00:03夜行列車の窓の外は深い闇に包まれていた。
00:08ガタン、ゴトンと規則正しく刻まれるリズムが、眠りにつけない乗客たちの吐息を飲み込んでいく。
00:14その夜、私の前に現れた老人は、まるで大地そのものを背負っているかのようだった。
00:21大きな風呂敷包みを宝物のように抱えたその体からは、湿った土と、青い臭い切れの匂いがふわりと立ち上った。
00:27日に焼けた顔の深い死は、不しくれだった指先。 一目で、長い歳月を田畑と共に生きてきた人だと分かった。
00:37あの、これ、ここでよろしいんでしょうか。老人は私に切符を見せながら、何度も、何度も深々と頭を下げた。
00:46指定された寝台は、通路を挟んだ下の段だった。彼は周りに細心の注意を払いながら、そっと腰を下ろした。 吐き慣れた直旅を脱ぎ、寝台の下に来たりと揃える。
01:01そのつつましやかな所作の一つ一つに、彼の歩んできた誠実な人生がにじみ出ていた。検察の際、老人は聞きもしないのに、ぽつりぽつりと身の上を話してくれた。都会へ出た息子に、初めての孫が生まれたこと。
01:09その顔を、一目見に行くんだ。そう語る老人の目は、少年のように輝いていた。 風呂敷の中身は、自分の畑で丹精込めて育てた野菜だという。
01:23孫に、土のついた本物のうまいもんを、食わせてやりたくてな。 くしゃりと顔を崩して笑うその表情には、何日も前から指折り数えて今日を待っていた喜びが溢れていた。数年前に先立った妻にも、この孫を見せたかったと。
01:31窓の外の闇を見つめる横顔は、少しだけ寂しげだったけれど、すぐにまた柔らかな笑みに戻った。
01:42しかし、その温かな空気は、一瞬で切り裂かれた。 老人の向かいの寝台には、みなりの立派な中年の女性が座っていた。上等なコートを羽織り、指には大きな宝石が光っている。
01:50彼女がまとう高価な香水の香りが、老人の運んできた土の匂いと、狭い通路で激しくぶつかり合った。
02:04女性は露骨に顔をしかめ、ハンカチで鼻を押さえた。 老人の営釈を無視し、まるで汚らわしいものを見るかのように目をそらす。消灯後、私が見回りをしていると、彼女の鋭い声が静寂を破った。ちょっと、車掌さん、席を変えてちょうだい。
02:07いかがなさいましたか?見ればわかるでしょう。 あんな泥だらけの人の隣で、一晩中眠れるわけがないじゃない。土臭くてたまらないわ。
02:17よくもまあ、こんな人を私の隣に座らせたものね。
02:43彼女の声は、深夜の車内に残酷なほどはっきりと響き渡った。向かいの寝台で、老人がその言葉をすべて聞いているのがわかった。彼は言い返すことなどせず、ただ膝の上の風呂敷包みをぎゅっと胸に抱き寄せた。申し訳なさそうに体を小さく縮め、自分がそこに存在すること自体を浴びているようだった。さっきまであんなに輝いていた老人の笑みが、完全に消えていた。私の胸の奥で、熱いものがこみ上げた。
03:07孫のために丹精込めた野菜を抱えるこの人の、一体どこにはビル理由があるというのか。悪いのは匂いではない。人を外見だけで切り捨てる。その心のはずだ。しかし、若かった私は、どう動くべきか判断できず、白髪の車掌庁に相談しに行った。彼は長年この夜行列車を見守ってきた。寡黙だが情に熱い人だった。事情を聞き終えた車掌庁は、静かに頷いた。
03:12わかった。あのご老人を、空いている個室の寝台へご案内しなさい。え
03:13?個室、あの一番上等な席ですか?あ、何かあれば私が責任を取る。ああいうお客様にこそ、一番いい席で休んでいただきたいじゃないか。車掌庁の穏やかな、しかし毅然とした眼差しに、私の迷いは消えた。
03:56私はあの車両へ戻った。女性は勝ち誇ったような顔で私を待っていた。だが、私は彼女を素通りし、老人の前で深々と頭を下げた。お客様、どうぞこちらへ。個室の寝台をご用意いたしました。隣の席があんな方では、さぞお休みになれないでしょう。車掌庁が特別に手配いたしました。あんな方という言葉が誰を指すか気づいた瞬間、女性の顔はみるみる赤くなった。彼女は何かを言いかけ、けれど言葉にならず、逃げるようにカーテンの奥へ消えた。
04:24周囲の寝台から、声にならない安堵の気配が漏れた。誰かが拍手の代わりに、毛布をポンと軽く叩いた。その音が、冷えた車内に暖かく響いた。いや、わしのようなものが、そんな、と恐縮する老人を促し、私は彼の重い風呂敷包みを抱えて先に歩いた。扉を開けると、老人は清潔な布団と枕元の小さな明かりを見て、目を潤ませた。こんなもったいない、生まれて初めてだ、こんな上等なところで寝るのは。
04:43震える声でそう言うと、老人は慌てて風呂敷を解き、中から真っ赤に売れたトマトを一つ取り出した。これ、わしの畑のだ。あんたにも、一つ食べて欲しいんだ。お孫さんへの大事なお土産でしょうと、私は断ろうとした。いや、あんたは、わしの恥を恥じゃなくしてくれた。
05:03その、まっすぐな言葉に、私は断ることが、できなかった。差し出された手は不しくれだって、土の匂いがして、とても温かかった。その夜、休憩室でかじったトマトの味を、私は一生忘れない。太陽の光と、土の豊かさと、誰かの一生分の慈しみが凝縮されたような、そんな味がした。
05:32あんなにうまいものを、後にも先にも食べたことはない。翌朝、終着駅のホームで、老人は何度も何度も頭を下げながら、人混みの中へ消えていった。その背中は、昨日よりもずっと晴れやかに見えた。きっと今頃、あの土の匂いのする手で、初孫を抱きしめているのだろう。あれから、40年が経った。私は、もう、列車を降りて随分になる。それでも、夏が来て、店先に赤いトマトが並ぶ旅、私は、あの夜を思い出す。
06:00人間の立派さは、決して同じではない。品格とは、来ているものではなく、その人の生き様や振る舞いにこそ宿る。あの夜、一番上等な席に、一番ふさわしかったのは、誰だったのか。そして、人にどう向き合うべきかを、私は、あの夜の車掌庁の背中から学んだ。見えるもので人を計らず、見えないものにこそ、敬意を払うこと。それが、40年、私が胸の奥で守り続けてきた、たった一つの誇りだ。
06:07ご視聴ありがとうございました。ご視聴ありがとうございました。
06:08ご視聴ありがとうございました。ご視聴ありがとうございました。
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