみたいなのを味わいながら
00:40:47戦争体験を継承していくっていうことを
00:40:51やらなきゃいけないけど
00:40:52それをやるためには
00:40:56自分がやっぱりその時代のことについてですね
00:41:01傍観者でなくて
00:41:04深刻に中にいた
00:41:07中に自分がいたらどうだったんだろうって
00:41:09考えながら取材するという姿勢がないと
00:41:13とてもじゃないけど
00:41:14やっぱり戦争体験を聞くっていうことは
00:41:17できないんですね
00:41:18小野さんは今沖縄にお住まいですけれども
00:41:24沖縄に住んでるからといって
00:41:28戦争体験を聞くわけでもなく
00:41:32それこそ時代ですよね
00:41:37もう体験をされた方が近くにいなかったりとか
00:41:42やっぱり戦時中の話とかは
00:41:44おじいおばあから聞くことって
00:41:48本当に少なくなってしまったから
00:41:52私が行くタイミングが遅かったですね
00:41:55そして今夜のゲスト
00:42:02小野町子さんが主演したのが
00:42:05連続テレビ小説
00:42:06カーネーション
00:42:08戦時下を生きる女性の心情をリアルに描き
00:42:13共感を得ました
00:42:14ごめんください
00:42:24ごめんください
00:42:25どういうことですか
00:42:34そのカッコは
00:42:35なんでモンペやないんですか
00:42:39この声を呼んで
00:42:43まだ悠長に着物や
00:42:44不謹慎と言わざるを得ません
00:42:47そんなことでは
00:42:48十五の守りは勤まりませんよ
00:42:51うちは洋装店やろ
00:42:57洋装店には洋装店の維持っちゅうもんがあるやろ
00:43:00戦争やからって
00:43:02なんでこんなボスさいくな
00:43:03もうはかなあかんねえ
00:43:05そもそもな
00:43:06モンペっちゅう名前が気にしちゃう
00:43:07中邸
00:43:07散々もんこ言うてたうちでしたが
00:43:10あんたらも
00:43:11いっぺんにモンペが気に入りました
00:43:23これは楽や
00:43:24ちょっと見ちゃってこれ
00:43:27いや
00:43:27うちの秘めたる
00:43:29おしゃれ魂や
00:43:31勉強なるわ
00:43:33お前やな
00:43:36戦争やから言うて
00:43:39意識してたらあかんな
00:43:40戦争中は戦争中の
00:43:42おしゃれ魂にしちゃうんだな
00:43:44うるせやでおはらさん
00:43:45あんたが頑張らな
00:43:46お前や
00:43:47うん
00:43:48しかし
00:43:53出生した夫は戦死
00:43:58戦況の悪化とともに
00:44:01近しい人の命も
00:44:03次々と失われていきます
00:44:05太郎が
00:44:28太蔵兄ちゃんの戦死候補を
00:44:31持ってきた時も
00:44:32なんでか知らん
00:44:34涙も出んのでした
00:44:36気持ちっちゅうもんが
00:44:42どっか行ってしもたようで
00:44:44けど
00:44:46これはこれで楽や
00:44:48悲しいじゅんはつらいし
00:44:52つらいはしんどい
00:44:59戦争と
00:45:01全国の戦争とに鑑み
00:45:04そして
00:45:07終戦の日を迎えます
00:45:10なんて言ってんの
00:45:15分からへん
00:45:17負けたんや
00:45:20負けたんやで日本が
00:45:24負けたんやで日本が
00:45:26負けてもたんや
00:45:29誰かは
00:45:30誰かは
00:45:45ご視聴ね
00:45:46さあ
00:46:16野さんカーネーションでどんなことを感じながら演じていらっしゃいましたか
00:46:35戦争とかっていうのは小原いとこにとってはとてもしょうもないもんだったっていうか
00:46:49言葉が悪いんですけどね
00:46:51なんか悔しいつらいそんなの全部通り越してしまって
00:47:01あれだけこうがむしゃらに生きたり楽しく生きていたのに
00:47:08大切なものを一気に奪われて
