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00:00:00歌は…
00:00:23戦争というものはいかに人間を殺すかという
00:00:27はっきりやはり生の事実は残さないとね
00:01:04過ちを語り継ごうとした記録です
00:01:07今夜のゲストは医師で作家の鎌田稔さんです
00:01:10どうぞお入りください
00:01:13今日はよろしくお願いいたします
00:01:15よろしくお願いします
00:01:16さあ鎌田さん今回の9大生体解剖事件について
00:01:21同じ医師としてどんなところに注目してご覧になりますか
00:01:26僕は医学部に入って
00:01:29初めに医学概論というのがあって
00:01:34ヒポークラテスの誓いというのを教えられるんですね
00:01:39患者さんに害になることをしては絶対にいけないということ
00:01:43戦前戦中の医学部で徹底的に倫理教育はされていたはずだと思うんですけども
00:01:52なぜ今回の9大で人体実験が行われてしまったのかを
00:02:00みんな見つめ直してみたいなというふうに思いました
00:02:03分かりました
00:02:04それでは番組を一緒に見てまいりましょう
00:02:13生まれくる命
00:02:18その輝きに勇気づけられ
00:02:20自らの償いきれない過ちに
00:02:2370年間向き合ってきた老医師がいる
00:02:28生産婦人会 唐野俊夫89歳
00:02:35いいですね
00:02:38将来どういうふうになるかね
00:02:41楽しみっていうかね
00:02:44大きくなったら
00:02:4740の宝物
00:02:51これまで
00:02:56一万三千もの命の誕生に関わってきた唐野さん
00:03:00医師としての原点は
00:03:06戦時中
00:03:08計らずも巻き込まれた
00:03:10あの事件にある
00:03:12それは昭和20年の春だった
00:03:26日本の戦況は悪化の一途をたどり
00:03:29アメリカ軍が沖縄に上陸
00:03:35本土ではB-29による無差別爆撃が激しくなっていた
00:03:41東京大空襲では100万人が被災
00:03:4510万人が命を落とした
00:03:54その年の4月
00:03:5619歳だった唐野さんは
00:03:58九州帝国大学医学専門部に入学した
00:04:03不足していた医師を
00:04:05早急に育てるためのコースだった
00:04:08すでに大学の校内も戦争一色になっていた
00:04:18大学の中はですね
00:04:20内科の屋上にあの校舎砲が吸い付けられて
00:04:24そして医学部はもう立ち物穴が真っ黒に縫ってですね
00:04:30そして西部軍の軍人たちがもう活歩していましたね
00:04:35もう勉強どころでは全然ないんですよ
00:04:39旧大医学部は
00:04:45軍への積極的な協力を求められていた
00:04:49軍との関わりが特に深かったのが
00:04:56第一外科を率いる石山福次郎教授
00:05:00石山教授は
00:05:08海水を使った代用血液の研究を進めていた
00:05:12本土血栓が始まれば
00:05:14大量の負傷者が出て
00:05:16輸血用の血液が足りなくなることが
00:05:19懸念されていた
00:05:215月5日
00:05:30一機のB-29が
00:05:32日本軍戦闘機の体当たりを受け
00:05:34大分県の山中に墜落
00:05:43生き残ったアメリカ兵は捕らえられ
00:05:46福岡へと連行された
00:05:48みな
00:05:5020代以下の若者だった
00:05:56B-29の機長はただ一人
00:05:58情報価値があるとして
00:06:00東京へ送られた
00:06:06軍の内部では
00:06:08残りの捕れの扱いをめぐって
00:06:10議論が交わされた
00:06:12最終的に持ち上がったのが
00:06:19捕虜の体を使った
00:06:21人体実験だった
00:06:23計画の中心にいたのが
00:06:33旧大医学部出身の
00:06:35小森拓軍医だった
00:06:37軍の食卓医でもあった
00:06:41石山教授は
00:06:43計画を受け入れた
00:06:45手術を行う場所は
00:06:49第一外科ではなく
00:06:51解剖学教室に決まった
00:06:53人目につきにくい場所だった
00:06:575月17日
00:07:01生体実験手術
00:07:03その日の出来事
00:07:05東野さんの証言と
00:07:07裁判記録をもとに再現する
00:07:09その日
00:07:11解剖学教室にいた東野さんは
00:07:13一人で論文の整理をしていた
00:07:15その日
00:07:17解剖学教室にいた東野さんは
00:07:19一人で論文の整理をしていた
00:07:21その日
00:07:23解剖学教室にいた東野さんは
00:07:25調理をしていた
00:07:34夜を足すに席を立った時
00:07:36中庭で思わぬ光景を目にする
00:07:39二人のアメリカ兵が
00:07:46日本兵に両脇を抱えられ
00:07:48目の前に現れた
00:07:50ときに
00:07:52He was in the middle of the door.
