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天才仏師・運慶が晩年に興福寺北円堂のために作った7体の仏像が、いま東京国立博物館の特別展で展示されている。けわしい表情の本尊弥勒如来像、生きているような存在感を放つ無著・世親菩薩像、動き出しそうな四天王像。兄弟である無著と世親はなぜ対照的に刻まれているのか?興福寺の僧侶でもあった運慶は、北円堂にどんな祈りを込めたのか?平家の焼き打ちからの長い復興の道のりと、運慶の仏師人生を重ねながらひもとく。
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😹
Vui nhộnPhụ đề
00:00アムステルダム
00:30ここに世界最大のゴッホコレクションを誇るファンゴッホ美術館があります
00:44国内外から年間200万人が訪れます
00:48700点に及ぶ素描や絵画
00:54実はそのほとんどがかつて屋根裏部屋に眠っていたことはあまり知られていません
01:10ゴッホが残した膨大な数の手紙も保管されています
01:15そこから見えてくるのはゴッホを支えた家族の存在
01:22900通のうち実に600通以上が弟テオに宛てたものです
01:30テオは画商の仕事をしながら仕送りを続け兄を助けます
01:40ゴッホが頼り胸の内を明かす唯一無二の存在でした
01:45僕らにできることは絵に語らせることしかないんだ
01:52君はただの画商ではない何者かだ
01:58しかしゴッホが37歳で亡くなって半年後
02:06テオもこの世を去ります
02:09残された作品を受け継ぎ
02:14ゴッホの名を知らしめるために奔走したのが
02:17テオの妻ヨウでした
02:20ヨウが絵が売れるたびに売却先や値段を記録した会計簿です
02:29ヨウは手強い画商たちと交渉を重ね
02:35少しずつ絵の価値を高めていきました
02:38そして30年以上の歳月をかけて
02:43ゴッホの名声を不動のものにしたのです
02:46作品を世界中で分かち合いたいという
02:53ゴッホの夢を家族が大切に守り続けてきたのです
02:58ゴッホの夢を未来へとつないだ
03:06家族の絆の物語
03:09見たことのない絵がたくさんあります
03:22これが
03:29ゴッホさん
03:31自画像ですね
03:32信じられない
03:35あの有名な
03:38この作品を本物を目にしているというのが
03:43やっぱり写真とかで見るよりも
03:46迫力があって
03:49立体感があって
03:51やっぱりこの筆跡っていうんですか
03:54見えるので
03:55あのゴッホが一つ一つ手を
03:58筆を置いていったんだなというのを
04:01間近に感じると
04:03いやー
04:04そうですね
04:04迫力というんでしょうか
04:07お髭もね
04:08髪の
04:10髪とかその
04:12髭のテキスチャーというのがやっぱり
04:15筆によって際立ちますね
04:17そうですね
04:18日曜美術館です
04:23今日は大阪市立美術館で開かれている
04:26ゴッホの展覧会に来ています
04:28ゲストは東京都美術館の学芸員の大橋夏子さんです
04:3319世紀のフランス美術がご専門で
04:35これまで何度も
04:37ゴッホの展覧会に関わっていらっしゃいました
04:39よろしくお願いします
04:40よろしくお願いします
04:41今回はゴッホ美術館のコレクションということですけれども
04:45どういう特徴があるんですか
04:47ゴッホ美術館はもともとゴッホ家
04:51ファミリーが受け継いできたコレクションを
04:54各にできた美術館になります
04:55ですので美術館のコレクションの特徴としましては
04:59ファンゴッホ家に受け継がれてきたコレクションでして
05:04ゴッホの初期から晩年までをたどれる多数の作品
05:09さらにそれに加えて手紙など
05:12家族だからこそ受け継がれてきた
05:14資料類というのも充実したコレクションになっています
05:18早速なんですけれども
05:20こちらの自画像
05:23これは
05:24ゴッホ自身は自分の手紙で
05:27ちょっと死神のようだ
05:30顔が怖がっていて物悲しいというような
05:34コメントも残しているんですけれども
05:36先ほどちらっと出ていた
05:39要は生前にあった
05:41思ったよりは健康でがっしりしていた
