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00:00わずか2.5gのピンポン玉に重すぎる機体が託された。
00:15軍事境界線を挟んで緊張が続く韓国と北朝鮮。
00:26同じ民族が戦い血を流した朝鮮戦争は70年以上経った今も和平には程遠く。
00:39その対立はスポーツの世界でも火種となってきた。
00:45だが今から34年前、対立を卓球で乗り越えようと合同チームが作られた。
01:04最大の敵とまさかのペア。
01:13日本人は伝説の世界チャンピオン。
01:28チャンピオン。
02:05しかしその日韓国と北朝鮮の人々は対立を忘れ手を取り合いました。
02:14歴史的瞬間となったのは1991年4月29日。
02:25世界卓球選手権に双方は南北統一チームとして出場。
02:31女子団体戦で中国を破り優勝を果たしたのです。
02:46国旗の代わりに掲げられた朝鮮半島の旗には南北を分断する境界線がありませんでした。
03:01この南北統一チームの実現に奔走したのは1人の日本人それが第1の視点です小木村一郎当時国際卓球連盟の会長を務めていました。
03:24憎しみと対立を情熱で乗り越えたアナザーストーリー小木村が作った日本初の会員制卓球クラブは今も三鷹に残っている。
03:45いつでも真ん中にいる人ですからだいたいこの辺で。
03:52この辺でなんかこんな格好して見てましたね。
03:54元日本代表で教え子の織部浩二は小木村の姿を間近で見てきた。
04:06選手時代はね孤高の一匹横浜みたいなそういうイメージがあったみたいですけども人を呼ぶっていうか引きつけるそういう魅力があったと思いますね。
04:21戦後の卓球界で弱小日本に彗星のごとく現れ、世界選手権で12回の優勝を誇る小木村。
04:36引退後は世界で指導にあたり卓球を通じた国際神前に身を捧げた。
04:47その集大成が朝鮮半島南北統一チームの結成。
04:55小木村は地球卓球家族大集合なる兵庫を掲げている。
05:02世界だと国境が出てきちゃうけども地球だったら卓球やる人はみんな家族だとまあまさに小木村さんは91年の幕張大会をするために生まれてきたのかもしれないと思うぐらいそういう感じがしますね。
05:22昭和20年の敗戦を13歳で経験した小木村は、戦後スポーツに没頭した。
05:38高校1年で卓球と出会い。自ら工夫した猛練習でわずか5年で日本代表へ。
05:51そして22歳。世界選手権初優勝。
05:58だが日本への風当たりは強かった。
06:03いやまだ昭和29年ですから戦後間もない感じでイギリス人は大変な反日感情を持ってて。
06:13散髪屋行ったらお前らが座る椅子がないって言われたり。
06:17試合に入ってもとにかく対戦相手がどの国であっても日本選手と対戦する相手を応援して日本選手がミスするととにかく1万人が足ならして喜ぶっていう悔しいのは相当悔しいみたいですね。
06:34翌年のオランダ大会でも日の丸に石や卵が投げつけられブーイング。
06:43だがある試合で外国選手がコートから落下した時にとった小木村の行動が空気を一変させた。
06:55ハンガリーのセペシという選手が片腕が障害があって使えなくてその選手が後ろの方に下がってやっとロビングで取ろうと思った時に下がりすぎてそこからドーンと落ちてきたらしいんですよ。
07:08ちょうど日本のベンチにね。それを日本の選手たちがみんなで助けてそこからそれまでひどかったオランダの監修の様子もガラッと変わったっていうんですね。
07:24小木村には時の総理大臣から感謝の意が評された。
07:31長田町の総理官邸へ行きまして鳩山総理大臣にお目にかかってその君たちに人道的なファインプレーがあってそのオランダの世論っていうのはそのことで変わって。
07:48日本大使館への投石とか卵ケチャップもピタッと止まったと。
07:55スポーツで勝って金メダルを取ってくるっていうことも素晴らしいけどももっと素晴らしいことをあなたがやったんだよと言われましてね。
08:05やはりスポーツの持っているその外交面の貢献と言いますかね。
08:12演出できるような貢献があるんだなっていうことを思い知らされましたね。
