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00:00平星のごとき武将たち。
00:04その中で、日本武士として卑怯千万と
00:08蔑まれてきた男がいる。
00:13荒木村重。
00:16あの織田信長に無本を起こした武将である。
00:22村重は天下統一を目指す信長の下、
00:26現在の大阪府から兵庫県にまたがる地域を統治。
00:33武将としての才覚を信長から高く評価されていた。
00:41その片鱗が城づくりにも現れている。
00:47その後の江戸時代の城ですね。
00:50金星城郭のいろんな要素を先取りしていたのが、この有岡城。
00:55東大切手の巨大城郭を築いた村重は信長の過信団での存在感を高めていった。
01:07だが天正6年、村重は突如信長に反旗を翻す。
01:14信長の説得にも応じず、鉄壁の城に籠り、織田軍相手に徹底抗戦を続けた。
01:27だが終焉の時が訪れる。
01:30家臣や家族500人以上が捕らえられ、処刑される中、村重は逃げ延び、命を流らえた。
01:42武人の恥。
01:47命を惜しんだ卑怯者と長く語り継がれてきた村重。
01:52だが近年、そのイメージが覆り始めている。
01:57とにかく生き残って未来を切り破こうとしていた、そういう武将だと思います。
02:04最新の研究で見えてきたのは、戦国乱世の生き残りをかけた村重の戦略。
02:14新しく発見された資料からは、祭司を救う騎士改正の策も明らかとなってきた。
02:25村重とはいかなる人物だったのか。
02:30村重の中にあるのは、城ではなく都市国家を作ろうとしているのかなと。
02:35その夢のためにはやっぱり手段を選ばない。
02:38だから僕は村重が本能寺の編の裏側で光秀と連携しながら、何かやってないかということは疑い続けている。
02:48敗者となったがゆえに、歴史の陰に消されていった武将、荒木村重。
02:54その素顔に今宵迫っていく。
02:59敗者となったがゆえに、歴史の陰に戦略。
03:04敗者に引き続き。
03:08敗者となった。
03:12皆さんこんばんは、こんばんは。
03:36歴史のターニングポイントで英雄たちに迫られた選択、そのとき彼らは何を考え、何に悩んで一つの選択をしたのでしょうか、そしてあなたならどうしますか、きょう取り上げるのはこちら、戦国武将の荒木村重です。織田信長に謀反を起こした人物ですが、磯良さん、どんな武将なんでしょうか。
03:57これはね、信長を裏切って家族や家臣が処刑される中、自分だけは生き延びたということで、卑怯者として語られることが多い武将なんです。なんか悪そうな顔に書いてあるでしょ、この絵もね。
04:09いやところがこの村重の卑怯者というイメージは後世に残された信長側の資料によるところが多いわけですよ。
04:18能備平野の東海の人たちがみんな大名誉とかになったから実は今の歴史観って名古屋市観なんですよ新木村重とか松永久秀とか機内で一国を支配しそうになるようなすごい武将っていうのが正当にちゃんとテレビで作られてるかっていうと疑問ですね
04:41では新木村重がどのような人物だったのか迫っていきましょう江戸時代に描かれた村重が初めて信長に越見した時の逸話がモチーフとなっている村重の口に描かれているのは大きなまんじゅう
05:11この時信長は高槻に置かれたまんじゅうを刀で刺し村重の前に突き出した
05:22周囲の者が青ざめる中村重は臆することなくまんじゅうを平らげた
05:37信長は村重を気に入り日本一の器量と称賛したという
05:48村重は天文4年摂津の国の国衆池田氏の家臣の家に生まれた
05:58高い身分ではなかったが池田氏の下数々の武功を挙げ摂津の有力者へとなり上がっていった
06:07そんな村重の天気となったのが元気4年39歳での信長への越見だった
06:18実はこの頃信長は将軍足利義明の策により窮地に陥っていた
06:33義明の呼びかけで武田浅倉浅井そして大坂本願寺らが対信長の共同戦線を形成
06:44信長は周囲を敵に囲まれていた
06:47そんな信長に村重は味方になると申し出た
06:54それはなぜなのか
06:57信長の時代摂津の国には摂津三守護という言い方をして3人の実力者がいたんですね
07:091人が池田勝政それから和田惠政そして伊丹忠智という3人がいて
07:16もう最初から足利義明べったりだったんです
07:19でその時に荒木村重はいやじゃあそっちにいたら自分が出てくるいく幕はないなということで
07:27やっぱ信長に過ぎた方が出世するなということを選んだと思いますね
07:32村重の過世を得た後信長は義明を京都から追放することに成功
07:41村重は信長から摂津の国の切り取り次第を認められた
07:51つまり自力で切り取った土地の支配を許されたのだ
07:56村重は即座に行動を開始する
08:03池田氏を乗っ取り摂津各地に進行
08:08伊丹氏や有馬氏らを滅ぼし天正三年摂津の統一を果たした
08:14村重が摂津支配の本拠地としたのが現在の兵庫県伊丹氏である
08:27城郭考古学者の仙田義博さんと現地を訪れた
08:36いやーこれ有岡城の跡をやってまいりました
08:42これ緑の森が見えてると思うんですけど
08:46もうこれが本丸の一部なんですよ
08:48そしてここ実はこれ有岡城の本丸を囲っていた
08:53長い堀の跡が今こんな風によく残ってるんです
