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激論敗戦60年日本の戦後は終わったか元帝国軍人が今こそ語る - 2of4
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アート・創作トランスクリプション
00:00:28朝まで生テレビです
00:00:31本当に心のこもったお姿を我々も拝見したのは間近だ
00:00:36ったんですけども
00:00:38とにかく60年経って今あの戦争に実際に参加された
00:00:43方々に
00:00:44お元気なうちにいろいろとお話を伺っていきたい
00:00:49後世に伝えていただきたいことがたくさんあります
00:00:51安国問題とか今の問題もどうお考えになっているか知りたいし
00:00:55本当に戦時で何をご覧になって経験されたのかも
00:00:58本当にじっくり伺いたいなと思います
00:01:00すでにこのテーブルには13人の帝国軍人の皆さん
00:01:07着席していただいております
00:01:09そして田原さんそれから女性の皆さん
00:01:13ジャーナリストの皆さんにも参加していただいて
00:01:16今日のこの討論を進めていくわけなんですが
00:01:19会場にはですね年齢でいきますとどうでしょう
00:01:23私たちが息子娘の世代会場の今座ってくださって
00:01:31いる皆さんは
00:01:32孫たちの世代ということになるでしょうかね
00:01:35今家族家ですし元帝国軍人の方のお話生で聞か
00:01:40れる初めての方も
00:01:41いらっしゃるんじゃないでしょうか
00:01:44言ってみれば3世代今日は揃ってスタジオを構成いたしました
00:01:4860人の学生を中心とした皆さんです
00:01:52なお今夜の朝まで生テレビはこれVTR収録でお送
00:01:57りしております
00:01:57といいますのも座っていただいております皆さんは
00:02:00ご高齢の方多くございますので生放送ではなく
00:02:05これはもうノーカットでお送りいたしますが
00:02:08金曜日の夕方から収録したもの
00:02:12日付が変わって放送させていただいております
00:02:14そのためいつも行っておりますテレビをご覧の皆様からの
00:02:17ファックス電話によるご意見の受付は
00:02:20本日はやっておりませんのでご了承ください
00:02:23それではしっかりと話を聞きたいと思います
00:02:26そして伺いたいと思います
00:02:27田原さんよろしくお願いします
00:02:29どうも田原総一郎です
00:02:32このお部屋の時間帯から言うとこんばんはなんですが
00:02:35よろしくお願いします
00:02:37さて何度も渡辺さんたちが言ってますが
00:02:41まさにその第二次大戦終わって60年経ちました
00:02:45今大きな実は日本は回り角にあります
00:02:51例えばちょっと前までは
00:02:54満州事変日中戦争あるいは太平洋戦争
00:02:58あれはつまり侵略戦争だったというのが大体常識になってました
00:03:02ここへ来ていや違うと
00:03:04あれは自衛のためのやむを得ない戦争だったと意見が
00:03:07どーっと強くなってきました
00:03:09さらにこの小泉総理の靖国参拝をめぐって中国や韓
00:03:15国から決してからん
00:03:17行くのはやめろと言ってきてる
00:03:19それに対して国内ではまさに二分ですね
00:03:22行くべきだ
00:03:23あるいはこの行かない方がいいと
00:03:26新しい戦争者の記念品を作った方がいいとか
00:03:30いろいろあります
00:03:31さらにこの憲法をね
00:03:33これはまさに日本が戦争に負けて新しく憲法を作ったわけ
00:03:37作ったというか半分がアメリカに押し付けられてもある
00:03:39んですが
00:03:40その憲法を変えるべきだと
00:03:42いろんな意見が出てまして
00:03:45まさに大きな回り方に立っているところが
00:03:48実はガンガン言ってる人たちのほとんどは戦争を
00:03:53知らない世代なんですね
00:03:5460以後は知りません
00:03:57だから言ってみれば空理空論にもなると
00:04:00そこで今日はまさにその戦争に参加された
00:04:04まさに死に立って
00:04:07死の地と書くんですが
00:04:08死に立って戦われた
00:04:11この中にはね
00:04:13よく政官されたという方もたくさんいらっしゃる
00:04:17その方々に自分の戦争の体験を
00:04:21体験を言えば本音でじっくり語っていただきたいと
00:04:27で、この3人の女性の方に質問していただきたい
00:04:31このまず佐島さん
00:04:33はい、佐島でございます
00:04:34この佐島さんはお父さんが
00:04:38はい
00:04:38海軍ですか
00:04:39陸軍時間学校の
00:04:40陸軍時間学校ですね
00:04:41はい、海軍時間学校ですね
00:04:42はい、海軍時間学校ですね
00:04:43はい、海軍時間学校ですね
00:04:43はい、そして再選になって
00:04:45そうです
00:04:46自決を
00:04:46そうです
00:04:48終戦後の直後の8月23日に
00:04:52終戦を知らないで訓練か何かしてたらしいんですが
00:04:55友人と2人で自決をいたしまして
00:04:57父は命を取り止めたんですが
00:05:01一緒に亡くなられた
00:05:03鈴木照之さんという親友は亡くなりました
00:05:06はい、で
00:05:07大変衝撃的な出来事だったと思うんですけど
00:05:13戦後、父は経営者として全然違う道を行きました
00:05:16はい、そういう佐々木さん、それから妙珍さん、毎日新聞の記者ですね
00:05:22はい、そうです
00:05:23何部ですか
00:05:23社会部です
00:05:24女性で社会部言ったら珍しいですね
00:05:27珍しくないです、最近は
00:05:29あと、産経職場所、危険汚いきつい
00:05:32そうですね
00:05:33まあ、その妙珍さん、それから遥香陽子さん
00:05:36はい
00:05:38遥香陽子さんは何年生まれ?
00:05:40いや、女性に何年生きちゃいけないから
00:05:42なんで私にだけ生きちゃいけないから
00:05:44あの、父が明治生まれですので
00:05:46戦争体験の話は多少聞いて育ちました
00:05:50なるほど、まあ、今日は次回にね、体験されている人々に
00:05:54こう、素直に何でも聞いてください
00:05:58ところで、まずその皆さんに
00:06:02戦争に参加された皆さんに
00:06:04簡単にその、どこで、どういう戦いをされたのか
00:06:09えー、愛用順で、えー、安倍三郎さんからお聞きしたいんですが
00:06:14はい
00:06:15安倍さんは、この81歳でいらっしゃるんですね
00:06:19はい
00:06:20それから、海軍兵学校から73期、で、飛行隊として沖縄戦に
00:06:25参加したい
00:06:26特攻隊でもあったんですか?
00:06:29はい、体験してます
00:06:30特攻でよく生き残れたんですね
00:06:33あの頃はですね、気味悪いけど明日からちょっと特攻やってくれるんか
00:06:37ね
00:06:37と、いう程度で、特攻が決まってます
00:06:40え、君、明日から
00:06:42はい
00:06:42やるってことは死ぬってことですね?
00:06:44そうです
00:06:44突然に明日死んでくれって感じ?
00:06:47はぁー
00:06:483組バカ出ました
00:06:49はぁー
00:06:503組ってことは12名ですから
00:06:5112名
00:06:51いずれも帰ってきません
00:06:52うん、帰ってきません?
00:06:54はい
00:06:54で、安倍さんはたまたま、運良くっていうか、運悪くっていうか、当た
00:06:58らなかった?
00:06:59私が翌日の登場割決めてまして
00:07:01あ、翌日?
00:07:02なぜか、私の番に来ないんですね
00:07:04はぁー
00:07:06それで生き残ったわけですね?
00:07:08まあ、悪運が強いんですよね
00:07:09と、敗戦は沖縄で向かいはどこですか?
00:07:14えぇ、千葉県の茂原です
00:07:15あ、茂原でね
00:07:16はい
00:07:17そうですか
00:07:18あのー
00:07:19後でまたゆっくりお聞きしたいと思いますが
00:07:22それから、池部さん
00:07:23池部さんってのはもう言うまでもないんですが
00:07:26往年の大スターです
00:07:28あのー、すいませんけど、往年じゃなくて
00:07:30あ、今も、失礼しました
00:07:32現役の大スターです
00:07:35この間、実は、岸慶子さんと会いまして
00:07:37もう、池部さんと一緒に
00:07:39ゆっくりやった時の話をしてました
00:07:42池部さんがうますぎて、私はもう素人に見えて
00:07:45大変だったと
00:07:46いやと
00:07:46余計な話ですが
00:07:48その池部さんは86歳
00:07:50えー、この
00:07:53ハルン・マヘラ島にいらした
00:07:55インドネシア
00:07:57そうですね、今はインドネシアですね
00:07:59ここ、インドネシアってボルネオからずっと来るんですが
00:08:02ハルン・マヘラってのはどんな辺ですか?
00:08:06その地図のボルネオの右
00:08:08なんかこんなような格好してる島がありますね
00:08:11はい
00:08:11これはセベベスです
00:08:12セベベス
00:08:13これのね、ちょっと右下
00:08:15あ、右下
00:08:16右ってこっち
00:08:17はい、この辺ですね
00:08:18そうですね、ほとんど赤道直下ですから
00:08:23それで、池部さんが敗戦になって
00:08:25捕虜にはならなかったんですか?
