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00:00:00The end of the day of the year
00:00:06The end of the year
00:00:12The end of the year
00:00:25The night of the sea was brought to the sea of the sea.
00:00:35The night of the sea is filled with an acer.
00:00:4670年前のその夜も人々は通りに出て練り歩きを見物していた
00:01:01その中にいた幼い女の子が外国人に連れ去られる姿が目撃されている
00:01:16女の子は翌日 変わり果てた姿で見つかった
00:01:255歳だった
00:01:32アメリカの支配下にある沖縄では 外人による犯罪は日常茶飯事となっている
00:01:401965年1月 バーム・ホステスがアメリカ兵に殺された事件
00:01:461966年の5月 タクシーの運転手がアメリカ兵に首を切られて即死した事件
00:01:53いずれも犯人が分からず迷宮入りとなっている
00:01:59外人犯罪に対する捜査権のない悲しさ
00:02:04外人犯罪は一方に後を絶たない
00:02:09全くお手上げの格好である
00:02:16外人犯罪は避かれている
00:02:22途中の天保の中に分かれ
00:02:25長男人犯罪は疲れる
00:02:27地域会社の日本の白色の乳罪を予定
00:02:32sensible
00:02:34主催者の運転手がアメリカ兵に当たっている
00:02:36沖縄は
00:03:06占領された
00:03:13生き延びた人々は
00:03:15さらなる暴力に
00:03:17直面することになる
00:03:23アメリカ軍の関係者による
00:03:25犯罪だ
00:03:324年前
00:03:34その詳細な記録が発掘された
00:03:43アメリカ統治下に置かれた琉球政府がまとめた
00:03:47およそ900の事件・事故
00:03:54罪名・発生日時
00:03:57被害者の情報と怪我の程度
00:04:05そしてどのような状況で事件が起きたのか
00:04:13アメリカに対して補償を求めるため
00:04:17被害者たちから聞き取った記録だ
00:04:20事故を除いた500の事件について
00:04:31全体像の把握を試みた
00:04:34327件と半数以上を占めたのが
00:04:41障害事件
00:04:43ついで
00:04:45強姦や殺人
00:04:48放火と続く
00:04:50最も多かった障害について
00:04:57どのような状況で発生していたのかを読み解くと
00:05:02通りすがりでの被害が
00:05:04咲いた
00:05:05そしてその半数以上が理由すら分からぬままに
00:05:13突然襲われていた
00:05:25被害者男性が海岸沿いに来た時
00:05:28アメリカ兵2名が乗車したトラックが来て
00:05:33被害者のところで停車
00:05:40無言のまま被害者を
00:05:43いきなり海中に突き落とした
00:05:47胸椎
00:05:48大腿骨を骨折
00:05:51全治5ヶ月
00:05:59夜11時ごろ
00:06:02被害者宅に3名のアメリカ軍所属兵士が侵入し
00:06:07パンするかと言って
00:06:10所持していた拳銃を向けた
00:06:14家族3名に発砲し
00:06:21父親は両足
00:06:246歳の娘は
00:06:26右腕を玉が貫通するけが
00:06:28障害に次いで多かった
00:06:38豪寒
00:06:40およそ100件記録されている
00:06:49被害者が1人でいようが
00:06:51家族といようが
00:06:52事件は起きていた
00:06:54被害者は帰宅途中
00:07:06米兵2名が乗ったジープに捕らえられた
00:07:09米兵は夫に対し
00:07:15煙草を出して
00:07:17妻との情報を承諾させようとしたが
00:07:21夫がこれに応じなかった
00:07:26米兵はナイフを持って脅迫した上
00:07:31夫を追い返し
00:07:36被害者はその場で
00:07:38この2名の兵士に
00:07:40肝炎された
00:07:49被害者が親戚宅に向かって歩いていると
00:07:53銃を傾向した兵士が現れた
00:07:58部隊内の兵士に連れ込まれ
00:08:0620名に交換された
00:08:18記録を残していた
00:08:20元琉球政府職員
00:08:22天眼守男さん
00:08:24泣き寝入りをした被害者も多く
00:08:28記録されているのは
00:08:30全体の一部に過ぎないという
00:08:34その肉声が残されていた
00:08:37沖縄の受験事案は
