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信心の稽古とは有難くなる稽古、即ち有難いと感じる味覚が変わること (2025-11-03)
Wagakokology-Jp
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3 か月前
信心の稽古とは有難くなる稽古です。即ち有難いと感じる味覚が変わることであり、それは言わば舌が変わることでありましょう。舌が変わると言うことは、私どもの願いが変わると言うことです。わがままな自身の願い即ち私願が叶うことを願う願いから、天地金乃神様の願いを我が願いとしその神願が叶うことを願う信心へと育つことです。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
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00:00
ご理解 第60節
00:11
おかげは受け読受けがち
00:14
心が豊かに大きくなる
00:19
おかげも豊かに大きくなる
00:22
まさに受け読であり受けがちである
00:30
心が豊かに大きくなる
00:32
おかげも豊かに大きくなる
00:37
この事柄をおかげというものですね
00:43
いわゆるご利益
00:45
私どもが願いとするものが叶うというような
00:52
そういうおかげもありますね
00:56
もっともっと本質的なというのでしょうか
01:01
神様がお子に授けたいと願われる
01:04
いわゆる神様の願われるおかげというものもありましょうけれども
01:09
私どもが願いとするいわゆるご利益
01:15
わがままな願いが叶うというおかげ
01:18
というものもありましょうけれども
01:21
ここで言われるおかげとは
01:24
私どものわがままな願い事が叶うという
01:27
いわゆるご利益を超えたもの
01:31
もっと神様が私どもに授けてくださろうとするおかげ
01:37
人間の本当の幸せを求めるときに必要とするおかげというものでしょうかね
01:48
ちょっと抽象的になりますけれども
01:53
そういう私どもに神様が与えようとしておられる
02:00
授けようとしておられるおかげ
02:02
それは私どもの心がいよいよ豊かに
02:08
大きくならなければいただけない
02:12
授けようがない
02:14
心が小さいものにいわば
02:17
それは心は器だとも申されますから
02:22
その器の小さいものにはいくらやろうとしても
02:27
こぼれてしまうものですね
02:28
ですからお幹さんと言われますが
02:32
ありがたきもったいなき恐れ大きな幹を立てまつれと
02:36
この神様のおかげというものを
02:39
その幹にも例えられますが
02:41
神様がその幹を私どもの
02:44
ままに値を授けようとされても
02:48
私どもの受け物が小さかったのでは
02:51
いわゆる心が小さかったのでは
02:54
貧弱であったのでは
02:56
幹を注いでもこぼれてしまいますから
03:00
与えようがない
03:01
授けようがないということでもありましょうね
03:05
それこそお幹を注ぐのに
03:08
おちょこですか
03:10
杯程度には杯程度しか入りません
03:15
それがもっと杯から
03:19
あれは何ですか
03:21
湯飲みで飲むようなことにもなり
03:23
お茶碗で飲むようなことにもなり
03:26
一生入る大きな杯がありますね
03:29
余談になりますが
03:34
ある選挙の応援をしていたときに
03:39
その方が当選されて
03:41
みんなで事務所で当選祝いをするときに
03:45
まあ水強でしょうね
03:47
その大きな杯に
03:49
なみなみと継がれて
03:51
さあこれを飲めというようなことで
03:55
飲みをしてしまったことがありますが
03:57
どうもその後
04:00
あるお医者さんの家に
04:02
でのに行きましたので
04:05
ちょうど脱水症状を起こしてしまい
04:09
点滴をしていただいたというようなことがありましたが
04:12
まあその喜びというのでしょうかね
04:17
のときにはついついいただいてしまうものですが
04:21
その杯
04:22
いわゆる器の大きさに従って
04:26
神様が授けてくださるおかげの大きさ
04:30
量というものも違ってくるものでしょうね
04:32
よく例えられますのが影ですね
04:37
おかげはいわゆる影だと
04:39
だから神様が例えば太陽として照らされる
04:44
私どもがその影が小さなピンポン玉ぐらいだったら
04:49
そこに映る影もピンポン玉の大きさ
04:53
野球のボールになればもう少し大きくなる
04:56
またサッカーボールでしょうか
04:58
バレーボールでしょうか
05:00
そういうボールにもう少し大きなボールになれば
05:03
そこに映る影も大きくなる
05:05
いわばそれは私どもの心だと
05:09
私どもの心が大きくなれば大きくなるほど
05:12
そこに映る影も大きいのだ
05:14
というたとえ話をされることもありますね
05:19