00:08:28あ、もちろん捕虜になってはいたんですけどね
00:08:30これあの、私がいた島が
00:08:33ご存知のように島ですからね
00:08:35周りが海だから
00:08:36どこに行かれないだろうって言うんでね
00:08:38ゴーシュウ君が
00:08:39お前たちにそのまま軍隊の組織へいると
00:08:42あ、逃げられないか
00:08:44逃げられない
00:08:45行きようがないですからね
00:08:47それで、そこに
00:08:48え、何か月いたかな
00:08:506か月、8か月かな
00:08:52おりました
00:08:53なんか、相当なんか死にそうな目に
00:08:56お会いになったことがあるそうですね
00:08:57え?
00:08:57いや、あの、まさにね
00:08:59死にそうな目にお会いになったことが
00:09:01何とかあるそうですか
00:09:02うーん、そうですね
00:09:03死にそうな目にお会いになったことが
00:09:13あ、中国の
00:09:14あの、中国の
00:09:15そうですね、三島省の根元あたりにいたんですよね
00:09:19その兵隊がざざっと来ましてね
00:09:22それで上海から
00:09:25上海ってこの辺かな
00:09:26南へ下っていったわけです
00:09:27うん
00:09:28その途中の台湾とそれからフィリピンの間に
00:09:31うん
00:09:31バシリ海ってなりましてね
00:09:33うん
00:09:34ここでもって、えー、ほとんどの輸送船がやられちゃいました
00:09:40その時は助かったんですけども
00:09:41それから、えー、マニュアルが上がりまして
00:09:47はい、フィリピンのマニュアル
00:10:01そこでもって、そうですね
00:10:04アメリカの潜水艦の逆営水雷にあたって
00:10:07うん
00:10:08それから、あの、いわゆる激震とか
00:10:11そういうあの、沈暴したのではなくてね
00:10:14だんだん沈んでたんですよね
00:10:16だんだん
00:10:16ですから、まあそれは運が良かったんですが
00:10:18それでも、みんな飛び込みまして
00:10:2313時間か4時間、泳ぎました
00:10:25それで、あの、日本の苦戦艇に助けられましてね
00:10:30どこ行くんだか分からなかったんですけども
00:10:32着いたら、晴らないら
00:10:34あ、船が沈んで、じゃあ13時間泳いんだんですか?
00:10:38泳ぎましたね
00:10:39そんな体力ありますか?
00:10:41あの、水泳のこんなことやってるじゃないですけど
00:10:44なるほどですか
00:10:45大勢の方、亡くなったんでしょうね、きっと
00:10:48そうですね
00:10:49えー、パシリ海では多かったんですけど
00:10:52そのセレベス海では、あれでも1000人ぐらい
00:10:56先進して、えー
00:10:58じゃあ、助かった人は少ないんですね、きっと
00:11:01えー、あの、私の助かったとこは
00:11:04割と多かったんですけど、助かった人はね
00:11:06うーん、皆さんね、質問どうぞしてください
00:11:10はい
00:11:10途中で
00:11:12はい、で、大村さん
00:11:14はい
00:11:14大村さんは、えー、海軍の軍族からですか?
00:11:22はい
00:11:2281歳
00:11:24はい
00:11:24で、現地消臭、あの、いらっしゃるインドネシャだけど
00:11:28現地消臭とありますね
00:11:29そうですね、はい
00:11:31えー、日本から、えー、兵隊がもう送れなくなったんで
00:11:35現地にいた我々のように、長州の延期をして
00:11:39あの、長兵検査をですね、しないで戦地へ行っていたもの
00:11:43それから戦前からいるもの
00:11:45それを、あの、ボルネオ島でですね、ボルネオなんです
00:11:48あ、ボルネオね
00:11:50はい
00:11:50はい、ボルネオ島なんです
00:11:51そこで、えー、一斉に、えー、長兵検査をしたわけです
00:11:55ですから、年齢も、私よりも下もいれば、党ぐらいでもいたわ
00:11:59けです
00:11:59それが、その者たちが、陸軍の兵隊として、まあ、現役の兵隊
00:12:05として
00:12:06えー、旧、えー、イギリス病、今のマレーシアですね
00:12:10キサボルネオ、ブルネ、サラワーク、で、行って、あの、もう、陸
00:12:17軍の兵隊になったんです
00:12:18兵隊になる前は、私が、海軍からの命令を受けて
00:12:22実は、南ボルネオ、このボルネオの、元のオランダ領の
00:12:26ところから出る油は、海軍が使うと
00:12:30それから、ジャワスマトラ、それから北ボルネオ、今のマレー
00:12:35シアの方の、油は陸軍が使うと
00:12:37いう、分担になったわけです
00:12:39あ、ボルネオは、海軍?
00:12:41はい、そうです。それで、えー、日本ではもう油がありませんから
00:12:44もともとね、第二次大戦というね、太平洋戦争をやったのは
00:12:49油欲しい
00:12:50そういうことです、そういうことです
00:12:52それで、まあ、艦隊の油にしろ、航空機の油も
00:12:55あの、海軍関係は全部、この、南ボルネオの、バルフパパン
00:12:59が製油所で
00:13:01はい
00:13:01あのー、サマリンダ、サンガ、サンガ、タラカン、これがサイ
00:13:04ユで
00:13:05最初は、サイユも、あのー、製油も同じ、101海軍燃料所
00:13:10だった
00:13:10で、あのー、17年の9月に分かれまして
00:13:14製油部門は、102、102海軍燃料所となったわけですね
00:13:19で、えー、採油する方、油を掘る方を101海軍燃料所と
00:13:251と2に分かれる、その分かれるときに私たちが必要
00:13:29になったんで
00:13:29命令を受けて、あのー、私は浅間丸で行きましたけども
00:13:34うん、27名の、まあ、あのー、技術屋じゃないんです
00:13:37これはもう、あのー、私どもはまあ、自民屋ですから
00:13:40まあ、そういう関係のものだけが、東京と大阪から据えられて
00:13:44なるほど、行ったんです
00:13:45ところでね、はい
00:13:46まあ、インドネシアの油が欲しいから、はい
00:13:48戦争を始めたんだけど、はい
00:13:50戦争を始まってからね、はい
00:13:51インドネシアから油を運べたんですか?
00:13:54あのー、当時、最初の頃はですね
00:13:56最初は、あのー、日本の、まあ、徳山だとか
00:13:59四日市とか、あのー、燃料所宛てに、原油だとか、あのー、灯油
00:14:05も送っておったんです
00:14:06何年ぐらいまで送れたの?
00:14:07ね、18年ぐらいまではね、送れました
00:14:10最後2年はアウスですね
00:14:11もう、それは、あのー、輸送船が全部、沈められますもんで
00:14:15飛行機とか、あのー、船の燃料も現地調達
00:14:19そうです、あのー、連合艦隊の油は全部、あのー、この、僕らのボル
00:14:24ネオの
00:14:24連合艦隊は、僕らの油でやった
00:14:26はい、なるほど
00:14:27それから、ラバル方面の、あのー、第8海軍軍事部にあてて
00:14:31に送るガソリンは全部、戦闘機が使うという
00:14:34そういう形で、えー、やりました
00:14:36兵隊さん自身のね、燃料調達も現地調達だったんですか?
00:14:40そうです、もう、とにかく日本では油がないんですから
00:14:43いや、食料は?
00:14:44あ、食料、はい
00:14:45あ、食料も、まあ、送ってもらってたんだけども、もう、それもなくなって
00:14:50えー、現地は自活の状態になった
00:14:53最初は、まあね、日本から送ってたんだけど
00:14:56あ、そうです
00:14:56自活になってから、インドネシアの人たちとあんまり感慨
00:15:00良くなくなったんですか?
00:15:01まあ、私どもは、あのー、正直言って、あのー、オランダと戦いに行
00:15:05ったんで
00:15:05そう
00:15:06インドネシアは場所置かれたようなもんで、油はオランダ
00:15:08が取っとったわけですから
00:15:10それを、まあ、要は、その、アジア人のためのアジアという形で
00:15:15そういうことで協力してもらって、えー、社業がまあ、うまいぐらいにな
00:15:19ってたわけです
00:15:20なるほど、はい
00:15:21また後でお聞きします
00:15:22さて、沖原さん
00:15:24はい
00:15:25沖原さんは、81歳
00:15:27はい
00:15:27えー、ジャワにいらしたんですね?
00:15:29はい
00:15:29えー、ジャワってね、やっぱりこの
00:15:31ジャワってね、まさにジャワなんですが
00:15:34はい
00:15:34この、えー、そこで、な、インドネシア独立に貢献と
00:15:40はい
00:15:41インドネシアの独立部隊に、戦後終わりになったんですか?