05:45丈夫そうなゴッホ
05:47そのイメージが
05:48この自画像が一番近いという風に残していて
05:52全然違う言葉が残っているんですね
05:57実際なんかこう
05:59顔のあたりはちょっと暗い色彩が
06:02影っぽい感じはするんですけれども
06:04顔以外の部分はすごく色彩が明るくて
06:08澄んだ空気のようなものが感じられて
06:11見る人の心境によってさまざまに見えるという意味で
06:15すごく面白い自画像だなと思っています
06:171853年
06:25ゴッホはオランダ南部の村ズンデルトに生まれます
06:29父親は田舎の小さな教会で牧師を務めていました
06:35ゴッホは待望の長男でしたが
06:39やがて両親の期待は裏切られます
06:43頑固で感触持ち
06:47些細なことで爆発する厄介な性格
06:50小学校や中学校も退学させられるほどでした
06:551869年
07:0316歳の時に
07:05画像だったおじの働いで
07:07ヨーロッパ有数の画廊
07:09グーピル商会に入り
07:11オランダのハーグ支店で働けるようになりました
07:14その後
07:184歳年下の弟テオも
07:21グーピル商会に入り
07:23ブリュッセル支店で働き始めます
07:25ゴッホが弟の就職を機に送った手紙
07:32こうして2人のやりとりが始まりました
07:36おめでとう
07:40君はきっとその仕事が気に入るだろう
07:43僕たちが同じ職業につき
07:47同じ商会に勤めるのはとても嬉しい
07:50僕たちは頻繁に文通を交わすことにしよう
07:55最新の美術に触れられる環境の中で
08:032人はささやかなコレクションを始めます
08:06当時テオが購入したとされるマネの版画です
08:14若い2人は高価な作品には手が届きませんでしたが
08:23手頃な値段で買える版画を集め
08:27互いに送り合うこともありました
08:29テオのひまごにあたるフィンセント・ウィレム・ファンゴッホさん
08:392人で絵を集めながら
08:45テオも新しい美術への造形を深めていったといいます
08:50フィンセントはテオに
08:55自分が扱っている美術品のことや
08:58外国の美術省でどんな動きがあるか
09:02たくさんの手紙を送っていました
09:04それがテオにとって大きな刺激になったようです
09:12そうした刺激がテオを芸術
09:16特に現代美術の世界へと導き
09:20兄弟2人で同時代の絵を収集するようになりました
09:24しかしゴッホは人間関係に問題を抱え
09:32仕事の成績も上がらず
09:3423歳の時に美術省を解雇されてしまいます
09:42父と同じ生殖者を目指しますが
09:44自分の服や持ち物をことごとく貧しい人たちに与えてしまい
09:50その過度な献身が教会に受け入れられませんでした
09:54生きるのに不器用なゴッホがその思いを綴った手紙です
10:01愛するテオへ
10:04今の僕の苦しみは次のことに尽きる
10:10一体僕は何の役に立っているのだろうか
10:15そしてどうすれば
10:17人の役に立つ人間になり得るのだろうか
10:20この思いが絶えず僕を苦しめている
10:25父親とも諌かいを起こし絶望するゴッホに
10:34画家になることを勧めたのがテオでした
10:37画材の費用から生活費
10:41アトリエを構える資金まで
10:43テオがお金を援助して支える日々が始まったのです
10:48独学で絵の修行を始めたゴッホ
10:56自らの糧となる絵を集め始めます
11:00それはイギリスやフランスの新聞や雑誌に
11:07掲載された版画でした
11:14不仏戦争の最中のパリ
11:17食料の配給を求めて市民が列を作って並ぶ様子
11:31一人一人の人物のリアルな心情が伝わってきます
11:37フランスの雑誌に掲載された農村のシリーズ
11:47荒れた土地で黙々とジャガイモを収穫する農夫たち
11:53パリの支店に勤めていたテオは
12:00こうした版画をオランダに送り
12:03ゴッホはそれが届くのを心待ちにしていたといいます
12:07フィンセントは牧師の息子として育ちました
12:15そのため画家としてのキャリアを始める前から
12:20そして画家を目指すようになってからもずっと
12:25非常に信心深い人物でした
12:28彼は貧しい人々や路上にいるすべての人々
12:35労働者や高齢者
