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00:00エジプト クフ王の大ピラミッド
00:072年前 世紀の大ニュースが世界を駆け巡りました
00:15建造以来4500年もの間
00:21誰にも気づかれなかったと考えられる空間が見つかったのです
00:30南米ペルー ナスカの地上絵でも大ニュース
00:35こうした地上絵を最新のAIに学習させてみると
00:43新たな絵をなんと500以上も発見
00:52大ニュースは日本でも 忍徳天皇陵としても知られる大仙古墳
00:58発掘禁止だった天皇陵の幻の出土品
01:07大仙古墳から出てきたの? そうです
01:09えー
01:10すごいことだよね
01:12科学の力で驚きの事実が
01:17今回は最先端の技術による調査に
01:24民家の蔵から偶然出てきたお宝など
01:28とくだね級の発見をこれでも加藤ご紹介
01:34最新の歴史ニュースを求めて日本中を大捜査しました
01:40所長聞こえるか?
01:42歴史上の大発見は会議室で起きてんじゃない
01:45現場で起きてんだ!
01:46急行します!
01:47カットしますここは
01:49歴史探偵調査開始です
01:53さあ所長今回は近年の歴史上の大きな発見
02:09歴史ニュースをまとめてドドンとお伝えしていきます
02:13早速いくつかありましたけれども気になったものなどありましたか?
02:16AIによるナスカの地上への探索とかですね
02:19最新の科学技術を使って歴史の謎を解明するっていうのはね
02:23実は我が探偵事務所でも常日頃行っていますけれども
02:26ということで今回そんな最新の歴史ニュースに迫ります
02:30調査したのは秋鹿探偵です
02:32よろしくお願いします
02:33こちらをご覧ください
02:35日本の最新歴史ニュース
02:37ここ3年の日本史の大発見や重要な発表を年表にまとめました
02:42いかがですか?
02:44じゃあこの3年かでこんだけの発見があるわけだね
02:50私はまあ鎌倉園13人出演していたっていうこともあるので
02:54源頼朝の屋敷付近で圧の寺院っていうのが気になりますね
02:59こちら2024年の発表です
03:02源頼朝の屋敷のすぐ近くでお寺らしきものの跡が見つかったんですね
03:09ただ文献などいろいろ見てみてもそんなところにお寺があったという記録が一切ないんです
03:15まさに謎の寺
03:17気になりますね
03:19私もよろしいですか江戸時代ですかね物資のためのレシピ本を発見これ気になります長野県の民家からですね江戸時代前期の巻物が見つかりまして将軍などをもてなすための料理の本いわゆるレシピ本だったんです
03:37鯉のお刺身ですとか鶏料理などなど巻物長さなんと7メートルにわたって描かれていたと
03:47どれも興味深いけれどもニュースが多すぎてこの中で何がより注目すべきかっていうのはちょっと私には判断できないな
03:55少々ご安心ください今回はですね古代戦国江戸それぞれの時代の研究者の方々にベスト3選んでいただいたんです
04:04さあどんなニュースが選ばれたんでしょうかまずは古代誌です
04:11古代誌の歴史ニュースベスト3を教えてくれるのは
04:17滝音義行さん句読などから古代を読み解く第一人者です
04:25第3位は
04:29奈良時代の大城祭にまつわる木管の発見です
04:36大城祭とは天皇が新たに即位した後に必ず行われる祭祀です
04:44平成から令和となり今の天皇陛下に行為が継承された際にも行われました
04:52大城祭が今から1300年前すでに行われていたことを示す証拠が去年平成今日跡から見つかりました
05:05すごいよね1300年前のことが
05:07これは木管じゃないですか
05:14なんか書いてそうですけど
05:16すごい
05:19綺麗な字
05:21いやほんとだね
05:22はっきり読みます
05:24木の板に文字を書いた木管
05:27大城祭に関するものの湿度は初めてでした
05:32調査を行った奈良文化財研究所を訪ねました
05:38先生今回の発掘品は何点ぐらいですかこれ
05:43今2600点以上確認しています