00:15:45えー、私はね、一番初め、あの、こちらで、タクラン塾っていう国立の
00:15:51出たわけ
00:15:51その時、すでに、あの、インドネシアの先生からね、いろいろ教
00:15:58わってるわけ
00:15:58うん
00:15:59あるいは、素晴らしい先生方にね
00:16:01それで、その時、もうすでに、私たちも独立のために、南方文部
00:16:05の地として覚悟して、秘書部に行ったわけ
00:16:08それで、神戸から、あの、イタリー戦にみんな、こう、百何名乗りま
00:16:14して
00:16:14それで、着いたわけ
00:16:15途中は、一、二回、攻撃受けましたけどね
00:16:18そして、向こうへジャカルタに着いて、そこは、ご存知の通り、
00:16:22あの、陸雲地区なんです
00:16:23陸雲地区は、スマトラと、あの、ジャワをされているわけ
00:16:27今の、さっき、大村さんが言った、はい
00:16:29ボルネオ、それからこっちの、セレベスの方、あるいは、ニュ
00:16:33ーギニアの方は、全部海軍の地区なんです
00:16:35うん
00:16:36当時、海軍としては、第一南県、だいたい今のペランから、北
00:16:42部ね、あの、スマトラ、そこと、第二南県が今、ジャワとこう
00:16:47それから、第三南県、さっきの、春日原があった、それから、第四南
00:16:51県が、ニューギニアと
00:16:52そういう、だから、ちゃんと積み分けをしたわけ
00:16:54したわけ、ところが、十九年になって、全部、機関が潰されるわけ、あの、
00:17:00船がね、沈んで、それで第二南県にまとめて、まとめたわけ
00:17:04その頃になって、我々は、すでに、あの、敗戦の浮き目にあるんで、
00:17:10一つ、インドネシアの独立、初めから私たちは、それのつも
00:17:12りで、乱歩へ渡った男ですから
00:17:15もともと、ところでね、まあ、その、随分、つまり、インドネシア行った
00:17:19方でね、独立のために行った方多いと思うんですよね
00:17:23ところが、その、敗戦になって、えー、BC級戦犯で処刑された人もい
00:17:29らっしゃいますね、インドネシアで、何人くらいいらっしゃる
00:17:32んですかね
00:17:32さあ、私は、そのも知りませんけど、ただ、私の独立は、うちの前
00:17:37田武官、前田正氏っていうのが、おりまして
00:17:40えー、それと、ご存じのとおり、あの、昔、松本徳兵、あの、大正翼
00:17:46三会の廃墟、はい、それと、ボンでおきまして、あの、今のインド
00:17:51ネシアのスカルノさんと一緒に、参議院で、インドネ
00:17:54シアの独立をやろうと、ちょうど決めた
00:17:57その流れを組んで、私は前田と一緒におりまして、ちょう
00:18:01ど終戦が8月15日、私は途中で受けて帰りまして、その
00:18:05あくり挨拶に行ったら、前田が、
00:18:08島本狙って、沖原、今からインドネシア独立をやるから、全部
00:18:11の仕掛けをしろ、ってわけで、陸軍、全部かけるわけですよ、
00:18:15私はかけたんですよ
00:18:16そうした恐ろしがってね、予算化しない、今から独立の宣言
00:18:20やるんだって言われ
00:18:21それで、やっと、陸軍から一人、原さんが来られまして、あの、西村さん、
00:18:27軍政官の人が来られまして
00:18:29それで、あとは私、あの、夕方、16時の夕方、スカルノハッタ氏
00:18:34を呼んで、呼んできまして
00:18:37これから独立宣言ね
00:18:38さらに乗ってはね、インドネシア独立の、まさにインド
00:18:41ネシアの大スターっていうかね、大スイルだけど
00:18:43じゃあ実際にスカルノハッタ氏と沖原さんはあって、一
00:18:49緒に協力して
00:18:49私に呼びに行った、自動車でおるの
00:18:51日本に帰ってこなきゃよかったのに、インドネシアに行った
00:18:54らもう大ヒーローじゃん
00:18:55いや、ところがこれまた裏でね、インドネシアで今度は先般に
00:19:00追われる恐れがあるからね、やっぱりもうぶって帰らなきゃ
00:19:03今度はね、我々はね、日本の独立のことを考えたわけ
00:19:07です
00:19:08インドネシア独立だったら、今度は日本の独立のことって
00:19:10わけで、帰ってきたわけです
00:19:11今でもね、インドネシアの方は今室中将の方なんか、大変
00:19:16懐かしく
00:19:16祖父が19期でございますので、今室さんとは同期なんですけど
00:19:20未だに今のインドネシア軍の方達も、今室とこうおっ
00:19:25しゃってね
00:19:26インドネシアの日本の統治時代を懐かしがるような
00:19:29ところでございまして
00:19:31今でもそういう、なんて言うんでしょうね
00:19:33皆さんがご苦労なさった思いは、インドネシアの方に残
00:19:37ってると思いますよ
00:19:38私、スワルさんになってからだけれども、インドネシア何度も言
00:19:41ってますが
00:19:42やっぱりインドネシアの人たちは、日本には本当に協力しても
00:19:46らったと
00:19:48もう、非常にそういう考え強いですね
00:19:51それが独立の、インド、インドネシア独立宣言です
00:19:58今でもジャカルタにありますね
00:20:00行ってらっしゃった時にですね、インドネシアの市民の方達
00:20:03というのは
00:20:04え?
00:20:05市民の方達ですね、そういう方達の反応
00:20:08よかったですね、私が
00:20:10最高でしたね
00:20:11逆に日本語の中の反応はどうでしたか?
00:20:13比率的に言いますと、やはりインド、日本のためにと思っていら
00:20:18っしゃってる方が多くいる中で
00:20:19まあ、おりましたけど
00:20:20インドネシアのためにと思ってらっしゃる方は少数派です
00:20:23結構おりました
00:20:24まあ、そうです
00:20:24これは多数じゃないですか、私は多数だと思いますね
00:20:27逆に今村先生でしょ、海軍、海軍でうちの柴田司令長
00:20:31官、うちの前だと
00:20:32それが独立の地と言われた
00:20:34個人格好ばかりですね
00:20:35こうなんだよね、そこがだからある時期には
00:20:38戦争は全部侵略戦争で、つまり南方行った日本軍は全部悪
00:20:43いことしたと
00:20:43そうなことは
00:20:44ここは違うわけです
00:20:45それはありません
00:20:46我々はただ残したのは、インドネシアの教育の問題ね
00:20:49これがっちりやると
00:20:50それと、もう一つは軍隊ね
00:20:53これをがっちり
00:20:54黙ってらしただけですよ
00:20:56黙ってらしただけですよ
00:20:58はい、やっと
00:20:59また、後で伺いたいんですが
00:21:03えーっと
00:21:04小沢さん
00:21:06はい
00:21:06小沢さんは、えー、この
00:21:10えーっと、戦艦ヤマトにもこのようになってるんですね
00:21:14あ、私はあの、いわゆる学徒出陣と言って
00:21:17あ、学徒出陣ですか
00:21:19昭和18年の頃なんですね
00:21:22あ、18年と言うと、例の東京さんの雨の、あの、銀河企業
00:21:27で
00:21:27そうです、そうです
00:21:27みんな行く、あれですか
00:21:28明治寺宮外縁の雨の死の時の大行進ですね
00:21:32あ、あの時の行進にじゃあ小沢さんも行ったわけだ
00:21:34私は行ってないんです
00:21:35私はその2ヶ月前にもう入隊してたんです
00:21:38あー、なるほど
00:21:39えー、まあその話は後にしまして
00:21:42海軍予備学生に入りまして
00:21:46そして、海軍将尉
00:21:47たった7ヶ月でもって海軍将尉になったわけです
00:21:517ヶ月と言っても
00:21:53我々の時代は学校教練というのがございまして
00:21:56中学1年から三八式歩兵銃というのを持たされて
00:22:02軍事教練をさせられたわけです
00:22:04そうですね
00:22:04この三八歩兵銃というのは明治38年の小銃なんです
00:22:09これが理由が怠け者だったっていうね
00:22:11明治38年の小銃を持って
00:22:14最後まで日本はアメリカのカービン銃と戦ったんですよ
00:22:19これ見て兵器の違い、燃料の違い、いろいろ後で分か
00:22:24りましたけど
00:22:25なるほど
00:22:25その時は精神的な教育のもんでやってきましたもんで
00:22:31まして、私は四ツ谷生まれ四ツ谷育ち
00:22:36後ろは士官学校、前は明治議員
00:22:39こちらは新宿、こちらは九条の方です
00:22:44それで、私の隣には山下源太郎大将
00:22:49それで隣には多田、中条、これは修正の時の海軍次官です
00:22:56この多田君は私の小学校の同級生ですね
00:23:00で、彼はもう海兵入ったんですよ
00:23:03で、海兵入って特攻隊で死にました
00:23:06叩けたっていうのと、私はもう本当の仲が良くて
00:23:11ところで、その小沢さんが最後、アンダマンってどこですか?
00:23:15はい、アンダマンってどこですか?
00:23:17それで海軍将尉になりました
00:23:19昭和、私の年、21歳で海軍将尉
00:23:23一番若い将尉です
00:23:25こんな将尉ないですね
00:23:26それで海軍将尉になった途端に
00:23:29よし、これに集合、お前たちは来い
00:23:33それで、みんな、本当に成り立ての小沢の将尉を
00:23:36戦艦大和に乗ったんですよ
00:23:38で、その頃は戦艦大和っていう名前なくて
00:23:42一号艦
00:23:43あ、戦艦大和じゃないんですか?
00:23:46え?