いずれにしろ私どもの受け物が大きくなる
05:24
私どもの受け物であるところの心が大きくならなければ
05:29
神様が授けようとしておられる
05:32
大きなおかげをいただけない
05:35
漏らしてしまう
05:37
だから漏らすようなところに
05:39
わざわざ神様が注がれるはずはありませんからね
05:43
一生も入るような杯を持っていけば
05:47
そこに一生のお酒を注いでくださるだろう
05:50
ところがほんのちょびっとしか入らない
05:54
小さなおチョコというのでしょうか
05:56
杯を持っていけば
05:58
そこに入る分しか注いではくださらない
06:01
あふれてたのでは無駄になりますからね
06:05
ですから私どもの受け物
06:08
おチョコというのでしょうか
06:10
それが小さい一口サイズのおチョコなのか
06:14
一生も入るような
06:17
まあ戦車を祝いというのでしょうかね
06:19
ああいう大きな杯を持っていくのか
06:23
持っているのか
06:25
その私どもの心の大きさ次第
06:28
神様が授けようとされる
06:31
おかげの何と言いましょうかね
06:34
豊かさ大きさも変わってくるもの
06:37
だということですね
06:39
さあそれはどうしたらできるのだろうか
06:46
これは一つには
06:47
おかげの私どもの心の豊かさ大きさ
06:52
というものは私どものありがたさの度合いでもあろうかと思いますね
06:59
ありがたいと思うその度合い
07:03
それが私どもの心が豊かに大きくなればなるほど
07:08
ありがたいと思うこともより一層大きく豊かになるものではないでしょうか
07:14
私どもの心が小さいから
07:18
ありがたいというものもなかなかわからない
07:21
そこに喜びも湧いていかない
07:23
私どもの心が小さいからですね
07:27
信心の稽古とはありがたくなることだと
07:34
信心の稽古とはありがたくなる稽古だ
07:37
それこそ信心をさせていただき稽古をさせていただき
07:41
年々再々ありがたくなる
07:43
喜びの心が湧いてくるものだと
07:48
信心の稽古とはありがたくなる稽古だと教えてくださいますが
07:55
そのありがたくどうしたらありがたくなれるのか
07:58
ということでもありますね
08:00
今朝いただきますのは
08:04
私がご縁をいただいたその当初でしたけれども
08:11
その師匠お坪総理しよしが
08:14
ご結界からあるご理解をしてくださりました
08:17
それは苦合理というのがある
08:21
あの求人の化け物ではありませんが
08:25
あのごつごつしたやつですね
08:27
その苦合理は苦い
08:31
だからとても普通では
08:33
普通の子どもですかね
08:36
子どもではなかなかこの苦合理が好きだという子どもは
08:41
あまりいないところがだんだん大きくなって
08:45
その苦合理を食べつけるようになると食べ慣れるですが
08:52
その苦合理がおいしく感じるようになる
08:56
その苦合理がおいしくなるというものですね
09:02
確かにそうですね
09:04
苦いです
09:06
苦いけれどもそれを食べ慣れていくと
09:10
そこに苦みの中に味わいを感じるようになるものですね
09:14
私はビールでよく思うのですけれども
09:19
小さい頃に
09:21
あれはおじの結婚式か何かで
09:25
父が病気で入院しておりましたから
09:28
私が代わりに代理で行かせていただいたことがありますが
09:33
その時に
09:35
まあ何ですかね
09:37
あれは
09:38
からかい半分ですか
09:41
からかい半分で
09:43
ビールを一口
09:44
勧められて
09:46
勧められてというのか
09:48
まあ飲んでみろということですね
09:50
子どもをからかうようなものですが
09:53
それでそのビールを一口口にして
09:55
まあなんとまあ苦いものだと
09:58
どうして大人たちはこんな苦いものを
10:01
おいしいおいしいと言って飲むのだろうかと
10:04
思ったことがあります
10:05
子どもの味覚には
10:08
とてもビールが苦くて飲めるものではない
10:12
むしろコーラとかサイダーとか
10:14
ジュースの方がいいわけですけれども
10:17
大人たちはそのビールの苦いのがおいしいとか
10:21
苦みがうまい
10:22
などと言って飲みますね
10:25
それが私もやはり
10:28
年を重ねてと言いましょうか
10:31
成人をして
10:32
その大人の仲間に入るというのでしょうか
10:36
そして改めて
10:37
飲ませていただくと
10:39
なるほどおいしいものですね
10:41
お風呂上がりに飲んだり
10:43
何か外で仕事をして
10:45
汗をかいた後に飲んだり
10:48
そういう時に飲むビールというのはまた格別においしい
10:54
その苦みがおいしいものですね
10:57
いわゆる味覚が変わってくるわけです
11:03
その今まではおいしくないと思っていた
11:07
今まではとてもこんなのは嫌だ
11:10
向こうにやりたいと思っていた
11:13