00:08:45遺族の悲しみとか苦しみとか
00:08:48そういうのはね
00:08:49非常に表には出ていない
00:08:55米軍はみんなもないと
00:08:57悔しい思いをして
00:08:58死んだ人もいるでしょう
00:09:00亡くなった後
00:09:02家族を捧げた人は
00:09:04みんな普通に怖いをした
00:09:08ほとんど全部耐えられない
00:09:10事件事故事を
00:09:12いられている
00:09:14この琉球政府の記録には
00:09:25大きな欠落がある
00:09:27犯人についての情報だ
00:09:33ほとんどのケースで
00:09:35名前すら記されていない
00:09:37アメリカ兵の犯罪に対して
00:09:46当時沖縄の警察の
00:09:48逮捕権や捜査権は
00:09:50著しく制限されていた
00:09:57自ら裁きをすることも
00:09:59叶わなかった
00:10:04アメリカ兵を裁くのは
00:10:06あくまでもアメリカ軍
00:10:14軍独自のルールにのっとった
00:10:16軍法会議で裁かれ
00:10:19実、非公開だった
00:10:31この情報の欠落が
00:10:33今、埋まろうとしている
00:10:36弘前大学、高内由紀助教
00:10:42当時の軍法会議の記録の一部が
00:10:46アメリカの国立公文書館
00:10:50セントルイス文館に保管されていることを
00:10:53突き止めた
00:10:56軍法会議の裁判の
00:10:58一番の畜語録といいますか
00:11:00弁護側がこういう発言をした
00:11:02検察側がこういう発言をした
00:11:04というような
00:11:05その一言一句が全て
00:11:07タイプされて残っている
00:11:10占領期に関しては
00:11:11地元のメディアも
00:11:12米軍の中を取材することはできなかったので
00:11:16ブラックボックス化していたと
00:11:20そこが明らかになる
00:11:22確認できた記録は
00:11:28殺人や強姦、窃盗など
00:11:31およそ50件分
00:11:33軍法会議でのやり取りに加え
00:11:39容疑者や証拠品の写真
00:11:48医師による被害者の診断の記録
00:11:55そして事件を捜査した
00:11:58軍の当局による報告書などが
00:12:00含まれている
00:12:02高内助教がまず注目したのは
00:12:10入手した資料の中で最も古い
00:12:141949年の事件
00:12:22被害者の女性によると
00:12:25ある夜、自宅にアメリカ兵が突然侵入
00:12:29守ろうとした母親の目の前で
00:12:34誘拐された
00:12:42そのままビーチに連れて行かれて
00:12:45銃を突きつけられながら
00:12:473人のアメリカ兵に
00:12:49変わる変わる強姦されたという
00:12:51しかし、現場で逮捕されたアメリカ兵たちは
00:13:03全く異なる供述をしていた
00:13:11車で走っていると、女が手を振っていた
00:13:14セックスをしたいかと聞いたら
00:13:22彼女は
00:13:24十分な支払いがあればと答えた
00:13:28自分は3ドル
00:13:33他の2人が2ドルずつ支払った
00:13:352ドルずつ支払った
00:13:43強姦罪というのは
00:13:45米軍の法律の中でも罪が非常に重くて
00:13:48一番重い刑は死刑になり得るようなものです
00:13:52なのでそれを避けるために
00:13:54おそらくお金を払ったと言えば
00:13:58刑が軽くなるなり問題視されないなりというのは
00:14:02分かっていた可能性が非常に高い
00:14:06当時の沖縄では
00:14:08占領下の人たちに適用される
00:14:13法律刑法というのがまずあって
00:14:16買収を持ちかけて
00:14:18それを目的に声をかけるような行為というのは
00:14:21法律違反というふうにしていたんですけれども
00:14:25その米兵のルールの中では
00:14:28買う行為というのが禁止されていたわけでは
00:14:32ないので
00:14:36現場や被害者の衣服が捜索されたが
00:14:40払ったとされる金は見つからず
00:14:43結局、アメリカ兵たちは
00:14:46嘘をついたことを認めた
00:14:47その後始まった軍法会議
00:14:58起訴した検察官と被告人の弁護士
00:15:07裁判官と売信員
00:15:10原則すべてアメリカの軍人で構成されている
00:15:14被害者の女性も
00:15:21証人として呼び出されていた
00:15:23繰り返し、当日の被害の状況を問われていた
00:15:33事件の夜、そこにいる米兵とあなたの間に何がありましたか?