00:23:47こういう呼び方してたんです
00:23:48武蔵が二号艦
00:23:50そして、第一号艦は大和、第二号艦は武蔵
00:24:16海軍将尉に入れるためなんですね
00:24:18その戦艦大和は、ボルネイを置いて
00:24:19行く目的で、お前たちもシンガポールに行くんだから
00:24:22乗せれってやる
00:24:23海軍の勉強もしろ
00:24:25途中じゃ、シンガポールにお前ら置いてやって
00:24:28本当はボルネイに行くんだよ
00:24:29そう、それで行きまして
00:24:31それで、あたちどもは
00:24:32呉の柱島から戦艦まで乗ったわけですね
00:24:37タルシュリア、武蔵がある
00:24:39でーかい船ですね
00:24:41で、キクドゴモンがついているわけです
00:24:43キクドゴモンの船が沈んでいるんです
00:24:46艦尾が上がっているんです
00:24:47決断なぁ、船だなぁと思っていた
00:24:50それが、走り出すと
00:24:53大派生というのがありまして
00:24:55波があると船が上がっていく
00:24:57造船技術の見事さですね
00:25:00で、でかい
00:25:01まあ、いろいろ来たいんだけど
00:25:03戦艦大和は、最後下鎮されますね
00:25:06あの時は乗ってらっしゃらなかった
00:25:08あの、私はシンガポールで降りました
00:25:11結局、油積みにそこに行ったわけです、艦隊は
00:25:13ボルネイに置いて
00:25:14で、私はその近くで持って
00:25:16降りてシンガポール
00:25:17そこで降りて、アンダマンという
00:25:20インド洋の真ん中
00:25:22今、スマトラで地震の有名な
00:25:25スマトラ、アンダマン
00:25:27インド洋の真ん中ですね
00:25:28地震のスマトラの側
00:25:31その上です
00:25:33伊都で言えば北緯10度ですね
00:25:36北緯10度です
00:25:38そこの島がお前の認知だ
00:25:40教官に言われまして
00:25:42え、アンダマンって知らないですね
00:25:44と聞いたんです、お母さん
00:25:46で、夜、教官のとこ行って
00:25:49予備学生の一級の先輩だと聞いたら
00:25:52お前、一番遠いんだよ
00:25:55ハワイより遠いとこだよ
00:25:57あ、こりゃいかんわと
00:25:59と言われて
00:26:00で、そうですか、帰ってきました
00:26:02ところが、お前は沖縄、お前はサイパン
00:26:06お前はどこどこ、シャンリク、シンガポール
00:26:10いろいろあった
00:26:12私はアンダマン、もうダメだ
00:26:13一番遠くて、一番危ないと言ったら
00:26:16そうなんです
00:26:16実は一番安全になった
00:26:17それが帰ってきたんです
00:26:18会社好きなんですね
00:26:20ああ、沖縄で無事だったから
00:26:22そうとなった
00:26:23当時の実感をしまして
00:26:26アメリカの兵力と、日本のヤマトの兵力と
00:26:30どっちの方が強いという確信を、当時お持ちでしたか
00:26:34それは、私は早稲田の政治経済です
00:26:38田原さんの先輩です
00:26:40そして、そこで持って勉強いたしました
00:26:44当時、総合雑誌で改造というのがございました
00:26:46はい、改造がありました
00:26:47それには、アメリカと日本の
00:26:52銅とか鉄のね、製造の量がこんなに違っているんですよ
00:26:56だいたいガソリンが無いでしょ、燃料が無いですよ
00:26:59だから、ボルニングを言ったわけだからな、ガソリン持ち
00:27:02すごいだから、これは勝てっこないね、と私は思いました
00:27:05じゃあ、その後、省異、注意になっていかれる過程でね
00:27:08部下に命令しなきゃいけない立場で
00:27:12これは勝てっこないな、という思いは
00:27:14どういう風にご自身で整理整頓されました?
00:27:16結局ここは、これから本題に入ってきて細かいことを言います
00:27:21けど
00:27:21今全部喋っちゃうと
00:27:22まあいいや
00:27:23時間は30分経ちますんで
00:27:25私は現代史というものをやりましてね、ジャーナリストなんです
00:27:29田原さんの先輩です
00:27:30はい、じゃあ後でそのことです
00:27:31だからゆっくりと
00:27:32さて、加藤美月さん
00:27:35あの、すっかりご説明します
00:27:37加藤さんといえばね、今の安倍晋三さんの親父さんの
00:27:41えー、安倍晋太郎さんが最も信頼した政治家ですよね
00:27:46加藤さん
00:27:48福田派
00:27:49福田派
00:27:50福田派
00:27:50うん
00:27:52だって、安倍さんが加藤、加藤って言ってましたもんね
00:27:55うん
00:27:56だからそれ、あの、もう大臣歴任されて
00:28:00ね、非常な自民党の実力者だった
00:28:02その加藤さんですが、陸軍士官学校、えー、60機で
00:28:07えー、輸送船でマイズルを出ようとして激震させちゃった
00:28:13んですか
00:28:13え
00:28:14え?
00:28:15加藤さん乗ってる船は?
00:28:17あのー、陸軍士官学校60機で航空士官学校
00:28:22はい
00:28:23回りましてね、日本国内では空爆が激しくて練習できなくなる
00:28:29うん
00:28:29今の東北、旧満州へ、3つに分かれて、そこへ行って、飛
00:28:35行機の練習を本格的にしようと
00:28:40いうことで
00:28:40これすごい、若い人分かんないと思う
00:28:42日本は空襲がすごいから練習もできない
00:28:45だから満州に行って
00:28:47えー、満州、えーと、この、ここですね
00:28:50あ、そうですか
00:28:51はい、そこで、えー、せっかく日本最後の大きな船にマイズ
00:28:58ルで乗って
00:28:58うん
00:28:59出かかって、マイズルの郊外で、爆撃を受けて船が沈
00:29:05没する
00:29:05あ、機雷とか魚雷じゃなくて
00:29:07いや、機雷ももうどんどん置いてある
00:29:09それから、あのー、米軍の艦載機の戦闘機や爆撃機でバ
00:29:15ンバンバンバンやって
00:29:16それで、船がマイズル沖で沈没する
00:29:21何人ぐらい乗ってたんですか?
00:29:23その船に何人ぐらい乗ってたんですか?
00:29:27それは、7、800人ぐらい、その船には
00:29:30で、どのくらいが助かったんですか?
00:29:32いやー、戦死者、ま、戦死ですね
00:29:35戦死者は2名出ただけで、あとは皆
00:29:37みんな助かった?はい、あのー、陸へ乗り上げて、あ、助かると
00:29:43あ、そうか、近かったわけですね
00:29:44はい、それで、今度は小さい船に分乗して
00:29:51今の北朝鮮の精神、勇気というあたりへ上陸して満州
00:29:58へ入ろうと
00:29:59あ、それで、そんな危ない海をまた行ったんですか?
00:30:03小さい船で、海軍の解剖艦の陸上へ乗ったり、小さい船
00:30:08に乗って行って
00:30:09で、あのー、北朝鮮の今の精神、勇気というあたりへ行った
00:30:14ら
00:30:15見慣れない飛行機が来て、爆弾をどんどん落としたという
00:30:18のが
00:30:198月7日のソ連参戦と
00:30:21ああー、このソ連参戦を今の北朝鮮で体験された?
00:30:27まあ、言うことが、こう、がありまして
00:30:30よくだけどね、北朝鮮にいてね、ソ連に参戦でやられて
00:30:35北朝鮮はソ連軍が来なかったんですか?
00:30:37何も、そういうことはなかったです
00:30:39満州が得られたわけですね、なるほど
00:30:42それ、いつ頃お買いになった?
00:30:44それで、色々苦労をして、日本へ帰って来ると
00:30:528月15日前後、いうことになります
00:30:56あのー、佐島さんね、お父さん、加藤さん続いてくださいね
00:31:01あのー、父は長く日本カーフェリーという船会社を経営さ
00:31:04せていただいて
00:31:05あのー、そういう商売というか、そういうビジネスの世界の中で
00:31:11隠れたと申しましょうか、父の同期生の方とか
00:31:14歯科学校のおつながりとかっていうのは
00:31:16お互い助け合って、あのー、くださってたんだと思います
00:31:19お互いのが1期か?
00:31:202期か上なんです
00:31:21そうですね、加藤先生が政治に出られるときも
00:31:24あのー、父やお仲間が応援をさせていただいたり
00:31:27あ、すごい
00:31:42すごいな、同期のつながり、同期時間学校のつながり
00:31:45戦後の日本は、戦争はもうやめて、このビジネスに
00:31:50この経済に行くんだけど、実は経済の中には
00:31:52そういう戦争中のつながりが硬くあるんだ
00:31:55はい、だからあのー、父は長く日本カーフェリーというところで
00:31:58社長をして、経営者でずっと、まあ、あのー、軍や自衛隊とも
00:32:02関係なくやってたんですが
00:32:03あのー、同期生が、あのー、何か仕事に困ってらっしゃれば
00:32:07採用して差し上げるとか、あのー、おつながりはすごくあり
00:32:11ましたね
00:32:11何か質問ありますか?
00:32:13はい、どう?
00:32:15あのー、安倍さんのお父様がね、絶対的な信頼をお寄
00:32:19せになられたということですけども
00:32:20あのー、その当時からも、際立って明確な、まあ、戦争に向ける理
00:32:27論とか
00:32:27日本国に向ける理論みたいなものは、当時からお持ちだったんです
00:32:31か?
