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00:00海外に来るの結構久しぶりだな、なんか。
00:06沖縄結構来てるけど、意外と海に来てないんですよね。
00:15俳優の妻吹さとしさんが旅をしたのは、沖縄。
00:21若い時から何度も訪れてきた大好きな場所です。
00:3020年前の奈田曹操って映画で本格的に沖縄を知ったっていうところですかね。
01:40これを払った沖縄について、もっと知りたいと思うようになりました。
01:46当時をどう生きたのか、どういう風に感じていたのか。
01:50そしてさらに今を生きている中でどう感じているのか現実に対して。
01:56そういう沖縄の人たちの声をやっぱり改めて感じたいなと思ってます。
02:02今回旅をしたのは妻吹さんが行きたかった場所若い頃から何度も通ってきた沖縄のソウルフードのお店に
02:32そしてアメリカ軍の空襲から集落の人たちを救ったというガマと呼ばれる洞窟。
02:56戦争の記憶と向き合います80年がたって変わったこと変わらないこと妻吹さんが沖縄を巡った
03:25旅の記憶です。
03:32まず妻吹さんがやってきたのは沖縄市の小座。
03:38名田早々の撮影の時に長く過ごしたなじみの街です。
03:45その時も無理って2週間前ぐらいに沖縄に入らせてもらっていろいろ地元の方々と交流を持って役に挑みたいんでっていうので。
04:02当時から付き合いがある人もいるそうで。地元の観光協会に行ってみると。
04:09そして行きつけのお店も。開店前にお邪魔させてもらいました。
04:24こんにちは。
04:39お店いらっしゃいました。
04:41よかったです。
04:42初めて来たのは多分もう20年前ぐらいなんで。
04:46そうですね。
04:48うっかり44になっちゃいました。
04:52店の名物が宮古そば。
04:573時間以上かけてとった豚骨のスープとカツオの旨味のハーモニー。
05:03これが細めの麺と絡むんです。
05:07営業は夜6時からなんと朝の5時まで。
05:14家族連れでの夕食にも飲んだ後の締めにもぴったり。
05:19長年この町で愛されてきた味です。
05:26おいしいおいしい。
05:28飲む前にも来ます。
05:301日2回来ると思います。
05:32はい、ごちそうさまでした。
05:38いただきます。
05:41プライベートで何度も来ているそうですが。
05:49おいしい。
05:52明るいうちに食べているのが新鮮。
05:56暗い時にしか食べてないから。
05:59つまぶきさんが常連であることは、この店の夜那覇英子さんの大きな自慢です。
06:12もう、みんなで子供じゃない。
06:17つまぶき、さたすさんで、さたすさんで、かなり。
06:20本当ですか?
06:21えぇ。
06:22来ていくんだよ。
06:23いやいやいや、そんな言っていただいて嬉しいもん。
06:27英子さんが40年ほど前に始めたお店は、娘の智恵さんと孫の駿さんが受け継いだんですが。
06:35と、ここで。
06:38長いこと食べてないから、ちょっと食べて。
06:42お母さんも?
06:43うん。
06:45噛みさないといけない。
06:46抜き打ちで行われることになった、英子さんのチェック。
06:55味が守られているか、久しぶりに確かめます。
07:02さあ、どうかね。
07:04美味しいです。
07:14よかった。
07:15よかったって、僕が今、今、欲しいけど。
07:18ドキドキしましたよね。
07:21なんかね。
07:24客側なのに、なんか、ほっとしました。
07:27もう、僕も。
07:29このコザの町は、アメリカ軍カデナ基地のゲートがある地域です。
07:42町は英語が目立ち、アメリカ兵相手の店も多くあります。
07:47つまぶきさんが入ってみたのが。
07:54わー、お願いします。
07:56大丈夫ですか?
07:57はい。
07:58こちらの、利用室。
08:02お客さんはご覧のとおり、週末には、やってくる人の8割を、アメリカ軍の兵士が占めるそうです。
08:16店のオープンから店長を任されている、岩永優子さん。
08:28兵士には、帽子から髪の毛が出てはいけない、というルールがあるため、2週に1度はカットする人が多いそうです。
08:37順番待ちの番号札を取る機会は、あまり見かけないものですが、それには理由が。
08:49元々、米天基地の中のバーバーショップで、ここに移転して7年になります。
08:56みんな、スタッフが元々、基地の中で、アメリカの兵隊さんも、みんな、ヘアカットしていて。
09:04お話を聞いてもいいですか?