12:37そうした人々との間に強いつながりを感じていました
12:42そして版画を見て
12:46貧困の影の中に生きる人々を発見しました
12:50だからこそそうした版画を集めたのです
12:55ゴッホは版画に学びながら
13:01人物の素描に打ち込み
13:04テオに手紙を送ります
13:05君が誠実な気持ちで援助してくれることが
13:12どれほどありがたいか
13:14僕は何倍も君に感謝している
13:17僕はこの仕事を充実した誇らしいものにしたい
13:25できるだけ早く
13:28君も満足のいくようなものにしたいと思っている
13:35こうして描き上げたのが
13:40初期の代表作
13:41ジャガイモを食べる人々
13:44ランプの明かりの下
13:50テーブルを囲んでジャガイモを分け合う
13:54貧しい農民の姿です
14:02僕がこの仕事で強く意識したのは
14:04彼らの手だ
14:06ランプの明かりの下で
14:09ジャガイモを突き刺して食べている
14:11まさにその手で
14:13大地を掘り起こしたということだ
14:16だから僕は
14:20この絵で労働を語っている
14:22彼らの食事は
14:25尊い報酬として手に入れたものだ
14:27この絵に
14:31君が気に入る何かがあるか
14:34教えてほしい
14:35気に入ってくれると
14:38いいのだが
14:39ここからは
14:43ゴッホとテオが集めていた
14:46版画などを展示しているところになります
14:49こちらは一人の人物
14:53グラフィック誌に掲載されていた
14:56民衆の顔というシリーズがありまして
15:00ゴッホはそのシリーズを
15:02大変好んで集めていました
15:04やはりすごく顔に興味があったんだと思うんです
15:10シワのあるような
15:12その人の人生が
15:13刻まれたような顔を好んでいたというふうに
15:16言われていますけれども
15:18このコーフも
15:21顔の凹凸ですとか
15:24目元のシワですとか
15:26そういったものも非常に細かく観察されて
15:30白黒なんですけれども
15:33すごく詳細に表されています
15:36あと
15:37いかにも働いているという
15:40こういう労働者の手のような表現ですとか
15:43そういったところに
15:45ゴッホは惹かれたのかなというふうに思います
15:48今見てきたような版画を
15:59見た後に吸収して描いたのが
16:02こういった絵だったわけですか
16:03はい
16:04まさにオランダ時代に描いている絵ですね
16:08ゴッホのというより
16:09この方の存在を強く感じるんです
16:15滑らかに綺麗に肌を描くということは
16:19全く意識していなくて
16:22やはりこの方のこれまでの人生を
16:26いかに表せるのかというような
16:29細かいシワを描いているわけではないんですけど
16:31やっぱりその筆使いと色によって
16:35シワのようなものを感じさせる表現ですね
16:39この頃ゴッホとテオというのは
16:44どういう関係だったんですか
16:45そうですね
16:46手紙のやりとりにはよく
16:50手紙の一番最初の行に
16:53ナンフランありがとうっていうとか
16:55最後にできるだけ早く
16:58ナンフラン送ってほしいとか
17:00そんな手紙もたくさん残っているんですけれども
17:03テオ自身その仕送りを始めたのが
17:06パリのモンマルトロ王通支店というところの支店長に
17:09かなり若くしてなれましたので
17:11ちょっと仕送りができる余裕もできていました
17:14ただゴッホ自身もやっぱりゴッホは兄ですので
17:19弟からただ仕送りを受けているというわけにも
17:24行かないところもありまして
17:27ゴッホとしては代わりに自分の描いた作品を
17:31テオに送り続けています
17:33なのでただただサポートをもらっていただけではなくて
17:38ある種兄弟なんですけれども
17:40画家と画商としての関係性も
17:43気づこうとしていました
17:45なのでテオの手元に
17:47ゴッホの作品の大部分が残されるということにもつながっていきます
17:521886年2月
18:0032歳のゴッホは突然パリにやってきました
18:04駅に着くと紙切れに走り書きをして
18:12テオに送りました
18:13突然やってきてしまったことを
18:19怒らないでほしい
