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  • 1 day ago

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00:00It's a nice day for me.
00:06It's a big trip outside today.
00:12I'm here, from the Velocity.
00:15I'm leaving this place in the East.
00:18I'm leaving a little bitch.
00:22I'm leaving here as well since the end of the sea.
00:25I thought you arrived here about a long time,
00:28今タモリさんがいるのは京都駅からおよそ4キロの場所にある二条城です。
00:472条城は世界遺産連日多くの修学旅行生や外国人観光客が訪れます
00:57こんなんでかかったかなあ何か思い出したなあ何か思い出したねあいらっしゃいますこんにちはおはようございますおはようございます
01:21江戸時代の政治史を研究しているこちらのあの二条城なんですけれども徳川優康が作ったお城でして将軍がですね京都に来ました時の宿泊場所としてですね造られたものになります
01:46豪華ですよねそうですね
01:50中でもこの建物があの二の丸御殿でございまして国宝に指定されております
01:57そうですかはいこの二の丸御殿は実は幕末ですね大変あの重要な歴史の舞台になっておるんですがご存知でしょうか
02:10体制奉還ですよねおっしゃる通りです体制奉還でございますはい
02:16この体制奉還なんですがあの江戸幕府の15代将軍の徳川慶信がですね
02:23政権を朝廷に返上しました出来事でございます
02:28この歴史のこの転換点となりました大事な現場がですね中にございますので
02:34確か俺は入ってないと思うんだこれ
02:36ああそうですかでは是非あのご一緒したいと思いますよろしくお願い致します
02:40はい
02:42へー体制奉還の現場ってどんなところなんでしょう
02:47すごいですよこれはもう各部屋に障壁画がはめ込まれております
03:04立派な絵ですねはい
03:07将軍が出てきそうなエリアに
03:10はい
03:11ここだ
03:12はい
03:13おーこえー
03:14こちらがですね大政奉還その舞台となった大広間でございます
03:21ここが
03:23ちょっとこうやって我々も立ってていいんだろうか
03:26そうですね
03:27なんか分からんけど大事なことをおっしゃってるわけですよね
03:34そうですねそうですね
03:35そうですね そうですね
03:38奥にいるのが最後の将軍となった徳川慶信
03:44大政奉還について意見がある大名を集めた場面を再現しているんだそうです
03:51なんかいろいろ言いたい人がいるんでしょうね
03:54そうですね
03:55じゃあ我々どうなるんですかとか
03:57そうですね
03:58そうですね
03:59もの申したい人が
04:00もの申したい人が
04:01そうですね
04:02全員がものすごい大量の失職者が出るわけですからね
04:06そういうこれも大変なことだと思います
04:08はい
04:10この二条条は将軍慶信が政権をですね
04:14朝廷に返上する決意を固めて
04:17幕府関係者に伝えた場所
04:19ですのである意味でですね
04:21江戸幕府約260年の歴史に
04:24終止符を打った
04:26そういう現場ということになるわけです
04:28そうですね
04:29長い間の
04:30でこの実は大広間ですね
04:33普段は入ることができないんですが
04:36今日ちょっと特別にですね
04:39上がらせていただけるようなんですが
04:41あっそうですか
04:42お入りになられますか
04:43その将軍の
04:44はい
04:45ぜひ行きたいですね
04:46ぜひ
04:47はいはいはい
04:48はいはいはい
04:49おおー
04:53やっぱ入るとすごい
04:54おおー
04:56おごそかな雰囲気ですね
04:58うんこれはすごいわねやっぱり
05:00見せつけてるね
05:05失礼します
05:06おおー
05:12松ですね
05:13松ですね
05:14松ですね
05:15うん
05:17ここ奥が広いんだね
05:19そうなんです
05:20はい
05:21半分ぐらいかと思いますけどね
05:22はい