00:07:59What's that?
00:08:00What's that?
00:08:02What's that?
00:08:03What's that?
00:08:05What's that?
00:08:06It's here.
00:08:11He was a little girl in the room.
00:08:22In the mood of a person,
00:08:24he was in the room.
00:08:33He was in the room.
00:08:34There were a few,
00:08:35the one who had been in the room for this,
00:08:37A few people.
00:08:44The inner room was in the room.
00:08:46In the air,
00:08:47he revealed the proper reason of the treatment of the treatment of the right.
00:08:52This was a war of the people who were attacked in the city of Nagoya.
00:08:58They had a war of the war.
00:09:01It was a war of the war.
00:09:02It was a war of the war.
00:09:03We had a war of the war.
00:09:06It was a war of the war.
00:09:11It was a war of the war.
00:09:15It was a young American man who had been sleeping with the Aethel麻酔
00:09:18with a young young man who had not changed the age of Tono.
00:09:23There was a wound in the right hand.
00:09:29Mess.
00:09:34But the teacher put the mess on the right hand was not the right hand.
00:09:40It was the heart.
00:09:45In the front of the man, the right of the right of the肩肺 had been taken to the right of the肩肺.
00:10:00He said that he had a clear tone.
00:10:06He said that he was able to get the right of the肩肺.
00:10:13I can do it!
00:10:18The next step was done with the test.
00:10:23After the surgery, the water used to use the water to use the water.
00:10:37He told me to use the water to use the water.
00:10:43After the surgery,
00:10:50he saw the face of the doctor of Hirakou.
00:10:55He remembered the words that he said to him.
00:11:03When I was in the surgery,
00:11:06I was in the back of my head.
00:11:10And I also thought, I was going to see how it was, and I was going to come back to my house.
00:11:17I also thought, when I was back to my house, I was going to come back to my house.
00:11:23And I said, I said, you are a lot of my students, and I was going to see them.
00:11:30And I was going to say, I was going to say, you know, I was going to see them.
00:11:40実験の末、この日二人のアメリカ兵が死亡した。
00:11:56医師が人の命を奪ったことに声を上げる者は誰一人いなかった。
00:12:06全てが終わった後、東野さんは床一面に広がった血を洗い流すよう命じられた。
00:12:24生体実験は4日にわたって行われた。
00:12:29実験されたのは肺だけではなく、心臓、脳の手術、大腰血液の実験は繰り返し行われ、合計8人の捕虜の命が奪われた。
00:12:468月15日終戦。
