00:13もう15年近くも前のことになる。あの頃の私は日々の暮らしを回すことだけで精一杯だった。不況の煽りを受け、朝から晩まで泥にまみれて働き、心に余裕なんてこれっぽっちも持ち合わせていなかった。
00:38ある日、小学校に通う息子が一枚のプリントを差し出してきた。校外学習で風景画を描きに行くから、各自で画板を用意するようにという通知だった。今の親なら、すぐに文句も言わず文房具屋へ走るのだろう。だが、当時の私にはそのわずか1500円程度の画板台を苦面することさえ、ひどく億劫に感じられた。頭の中は明日の支払いと削り取られるような疲労感で埋め尽くされていたのだ。
01:08画板なんて、板がありゃいいんだよ。私は物置の隅に転がっていた、使い古しのベニヤ板を思い出した。雨風にさらされて端が少しめくれ、薄汚れたその板を、息子のリュックに入るサイズに適当にノコギリで切り落とした。ほら、これを持っていけ。丈夫なのが一番だ。切り口のささくれもろくに取らず、私は乱暴にその板を息子に手渡した。息子は少しだけ戸惑ったような顔をしたが、私の疲れ切った顔を見て、小さくうなずきながら、それを大地層に抱えた。
01:26それからずいぶんと月日が流れ、息子も成人してある夜のことだ。当時の近所の親仲間と酒を飲む機会があった。酒も回り、昔話に花が咲いた頃、一人が笑いながらこんなことを言い出した。そういえばさ、昔のスケッチ大会の時、変なベニヤ板を持ってきてた子がいたらしいぞ。
01:41周りの連中に、あいつの家、貧乏なんだなって林立てられて、みんなでバカにしたっていう、あんなの1500円も出せばちゃんとしたのが買えるのにな。心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。それが誰のことか、私にはすぐに分かった。
02:05あの時、私が適当に切り刻んで渡した、あの薄汚れたベニヤ板だ。あいつは、あんな不恰好な板を抱えて、同級生の真ん中に立っていたのか。どんなに恥ずかしかっただろう。どんなに惨めな思いをしただろう。私はグラスを持ったまま、顔を上げることができなかった。いたたまれなくなって、トイレに行くと嘘をついて、逃げるようにその場を離れた。夜風に当たりながら、私は思い出した。
02:32あのスケッチ大会の後も、何度か絵を描く授業はあったはずだ。けれど、息子は一度だって新しいのが欲しいとは言わなかった。それどころか、次の時も、その次の時も、あいつは何も言わずに、あのささくれたベニヤ板をリュックに差し込んで、学校へ行ってくれていたのだ。お父さん、行ってきます。そう言って笑う息子の背中に、私はどれだけの重荷を背負わせていたのだろう。あいつは、私の不甲斐なさを全部わかっていたんだ。
03:01お金がないことも、父親が余裕をなくしていることも、全部。だから、自分のプライドよりも、父親の顔を立てることを選んでくれた。あいつなりに、精一杯、私に気を使ってくれていたんだ。情けなくて、申し訳なくて、夜道で一人、声を上げて泣いた。15年経って予約気づいた。幼い息子の優しさが、胸を締め付けてやまなかった。今、私の息子には、もうすぐ子供が生まれる。あいつが父親になったら、私は決めているんだ。
03:07あの日、あいつにさせてしまった思いの分まで、孫のことは私が全力で可愛がってやるってね。