18:20君さえ良ければ
18:23正午かもっと早くルーブルに行っている
18:27慌ててルーブルに向かうテオ
18:322人はどんな顔で再会したのでしょうか
18:38こうして2年にわたる
18:45兄弟の同居生活が始まります
18:48この頃テオは
18:56モンマルトルの店で
18:57支店長を任されていました
18:59まだ評価が低かった
19:02印象派なども扱う
19:04先進的な目を持ち
19:06ゴーギャンやロートレックとも交流
19:09ゴッホがそうした画家たちと出会い
19:12親しくなれたのも
19:14テオがいたからでした
19:15ゴッホがパリに来て1年
19:22絵が大きく変化します
19:25窓から差し込む光が
19:37大好きなお酒の入った
19:39瓶とグラスに反射しています
19:41ゴッホは自分の絵が
19:51時代遅れだと思い知り
19:53色彩に目覚めていきます
20:032人は同居することで
20:05美術への議論を深め
20:08絵画の収集を続けます
20:13中でもゴッホが強い衝撃を受けたのが
20:16南仏出身の画家
20:18アドルフ・モンティセリ
20:22これはテオが手に入れた花の生物画です
20:30鮮烈な色彩のコントラスト
20:32盛り上げられた絵の具
20:35激しい筆跡
20:37ゴッホとテオは
20:46モンティセリの絵を
20:47次々と買い集めるほど浸水しました
20:50その頃ゴッホが描いた花
20:58モンティセリの影響が見て取れます
21:04こうした実験を重ねながら
21:08新しい色彩と筆使いを
21:11習得していきました
21:12兄さんは懸命に仕事を続けていて
21:20すごく上達している
21:22太陽の光を取り込んで
21:25絵が明るくなってきた
21:27確かに風変わりな人間だけど
21:31考えていることは
21:34とてもしっかりしている
21:36羨ましい限りだ
21:39ゴッホ研究の第一人者
21:44コーデラ司さんは
21:46ゴッホが画家として成長するために
21:50テオはなくてはならない存在だったといいます
21:53ファンオフという人は基本的に
21:56とても社会的な適応能力はないし
21:59一緒にいたら気持ちがいいというわけじゃないんだけど
22:02それはでもテオがずっとそばで見ていて
22:05やっぱり自分にはないものを持っているということは分かるんですよね
22:09それは基本的にパトロンの基本的なパターンですよね
22:13こいつすごい嫌なやつだけど
22:17すごいいいとこもあるっていう
22:21愛憎両方を持っている関係って
22:24だいたいアーティストとパトロンの関係がうまくいくパターンはそのパターンですよね
22:28少なくとも世界で一番早く才能を認めていたのが
22:34弟のテオだったことはまず間違いないと思いますね
22:372人が収集したコレクションの中でも
22:42コーデラさんが注目するのが
22:44日本の浮世絵です
22:46特にゴッホが熱中し
22:52その数は500点を超えます
22:55日本橋を渡る大名行列を描いた一枚
23:02人々の視線の先には
23:09絵の真ん中を大きく締める橋
23:12その先に小さく見える行列の人物たち
23:18なんとも大胆な構図です
23:21ゴッホが集めたコレクションの中でも
23:28異彩を放つ一枚があります
23:36これは浮世絵に特殊な加工を施した
23:39チリメン絵と呼ばれるもの
23:41一見普通の浮世絵ですが
23:45よく見ると
23:46表面にチリメンの布のような細かい凹凸があり
23:53光や見る角度によって陰影が生まれます
23:57ゴッホはこうした独特の質感にも
24:02注目していたといいます
24:04パリで最新の絵画に触れ
24:12日本にも学んだゴッホ
24:14その集大成ともいえるのが
24:17この自画像です
24:19背景にいろんなタッチを並べて
24:26縦のタッチとか横のタッチとかを並べて
24:30テクスチャーを作り出そうとしているので
24:32単純に空間を描き出すために
24:35陰影をつけているというのは全く違うので
24:37ここなんかはチリメンの影響だと思いますし
24:40それから上着の青いところも
24:42かなり細かいタッチで並べているので
24:44これも印象派とか
24:46それから新印象派の描き方から
24:49影響を受けていると思います