00:13:05占領統治を始めた連合国総司令部GHQは、アメリカ兵捕虜の行方に重大な関心を寄せていた。
00:13:20九州を管轄していた軍幹部は、直ちに隠蔽工作を始めた。
00:13:27実験手術の中心となった小森軍は、福岡での空襲で、すでに死亡していた。
00:13:40実験手術で亡くなった捕虜8人は、終戦間際、広島に送られ、原爆で死亡したことにされた。
00:13:53しかしGHQは隠蔽工作を見破り、九州大学医学部への調査を始めた。
00:14:05昭和21年7月、捕虜虐殺の容疑で石山教授に逮捕命令が下された。
00:14:18事件の確信を知る石山教授に対して、連日厳しい尋問が続いた。
00:14:28逮捕から4日、石山教授は、高知署内で自ら命を絶つ。
00:14:35独房に遺書が残されていた。
00:14:41遺書が残されていた。
00:14:48一切は、軍の命令を受けた自分に責任がある。
00:14:56石山教授の死によって、事件の真相追求は困難に直面した。
00:15:03手術に関わった医師たちに、次々と執刀命令が下された。
00:15:11藤野さんにも追及の手が及んだ。
00:15:21おそらく朝10時頃から夕方5時まで、4人の取り調べ官ですね。
00:15:31通訳が2人と訪問。
00:15:35手術の時に、どの医者がどういうところに立ってやったかとか、誰がいたかとか。
00:15:48手術場に初めから顔向けがあったんじゃないかとかですね。
00:15:54立て続きに4人からテーブルを叩かれてやられるとですね。
00:15:59さすがに、やっぱり神経が参りましたね。
00:16:04結局、事件当時医学生だった藤野さんは、奇想を免れた。
00:16:113月11日、横浜軍事法廷は、いよいよ九州邸大の捕虜虐殺事件の公判を開始しました。
00:16:29昭和23年3月、手術に関わった9大の医師や看護婦14人と軍人16人が法廷に立たされた。
00:16:44医師たちは、なぜあの手術に加わったのか追求された。
00:16:51当時、軍の力は絶大で、善悪の判断がつかなくなっていました。
00:17:03軍の権力の前では、私は無力でした。
00:17:08手術が不要なものだと分かった時に、逆らってでも手を引くべきでした。
00:17:15関わってしまったことを、後悔しています。
00:17:19命を懸けてでも、止めるべきでした。
00:17:26医師たちは皆、手術台の上の人間の命よりも、軍や教授の命令を優先したことを認めた。
00:17:34裁判開始から5ヶ月。
00:17:49医師と看護婦14人全員が有罪。
00:17:56孔子刑3人、終身刑2人、それ以外は3年から25年の重労働の刑が言い渡された。
00:18:13手術の場にいた看護婦は、日本女性で初の戦犯となった。
00:18:23裁判が終わると、旧大学部は、医師や看護婦、学生を集め、反省と決議の会を開いた。
00:18:38この事件は、本学部とは直接関係ないという前置きがあった上で、こう締めくくった。
00:18:50医師としての天職を守り抜くためには、たとえ国家の権力、または軍部等の圧力が加わっても、絶対にこれに屈辱しない。
00:19:05九州大学は、この決議文を持って事件に一区切りをつけた。
00:19:12その後、九大生体解剖事件は、人々の記憶から徐々に消えていった。
00:19:19遠野さんの戦後は、大きな迷いから始まった。
00:19:26遠野さんの戦後は、大きな迷いから始まった。
00:19:33大学卒業後、医師になるべきか、ならざるべきか、葛藤の日々が続いた。
00:19:41大学卒業後、医師になるべきか、ならざるべきか、葛藤の日々が続いた。
00:19:48大学卒業後、医師になるべきか、葛藤の日々が続いている。
00:19:53頑張ってくるのは、ぬくもりの残る捕虜の体から、臓器を取り出す手伝いをした時のことばかりだった。
00:20:06いきなり私は、今まで何にも医学知らない人間が、いきなりそういうことをさせられたら、たまらないですよね。
00:20:16医者に対する不審感、それとその時の衝撃ですね。
00:20:28迷った挙句、葛藤さんが選んだのは、命の誕生を助けることができる産婦人会への道だった。
00:20:3735歳で、福岡市内に医院を開業。
00:20:46ところが、事件で受けた心の傷は、想像以上に深かった。
00:20:52その傷は、想像以上に深かった。
00:21:01開業から7年。
00:21:02なんか、精神的にこう、行き詰まった感じがしましたね。
00:21:11心臓内から2か月入院して、その時はもう不眠症がある。
00:21:17体調が悪い。薬を飲んでも効かない。
00:21:23とうとうもう、医者から見晴らされたっていうか。
00:21:29事件後、東野さんがずっと気にかけてきたのが、
00:21:369年半の服役の後、医療現場に復帰した恩師、平子五一のことだった。
00:21:46東野さんと同様、平子医師も、事件の記憶を断ち切れないでいた。
00:21:52昭和42年、東野さんは、病床にあった恩師を訪ねた。
00:21:59その時の言葉、旧代、B29。
00:22:07もう何か所で、だんだん意識が悪くなって、
00:22:11その時に、なんとなく旧代とか、
00:22:15そういう言葉の端がちょっと出てくるんですね。