そういうものがそこに味わいを感じるようになる
11:18
今まではとてもおかげとは思っていなかったもの
11:22
その中にもそれが
11:24
これはおかげだなと
11:25
おいしいなと
11:27
苦いけれどもおいしいな
11:29
いやこの苦みがいいのだ
11:31
といったようなことにまでなってきますね
11:35
いわば今までありがたいといただけなかったものが
11:39
ありがたいといただけれるようになってくる
11:42
とても喜べなかったものが
11:44
そこに喜びが湧いてくる
11:47
というような信心になるためには
11:50
そういう心になるためには
11:52
私どもの味覚が変わらなければならない
11:57
味覚が成長しなければならない
11:59
ということですね
12:01
いつまでも子どものままの味覚であったのでは
12:06
ありがたくもなれない
12:10
ありがたさが成長しない
12:12
喜びの心が成長しない
12:14
ということなのです
12:16
なぜ味覚が変わらないのか
12:20
舌が変わらないからですね
12:22
やはり私どもがありがたいと思うもの
12:27
あるいは喜びを感じるもの
12:30
それはだいたい決まっておりますね
12:33
自分にとって都合の良いことが起こってきたとき
12:37
自分の願い事が叶うとき
12:41
そういうときにありがたいと感じます
12:44
そういうときに願い事が叶ったときに
12:48
喜びを感じます
12:50
何か都合が良いことが起こってきたときに
12:54
ありがたいと思います
12:55
その構造自体はどうも変わらないように思います
13:01
何か都合が悪いことが起こってきて
13:06
それがありがたい
13:08
嫌なことが起こってきて
13:12
それがこれが喜びだ
13:14
それこそ叩かれて
13:16
その痛いのが喜びだ
13:19
これはサドマゾの世界というのでしょうか
13:23
そういう世界があるのかもしれませんけれども
13:26
新人においてはちょっと異常だと思いますね
13:29
やはりどこまでも私どもは
13:32
自分に都合の良いことが起こってきたときには
13:35
ありがたいと感じるものであり
13:38
自分の願い事が叶う
13:41
そういうときには喜びを感じるものですね
13:44
その感覚は変わらないと思います
13:49
ところが舌が変わる
13:53
舌が変わると
13:55
今まで苦いと思っていたものが
13:59
そこに味わいを感じて
14:01
美味しく感じるようになる
14:04
今まで嫌だなと思っていたものが
14:07
ありがたいと思えるようになる
14:11
それは舌が変わらないからです
14:14
舌が変わらなければなりません
14:16
都合の良いことにありがたいと思い
14:20
願いが叶うことに喜びを感じる
14:22
そういう根本的なものは
14:26
変わらないと思います
14:28
ただ私どもの舌が変わるのです
14:32
舌を変えなければ
14:35
その味わいが変わってこない
14:37
それはどういうことかというと
14:41
その舌が変わるということは
14:43
一例を申せば
14:48
家福はあざなえるなあのごとし
14:51
と言われたり
14:52
一時が万事最後が馬
14:55
と言われたりいたしますね
14:57
そういうことであるということが分かる
15:02
そうすれば今
15:04
それこそ
15:05
災いが起こってきている
15:08
嫌だなと思う
15:10
しかしその次には
15:12
これはきっと
15:14
良くなる前兆だ
15:16
これは人間の側ですけれども
15:19
これはピンチだな
15:21
これをチャンスに変えていくのだな
15:24
と言ったような
15:25
元気な心が
15:26
思っている
15:28
といたしましょうか
15:29
そうすれば
15:32
今
15:32
災いだと思うようなことでも
15:35
これはこの先
15:36
福になるな
15:37
と思う
15:38
そのことが分かるから
15:40
そう感じるから
15:42
今
15:46
たとえ災いが起こってきていたとしても
15:49
そのことをありがたい
15:51
といただけられるようになる
15:54
いわば
15:54
ある意味私どもが
15:57
先を見越すことができるようになる
16:00
この先どういうことになるだろうか
16:02
という
16:03
この先に期待が持てるというわけですね
16:06
それが
16:08
私どもの下が変わりませんと
16:12
そのより良いことになるということが
16:15
分かりませんと
16:16
ありがたくはなれない
16:18
喜んでいただくということもできない
16:20
また
16:23
もう一つありますね
16:25
私どもの
16:26
その
16:26
下というものは
16:28
何か
16:29
それは
16:29
願いということですね
16:32
下が変わる
16:34
そうすれば
16:35
今まで苦いと思っていたものも
16:38
おいしくいただけられるようになる
16:40
それは
16:42
私どもの
16:43
願いが変わる