09:06はい。
09:10ここに選ばれましたか?
09:13友人は、この場所にお話を聞きました。
09:16この場所は、非常に良いです。
09:192018年に来ました。
09:22このバーバーはどうでしたか?
09:24今では常連が多くついた、このバーバー。
09:41時には、兵士から感謝のプレゼントやメッセージカードをもらうこともあるそうです。
09:48ここで働く前までは、怖いイメージもあって。
09:56でも、とてもフレンドリーで。
09:58レイヘルさんととても仲良くさせてもらって。
10:011週間に1回、ヘアカットに来ているので。
10:05この国の方でも、みんな、気に入ってもらえるようにしています。
10:10続いて訪れたのも、アメリカ軍の兵士が多い、この町らしいお店です。
10:23おはようございます。
10:25よろしくお願いします。
10:28わぁ、すごいですね。いっぱいある。
10:31どういったお店なんですか?
10:33刺繍屋さんなんですけど、こういったワッペンも売ってるんですけど。
10:38壁一面に貼られていたのは、刺繍を施したワッペン。
10:45国旗のデザインに、アメリカ軍の階級賞や部隊のマーク。
10:51かつては、米軍関係者のお客さんが多かったそうです。
10:55この店の2代目が、小賀七子さん。
11:05自慢はこちら。
11:07ひとつひとつ手作業で仕上げていく刺繍です。
11:12えぇ、すごいなぁ。
11:18ふわってした感じ、わかりますか?
11:20そうですね。立体的というか。
11:22厚みがちょっとあって。
11:24この刺繍の店を60年ほど前に始めたのが、父親の薫さん。
11:35兵士たちに頼まれれば、どんなデザインの刺繍も作ってきたそうです。
11:41店には、父親に作ってほしいと持ち込まれた、古いデザイン画が残っていました。
12:00その中に、こういった感じで。
12:04これはベトナム戦争時代なんですけども、
12:07結局この子はベトナムの子です。
12:11首はこう並んでますよね。
12:13もう、はっきりと残酷な絵なんですけども。
12:17ベトナム戦争の空爆が始まった1965年。
12:23沖縄の米軍基地から、多くの兵士たちが派遣されていきました。
12:30戦地に赴くにあたり、士気を高めようと。
12:33こういったデザインを持ち込んだそうです。
12:39絵はとてもポッポなんですけど、
12:41戦争の何ていうか、残酷さっていうのも、
12:45岡山見えたりするじゃないですか。
12:47どういう思いで描いていたのか。
12:51それを計り知らないですけども。
12:53うちの父もこれを刺繍するときに、
12:55どんな気にしてやってたかは、ちょっと分からないですけども。
12:59家族を養って食べてきたのにはね。
13:03お客さんからやられたものをやらないといけないというのもありましたし。
13:06はい。
13:10そしてもう一つ見せてくれたのは、完成した刺繍。
13:15沖縄に戻ったら受け取りに来る約束だった注文。
13:33店には、こういった刺繍がいくつもあるそうです。
13:39大半がやっぱり、行きたくないという人が多かったんじゃないですかね。
13:43だから、行きたくないって気持ちを出さないように、
13:47こういったのを作って抑えるっていう感じじゃないですかね。
13:52ななこさんが店を継いでから、思うようになったことがあります。
14:04やっぱり戦争中とかそういうときだったら、上からこういうのをやれって言われたら、やるしかなかったかもしれないけども、
14:11今はこういって平和で自由な世の中ですから。
14:16今、仕事の中心は、洋服やユニフォームへの刺繍になりました。
14:27人を痛めつけるようなデザインだとか、人を罵倒するような言葉だとか、
14:33そういうのが入ってるとやっぱり、出てくないので。
14:37変わらしいものとか、きれいなものとか、将来に希望があるようなものとかはやっていきたいですけど。
14:44お父さんの代からずっとやってきている中で、
14:49リアルな声を出させてもらったっていう印象ですね。
14:53生きていくためには、やはりその仕事をせざるを得ないし、