05:23結構離れてるから清涼がないと
05:25普通なんですね
05:26はい
05:27はい
05:28ではですね
05:29こちらのほうをご覧ください
05:31はい
05:32江戸幕府の初代将軍の徳川家康が
05:37はい
05:38二条城を完成させましたのが
05:401603年でございまして
05:43まさに江戸幕府が始まった年なんですね
05:48はい
05:49さらにそれを発展させたのが
05:51二代将軍の徳川秀忠
05:54三代将軍の徳川家光になります
05:58ということで今回のお題なんでございますが
06:02お題にあったんだ
06:05もう終わるんじゃない
06:07二条城に隠された徳川三代の思惑とは
06:14実はこの二条城をよーく見てまいりますと
06:18徳川三代の思惑それが次第に分かってまいります
06:22じゃあうまく見ていきましょうか
06:25はい
06:28始まりました
06:29プラタモリ
06:30今回の舞台は世界遺産二条城
06:35国内外から年間200万人以上が訪れる
06:39京都を代表する人気スポットです
06:411603年江戸幕府の始まりとともに作られた二条城は
06:51京都における徳川の重要な拠点でした
06:54旅のお題は
06:57二条城に隠された徳川三代の思惑とは
07:01証言言うと大手だもんね
07:04そうですね
07:05沿道でこうさじきでもう縁会やってんだ
07:09これ徳川の本当に舞台ですねここはね
07:13タモリさんがぶらぶら歩いて解き明かします
07:19今日は二条城で裏タモリ
07:23二条城の外に出たタモリさん
07:29まずは家康がどんな思惑で二条城を気づいたのか探っていきましょう
07:34まずはこちらの方にご注目いただきたいんですが
07:43はい
07:45水彫りがございます
07:47それは幅広くはないですね
07:50はい そうなんです
07:52実はこちらですね同じ縮尺で二条城と名古屋城を比較した写真になります
07:59ほぼ同じ時代に家康が作ったお城なんですが
08:06比べいただくといかがですか
08:08幅が全然違いますね
08:09そうですよね
08:10かなりの違いでございまして
08:12実は名古屋城の掘り幅は約65メートル
08:17二条城のお堀の方は約14メートルということで
08:22気持ち掘り作ったみたいな感じ
08:25そんな感じだね
08:27そんな感じだね
08:29戦うという観点から見ますと
08:34全然なってないですよね
08:36なってない
08:38なってない
08:40城の形はとっているけども
08:43攻めたり守ったりというようなことはあまり考えてないのかな
08:49そうです
08:50確かに同じ家康が作った城でも名古屋城はずいぶん堀が広く守りが硬そうですそれに比べると二条城の堀は狭いですねどうしてなんでしょう?
09:07京都でございますので
09:10御所がございますよね
09:13こちらが御所でこちらが二条城で今いらっしゃる場所がこちらになります
09:20つまりですね家康はかなり天皇をですね気にして配慮して二条城を築上しております
09:29そう考えますと天皇に対してですねこの巨大でですね強固な守りを備えたお城を作ってしまうと
09:41警戒しますよね
09:43警戒しますよね
09:44そうですね
09:45反発するかもしれない
09:47はい
09:48でも幕府の意向は示さないといけない
09:51そうなんです
09:53そうなんです
09:54両方ですね
09:55両方です
09:56両方の攻め合い
09:57そうです
09:59武士のリーダーの権威を見せながらも天皇に威圧感を与えないように配慮する
10:04家康のそんな思惑がこの絶妙な堀の幅に表れているんですね
10:16身長ですね
10:17はい
10:18さすが家康です
10:19かなり身長でございます
10:20はい
10:21そんな思惑の上で築かれた二条城なんですが
10:25そもそも京都の中でもなぜ家康はこの場所に二条城を建てたんでしょうか
10:38白い土地この辺しかなかったじゃないですか
10:41ああなるほど
10:43そこにもですね実は徳川の深い思惑が隠されているんです
10:48ああ
10:50二条城を建てた場所に徳川のどんな思惑があったのか
10:58城の南側に行って探ってみましょう
11:01新鮮これ有名ですよね
11:05はいはい
11:06あっご存じですか
11:07はい
11:08この中にですねお入りいただきたいと思います
11:11ああここ入るんですか
11:12ああもう初めて
11:13はい
11:14ええ
11:15ああ行け
11:17これ京都でも古い?
