プレイヤーにスキップ
メインコンテンツにスキップ
検索
ログイン
フルスクリーンで見る
いいね
ブックマーク
共有する
もっと見る
プレイリストに追加する
動画を報告
信心のほころび、これで済んだとは思いませんと言う心の姿勢 (2025-08-02)
Wagakokology-Jp
+フォロー
5 か月前
今朝は、血圧を測ろうとしたらエラーになった。よくよく見たら腕に巻く部分のマジックテープのところがほころびていた。これは天地金乃神様が私の信心のホコロビをご指摘下さったのだと感じた。信心にほころびを起こさないですむ信心とは、常にこれで済んだとは思いませんと言う心の姿勢の信心だと思う。
ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
カテゴリ
🛠️
ライフスタイル
トランスクリプション
動画のトランスクリプション全文を表示
00:00
ご理解第71節
00:30
ご理解第71節
01:00
またの教えにあれもおかげであったこれもおかげであったということがわかるようになる
01:06
そうなれば本当の信者じゃとある
01:10
教祖様の身教えにここには信心の稽古に来るのである
01:20
稽古をして帰れと
01:22
稽古をして帰れと言われてもどう稽古をしてよいのかわかりませんね
01:31
なるほど信心の稽古と言われる
01:35
ではどうやってどういうふうに稽古をするのか
01:44
なるほど教祖様が稽古をして帰れとここには稽古をしに来るのだと教えてくださる
01:55
だから教会にお参りをするといたしましょうか
02:01
一つには教会にお参りをするということが信心の稽古でもあるわけですけれども
02:11
それだけではない
02:14
参ってきてその参った上で教会の中での稽古というのでしょうか
02:23
この
02:24
稽古をして帰れということですから
02:31
教会の中で稽古をして帰れということになりますね
02:36
そのためには教会で稽古の仕方をやはり習わなければならない
02:47
どうやって稽古をするのか
02:50
身振り手振り
02:54
どういうのでしょうかね
02:55
心のありを
02:56
それをやはり習わなければわかりません
03:03
ですから
03:05
教会というところは一つにはその稽古の仕方
03:11
しみちを習いに行くところ
03:15
教会の信者さんの方からすれば稽古の仕方を習いに行くところ
03:23
ということでありまた稽古をつけてもらうところ
03:28
でもあろうと思いますね
03:32
そしてまたこれが教会の先生の側からすれば
03:39
いわば稽古の仕方を教えるところ
03:44
まあ教えるというとこれは
03:46
あまりにもちょっと
03:48
上から目線というような感じがいたしますから
03:53
稽古の仕方を伝えるところ
03:57
ということではないでしょうかね
04:00
ここはこうしたらいいよ
04:05
ここはあったらいいよ
04:07
といったようなその
04:08
身振り手振り心の振りというものを
04:13
その稽古の仕方を伝えるところ
04:17
それが
04:18
教会の役割でもあろうかと思いますね
04:23
そしてまた
04:25
教礼会なら教礼会というものがありますが
04:28
共にご信者さんが集まって
04:30
自分はこういうふうにして稽古をした
04:33
こういうふうにして
04:35
信心の稽古をしている
04:36
それなら私もそういう稽古をさせていただこう
04:40
そういうやり方があるのだな
04:42
といったその
04:43
稽古の仕方を教礼し合うところ
04:48
これが信心の教礼会の場でもあろうと思いますね
04:54
まあ
04:55
それが
04:57
こういう稽古
04:59
こういう稽古の仕方がある
05:01
ということに
05:02
話が始めればよいのでしょうけれども
05:05
まあ
05:05
どちらかというと
05:07
こういうおかげをいただきました
05:09
ああいうおかげをいただきました
05:11
といったような
05:12
おかげ自慢の話で終わってしまうことが
05:15
多いように思いますね
05:17
実際には
05:19
その
05:20
どうやって稽古をするのか
05:22
というその
05:23
稽古の仕道をお互いに
05:27
教礼し合う
05:29
というところであってほしいものですね
05:31
また
05:32
先生という人たちも
05:37
その稽古の仕方を伝える