24:51結局その人間的感情を描くために
24:53いろんな描き方を研究して
24:57試しにいろいろやってみて
24:59その中で徐々に徐々に
25:01自分のスタイルを確立していこうとして
25:03最終的には晩年のいろんな筆のタッチによる
25:08激しい感情表現とか
25:09そういったところにもつながっていくだろうと思います
25:12そして1888年
25:17ゴッホは南仏へと旅立ちます
25:21テオは兄の成功を信じて見送りました
25:25兄さんは日曜に南へ立った
25:33彼がパリに来た時
25:35僕たちはこれほど強く結びつくとは思ってもいなかった
25:40彼があと何年か生きられれば
25:46きっと名声を得るだろう
25:49腕使いがすごく印象的
26:06カラフルですね
26:07同じく農村というか農業をしている地を描いてはいるんですけれども
26:15全然描き方
26:17色使いがやはり全く変わりますので
26:21全体の雰囲気がガラリと変わります
26:24風が吹き抜けているみたいな
26:27本当に色と腕使いが変わることで
26:33やっぱり光と大気を描けるようになったのが
26:37パリ時代のすごく大きな変化ですね
26:40実は一緒に暮らしていることで
26:45手紙のやりとりが残っていないので
26:48そうなんです
26:49実はパリ時代の詳細というのが
26:51なかなか他の時代よりはわからないんです
26:55だからテオがオランダにいる
26:57その二人の実家とか妹たちにあてた手紙では
27:00もう暮らせないみたいな
27:03そういうやっぱりこともあったんですけれど
27:06実際ゴッホが南フランスに旅立ってしまうと
27:10もうなんかぽっかり穴が開いたような
27:13やっぱり一緒に暮らしていた時期も
27:18大事な時間だったというのも
27:20認識されたりしていたようですね
27:23本当にゴッホとテオはパートナーですね
27:26手紙にも資金的な援助をしているテオは
27:32まさに一緒に制作しているんだ
27:35というようなことも書いています
27:38実際には書かないけれども
27:40まるで制作者の一人であるような存在だったということですか
27:44そうですね
27:45そういうふうに書いていますし
27:47だからこそ自分が描く作品が
27:52テオが自分の作品として
27:55満足できるものを書かなきゃいけない
27:59というような言い方をしているものもあります
28:02テオ自身も満足するようなものでないといけないと
28:05テオ自身がテオの作品として
28:08自分の作品としてゴッホが描いているものなんですけれども
28:12そういう本当に2人で制作をしているというような意識が
28:17お互いにあったんだろうなと思います
28:20一心同体
28:21光と色彩の楽園
28:27南仏アルル
28:29この地でゴッホの芸術が花開きます
28:36種まく人
28:41画面をはみ出す大木
28:50その大胆な構図は浮世絵から学んだもの
28:54大地に足を踏み出す農夫は
28:59躍動感にあふれています
29:01その図上には五光のように光り輝く太陽
29:11その色彩と筆使いはまさにゴッホそのもの
29:20その頃テオは思いを寄せていた女性にプロポーズし
29:38婚約します
29:39オランダで英語の教師や文学作品の翻訳をしていた
29:485歳年下のヨウ・ボンゲル
29:51テオはことあるごとにヨウに兄のことを話します
29:56人からは変人扱いされるけれど
30:00いかに絵の才能があるか
30:02切々と説き続けました
30:05彼は現代の最も進歩的な画家の一人なんだ
30:14こんなに近い立場の僕でさえ
30:18彼を理解することは難しい
30:20しかしきっといつか
30:23彼が理解される日が来るだろう
30:26彼はあなたの人生にとてつもない影響を与えたに違いないと理解できる
30:36それがどこまでも気高い精神に反映されているということが
30:43彼をもっと強く愛せるようになりたいという気持ちになっています
30:50ゴッホも喜んでいた二人の婚約
30:56しかし突然ゴッホが病院に運ばれます
31:01アルルで共同生活をしていたゴーギャンと溝が深まり
31:08諌かいを起こして精神的に追い込まれたといいます
31:12さらにテオが結婚すると
31:18自分の存在が大きな負担になる
31:21そんな不安が重なったと思う