05:49本当にこれはきれいな木管でこんなに状態のいいものはあまり見たことはありません
05:55ここですねこの2文字大城ですね
06:01大城祭に使う文というんですね
06:05注目は大城祭で用意されたものについて記された木管
06:12押鮎と書かれていてこの3文字ですね
06:16あゆの押鮎 今の船寿司のようなそういった類ですね
06:22ああ本当だ
06:24大城祭では新米をはじめさまざまな食べ物が神に捧げられます
06:30それらを神と新しい天皇が一緒に食べ
06:35五穀豊穣や国家の安寧を祈るといいます
06:39さらにこの大城祭がどの天皇のためのものだったのかも判明しました
06:49神紀元年、西暦でいうと724年の年が書かれています。この年は聖武天皇が即位した年でして聖武天皇は仏教を厚く信奉し、仏教の力で国を救おうとしました。こうしてできた東大寺や大仏は今も奈良のシンボルです。
07:18記録では存在が知られていた大城祭。実際にどう行われていたのかが分かる大発見です。
07:28続いて第2位は平安時代の宮中を描いた大河ドラマ、光る君絵。絵本佑さんが演じた藤原道長は平安時代を代表する有力貴族です。
07:56その道長の治めた教文が発見され、2年前、自筆のものと判明しました。
08:08紺色の紙に金で書かれた写経、法華経など全部で9冠です。
08:18記録によれば、道長は41歳の時に自らの写経を収めるため、ある場所を訪れています。
08:30それが今回教文が発見された奈良県の金布仙寺です。
08:40金布仙寺は御所から70キロも離れた奈良の山奥。
08:44道長はそのさらに奥、修元堂で知られる大峰山に登ります。
08:56この映画ドラマでも、江本さん演じる道長が険しい山を登る様子が描かれています。
09:10信長はなぜ大変な苦労をしてまで、経を収めようとしたのでしょうか。
09:19それは娘の正子のためと考えられています。
09:24正子は時の天皇に嫁ぎましたが、なかなか子に恵まれず、苦しい立場に立たされていました。
09:31山頂にたどり着くと、道長は写経を筒に収めて埋めました。
09:44今日は道長が自ら筆を取り、200日以上かけて完成させたと考えられています。
09:51翌年、正子が待望の天皇の子を出産。
09:52道長の県政はますます増しました。
09:54翌年、正子が待望の天皇の子を出産。
09:55道長の県政はますます増しました。
09:58しかし、瀧夫さんはこの出来事について、道長の人間的な側面により注目しました。
10:00今日は道長が自ら筆を取り、200日以上かけて完成させたと考えられています。
10:02翌年、正子が待望の天皇の子を出産。
10:07道長の県政はますます増しました。
10:12しかし、瀧夫さんはこの出来事について、道長の人間的な側面により注目しています。
10:24正子に男の子を産んでもらって、自分の権力をより強いものにしたいというのもあるんでしょうけれど、
10:31他には正子に幸せになってほしい。
10:34天皇と仲間ぶつくまじく幸せになってほしいというのは、
10:38親心もやはり垣間見れるというふうなことも言えるかと思いますね。
10:43古代史の歴史ニュース第1位は、今年発表された大発見です。
10:52第1位は大仙古墳、忍徳天皇陵の出土品が最先端の技術で作られていた、です。
11:035世紀に作られた日本最大の古墳、大仙古墳。
11:10忍徳天皇陵としても知られていますが、その出土品とは。
11:15こんにちは、歴史探偵の秋下と申します。
11:22調査に当たった国学院大学博物館の深澤太郎さんに出土品を見せてもらいました。
11:31こちらですね。
11:41これですか。
11:42はい。明治5年にですね、大仙古墳の石室が開けられた、そのタイミングのことになりますね、これは。
11:52明治5年、大仙古墳で鳥の墳の清掃が行われました。
12:01その時、偶然石室の入り口が見つかったんです。
12:06なんてことでしょう。
12:09入ってみると大きな石棺があり、その周りには鎧兜や剣などの服装品が置かれていました。
12:20こちらはトースといいまして要するにその小型のナイフなんですね。
12:28ナイフ?