00:32:32いや、あのね、8月15日はね、19歳です
00:32:36うん
00:32:37我々、あの、私が立っている大地がね、真っ二つに割れた気
00:32:41がしたわけですよ
00:32:43うん
00:32:44ね、あー、どうしていいのか、どうなのか
00:32:48はい
00:32:48それはもう、呆然実質
00:32:50うん
00:32:51いうのがね、率直な状況ね
00:32:53それまでは、先ほどから話に出た
00:32:56はい
00:32:57ABCD法人が、うん
00:32:59出てくるの、今、席を書く
00:33:02ABCDは皆さん、もう常識だけど、これ実は今の人はほとん
00:33:05ど知らない
00:33:05うん、Aはアメリカ、BはE、Cはチャイナですね
00:33:09で、Dがオランダ、はい、ダッチ、オランダです
00:33:12これ、フランスでは入ったん
00:33:14そういう教育ばっかり受けて、それで、アジア解放、八甲一部
00:33:19だと
00:33:20八甲一部、これまだ分かんないんで
00:33:22八甲一部って、世界を一つのように平等にしようと
00:33:26だから、アジアの植民地を解放しようと
00:33:30いうことを、徹底的に、中学校の1年生から自分だ
00:33:35私、中学校2年の時に大東亜戦争が始まったわけ
00:33:39ですから
00:33:40教え込まれてきておった
00:33:42だから、職業軍人ですよ、海軍兵学校、陸軍士官学校、職業
00:33:47軍人
00:33:48ただ、先ほど、呆然実質とおっしゃいましたけれども
00:33:51市民は、ほとんど、この戦争が終わってほっとしたと
00:33:56市民っていうのは、いなかった
00:33:58国民、国民は、実は戦争終わって、ほっとしたんじゃないかと
00:34:05こう、明智さん聞いて
00:34:06それはね、あの、ほっとした人もおるでしょうけれども
00:34:11あの、二重橋の前で号泣したり
00:34:15あるいは、あたご山で活腹自殺したり
00:34:17あちこちにおり、我々もね、その
00:34:20録音版ダッシュって、8月15日の昭和天皇の
00:34:25放送される録音版を、放送させないようにしようと
00:34:29はい。ほいで、新しい小直をこうと
00:34:32陸軍航空士官学校の生徒が奮起するという
00:34:36終戦前夜のですね、日本で最も長かった1日というのを経験した
00:34:43何、加藤さんはその、いや、放送させないで頑張ったほうなんですか
00:34:49あの、私らはちょっと離されておったわけですね
00:34:53あの、こっちの東京の入間川に残っておった連中が、それを
00:34:57やったわけです
00:34:58やった。地下候補生が一番激盛だったそうですよ
00:35:01だからまあ、父も出た。この石団長を切ったんですよ
00:35:03これも多分ね、あの、視聴者の方、多くの方がご存じじゃない
00:35:06と思いますが
00:35:07まあ、8月15日に、天皇の玉音放送があった
00:35:12これはまあ、終戦というか、戦争をやめると宣言だけど
00:35:16この、これまあ録音版ですが、これを出さない
00:35:21奪い取って、奪い取ろうと、放送させないようにしようと
00:35:24こういうことがあったんですね
00:35:25こういうのを、我々の同僚、一部がやっとるわけか
00:35:29やっぱり、あの、純粋バイオでらっしゃるから、うちの父もそうだ
00:35:32し、加藤先生もそうですが
00:35:33それで、一番激盛だった
00:35:35で、終戦の玉音放送はさせないで、新たな戦争を続
00:35:39ける契約でやろうと
00:35:40聖直の最高化をこう
00:35:44ああ、そういうことがあったんだ
00:35:46後で詳しいことを伺いますが、さて、菅さん
00:35:50はい
00:35:50ごめんなさい、菅さんは
00:35:52えー、まだ台湾国籍だそうですね
00:35:57そうですね
00:35:57えー、台湾国籍で、そして、えー、軍隊入った
00:36:03うん、あの、17歳でね、把握もらって
00:36:09えー、12月の7日に鷹尾、出逃しろと、こう来た
00:36:15鷹尾、はい、台湾鷹尾、はい
00:36:17うん、はい
00:36:18で、行ったらね、あの、そこの、えー、船に乗せられて
00:36:23で、どこへ連れてくのも知らないんだよ、教えてくれないんだよ
00:36:27で、何日かもう船用意してね、看板に乗せしられて
00:36:31うん、そいつでついたの、サイゴンだった
00:36:33え
00:36:34サイゴンについた
00:36:35はい、サイゴン、あー、サイゴンね、はい
00:36:37はい、で、サイゴン上陸してみたらね、子供の遊び方とか
00:36:42ね、全部台湾と同じなんだよね
00:36:44やっぱりサイコロやってみたりね、何して、これ台湾のロック
00:36:49だなって。
00:36:49サイゴンは一程度ベトナム戦争で有名な、つまり
00:36:52ベトナムですよね。
00:36:54今何て言うんですか?
00:36:55ホーチミン。
00:36:56ホーチミンになったな。
00:36:57そのサイゴンへ連れて行かれた。
00:36:59連れて行って、そこで2週間ぐらいおってね、それからすぐに
00:37:04また寝て行ってね、シンガポール行けって、シンガポール行
00:37:07って。
00:37:10シンガポールでお正月、18年のお正月を迎えた途
00:37:14端に、やっぱし夜の夜中だなぁ、少子霊場が来てね、
00:37:19すぐに船に乗れって行って、シンガポール行ってね、マラ
00:37:23カ海峡を渡ってボルネオ行けとこ来た。
00:37:25え、ボルネオ?
00:37:26ボルネオ。
00:37:26やっぱりボルネオですか?
00:37:28ボルネオ行ってね、ボルネオのクッチン行った。
00:37:30え?
00:37:31ボルネオのクッチンというところ行った。
00:37:33あ、そうですか。
00:37:34そしたら戦乱来んだから、もういっぱい船が来るから、もう心配
00:37:38ないなと思ったわけよ。
00:37:40しかし、前の船はね、いつの間にか夜の夜中に撃沈さ
00:37:44れてね、で、我々はすぐ船、エンジン切ってね、で、エンジ
00:37:52ン切っても結局、あの、流れに沿ってどんどん撃沈した場
00:37:58所行くとね、もう人間がもう魚みたいに浮いてるわけよ。
00:38:02で、その時に初めて、戦争って怖いなと思ったわけよ。
00:38:07それまでは、新学旅行だと思って、俺行ったわけよ。
00:38:11あ、新学旅行とも言っていた。
00:38:13ああ、そうですか。
00:38:14だから、聞こえて言って、何もないように聞こえていたから行った。
00:38:18で、それで、ボルネオで敗戦を迎えて、なんか、BC級のC級戦犯
00:38:25で6年間。
00:38:26あの、ボルネオで不良収容所に派遣されて、不良監視
00:38:31員で、2年ちょっとおったよね。
00:38:35それから、関東平良、松本連隊、東六十工兵隊隊に入隊
00:38:39して、ブルネの、あの、警備隊になったの。
00:38:45で、前田通りも行ってね、あの、塹壕掘ったりしてね、あの、土地
00:38:50下掘ったりして、工兵隊だった。
00:38:53工兵隊、ああ、工兵隊になった。
00:38:55いや、なんで先輩になっちゃったんですか。
00:38:57で、終戦になったらね、結局、あの、上司がね、いや、もう彼らは台
00:39:04湾の五六名はもういないよって言って、台湾に帰ったと言
00:39:07えばよかったからね。
00:39:10よく教えたよ、そしたらね、あの、ジープでね。
00:39:15ジープで?
00:39:15ジープがね、五六台でね、それから、あの、重機関銃を添えてね、
00:39:21一工集隊がね、あの、逮捕に来たわけよ。
00:39:23あの、部隊の方へ。
00:39:26台湾人読命準備出せと。
00:39:29なんだそれは。
00:39:31で、もう、なんで我々、日本人が、兵隊の方がね、逮捕しないで、
00:39:37我々台湾人が、逮捕するから。
00:39:39ひどい話だ。
00:39:40こう思ったわけよ。
00:39:42で、何も知らせてくれないわけよ。
00:39:45先輩になるという噂はあったがね、しかし、上司は何も一つ
00:39:50教えてくれないわけよ。
00:39:53そうしたら、あの、やっぱし、クチンの元の収容者を今までや
00:39:57る風呂監視員で、ボルニオのクチンの風呂収容
00:40:01者より、風呂たちを監視しておったのに、半端に入れ
00:40:04られちゃったわけよ。
00:40:06で、逆に当たったわけよ。
00:40:08最後までなぜ逮捕されたかわかんない?
00:40:11わからなかったね。
00:40:12最後まで?
00:40:12うん、わからなかった。
00:40:13うん、わからなかった。
00:40:14全然教えてくれない。
00:40:16ああ、そんなもんですか。
00:40:17そう。
00:40:18そうしたら、また、いつの間にか、あの、船に乗って、ダブアントに連
00:40:22れて行かれた。
00:40:22前田と、前田中将の死んだダブアントに行ってね、砂浜
00:40:26にテントを張ってね、あの、潮水が上がってくるわけよ。その
00:40:32上に乗っさせられて。
00:40:34で、だいたい、実験一つがね、だいたい一日に何十件も
00:40:42ね、裁判してね、裁判って言ったのもん、たららが。
00:40:46もう、君は何月何日、誰それさんとどうしたこうしたと言うじゃね、
00:40:51もうすぐ、いや、君は死刑だ、君は10連だ。
00:40:55えぇ?