11:22はいもうかなり古いお寺になります
11:25おおお
11:26平安時代からあるんですが
11:28今は新厳宗のお寺でございまして
11:32おおお
11:34こちらですね西暦だいたい800年頃の平安京の地図になります
11:42田森さん新鮮はこの地図の中ではどちらになりますでしょうか
11:48池のようなものも書いてあるので
11:51池のようなもの
11:52これか
11:53はいそうです
11:55ああこれ
11:56はい
11:57今田森さんがいる場所の北側にある広いエリア
12:02大田入りと書かれた場所はかつて天皇がいた場所です
12:06で徳川将軍受けの二条城は
12:13この辺にあるわけです
12:15はい
12:16こう
12:17で天皇がいた場所はこの五条ですね
12:20だいたいこの辺り
12:21ですので時代が進むにつれて都のその居住空間はだんだん北東へ北東へ移っていっておりまして
12:31端っこまで来ちゃったんだね
12:35そうですね
12:36ではですね家康が二条城を作ろうとした当時
12:42どんな状況だったかということなんですが
12:45まずですね黄色でちょっと囲わせていただいた部分が
12:49織田信長が作ったお城ですとか屋敷を表しております
12:56で赤色これが豊臣秀吉が築きましたお城になります
13:04時の天下人たちは今日の都に自分の城を築いて権威を示そうとしたんですねちょっと御所との距離もうすごい近いですよねこれもかなり威圧感がありますねはいかなりはいでかいねでもこちらそうなんですこれに至りましてはかつてはい天皇がおりましたところの全くそのままの中です跡地の築かれているこういう人がいるときにも
13:33秀吉はこれちょっとやりつきですよねでかいもんねこれやっぱ電脳よりでかいはダメですよはいどういたしますとタモリさんが二条城を建てるならこの2つから遠いはいでこれよりちっちゃいはいやっぱりやっぱりこの辺かねえ
13:57今お決めいただいたこの場所天皇がいる御所との距離も絶妙な距離ではいこれこう見てみるとその当時の武将の性質もなんかわかる
14:13そうですねはいはいの証言うと大手だもんね
14:19そうですねそうもう本当にはいはい ですのでまあまさにこの立地がですねこの徳川将軍家の思惑そのもの
14:31と言えるんではないかなるほどねそうですね
14:37こうして二条城をつくった家康の後
14:40二代秀忠三代家光はどんな思惑で二条城を発展させていったんでしょう
14:50それを探りにタモリさんは二条城の北側にやってきました
14:57北側南側と違う住宅地なんですかそうなんですそうなんですそうなんです
15:02ガランと違うよねそうなんですはい
15:07あ石垣はい石垣はい
15:12それではですねこちらの石垣なんですが左側と右側で石垣違いますねはいそうなんです高さも違います
15:27石の大きさもちょっと違いますねちん方も確かに石垣に違いがありますねどうしてなんでしょうか
15:40一緒の工事じゃなかったっていう時期は違うってことですねご明察でございますはいえー左手の石垣の方が古いんではないかといわれております
15:54やっぱり家康ですかそうですそうですではですねこちらの江戸時代の二条城の平面図になりますはいで今私たちがおります場所がこちらになりますはいはいですので
16:09ここが家康時代の石垣でございましてこちらずーっと家康さんのエリアはいこれは後からそうです秀忠家光かそうですですからこのエリアは秀忠家光によって増築された
16:31部分になりますはいもう増築でございます増築でございますで当然この二の丸五手も相当なリフォームといいますか増改築を行っている形跡がございますあそうこっちも変えてるんですねこっちもやりかえてますねなるほど秀忠家光は二条城を大規模に増改築したんですか何やら思惑がありそうですねー
16:59なぜ増改築したのか二条城に戻って探ってみましょう
17:06ああ庭園がはい見えてまいりましたあこの庭園は覚えてますねあそうですかここの景色は覚えてますそうですかえーこちら特別名称に選ばれております二の丸庭園でございますあ立派な石組みですねじゃあこの二の丸庭園もですね
17:36整備いたしました
17:39石組みにはすごくまあ力強さを感じる 典型的な武家庭園でございましてまさに武士の庭といった印象でございます
17:51先ほどご覧いただいたその大西宝館の現場ですね大広間がこの庄寺の奥でございますはいこちらでございます
18:03お庭が見えるという設定において一番いい一番いいポジションになっているわけですね
18:11こちらのお庭はちょっとこちらの方へ こっちも仲間いいですねそうなんですあの本来大広間からは見えないはずの奥の方までですね
18:24お庭が続いているんですね 続いてますねはい
18:31確かに大広間から見える範囲だけでなくその先まで広く庭が作られていますね
18:40近くまで行って見てみましょう
18:49石組みの強さと申しますよりかは水の広さですね
18:54こっちのお水がかなり強調されているいいお庭ですよね