08:58これ行ってみましょうこれ
08:59有岡城の本丸があった場所に向かった
09:05今ですね有岡城の本丸の跡にやってきました
09:13この有岡城は伊丹駅にも近くてですね
09:17有料な駅地下物件となっておりまして
09:20なかなか当時の様子が分かりにくいんですけども
09:23以前ですね当時の有岡城がどんな風になっていたのかということで
09:27復元のイラストをですね作らせていただきました
09:30こちらが千田山監修の下発掘調査の結果を踏まえて作成された
09:38有岡城本丸の復元画
09:41村重は本丸に主殿をはじめ農部隊や庭園を備えた会所などを建築
09:52それらは室町幕府の将軍邸のものと同じ格式高い建物だったと考えられている
10:00先ほど千田山がいたのは発掘で多くの遺構が見つかった本丸の北西部
10:10ここに表示がされていますけれども
10:16この示している石っていうのが柱を支えていた基礎の石があったところですね
10:22まだ当時ですね全国的には柱を地面の中に埋めることで
10:27安定させて建てる建物というのが多く使われていた時代でしたので
10:31こうした組織立ちの建物で本丸の御殿などを整えていたというのは
10:36有岡城の先進性ですね
10:39そういったところがこういった残された痕跡からも読み取ることができると
10:44さらに有岡城の先進性を示すのが規模の大きさだ
10:50これは有岡城の全域を描いた絵図
10:58現在の地図にこの絵図を重ねてみると
11:05本丸は城の一部に過ぎず
11:09城下町全体が土類と堀で囲まれていたことがわかる
11:14こうした構造は総構えと呼ばれ
11:19当時の機内ではほとんど類を見ないものだった
11:23川に沿って築かれた有岡城の総構えは
11:30東西0.8km、南北1.7km
11:34その内側は縦に伸びる堀で二分され
11:42東側が侍町
11:44西側が町人の住む町屋になっていた
11:48そして川へとつながる水路が張り巡らされていたことも
11:57発掘から明らかになった
11:59領民たちの信仰する仏教寺院も建てられ
12:08城下は商いをする人々で賑わったという
12:12武士が地域の経済や流通の要の場所を
12:21城下の町で握るということが
12:23信長が目指していた新しい世の中の作り方ですね
12:28どういうふうに武士たちがまとまっていって
12:30地域を治めていくのかということを
12:32実は信長よりも一歩早く
12:35この有岡の地でしようとしていた
12:37時代を先取りする城づくり
12:42それは村重が信長から能力を認められ
12:47自立して摂津を治めていた証である
12:50本丸の中にはさらに石垣が築かれていた
13:05高い建造物があったと推定されている
13:10船田さんはそれが有岡城にあったと記録に残る
13:18天守だったのではないかという
13:21有岡城にあった天守と呼ばれていた建物も
13:27中は御殿のようになっていて
13:30外は城全体をシンボルになるようなですね
13:34上層階のある建物だったというふうに
13:38イメージしているのではないかなというふうに考えています
13:40後に権力の象徴となる天守は
13:47当時機内で建てられ始めた最新の建造物だった
13:51その天守に村重は
13:57東大の陽気妃と称されるほど美しかったという
14:01妻の田氏を住まわせていたのではと
14:05千田さんは考えている
14:06有岡城の発掘調査で出土した遺物からは
14:14村重の人となりも垣間見えるという
14:17こちらが有岡城から出土した遺物になります
14:25当時の戦国武将はですね
14:28お茶をたしなむことが共用の一つとされておりまして
14:31村重もお茶をたしなんでいたことで知られておりますが
14:34有岡城からも茶道具が出土されています
14:36村重は若い頃から茶の湯をたしなみ
14:44レンガや農にも通じる共用人だったといわれる
14:48当時有岡城を訪れた宣教師ルイス・フロイスは
15:00気品にあふれ心奪われる城と称え
15:04村重に手厚くもてなされたと記す
15:07村重が有岡城を築くのと同時に力を入れたのが
15:17伊丹から南におよそ10キロ
15:19大阪湾に面する天ヶ崎への進出だった
15:24淀川の河口に位置する天ヶ崎は
15:32京都から瀬戸内海へ出るための玄関口
15:35そんな水運の要所を抑えるため
15:39村重は着難の村継を天ヶ崎城市に据えた
15:44さらに摂津西部の港町兵庫津
15:51現在の神戸に花熊城を築城
15:55摂津沿岸部の支配体制を整えていった
15:59そこには村重の野望が秘められていたと
16:07歴史学者の天野忠之さんは考えている
16:10天ヶ崎と兵庫を抑えることで
16:17大阪湾の境を除く主要な港町を抑えていけることができると
16:24そうすると日本の首都京都と東アジアですね
16:30これをつなぐ瀬戸内海という大動脈を
16:33支配することができるんだ
16:34当時瀬戸内海の大部分は
16:39中国地方を支配する毛利氏の勢力下にあった
16:43織田方として毛利との戦いの先頭に立ち
16:48さらに西へと勢力を広げる後期でもあった
16:53荒木村重41歳
17:00飛躍の時を迎えようとしていた
17:03今回も様々な分野の専門家の皆さんに
17:11お越しいただきました
