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  • 9 minutes ago
Transcript
00:00Silk Road
00:05Eurasia大陸の東西を結んだ交易路です
00:112200年ほど前から技術や文化までをも運び
00:16東西交流の重要な道となりました
00:20ところが2010年
00:24シルクロードが通る中央アジアで
00:27歴史を覆す大発見がありました
00:30シルクロードよりも2000年以上前
00:35すでに東西の交流が始まっていた可能性が出てきたのです
00:41その証拠となったのが植物の小さな種
00:48この発見が物語る東西交流の驚きの始まりとは
00:57シルクロード誕生以前に険しい山々を越えて東西をつないだ幻のシルクロードとは
01:05さらに最新研究で浮かび上がった東西の道で繁栄を築いた
01:17ある古代文明とは新たな発見を手がかりにシルクロードの原点を探ります古代の交流は今私たちに何を語りかけてくるのでしょうか?
01:36今回はですね中央アジアシルクロードの原点を探るということで
01:49関さんこの中央アジアという場所どんな場所でしょう?
01:54これまでですね西アジアさらには古代中国を扱ってきましたけども
02:00ちょうどそういった古代文明の中間の場所
02:04今日の国でいうとキルギスとかウズベキスタンとか
02:08シルクロードが成立するとですね
02:11この辺りで暮らしをしていた有望国民が
02:15東西の物資を運ぶ役割を担っていたということで
02:19とても重要な場所なんです
02:22最近の調査によるとシルクロードを遡ることもっと古い時代に
02:28古代文明の交流があったという証拠がどうも見つかっているようなんですね
02:33私もよく知らないのでこれからちょっとお聞きするの楽しみにしています
02:38そうですか
02:39今日は先生も少し未知な部分もあるということで
02:42はい勉強させていただきます
02:43シルクロードは主に現在の中国西安とローマを結んだ交易路
02:53今から2200年ほど前に始まりました
02:58西から運ばれたのはガラス製品や宝飾品
03:05東からは絹や漆器など
03:13そこで活躍したのが主に中央アジアの遊牧民です
03:19馬や落雷を操り険しい山々と広大な砂漠を越えていきました
03:27人や物とともに文化や技術も生き返い
03:33シルクロードは東西の文明を結ぶ大動脈となりました
03:43そんなシルクロードを2000年以上も遡る
03:47東西交流の痕跡が見つかりました
03:51その舞台となったのは
03:56現在のキルギスや中国の国境付近に広がる天山山脈
04:03全長はおよそ2500キロ
04:07標高4000メートル級の山々が連なる大山脈です
04:13この山脈の一角にあるのがベガシュ遺跡
04:23大発見があった場所です
04:26今から4500年ほど前
04:31牧畜と農耕を営む遊牧民が
04:34二家族ほどで暮らしていたと思われる
04:37小さな住居跡
04:39ここで見つかったものが
04:43世界の考古学者を驚かせました
04:46それが焼けて炭化した2粒の種
04:51西アジアメソポタミア発祥の麦
04:57そしてもう一つが
05:03中国黄河流域発祥のキビです
05:08東と西
05:10遠く離れた土地で生まれた
05:13二種類の穀物の種が
05:15なぜ中央アジアの山の上で出会ったのか
05:19その謎を追い求めるのが
05:24今回のゲスト考古学者
05:26久米翔吾さん
05:27中央アジアの山岳地帯で発掘調査を行い
05:33古代の山岳民族の暮らしを研究しています
05:37久米翔吾さんはこのベガシン遺跡での発見を機に
05:45中央アジアの研究にのめり込んでいったと
05:47伺っているんですけれども
05:49それほどのやっぱり衝撃だったんでしょうか
05:51この発見
05:52そうですね
05:52世界史の授業とかで習う知識っていうので考えると
05:57漢の武帝が紀元前2世紀ぐらいに
06:00長県を派遣してシルクロードを切り開きましたとか
06:03あるいはアレクサンダーが東方に遠征して
06:07インドまで軍隊を進めていったと
06:10そういったイメージでシルクロードって語られると思うんですけれども
06:14その2000年前にも東の文明と西の文明が交流していたかもしれない
06:19そういった衝撃はすごくありました
06:22そしてこのベガシン遺跡ですけれども
06:25ものすごく雄大な景色ですけれども
06:27そうですね