00:15:462階に隠れていたら
00:15:52彼らが土足で上がってきて
00:15:56私を見つけました
00:15:58そこのヒゲの男が
00:16:03ピストルを持っていました
00:16:06私は畳の下に隠れていましたが
00:16:10畳を剥ぎ取られ
00:16:12起きるよう言われました
00:16:20あなたはその兵隊について行ったのですか?
00:16:28私はアメリカ兵3人につかまれていました
00:16:35母はその子はまだ子供だ
00:16:39どうか乱暴しないでと言ってつかみかかっていましたが
00:16:44銃を突きつけられどかされました
00:16:48今の銃で脅されたという下りは記録から削除してください
00:17:00申し立てを認めます
00:17:05その後、ビーチでは何がありましたか?
00:17:13銃を突きつけて
00:17:17服を脱がそうとしてきました
00:17:20その証言は必要ない
00:17:22繰り返すが、この法廷では危険な武器を使った暴行については問われていません
00:17:27申し立てを認めます
00:17:43申し立てを認めます
00:17:46強要されたと証言をしようとするたびに遮られる被害者の女性
00:18:03実は、兵士たちは強姦の罪では起訴されていなかった
00:18:08軍の捜査当局が挙げていたのは
00:18:16強姦ではなく、誘拐や過重暴行など複数の罪
00:18:22しかし、最終的に兵士たちが起訴されたのは
00:18:29軍が禁止する自然に反する性的な交わり
00:18:34ソドミーを行った疑いのみだった
00:18:38米兵との行為の内容ばかりを必要に問われるうちに
00:18:49被害者は言葉を失っていった
00:18:53軍法会議の場合は、その兵士の上の方の
00:19:03軍人が起訴する内容を決めるということで
00:19:06そこにかなり恣意性が生まれてしまうというのが大きな問題としてあって
00:19:13なんでこの事件は、この犯罪でこういう判決が出て
00:19:19こっちは、そもそも裁判が行われていないかもしれない
00:19:23というような、そういう不可解なところにつながるようなところだと思います
00:19:28軍法会議の目的というのは、あくまでも
00:19:33米兵を罰して、軍隊の中の規律を維持するということであって
00:19:40被害者に対して、補償なり謝罪なりということを考えるというような
00:19:46裁判とは全然性質が違うものであって
00:19:49米軍としては、何かしらの判決が出ればそれで終わり
00:19:55アメリカ兵に下されたのは、懲役12ヶ月、月に50ドルの減給だった
00:20:101952年4月28日、日本は独立を回復して国際社会に復帰
00:20:27敗戦から7年となる1952年4月28日
00:20:43日本は独立を回復し、占領は終わった
00:20:47衆参両院議員が招かれました
00:20:51吉田総理はじめ、大変なご機嫌
00:20:55与党も野党も、仲良く焼き鳥を頬張っていました
00:21:06一方、沖縄は本土から切り離された
00:21:10アメリカは武装兵を投入して、人々の土地を接収した
00:21:21軍事施設の拡張によって、土地を失った農民は複雑な思いで
00:21:30アメリカ軍の工事で細々と国王をしのいでいます
00:21:33沖縄戦の最中から作られ始めた基地の面積は
00:21:411950年代を通じて、およそ1.7倍に拡張されていった
00:21:55沖縄を揺るがす凶悪事件は、こうした中で発生した
00:22:00カデナ村の海岸で、幼女の死体が発見された
00:22:11仰向けの死体は、両手に草と砂を固く握りしめていたという
00:22:17遺体は、前日の夜に、エーサー見物の人混みから消えた
00:22:325歳の女の子だった
00:22:35暴行された形跡があった
00:22:38間違いなく、娘の服です
00:22:47私が、縫ってやったものです
00:22:50あの子の下駄です
00:22:57イニシャルが書いてあります
00:22:59軍の警察に逮捕されたのは、31歳のアメリカ兵だった