00:40:55うん。台湾人の二十歳の美少年が、あの、ラバー売り、十
00:41:00二名、公宿刑になってる。
00:41:02公宿刑?
00:41:03公宿刑。
00:41:03何の罪ですか?
00:41:05うん、虐待。
00:41:06虐待って何やったの?
00:41:07虐待って、あの、不良に仕事しろって、女子来ると、ものすごく、
00:41:11あの、あれ、道路工事とかね、それから、港のあの、積み込みとか、伐採
00:41:19とか、全部台湾人の監視員にやらすわけ。
00:41:21やらして、で、もっとやれと言ったのが、虫刑なんですか?
00:41:24そうそう、これも、虐待。
00:41:26その、現地の、つまり、えー、インドネシアの人を殺したり、いや、そんな
00:41:30のはない。
00:41:31あるいは、足切ったり、なんか、禁止なんじゃなくて。
00:41:33いやいや、そうなんはない。もう、全部虐待罪で。
00:41:36で、いやいや、虐待っていうのは、その、やれーって言ったのは、ちょっと説明して、何?
00:41:41いや、何?
00:41:42ちょっと聞いて。
00:41:43ちょっと、あの、伺いたいんです。
00:41:44ちょっと、話聞いて、無茶苦茶になりました。
00:41:46台湾の方々がね、まあ、当時の時代背景はあるでしょうけれども、
00:41:51さあ、戦争に参加しなさいって、
00:41:53あの、半ば強制的に参加させられ、という、というふうに私は
00:41:57聞いてるんですよ。
00:41:57あの、教育がね、もう、あの、我々、小さいて、生まれも、日本の土地
00:42:02からから。
00:42:03うん。
00:42:03その時の教育が、日本、うまくいってるんですよ。
00:42:06うん。
00:42:06もう、全部、日本国民だと。
00:42:08遥さん、日本人でらしたね。
00:42:09うん。
00:42:09日本人として。
00:42:11日本人として教育されてるからね。
00:42:13そうそう、だから。
00:42:14君は天皇陛下の関士だと。
00:42:16そう。
00:42:16ああ、なるほどね。
00:42:16精霊になれば、中学卒業したら、もう、あの、国家のために死ね
00:42:21と。
00:42:22その時の国家は日本ってことね。
00:42:23そうそうそうそう。
00:42:24なるほど。
00:42:25そういうふうに教えられてるわけ。
00:42:27それ、ちょっと期待。
00:42:27で、そして、まあ、大日本帝国の、あの、軍隊で。
00:42:32うん。
00:42:32ちかも、その、6年間も、この捕虜となって。
00:42:35いや、捕虜となって。
00:42:36やっぱり、BC級戦犯となってやって、勝ちて。
00:42:38やっぱり、今も日本にいらっしゃうってのは。
00:42:40そう、あのね、えー、BC級6年間、あの、結局そこで6年間判決
00:42:48くってね。
00:42:49それから、シェレベース、ダバール、マヌス、ブーゲンベルまで、
00:42:54あの、あちこち、あの、
00:42:56あの、あの、終戦処理させられたの。
00:42:59あの、ニューギニアの、あの、あの、ジャンゴの中から爆弾がある
00:43:04じゃん。
00:43:0430キロ爆弾があいっぱいあるわけ。
00:43:06それをね、担いでね。
00:43:08全部台湾部隊にいらした。台湾人にいらしたね。
00:43:12で、運営してるわけよ。
00:43:13あ、爆弾を。
00:43:14うん、爆弾を。
00:43:15それで、
00:43:16運営、爆弾が。
00:43:1830キロの爆弾をね。
00:43:20それで、だいぶん死んでるわけよ。
00:43:22あるいは、事故で死んだり、爆発で死んだりね。
00:43:25あの、ちょっと分けて、戦争が終わる前にお捕まりになった捕虜の
00:43:29方と、それから戦争が終わられて、その、日本は敗戦国になった、無
00:43:35条件降伏した後に、あの、連合国側がどういう風に、あの、敗戦
00:43:40の、敗戦した日本の軍人さんたちを使ったかっていうのは、ちょっと分けて
00:43:44考えた方がいいと思うんですね。
00:43:45で、今お話になっているのは、戦後ですね。
00:43:47実は戦後だよね。
00:43:48さっきちょっとお話も出てましたけど、日本は、あの、生きてる予習
00:43:52の恥ずかしめを受けずというのがございますから、その、あの、戦争が
00:43:56終わった時点で、あの、まだ部隊が、構成が維持できているよう
00:43:59なところは、部隊としての組織を残しましてですね。
00:44:03そうですね。いわゆる国際法上の捕虜ではなくて、そういう敗戦、なん
00:44:07て言うんでしょう、日本、日本軍、日本軍人という扱いでやれたから、あの、それが
00:44:12いいようで悪くてですね、中途半端で、いわゆる、そういう。
00:44:15イケベさんのところは、イケベさんのところは捕虜じゃなくて、島
00:44:18だから、まだ発展やっているという。
00:44:21で、特にイギリス側はそういうふうに扱いましてですね、そう
00:44:23いうお話を。で、ちょっとあの、菅さんのところ、細部は分かりませんけれども、
00:44:27でも、あの、終わられてから、あの、戦争が終了して、あの、終戦してから。
00:44:32終了、結局ね、昭和10、17年に出発してね、引き上げて
00:44:38きたのは昭和26年なのだよね。
00:44:40それと独立した時ですね。日本人として、収容されたわけよ。
00:44:45うん。
00:44:45ガシガシ、あの、広島へ引き上げてきたらね、入管行った
00:44:49わけよ。
00:44:50入管って言うて、あの、あんた、いいね、もう、九連館も、あの、お金
00:44:56いっぱいもらえるから、今夜いっぱい送れよって言うてね、
00:45:00あの、監視員、監視員じゃなく、日本のあの、刑務所入れられたんだ
00:45:05よ。
00:45:05行くところないと言うて、飯野島の元の海軍刑務所。
00:45:08何で帰ってきて、また刑務所なんですか。
00:45:11君が何で、台湾人の、何で日本来たかと言うて、台湾
00:45:14に帰ればいいじゃん。
00:45:15これ、これまた言えればいいじゃん。
00:45:18それが日本のあの、戦後の外国人に対しての扱いなんだよ。
00:45:23では、わかりました。また後に行きます。
00:45:25木下さん。えー、木下さんは、えー、この、えー、84歳でいらして、えー、これは、えー、
00:45:33徴兵でいらしたわけですね。
00:45:35あの、えー、徴兵ですけども、徴兵じゃなくてですね。
00:45:39あのー、昭和17年10月に、学徒の繰り上げ。
00:45:43うん。
00:45:43で、あのー、その時、あのー、第二大津だったんですけども。
00:45:47うん、第二大津と書きましたね。
00:45:49あのー、大津だったんだけど、その時ですね、招集ということで、あのー、繰り上げ
00:45:53策を現役と一緒にね。
00:45:54うん。
00:45:55あのー、あのー、えー、入隊しました。
00:46:02そして、えー、ここで見ると、スマトラいらしたんですか。
00:46:06あのー、当時ですね、あのー、小野江師団が、あのー、北スマトラ
00:46:11に行っておったわけです。
00:46:12うん。
00:46:12マレー、あのー、マレー、それから、インドネシア官邸作戦を
00:46:16ですね、終えて、そしてあのー、北スマトラを、小野江師団が防衛
00:46:20してたんです。
00:46:21で、なに、小野江師団って、外国に行くんですか。
00:46:25あのー、当時ですね。
00:46:26小野江師団っていうのは、天皇の方がどう立ちたんですか。
00:46:29いや、小野江師団はね、いや、あのー、国内だけの警備だったんです
00:46:31けども。
00:46:32はい。
00:46:32あのー、いわゆる、あのー、えー、球場の御守衛だけだと。
00:46:37ということで、他の軍隊がみんな外地行ってるのに行かないのかと。
00:46:40そういうことが出たんでですね、半分が、あのー、マレー作戦の時から
00:46:45ですね、あのー、外地行ったわけです。
00:46:47まあ、変なバランス感覚かな。
00:46:50ですから、私の部隊は、小野江師団の中の、小野江師団
00:46:54のですね、外製部隊で、当時はもう、あのー、機械化の時代で、
00:46:58馬が役に立たないんで。
00:47:00うん。
00:47:00あのー、軽戦車と、トラックに乗った乗車機兵と。
00:47:05うん。
00:47:05これから編成した小野江創作連隊と。
00:47:07そういうところで私入ったわけでございます。
00:47:09それで、スマートラでは、実は戦争あったんですか。
00:47:12ありません。
00:47:13あ、こんなかった。
00:47:14はい、全然上がってこないから。
00:47:15で、あのー、今、あのー、えー、インドネシアちょっと夢になったら、あのー、ア
00:47:21チエですね。
00:47:22アチエ。
00:47:22アチエの、アチエのこの間、あの、地震のあった。
00:47:25そう。
00:47:25あそこの震源地に一番近いですね、西海岸の村坊という町
00:47:30にですね、2年間おりました。
00:47:31アチエにいらしたんですか。