17:12よろしくお願いします
17:13よろしくお願いいたします
17:14まずは小説家の前間仁さんです
17:16よろしくお願いします
17:17前間さんは荒木村重という戦国武将を
17:21どういうふうにお考えですか
17:22今の映像とか見ててやっぱり思ったのは
17:24本能としてはやっぱりこの人勝負師だなと
17:27普通の人が考えない時に
17:30奇抜に手を打つんですけど
17:31成功させるそのなんていうんですかね
17:34手立てが実は結構辛抱遠慮であると
17:37こんな多分言葉はないんでしょうけど
17:38その戦国時代ドリームみたいなものになって
17:41いつかは一刻一刻の領主になりたいと
17:44しかもみんなに尊敬されるような
17:46領民には尊敬される領主になりたいと
17:49天野さんはどうでしょう
17:50荒木村重のどこに注目されますか
17:53まず私卒業論文のテーマは新木村重だったんで
17:58ものすごく懐かしいという思いがあるんですけども
18:02一般的にですね戦国時代というと
18:05織田信長とか橋場秀吉
18:08これが主人公になって
18:10彼らが絶対正義なんですね
18:12そうすると信長に背いた松永久秀
18:16別所長春 荒木村秀
18:19これはですね先が読めないダメ人間なんですね
18:22マイナス評価ということになるかなと思うんですね
18:25かつてはですね織田信長というのはですね
18:28実力主義で実力があれば
18:31どんな人間でも出世できるっていうですね
18:33ところがですねいろんな研究が進んでいくと
18:37実際には戸様の武将はですね
18:40ちょっと冷やめひぐらいを喰らわされて
18:42最終的には使い捨てられてしまうと
18:46そうすると最大の被害者が荒木村秀じゃないかと
18:50そういう見方も出てきたわけで
18:53有岡市に行くと分かるんですけれども
18:55本丸を中心としてその外側に侍町があって
19:00その外側に町屋があって
19:02それを大きな相構えといっている都市の城壁で
19:06囲むと
19:07ですからお城絶対中心というのが出来上がっているんですよね
19:11機内にいろいろあの三好長吉ですとか
19:14天下に声をかけるようなですね
19:17武将というのが現れましたけれども
19:20彼らのお城山城としては非常に立派なんですが
19:24セットの城下の町というのはほとんど持っていない
19:27これは古代以来あのお寺や神社の門前町とか
19:32流通というのはもう別の人が握っていて
19:35それで世の中動いてましたので
19:37なかなかこれ機内進んでなかったんですよね
19:39その土地のだから宗教勢力とかとうまく関係性を築けてたってことなんですか
19:45そこが村重多分偉いところだと思うんですけど
19:47信長だとつい羽生川人を皆殺した上に
19:51新しい町が出来上がるみたいになりますけど
19:54村重はその点はこううまくいろんな利害関係も調整しながら
19:59バランスを取りながら自分がトップを取って
20:01ああいうお城と城下町作ると
20:04中世の城はまず殿様だけが囲まれたとこにあって
20:08また別の家臣も重心になると
20:12その横に砦みたいに囲んだ城を持ってて
20:16また別の場所に町があって
20:20それぞれ別居なんですよ
20:22だけどあの後ろを見たら
20:24総構えでみんな俺が抱いてやるよみたいな感じで
20:28その村重の中にあるのは城ではなく
20:31都市国家を作ろうとしているのかなと
20:34一つはやっぱり摂津って一時期で面倒くささ
20:38いろんな既得権者がたくさんいる中で
20:41彼らを納得させながら戦わないで丸く収めるには
20:45領民全部私が守りましょうと
20:48経済豊かにしましょうと
20:50我々は戦争屋じゃないよっていうところを見せるには
20:53港を押さえる商業を豊かにするっていうのは
20:57頭の中にあるのは侍の発想ではなく
21:00国家経営ですよね
21:02ただその信長の家臣でありながら
21:05そこまで自由に国づくりをできているっていうのも
21:08ちょっと不思議に思うんですが
21:09天野さんいかがですか
21:10一つキーワードやっぱりですね
21:12切り取り次第っていうことでしょうね
21:15例えばですね
21:16柴田勝家ですね
21:18越前という大きな国をですね
21:21支配任されるんですけども
21:24これは織田軍団がみんなで攻めかかっていって
21:27越前を平定して
21:28信長から柴田勝家
21:30お前がここをちゃんと支配しなさいと
21:33なのでこんなことをしなさい
21:34あんなことをしなさい
21:35信長の方に足を向けて寝てはいけませんというですね
21:38こういう細かい指示があるんですね
21:41だからそことの違いがものすごく大きくなってしまって
21:46切り取り次第だからこそ
21:48信長もあんまり細かいことは
21:49村重自身は信長の家臣というよりは
21:56家臣なんですけども
21:58同盟を結んでいるぐらいのイメージが
22:02本心ではなかったかと思うんですね
22:04政治家としても
22:06俺信長よりうまくできてるんじゃないか
22:09ぐらいの思いがあって