00:23:10その車が、女の子が姿を消した現場で目撃されていた
00:23:23しかし、遺体が見つかった現場近くでは、タイヤの跡が見つからなかった
00:23:29アメリカ兵が好む銘柄のタバコの箱も見つかっていた
00:23:40しかし、指紋は検出されなかった
00:23:45取り調べに対して、容疑を否認した上で
00:23:57当日の自分の行動には、アリバイがあると主張していた
00:24:07事件があったとされている日
00:24:09私の服装は、長袖のシャツ、青いズボンでした
00:24:2015時か16時ごろに、売春宿に行き、A子と会いました
00:24:27彼女は、売春婦です
00:24:29彼女と関係を持った後、夜の19時ごろに、カデナのレストランに行きました
00:24:44食事を取り、ビールを飲みました
00:24:4721時ごろに、A子のところに戻ると、再び関係を持ち
00:25:01そこで、一晩を過ごしました
00:25:06翌朝起きた時にも、また関係を持ちました
00:25:11毎回、クライマックスに達しました
00:25:145歳の女の子が暴行を受け、殺害されるという事態
00:25:28アメリカの許可の下で発行されていた新聞も、連日、厳しい論調で報道した
00:25:34折りしも、アメリカによる強制的な土地摂取への反発で、各地でデモが頻発していた時期
00:25:45当時の沖縄統治の最高責任者、ムーア民政副長官は、軍内部の会議で、次のように発言していた
00:25:59マスコミが必要以上に大きく報道したため、問題はさらに大きくなっている
00:26:11アメリカ軍としては、この犯罪について、既に十分遺憾の意を表明し、いかに蔑むべき行為だったかを述べた
00:26:24しかし、未だに騒ぎ続ける団体がおり、手に負えなくなっている
00:26:35米軍の下級将校や兵士などの行動は厳しく観察されているので、皆注意せよ
00:26:45悪質な行動を劣る兵士を罰せよ
00:26:50アメリカ兵は、強姦と殺人の疑いで、軍法会議にかけられた
00:27:07犯行を否認し続ける中で、30人近くの沖縄の人々が、証人として法廷に立った
00:27:20その中で、特に重要な役割を果たした女性がいた
00:27:31事件が起きた夜、被告人が共に過ごしていたと語った、カフェの女級、A子だった
00:27:39カフェの実態は、アメリカ兵たちが入り浸る売春宿
00:27:48沖縄戦で身寄りをなくした女性たちが、こうした場で生計を立てるケースが多くあった
00:27:58女性は、当日の夜遅く、アメリカ兵を自室に止めたことは認めつつ、あるものを証拠として提出した
00:28:16あの夜、私の所に来た時には、このグレーのズボンを履いていました
00:28:33血がついていました
00:28:36脱いだあと、そのまま私の部屋の前にかけられていました
00:28:46アメリカ兵が当初説明していた、当日のズボンの色は、青
00:29:03検察は、この食い違いを重視するよう、法廷に求めた
00:29:09証言者の信頼性についてですが
00:29:19西洋の基準では、確かに評判は良くない仕事です
00:29:25しかし、東洋では、必ずしも不名誉ではないし、売春婦だからといって、自動的に嘘つきだというわけでもないのです
00:29:40この事件に限らず、当時の沖縄でホステスとか、女級であるとか、そういう風に呼ばれる
00:29:50米兵に対して、セックスワークをしているような女性たちというのが、たくさんその証人として出てくるわけですね
00:29:58性的なサービスだけを目当てに、米兵がこの場所を出入りしたのではなくて、洗濯もするし、ご飯も食べるし、そういうケアですよね
00:30:10ことを、この地域の女性たちが担っていた
00:30:14彼女たちが証人として来てくれないと、裁判が成立しない
00:30:19彼女たちにある意味、依存しておきながら
00:30:23その彼女たちの名誉を傷つけるような、発言というのが飛び交う
00:30:30これは、二重の搾取であるという風に、私は読めると思います
00:30:37さらに、女性の証言から別の矛盾が露呈していく
00:30:50少女が消えた夜、あなたは男と関係を持ちましたか?