06:28標高は950メートルぐらいなんですけれども
06:3250メートルかけ50メートルぐらいの
06:34村とも言えないぐらいの小さな規模ですよね
06:37ごくごく普通の遊牧民の住んだ家の跡
06:41そういう中から人類史を塗り替えていくような
06:46発見があったっていうところに
06:48これは私自身が掘った遺跡ではないんですけれども
06:51アメリカのチームの研究者が発見したことには
06:54同業者としてリスペクトみたいなものはあったりします
06:59そしてこのベガシン遺跡で見つかったのが
07:032つの植物の種と
07:051つが西アジアメソポタミア発祥の麦
07:09そしてもう1つが中国
07:11高蛾流域発祥のキビと
07:13これがこれまでの定説を覆すものだったんでしょうか
07:17そうですね これまでこの麦とキビが同時に出てくるような遺跡って
07:23見つかってなかったんですか
07:24これ見ていただけると
07:27紀元前3000年までにそれぞれ麦とキビが広がっていた範囲っていうのは
07:32この赤いエリアと青いエリアで分かれています
07:35ベガシンがあるところその真ん中っていうのは
07:38全然空白地帯になっていたんです
07:41なのでそれが中央アジアの山岳地帯で
07:46もしかすると出会って交流していた
07:48人の動きを表しているんじゃないか
07:52そういった発見になります
07:54この図だけ見てるとまるで空白地帯のところに見えるわけですけど
07:59実は人間の活動がもっと広がってたってことが
08:02その範囲内でこの重要な2粒の穀類が見つかったっていうのは
08:09もう衝撃的ですよね
08:11植物の種というのはもう何千年も経っている中で
08:18土に還ってしまうみたいなことはないんですか
08:20もし炭化してなかったらもちろん土に分解されてしまいます
08:24ただ必ずしも意図的じゃなくて
08:26偶然にこの種が火に当たって炭化してくれてると
08:32考古学の研究に使える資料になります
08:35今回の大発見を支えたのは
08:41植物考古学という学問
08:442つの種は牧畜と農耕を営む遊牧民が
08:53焚き火などをしていた際
08:54偶然火で焼けて炭化し
08:57分解されずに奇跡的に残っていたと考えられています
09:02この麦と木々はどこで生まれ
09:08どう運ばれたのかその研究が植物考古学によって進められ東西交流の歴史を覆す発見へとつながりました小さな種から壮大な人類の営みを読み解く植物考古学とは一体どのようなものなのでしょうか?
09:34まず遺跡で土をバケツに取り上げていくんです
09:40それをこうやって水で洗っていきます
09:43これは土を水で洗っているんですか
09:45そうなんです
09:46そうすると炭化物って水より軽いですよね
09:50ですので浮かび上がってくるんです
09:52それをふるいで回収していって
09:55あと顕微鏡で見てどういう植物だったかっていうのを調べる
10:00もう何回繰り返すか分からないぐらいそうですね大変ですけれども何十回とこの作業を繰り返して非常に地道な作業の積み重ねですね
10:11発掘現場で小さな植物の種を見つけ出すのは困難です
10:18そんな時に活用するのがフローテーションという手法
10:23土を水で何度もろ過し土に混じった種を集めます
10:30メガシュ遺跡の2つの種もこの手法で発見されました
10:36そして近年出土した土器を活用した新たな手法も考案されています
10:44表面にあるくぼみ
10:49実は植物の種の跡です
10:52ここにシリコンを流し込むと
10:59このように当時の種や実の形を再現することができるんです
11:05レプリカ法と呼ばれるこの手法は
11:09これまで発見に至らなかった植物の痕跡まで明らかにする
11:15画期的な手法として注目を集めています
11:18当時の人たちが土器を作る時ですね
11:23そんなにクリーンな場所で土器を作ってたわけでは
11:26多分ないと思うんですよね
11:27生活の空間の中でそばにあったもみだとかですね
11:32穀物というのが付着したまま練り上げて
11:36焼かれたらば粒のところだけがなくなって穴が生まれるということですね
11:42当時の人たちからしたらたまたま入っちゃったみたいなことですか
11:46そうですね
11:46植物だけじゃなくて昆虫の姿も見つけることができる
11:52そうすると昆虫が寄生していたとか食べていた穀物のことが想像できたり
12:01考古学者が一番得意とするのは土器が出てきたり石器が出てきたりと
12:07そういうものを分類しながら地域間の交流を語ったりするのが普通なわけですけれども