00:22:23決して消えることのない、事件の苦しみ。
00:22:28明らかにされてこなかった、真実。
00:22:37東野さんは、自らが事件と向き合うことを決意した。
00:22:41どうして、こんな事件でね、私が遭遇したか。
00:22:48そして、これを、いい加減にはされない。
00:22:51やっぱり、きちっと最後まで、事実を貫いて、
00:22:55やっぱり、本当のことをね、やっぱり、
00:22:57それがもう、私の反面、課せられた運命だなと思ってはいますね。
00:23:06東野さんがまず調べたのが、
00:23:12アメリカ兵法令たちが、どういう経緯で旧代に運ばれてきたのか。
00:23:17しかし、調査は、はじめから大きな壁に突き当たった。
00:23:27B29の東証員が、パラシュートで降り立った場所。
00:23:36ここに東野さんは、何度も足を運んだ。
00:23:39アメリカ兵たちを目撃した住民たちが、一様に固く口を閉ざしていたのである。
00:23:51戦後になってね、新中軍って、もう徹底的にね、厳しい調べを受けたからね。
00:24:00もう絶対、そういうことは後になって、私が聞きに行ってもね、
00:24:06はじめはもう、全然知らぬ存知らぬやった。
00:24:1030年経って、やっと話してくれたらね。
00:24:17東野さんの熱意に、住民たちは徐々に過去を語り始めた。
00:24:25そして、墜落当時の状況が、次第に明らかになった。
00:24:31アメリカ兵の一部は、住民たちによって、死に追い込まれていた。
00:24:39一番初めの人は、もう20歳前ぐらいの若い人らあるしかた。
00:24:44ピストルを抵抗して、そしてピストルを捨てて、ホールドアップしたんです。
00:24:52それでも、もう100人ぐらいの軍書が取り巻いて、
00:24:57竹槍、草刈釜、常時持って、2本通る。
00:25:01もう、殺そうと戦罰化になったから、自分が捨てたピストルを取って、
00:25:09頭を撃ち抜いて、亡くなったんですね。
00:25:11後の人は、不甲斐ことに、その村の獣医さんですね。
00:25:22うちの治療する獣医さんが、アメリカにちょっと行っていた経験があるから、
00:25:27とてもアメリカという国は、優れた国である。
00:25:34絶対、捕虜は殺すなって言って、守ってくれた人が一人。
00:25:39もう一人は、日露戦争に行って、捕虜というものは、殺しちゃいかんっていうことで、
00:25:46自分は身を張って、止めた。
00:25:54生きなびたアメリカ兵たち。
00:25:57結局、旧大で医師たちの手により、死亡することとなった。
00:26:09大分県武田市に建てられた、順空の火。
00:26:13遠野さんの調査がきっかけとなり、地元住民の手によって、
00:26:23B29の搭乗員らと、体当たりした日本兵を追悼する日が立てられた。
00:26:28事件に関わった旧大の医師たちは、戦後、苦しみの中にいた。
00:26:42終戦から5年、GHQによる占領が終わりに近づくと、
00:26:48戦犯に対する御社原刑が行われた。
00:26:52旧大の医師、看護婦、14人も釈放された。
00:26:56しかし、その後も、自ら積極的に事件を語ることはなかった。
00:27:1014人全員が、今はもうこの世にはいない。
00:27:1920年前、甲状腺癌で亡くなった、田代智樹医師。
00:27:25実験手術では、手元を照らすランプを持つよう指示された。
00:27:335年半の服役の後、故郷福岡へ戻ると、市内に外科院を開いた。
00:27:4093歳になる妻、照子さんとその妹。
00:27:48田代医師は、最愛の人にも、事件のことを語らなかった。
00:27:54田代医師は、巣が出たら、新しい生き方をしなくちゃという思いはありました。
00:28:00田代医師は、何回か新しいことを考えるからね。
00:28:07田代医師は、無宗教のお地蔵様を飾ってあるんですよね。
00:28:11田代医師は、無宗教のお地蔵様を飾ってあるんですよね。
00:28:16田代医師は、無宗教のお地蔵様を飾ってあるんですよね。
00:28:20田代医師は、世の中には、自分の思わない方向に行ってしまった人生が、
00:28:31神も仏もない人生という思いが、
00:28:37須賀門に行った時に感じられたんじゃないでしょうかね。
00:28:41須賀門に行かなかったら、また、
00:28:44うーん、違う状態だったでしょうけどね。
00:28:47うーん、違う状態だったでしょうけどね。
00:28:50うーん、
00:28:53ただ一人、看護婦として有罪となった、筒井静子さん。
00:29:024年で須賀門プリズンを出た後も、
00:29:10女性初の戦犯として、世間の注目を集めた。
00:29:14それから逃げるように、日本各地を転々とした。
00:29:19たどり着いたのが、東京郊外の病院。
00:29:30その後30年、看護婦長を務めた。
00:29:34生涯、独身だった。
00:29:36当時の筒井さんを知る、同僚の田村月子さん。
00:29:46すみませんけど。
00:29:48分かりました。
00:29:50事件のことは、引きずっている感じはありましたか?