00:31:01いいえ、一切ありませんでした
00:31:04翌朝もありません疲れているし飲みすぎたからやりたくないと言われました
00:31:22そして、彼は一晩の代金として、500円を支払いました
00:31:30法廷の皆さんに問いたいのは、なぜ被告人が
00:31:40癒やしく下劣で不道徳な売春婦との関係を
00:31:45嘘をついてまで強調したのか
00:31:48それは、もう性的に満たされていて、幼い少女には関心がなかったという、アリバイになるからです
00:32:02自分の客でもあったアメリカ兵にとって、不利となる証言をした女性
00:32:09自分の客でもあったアメリカ兵にとって、不利となる証言をした女性
00:32:16法廷を去るとき、アメリカ兵を叩いた
00:32:26そして、こう口にした
00:32:31吐き気がする
00:32:43下された判決は死刑
00:32:46しかし、今回入手した軍法会議の記録は、ここで終わっていなかった
00:33:01判決の直後から、弁護士を中心に原刑を求める動きが活発化
00:33:08アメリカ兵の人格を称える大量の探案書が、家族や友人から提出されていた
00:33:23そして、死刑判決から5年後
00:33:27アイゼンハワー大統領が、45年の刑期に原刑する文書に署名した
00:33:38さらにその後、本国で仮釈放されたことが分かっている
00:33:51本土とは異なる道を歩んだ沖縄
00:33:55人々を苦しめたのは、こうした犯罪ばかりではなかった
00:34:001959年6月、アメリカ軍の戦闘機が墜落
00:34:1325棟の民家を薙ぎ倒した後、小学校に激突、炎上した
00:34:19児童11人を含む18人が死亡、200人以上が怪我をした
00:34:341965年6月には、パラシュートを使った降下訓練中に、トレーラーが民家そばに落下
00:34:49小学5年生の女の子が下敷きとなり、死亡した
00:34:54こうした中、本土復帰への期待が高まっていった
00:35:06佐藤総理大臣は
00:35:121965年、公約に沖縄返還を掲げた佐藤栄作が、総理大臣として初めて沖縄を訪れた
00:35:23沖縄の祖国復帰ということをですね、早期に実現するためのですね、有効な青写真をお持ちかどうか
00:35:30アメリカ自身、やはり日本の本土を守り、あるいは沖縄の安全を確保しておると、こういう立場に立っておる
00:35:41とにかく、もっとその、アジアが平成であり、平和でない、今日の状況ですぐというのは難しいですよ
00:35:51日米友好関係、そのもとにおいて、この問題を解決するつもりでおります
00:35:56これがスケジュールといえばスケジュールだ
00:35:59この時期、軍関係者による犯罪発生件数は急増していた
00:36:13アメリカ側の統計では、1962年に初めて年間1000件を超える
00:36:241966年には1407件、単純計算で1日3件を超えるようになっていた
00:36:41沖縄の世論が反米に向かわぬよう、アメリカも対策を練っていた
00:36:47繰り返し議論の焦点となっていたのは、軍法会議を公表するか否か
00:36:59まず、事件数が最多となった1966年、過去1年間に警察が処理した事件の数と、それをメディアが報じた件数を比較
00:37:17メディアは実際に起きた事件の3分の1程度しか報じていないと分析
00:37:271968年には次のような方針が示されていた
00:37:37すべての軍法会議の情報を公表してしまったら、軍に対して半ば敵対的なマスコミが、まだ知らない事件まで公表してしまうことになる
00:37:53この事態は避けたい
00:37:58重大な犯罪を裁く軍法会議のみ公表したらよい
00:38:05我々が適切に懲戒処分を行っていることを
00:38:10琉球の人々にも理解してもらえるだろう
00:38:15しかし、人々の怒りはさらにうっせきしていった
00:38:26上原芳照さん
00:38:33現場はこっち
00:38:42カーブ切り切れんで突っ込んでいってるわけよ
00:38:511970年9月
00:38:54イトマン市の自宅のすぐ近くで、アメリカ兵が運転する車が地元の女性をはね、死亡させる事故が発生した
00:39:09アメリカ兵はパーティーの帰り道
00:39:14車内には飲みかけのビールもあった
00:39:17人々の要求を受け入れ、公開となった軍法会議は立見の傍聴者であふれた
00:39:37検察側は、飲酒運転と速度の出し過ぎで過失があると指摘した