12:13それ以外にも最近では多角的な分析をしないといけなくなってきて
12:19こういう植物のところまでの関心を持って
12:22そしてそれが新しい発見につながっているところが私は大変感動しました
12:27改めて古代のことってどこにヒントがあるのか分からないなというふうに感じます
12:34そんな中で先ほどのベガシュ遺跡の種じゃあどうやってあの山奥まで運ばれてきたのかそちらも研究が進んでいます
12:44西の麦と東の木々が出会ったベガシュ遺跡は天山山脈のふもとにあります
12:53ベガシュに2つの種があった4500年ほど前
12:58急旬な山々が連なるこの山脈を人々はどのように越えたのか謎とされてきました
13:07ところが近年の研究でシルクロードがなかった時代にもシルクロードの原点ともいえる交流の道があったことが浮かび上がってきたのです
13:22その名も内陸アジア山岳回廊
13:27複数のルートが交わる山岳地帯です
13:32ではなぜこの険しい山の中を人々が行き交うことになったのでしょうか
13:41その鍵を握ったのが遊牧民です
13:49この地で古来の暮らしを受け継ぐ少数民族
14:00和肥族
14:02和肥族は夏
14:07羊とともに標高4000メートルまで上り
14:11冬にはふもとにおります
14:14異牧です
14:16当時の遊牧民も和肥族と同じこの遺牧を行っていました
14:26そしてこの移動の積み重ねが
14:34やがて内陸アジア山岳回廊になっていったと考えられているのです
14:42遊牧民は遺牧をしながら出会う人々に羊毛や乳製品を渡し
14:54代わりに穀物などの農作物を得ていました
14:58この交流の中で東の木々と西の麦が出会った
15:05その可能性が指摘されています
15:09久米さんこの遺牧というのは当時の人々は常に移動しながら暮らしていたんでしょうか
15:22常にというわけではないんですけれども
15:25例えば冬とか春というのはやっぱり寒いですので高いところに行くと住むの大変ですよね
15:31なので低いところに住居を構えて
15:34夏になってくると標高の高いところに出かけていって
15:38その頃になると雪が溶けて
15:40牧草地、家畜のための餌を与える場所というのが豊かになっていくので
15:46そういうところに夏住む家を作って
15:48秋になるとちょっとまた低いところに住んで
15:51今度冬になるとまた戻るといったような
15:53そういうサイクルというのができていました
15:56そうするとそこでは別に家畜を飼うだけの
16:02生業、生業ではなかったんですよね
16:05そうですね
16:05特に冬の低いところというのは畑を作って植物を育てていたと思います
16:12食料生産もしながら同時に遺牧も行っていた
16:16そういう人たちだと
16:17はい
16:18科学的な分析というのを使えば今骨とか歯というのを調べると
16:24その動物がいつごろどういった季節にどこにいたかというのが
16:29今分かるようになっています
16:31そういった分析を使うと家畜が移動していた証拠というのを
16:36考古学的にも示すことができます
16:38内陸アジア山岳回廊はどのようにシルクロードにつながっていったのでしょうか
16:472015年、久米山の発掘チームが
16:52内陸アジア山岳回廊の一部で
16:55その手がかりとなる遺跡を発見しました
16:59モルブラク遺跡です
17:02遺跡からは人骨と家畜と思われる動物の骨が出土し
17:12調査の結果、ベガシュの1000年後の遊牧民の遺跡と判明
17:18調査を続けると生活の跡が何層にも重なっていたことから
17:26遊牧民の営みはここを拠点に1500年にわたって続いていたことが分かりました
17:34その後、各国の調査によって長い歳月とともに
17:45遊牧民の拠点は驚くほど広がりを見せていることが分かりました
17:50そして、出土した動物の骨の科学的分析によって
17:56いずれの拠点でも遊牧民は
17:59遺牧を繰り返していたことが裏付けられました
18:03遊牧民による遺牧とそこから生まれた交流
18:08その長きにわたる積み重ねと広がりの結果
18:14やがてシルクロードになっていったと考えられるのです
18:20シルクロードというとやっぱり商業の中心となるような都市とか
18:27大省が一時的にとどまる宿とか
18:31そういった点をつないでいくというイメージがあるかと思うんですけれども
18:36内陸海事や山岳回廊の場合は
18:38人々が日々の牧畜という生活の中で移動していく道というのが
18:45積み重ねの中で出来上がっていくような