00:29:53いや、もう、とにかく事件のことは、全然言われないですよね。
00:29:57病院での筒井さんは、常に、患者のことを第一に考える姿勢を貫いていた。
00:30:10やっぱり、みんなに慕われていましたよね。
00:30:13外来院の看護婦さんやら。
00:30:16不祥算、不祥算ってみんな言ってましたので。
00:30:20やっぱり、入院して退院したら、外来院に必ず再診するじゃないですか。
00:30:25まあ、その方たちもね、筒井師匠さん、筒井師匠さんって言ってましたから。
00:30:31やっぱり、みんなに慕われてたんですよね。
00:30:35筒井さんは、68歳で看護婦を引退。
00:30:41故郷の北九州に戻った。
00:30:44あ、こんにちは。
00:30:46あ、こんにちは。
00:30:48いらっしゃいませ。
00:30:50当時を知る名のA子さん。
00:30:52どうぞ、お待ちください。
00:30:5317年前、筒井さんは全身に癌が転移し、
00:30:59既得状態に陥った。
00:31:01A子さんが病床に駆けつけると、
00:31:05上言を繰り返していた。
00:31:08私だって人間なんだからね。
00:31:11私だって人間なんだよってから、ずっとそれを繰り返すんですよね。
00:31:15そうよ、おばあちゃん、人間は分かってるやんって言ってから、こう言って言うんですけど、結局もう、上言ですから、死ぬ間際になってそういうことをね、言うっていうのはもう、後で考えたら、その事件の時のことなのかな、っていうね、と思いましたね。
00:31:33その、どういった場面でその言葉が出てくるか、私はちょっと分かりませんけど、でもそれは何十回となく言ってました。
00:31:42亡くなる間際になって、初めて家族に事件のことを語った人もいた。
00:31:53事件当時、石山教授の下で、大腰血液の研究を行っていた、久保俊幸医師。
00:32:03釈放後、下界の不足していた、福岡県黒木町で、下界院を開業した。
00:32:21迎えに住んでいた、樋口純一郎さん。
00:32:25人捨てに、久保医師の過去を伝え聞いていた。
00:32:29年賀状が、偶然、出てきましたので。
00:32:36久保医師は、三十年間、地域医療に尽くした。
00:32:43年賀状に記された、久保医師の座右の銘。
00:32:50善人にあらずんば、良いにあらず。
00:32:56良い意思であるためには、良い人間でなければならない。
00:33:00罪の意識ですかね。
00:33:01それを、やっぱり、良い方向に、報えることによって、生きていくと。
00:33:07患者さんの生命を大事に、プラスに転換させられた。
00:33:14ことによって、生きていくと。
00:33:22患者さんの生命を大事に、プラスに転換させられた。
00:33:28ことによって、心を前向きに、本当に社会に貢献された。
00:33:38久保医師は、肺癌で余命犯として分かったとき、長女由美さんに、事件のことを語り始めた。
00:33:53お父さんは、後悔しても、後悔しても、後悔しきれない、悔やみきれない、ことがあったんだっていうふうに、
00:34:08後悔しきれない、悔やみきれない、ことがあったんだっていうふうに、
00:34:20絶対にやってはいけないことだった、っていうことを、私には言いましたね。
00:34:31由美さんには、大切にしている父親の塊がある。
00:34:35これはですね、父が描いた絵なんですけど、
00:34:41昭和50年、6月3日って後ろに描いてあります。
00:34:50事件からちょうど30年、久保さんは、赤いバラの絵を描いた。
00:34:56父として、なんかこう、節目節目に、何かこう、残しておきたいっていう、
00:35:06愛と込めた、バラのように、私がこう、映りますけれど、
00:35:10戦争があってはいけないっていうことは、もう、何度聞いたか分からないですね。
00:35:15あの、父が生きたことで、その、今の、私自身もこう、こう、生かされてますし、
00:35:21その、子供や孫もいて、その、その、今の、私自身もこう、生かされてますし、その、
00:35:28子供や孫もいて、その、普通に日常生活をですね、
00:35:38Now I have my life, I have my father, I have my father, and I live in my family.
00:35:52I have my life, and I have a life, and I have been living in my life.
00:35:58I have a reality of the fact that I have been there, and I have a reality of the past.
00:36:07I'm going to be able to give my job to go to school.