12:29本来はですねこっちの方に持ち手があってですねつかむところがあったんですけどそこは壊れてなくなっちゃってますがざっと今10センチぐらい残ってますかね。
12:39鞘に収められた状態で出土したナイフ。
12:44調査をするには一つ問題がありました。
12:48要するに鞘が抜けないんですよね。
12:52どういう構造になってるのかということを科学的に分析をするということにしました。
12:59調査はX線による内部の観察や蛍光X線での材質分析など10日間行われました。
13:10様々な角度からX線を当て鞘内部の通しに初めて成功したのです。
13:19注目はこちらの映像。鞘を輪切りにした断面です。
13:25中央にあるナイフの刃は厚さ1ミリ以下という成功ささらに高度な加工の跡も見つかりました全体が何かこう白い縁取りをされてるようになってますよねこれがまさにそのヒノキの鞘の周りを要するに飾っている要するに金ミッキした銅板なんですね。
13:556章だらけの鞘はかつては黄金に輝いていたことが分かりました。
14:05それだけではありません。
14:07X線分析の写真をよく見ると鞘の縁に小さな丸があることが分かります。
14:16これ撮影している時に我々も本当にびっくりしました。
14:20この点々が大発見。
14:22そうです。これはですね、実は鞘なんですね。
14:25鞘?
14:26鞘を要するに折り返してですね、その木の鞘に輪っつけてるんですけど、その端っこを鞘で止めてあげているということが分かったんです。
14:34材質はこれは何なんですか?
14:36分析した結果、銀だってことが分かったんです。
14:38鞘を金メッキの板で覆い、それを止める鞘は柔らかくて加工に向かない銀をわざわざ使っていました。
14:51ここまで装飾に凝ったナイフは他になく、祭司などに使われたと考えられています。
14:58もう予想をはるかに超えるすごい技術で作ってあるんだなということが分かって、
15:05要するに5世紀の半ばでこんなものは今まで唯一無二のものなので、
15:106世紀の後半になるとですね、金メッキしている頭数っていうのはあるいは増えてくるんですけれども、
15:16それから100年も前にこんなものが存在しているということはちょっと驚きでした。
15:23いやー、世紀の発見じゃないですか。
15:28類を見ない豪華な副葬品が収められた大仙古墳の石室。
15:35埋葬されているのは一体誰なのか気になります。
15:41いずれにしろ歴代の大王の誰かが埋まっていて、
15:45この頭数が副葬されていたのはその大王の親族であった可能性が高いと。
15:50これで親族レベルですか。
15:52通常、前方公園墳では死者を埋葬する場所は公園部の真ん中です。
16:03しかし、このナイフが出た場所は古墳の前方部、いわば端っこ。
16:10ということは、この古墳には複数の人物が眠っている可能性が出てきました。
16:19私はよく、忍徳天皇陵というと、大きなお墓に忍徳天皇が一人だけ眠っているというイメージを抱くんですが、そうではない。
16:30天皇陵といわれている古墳の中に、どんな人が眠っているのか、何人眠っているのかということも、改めて問題になってくるように思いますね。
16:41一つの小さなナイフを分析するだけでも歴史をまさに覆すような可能性があるということが改めてびっくりしますね。
16:53しかも当時の最先端技術が出てくるなんてね、すごいですね。大仙古墳は宮内町で忍徳天皇陵というふうになっているので、天皇のお墓なので、基本的にはもう一切発掘許可が出なかったんですね。
17:08ですから、出土品があるということ自体が奇跡なんですね。