08:17現役引退後、小木村はスポーツ外交を実践すべく海外への指導に力を注いだ。
08:28特に親密な関係を築いていたのは中国。
08:34当時は文化大革命の嵐が吹き荒れ、スポーツ選手も弾圧の標的になっていた。
08:48中国初の世界チャンピオン、楊国団が自殺する悲劇まで。
08:55木村浩二は小木村と共に中国で交流を行った一人だ。
09:09弾圧に心を痛めながらも、卓球が持つ力を訴えようとする小木村の姿を覚えている。
09:19大事な仲間である中国の監督コーチがああいう状況になったというのは、心を痛めて、痛めているところじゃないと思う。
09:30卓球は選手との距離というのは4メーター前後で、相手の選手の顔がよく見えるんです。
09:39顔を見合わせっぱなしなわけですよ、ある人は。
09:42何を考えているか、どんなサービスを出すか、この人はどういう人なのかなということをわずかの間に考える。
09:51その4メートル前後の距離というのはね、結構人と人とのつながり、卓球の仲間という意識が常にあるんです。
10:01互いに卓球をすれば、必ず心が通じる。
10:08小木村は、周恩来首相に、孤立ではなく協調を、そのために卓球をと訴え続けた。
10:20今の情勢を見ると、卓球というスポーツで国際社会への扉を開くのが、あなたたちの国にとって最良の方法ではありませんか。
10:35まもなく中国は、世界卓球選手権に復帰。
10:44そこでの縁で、アメリカとも卓球で交流するピンポン外交が始まり、米中の国交正常化へとつながっていく。
10:561987年、小木村は中国などに押され、国際卓球連盟会長に就任した。
11:11小木村が次に目指したのは、韓国と北朝鮮の合同チーム。
11:20その実現のため、密かに動き始めたが、周りには打ち明けていなかった。
11:29独力で道を探り、周囲が知ったのは、発表直前だったという。
11:38南に20回、北に14回、説得に行ったって聞いてますから。
11:471回は3日間、平壌空港で誰も来なくてぼーっとしてたって言ってましたよ。
11:551人で。
11:57良いと思ってるのに、やらないということは悪いことだって言葉を残してるんですよ。
12:01良いことをやらないことは悪いことだって。
12:04それはだから、行動しない自分というものを感化できないっていう、そういうプライドを小木村さんは持ってたんですね。
12:12常にそうですよ。
12:14南北に分断された朝鮮半島の問題は、人事ではありません。
12:22もし、終戦時のヤルタ会談で、日本の分割が決まっていたら、
12:29当時、中学1年生だった私も、何とか日本を一つにしようと頑張っていたはずです。
12:39当時、小木村と接触していた人物が、韓国にいる。
12:54日本でいう、スポーツ庁の長官だった、パク・チョルウォン。
13:00小木村さんには本当に感謝しています。
13:06南北統一チームの結成で、大事な役割を果たしてくれましたから。
13:12実はチョルウォンたちも、北朝鮮とのスポーツ交流を独自に模索していた。
13:21しかし、秘密裏の会合を開いても、対立が続いた。
13:29小木村さんは、南北の統一、平和共存について、まるで外交官のように高い関心を持っていました。
13:40南北の合同チームは、必ず実現させるべきだといい、私たちも共感したのです。
13:48北朝鮮との話し合いは、うまくいっていなかったので、力を貸してほしいと言いました。
13:57小木村さんは、北朝鮮とも親しい関係でしたし、韓国とも仲が良かったので、架け橋になってもらったんです。
14:07小木村は、韓国、北朝鮮、双方に通って説得を重ね、合同チームに向けた話し合いが実現する。
14:22最大の対立点だった合宿地については、日本で行うことを提案。
14:29両者を納得させた。
14:34トイツチームを作るのであれば、最低1か月の合宿練習は必要だと。
14:41その合宿は、北でも南でもできない。
14:46そうすると、日本でやるしかない。
14:48その手配をするって、なかなか大変だったみたいですけども、
14:51それをなんとか、長野と長岡と、それから千葉と、開催地の千葉ですね。