00:47:33そう言って、あのー、終戦になってですね。
00:47:35終戦になって、あのー、中央にあのー、えー、小野市団が全部集結
00:47:39して、それから、あのー、帰ってきました。
00:47:42あ、じゃあ、割合に戦争地はのんきな生活だったんだ。
00:47:44え、のんきと言いますか、あのー、戦闘は一番ありませんから、爆撃
00:47:48機も、あのー、戦闘は一度もありませんでした。
00:47:51もっぱら、あのー、陣地構築とかですね、警備と。
00:47:54いや、ちょっと、いや、戦争から忘れられた島だったんですね。
00:47:58あのー、聞きますと、あとひと月遅れたら、英軍がですね、上陸してく
00:48:04る予定だったと。
00:48:05だから、ひと月遅れたおかげで、まあ、自分は、玉の下くぐら
00:48:09なかったんです。
00:48:10なるほど、そういうもんですね。
00:48:12ところで、斉藤さん。
00:48:14はい。
00:48:15えー、斉藤さんは、海軍編学校、629期生で、
00:48:19えー、この、ガダルカダル、最後あったんですか。
00:48:25いやー、ガダルカナルっていうのは、あのー、ガダルカナルっていうのは、
00:48:27ガダルカナルのですね、あのー、
00:48:31灰山兵を、3回駆逐艦で行って、救助しただけですよ。
00:48:36あ、救助するわね。
00:48:38それが、もう一つは、ちょっと前にね、ガダルカナルの沖で、
00:48:42えー、野戦、野戦、野戦をやりましてね、向こうとパンパンパチ
00:48:46パチやって、
00:48:47その時に、あのー、まあ、えー、あの時に護衛しとった、
00:48:52比叡という戦艦、高速戦艦ですね。
00:48:56その高速戦艦を、えー、救えということで、
00:49:00あそこで、だいぶ、あのー、まあ、夜ですね、あのー、
00:49:06比叡の周りを、ブルブル巡って、護衛した結果、
00:49:10最終的には、あの、比叡が沈防しちゃったということがあって、
00:49:12なるほど。
00:49:13その時はですね、私たちの感想ですがね、
00:49:17比叡っていうのはね、
00:49:18比叡。
00:49:19あのー、その前からね、お召使官って言いましてね、
00:49:22あのー、天皇になる。
00:49:23観観式親でしょ。
00:49:25その時の観観式、天皇がね、
00:49:28えー、そのー、上官、天皇の上官になるんですよ、比叡。
00:49:31それで、比叡っていうのは、そういう意味では非常に貴重な船であると。
00:49:36うん。
00:49:36今ここで持って、えー、沈防させるのは困るということでね、
00:49:39山本一郎大将は、あのー、トラック飛びましたが、
00:49:42トラック飛び持ってね、どうしてもね、あの、比叡をね、
00:49:46あのー、救助して引っ張ってこいと、
00:49:49言われたんですよ。
00:49:50あ、それでもやっぱり天皇がお似になってるんだよね、
00:49:52沈めちゃいけない。
00:49:54引っ張ることできるはずないんですよ。
00:49:56だけど、山本さんあの時は、
00:49:57えー、頭がどうかなかったと思うんですけど、
00:50:01そういう迷路をしたんですが、
00:50:02まあ、しかし、困った困ったって我々の疾患がね、
00:50:05言っとったんですけど、そのうちに、
00:50:07いつの間にか、比叡が沈没しちゃってね、
00:50:09やれやれ助かったと。
00:50:11あ、比叡は結局沈没したわけですね。
00:50:15ちょっとね、あのー、佐島さんに、
00:50:18あのー、ガダルカナルってね、
00:50:20もうあのー、つまり太平洋戦争の中で、
00:50:22非常に有名な戦いだった。
00:50:24激戦地ですね。
00:50:25これで、ほとんど玉砕に近かったんですか。
00:50:27と、聞いております。
00:50:28ね、ほとんど玉砕だというふうに、
00:50:30僕ら子供と聞いた。
00:50:313万人、3万人がね、上陸しましたけどもね、
00:50:34実際に、あそこで救助したのは、1万いくらです。
00:50:37と、2万人要は。
00:50:38残りは、残りはね、
00:50:39あのー、ガ、ガシですよ、どんどん。
00:50:41ガシで。
00:50:41ガシで。
00:50:43食料もないんだから。
00:50:45そういうことで、あんなところでね、
00:50:46そうやって、その、上陸させて、
00:50:48いるってこと自体がもう、
00:50:49あの、あの時の、
00:50:50我が海軍のね、
00:50:51いかに、
00:50:52あ、陸軍、
00:50:53陸軍の海軍が、
00:50:54いかに、
00:50:55ひどい作戦をしたかってことを、
00:50:56示してますよ。
00:50:57ガダルガダルで、
00:50:58ガシってことは、何もない島なんですか。
00:51:00そんど何もしない。
00:51:01ちょっと。
00:51:02そして、そしてね。
00:51:02沖原さん。
00:51:03ちょっと補足してください。
00:51:05ガダルガダルってのは。
00:51:06何も、ないとこですよ。
00:51:07あの、
00:51:08スタバルだと、タパイヤで、
00:51:10ないんだからね。
00:51:11まあ、とんでもない。
00:51:13そうして、そうしておいてですよ。
00:51:15そして、その、補給をするということを、
00:51:18まあ、確かに、
00:51:19考えていただようですけど、
00:51:20補給できないんですよ。
00:51:21できない。
00:51:21あの、成功権がありませんからね。
00:51:24それで、仕方なく、
00:51:26その、前の年の大味噌が、
00:51:2712月31日に、
00:51:30天皇の前の御前会員を、
00:51:32やりましてね。
00:51:33御前会員をやった時に、
00:51:34それで、
00:51:35これは、
00:51:35撤退だと。
00:51:37いう、
00:51:37決定をして、
00:51:38そして、
00:51:39あの時、
00:51:40駆逐家が、
00:51:41えー、
00:51:423回行きましたけど、
00:51:43延べ、
00:51:4360席で、
00:51:45救助所。
00:51:45私はそのうちの人、
00:51:461席にいたんですけどもね。
00:51:48よくだけどね、
00:51:49成功権がないのにね、
00:51:51救助によく行けましたね。
00:51:53いや、それはね。
00:51:53言ったら上から、
00:51:54バーンとやられちゃうじゃん。
00:51:55それは、確かにおっしゃるとおりです。
00:51:56それは、なぜかというとね、
00:51:57やっぱりね、
00:51:59あのー、
00:52:00あれですよ。
00:52:00夜、
00:52:01夜陰に乗じて行ったんです。
00:52:17へー。
00:52:17そうそう、
00:52:18そうしますとね、
00:52:19多少、やっぱり、
00:52:20空襲を受けますけどもね。
00:52:22だけど、
00:52:22空襲を受けましたけど、
00:52:23全速力で行きましたから、
00:52:26あのー、
00:52:27爆撃で、
00:52:27多少、
00:52:28あのー、
00:52:28被害はありましたけども、
00:52:30被害少なくて、
00:52:31終わった。
00:52:31中央の側に。
00:52:33ちょっと、
00:52:33ガダルカラーって知ってる?
00:52:35今、初めて聞いたの?
00:52:37ガダルカラー。
00:52:39ガダルカラーの救助の話を、
00:52:40始めましたらね、
00:52:41キリがないけど、
00:52:42ちょっと、ちょっと、
00:52:43聞きたいんです。
00:52:43ゴミカワジュンペイさんって人がね、
00:52:45何かあのー、
00:52:46長編書いてる。
00:52:47はい、どうぞ。
00:52:48聞きたいんですけどね。
00:52:49あのー、先ほど救助の方に回られたとおっしゃって、
00:52:51それってね、
00:52:52現場で、
00:52:53自分は救助担当だと知るんですか?
00:52:55それとも救助要員として行くんですか?
00:52:57いやー、船、船全体が救助ですよ。
00:52:59船、
00:53:00じゃあそこに自分が配置される、
00:53:02私、
00:53:02私はその時に、
00:53:04前の、前のね、
00:53:06年の12月に、
00:53:07さっき、
00:53:08ガダルカラーに起きてもって、
00:53:10やられた時にね、
00:53:12至近団があったんですよ。
00:53:13それで、私の上司の水雷長っていう、
00:53:16大尉ですけどね、
00:53:16大尉が、
00:53:18えー、
00:53:18優勝を負って、
00:53:19退官したんです。
00:53:20で、私はまだ、
00:53:21将尉からね、
00:53:23中尉になったら、
00:53:2410日しか経ってない時にね、
00:53:25海軍室で電話、電話通ったら、
00:53:27後任は斉藤だってことになって。
00:53:29じゃあ、ほぼ突然やってくんの?