17:12所長、古代史の歴史ニューストップ3見てきましたけれども、実はこれには同率1位がございます。
17:20ちょっと待ってください。大仙古墳の出土品と同じぐらいすごい発見ということですか。
17:24すごい発見です。それがこちら。
17:27奈良富尾丸山古墳の出土品。発掘が行われまして、調査したところ、長さ2メートルを超える
17:36大な鉄製の剣、蛇行犬など、非常に興味深いもの、ほかに類のないものがいろいろと見つかっておりまして、いや、すごいな、ここに写真写ってる。
17:47こちらはですね、近日、改めて歴史探偵でじっくりとご紹介する予定です。
17:54さあ歴史ニュースランキング続いては戦場を駆け抜けたあの英雄たちの大発見が近年相次いでいる戦国時代。
18:09ベスト3を教えてくれるのは大和田哲夫さん大河ドラマの監修も多く手がけるエキスパートです。
18:21戦国時代の第3位は武田信玄のロマンチックな恋の歌です。
18:33気になるな。
18:35信玄の菩提寺、エリン寺。
18:38今年、その信玄が詠んだという恋の歌が見つかりました。
18:46はい、こちらです。
18:48こちらですか。
18:49はい。
18:50これが信玄の歌ですか。
18:51そうです。
18:53掛け軸になってますけど、細い。
18:56これは短冊を軸仕立てにしたものです。
18:59隅っこにちょっとはっきり信玄って書いてますねまあはっきり信玄って書いてあるねうん歌は七夕にちなんで読まれました
19:14うちなびく水掛草の梅雨の間も千切りは尽きぬ星合いの空。
19:24ロマンチックな感じがするぞ、どうも。
19:27水掛草とは夏に鮮やかな花を咲かせる草のこと。
19:33風にそよぐ草の梅雨が消えるほどのほんの短い間でも、私たちの愛は消えない。
19:44そんな、愛の星空だ。
19:48ロマンチック。
19:50これは信玄は誰かに向けて作ったんですかね。
19:54それは分かりません。
19:56それは分かりませんけど、僕らが戦いをする人だと思ってたのに、こんなロマンティックな歌を作る人だと思えない。
20:05この歌は信玄の名を使い始めた39歳以降に読んだことになります。
20:16その頃信玄は、越後の上杉謙信と川中島の戦いを繰り返し、戦場で長い時間を過ごしています。
20:30歌に読まれた信玄の恋の相手は、女性とは限らない。そう、尾和田さんは考えています。
20:39それはやっぱりね、戦いの現場に行くと、女性はだいたい連れてってませんので、そうすると、男性相手にという恋愛関係になりますね。
20:52短冊は、武田家の家臣の子孫が、家宝として守ってきたものです。
21:00歌に読まれた恋の相手は、家臣だったのかもしれません。
21:09お次もビッグネームのお宝。
21:15豊臣秀長を主人公に、兄秀吉との活躍を描く、来年の大河ドラマ、豊臣兄弟に深い関係のある発見です。
21:27第2位は、秀吉の戦略がわかる、小牧長くての戦いの手紙です。
21:36小牧長くての戦いは、秀吉のその後を決定づけた重要な戦い。
21:45始まりは、主君信長が亡くなり、秀吉が小田家の実質的なリーダーになったことでした。
21:54しかし、信長の息子信勝は反発。
21:57自分こそ正当な党首なのだと。
22:02信長と同盟を組んでいた徳川家康を味方につけて、秀吉に対抗。
22:10こうして、秀吉・秀長の橋場軍と信勝家康の連合軍が激突。
22:18小牧長くての戦いが起きました。
22:24この戦いでは、野戦に強い徳川の精鋭たちが秀吉軍を圧倒。
22:30秀吉は、重心を何人も失う、手痛い敗北を喫します。
22:35ところが、戦いを有利に進めていたはずの家康は、