00:47:12言葉一つで終わったって告げられて
00:47:17なんかその最後の畳の部屋で
00:47:22さあお昼にしよけっていうのも
00:47:26ああしょうもなってなんか
00:47:29私の人生返せみたいな
00:47:32なんかこうそんな感覚で
00:47:38あのセリフを最後言ったのを覚えてますね
00:47:41このカーネーション
00:47:46視聴者の共感を呼ぶ登場人物たちの
00:47:49さまざまなセリフがありましたけれども
00:47:52どのように紡ぎ出されたのか
00:47:54作者の渡辺彩さんに伺いました
00:47:56主人公のいとこは
00:47:59戦時中私と同じ幼い子供を持つ主婦でもあったので
00:48:04なるべく私自身の感覚から離れないことを心がけました
00:48:08主婦とその生活圏に視点を徹することで
00:48:12戦争というものに巻き込まれたときに
00:48:15暮らしがどう変わり
00:48:17人の気持ちや態度がどう変わり
00:48:19どんな嫌なものを見るのか
00:48:21どんな悲しいことが起こるのかということが
00:48:25より鮮明にリアリティを持って
00:48:28描けるのではないかと思ったのです
00:48:30ということでしたけれども
00:48:34我々はね
00:48:36もう本当に戦争を知らない
00:48:39そういう時期に生まれた
00:48:41育ったものですから
00:48:42戦争のことを理解しようと思うと
00:48:45そういうところから入っていく
00:48:47多分日常から入って
00:48:50その日常の中で
00:48:52渡辺哉さんもお子さんがいらっしゃる
00:48:54という中で書かれた
00:48:55同じように子供大事なんだ
00:48:58自分の命と子供の命と
00:49:00そういうところから入っていって
00:49:02戦争というものが
00:49:04自分とどれくらいの近さなのかということを
00:49:08改めて知る必要があるような気がするんですね
00:49:11それをやってみると
00:49:13今度は戦争が何を失ったのかということも
00:49:16自分たちの中に改めてはっきり分かってくるような気がします
00:49:20そして今
00:49:24長年戦争について伝えてきたNHKは
00:49:28新たな試みを始めています
00:49:31日が回ってきたぞ
00:49:35戦争体験者の記録や証言をもとに制作した
00:49:42バーチャルリアリティ
00:49:43VRです
00:49:45大きい場所じゃないか
00:49:47いつだ
00:49:47こちらは被爆後の広島を映像化したVR
00:49:54助かった
00:49:56VRはまるでその場所にいるかのように
00:50:01360度どこを見ても映像が広がっています
00:50:06他社の体験を自分の体験のように感じられることが特徴です
00:50:12イベントや施設などでの公開を目指して制作しました
00:50:19VRで伝えるのは
00:50:2612歳の時に被爆した
00:50:29児玉光雄さんの体験です
00:50:31児玉さんは爆心地から850メートルほどの中学校で被爆
00:50:41数多くの同級生を失いました
00:50:452020年に亡くなる直前まで証言活動を続けました
00:51:01私だけが本当に生き残ってすまんのと
00:51:05まずそういう気持ちだね
00:51:08児玉さんは様々な形で自らの体験を伝えようとしていました
00:51:16手記には爆風で崩れた校舎の下敷きになった同級生たちの
00:51:25怪我の詳細や
00:51:26発せられた言葉が国名に記されています
00:51:31美術を学ぶ高校生と一緒に
00:51:41体験を絵として残す活動にも参加しました
00:51:45体の汚れや瓦礫の様子など
00:51:51細かい点まで伝え残そうとしていました
00:51:54児玉さんの証言に基づいて
00:52:01描かれたプールサイドの惨劇
00:52:04被爆体験を語る中で
00:52:07児玉さんが必ず触れていた場面です
00:52:10全く無残な姿でやけどした状態で
00:52:19友は真っ赤に焼けた体を癒すように
00:52:23このプールに入って
00:52:25多くのものが中には浮いておるものをおりました