14:59ここを10日ずつ、市長とかに頼んで。
15:03そして、大会2か月前。
15:10ついに韓国と北朝鮮は、統一チーム結成に合意する。
15:18だが問題は、選手たち。
15:25何しろ昨日までフグ退転の敵と教わった相手。
15:32いきなり仲間になれるはずがなかった。
15:39大会2か月前、ついに実現した南北統一チーム。
15:46韓国と北朝鮮、双方の選手は、日本で合同練習に臨むことになります。
15:53第2の視点は、
16:00韓国側からコーチとして参加したユン・ギルジュン。
16:08南北の選手を1か月で1チームにするのが、彼の役割でした。
16:15心の壁を乗り越える、困難に挑んだアナザーストーリー。
16:22統一チームの構成を見ると、慎重なバランスが見て取れる。
16:34団長は北、総監督は南。
16:39監督は北と南から出し合い、選手もきっちり11人ずつ。
16:47写真には写っていないが、双方は情報機関の要因も同行させている。
16:56互いの思想が入らぬよう、選手を見張っていた。
17:05この緊迫感漂うチームのコーチに選ばれた人物がいる。
17:10今は町場の卓球教室で指導に勤しんでいる、ユン・ギルジュン。
17:23優しく明るい性格を変われた。
17:27ギルジュンは男子チームのコーチ。
17:39監督は北朝鮮のファン・ゴンドンだった。
17:451983年の世界選手権大会で、彼は北朝鮮代表のコーチでした。
17:54私は韓国代表の選手として参加していました。
17:59団体戦で北朝鮮と対戦になりましたが、7位くらいを決める試合で決勝戦でもないのに、
18:09北朝鮮が勝った瞬間、彼が両手を上げて、
18:13キム・イルソン万歳と叫んだんです。
18:17その姿を見て、政治色の強い人だと感じました。
18:22卓球選手を経て、指導者の道に進んだギルジュン。
18:41北朝鮮にだけは負けてはいけないという風潮の中、
18:47複雑な気持ちを抱いてきた。
18:52実はギルジュンの両親は北朝鮮の出身。
19:00朝鮮戦争で南に避難したまま帰ることができず、
19:06故郷をもう一度見たいと熱望していた。
19:12南北統一チームが結成されたときは、本当に嬉しかったです。
19:18スポーツで一つになれる。
19:21卓球を通して、これまでの敵対関係が和解へ向かうきっかけになるのではと期待しました。
19:31だから、統一チームが決まった日は、嬉しくて眠れなかったんです。
19:37本番一月前、南北合同チームが日本に到着。
19:47これまで熾烈なライバル関係にあった選手同士を打ち解けさせる工夫が必要だった。
19:58宿は二人で一部屋でした。
20:05最初、ダブルスを組む選手だけでも、南北で同じ部屋にしてはと提案したんです。
20:13しかし、北朝鮮側から、韓国の選手と一緒に寝かせるわけにはいかないと拒まれて、実現しませんでした。
20:27親しくなろうと歩み寄ったんですが、北朝鮮側の警戒が解けるのには時間がかかりました。
20:40練習で、笑顔になる方法はないか。
20:46ギルジュンたちが考えたのは、南北の選手が混じってサッカーをしたり、鬼ごっこを取り入れたトレーニング。
20:55選手同士が距離を縮められるよう、雰囲気を作っていった。
21:06キム・テクスは、北の選手たちへの認識が変わっていった。
21:12彼は、特に親しくなった北朝鮮のチェ・ギョンソブ選手で、それまで激しく戦っていた相手でした。
21:24でも、合宿で接してみたら、韓国の選手と何も変わらなかったんです。
21:32置かれてきた環境が少し違うだけで、考えることは同じ。
21:37私が練習をきついと感じるときは彼もつらそうでしたし、休みたいと思うのも同じでした。
21:46疲れていたら頑張ろうって励ましてくれたり、よくやったねと褒めてくれたり、そういう言葉がすごく温かくて、北朝鮮の選手たちも同じ民族なんだと実感しました。
22:04少しずつ宿舎のホテルでも交流が生まれた。
22:11フロアごとに分けられていた北朝鮮選手の部屋へも遊びに行った。
22:20最初は南北で別々に食事をしていたんです。