22:44なぜか秀吉との講和に応じ、後に信家の例をとります。
22:53秀吉は、どうやって家康を屈服させたのか。
22:57その内幕が分かる手紙が長野で見つかりました。
23:02立派な蔵。
23:06長野県須坂の旧家にやってまいりました。
23:09すごいお宝がありそうです。
23:11大きいね。
23:15歴史探偵の秋鹿と申します。
23:18手紙は、江戸時代から続く豪商、田中家の蔵の中から出てきました。
23:24こちら、掛け軸がありますが、これは田中さん。
23:31こちらがですね、橋場秀吉が弟の秀永に送った書状なんです。
23:37書状は秀吉から秀永に戦いの様子を書いて送ったものでした。
23:46秀永よ、私も兵に命じて黒田と市宮に放火させた。
23:56お前のところからも、きっとその煙が見えたのではないか。
24:01黒田、市宮っていうのは何なんですか。
24:04それは地名ですね。
24:08戦いの舞台は名古屋の北。
24:11小牧山城に家康と織田信勝がこもり、秀吉はその北に陣取りました。
24:19黒田と市宮には信勝側の城があり、秀吉はそこをひぜめにします。
24:26そのことを秀吉がわざわざ手紙で秀永に知らせたのには訳がありました。
24:34実はこの時、弟の秀永は遠く離れた伊勢方面で、
24:41兄秀吉と同じく織田信勝の城を攻撃していました。
24:46二人の距離はおよそ100キロ離れていました。
24:51すごい遠くで見えるはずもないけど、
24:53お前のところも見えただろうと。
24:56というふうな、自分のやったことを弟に冗談めかして言ってるんだと思うんですね。
25:03それだけ仲良かったということじゃないかと思います。
25:08尾張と伊勢方面の織田信勝の領地を兄弟で徹底的に叩いた秀吉。
25:15真の狙いはその後にありました。
25:18領地を火の海にされた信勝が、たまらず秀吉との講和に動いたのです。
25:28しかし家康はとんでもないという態度。
25:35両者には埋め難い溝が生まれました。
25:40家康と信勝をちょっと分断させようというね。
25:47そういう戦略を持って弟秀長には、
25:51終わりはいいよ、俺たちがやるから。
25:53お前は伊勢の信勝所領を攻めろ、みたいな。
25:57うんうん。
25:59結局信勝は単独で秀吉と講和。
26:03信勝を支援する形で戦っていた家康は、橋も外された格好に。
26:12家康も仕方なく講和し、後に秀吉に進化の例まで取ることになります。
26:19なるほど。
26:20小牧長くての戦いの裏側、豊臣兄弟の戦略が見える貴重な手紙です。
26:32いよいよ戦国時代の歴史ニュース1位の発表です。
26:39第1位は明智光秀の幻の城、石垣の発見です。
26:46明智光秀、本能寺の変で主君織田信長を討った武将として有名です。
26:54明智光秀の城、坂本城にやってきました。
26:59このお城、目の前が…
27:03琵琶湖なんです。
27:07琵琶湖の西岸に築かれた光秀の坂本城。
27:12城の痕跡がほとんどなく、絵図もないため、幻の城と言われてきました。
27:18ところが…
27:22去年、宅地造成の工事中に、偶然長さ30メートルほどの石垣が見つかったのです。
27:35石垣が出土したのは、三の丸城下町と考えられる場所でした。
27:43現地説明会には、2日間で2400人が参加。
27:48異例の注目を集めました。
27:51光秀の坂本城は、織田信長の安土城、橋場秀吉の長浜城と琵琶湖を介してつながっています。
27:57光秀の坂本城は、織田信長の安土城、橋場秀吉の長浜城と琵琶湖を介してつながっています。