00:52:29VRでは児玉さんがプールで見た
00:52:39同級生たちの姿を伝えることを試みました
00:52:43映画制作などの特殊メイクの専門家たちと
00:52:51火傷の専門医の協力を得ました
00:52:55その姿を特殊なカメラで撮影し
00:53:10CGと合成しました
00:53:111945年8月6日
00:53:26当日1年生は307名が投稿していました
00:53:34児玉さんの肉声で進行していくVR
00:53:39原爆が投下される前
00:53:42楽しく過ごしていた教室から始まります
00:53:46少年クラブ
00:53:50少年クラブは私を見ようと思って
00:53:58本に手をかけたその瞬間です
00:54:02外はもう真っ暗で
00:54:15何にも見えません
00:54:17児玉さんの目に焼き付いた
00:54:26プールの場面です
00:54:28ユーザラッ
00:54:38なれじゃん
00:54:45やがて学校にも火の手が
00:55:00死を覚悟し君の声を歌う同級生たち
00:55:11児玉さんは288人の同級生を失いました
00:55:18みんなー絵が回ってきたぞ
00:55:41私の顔はどうなっている
00:56:00私の顔はどうなっている
00:56:30何とも言葉になりませんね
00:56:49悔しかったでしょうね
00:57:01そこにいる仲間を助けれないとかね
00:57:10あの一瞬でね
00:57:13でもこれが
00:57:19たぶん現実よりも
00:57:25まだ
00:57:27なんて言うんでしょう
00:57:30まだ柔らかく作られているというか
00:57:32もっと
00:57:33当時
00:57:35現実は
00:57:37悲惨
00:57:39だったってこと
00:57:41そうですよね
00:57:48若い世代は被爆体験を伝えるVRをどう受け止めるのか
00:57:56東京にある私立の男子高校で希望する生徒にVRを視聴してもらいました
00:58:06集まった37人の生徒はこれまで広島の原爆についてほとんど学んだことがありません
00:58:16大成お願いします
00:58:18大成お願いします
00:58:19大成お願いします
00:58:20うーわ
00:58:21おう
00:58:23おう
00:58:25おう
00:58:55おう
00:58:56おう
00:58:57おう
00:58:58おう
00:58:59おう
00:59:00おう
00:59:01おう
00:59:02おう
00:59:03おう
00:59:04おう
00:59:05おう
00:59:06おう
00:59:07おう
00:59:08おう
00:59:09これがまだ
00:59:10その
00:59:11バーチャルだったので
00:59:13自分はなんとかなったんですけど
00:59:16多分
00:59:17現実だと思って
00:59:20もうちょっと多分
00:59:22自分は耐えられないですね
00:59:24ちょっと生きどおりを感じるところもありますね
00:59:32なんでこんな子どもたちが数万人も
00:59:41こうやって亡くならなければならなかった
00:59:49感想や疑問を語り合う中でこんな声が上がりました
00:59:54GWは広島行っていろいろ調べて決まりや
01:00:08今回のVRの中だと中学校の1個しか
01:00:161箇所しか見れなかったので
01:00:18全体的にどういう怪我があったのか
01:00:19詳しく調べたい
01:00:21だから100分は1件にしかってことがあるように
01:00:24やっぱり実物を見なきゃいけない
01:00:26授業の後10人の高校生が自発的に広島を訪れました
01:00:49下のレンガの落ちてるのとかがリアルだね
01:00:56すごい
01:00:59原爆資料館で目にしたのは
01:01:05児玉さんと同世代の子どもたちの遺品でした
01:01:10原爆が落ちる直前まで
01:01:19この人たちは生きてたんだろうなって
01:01:23普段の暮らしをしていただろうに
01:01:26たった一発の爆弾が
01:01:29人の人生を狂わせてしまうっていうのが
01:01:32すごい怖く感じました
01:01:33VRで知った
01:01:39火傷をした人々の姿
01:01:41被爆直後に撮られた実際の写真を