14:57それが日本人だろうと、アメリカの方であろうと関係なく仕事をしてきて、
15:03そういうのを本当にリアルに見てきて、接してきた、
15:07小川さんの言葉っていうのはやっぱり、すごく重要ですね。
15:14本土復帰前の沖縄を描いた、つまぶきさん主演の映画、宝島。
15:26その中で登場するのが、実際に小座の街で起きたある事件でした。
15:33それは、小座暴動。
15:45小座の住民など数千人が加わり、アメリカ軍に関係する車や建物に火をつけたという事件です。
15:57どうしてそんな事が起きたのか。
16:00お忙しいところ、本当に申し訳ありません。
16:03妻ぶきと申します。
16:04中根で言います。
16:05よろしくお願いします。
16:06小座暴動を目撃した中根学さん。
16:09当時、高校2年生で自宅で勉強をしていました。
16:18アメリカナンバーの車を囲んではひっくり返し火をつけていたのを見て一緒に手伝ったといいます。
16:48誰かが、せーのって言うとひっくり返して。
16:51悪いことではあるんだが、悪いことをしているという気持ちがその時はもうない。
16:59アメリカナンバーは今まで散々、子供たち、高校生いてもずいぶん事件に巻き込まれて、
17:07もう方言ではわじわじしているというか、怒っていると。
17:13当時の沖縄はアメリカ統治下。流通している通貨はドル。
17:21法律の制定や裁判などにもアメリカの力が及んでいました。
17:30今以上にアメリカ兵による事件や事故も多く、
17:37引き逃げされても捜査も満足にできず、無罪になることも少なくありませんでした。
17:47こうした中で起きた小座暴動は、アメリカ統治下での沖縄の人たちの怒りが噴き出したものだったんです。
17:59その1年半後、沖縄は本土復帰を果たしました。
18:04しかし…
18:05その小座暴動は起きる前と起こった後って、何かこの小座の街に変化ってあったんですか?
18:14ない。
18:15ないですか?
18:16あの後、復帰を迎えて、さーっとベテラン戦争も終わって、
18:25それでも極東一の基地そのまま残ってるわけですからね。
18:29はい。
18:30沖縄の側でも変わるチャンスがあったのに、何にも変わらないぞという諦めがずっとあったんじゃないかという気もするんですけどね。
18:43はい。
18:44はい。
19:15妻吹さんが是非もう一度行きたいと言った場所
19:23それが 宜野湾市にある佐喜間美術館です
19:29アメリカ軍普天間基地のフェンスのすぐそばにある美術館
19:3631年前米軍との交渉の末取り戻した土地の一部に作られました
19:44館長の佐喜間美術館に案内してもらうのは 妻吹さんが見たかった絵
19:54連作 沖縄戦の図
19:5880年前各地で起こった悲劇が14枚の絵に描かれています
20:06久米島で旧日本軍にスパイとみなされ 殺められる母親と子供
20:16沖縄戦の末期 南部に追い詰められ身を寄せ合う少年兵のそばには
20:26ちぎれた手足 どれも沖縄で実際に起きたことです
20:34沖縄戦では県民の4人に1人が命を落としました
20:46絵を描いたのは丸木入り都市夫妻
20:52島の各地で起きた悲劇を後世に伝えようと
20:56大勢の住民から証言を集めながら
21:006年をかけ完成させました
21:02数ある絵の中で 特に妻吹さんが見入っていたのが
21:18こちらの絵
21:24チビチリガマ
21:27ここ幅7メートルの絵には アメリカ軍の上陸を恐れて
21:31洞窟に逃げ込んだ 住民たちの様子が描かれています
21:42捕まると殺されると信じていた住民たち
21:47この洞窟で いわゆる集団自決に追い込まれました
21:57毒薬を注射しようとしている看護婦に
22:02愛しい我が子の命を奪おうとしている 母親の姿
22:12実際にこの洞窟で犠牲になったのは 85人
22:20そのおよそ半数が子供たちでした
22:25初めてこの絵を見た時に
22:27初めてこの絵を見た時に
22:31本当に知ってないといけないことを知ったというか
22:38本当の意味で声を聞いたというか
22:52I really knew what I was hearing.