22:11その自由な裁量が認められているうちは
22:15お互い成り立つっていうのか
22:18多分そこがもしかすると
22:19この不幸の始まりで
22:21なんでお前もっと俺にハグさせないんだみたいな
22:24最初はちゃんとお前を食ったのに
22:27これって大体信仰勢力が潰される原点ですけど
22:30そこであなたは分をあきまえて
22:32もうちょっとおとらしくしてればいいのに
22:34っていうのが
22:35M&Aの教訓として重要な関係性だと思いますね
22:38信長M&Aって守護クラスは
22:41例えば六角佐々木六角だとか
22:43山名みたいなあんな名門クラスは潰されるか
22:46大きいやつは
22:48トゥービッグなやつは損してきたと
22:49なるほど
22:50それを思うんですよ
22:51この歴史の結果から見ると
22:53あんまり大きい単位では
22:56信長の参加に入らない方がいいぞ
22:57機内のやつらはっていうのが
22:59そんな村重の人生に大きな転機が訪れます
23:03信長との決別です
23:08セッツから瀬戸内への進出を狙う村重
23:12だが村重の野望は
23:15思わぬ形で打ち砕かれる
23:18天正5年
23:23信長が
23:25毛利攻めの総司令官に
23:27橋場秀吉を任命し
23:29張馬出兵を命じたのだ
23:31だがその2年前から村重は
23:38張馬を調略
23:39別所長春ら地元の有力者を味方につけ
23:43対毛利の足掛かりを築いていた
23:46本来は俺が張馬の平定のね
23:52あるいは中国攻めの対象になるはずのところを
23:55横取りされたというね
23:57なんで俺じゃなくて
23:59秀吉なんだと
24:00ある意味では
24:01今の言葉で言うと
24:03面目を潰されたみたいなね
24:05張馬で毛利方と対峙した秀吉だったが
24:11出だしからつまずぐことになる
24:13村重が味方につけた別所長春が
24:21毛利からの調略を受け
24:23織田方から離反
24:25さらに一度は攻略した光月城を奪い返されるなど
24:31秀吉は失敗を重ねていく
24:34秀吉の指揮下にあった村重は
24:41ここで決断を下す
24:43天正6年10月21日
24:51信長の元に届いた知らせ
24:54それは
24:55決断の背後にあったのは
25:08張馬攻めを巡る不満だけではなかったようだ
25:13別所長春がもう無本をしているんですね
25:20北側の丹波はもう旗野がもう半織田で動いているわけですね
25:26南側の大阪本川にはまだまだ手強い像です
25:29本当に織田方が近畿気象ですよね
25:33確保できるのかどうかっていうのは不安な思いも積もってくるわけなんですよね
25:38さらに信長の戦いに火星を迫られる中
25:45村重は摂津の領民に大きな負担を貸さざるを得ず
25:50領内に不満が拡大していた
25:53だが摂津一国で信長に立ち向かうのは不可能
26:03そこで頼ったのが
26:10ビンゴの国で再起を図っていた足利義明と
26:14義明を庇護する毛利輝元だった
26:18さらに村重は一公衆の本山大阪本願寺に手を回している
26:28村重が本願寺権利から受け取った貴重門にはこう記されている
26:41摂津から逃げてきた領民を本願寺は受け入れない
26:49摂津は一公衆の門都が多い地域だった
26:57村重は領民が本願寺を頼って逃げ出すことのないよう
27:02対策を講じていたのだ
27:04村重はさらにハリマやタンバの反信長勢力とも結託
27:12摂津を起点に一大連合が築かれた
27:16天正6年11月
27:25信長は村重を討つべく摂津に出陣
27:29その軍勢は5万を超えた
27:32そして
27:36激しい攻防戦が開始された
27:44だが村重が築き上げた有岡城の守りは固かった
27:53城の東側は川が要害となり敵の侵入を阻止
28:02城下町を囲む総構えの要所には
28:06堅固な砦が築かれていた
28:09その一つ北側の砦があった場所に当時の痕跡が残っている
28:17今ですね
28:19稲野神社というところに来ているんですけれども
28:24この土手はですね
28:25実は戦国時代
28:27町を囲っていた城壁の名残ですよね
28:31その痕跡がこの場所はとてもよく残っているんです
28:34この外側のところにはセットになった堀があったので
28:38これちょっと行ってみましょう
28:39今は遊歩道みたいになっていますが
28:46ちょうどここも堀がずっと通っていたところでして
28:50大きな城壁の土類ですね
28:53土手と堀がセットになって森を固めていたという様子を
28:57すごくよくイメージすることができます
28:59城内には総賀前の外の領民を収容する場所もあり
29:08皆が一体となって城を守ったとされる
29:12信長は何度も正面突破を狙ったが
29:20固い守りを前にことごとく失敗
29:222000もの兵を失い信長の側近も討ち死にした
29:32力攻めが通じないと悟った信長は
29:42兵牢攻めに移る
29:43だが村重には頼みの綱があった
29:51毛利からの援軍である
29:59毛利照本が派遣した軍勢が
30:07瀬戸内海を経て天ヶ崎に上陸
30:10有岡城へと送り込まれた
30:12鉄砲をはじめとする武器や兵牢も
30:20天ヶ崎から摂津の各地へ届けられた