05:39
こうやって稽古をしたらいいよ
05:42
ああやって稽古をしたらいいよ
05:44
とその稽古の仕方を伝えてくれる
05:47
先生であってほしいものですね
05:51
それは
05:53
師匠大坪総一の
05:56
師がやはりそうでした
05:58
その稽古の仕方を
06:00
私どもに
06:02
まあ
06:02
よくよく伝えてくださった
06:04
と思いますね
06:06
特に
06:07
研修の時などは
06:08
こういうことがあった
06:10
ああいうことがあった
06:11
そしてこういただいた
06:13
そしたら
06:13
こういうお働きになった
06:15
というようなことを
06:18
まあ
06:18
なんと言いましょうかね
06:22
師匠の心の動きであったり
06:24
神様のお働きの
06:26
まあ
06:27
巧みさというのでしょうかね
06:28
こういうふうに
06:30
働いてくださる
06:32
といったような
06:33
その
06:33
やはり
06:35
信心の稽古の仕方を
06:37
師匠は伝えてくださった
06:40
ように思いますね
06:41
中でも
06:44
その
06:45
神様との
06:47
まあ
06:47
お付き合いの仕方というのでしょうか
06:50
関わり合いのあり方というのでしょうか
06:52
そういうもの
06:53
まあ
06:55
そのお知らせ一つにしても
06:57
そのお知らせを
06:58
どういただくのか
07:00
取り継ぎ者として
07:01
どうあったらよいのか
07:03
といったようなことを
07:07
まあ
07:07
こと細かに
07:10
いわばある意味
07:11
手取り足取り
07:12
教えてくださって
07:13
おられるように思いますね
07:15
その
07:16
当時の
07:17
研修の
07:18
テープを
07:19
聞かせていただきますと
07:21
その
07:22
師匠の心配りというのか
07:25
こういうことは
07:26
身につけて
07:27
いなければならないよ
07:28
こうやって
07:29
新人の稽古を
07:31
しなければならないよ
07:32
ということを
07:35
よくよく
07:35
語っておられますね
07:38
実は
07:41
今朝
07:42
毎朝ですけれども
07:46
血圧を
07:47
測らせていただきます
07:48
もう
07:49
5、6年
07:51
いや
07:51
6、7年になるのでしょうかね
07:53
ある時
07:55
その
07:56
かかりつけの先生から
07:58
毎日
07:59
血圧を測ったらいいですよと
08:01
ちょっと高かったからですね
08:04
病院で測ってくださったのが
08:07
それでそう
08:08
おっしゃられましたから
08:10
血圧計を
08:11
購入させていただき
08:13
もう6、7年
08:14
になりましょうかね
08:15
使わせていただいているのですけれども
08:19
今日
08:21
今日
08:21
特に
08:21
エラーが
08:23
出ました
08:24
というのは
08:27
血圧計は
08:28
普通
08:29
何ですか
08:30
ブーンと
08:32
空気が入って
08:33
腕が
08:35
圧迫されるような
08:36
感じになりますね
08:38
その
08:38
空気が入って
08:40
腕に巻いた
08:41
何というのでしょうかね
08:42
その
08:44
ある程度
08:45
空気が
08:46
溜まると
08:47
そこで
08:47
止まりますけれども
08:49
それが
08:51
止まらないわけです
08:52
いつまでも
08:53
その
08:54
ブーンと
08:55
いわゆる
08:56
圧力が
08:57
上がり
08:59
話なわけです
09:00
で
09:01
とうとう
09:02
まあ
09:03
8Kテ
09:03
まあ
09:04
その
09:04
マジックテープで
09:05
止めるわけですけれども
09:07
その
09:07
マジックテープが
09:08
8Kテ
09:09
プツンと
09:10
そして
09:11
まあ
09:12
圧が
09:13
圧力が
09:14
上がりすぎる
09:15
というのでしょうかね
09:16
で
09:16
エラーになるわけです
09:17
そういうものを
09:21
何回か
09:21