22:56I heard the words I was hearing.
23:02I was hearing the words that I was watching.
23:07I felt it was the case.
23:11I was feeling it was the case.
23:16This is all the same.
23:19The story seems to be interesting.
23:22It is something that matters.
23:27So these are no different from any other art.
23:33At this time, there are many people from different countries.
23:41沖縄で実際に起きたことこの絵を通して若い世代に伝えていますこのきれいな海があって空があるこの沖縄でもうわずか80年も前に起こっていたっていうその事実がちょっと信じられないっていうか信じたくないけどでも知らないといけないから集団自決を
24:11されている方とかがいっぱいなんか映し出されててなんでこんなことが起きちゃったんだろうと思ったし自分たちが家族とご支援になって絶対したくないなと思ったし
24:59逃げ惑う女性と子供たちに追い詰められ崖から海に身を投げる女性も
25:09妻吹さんが目を止めたのが絵の真ん中に描かれた子供たちでした
25:21沖縄戦を経験した子供たち絵を見る私たちをじっと見つめています
25:41これ厳しいですよ
25:46あなたはどういきますかということも問われているような気がしますよね
25:50そうですね
25:51佐喜真さんが最後に案内してくれたのが美術館の屋上
26:02目の前に広がるのはアメリカ軍の普天間基地です
26:12沖縄戦を伝える美術館のすぐ隣に今も米軍基地がある現実
26:23佐喜真さんが感じてほしいことです
26:27これがいかにバカバカしい理不尽なもんかってわかるでしょうか
26:34勝手ここに基地があったので痛いよ
26:41昔々ここに基地があった時代が誰か来てほしいんですけどね
26:47沖縄美術館の出た後では今まで見てた景色が少し変わっているような気がしたんですよね
26:57正直日本人だけじゃなくてね
27:01アメリカの方 世界中の方に見てもらいたいなっていうのはありますよね
27:06戦争って本当にこんなに本当に本当にどういうことなんだよって
27:14人と人は殺し合うなんて
27:18こんでもないことですよね
27:20続いて向かったのはカデナ町にある集会所
27:35街に伝わる伝統芸能を見せてもらうためですが
27:41沖縄のいわゆる盆踊りエイサー
27:54地域によって振り付けの型が違うエイサー
27:59皆さんはセンバル地区に伝わる勇ましい独特の型を守り続けています
28:05いやもう皆さんの踊り圧倒されましたもう本当にちょっと迫力がすごいですね
28:16保存会の副会長福知正春さんです
28:20センバルエイサー自体はだいたい200年前ぐらいから始まっている
28:26琉球カルテが結構入っていらっしゃいますよね
28:29私族なんで空手の型を入れたエイサーをしたいということで
28:34センバル地区に住んでいた私族の先祖が作ったというこのエイサー
28:41子族のたしなみだった空手の型を取り入れた踊りを舞い
28:50先祖の供養を行います
28:52センバルエイサー自体はお盆で帰ってきた先祖と一緒に踊るというのをとても大切にしているんです
29:00やっぱり肩が変わると一緒に踊れない
29:03だから肩を変えずに今まで
29:06子供たちも小さい頃からこのかっこいいエイサーに夢中
29:15どの振り付けが一番好き?
29:21最初のところが一番いいです
29:23最初?
29:24カルテのところ?
29:26今年で何年ぐらいにやられているんですか?
29:2821年
29:2921年?
29:3121年お幾つですか?