19:00きれいですよね
19:01はい
19:03ですのでこのお庭は二の丸御殿からだけではなくて
19:09明らかにこちら側からも見えることをかなり考えて
19:14意識した
19:15そういう形で作られたお庭になっております
19:21これちょっと待てよ
19:25建物の配置の地図があれば
19:28そうですね
19:29タモリさんそれではもう一度江戸時代の二条城の地図を見てみましょう
19:36今この辺にいるんですかね
19:38はいそうです今ここで我々建っております
19:41建ってますね
19:44これ部屋がずっとありますね
19:46ずっとございますねだからこれかなり大きな建物が
19:50そこに今の芝生のあたりに建てられていた
19:57はぁ二の丸御殿の隣にもう一つ建物があったんですか
20:05そこからも見えるように庭を広く作ったんですね
20:09でも何のための建物だったんでしょう
20:12教皇
20:19はい
20:20御殿
20:21はい
20:22教皇御殿と
20:23御殿ということは
20:24はい
20:25天皇がいる
20:26はい
20:27こちらにお見えになった時これを使うということ
20:29そうです
20:31ここにお迎えするということ
20:32そうです
20:34つまり秀忠家光は天皇を迎えるために二条城を増改築したってことですか
20:41かなり力が入ってますね
20:47まあ当時の行行というのは一体どういうものだったのか
20:51どういうものだったんですかね
20:52はい
20:53ご用意いたしました
20:54長い
20:56長い長い
20:59行行と申しますのは秀忠家光の2人が
21:03五水の天皇という天皇をこの二条城に迎えたまさに一大イベントだったんですね
21:15大変だ
21:16はい、これは大変です
21:181626年の行行には全国から大名が駆けつけ関係者およそ9000人が参列秀忠家光は最上級のもてなしをしました
21:34これ見物の方々ですね
21:40そうです、佐敷席ですとかを設けまして
21:44沿道で佐敷でもう宴会やってんだ
21:47はい、楽しそうに皆さん見ているわけですね
21:51一大パレードですよね
21:53一大パレードだね、これは大変な
21:55いたかったね、いっぱいやれたからな
21:58徳川は万全の体制で天皇を迎えたんですね
22:05そこには一体どんな思惑があったんでしょう
22:11さらにちょっとご注目いただきたい部分がございまして
22:15天皇がこのいる列のこの辺り
22:19何かこの車ですね、模様が描かれているんですが
22:22徳川の御門が描かれています
22:26おっしゃる通りです、徳川家の三つ葉王位が描き込まれているんですね
22:32天皇の御遺行なのに
22:34なのに三つ葉王位の門をつけた義者が描かれている
22:39徳川の血を引く人が持っているわけですね
22:43徳川からお嫁にいた方とか
22:47おお、そうです
22:48実はこちらの一車にはですね
22:52天皇の一行として秀忠の娘が乗っていました
22:59なんと秀忠の娘、政子はお水の天皇と結婚してたんですか
23:06天皇家と徳川家は親戚関係になっていたんですね
23:10思い返せばですね、初代の徳川家康の時には
23:18まだその天皇との距離感と申しますのは
23:22かなり絶妙な距離感で、距離をとっていたかと思うんですが
23:26ところがこの秀忠家光の段階になりますと
23:31天皇家との距離も一気に縮める
23:36どころか、ファミリーにしてしまおうという
23:39はい、はい
23:40今はちょっとなかなか
23:43でですね、行行の時ですね
23:47実はもう徳川政子はすでに妊娠をしておりました
23:52そうすると、ゆくゆくは
23:55天皇になるかもしれない
23:57なるかもしれないでございますので
23:59政子の功を天皇にするために
24:04秀忠家光としては、何としてもこの行行で
24:09天皇との関係を深めておきたい
24:15はい、つまりですね、この二条城を舞台にいたしました
24:20この行行、これは徳川三代にわたる最重要ミッション
24:25はい、一大京都の一大イベントなんですね
24:29いやー、もうこれは大変な出来事だったと思います
24:32はい
24:34江戸時代という新しい時代を築いた徳川家
24:39幕府の体制をさらに万弱にするため
24:43天皇家との関係を深める
24:46それこそが徳川の思惑だったんですか
24:50確かに重要なミッションですね
24:53実は4泊5日で予定は組まれていたんですが
25:013日目に突然天皇が予定外のあることを言い出したんです
25:07今日ご覧いただいているお城の中のある場所に行ってみたい
25:13これ、残っているのはこのエリアですよね
25:18そうです、そうです、今これ増築したこの部分
25:21増やした増築部分に行ってみたい
25:245天守って書いてある
25:26はい、はい、はい
25:28これ天守があるんです
25:30やっぱりここから見えてたの?