繰り返しましたから
09:23
これは
09:24
何だろうか
09:25
どうしたことだろうか
09:27
その
09:27
マジックテープが
09:28
もう
09:28
古くなったのだろうか
09:29
と思って
09:31
見てみましたら
09:32
ほころびて
09:35
おりました
09:36
その
09:37
マジックテープが
09:38
いわゆる
09:39
本体に
09:40
縫い付けて
09:41
あるのですけれども
09:42
その一辺が
09:43
糸が
09:46
ボロボロに
09:47
切れて
09:48
いわば
09:48
いわゆる
09:50
ほころびて
09:50
いたわけですね
09:51
その
09:53
何と言いますか
09:56
よく
09:57
言いますね
09:58
その
09:59
縫い目が
10:00
ほころびると
10:01
外れて
10:03
しまっているわけです
10:04
まあ
10:05
糸が
10:06
切れている
10:06
というのでしょうか
10:07
ああ
10:08
これが原因だろうか
10:10
と思わせて
10:12
いただいて
10:13
と同時に
10:16
これは
10:16
私の
10:18
信心の
10:19
ほころび
10:20
を
10:21
神様が
10:22
ご指摘
10:23
くださったのだな
10:24
と思わせて
10:27
いただきました
10:28
どこか
10:31
信心の
10:32
まあ
10:33
ほころびという
10:34
わけですから
10:35
緩みですよね
10:37
どこか
10:39
信心が
10:40
緩んでいる
10:41
しっかり
10:43
信心の
10:43
帯を
10:44
せよ
10:44
と
10:45
言われますね
10:46
悪気が
10:47
それこそ
10:48
緩んでいる
10:48
しっかり
10:49
信心の
10:50
帯を
10:50
せよ
10:51
と
10:51
そういう表現も
10:53
ありますが
10:54
信心が
10:55
緩むということですね
10:56
まあ
10:57
だらける
10:58
というのでしょうか
11:00
そういう
11:02
ではその
11:03
ほころび
11:04
信心の
11:05
ほころび
11:05
とは
11:05
何だろうか
11:07
と思いましたけれども
11:10
新中記念の時に
11:12
何が心の
11:13
ほころびかとは
11:14
教えていただけません
11:16
でしたけれども
11:17
とにかく
11:19
ほころびがあると
11:20
心が
11:21
信心が
11:22
ほころびがあるぞ
11:24
油断があるぞ
11:25
というわけですね
11:27
油断をすな
11:28
というわけです
11:29
いわば
11:33
私どもの
11:34
身の上に
11:35
起きてくる
11:36
様々な
11:36
事柄の中に
11:38
そこから
11:38
そこに
11:39
神様からの
11:40
メッセージを
11:41
感じさせていただく
11:43
そういう
11:46
信心を
11:47
師匠は
11:48
教えてくださった
11:49
ように
11:50
思いますね
11:51
私どもが
11:53
どう
11:54
あらねば
11:55
ならないのか
11:55
今
11:57
どういう
11:58
状態に
11:58
あるのか
11:59
それではいけないよ
12:00
こうなければ
12:01
ならないよ
12:02
といったような
12:03
ことでも
12:04
あるいは
12:05
それでいいよ
12:05
といったような
12:06
ことでも
12:07
あいづちをつかのような
12:09
お勇みを持って
12:10
でも
12:10
神様は
12:12
教えてくださる
12:13
その神様の
12:15
神様のお心を
12:15
分からせていただこう
12:18
とする
12:19
信心
12:19
そしてその
12:21
分かろうとする
12:22
稽古
12:22
それが
12:24
どこから
12:25
神様のお心を
12:26
感じ取っていくのか
12:27
という
12:28
稽古でも
12:29
ありますね
12:30
今朝は
12:32
今朝はその
12:32
血圧計が
12:34
ほころびていた
12:35
ところから
12:35
これは私の
12:37
心のほころびが
12:38
あるに
12:39
違いない