22:25それで、一緒に食べませんかと誘ってみました。
22:30それ以来、同じテーブルを囲むようになったんです。
22:37見てみると、北朝鮮の選手たちは肉に手をつけていませんでした。
22:44キムチとご飯ばかり食べていたんです。
22:47おそらく、他の料理をよく知らなかったんだと思います。
22:53優しくしてあげたいと思いました。
22:58当時、北朝鮮の人々が苦労していると噂に聞いていましたし、
23:04実際に話を聞いても、本当に厳しい生活を送っているようでした。
23:11だから、もっと優しくしてあげたいと思ったんです。
23:20統一チームの結成は、在日コリアンたちも動かした。
23:28また、在日本朝鮮人総連合会と、在日本大韓民国民団との間にも、対話が生まれた。
23:40総連の委員長の長さんと私は、住まいが500メートルも離れてないんですよ。
23:45それでこれ、私が千葉に住んで30何年、初めてね、こういう同じテーブルであって、こういう対話ができる機会を得ました。
23:52統一チームのおかげで。
23:54女性たちは、共に統一機のついたエプロンをつけ、キムチをつけて選手に送った。
24:08コーチのギルジュンは願った。
24:18このチームが勝てば、統一チームは今後も継続できるかもしれない。
24:25互いの強みを生かせれば、そのチャンスはきっとある。
24:33北朝鮮の選手は体力や基礎が非常にしっかりしていました。
24:43技術は多様ではありませんが、自分が得意とするものを一つずつ持っていて、それは他の国や韓国の選手より優れていたんです。
24:58だからそれを最大限に生かした卓球をさせるべきだと思いました。
25:05韓国の選手は皆オールラウンド型でしたから、お互いの短所や長所を補完し合う練習を重ねました。
25:15私たちは共通の目標がありました。
25:20一つのチームとして、そこに向かってみんなで力を合わせていったんです。
25:27いつも世界一を目指していましたが、統一チームのときは特に力が入っていましたね。
25:37だが、盛り上がるチームで一つ気がかりなことがあった。
25:49女子のエース、北朝鮮の李・文仁の顔色が冴えなかった。
25:58この大会、最も注目されていたのは、南北のエースが揃う女子団体戦でした。
26:11北朝鮮の李・文仁と韓国のヒョン・ジョンファ。
26:17熾烈なライバルだった2人は、ダブルスでペアを組むことになります。
26:24第3の視点は韓国側のエース北にだけは絶対に負けてはならないと教わってきた21歳。
26:41その堅くなな心に変化をもたらしたものとは何だったのか。
26:48友情へのアナザーストーリー。
26:54韓国卓球協会の副会長として、若手の育成にあたっているヒョン・ジョンファ。
27:07鋭いラケット捌きは今も健在だ。
27:16ジョンファはわずか16歳で代表入りした韓国卓球界のレジェンド。
27:24ソウルオリンピックで大活躍し、91年は世界ランク5位。
27:33その最大のライバルが、リ・ブニだった。
27:38左利きで韓国選手に滅亡強く、世界ランクは3位。
27:48この2人が同じチームでプレーすることになった。
27:58となれば、我前期待がかかるのは女子団体戦だ。
28:05韓国から2人、北朝鮮から2人を選んだが、
28:13シングルス4試合、ダブルス1試合。
28:19すべて両エースを継ぎ込む作戦だ。
28:22右利きのジョンファと、左利きのブニ。
28:33息が合えば、最強ペアになる。
28:37はずだった。
28:39ジョンファとブニは互いを強く意識していた。
28:54私も彼女も、それぞれ南北のエースとしてのプライドがありました。
29:01だから最初のうちは、特に距離を取っていたと思います。
29:06練習中も、横目で相手の打ち方をずっと意識していました。
29:11だが気になることがあった。
29:18時々、なぜか練習を休むのだ。
29:24まもなく知ったのは、ブニが病気を抱えているという事実だった。
29:30彼女が肝炎を患っていると知りました。
29:38肝炎という病気は疲れやすいから、練習の間に何度も休憩が必要になるんです。