00:39:43しかし、事故直後、アメリカ兵のアルコール検査は行われていなかった
00:39:59怪我の手当てが優先されたためだった
00:40:02さらに、検察が目撃者として呼んだ証人は、現場を目視できない位置にいたことが発覚
00:40:19速度の出し過ぎについても、裏付けとなるものがないと判断された
00:40:28判決は、無罪だった
00:40:35無罪だった
00:40:36人を引き殺しておいて無罪とは何だと
00:40:42許されない気持ちがいっぱいだったね
00:40:47実は上原さんは、事故の直後から、そこに居合わせた人々とともに、アメリカ兵の車を取り囲み、そのまま1週間、現場で寝泊まりしていた。
00:41:05証拠物件の自動車を、我々の手で押さえようとしたんですよ。
00:41:24せめてこの証拠物件を、県民が握っていれば、アメリカは握られないなと思って。
00:41:39それで、ちゃんと裁判をやったけれども、やっぱり無罪ということになってしまって。
00:41:58うーん、どんなになりますか、沖縄は。
00:42:13アメリカの統治が始まって25年。
00:42:26沖縄の人々は、実力を行使した。
00:42:34コザ暴動だ。
00:42:37今日午前1時ごろ、沖縄中部の基地の町小座市で、指揮運転のアメリカ人が、道路横断中の沖縄の人を跳ねたことから端を発し、
00:42:472000人に膨れ上がった群衆が、手当たり次第にMPカーやGナンバーの外人車両を片っ端から焼き払うと言う。
00:42:55沖縄戦後史上、初めての暴動がありました。
00:42:59大阪の戦略。
00:43:05今までね、どういう出問題かもね、彼たちに、彼たちの、彼たちに、彼たちの、彼らできなかったよ。
00:43:08あかしらに向けて、かしらに。
00:43:10団結を行こうよ。
00:43:12ゲトマンの事件でも、無罪じゃないから。
00:43:15何が見てしまいだばかやの。
00:43:20もういっかい。
00:43:23朝、みよは。
00:43:25The MPs shot a pistol for 10 times, and they might not have to die.
00:43:35That's why they're in the situation.
00:43:38How should I do it?
00:43:40I don't know if I'm a man.
00:43:42I don't know if I'm a man.
00:43:55数千人が参加し、民衆放棄の象徴とされる小座暴動。
00:44:04しかし、その前後にも人々の実力行使は断続的に続いていたことが分かった。
00:44:16大阪法律大学、山崎隆教授。
00:44:25当時の地元市から、アメリカ軍が起こした事件や事故の記事を収集。
00:44:36大小様々な形でアメリカに反発した人々の記録を網羅的に集めてきた。
00:44:46講座暴動は語られていくんですけど、それ以外のことが今生きてらっしゃる方とか、記憶の彼方に消えている可能性があるなと思って。
00:44:59一人一人の行動っていうのが、沖縄の歴史を変え、コンボテンに変えたわけではないけど、かなり大きな変化をこうやって示しているわけなので。
00:45:12山崎教授が注目したのは、タクシードライバーたち。
00:45:21無数の乗り逃げや強盗、頻発する暴行や殺人。
00:45:27ドライバーたちは、密室となる車内で、嫌悪なく暴力にさらされていた。
00:45:34山崎教授が調べたのは、1968年から本土に復帰する1972年までの5年間。
00:45:49タクシーに絡む、73件の記事について、分類を試みた。
00:45:56はじめは、乗り逃げや強盗など、一方的に被害を受けるばかりだったものが、
00:46:08コザ暴動のあった1970年を境に、大きく変容。
00:46:14ナハやコザなどの都市部を中心に、周辺にいたドライバーや住民たちと連携して、
00:46:23アメリカ兵を集団で取り囲んだり、警察に突き出したりするようになる。
00:46:29さらに、暴力を奮い、関係のないアメリカ人を襲撃する事態まで発生していた。
00:46:44いざ何か起こったら、トップライトを点滅させるとか、それから警笛を鳴らすとか、
00:46:56周りに客待ちしているタクシーとか、一斉に集まってきて、10代、20代、すぐ集まる。
00:47:01対抗暴力、カウンター暴力ということで、これは米兵の犯罪がなければ起こらない。