12:39
さあ
12:41
どこが
12:42
ほころびなのだろうか
12:44
ちょっと
12:45
思い当たるところが
12:46
ないでもないの
12:47
ですけれどもね
12:48
そういうところを
12:51
教えてくださる
12:53
と同時にまた
12:54
ではその
12:55
ほころびを
12:56
せずに
12:56
済むには
12:57
どうするのだろうか
12:59
ということになりますが
13:02
そしてまた
13:04
ふと
13:04
ここに
13:05
ご結果に
13:06
つかせていただきました
13:07
ほころぶ
13:09
ということですね
13:10
顔がほころぶ
13:13
と言いますね
13:14
ああ
13:15
あの人の顔が
13:16
ほころんだ
13:16
と言いますね
13:19
どういう時に
13:21
ほころぶのか
13:22
やっぱり
13:23
嬉しい時ですね
13:24
自分の
13:25
思い通りになった時
13:27
思わぬ
13:28
おかげを
13:29
いただいた時
13:30
ついつい
13:31
顔が
13:32
ほころびます
13:33
まさに
13:35
その時
13:36
まさに
13:37
おかげを
13:38
いただいた
13:38
自分の
13:41
願い事が
13:42
叶った
13:43
今まで
13:44
願い事が
13:45
叶わなかった
13:45
ものが
13:46
やっと
13:46
叶った
13:47
と言ったような
13:49
そのおかげを
13:50
いただいた時に
13:52
ついつい
13:53
心が
13:54
ほころんでしまう
13:57
いわば
13:58
なんと言いましょうか
14:01
この
14:03
布が
14:04
ああ
14:04
縫い目が
14:05
ほころぶ
14:06
という方の
14:07
ほころですね
14:08
油断ができてしまう
14:10
というわけです
14:11
おかげを
14:13
いただいたその後に
14:16
油断ができるぞ
14:17
ということな
14:20
わけですね
14:22
おかげを
14:25
いただいても
14:26
油断の
14:27
出ない
14:28
信心を
14:30
させていただかねば
14:31
ならない
14:31
おかげを
14:33
いただいた後が
14:34
実は
14:34
一番
14:35
危ないというわけです
14:37
ついつい
14:38
信心に油断が出る
14:40
ほころんでしまう
14:42
ということなのですね
14:45
では
14:46
どうすれば
14:47
よいのか
14:48
ということですけれども
14:50
そこは
14:51
先に
14:51
いただきましたのが
14:52
これで済んだとは
14:55
思いません
14:56
という
14:58
精神
15:01
というのでしょうかね
15:03
を
15:04
常に
15:04
持ち続けることだと
15:07
いついかなる
15:08
どういう中にあってでも
15:10
これで済んだとは
15:11
思いません
15:12
まさにこれは
15:13
師匠の
15:15
新人姿勢の
15:16
一つですね
15:17
これで済んだとは
15:19
思いません
15:20
それこそ
15:21
おかげを
15:22
いただいた時でも
15:23
これで済んだとは
15:25
思いません
15:25
精神させていただく
15:28
人修行させていただく
15:29
時でも
15:29
これで済んだとは
15:31
思いません
15:32
という
15:33
その
15:34
新人姿勢
15:35
を
15:36
常に
15:37
持ち続けることだ
15:38
そうすれば
15:41
新人の
15:41
ほころびが
15:42
まあ
15:44
完全になくなることは
15:46
ないでしょうけれども
15:47
少しでも
15:49
まあ
15:50
防ぐことができる
15:52
というわけですね
15:54
そういう風に
15:57
日々の
15:58
生活の中に
15:59
神様が
16:01
教えてくださる
16:02
新人の
16:03
信心の
16:03
稽古を
16:04
つけてくださる
16:05
その
16:06
稽古の
16:07
仕方を
16:08
やはり
16:08
まずは
16:10
習わねば
16:12
ならない
16:13
師匠を通して
16:15
教えてもらわねば