31:26ゴッホはアルルにほど近い
31:30サンレミの療養院に入院
31:32重い発作に襲われながらも
31:38体調のいい時には絵の製作に励みます
31:41時には外を散策し
31:48豊かな自然の中にモチーフを見つけました
31:52その頃結婚したテオとヨウの間に
32:00待望の長男が生まれます
32:02二人はゴッホと同じフィンセントと名付けました
32:09ほどなくしてゴッホからテオの家族に
32:16一枚の絵が贈られてきます
32:19青空の下
32:28白いアーモンドの花がみずみずしく咲き誇ります
32:33南仏にいち早く春の訪れを告げる花
32:47ゴッホはこの絵を生まれたばかりの老いに送るために描きました
32:54フィンセントは老いが生まれたことを言葉にできないほど喜びました
33:02その気持ちを新しい命を象徴するアーモンドの花の絵を描いて捧げたのです
33:11その後パリでテオの家を訪れ
33:17テオと一緒に赤ん坊の姿を見て目に涙を浮かべました
33:23それからわずか2ヶ月後
33:301890年7月
33:33ゴッホは自ら命を絶ちます
33:3737歳でした
33:40その半年後
33:51テオも病によって兄の後を追うようにこの世を去ります
34:10生前はほとんど売れなかったゴッホの作品
34:15そのすべてを美術は素人だったようと
34:20幼い息子のフィンセントが受け継ぐことになったのです
34:24子供を育てることに加えて
34:29テオは私にもう一つの仕事を残しました
34:33それはゴッホの作品をできるだけ多くの人に見てもらい
34:39正当に評価されるようにすることです
34:43オランダに戻ったヨウの家
34:48作品が壁を埋め尽くし
34:52屋根裏に数百点が保管されました
35:00ヨウは
35:01いかにしてゴッホの名を世界に知らしめたのか
35:05その一端を物語るのが
35:08ヨウがつけていた会計簿です
35:11ヨウはどの作品をいつ、誰に、いくらで売却したのか
35:20一点一点書き留めています
35:231897年には数点の作品や素描を
35:34仮称に1,120フルデンで売却しています
35:39そのうちの1枚
35:43現在の価値に換算して1.30万円程度だったと考えられます
35:50ヨウは
35:53ヨウは手強いガショウたちと交渉しながら価格を決断
35:57時に侮辱されながらも
36:00ゴッホの名を広めるという決意を貫きました
36:041905年には
36:09アムステルダムで大規模な展覧会を実現し
36:13成功を収めます
36:15ゴッホの死後10年以上を経て
36:21作品の価値も大幅に上昇しました
36:24ヨウは優れた交渉術を持っていました
36:30彼女は展覧会を開催したり
36:35重要な作品をコレクターや美術館に送ったりすることで
36:40戦略的にマーケティングを行い
36:43ゴッホの芸術を広めていったのです
36:461920年には
36:53ヨウの思いが海を越えて
36:55日本にも届いていました
36:58当時西洋美術を日本に紹介していた
37:04白樺派
37:05その活動に賛同した実業家が
37:09紙費を投じて
37:11ゴッホのひまわりを購入
37:13しかし空襲によって消失してしまいました
37:18その絵を4年前
37:23東京芸術大学の宮坂正明さんが指揮を取り
37:28高精細の複製技術で復元しました
37:37わずかな資料をもとによみがえった
37:39かつての面影
37:41浮世絵にも学んだゴッホだからこそ
37:45日本人の目利きを魅了したと
37:48宮坂さんは考えています
37:50やはりその日本人の中にある
37:55特に江戸紀に見出してきた
37:59日本人の本質みたいなものが
38:02ゴッホの絵の中には存在しているんじゃないかと思うし
38:05それから日本人もそれを感じるから
38:07やっぱりゴッホの絵は特別に見える
38:10じゃないかと思います
38:11そして1924年
38:18ヨウが62歳の時
38:20長年の夢が叶います
38:23ゴッホの代表作が
38:30ロンドンのナショナルギャラリーに収蔵されたのです
38:34会計簿にはナショナルギャラリーの下に
38:41ひまわりの文字
38:43ついにゴッホは世界屈指の美の伝道に
38:52迎え入れられました
38:54ヨウから息子フィンセントへの言葉です
39:02フィンセントはどれほど懸命に絵を描いていたことか