28:07さらに京都の東、わずか10キロほど、朝廷や将軍に何かあればすぐに駆けつける、軍事情の重要拠点でした。
28:22信長の安土城よりも、先に築かれています。
28:27ああ、もうそれ大事な所なんだ。
28:30しかし、築城の11年後、明智光秀は、京都の本能寺で織田信長を討ちます。
28:39その後、橋場秀吉との戦いに敗れて死亡。
28:47坂本城は、焼かれて取り壊されました。
28:52こうして坂本城は、幻の城となったのです。
28:56軍事面での価値を語られてきた坂本城ですが、今回の発見でどんな姿が見えてくるのでしょうか。
29:10こんにちは。歴史探偵の秋鹿と申します。
29:14私、文化財保護課、岡田といいます。
29:17坂本城発掘調査のリーダー、岡田裕也さんです。
29:22出土品を見せてもらいました。
29:29どんなものがあるのか、こちらはガラスみたいな、こう、透き通った石もありますね。
29:37これはですね、おそらく水晶。
29:40いわばまあ宝石みたいなものですか。
29:42おそらく当時はこれを加工をして、地図とか、そういったのに使っていたんじゃないかなと思われます。
29:48出土品で一番多いのが、中国から来たと思われる、磁器や陶器の数々。
30:02中には、謎の出土品も。
30:05堀の中から出てきた、おそらく鉄製のねじ、こういうねじ釘みたいなものが、日本でおそらく作れなかったんじゃないかなと。このねじは、鉄砲とか同じだと考えると、いわゆる南蛮貿易とかで入ってきた可能性はあるのかなと。
30:24坂本城は、武士に加えて、商人なども多く出入りし、にぎわっていたようです。
30:34岡田さんは、その特徴が、城の形にも表れているといいます。
30:39今の地図にこれを重ねてあるんですけれども、この真ん中に、こう、くいっと弓なり状に走った道があります。
30:50あります。
30:53この道は、江戸時代の北国街道。
30:57北へ行けば、北陸地方に。
31:00南に行けば、大津を経て、京都に通じる大動脈です。
31:07坂本城には、琵琶湖の水運を陸路と結ぶ港があり、
31:13街道の整備も、このころすでに始まっていたと、岡田さんは考えています。
31:21発掘品や、移行の調査結果を基に推定した、坂本城の姿です。
31:32まずは、湖に突き出た本丸。
31:36船が行き交う琵琶湖を一望できます。
31:43本丸の隣には、琵琶湖から物資を運び込む港が整備されています。
31:50さらに陸路で京都方面につながる坂本城は琵琶湖を巡るこうしたネットワークは琵琶湖から大阪を経て海外にまで伸びていたのかもしれません。
32:09琵琶湖に突き出た光秀の城はまあ、さぞきれいだったでしょうね。
32:17で、発掘品がいろいろ出てきて、光秀が城下町でね、どんな光景を目にしていたのかっていうことにも思いをはせることができる発見だよね。
32:27あと、私興味があったのが、信玄の恋の歌。
32:33本当にユーモカカのイメージが強いので、あんなにロマンチックな歌っていうのが意外すぎました。
32:41そうですね。信玄には性質以外にも愛した即質が何人もね、いたんですね。
32:47さらに男性との恋愛、これが非常に有名でして、20代の時に実際に6歳下の若い男に送った恋文が残ってるんですよ。
32:57恋文というよりも恋人に浮気を弁解する手紙なんですよ。
33:02へぇー!
33:03それがね、ちゃんと残ってるんですよ。
33:05そして2位の豊臣兄弟の手紙なんですけれども、見つかったのは長野県。
33:11小牧長くての戦いの現場とは離れたところで、田中さんというお宅もですね、秀吉秀永とは全く縁もゆかりもないお家と。
33:20ほう。
33:21不思議だと思いません?