00:36:14I'm going to be able to go to school.
00:36:20I'm going to be able to go to school.
00:36:37陶野俊夫さんは壁に突き当たりながらも
00:36:48事件の真相を追い求めてきた
00:36:50東野俊夫さんは
00:37:02九大関係者の写真
00:37:03福岡の工事所で写真撮られた。これは石山教授、平子教授、外科の先生たちですね。もうやつれていますね。そして、この日か、この悪い日の夜、ずだして。
00:37:26フォーノさんは、事件の鍵を握る人々の資料を地道に集めた。
00:37:41その中で、どうしても会わなければならない人物がいた。
00:37:52B29の機長、マーヴィン・ワトキンス。情報価値があるとして、東京に送られ、終戦後、祖国に戻ったただ一人の生存者。
00:38:06この機長さんに会って、当時の事情をですね、詳しく、相手側の人の気持ちをですね、ちゃんと聞いて、そして書き残すっていうのも、非常に大事なことだと思ったからですね。
00:38:25昭和55年6月、アメリカバージニア州で、東野さんとワトキンスさんとの面会が実現した。
00:38:37日本に無差別爆撃を行ったワトキンス機長。この時62歳。
00:38:47そして、生態解剖事件の現場にいた東野さん。54歳。
00:38:53対話は、4時間に及んだ。
00:38:58ガム島を出撃される時の文章っていうか、言葉、そういったね。
00:39:05アメリカバージニアの協力を言ったように言ったの。
00:39:28Well, I'm just going to ask you a question, so I don't want to ask you a question, but
00:39:33if you were to test a test, what do you think about it?
00:39:42I feel this way, if they had survived until the 15th of August,
00:39:48and then were taken out and beheaded, I feel that they died in a good manner.
00:39:54I felt that they died in a headache rather than being the head of the corner of the side for years.
00:40:04In the conversation, Tono-san has the most heart of the heart of Watkins.
00:40:1235 years,婚式 and children, and women, and women,
00:40:18戦争中, and爆撃 started.
00:40:20That was a good thing.
00:40:24It was a surprise.
00:40:26Finsuukが墜落したところには 慰霊碑があるからですね
00:40:33これは何ませんかって言ったら
00:40:35自分は二度と日本の土地を踏めない
00:40:41自分の一生の苦しい体験であると
00:40:47それをはっきりですね
00:40:50I was still holding my hand.
00:40:54It was very surprised.
00:41:02There were no winners and no winners.
00:41:09The war was not there.
00:41:12The truth was that the truth was not there.
00:41:15It's both the body and the heart of the body.
00:41:22It's not what it is.
00:41:25東野さんにとって生体解剖事件の一つ一つの事実に向き合うことは大きな精神的な負担を伴った
00:41:49それを乗り越えることができたのは医師としての日常があるからだった
00:41:54産婦人会として50年間向き合ってきた命の誕生
00:42:15新たな命に 東野さんは支えられてきた
00:42:19自分はあんなことをしたんだからね 少しでももうマシなことをしないといけないなと
00:42:29それを思いますね
00:42:31やっぱり相手があってね 相手が喜ぶことであってやっぱり仕事というのはやりがいがありますよ
00:42:40東野さんが50年近くかけて調査してきた資料
00:42:49去年9月 ついに日の目を見る機会が訪れた
00:42:56110年以上の歴史を誇る九州大学医学部が歴史館を開くことになった
00:43:04九州大学医学部がこれまで培ってきた医学への貢献
00:43:13そして 生体解剖事件についての展示も行われることになった
00:43:25東野さんも生涯をかけて集めてきた資料の提供を自ら申し出た
00:43:314月の開館に向けて歴史館の実行委員との打ち合わせが始まった
00:43:42日本がこれを先生に置くか置かないか知能先生に行って
00:43:47そうそう ああ もちろん ここはこの
00:43:49白いのが展示ケースなんです