18:48そういう考え方で大変ユニークな面白い説だと思います
18:53本当に広い範囲を移動しながら暮らしていた人々ということですけれども
19:00どうしてもシルクロードというと
19:02砂漠の道をラクダが永遠と行くというイメージはあるんですけれども
19:07私にとっては何か不思議ではないような気がして
19:11それは砂漠を突っ切るよりも
19:14それこそ水とかある程度の植物が生えているような
19:19山岳地帯を狙った方が
19:21もちろんそれは険しい道ですから
19:23相当なリスクはあると思いますけれども
19:26普通かなという気もしますよね
19:29山岳回廊ができる
19:33まさに象徴というのが2つの種だと思うんです
19:36回廊というのが人々の暮らしの積み重ねでできるということをお話ししましたけれども
19:43すぐにできるわけじゃないですよね
19:47やっぱり何百年かかけて
19:49千年ぐらいかけて
19:50おそらくあの道というのはできたと思うんです
19:54まずは旧春な山岳というのを
19:58東西が出会うためには超えなきゃいけないという状況があったと思うんですね
20:03なので標高を変えて家畜を飼育するという
20:08そこにまずは重要なところがあって
20:11山岳という環境を人が自由に動き回れるような
20:17そういった活動が起こり始めた
20:19その過程の中で2つの種が出会うタイミングがあって
20:24東と西の文化が出会うような瞬間みたいなものが
20:28おそらくあったと思うんですよね
20:30なのでベガシはその瞬間を捕まえた遺跡という
20:34そういった意味合いがあるかと思います
20:36内陸アジア山岳回廊と同じ頃
20:42中央アジアの西側では
20:45交流の道とともに高度な文明までが広がっていました
20:50その名はオクサス
20:56トルクミニスタンにある巨大砂漠カラクム
21:02東西交流の道が貫くこの地で都市遺跡が発見されました
21:08ゴヌールデペ
21:14およそ130ヘクタールに及ぶオクサス最大の都市です
21:20今から4300年ほど前からおよそ600年繁栄したといいます
21:28中央には王の宮殿や複数の神殿
21:34都市の特徴は二重の防壁と数多くの見張り台です
21:41外敵からの侵入に備えるためだったと考えられています
21:47特に考古学者たちを驚かせたのは出土品
21:55いくつもの文明との交流や交易を物語っていたからです
22:02その一つの例が像が刻まれた印象です
22:09同じ図柄の印象がインタスの遺跡からも見つかり
22:18オクサスとインタスの間に交流があったことが伺えます
22:23さらに蛇の鱗で体を覆った男性像
22:30メソポタミア文明の神話を元にしたデザインで
22:35オクサスの人々が取り入れ作ったとされています
22:39近年の調査でメソポタミアの人々が
22:43オクサスの都市を訪れた可能性も指摘され
22:47強い影響を受けていたと考えられます
22:51こうした数々の出土品から
22:57オクサスは周辺の文明との交易や交流によって栄えたことが明らかになったのです
23:05オクサスって場所がやっぱり中央アジア文明の十字路っていわれますけれども
23:16メソポタミアやインドへの交易を中継するような役割を果たしていたんじゃないかと
23:23それが栄えた原動力だったんじゃないかというふうに言われています
23:27出土したものの数々
23:30本当にいろいろな地域の文明のものが出てきている
23:34そうですね
23:35その像ですけれども
23:36これもメソポタミアの影響を強く受けているんです
23:39石の表面に刻んだ模様が入っているかと思うので
23:43それっていうのは実はメソポタミアで流行した毛を
23:49房にして服にするファッションですよね
23:53それをオクサスの人々がわざわざ表現しているというので
23:57メソポタミアの先端的なファッションを取り入れていたというか
24:02そういったことも言ってもいいかもしれないですよね
24:06オクサスの人たちというのは
24:08その交易においてどういった品を扱っていたんでしょうか
24:12一番重要な品物としては
24:15いわゆるラピスラズリ
24:17青い宝石に使われる石がありますよね
24:20それから精銅器の材料となるスズ
24:24こういった鉱物資源というのが
24:26一番主要な製品だったというか
24:29輸出産業ですね
24:30そうですね
24:31というのもラピスラズリとかスズっていうのは
24:35取れる地域がもう決まっているんです
24:37スズの場合だったら