01:01:47食い入るように見つめる生徒もいました
01:01:49今正直心を見てて心がこうキューってなって
01:02:04なんかちょっと何て言うんですかね
01:02:08覚悟が足んなかったとかなくらい
01:02:10ショック受けてるところもあって
01:02:13結構被爆って思ってた以上に
01:02:18火傷もしてしまうし
01:02:19でボロボロになって
01:02:21爆弾が起こった瞬間だけじゃなくて
01:02:24その後もすごい辛い思いをしてきたっていう
01:02:27方々がいっぱいいたので
01:02:29なんかはいちょっと辛い気持ちにはいました
01:02:33小玉さんが被爆したかつての中学校
01:02:42小玉さんの上級生で被爆体験を語る活動をしている人がいると聞いて
01:02:49会いに行きました
01:02:50サイキミキオさん93歳です
01:02:58どうぞ
01:03:02原爆で亡くなった先生と生徒を記念して祀ってあるわけですね
01:03:132020年に亡くなったのがその翼にある小玉光雄さん
01:03:22小玉さんと同じように多くの友人を亡くしたサイキさん
01:03:51どんな思いで伝えているのか尋ねました
01:03:551年生なんかで全滅でしょ
01:04:02だからもう生きてるのが申し訳ないなというような気持ちが
01:04:08いまだにありますよ
01:04:10だから我々は裏返したら
01:04:14全世界に向けて原爆の実装というものを
01:04:19知らしめていかなければいけないんじゃないかと思うんです
01:04:22最後に生徒たちが訪ねたのは
01:04:30現代へのメッセージでした
01:04:33広島に爆弾が落ちて
01:04:40今の日本への教訓と
01:04:44あとウクライナとか中東
01:04:46それ以外では世界への教訓って何かありますか
01:04:50さっきも話したようにですね
01:04:53やはり無力に倒しちゃいけないし
01:04:56話し合いしかないんですよ
01:04:59今世界的に個人主義が
01:05:04満員しているんですけど
01:05:05自分さえ良ければいいんじゃない
01:05:07これは世の中に成り立っていかない
01:05:09歴史の事実をですね
01:05:12元に今度はどうしたらいいかということを
01:05:15皆さんで考えて
01:05:16将来に向けての
01:05:18糧としていただきたいと思うわけですね
01:05:21VRを見た時は
01:05:33めちゃくちゃすごくて感動してて
01:05:34ちょっと
01:05:35広島のことをいっぱい学べるんじゃないかと思ったんですけど
01:05:38体験しないと感じれないものもあるし
01:05:42実際に被爆した方の話を聞かないと
01:05:45分からないこともいっぱいあったし
01:05:47本当に広島に来れて良かったなって思いました
01:05:50実際に被爆してしまった方の
01:05:55そういう気持ち的なものとか
01:05:57現場ぐらい亡くなってしまった方の
01:06:00思いっていうのはやっぱり
01:06:01なんかつなげていく
01:06:02調べれば調べるほど
01:06:05分かれば分かるほど
01:06:07なんか疑問が増えていったし
01:06:09なんかもっと知りたいっていう気持ちが
01:06:11増えていました
01:06:12私も今見せていただいて
01:06:19見た直後ってすごく
01:06:23やはり心がすごく動きました
01:06:26これがきっかけとなって
01:06:29さっき高校生たちが言ってたように
01:06:33もっと知りたい
01:06:35もっと
01:06:36もっとこの本当のことを知りたい
01:06:39そうやって思ってくれることが
01:06:42これの
01:06:43ある意味なのかなとは思います
01:06:47このVRを保坂さんと
01:06:50片渕さんにも事前にご覧いただきました
01:06:52私たちが歴史を語り継ぐという時に
01:06:58活字や写真や映画や
01:07:00いろんなのがあると思いますけども
01:07:03こういう方法が
01:07:04これからの新しい
01:07:06次の世代へのメディアになるんだと
01:07:09いうふうな感じがして