00:47:07だけど、明らかにその対象が広がった。
00:47:12でも、それは広がらざるを得なかったという、一応、そういう捉え方になるわけですけど、
00:47:17それが起こったのは、たぶんコザボードぐらいかな。
00:47:20だからこれは一つの始まりだった。
00:47:22統治するアメリカもまた、激化するタクシードライバーたちの行動を警戒していたことが分かった。
00:47:37何らかの事件が発生した際、
00:47:44琉球人のタクシードライバーたちは、非常に迅速に集合して、抗議する術を有している。
00:47:56組織して抵抗運動を展開しているかは不明だが、
00:48:04彼らの行動は今後も続くだろう。
00:48:11組織化はさらに進み、行動はより激しくなることが予想される。
00:48:24そしてこうした行動の意味を次のように記していた。
00:48:31彼らは法の執行を自らの手で行おうとし始めている。
00:48:44アメリカ軍が警戒を強めていたタクシードライバーたち。
00:48:51その一人が証言した。
00:48:56キャン・サダオさん。
00:49:11キャンさんが目撃した抗議の現場も記録されていた。
00:49:23本当にびっくりしました。
00:49:28米軍はよりもチェックしていたんだ。
00:49:35それだけ兵隊を守ろうということなのかな。
00:49:40自分の国の国を守ろうということなのかな。
00:49:43別の言い方をすると。
00:49:47キャン・サン自身、アメリカ兵による乗り逃げの被害に2度遭っていた。
00:49:55ドライバーたちは示し合わせたわけではなく、互いを守るために自然と集合するようになったという。
00:50:14まったく偶然に届けたものが、事故だと。
00:50:19不正のトラックをさせないといけないという思いでいっぱい集めてきた。
00:50:25それ以外には考えられない。
00:50:31やり返したというよりは、不正を許さない。
00:50:39強い気持ちが強かったんじゃないでしょうかね。
00:50:461970年のある夜。
00:50:51キャン・サンは大勢の流しのタクシーが、アメリカ兵の車を取り囲む現場に遭遇した。
00:50:58タクシーに追突したアメリカ兵が、そのまま逃げようとしていたことが記録にも残されている。
00:51:08地元の警察とアメリカ軍が、原因はアメリカ兵の脇身運転だったと説明して、ドライバーたちはようやく解散したという。
00:51:23この現場で事故があって、現場の周辺に多くのタクシーが集まっている。
00:51:35200台以上になるんじゃないかというふうに僕は記憶しております。
00:51:44悲しい時代ですね。
00:51:47自分たちで自らの力を示さないと正義がすり抜けない。
00:51:54そんな時代だったと思います。
00:51:561970年から沖縄の各地で一気に紛失していったアメリカへの実力行使。
00:52:15この時期、すでに日米の間では沖縄の返還が合意されていた。
00:52:27マイヤー大使より一言ずつお挨拶がございます。
00:52:34僕は復帰が決まることで沖縄の社会の中で、もうアメリカに対して反旗をひれがしても、
00:52:42後は日本に戻るんだから大丈夫だろうみたいな気持ちがあったのかなっていうふうに思ってて、
00:52:49いろいろ聞いたんですよ、沖縄の人とか。
00:52:52いや、それはなかったなっていうふうにおっしゃってて。
00:52:56アメリカの発生が日本復帰で終わる。
00:52:59だから自分たちは勇気を持てるんだということでもなかった。
00:53:05復帰を願った人々の多くは、沖縄戦以来居座るアメリカ軍基地が少しでも減ることを期待していた。
00:53:22しかし、その基地の返還や縮小については見通せないままだった。
00:53:34沖縄の復帰を発散できると思った復帰が、自分たちが思ってたようなものでない。
00:53:49万歳日本に戻るんだって、みんなが喜べるんだら、ちょっとやっていろかってガス抜きになるのかもしれないけど、
00:53:55それがその後も継続駐留するっていうときに、そういうガスが抜けたって考えている。
00:54:04亡くそうと思ったけど、亡くならないのかって思ったら何なのかっていう、そういうものが、
00:54:11あのときに相方として起こった人々の行為が、まあ行為を起こしたもの、根源にあるもの。
00:54:19それがやっぱり浮き語も完全にはなくなっている。
00:54:26日本国万歳!万歳!万歳!万歳!万歳!