16:16
ならない
16:17
ということでも
16:18
ありましょうね
16:20
どうぞ
16:21
よろしく
16:22
お願いいたします
16:23
ありがとうございます
16:26
ありがとうございます
16:26
お願いいたします
16:27
お願いいたします
16:28
お願いいたします
16:30
お願いいたします
16:30
お願いいたします
16:31
お願いいたします
16:33
お願いいたします
16:33
お願いいたします
16:34
お願いいたします
16:36
お願いいたします
16:37
お願いいたします
16:38
お願いいたします
最初にコメントしましょう
コメントを追加
お勧め
21:27
|
次
信心とは感じる心です (2025-12-02)
Wagakokology-Jp
3 週間前
16:13
信心とは信ずる心である、では何を信じるのか (2025-04-13)
Wagakokology-Jp
9 か月前
18:04
信心の稽古には「感じる」と言うことが大切です (2025-01-11)
Wagakokology-Jp
1 年前
16:47
ご利益ではなく、神様を好きになる信心 (2025-06-23)
Wagakokology-Jp
6 か月前
16:50
信心の驚きと喜び、その信心の驚きと喜びが次の信心の原動力ともなる (2025-05-02)
Wagakokology-Jp
8 か月前
15:26
信心をすると心配事や困ったと言うことが無くなります (2025-03-29)
Wagakokology-Jp
9 か月前
21:49
信心が進むためには、神様が好きになり信心が好きになることです (2025-11-30)
Wagakokology-Jp
3 週間前
15:03
信心の極意は文字では伝えることが出来ない (2025-03-31)
Wagakokology-Jp
9 か月前
13:52
真の信心に真のおかげ、真のおかげとは心が育つこと (2025-06-28)
Wagakokology-Jp
6 か月前
15:32
信心がもし天地金乃神様のおかげを受けられなかったら信心としての値打ちは無い (2025-01-16)
Wagakokology-Jp
11 か月前
20:08
何事にも、これで済んだとは思いませんと言う信心姿勢が大切です (2025-10-04)
Wagakokology-Jp
3 か月前
16:53
奇跡的な霊験(おかげ)を頂くことにより信心が続く (2025-05-03)
Wagakokology-Jp
8 か月前
16:21
信心生活において、教えを守り行じることの手始めは、腹を立てないことです (2025-09-21)
Wagakokology-Jp
3 か月前
14:27
真の信心とは天地金乃神様を大切にする心 (2024-12-14)
Wagakokology-Jp
1 年前
14:27
人間中心の信心から、天地金乃神様中心の信心へ (2024-12-30)
Wagakokology-Jp
1 年前
15:46
信心の極意は言葉では表現出来にくい (2025-04-16)
Wagakokology-Jp
8 か月前
15:14
真の信心とは神様への親孝行であり、天地金乃神様を大切にすること (2024-12-29)
Wagakokology-Jp
1 年前
13:42
この道の信心とは天地金乃神様の御心に適う生き方を求め続けること (2025-03-16)
Wagakokology-Jp
9 か月前
14:14
この成行きはどう言う神様の御心の現れであろうか (2025-02-17)
Wagakokology-Jp
10 か月前
17:49
信心の稽古の一つは祈りです (2025-10-17)
Wagakokology-Jp
2 か月前
16:17
信心とは生き様である (2024-11-11)
Wagakokology-Jp
1 年前
19:43
信心には自らの心を育てる事と、神様のおかげを頂いて行くと言う2つの側面がある (2025-10-09)
Wagakokology-Jp
3 か月前
16:23
目細い信心とは目細かく天地金乃神様の御働きを感じること (2024-12-07)
Wagakokology-Jp
1 年前
20:32
今を喜ぶ、と言う信心が大切です (2025-10-16)
Wagakokology-Jp
2 か月前
13:52
信心の稽古の邪魔になる生き方、それは「人のせい」にする生き方 (2024-11-10)
Wagakokology-Jp
1 年前
最初にコメントしましょう