30:23その補給路を織田方から守ったのが
30:30摂津の領民たちである
30:32村重に呼応した領民は
30:38摂津各地の城や山で信長軍を牽制
30:42信長の大軍勢を相手に
30:51村重は一進一退の攻防を繰り広げていった
30:55天正6年荒木村重は信長に謀反を起こしますその理由についてさまざまな説があるんですが青野さん最も大きな要因というのは何だったんでしょうかね
31:12尾鷹診断でのこう人材投与を巡る問題なのかなと思うんですねそもそも信長もですね最初は光秀とか村秀とか藤鷹のような機内衆というのを結構使いこなしていたんですけどもだんだんですね尾愛衆をこう送り込んでいって機内衆はみんなそのまあ縁の人の力持ちといいますか援軍をやってくれとそうするとその援軍の軍慈悲をどうせんといかんようになるんですね
31:42それはもう全部摂津の領民にのしかかってくるわけですね重税になるんですね村重とすると摂津の領民の支持を裏切らずに反感を買わずにどこまでやっていけるのかっていうふうになった時にもうちょっと我慢の限界が来てしまったという感じですね
32:00荒木村重の領地の中には一向衆を信じている人もたくさんいるわけですよね
32:06家臣にもいるとそういううまくやってたわけですよね調整ができていたとところが信長はもう白か黒かで敵対したらもう皆殺しだとどんどんそれが迫られるっていうんですかねもう逃げ場がなくなってくるっていうところがあったんじゃないかと思うんですね
32:21村重さん賢みに考えすぎるのかなって考えすぎる人は猜疑心が生まれるんですよ結局あの笑顔は1ヶ月前の笑顔と違う人が思い始めても止まらなくなるじゃない人間って
32:33何かね何かすごいイメージとあの絵と違ってこれ繊細なんじゃないかなそうすると気をつけなきゃ気をつけなきゃと思ってるうちに誰かが支えるわけですよねお前もうすぐ絶対潰されるしって言われると考えすぎの男はですね何か言っちゃいましたねっていう感じがしますね
32:53村重は毛利や大坂本願寺と手を組みますけれども天野さんどう信長と戦うつもりだったんですかね村重の結構面白いところはですねその兵たんを重視したことだろうと思うんですね
33:09根性論でとにかく頑張れ頑張れっていうだけで有岡城にこもってるんではなくてちゃんと毛利から援軍兵狼鉄砲火薬鉛りですねこういうのを尼崎港とか兵庫港花熊ですねこういうところに送ってもらってそれで戦っていく戦国もね本当に最終盤なんですねそうなってくると戦争の規模ものすごく大きくなってくる
33:38いかにたくさん火薬とか鉛を入手できるか信長方はもう堺を抑えてそんなことはもうやってるんですねなので村重としてはそれと戦うためにはどうしたらいいか下関とかですね博多で稼いでる毛利と組んで毛利から支援してもらうここまで組み込んで彼は戦争をやってるんですね
34:00結構この有岡城の戦いっていうのは記録にかなり残った平坦戦であのあまり軍機者とかでもそんな平坦ごまくしたとかに乗ること珍しいんですけど非常にその点でも注目すべき戦なんですよ
34:14評価する部分がそこにあるということですね
34:16有岡城の直接周りだけではなくて相当離れたところにも織田方がその有岡城への兵団をいかに遮断するかいろんなものを物資を運び込むのを食い止めるかということで
34:32要になるところに砦を作ってあのちょっと信じられないぐらい戦域戦線が広がるんですよ
34:39本当にその後の近代戦につながるような攻防戦というのも実際に起きていて
34:46やっぱり村重なかなか武将としてもこれはよく作戦を立てた上で戦ったっていうのが見えてくると思います
34:53わかるんですね
34:54実はね僕秀吉を天下人に押し上げた訓練相手はスパーリングってあるじゃないですか村重なんですよ
35:02要するに有岡城の戦いをやるために土木戦の開発を秀永の弟と一緒に散々にやったんですよさっきおっしゃられたとおりのあらゆる砦を作って連携させて平坦で戦うっていうのをやってるもんですからさあ本能寺の変が起きたって時は自分の背後の連絡船に対してきっちりした情報と物資の流すルートを持っててすぐ対処ができる
35:28ひょっとすると秀吉を化け物に変えてしまったのは村重だったんではないかなと私は思うんですよ
35:35なるほど
35:36天正七年
35:41牢城戦が半年に及ぶ頃
35:44村重は厳しい状況に追い込まれていた
35:47定期的に送り込まれた毛利からの援軍が滞るようになったのだ
35:56それは信長の戦略転換によるものだった
36:04信長は有岡城の包囲を続けつつ軍の主力を西の針間へ向かわせた
36:14そして毛利勢と戦う羽柴秀吉に加勢し針間での戦況を一気に好転させた
36:25さらに秀吉の調略により
36:35備前の浮田直家が毛利から織田に寝返り
36:39摂津にいた毛利の援軍は本国の危機に備えるため帰国を開始した
36:46毛利からの援軍が途絶えて動揺したのが
36:55上陸拠点が置かれた天ヶ崎城だった
36:59天ヶ崎に稼いに来ていた西河州が毛利方に送った書状にはこう記されている
37:11和睦について上主の村継と相談し同意を得た
37:22四季が低下した天ヶ崎城では
37:28村重の着男村継が信長との和睦を模索するほどの状況に陥っていた
37:35そんな中信長が動く
37:42有岡城に軍勢を集め総攻撃の準備を始めたのだ
37:48有岡城に籠る村重に選択が迫られた
37:56その心の内に分け入ってみよう