00:54:41沖縄復帰の日は、疑いもなくここに到来いたしました。
00:54:48しかし、ここには米軍基地の太陽の問題をはじめ、内蔵するいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけであります。
00:55:0027年に及ぶアメリカ統治下で起きた無数の事件や事故。
00:55:15この国で沖縄だけが直面した現実があった。
00:55:29本土復帰4年前の1968年、東京と結び、市民同士が議論するラジオ番組の音源が残されていた。
00:55:44沖縄から、現在沖縄が抱えておりますいろいろな問題や悩み、今度の皆さんに対する希望、希望などを聞いてみたいと思います。
00:55:59ご夫人の方です。
00:56:02基地に悩まされているということです。
00:56:05悩まされている。
00:56:06それと同時に、人権の問題がありますけれども、基地と人権という問題が、そのまま私の夫人の不満を買っていると思っています。
00:56:16大変でございます。
00:56:17男の方に聞いてみましょうね。
00:56:19あなたはいかがですか。
00:56:21私ですね、最も真っ先に掲げなければならないのが、即時無条件返還。
00:56:29随意地で、アメリカに対しても要求するし、真っ先にしなければならないのは、即時無条件返還であると。
00:56:35ああ、対話でございますか。
00:56:38さっきから、新宿の西口、福都市でございますね。
00:56:43基地、即時返還ということについて、意見を聞きましょう。どうですか、そのへんの意見は。
00:56:48どうぞ。
00:56:49私はですね、基地を返せと言うと同時にですね、返せと言った以上は、その後の経済をどうするかという具体案をもって叫ばなくちゃいかない。
00:56:58そこはその具体案を一つも言わずにですね、返せ返せというのは、これはね、全然話にならん。
00:57:03なるほど。
00:57:04その後ろの方、どうぞ。
00:57:07この問題はね、そうせっかちにね、貸したもの返せとか、単純な問題じゃなくてね、やはり世界平成の中でですね、慎重に解決されるべき問題。
00:57:19日本はですね、もう相当の大国ですからね。
00:57:22はい、わかりました。
00:57:25あの、東京からのその放送を聞いてたんですけれども、私はあの、一つだけ質問したいと思うんですよ。
00:57:34あなたのかわいい娘や息子がですね、車で引かれて、殺されてですね、そして殺した人が無罪になった場合に、あなた方は一体どういう態度を取るんですか。
00:57:46そういうところから出発しなければ、その我々の即時無条件全面変換の要求を、本当にこう、その真相から理解して捉えることはできないと思うんですよね。
00:57:56言葉の遊びじゃないんですよ。生活なんですよ、問題は。
00:58:02あのね、沖縄の人がどのくらい関心があるのかってよく言うんですよ。
00:58:05はい。
00:58:06そういう友達がね、お前たちは何も沖縄のことを思ってないじゃないですか。
00:58:08うん。
00:58:09それ、おかしいと思うんですよ。
00:58:10うん。
00:58:11僕たちは実際沖縄にいないんだから、わからないんだからね。
00:58:13そういうことを沖縄の人がどんどん本国にね、こう、伝えてきなくちゃいけないんですよ。
00:58:17うん。
00:58:18ただ考えてくれ、考えてくれ、何考えてくれ、何考えてるんだかわかんないですよね。
00:58:22そうですね。
00:58:23はい。
00:58:24unp Фらげちゃめた時は知っ cityちゃん。
00:58:26しかし、高級 govern ,槍山の左手 NOT CENTIAの子を、1頭の間に見えてくれ、何かを見えただけ。
00:58:31おわり、そhr 꽃の子は天才が隣になった。
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