29:3323年生です
29:35子供世代とやっぱりお父さんおじいちゃん世代が同じものに一つに取り組んでなおかつこの祖先を供養しているっていうそのやっぱり気持ち的な部分でなんかこうエイサーを続けているっていうところがあります
29:56皆さんのふるさとのセンバル地区は意外なところにあります
30:03この誘導塔がございますよね
30:05ここら辺が昔シャンパイ
30:08うんうん小さな集落
30:10畑があったところぐらい
30:11ここは
30:12アメリカ軍カデナ基地の滑走路
30:17そこにかつてセンバル地区の家や畑がありました
30:22沖縄戦で上陸してきたアメリカ軍に占領されたこの一帯
30:31基地が作られたことでセンバルの人たちはふるさとを奪われてしまいました
30:43センバルセンバルセンバル
30:45これ昔のセンバルです
30:46これお家があったところ
30:48このサンバーサンバーの口のある
30:51私おじいちゃんが住んでいる
30:54もうここはもう入れないです
30:55ここから上陸しているので
30:57あーなるほど
30:58そうかそうか
31:02それでは始めます
31:05自分たちのふるさとを次の世代につなげるために
31:10今年新たに作ったのが紙芝居です
31:16戦争が終わってもふるさとを米軍基地にとられ
31:21センバルに戻ることはできなくなってしまいました
31:28今でもセンバルの人々は親から声
31:32エイサーを受け継ぎ踊り続けます
31:40みんなで忘れないように
31:46ふるさとはもう基地の中でないんですけれども
31:49この基地の中にセンバルの土地をつなぐための
31:52つながりっていうのがとてもエイサーの中に入ってるんじゃないかな
31:57自分たちのふるさとはこういう場所にあったんだよっていうことを
32:01興味持ってもらえるよ知ってもらえるよ
32:04皆さん本当にいろんな努力されてるんだなって思うし
32:07若い世代の人たちに残していってるんだなっていうのが
32:11本当にすごい志ですよね
32:16センバルの人たちにとって大事な場所があると特別に入れてもらったのが米軍の敷地内にある土地の神様ドゥーティークーです
32:33ここで年に一度先祖にエイサーを奉納しています
32:42いつかふるさとの土地に暮らしエイサーを踊ること
32:52皆さんの願いです
32:58僕は無理かもしれないけど子どもたちにここで中でエイサーしてほしいな
33:05住めなくなっても80年間だけどまだここはまた自分たちの心のふるさとであるの間違い
33:13来た!
33:42続いてやってきたのは那覇空港から車で40分のところにある茶丹町
33:50町の面積のおよそ半分を米軍基地が占めています
33:583年前にできた面白い場所があると聞き訪ねた先にあったのがレトロで大きなスクールバス
34:08しなびぬしょうか
34:12こんにちは
34:14いいですお邪魔して
34:16はいどうぞ
34:18面白い 中に入ると本屋さんですね
34:22本屋さんですね
34:24古本屋になっています
34:26中でゆっくり本を読める古本屋さん
34:32地元の人はもちろん観光客からも人気です
34:38並ぶのは子どもから大人まで楽しめる沖縄について知ることができる本
34:46読んですごくよくて地元の方にこれは同じく読んでほしいなっていう沖縄の本っていうのを結構メインで扱って
34:58店主の畑中さゆきさん
35:02妻吹さんにおすすめしたいという本が
35:06絵はがきに見る沖縄っていって明治大正昭和の時代の風景が分かるような本でして
35:16昔販売されていた絵はがきを集めた写真集
35:21戦前から戦後にかけての沖縄を知ることができます
35:27昔の風景が失われてしまっていたりとか
35:30戦争でそういう記録自体がなくなってるっていう点で
35:34絵はがきにだけ残ってる風景っていうのを垣間見れる
35:39すごい素敵な人で
35:41なかなか昔のこういった写真って出てこないんですよね
35:45そうなんですそうなんですすごく貴重で
35:49畑中さんがこの店を営む中でより強く知りたいと思うようになったこと
35:58それは大好きだった祖父母が経験した沖縄戦のことです
36:05もうなくなっちゃったので大人になってからもっとこう聞きたいかったこととかあるんですよね
36:11そこをまあいろんな方の体験記を読んだりして組み合わせて理解を深めようとしているところですね