38:00このまま有岡城に籠り戦い続けようとも
38:11御爪がなければ長くは持つまい
38:15毛利の援軍があれば戦況も変わる
38:20そのためには天ヶ崎の城は何としても維持しなければならぬ
38:26ここはわし自ら天ヶ崎に出向き建て直しを図ることが慣用か
38:38天ヶ崎を押さえておけば毛利のみならず
38:45紀州の最下州らとも連携が取れる
38:48さすれば新たな策も立てられるであろう
38:53手塩にかけたこの摂津の国を守るため
38:58信長に屈するわけにはいかん
39:02いや待て仮に天ヶ崎を建て直したとて
39:12この先援軍がなければ
39:15いつかは命運も尽きる
39:18ここは天ヶ崎で取り沙汰されているように
39:26信長との和睦を考えるべきか
39:29信長はいまだ四方に敵を抱えておる
39:36計算高い信長のこと
39:38一度は背いたとはいえ
39:41和睦を受ける可能性はあろう
39:44だが相手は信長
39:48和睦を受け入れたとしても
39:52残忍な仕打ちに出ることも考えられる
39:55家臣や民の命を奪われることは何としても避けねば
40:03信長と戦い続けるか和睦の道にかけるか村重に洗濯の時が近づいていた
40:18織田軍の総攻撃が近づく中頼みの綱の毛利からの援軍が途絶えてしまいます
40:26荒木村重はいかに行動すべきか洗濯の時が訪れました
40:31洗濯1、援軍の上陸拠点である天ヶ崎を立て直し徹底抗戦する
40:38洗濯2は信長に和睦を申し出る
40:42皆さんが村重の立場ならどちらを選択するでしょうか
40:46まずは前間さんどちらを選択するんですか
40:49私は選択1の天ヶ崎を立て直し徹底抗戦
40:53領民のことを考えると本来ここで和睦するんですが
40:59完全に勝負しのに振り切ってしまっているので
41:02そうすると勝負しからするとここで和睦は絶対自分で破滅するのも分かってますから
41:08もう一つですね全然積極的に応援してもらえない毛利や本願寺にですねまだ戦ってるぞと自分はだから戦うファイティングポーズを見せることによってやっぱり周りにもう一回雰囲気を促すという意味でもやっぱりここはもう一世一代の大爆死を打つしかないんです
41:25はい私もですねもう選択1天ヶ崎を立て直して徹底抗戦ですねもうやるしかないという感じですねあの村重がですね和睦してひどを明け渡すとかいうふうな交渉に入っても織田信長はですね伊勢の長島とか美濃の岩村でですね約束を守らない皆殺しにするという実績をちゃんと積み重ねてきているんですね皆殺しが避けられない以上
41:55戦うためには内陸部の有岡城というのはちょっとやっぱり不利なんですね海岸部にある天ヶ崎城をいかに確保してそこから兵糧とかですね弾薬を有岡とか大阪にいかに運び込んでいくかっていうのが大切になってくるんですね
42:17自分が天ヶ崎城に行って気分を引き締め直して毛利水軍の中核野見水軍とか西賀州にですねちゃんと援軍を送ってくれと俺らまだ戦ってるぜというですねこういう姿勢を取り続けないといけないと思いますね
42:35天野さんも選択1ということでそれでは仙田さんどちらを選択されますかはい私はですね選択の2を信長に和睦を申し出るを選びたいと思います
42:47もうこの段階になりますと最初は村重信長に十分勝てるとこの戦い始めたわけですけどもやっぱり信長も平坦ですよね有岡に立てこもり続けるっていうことの前提条件を一つ一つ潰していって追い詰められたっていう状況であります
43:09でこれですともうちょっとなかなか虚しげの戦略としてはもうこれは勝負あったというところで投了すべきところだと思うんですね
43:18でそうしますとあの武将としてはですねこれ本人はこれは切腹せざるを得ないと思います
43:25首も晒されることになると思いますがあの息子はですねこれまあ信長にこう和を申し出てって父親とは違いますと
43:37信長にもともとこれ忠説を果たそうと思ったんですけどお父さんに引きずられましてということで
43:43なるほど
43:43家も残せますしね
43:45それでは磯田さん戦い続けるか和睦に賭けるかどちら
43:50私は二の信長に和睦を申し出る
43:52確かにもう天野先生のおっしゃる通り信長は虐殺実績が多すぎるわけです
43:59ただ一つまだ希望が見えると思うのは有岡一城になってないんですねまだ
44:05他の天笠城だとかお城が何個か残った状態なんで
44:10一族子供の何人かはおそらく海路脱出すれば海から足利義明のもとに合流できる可能性があるんですね
44:19そうすると摂津奪還をそこから五内将乱発してもらって将軍に呼びかける
44:25これがまあ自分自身は死ぬかもしれないけど
44:29信長としては一番やられたくない手で
44:31和睦を防止でて何とか脱出するっていう手ですよね
44:35相手を油断させておいてね
44:37さあ荒木村重の選択ご覧ください
44:40これは江戸時代に書かれた絵本大公記の冊子絵
44:49村重が家族や家臣を残し有岡城を後にする場面を描いたものだ
45:00天正7年9月2日
45:08村重は有岡城から忍び出て天ヶ崎に移ったと記録される
45:14その二月後
45:22鉄壁の守りを誇った有岡城があっけなく落城する
45:27今ちょうどここに交差する道路があるんですけども
45:37これがもともと400年前の有岡の城下を誇っていた堀の跡ですね
45:42ちょうどこの先のところに城老塚砦というですね