00:43:51ああ あの 九州大関係ですね
00:43:54はい そうです 生体解剖
00:43:55この中に生体解剖に関する資料を展示するという形ですね
00:44:01はい これに 加えてもたくさん
00:44:03これに電子情報にして いつでも見られるような形で置いておきますので
00:44:08これが結果がたくさんあるわけですよね
00:44:10はい たくさんあります
00:44:12今度は最後のチャンス
00:44:14いや 最後のチャンス
00:44:15いや もう先生 しっかり理解していただいたから
00:44:18なかなか
00:44:19最後のチャンス
00:44:20最後のチャンス
00:44:22遠野さんは大学で展示が行われることに大きな意味を感じていた
00:44:29大学が本当に医学の中で起こった事件で
00:44:34医者がやっぱし正常な人を実験手術でなくしたんだから
00:44:40それに対してはやっぱし反省と追悼の念を起こすのが
00:44:46もう当然当たり前ではないかと私たちはそう思うわけですけどね
00:44:52それができなかったです 今までは
00:44:55いかにこううまくきちっとね
00:44:59総括できるかっていうか
00:45:01そこが問題ですよ
00:45:03展示内容を最終的にどうするかは
00:45:11大学側が判断することだった
00:45:14開館直前まで
00:45:16学内で検討が重ねられた
00:45:20創立から110年余りとなる九州大学医学部に歴史館が設けられ
00:45:35今日記念式典が開かれました
00:45:39九大医学部の判断は
00:45:41生態解剖事件の展示自体は行う
00:45:44しかし遠野さんの資料の展示は
00:45:47今回見送られることになった
00:45:51九州大学病院に入院していた患者の
00:45:53終戦の直前に陸軍の監視の下で
00:45:56外科の教官らがアベルカ軍の捕虜8人に
00:45:59生態実験を行い死亡させた
00:46:01生態解剖事件についての資料も展示されています
00:46:06この歴史館は今月8日から一般公開されます
00:46:11九州各地の農産物などを紹介し
00:46:17地産地消費や食育の大切さを伝えようという催しが
00:46:20心の中で楽しみにしとったんです
00:46:24何もそれはないし
00:46:27展示する予定に持っていた資料も1点も出されない
00:46:32力が抜けるほど残念ですね
00:46:34九州大学医学歴史館
00:46:46生態解剖事件についての展示は2点
00:46:53事件の概要を説明したパネル
00:47:00そして終戦直後の反省文が載る
00:47:04九州大学五十年史だった
00:47:10パネルには事件を振り返った上で
00:47:15哀悼の意が掲載された
00:47:18思い出す
00:47:24それが残念など
00:47:30第2章
00:47:33大学医学歴史の一発
00:47:36開館直後は
00:47:38落胆の色を隠せなかった冬野さん
00:47:40しかし
00:47:46But, for a while, the feeling of the feeling changed.
00:47:58In the late 90s, Tono-san had something to say.
00:48:07There were many people who died.
00:48:11So, when I was in my life, I had to give up my life to me.
00:48:18I was like, I don't want to give up.
00:48:25I don't want to give up.
00:48:28I don't want to give up.
00:48:31I don't want to give up.
00:48:347月中旬
00:48:47東野さんは自らの委員で生態解剖事件に関する展示を始めた
00:48:55東野さんが生涯をかけて集めた資料の数々がそこにあった
00:49:10自ら足を運び、関係者の話に耳を傾け
00:49:19丹念に掘り起こしてきた70年前の事実
00:49:254週間にわたって開かれた展示会には
00:49:46およそ1500人が足を運んだ
00:49:50展示会の感想ノート
00:49:56その中には現役の医師や
00:49:59将来医療の道を志す若者たちの言葉があった
00:50:10医師として当たり前の教えが
00:50:13なぜ当時の先輩医師たちにはできなかったのでしょうか
00:50:18これから医療に携わるものとして
00:50:27向き合わなければならない過去だと思っています
00:50:30九州大学生体解剖事件
00:50:41九州大学生体解剖事件
00:50:44人の命を救う医師によって
00:50:518人のアメリカ兵掘るの命が奪われた
00:50:55その事実は決して消えない
00:51:03戦争というものはね
00:51:07いかに人間を殺すかということで
00:51:12ぜひこれを参考にね
00:51:16この事件を参考にしてもらいたいと
00:51:19やっぱり事実をはっきりやはり
00:51:22生の事実は残さないとね
00:51:27いかがでしたか?