33:22もう不思議ですよね。
33:24江戸時代は王子主、豪将で、時々藩主が遊びにいらっしゃるようなお家だった。
33:29すごいですね、それは。
33:31ですので、藩主から頂いた、あるいは藩主にこんなあるんですけどって見せたか、
33:37いずれにしろ江戸時代のご先祖様が手に入れたものだと考えられているそうです。
34:14中国愛媛県は旧松山藩のものです。
34:18藩主の松平貞勝は、あの徳川家康の威夫兄弟という名門。
34:28今年5月、22代目の現在の当主が先祖伝来の品々を愛媛県に寄贈しました。
34:38古いものではですね、これ、400年以上前の戦国時代の書状なんかもあるので、いわばですね、本当に400年間の歴史が詰まったタイムカプセルと言えるんじゃないかなと思うんですね。
34:52手紙のいつからでもですね、またなんかものすごい発見があるかもしれません。
34:56いやーこれからね結構ね出てくるんじゃないですかいやー楽しいですね続いては江戸時代のニュース第2位お願いいたします江戸時代の第2位はこちらです龍馬と海舟の夢のあと海軍総連所の意向を初確認です海軍総連所は江戸幕府の爆心勝海舟が開いた学校です西洋式の軍艦の取り扱いについて教えるため
35:26漁村だった神戸に防波堤など港の設備を設けました坂本龍馬もここで学んでいます
35:40こちらが見つかった遺跡の俯瞰映像
35:45地下から当時の防波堤と思われる遺構が出てきました
35:52場所はJR三宮駅のすぐ南現在の神戸の中心地にあたります
36:04海軍総連所は1年で閉鎖されましたが
36:103年後同じ場所が神戸港として開港します
36:16明治時代には総連所の設備をもとにして港が拡張され海外の船が多く行き交うようになります
36:26なるほどじゃあもうまさに総連所が神戸港のもとになって
36:32神戸の発展の礎になったということも言えますよね
36:36そういうことですね
36:38では河合先生いよいよ
36:40江戸時代の歴史ニュース第1位はこちら
36:44こちら江戸時代のミッションインポッシブル
36:48ん?なんと?
36:50さあここは判定会のトム・クルーズの出番ですよ
36:53調査してまいりました
36:55江戸時代のミッションインポッシブル
36:58もうゴメって何も言わない
37:02熊本城です
37:04いいお城
37:06熊本正が築いて江戸時代には細川家が上司を務めました
37:09その細川家のゆかりの資料から大発見があったんです
37:15大発見は2年前熊本大学でありました
37:22こんにちは
37:23こんにちは
37:24歴史探偵の秋鹿と申します
37:27細川家の歴史に詳しい稲葉嗣春さんと大発見をした琴音紀子さんです
37:35ここでは細川家の文書と家老の文書合わせて9万点余りを整理研究しています
37:48今回の大発見というのはどんな内容なんですか
37:53熊本藩から隣の薩摩に出した密定の報告書ということになります
38:01といいますとスパイスパイスパイの記録なんですか
38:08はい現在修復中の文書を特別に見せていただきました
38:15いよいよ熊本藩から薩摩藩に派遣されたスパイの極秘文書と対面です
38:24これは啓安4年1651年江戸時代の初期になりますね。
38:31非常に長い文書で1つ1つ1つって書いてありますけれども何かこれは18か条の報告書になりますわすごい。
38:42スパイが薩摩に潜入して手に入れた国費情報がこちら
38:491つ、薩摩では金山の口は開けない。
38:57すなわち金山開発はしないようだ。
39:041つ今年薩摩では武具を買う気配はない。
39:121つ鹿児島城は館の石垣を今年中に築く計画になっている。
39:20一部の人しか1つの藩でも知り得ない情報だと思います。
39:29稲葉さんそもそも熊本から薩摩になぜスパイを送り込んだんでしょうか。
39:34この当時の熊本藩側の資料を見てますと熊本藩細川家は薩摩の抑えとしての役割を果たすということが自分たちの存在意義だと言わんばかりのことを薩摩の抑え?抑えです。
39:50江戸時代初期、徳川幕府にとっての脅威が薩摩の島津家でした。