39:08テオは兄のあらゆる絵に
39:11どれほど多くの価値を見いだしたことか
39:14それは私たちとあなたと
39:18あなたの大事な子を結ぶ絆です
39:22家族みんながこれからも
39:26絆で結ばれたままでありますように
39:29こういった希望にあふれる絵を
39:58生まれたての赤ちゃんに贈ろうというのは
40:02本当に愛情を感じますね
40:05そうですね
40:06実は療養院に入院していましたので
40:10この絵を描いた後
40:12ゴッホは花盛りの季節ってずっと好きで
40:15たくさん果樹園とかも描いているんですけれども
40:18この年はもうこの作品しか描けなかったんですね
40:22自分がね
40:25そのおじさんのことは覚えてなくても
40:29やっぱり祝福されて生まれてきたんだっていうのが
40:34形にして残っているわけですもんね
40:37そうですね
40:38本当にこの満開のアーモンドと
40:41この青い空っていうのが
40:42本当に祝福されて
40:43本当にことほがれている感じがする
40:46喜びにあふれた絵ですよね
40:48そのようが
40:54そのゴッホの絵を
40:56世に広めていく
40:57活用に伝えていくって
40:59並大抵のことじゃないですよね
41:02そうですね
41:02本当に美術界もやはり
41:0619世紀後半から20世紀初とは
41:09まだまだ男性中心の業界でもありましたので
41:13いわゆる安売りをしないで
41:15しっかりと見極めて
41:17戦略的に立ち回っていくっていうのは
41:20なかなかできることではないと思います
41:22それはやはり
41:24ヨウが商品と見ていたというよりは
41:28しっかりとゴッホの芸術を理解して
41:32共感していたっていうのも
41:34非常に大きかったと思います
41:36テオが亡くなった後
41:39ヨウはフィンセントがテオに当てた
41:42膨大な手紙を整理し始めます
41:46日付もないような手紙から
41:48年代を整理して
41:50オランダ語とフランス語と
41:52英語で書かれている手紙を
41:53すべて読んでいって整理して
41:581914年に出版をするんですけれども
42:03それをやはり読んでいくという作業の中で
42:06ゴッホの思想に触れて
42:10深く共感していったと思います
42:13人間としてもこの義理の兄だったゴッホのことを
42:19もっと深く知って尊敬するようになったんですね
42:2510年以上かけて手紙を読んでいく中で
42:30ゴッホのそういう自分のためだけではなくて
42:33やはり誰かのためにとか
42:36人の慰めになる絵を描きたいというような考え方ですとか
42:41要も若い頃の日記に何かこう
42:46崇高なことというか尊いことをしたいとか
42:49社会の役に立ちたいというようなことを
42:51書いている方でもあって
42:53何かこう繋がる部分もあったんだと思います
42:57だからこそちゃんと世に出して
43:00人の目に触れるように
43:03本当に生涯をかけて動いた方だなと思います
43:09今までゴッホの悲劇的な一面ばかり聞いていたので
43:18こんなに家族に愛されて
43:21絵を大事にされて
43:23そしてその人間性も深く理解されて
43:29守られていたんだなというのを知って
43:32なんだかこう本当に知り合いのような
43:36ああゴッホ良かったなというような
43:40安堵を感じています
43:43もちろんゴッホの作品の強さというのが
43:46大きい原動力ではあるんですけれども
43:49やはりそれを理解して共感して
43:52次の世代に残そうという風に
43:55動いてくれた方々が家族がいないと
43:58私たちが今ゴッホの作品を見ることも
44:01できませんでしたので
44:02本当に何か家族が繋いで
44:05夢も本当に作品そのものも
44:08繋いでくださったんだなというのを
44:10改めて感じますね
44:12今日はどうもありがとうございました
44:15ありがとうございました
44:17ありがとうございました
44:18ありがとうございました
44:20ご視聴ありがとうございました
44:23ご視聴ありがとうございました
44:53ご視聴ありがとうございました
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