00:51:42いやー
00:51:45初めは見るのがとてもつらかったですね
00:51:51なんでこんな事が起きて
00:51:58どうして誰も止められなかったんだろうって思って
00:52:03僕たち医師は特別な行為が認められている
00:52:12例えばメスで人のおなかを切って
00:52:16胃がんを取り出すとか
00:52:18それだけの権限というか選択をする行為が認められている裏側には
00:52:26鋼のような倫理観がなくちゃいけないんじゃないかなっていう風に見てて思いました
00:52:34でも本当に戦争という極限状況の中で
00:52:38本来だったらね
00:52:39冷静に判断しなければいけない人たちが
00:52:41次々に判断できなくなっていってしまったということ
00:52:45今回の事件はそれを示してますね
00:52:48やはり当時の軍の力って大きいから
00:52:52一回そういうのに負けてしまって
00:52:55軍に対して何か言えなくなってしまうと
00:52:58あとは今度は閉ざされた組織の中のヒエラルギーの中で
00:53:04また言えないために間違ったことを
00:53:09軌道修正ができない
00:53:11どこかにやっぱりやっちゃいけないって意識があったんでしょうね
00:53:16無差別で大勢の日本人を殺したんだから
00:53:19この連中のことは構わないみたいな
00:53:21そういう自分の行為を正当化しようという意識が
00:53:25どこかにあったんだってことですね
00:53:27そうですね
00:53:29心の闇っていうか
00:53:31僕だって分からないけども
00:53:33もしかすると
00:53:35多分外科医にとって
00:53:36当時は血核という病気が日本では大変多かったので
00:53:42その人たちを助けるためには
00:53:45肺を切除するということも
00:53:48治療の一つの選択であったんですよね
00:53:52だからどこまでとっても人間は生きれるのかっていうのは
00:53:56その外科医にとっては
00:53:59知りたかったっていうのが
00:54:02絶対してはいけない下心だけども
00:54:06もっと助けられる人が出てくるっていう
00:54:08こう邪悪な心が少しあった可能性はあるのかなと
00:54:14人間の心の闇のどっかに
00:54:18そういうことをしてしまう何かがあるっていうのを
00:54:23この事件は教えてくれて
00:54:25だからこそ僕たちは
00:54:27二度とそういうふうにしないためには
00:54:29どうしたらいいのかっていうのが
00:54:30問われているのかなと思うんですけども
00:54:33そして遠野さんですね
00:54:35三婦人会を選んだ
00:54:37あんなことをやってしまったから
00:54:39今度は命の誕生をお手伝いをしたいという
00:54:43そういう思いでずっと生きてこられたんですね
00:54:46それがあるからこそ遠野さんは
00:54:49ものすごくポジティブに人生に対して
00:54:53例えば自分の委員で展示をしたり
00:54:58いろんなところへ調査をしていく
00:55:01そのエネルギッシュな人生に対して
00:55:04前向きな行為ができたのは
00:55:07やっぱり命の誕生に寄り添ってたからこそ
00:55:12いつか自分は死んでいくとしても
00:55:14その命の在り方に関しては
00:55:16きちっと大事なことを残しておきたいっていうふうに
00:55:20思われたのかなと思いました。
00:55:23でまあ自ら展示をしたらですね
00:55:26そこにこうまあそれを見に来た人の中に
00:55:29将来医療に携わりたいという人の
00:55:32決意表明のようなものもありましたね
00:55:34そこが結構大事なところで
00:55:37あった事実
00:55:40旧大で起きた事実をもっと国名にかえって
00:55:45僕たち人間はこういうことをしてしまうこともあるんだ
00:55:49だからどんなことがあってもしてはいけないラインがあるんだ
00:55:54ということをやっぱり隠さないで全部
00:55:59トーヌさんのように示した方が
00:56:04より多くの人に影響を与えることができるんじゃないかなって気がしました
00:56:10より多くの人が来るんじゃないかなって気がする
00:56:29I'm going to take a look at all of these stories.
00:56:59First, I'll explain what happens if I don't have the identity of a person.
00:57:06A lot of people don't have to understand and understand what they're trying to do.
00:57:26毎日、この日は一部の医療者が異常な状況下で起こした特殊な出来事として片付けることはできません。私たち医療者がもし同じ状況に置かれたとき、いかに考え、いかに行動すべきか問い続けることが求められています。
00:57:46いいね。
00:58:14ハイジャックされた。
00:58:50あの超有名古生物アンモナイトを大研究。天敵だらけの海を一体どう生き抜いたのか。謎だらけの生態にとことく迫ります。
00:59:32伝説のコンサート、渡辺美里、2005年の西武ドーム公演をリマスター版で、BS12月6日午後5時30分、ゆったり温泉ひとり旅、秋の北陸新越、歴史、自然、人とつながる名湯へ。
01:00:00次回予告。
01:00:02次回予告。
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