16:45
ということですね
16:47
願いが育つということにも
16:50
なりましょうかね
16:52
端的な例は
16:56
私どもが
16:58
志願成就
16:59
私の願い事が成就することを願う
17:04
いわば
17:05
自分のわがままな願いが叶う
17:08
ということだけを願う新人からは
17:11
ありがたい
17:13
ありがたい心や喜びの心は育ちません
17:16
なぜなら
17:18
自分の思い通りに
17:19
言うことが運ぶということは
17:21
そう多くはないからですね
17:23
そこに
17:26
志願成就から
17:29
心願成就の
17:30
心地に
17:31
私に
17:33
私にかけられた
17:34
あるいは
17:35
人々にかけられた
17:37
神様の願いが成就する
17:40
ことを願う新人
17:42
私どもの願いが
17:45
変わってきたときに
17:47
育ってきたときに
17:49
今
17:51
ピンチに立たされている
17:54
しかしこれは
17:55
神様が
17:57
私に
17:58
より良い世界に
17:59
住まわせようとする
18:00
より本当のことを
18:03
教えてくださろうとする
18:05
神様のお働きだな
18:07
すらち神様が
18:09
私を
18:11
より
18:12
助かりの世界へと
18:13
連れていこうとしておられる
18:15
その神様の願いが
18:17
成就していっていることだ
18:19
そのことに違いない
18:21
と
18:23
そこに確信が
18:24
持てられるときに
18:25
なるほど
18:27
私の願いは
18:29
成就しないけれども
18:30
神様の願いが
18:32
成就していっているときだ
18:34
とそこに
18:36
神様の願いが
18:39
成就することを
18:40
願いとする
18:42
私に
18:44
その
18:44
舌が
18:46
変わっておれば
18:47
私の願いが
18:50
叶わないときにでも
18:52
喜べれることになる
18:55
ありがたく
18:56
感じることが
18:57
できるようになる
18:59
ものですね
19:00
その
19:03
私どもの
19:04
舌が
19:04
変わるということは
19:05
私どもの
19:06
願いが
19:07
変わる
19:08
願いが
19:09
育つ
19:10
ということですね
19:13
私どもの
19:15
願いが
19:15
変わるから
19:16
育ってくるから
19:18
今まで
19:19
ありがたく
19:20
ありがたいとも
19:21
思えなかったことが
19:22
ありがたいと
19:23
思えるようになる
19:25
今まで
19:25
とても
19:26
喜べなかったことが
19:27
喜べれるようになる
19:29
それは
19:30
私どもの
19:31
舌が
19:31
変わるからだ
19:32
願いが
19:35
変わってきたからだ
19:37
ということになります
19:40
ということになりますね
19:42
ですから
19:44
ありがたくなる
19:46
傾向
19:46
であるということは
19:49
私どもの
19:50
願いを
19:51
変えていく
19:52
願いが
19:53
育つ
19:53
ことでも
19:55
あるということが
19:57
言えますね
19:59
舌が
20:01
変わらなければ
20:02
願いが
20:03
変わらなければ
20:04
ありがたいものを
20:06
ありがたいと
20:07
いただき
20:08
喜べるものを
20:09
喜べる心も
20:10
育ってこない
20:11
ということになりますね
20:13
どうぞ
20:16
よろしく
20:17
お願いいたします
20:18
ありがとうございます
20:27
ご視聴ありがとうございました
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Wagakokology-Jp
3 か月前
18:21
天地日月の心をもう少し簡単にすると、与える心、受ける心、貫く心 (2025-09-29)
Wagakokology-Jp
4 か月前
15:10
この世には天地日月の心の稽古に来ているのです (2024-12-22)
Wagakokology-Jp
1 年前
20:23
神様からのお知らせを頂きながらの信心の稽古 (2025-10-25)
Wagakokology-Jp
3 か月前
19:02
有難いから有難うございますへ (2025-10-10)
Wagakokology-Jp
3 か月前
20:32
今を喜ぶ、と言う信心が大切です (2025-10-16)
Wagakokology-Jp
3 か月前
14:32
教えを行じれたことに対しての有難さ、信心には有難くなる工夫も要ります (2025-02-21)
Wagakokology-Jp
11 か月前
15:46
信心の極意は言葉では表現出来にくい (2025-04-16)
Wagakokology-Jp
9 か月前
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