01:07:11私は活字の人間ですけども
01:07:14やはり強い衝撃を受けました
01:07:17ちょっと水をさすようになってしまうんですけども
01:07:24ものすごく臨場感ありましたね
01:07:26実際には児玉さんは1年生のクラスで
01:07:31まだ12歳
01:07:33声変わりもしないような
01:07:36背の低い子どもたちだったんですよ
01:07:39実際に広島で起こったことと
01:07:41ちょっと違うかもしれない
01:07:42ということになるわけですね
01:07:44でもそれがかなり大きな
01:07:48白心に迫るような力を持った
01:07:52臨場感として演出されている
01:07:55これはどうなのかなという
01:07:59ちょっと疑問を提さざるを得ないわけです
01:08:02逆に言うならば
01:08:05全く虚偽のものをこのような形で
01:08:07作ることもできて
01:08:08それに臨場感を与えることもできるわけですね
01:08:11やはり複数の資料
01:08:14それからいろんなデータを客観的に
01:08:17整合しながら作るという姿勢がなければ
01:08:21これだけを一人歩きするというようなことが
01:08:24危険性だけは常に
01:08:27注視してなきゃいけないなという感じがしますね
01:08:30今の高校生が疑問ができた
01:08:35という言い方をしていたのは
01:08:37すごく良かったなと思うんです
01:08:40どんどん疑問を深めていくことは
01:08:42それは大事なことじゃないかなと思います
01:08:47今日は過去の番組を振り返りながら
01:08:51戦争をどう伝えていくのか考えてきました
01:08:55小野さんどんなことを感じられましたか
01:08:57私も役者として
01:09:03今まで伝えてきたつもりではいましたけど
01:09:08やっぱりまだまだこれではいけないなということを
01:09:14本当に感じました
01:09:15なんかこうやって聞いた話
01:09:18学んだことを
01:09:20それを今度は芝居として生かしていけるように
01:09:25もっともっと
01:09:26今は沖縄に住んでいますが
01:09:29その地のことをちゃんと学んでいけたら
01:09:34いいなって思いました
01:09:36それぞれの世代がそれぞれの時代に
01:09:41それぞれの教訓を作っていけばいい
01:09:44しかしそこに通じているのは
01:09:46戦争は愚かなことであり
01:09:48この国は二度と繰り返さないんだというような
01:09:52それが柱であるというようなことが
01:09:55一番大きな骨格になっているというのが
01:09:58理想じゃないかなというふうに思いますね
01:10:01放送は100年のうちの80年が戦後だった
01:10:05あるいは戦争中に起こったことの検証を繰り返してきたんだと思うんですよ
01:10:12もしそれでも関心を招かなかったんだとするならば
01:10:19それはそれで恐ろしいことのような気がするんですね
01:10:23我々はそうなると本当に無力かもしれないと思います
01:10:28無力であっても必要なのは
01:10:30続けることなのかもしれないなと思います
01:10:32VRをきっかけに
01:10:42広島の原爆について学んだ高校生たち
01:10:46同級生たちと議論を深めていました
01:10:52地産というのは伝わるには伝わるんだろうけど
01:11:01それだけで本当に核兵器とか戦争というのは
01:11:05なくなるとは全然思ってないんで
01:11:08そこにどうつなげていくか
01:11:11ずっと考えて悩み続けることが一番
01:11:16平和のために自分たちができることなんじゃないかなって
01:11:20俺は思いました
01:11:21放送開始から100年
01:11:29そして戦後80年
01:11:33私たちは放送の在り方を自らに問いかけながら
01:11:41これからも戦争の記憶を伝え続けていきます
01:11:51ご視聴ありがとうございました
01:11:59ご視聴ありがとうございました
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