29:47彼女は食べ慣れたものしか口にしなくて、
29:51それでは体力が持たないだろうなと心配になりました。
29:55選手たちが最もリラックスできたのは、会場に向かうバスの中。
30:05誰にも監視されないため、徐々に和やかな空気になった。
30:12みんな20代の若者ですから、バスの中では無邪気なものでした。
30:20冗談を言って、ふざけ合って、脇腹をツンツンしたりして、笑い転げながら移動する20分間はとても楽しかったです。
30:31日を重ねるうち、チームに好きな人ができた人もいました。
30:39韓国、北朝鮮というのを離れて、青春を謳歌できたんだと思います。
30:46ある日、ジョンファは、ブニにこう呼びかけてみた。
30:53恩に、韓国語でお姉さん。
30:591歳年上のブニに親しみと敬意を込めた。
31:06以後2人は、少しずつ距離を縮めていった。
31:13ブニの体調を気遣いながら、ダブルスのコンビネーションを磨き、女子トークでは最大の秘密まで打ち明けた。
31:28当時の彼氏を教え合ったんです。
31:35それは心が打ち解けた証ですよね。
31:41大会開幕。
31:54ジョンファとブニを擁するチームコリアは、女子団体戦を勝ち進んだ。
32:05ブニは体調が悪い中、歯を食いしばって戦った。
32:11ブニは体調が悪い中、歯を食いしばって戦った。
32:20南北統一チームの出場に加え、女子団体の快進撃で、会場はお祭り騒ぎ。
32:33こうやって思い出すと本当に楽しかったですね。
32:36当時、在日韓国、朝鮮人からなる応援団で、まとめ役を務めていた、チェ・フィソブ。
32:47応援席では、北も南も関係なく、誰もが声を枯らした。
32:56この瞬間が、いつまで続くかは誰にもわからない。
33:06だからこそ、叫んだ。
33:12ケイソクチョンジンっていうのが、一番よく使えましたね。
33:16だと、コリア、コリア、コリア、コリア。
33:20観客もほら、統一コリアに燃えてるわけですよ。
33:23嬉しいわけですよ。
33:24夢見た統一の、疑似統一して喜んでる。
33:29喜んでるとか、もう高ぶってたじゃないですか、皆さん。
33:33チームコリアは勝ち進み、ついに、大会8連覇中の中国との決勝に進んだ。
33:48ブニは決めていた。
33:51自分の隊長では勝てない。
33:54私は控えに回る。
33:56大役に抜擢されたのは、ブニの後輩、リュ・スンボク。
34:04物静かでおとなしい二十歳。
34:12第一試合を託した。
34:19相手に知られていないことが、有利に働いた。
34:26世界トップを相手に、大金星をあげた。
34:33第二試合は、ジョンファ。
34:43中国のベテランをストレートで下し、優勝に王手をかけた。
34:49次は、ダブルス。
35:00肝炎を押して、ブニが出場した。
35:03目と目で合図して力を合わせて頑張りました。
35:10私は彼女が頼りでしたし、彼女も私を頼りにしてくれました。
35:17しかし、及ばなかった。
35:24彼女は自分を責めていました。
35:31その姿から勝ちたい、優勝したいという強い気持ちが伝わってきたんです。
35:38私は大丈夫だよって彼女に伝えました。
35:45続くジョンファも敗れ2対2。
36:00最終戦を託されたのは、北朝鮮のスンボク。
36:11試合前、あの選手と試合したことあるってスンボク選手に聞いたら、一度も勝ったことがないって。
36:19自信なさそうだったので私とブニ姉さんはもうとにかく応援するしかないって思いました。
36:30最後まで頑張って負けても悔いのない試合にしよう。
36:36そう伝えました。
36:41そして、運命の第5試合。
36:57試合は大接戦。
37:06これで19対19のデュースです。
37:14よいよコリアのマッチポイント。
37:29会場は歓喜に沸いた。
37:44優勝が決まった途端、カメラが私たちに押し寄せてきたんです。
37:59怪我するからと、私たち4人は控室に入れられました。
38:06その中で、お互いに抱き合って号泣しました。
38:12今もあの涙の意味は分かりません。