45:47有岡城の総構えを守っていた要の砦の一つがあったんですけども
45:54この城老塚砦の城兵たちに対して信長軍というのは
45:59まあ眺略ですよね
46:00この砦を味方につけることを成功して有岡城を攻略する突破口が
46:06ここから開かれたっていうですね
46:08非常にこう運命の場所がここだということになります
46:12村重不在の有岡城内に調略をかけた信長軍は城下への侵入に成功
46:22町に火を放ち本丸は一方的な攻撃にさらされることになった
46:30その頃天ヶ崎へ移った村重は何をしていたのか
46:40村重が天ヶ崎から送った書状が近年見つかった
46:49天正7年に村重が紀州の最下州にあてて出した書状です
46:589月11日と書いてありますが
47:01この直前に村重は
47:03三谷の有岡城から天ヶ崎城へと移っております
47:08この手紙はそういった状況に際して
47:10村重が紀州の最下州に応援を要請するために発行したものです
47:15村重は天ヶ崎城に到着するや
47:21毛利はもちろん各地に援軍を求める書状を送っていた
47:26一刻も早くという言葉からは
47:32村重の切迫した思いが伺える
47:35一般的にやっぱり卑怯者とか逃げたという風に言われますけれども
47:44単純にただただ自分の我が身が可愛くて逃げたわけではなくて
47:48一度有岡城を抜け出して天ヶ崎城で体制を立て直して
47:52やっぱり信長と正面衝突しようという風に
47:56画策していたんだと思います
47:58信長は有岡城に残っていたものの命と引き換えに
48:05降参するよう迫ったが
48:07村重はこれを拒否
48:09信長は有岡城で捕らえた家臣とその家族500名以上を処刑した
48:20村重の妻田氏は処刑の際紙を縫い直し
48:29毅然とした態度で首を差し出したと記録されている
48:33有岡城落城の5ヶ月後
48:41天正8年
48:43大阪本願寺が信長に屈服
48:46これ以上信長との戦いを継続すれば
48:53有岡城の二の前になると和睦を受け入れたのだ
48:57まもなく村重の籠る天ヶ崎城も落城
49:051年8ヶ月に及ぶ信長との戦いに敗れた村重は
49:11息子と共に毛利領へ逃れていった
49:15その後の村重の足取りについては
49:23詳しいことは知られていない
49:24だが信長が死に秀吉の世となる中
49:36歴史の片隅に再び姿を現す
49:40これは本能寺の編の翌年
49:48秀吉方の黒田寛兵衛から村重に送られた書状
49:53この頃行われた秀吉と毛利との領土確定交渉で
50:01村重は両者の仲介役を担った
50:04手紙の中で寛兵衛は敬意を込め
50:12道君様と呼んでいる
50:14村重は道君と名を変え
50:20茶人として生きていた
50:22秀吉は村重を
50:30側近であるおとぎ衆として召しかかえた
50:33村重は秀吉が開く茶会にも呼ばれ
50:42政治的な活動にも携わっていたと伝わる
50:46痛み市有岡城の跡地に立つ高尊寺に
50:56村重の遺廃が祀られている
50:58こちらが荒木村重のお祝いです
51:06落城してから200年後にこの痛みというところは酒造りで大変栄えておりまして
51:16その酒造りの町の基本を作ったのが荒木村重ということで
51:21荒木の荒と村を取って高尊寺というふうに決まったということでございます
51:27良質な水が沸いたことから江戸時代酒造りで栄えた伊丹
51:35村重が整備した水路が酒の出荷を支え繁栄の礎となっていた
51:44戦国時代ですけれどもその後に町をどうするかということも考えて
51:53その有岡城 伊丹の町を作ったと思います
51:57決してその逆風情で織田を振って成り上がろうと思った気持ちではなくて
52:03ここをなんとか立派なところにしようという
52:06施設の国を作っていこうという気持ちはあったと思います
52:10信長の死から4年後52歳で亡くなった村重
52:17その生きざまは秘境者と言われるべきものだったのだろうか
52:23村重は家臣や家族を犠牲にしても最後まで信長と戦うことを選びました天野さんなぜ村重は妻子を残していかなければいけなかったんですかね
52:40本人はですね天笠城で援軍を得て有岡城へ戻ってくると思っているんですね
52:48奥さんとか子供を連れて天笠城へ行っちゃうと有岡城に残った人家臣たちからするとうちの大将逃げたってですね
52:57そういうふうに思われてくるので逆に
52:59置いとかないといけないんですね
53:00必ず帰ってくるっていうその意思表示のために置いとかないといけないんですね
53:05村重の気持ちはわかるんですよ
53:08堂々有岡城に戻って織田軍を蹴散らすと行ってくるわっていう気持ちはわかるんですけど
53:14それはちょっと楽観的というのかちょっとあんまり冷静な判断ではなかったなぁと思いますね
53:23ただしじゃああの荒木村重あの卑怯かって言ったらやっぱ村重ねいかにも戦国の人だと思うんですよね
53:31やっぱり戦国時代ってあのリアルに戦っていた時代ですので死んじゃったらもう次がないんですよ
53:39格好悪いからと何だろうと生き残って次のチャンスをつかむんだと
53:44ここで自害をすると村重がバーッと腹かさばいて喜ぶのは誰かというと織田信長だけで上手の自害を喜んでたたえてくれるのって勝者だけなんですね