36:18なんか沖縄好きと思って全然来るのでもいいけどもっと少しでもいいからこういうことがあったんだよっていうことをやっぱ知るべきですよね
36:30僕は知ることによって自分を恥じたところもあるしそれと同時にやっぱもっと大好きになりましたね
36:39そして畑中さんにはもう一つこの店で感じてほしいことがあります
36:47バスの中に響く戦闘機の音
37:03このバスが止まっているあたりはちょうど基地の戦闘機が離着陸するルートの真下にあたるんです
37:12バスのある砂辺地区はこのあたり 沖縄県の測定ではこの地域の航空機の騒音は1日あたりおよそ50回発生しています
37:31いつの間にか沖縄で当たり前にされた基地がある暮らし 畑中さんがお客さんに感じてほしいことです
37:44戦闘機の離発着タッチ&ゴーとかがすごく平日はもう毎日頻繁に行われていて
37:55そういうところで暮らしている人たちもいるんだよみたいなのをちょっとこう分かっていただけたらいいなと思って
38:02そこでここでやっているところです
38:05そして旅の最後に訪れたのは茶壇町の人たちが大切にしている場所
38:1992歳のヨギ星人さんと孫の正吾さん
38:30案内してもらうのはクマヤーガマ
38:46地域で大切にされている天然の洞窟です
38:55沖縄線の時に茶壇町から北にかけての海岸線は
39:00アメリカ軍の上陸地点となった場所
39:03その作戦に向けて前年から茶壇町をはじめとする県内各地への空襲が始まっていたんです
39:16攻撃から逃れるため住民たちが半年にわたって避難したのがこのガマ
39:26先日はこっちから入って行く
39:31当時洞窟は逃げ込んだ300人ほどの住民でいっぱいに
39:3912歳だった成人さんは家族と入り口付近で過ごしていました
39:48多くの住民が暮らしていたガマには
40:05当時の生活の痕跡も残されています
40:08天井には水地の煙でついた黒いススの跡
40:17ここで水を沸かし飲み水にしていたといいます
40:22ここは洞窟なので換気通気代わりということで
40:28住民の皆さんが鉄の棒とかで穴を開けて換気口として使ったというその名残もあって
40:35ガマの中に響いた砲撃の轟音
40:42生きた心地がしなかったといいます
40:45米軍が上陸する直前までここに避難していた住民たち
41:13全員の命をガマが守ってくれました
41:20ところがそのガマは戦後思わぬ運命をたどります
41:29アメリカ軍が一体の土地を接収
41:38ガマは土で埋められ上に建物が作られてしまいました
41:44しかし返還後地元の人たちが行ったのはガマを掘り起こすこと
41:52昔の姿に戻すことにしたんです
41:56なぜ元あった姿に戻そうと思われたんですかガマを
42:01年齢の人たちは文字ガマだから女のガマで何でそういうのだったらだって一人も死んだことないですよその中で誰も亡くなってない
42:14やはりこういったガマを残していくっていうことが次の世代の方々に及ったことがあったんだよって考えるという意味も込められてるんですか?
42:26もう何と言っても沖縄はぬつる宝というのはありますよねぬつる宝命が大事よ普通なものへの行うことは絶対に忘れていけませんよと
42:40戦後80年のことし妻吹さんが沖縄を歩き多くの人と出会って感じたこと
43:01いやもう来るたびに新しいことと出会いがあるから本当に学びをやめちゃいけないですね
43:18今があるっていうのは当たり前じゃないですよね
43:24絶対忘れちゃいけないし
43:31僕たちもしっかりとねその想いを
43:43次の世代に伝えていかなきゃいけないですよね
43:49それってやっぱ沖縄の人であろうとどこに住んでいるの関係ないのみんなが考えていかなきゃいけないことだと思うんですね
44:06沖縄の忘れてはいけない歴史そして
44:15当たり前なんて思えないですよね
44:20毎日聞いてたら慣れるかなんて絶対慣れるわけないし
44:25戦闘機ですからね
44:29戦闘機ですからね
44:31戦闘機ですからね
44:35戦闘機ですからね
44:37戦闘機ですからね
44:40戦闘機ですからね
44:43戦闘機ですからね
44:50おかしします
44:51あちの人もないやので
44:52その人 stages
44:56あたくさんと思うので
44:59あたくさん大人が乗った感じになってる時間
45:03そしてマイタモノギアになっちゃいました
45:06おかしになった lodgeですからね
45:10お寓な場所は
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