40:00薩摩を率いる島津義久は徳川からの再三の呼び出しにも応じず軍備を増強。
40:09後に薩摩藩となっても軍事力を維持していました。
40:15そこで幕府は隣の熊本藩を徳川と近い細川忠敏に任せ、薩摩の武力に対する抑えと情報収集を期待したのです。
40:29薩摩で情報を取ってくるというのは難しいことだったんでしょうか。
40:34そうですね。薩摩美博っていう言葉がありまして、これは言ったきり帰ってこないという意味なんですね。
40:43薩摩でよそから来た者が監視されて、容易に国に帰ることができないように拘禁されたりとか、ある日は殺されちゃったりとか、そういうことがあったという。
40:58報告書には島津家が所有する船の数、今年の年貢の取れ高、参勤交代の日程に人数、さらには薩摩藩における熊本藩の評判など、ありとあらゆる情報が書き込まれています。
41:20また偉いものが見つかったなしかし。
41:24そして最後には、ミッションインポッシブルを成し遂げたスパイ、村田門左衛門の名前が。
41:33一体どんな人物なのでしょう。
41:35熊本県の現在のですね、南鹿児島県との境の足北郡。足北郡の湯の浦村というその地域の地侍だったということがわかったんです。
41:49薩摩藩の島津家が参勤交代で江戸に行く、そのルートにあたるので、足北は。その参勤交代の一行を接待したり、宿泊の世話をしたりという。そこで島津家の人々と縁があるわけです。
42:08どんな気持ちでやってたんでしょうね。
42:11もしね、この活動が薩摩川に明るみに出たら、自分の身がどうなるかという危機感はあったと思いますね。
42:19でもそれであえてこれだけの情報を熊本川に持ってきているということは、具体的な情報を熊本藩を通じて幕府と共有するということが、九州の平和と安定に資するものであるプライドがあったと思いますね。
42:37命懸けですよね、このスパイ活動はね。
42:44でもこれ本当にすごい発見で、こうした報告書って幕府に提出して、その恐らく写しか下書きじゃないかなっていうふうに言われてるんですね。
42:55一般的にはそういうものは残さないで処分したのは偶然処分し忘れたものかもしれないっていうふうに言われてますね。
43:02それにしても改めてこの当時の幕府がまあちょっとびっくりするぐらい薩摩を警戒してたっていうのもねそうなんですこの時代の薩摩は琉球王国今の沖縄県を実情こう支配下に置いてあって琉球を通じてね鎖国時代でも中国との貿易をねこうしていたんですね。
43:09この時代の薩摩は琉球王国今の沖縄県を実情こう支配下に置いてあって琉球を通じてね鎖国時代でも中国との貿易をねこうしていたんですね。
43:22あと密貿易もねしていたようなんですよしかしそうした動きは江戸からでは探りきれないんですねであのスパイの報告書にはですね薩摩藩の琉球支配はこれまでどおり変わりないっていうふうに書かれているんですね。
43:39江戸時代っていうとなんかもうずっと長い間平和が続いて平洋にね暮らしてたと見えますが今回の熊本藩のスパイみたいに人知れずいろいろ動いていた人がある意味平和を守ったのかなというふうに言えるかもしれないそういう発見でした。
43:57さあ、所長、改めて歴史ニュース、いろいろ見てきましたが、本当にささいな、鳥のふんを送信しに行ったら見つかったとかさ、そういうところでもう歴史を覆すような発見もあるっていうことなんで、改めてやっぱり歴史ってまさにロマンだなというね、そうですね、秋香さんって印象に残ったニュースはありますか?
44:23大仙古墳のあのナイフですかね。あの出土品を壊さないでCTスキャンで中まで見える。
44:30すごい映像だったね、あれね。
44:32私あの体をCTスキャンで見て内臓脂肪を見たとき以来の衝撃を。
44:37何を言ってんの?何を言ってんの?あなたの人間独の話を今してんじゃないんだよ。
44:41見えないところが見えるロマンだなという。
44:44大河ドラマベラボウ。
44:49雨の日も、風の日も、乾けきられたこと。
44:55日の元一のベラボウにございました。
44:58日の元一のベラボウにございました。
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