53:56なのでまあ村重が逃げて毛利がいつでも戦況によったら村重を送り込んで摂津で反乱を起こさせてやるぞっていうまあそういう手があるかもしれないよねって思わせる方が実は戦略的なんですね
54:11結果論なんですけどやっぱり初期の村重を見ているともう少しうまく立ち回れたのかなとも思ってしまうんですがそこはどうですか
54:19秀吉がその中国攻めの総代者の時に私が村重なら文句言いに行けますねなんで自分じゃないんだと
54:27多分文句言いに行ったらいやお前はそういう役目じゃなくて逆に秀吉の後ろから後継になってちょっと見てやってくれないかみたいに言われるぐらいの交渉をのご団子したと思うんですけどなんでお前そんな怒ってんのっていうのが
54:41あんな内陸でそもそもねあの毛利とか足利将軍とか本願寺と連絡を取るためにはあの港のついてる城じゃないと立てこもれないんですよこれ
54:53最初からそうしとけいいのに有岡城を立派に作っちゃったもんだからあそこへねやっぱりみんなで雪中の農民も集めたりこう賛同してもらえる人は反信長で賛同してもらえる人が入っちゃったと
55:05なんか信長にしてみれば有岡城であの反信長派の一斉浄化を行ったようなもんですが恐ろしい話です本当に
55:13これは小説家の妄想ですけど村重がいたから本能寺が起きたのかなみたいなこんな虐殺してたらさすがに次は京都機内組は俺かもって思うだろうなっていうのは
55:27だからそういう意味ではものすごい戦国時代のもっと注目されるべきキーマンですよね
55:33僕ね村重はね実は信長に勝ったんじゃないかっていう小説家じゃないと言ってはいけない思いをずっと抱いてるんですよ
55:42村重の家って皆さん知ってると思いますけど明智光秀の家から嫁取った家なんですよ
55:48さあどうでしょうもう全ての勢力をかけて信長の隙を突いて光秀をそそのかして
55:56あの殺させるための情報提供や裏での策動を行って当然なんです
56:01だから僕は村重が本能寺の編の裏側で光秀と連携しながら何かやってないかっていうことは疑い続けてる
56:10なるほど
56:10これ資料がないだけで歴史家は言ってはいけないんだけど
56:14想像膨らみますね
56:15膨らむんですよもうこれね小説の世界ねそっち行ったら
56:18前山さんよろしくお願いします
56:20なんかすごいね闇が広がってる気がするんですよ勝手に言うとね
56:25千田さん今日改めて見てきましたけれども
56:27荒木村重どういうふうに評価すべきだと思いますか
56:30村重が作った有岡城をはじめとしたお城ということで言いますと
56:36非常に先進的なんですよねいかにも機内をどうこれから収めていくかどういう世界にしていくのかっていうところのビジョンが見えていた武将なんだと思います
56:48村重にしてみればよもや自分の行動があるいは選択が卑怯と言われるとは思ってなかったっていうことじゃないかなと
56:57当時はやっぱり卑怯者って言われるような存在ではなかったっていうことなんですかね
57:03そうですねまああんまり江戸時代にやってもですね村重って結構評価いいんですね
57:09逆に江戸時代評判が悪いのは信長でやっぱりこう女性とか子どもをどんどん大虐殺してるっていうところで
57:18あんなのは見習っちゃいけないっていうことなんですね
57:21なら我々が卑怯者だと思っているのは一体いつなんだというふうなことなんですね
57:27そうするとやっぱりそれは戦後ですね織田信長というのは何者かということで信長は非常に合理主義者で革新的な人間でそんな信長についていかないやつはダメな先が見えないダメなやつなんですね
57:45最後に磯田さん今回信長に謀反を起こした荒木村重を見てきましたどんなことお感じになりましたいややっぱり歴史観って大事だなと思いました天野先生のお話とか聞きながらいや幕末明治維新については薩摩長州の薩長氏観を否定するみたいなの結構出てますけど実はもう一つ戦国末期市については織田豊臣徳川の植法徳史観っていうのがはっきりあってでこれがやっぱり特に近畿地方の武将なんかについていられましたね。
58:15他にいっぱいたくさん書状資料とか残ってるのに歪められていまだに大名の子孫たちを持ち上げる主観で評価されてそれでドラマとかも作られているんだなとこれからは本当に僕らの番組ってそういう職法徳史観とか
58:34薩長史観とかいろいろこんな主観でこうなってるけど実は最新の研究ではっていうのをどんどん作っていきたいなというふうに思いました
58:44皆さん今日はありがとうございました
58:46ありがとうございました
58:47英雄たちの選択
58:57英雄たちの選択
58:57秀吉七回帰の祭礼を描いた屏風
59:00熱狂する民衆たち
59:02絵に隠された与土殿の秘策とは
59:05NHKBS12月1日月曜夜9時
59:08スポーツヒューマン
59:12メジャーリーグに挑戦する村上宗隆の日本ラストシーズンに密着
59:17赤下胸の内とは
59:19本音で話してますけど
59:21俺はもう素直に話したいから
59:24野球シーズンが終わりロスを感じているあなたBSはここからが熱いワースとMLBが今年からシーズンオフも継続選手の移籍など熱くお伝え球支援ではマニアックなテーマ満載でお届けします野球シーズンが終わってもBSへ向かれなく
59:53野球シーズン
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