38:16なぜか、足元から熱いものがこみ上げてきて、
38:21ぼろぼろ涙が出ていました。
38:25あんなに泣いたのは初めてです。
38:28あの時、こう思いました。
38:32これは何だろう。
38:34これが小さな統一なのかな。
38:38まさにそんな感じでした。
38:41よくやったなんて言葉もなく、
38:43ただみんなワンワンと泣いていました。
38:47もう一回楽しみます。
38:52南北統一チームは表彰台へ。
38:58境界線のない朝鮮半島の旗が掲げられた。
39:09この時、南北は統一してたんですね。
39:15この一瞬、この場面では、この会場の中では。
39:20いやぁ…
39:21応援席にいたフィソブはこの時の気持ちを今も忘れない。
39:31南北統一に向けた夢を見させてもらったんじゃないですか。あの日、あの時。難しい政治のことは一旦忘れて。そういう歓喜の声だったと思いますね。
39:45別れの時が近づいていた。
39:53これが、ジョンファとブニの別れの瞬間。
40:01最後に何て言えばいいのか、分かりませんでした。
40:06また会おうねとは言えないし、手紙も電話もできませんから。
40:13とにかく体調が心配だったので、お姉さんお大事にとだけ言いました。
40:21実は彼女に渡す金の指輪を韓国で用意していったんです。
40:27本当に困った時には、それを売って役立ててくれればと思っていました。
40:35もし持っていられるのなら、指輪を見ながら私のことを思い出してほしい。
40:42一緒に育んだ思い出を忘れないでほしい。そんな思いを込めました。
40:48でも、こんなに長い間会えなくなるなんて思ってもみませんでした。
40:552年後の世界選手権。
40:59再び統一チームが結成されることはなかった。
41:062年後の世界選手権。
41:11再び統一チームが結成されることはなかった。
41:21その翌年には、小木村も肺がんでこの世を去った。
41:2762歳の若さだった。
41:30小木村の地球卓球家族大集合の夢は消えたのか。
41:39統一チームのコーチを務めた、
41:46ギルジュンの教室には、ある詩が飾られている。
41:50北朝鮮の監督、ファン・ゴンドンが別れる前にくれたものだ。
42:03世界選手権。
42:11ジョン・ファンは、大会の翌年。
42:15、大会の翌年。
42:17勝者は大会の翌年。
42:20、大会の翌年。
42:27ジョンファは大会の翌年国際大会でブニに出会った。
42:36だがかつてのように気軽に話すことはできなかった。
42:45現役引退後互いに連絡を取ることはできていない。
42:55But in 2012, he asked the media to come to the media.
43:04He said that he gave his指輪.
43:12He gave his指輪.
43:16He said,
43:17韓国では大切にしたい人に一緒にご飯でも食べましょうと言うんです。ですからいつかリブニさんに手料理をごちそうしたいです。一緒にご飯を食べながらお互いに会えなかった時間のことを話して夜を明かしたいです。会いたい思いは募るばかりで彼女との再会は死ぬ前にかなえたいことの一つです。
43:47BS世界のドキュメンタリー
44:05公約を次々実行に移してきた2期目のトランプ大統領
44:12アメリカではどう受け止められているのか今夜放送
44:17サンブル川の事件。凶悪犯罪はなぜ見逃されたのか。30年もの間犯人はなぜ野放しに。NHKBSで毎週水曜夜11時35分。
44:32ブレッド一気見TV。
44:35膨大なアーカイブス映像の中からバーゲンの歴史を一気見してみると。
44:42いい買い物見たな。
44:47港に猫がいる。
44:50岩郷光明の世界猫歩き4Kスペシャルモンテネグロ。放送はNHKBS13日土曜午後6時です。
45:02水曜日は水曜日の国民の世界となっています。
45:11水曜日は水曜日の日曜日を入れ、水曜日を入れ、水曜日は水曜日です。
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