24:39少なくともメソポタミアにはないんですよね
24:42どうしても必要な資源を
24:44オクサスと交易することによって得ていたと
24:47採掘された石っていうのが
24:49オクサスの都市に運ばれて
24:51そこからメソポタミアやエジプト
24:53あるいはインダスの方に出荷されていったという
24:56そういった流れだと思います
24:59こんなにも栄えていて
25:01社会のシステムも出来上がっていたんじゃないか
25:04というようなこのオクサスですけれども
25:06なんとわずか600年で衰退をしてしまったと
25:09何があったんでしょう
25:11一番大きな要因として挙げられているのは
25:14やはり交易の相手側の変化っていうことなんです
25:20この頃例えばメソポタミアっていうのは
25:24都市国家っていうのが
25:26お互いにずっと戦争しているような状態だったんですよね
25:30このオクサスと交流のあったと思われる
25:33王朝というのが崩壊すると
25:35今度は交易相手として別な地域っていうのを
25:40選んでくるようになります
25:42交易の中継地っていう機能が
25:44働かなくなってきて
25:46衰退に向かっていったんじゃないかっていう考えが
25:49今一番強いですね
25:50オクサスを貫いた東西の道
25:56そして内陸アジア山岳回廊から発展した東西の道
26:03それらはやがて
26:07シルクロードへと姿を変えていきました
26:15異牧によって交流をもたらした遊牧民
26:20広域で栄えたオクサス文明
26:23シルクロードの誕生までにも知られざる栄枯潜水の物語がありました
26:34さあ今回古代の中央アジアから
26:43シルクロードの原点見てまいりましたけれども
26:45関さんいかがですか
26:46そうですねいろんなことを考えましたけれども
26:49私たちはもう出来上がったシルクロードっていうイメージが
26:53まずあったわけですけれども
26:55いきなりあれが出来上がるわけはないわけで
26:58その前段階っていうのは必ず存在したと
27:02古代文明がこう変化していくときですね
27:05近隣の文化との交流っていうのは
27:07必ず何か存在してたような気がするんですね
27:10これが割合と非常に重要な成長とか衰退の原因になってるところがあると思うんですね
27:18オクサスナンっていうのは交流の組み替えが行われてしまったがゆえに
27:23滅びたというお話でしたけれども
27:25これは何か見てると
27:28現在のグローバリゼーションの感じですよね
27:32最も安価なものを入手するために
27:34原材料をいろいろなところと組み替えながらやってるけど
27:37その政治的な変化によって
27:39我々はその対象を変えなきゃいけないとかね
27:42そういうことがもうかなり古代の時代から行われている
27:45そんな印象を私は受けました
27:49このオクサスあるいはシルクロードの始まりのような
27:54時代の後、中央アジアどうなるかっていうと
27:57いわゆる強度とか好きたいっていったような
28:00遊牧集団が国家的な広がりを持って
28:04入れ替わり立ち替わり
28:06同じところにずっと同じ王朝があるわけではなくて
28:09常に激動の地域性みたいなのがあって
28:15そういった文明観に挟まれているがゆえに
28:20安定しないような社会っていうのが
28:25それはもしかすると今にもつながっていくのかもしれませんけれども
28:29古代から生み出されていったのかなっていう
28:33印象は持ちますね
28:35公益の存在っていうのが私たちに及ぼすものが
28:38どんなものかっていうのは
28:40この今日のお話からもすごく何かつながるもの
28:43ヒントがあった感じがありますね
28:46お二人今日はありがとうございました
28:48どうもありがとうございました
29:10そのはるか昔には強大な恩がいたとされました
29:15しかし近年の研究によれば
29:18王様の名前が出てこない
29:21基本的には自分たち平等個人が突出することを許さない
29:26民主性誕生の秘密に迫ります
29:3411月のEテレ火曜夜9時半は
29:37心躍る花のある暮らし
29:40講師は若き稼働家として今注目を集めている
29:45池坊千秋さん
29:47このシリーズではそんな千秋さんが
29:50誰でも手軽に花に寄り添い
29:53花を楽しむ方法を教えてくれます
29:57番組と合わせてテキストも
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