00:53:30突然、私がその水雷長になって。
00:53:32その次の、その年の、
00:53:33その年の、
00:53:34次の年に、
00:53:35さあ、あの、
00:53:36ガダルカラーの、
00:53:37あの、
00:53:37撤退だってことになりましてね、
00:53:39参加行ったんです。
00:53:40あ、
00:53:41やっぱりありましたか。
00:53:43これも僕らね、
00:53:44僕は実は、
00:53:45戦争、
00:53:46敗戦が、
00:53:47小学校の5年で、
00:53:486人知らないんですか。
00:53:49やっぱり、ガダルカラーの撤退っていうのは、
00:53:52午前会議で決まるんですか。
00:53:53そうです。
00:53:53そこの、
00:53:54司団長とか、
00:53:55司令官が決めるんじゃないんですか。
00:53:57午前会議決まる。
00:53:58あ〜。
00:53:58だから、
00:53:58陸軍と海軍と、
00:53:59両方で、
00:54:00天皇の前でもってですね、
00:54:02やりましょうってことになる。
00:54:04まあ、
00:54:04裁判とかね、
00:54:06いろんなところで、
00:54:06玉砕しますね。
00:54:07あれは、
00:54:08午前会議で、
00:54:09撤退が決まらなかったら、
00:54:10玉砕なんですか。
00:54:11そこまでは、
00:54:12ちょっと、
00:54:12なんとも言えませんけども、
00:54:14しかし、
00:54:15玉砕が、
00:54:16撤退するなんて、
00:54:17司令官が現地で、
00:54:18命令を出されてますので。
00:54:19しかも、
00:54:20さっきは、
00:54:22加藤さん。
00:54:23さらに、
00:54:23ちょっと待って、
00:54:24さらに申し上げたいのはね、
00:54:26その時に、
00:54:26大応援が、
00:54:28撤退をやらせたんですけど、
00:54:29その時の、
00:54:30撤退のことを、
00:54:31撤退と言わないで、
00:54:32転身という、
00:54:34発言を発明したんです。
00:54:34陸軍には、
00:54:35撤退はないんだ。
00:54:37以上です。
00:54:38はい、どうぞ。
00:54:39あの、
00:54:40ガザルカナルは確かに、
00:54:43第二次世界大戦、
00:54:44太平洋戦争の、
00:54:45分岐点になる。
00:54:47分岐点ですよ。
00:54:47はい、
00:54:48もう、それで、
00:54:49いろいろな、
00:54:50私の、
00:54:51先輩も、
00:54:52ガザルカナルで、
00:54:54戦後、
00:54:55建設大臣、
00:54:56農林大臣やられた、
00:54:57亀岡隆さんが、
00:54:59おられます。
00:54:59ガザルカナルで、
00:55:01中隊長として、
00:55:02随分、
00:55:04現地死去され、
00:55:05負傷もされて、
00:55:07帰って来られました。
00:55:08あの人も、
00:55:09あの天神が、
00:55:10天皇の前で、
00:55:12あったというのは、
00:55:12今、初めて、
00:55:14聞きまして、
00:55:14そういうことは、
00:55:15なかったんだって、
00:55:17大本営が、
00:55:18決定した。
00:55:20いや、
00:55:20午前会議というのは、
00:55:21かなり有名ですよ。
00:55:2212月31日という、
00:55:23大晦日ですから。
00:55:24なるほど。
00:55:24レフルと会議がありましてね、
00:55:27連絡会議というのが、
00:55:28あったんですよ。
00:55:28そうそうそう。
00:55:29絶対とか、
00:55:30検診とかというのをね、
00:55:32午前会議で決めるようにはね、
00:55:34私が勉強した限りには、
00:55:36なっておりません。
00:55:38まあ、
00:55:39これはだけでね、
00:55:40皆さんの中で、
00:55:41いけない事案が、
00:55:42私たちは何ともわかる。
00:55:43ちょっと、
00:55:44一回してみよう。
00:55:55この番組は、
00:55:56ご覧のスポンサーの提供でお送りします。
00:56:06あの、
00:56:07今更の説明ですけれども、
00:56:09実は、
00:56:10私の、
00:56:11この、
00:56:12左側にいらっしゃるのは、
00:56:13海軍、
00:56:14いやない、
00:56:14陸軍。
00:56:15それから、
00:56:16右側にいらっしゃるのは、
00:56:17海軍。
00:56:18さっきの加藤さんとは、
00:56:20海軍と陸軍のちょっとこうね、
00:56:22違いだったかもしれません。
00:56:23さて、そこで、
00:56:24海軍です。
00:56:25太宰さん。
00:56:26はい。
00:56:27太宰さんは、
00:56:28これ、
00:56:30襲艇襲撃隊という。
00:56:33簡単に言いますとね、
00:56:34水上特攻の魚雷艇です。
00:56:36あ、
00:56:37魚雷艇になった。
00:56:38はい。
00:56:39あの、
00:56:41戦争末期になりましてね、
00:56:43私たち、
00:56:43飛行機、
00:56:44飛行家のマークつけたまま、
00:56:46飛行機に乗れなくなってしまったわけです。
00:56:48あ、
00:56:49海軍、航空、
00:56:50あの、
00:56:50ヨカレンです。
00:56:51ヨカレンです。
00:56:52ヨカレンは、
00:56:53あれ、
00:56:53僕は当然、
00:56:54ヨカレンってのはね、
00:56:55飛行機に乗る人だと思ったら。
00:56:57沖縄でほとんど、
00:56:59実用機が行ってしまいましたから。
00:57:01結局、
00:57:02沖縄、
00:57:027月1日でしたね。
00:57:05で、
00:57:056月の23日。
00:57:07その間に、
00:57:07その間に、
00:57:08ほとんど、
00:57:08飛べる飛行機は行ってしまったわけです。
00:57:11結局、
00:57:11本土決戦ということになりまして、
00:57:14ヨカレンがですね、
00:57:15水中か、
00:57:16水上の特攻。
00:57:17水中っていうのは、
00:57:18海流、
00:57:19交流という特殊船航天。
00:57:21それから、
00:57:22水上というのはですね、
00:57:24信用といって、
00:57:25信用できない名前ですけれどもね、
00:57:26モーターボートです。
00:57:27モーターボート?
00:57:28はい、250キロの作薬を頭につけて、
00:57:311号艇っていうのがですね、
00:57:331型って言います。
00:57:34これは、
00:57:341人乗りです。
00:57:36いずれにしも、
00:57:36自爆ですね。
00:57:37自爆です。
00:57:38手をとは言いません。
00:57:39戦争だからね。
00:57:40でも、自爆ですね。
00:57:41で、魚雷艇は、
00:57:43その、
00:57:431艇団がですね、
00:57:451艇団っていうのが、
00:57:4650艇、
00:57:47ぶつかっていくわけです。
00:57:49魚雷艇は、
00:57:50それを先導していく、
00:57:51立場の船だったわけです。
00:57:54あ、先導ね。
00:57:54はい。
00:57:56でも、
00:57:56何度か出撃されてるんですか?
00:57:58いえいえ。
00:57:59本土決戦用でございますから。
00:58:01あ、そうか。
00:58:02はい。
00:58:02具体的にはですね、
00:58:04えー、
00:58:05その、
00:58:06私たちヨカレンがですね、
00:58:07その、
00:58:08まったく、
00:58:09当時のまま、
00:58:10飛行服姿のままですね、
00:58:12その、
00:58:13これは、
00:58:14よく、
00:58:15皆さん、
00:58:15特攻隊はね、
00:58:16志願だと言いますけれども、
00:58:18それは、
00:58:19確かに志願ですよ。
00:58:20志願ですが、
00:58:22志願せざるを得ない状態です。
00:58:24うん。
00:58:24そうすると、
00:58:25あとは命令です。
00:58:26貴様は、
00:58:26あそこへ行け、
00:58:27貴様は、
00:58:28こちらへ行け、
00:58:28こうなっている。
00:58:29その、
00:58:30せざるを得ない状況というのは、
00:58:31はい。
00:58:31具体的にはどういう感じで、
00:58:34志願せざるを得ないというか。
00:58:35それが組織です。
00:58:37軍隊という組織はですね、
00:58:39命令に従わなければならないわけです。
00:58:43そうすると、
00:58:43前の人が志願したから、
00:58:45自分も行かなければならない。
00:58:47当時の、
00:58:49あれですね、
00:58:50あのー、
00:58:51なんて言いましょうか。
00:58:52軍服期待の人間はですね、
00:58:55当然のように、
00:58:55死は、
00:58:57訪れるものと思っておりますから、
00:58:59どういう立場であろうと、
00:59:01義務と責任という立場において、
00:59:03たとえ、
00:59:04飛行機に乗れなくても、
00:59:06まあ、
00:59:06昔のような言い方をすると、
00:59:08お国に尽くす日には変わりないという風な、
00:59:11その、
00:59:12定感したようなね、
00:59:13生意気に聞こえるかもしれませんけれども、
00:59:15そういう気持ちでした。
00:59:16つまり、
00:59:17お国に尽くすというのは、
00:59:18はい。
00:59:19イコール、
00:59:19死と結びついているという、
00:59:21そういうことなんでしょうか。
00:59:22うーん、
00:59:22それは、
00:59:23運命的なものですから、
00:59:25これは分かりません。
00:59:27しかし、
00:59:27特効は、
00:59:29必至ですから。
00:59:30うん。
00:59:31これはもう、
00:59:32最初からですね、
00:59:34なんて言いましょうか、
00:59:36死を望んでいるわけではありませんけれども、
00:59:39究極はそこに結びついていると。
00:59:42わずか、
00:59:43私、志願編のとき、
00:59:45志願したのはですね、
00:59:4615歳と2、
00:59:482ヶ月です。
00:59:49はい。
00:59:50そして、
00:59:51第14期の公衆非公用化練習生に入りまして。
00:59:5415歳と、
00:59:55今、高校の1年?
00:59:56中です。
00:59:57今、高校の…
00:59:58夢中さんから…
01:00:00夢中さんから…
01:00:042…
01:00:041…
01:00:042…
01:00:052…
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