25:32そうでしょうね、はい
25:33はい、はい
25:34何あれは?
25:35あれは何だそうです
25:36あれは天守にございますとかいうことになっている
25:40何?天守って何?
25:41何?
25:43行けるの?
25:45行きたい?
25:46なってしまったと思う、そういう展開短い
25:47短い、短い、短い
25:50はい
25:51お待ち下され
25:54ということで、天皇が登ったという天守があった場所に行ってみましょう
26:02あれじゃないか?
26:06はい、天守台がいよいよ見えてまいりました
26:09台だけは登ってる
26:10はい、残念ながらですね、ここにあった天守は1750年に落雷ではい、消失してしまいました
26:20かつてあった天守はこんな感じだったんです
26:29天守台を含めておよそ45メートルの高さがありました
26:33では天皇が見た風景ドローンで見てみましょうおぉまだ高いああこれビルがあったとしてもすごいですよね今すごいですよねこの山並みも美しいですしうん思ってたより高かったですそうですね
27:02高いよね、こんな高いと思わかったな
27:05向こうにですね、比叡山が見えまして、東山も望めるということで、京都の主要な山々は
27:16全部、この盆地や見渡せるんだ、低いからずっと
27:20ずっとおそらく山々が出て、きれいに見えたと思います
27:24天皇も初めて、京都の全体を見渡すことができたんですね
27:29そうですね
27:30秀忠、家光が天皇をもてなすミッションは大成功したんですね
27:40その後、天皇家と徳川家の関係はどうなったんでしょうか
27:45行こうの、ちょうど2ヶ月後なんですけども
27:52妊娠してました?
27:53はい、妊娠していました
27:54そうした、政子が無事に男の子を出産いたしました
28:01将来天皇
28:03はい、ところがですね、残念ながらですね、その男の子は2歳になるとし、病気で亡くなってしまいます
28:11もし、政子が産んだ男の子が天皇になっていたとしたら、これ、お考えになるといかがでしょう?
28:21これは、朝廷と幕府はもう、幕府の言いなりというか
28:31ええ、ですから、相当強固な結びつきで、徳川の世もですね、終わらなかったかもしれない
28:41確かに
28:43つまり、徳川将軍家が朝廷に政権を返上するというですね、大政奉還というアクションもですね、起こらなかった可能性も出てくる
28:55男の子が天皇になってたら、明治維新もないかもしれない
29:01かもしれないですね
29:03こうしてですね、天皇をもてなすという大役を果たした二条条なんですけども
29:07実は、その三代家光の次の代からおよそ200年の間は、将軍が訪れない期間が続きまして
29:15次に歴史の表舞台に上がってきますのが、もう幕末で、大政奉還の段階へと進んでいくんですね
29:23なるほど
29:25こういうわけですね
29:27そうですね
29:29徳川幕府誕生と終焉、それは江戸城ではなくて
29:35この二条条だった
29:38はい
29:39これ、徳川の本当に舞台ですね、ここはね
29:43そうね
29:48あずちで、村友に
29:51幻の城、あずち城に野村が描いた夢とは
29:55やり場のない怒りっていうのがあるし
29:58次回もお楽しみに
29:59次回もお楽しみに
30:00次回もお楽しみに
30:01次回もお楽しみに
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