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ライフスタイルトランスクリプション
00:00岡本さんとタンゲさんは大変個人的にも親しい間からと聞いてるんですけども
00:08タンゲさんとのお付き合いはいつ頃からのことですか
00:11僕戦後初めてパリに行って帰ってきた
00:17その直後からじゃないかと思う
00:19前衛芸術家でアート界の記載と呼ばれた岡本太郎さん
00:26世界を舞台に活躍した建築家タンゲ健三さん
00:45二人はそれぞれの世界で常に時代の最先端を走り続けました
01:00いろんな方面の人が一緒になって考えてるっていうことが必要だと思いますね
01:05芸術は爆発発発発発発発発発発発発発発発発
01:18芸術は装造です
01:24新しいということは芸術における史上命令であり絶対条件です
01:30岡本さんはこう語ります
01:38人の心に訴えるものを作りたい
01:41丹下さんは言いました
01:43大阪万博の中心にそびえ立つ太陽の塔
01:53その周りを取り囲む巨大な屋根
01:56二人で作り上げた万博の象徴です
02:04彼らが生み出した驚きと感動
02:07その原点を見つめます
02:10おはようございます
02:23ここが東京青山の岡本太郎さんの家でございます
02:29こう伸び上がっています
02:31本当と言いますと岡本さんの作品の一端が塀の上から覗いております
02:37昭和60年に鈴木賢治アナウンサーが
02:41東京青山にある岡本太郎さんの自宅を訪ねました
02:46岡本太郎さんの性格そのものを反映しているようでございます
02:49岡本太郎さんというのは
02:51多分肩書きは画家なんだろうと思いますが
02:54しかしながら科学学万博の大きなモニュメントを作りになる
02:59それから建築の壁画をやりになる
03:02それから日常を使います椅子などのデザインもなさる
03:07とにかく自分の可能性をあくまでも追求しようという
03:11エネルギーに満ちあふれた方でございます
03:15もう完全に一つずつ違うんですね
03:42これはどういう風に作ってあるんですか
03:53この中は全部空洞なわけですね
03:56それでとにかくそのあるお寺さんからね
04:05戦争中ずいぶん引き取られましたね
04:08だからぜひ作ってくれって言われたんですよ
04:12先生らしいやつを作ってくれってよ
04:15僕らしいったってと思ってね
04:17この釣り金ってやつは音がバーッと
04:20世界に響くわけですね宇宙に向かってね
04:24じゃあそういう形でやってやってきて
04:26やがて電話がかかってきてね
04:29とっても良くなります
04:31いつもこの椅子にお座りですか
04:39えーまあ
04:41この椅子に様々ありますからね
04:43いろんな椅子に座ってますけど
04:46しかしあれですね
04:47いい色ですね形といい
04:49これはもうダダッコって言うんでね
04:51ダダッコって言うんですか
04:51目玉が二つあって
04:53目玉が二つあってでしょ
04:56目玉が二つあってでしょ
04:56目玉が二つあって鼻ですよ
04:58口
04:59手をこう剥がしてるんですよ
05:02それで二人でこう座れるでしょ
05:07私のこの座って人も何とかって名前がある
05:11座ることを拒否する椅子っていう
05:13座ることを拒否する椅子っていう
05:16座るのは座ってみろって
05:18とても座れないところだね
05:20見たって
05:20これいつもですか
05:21目ですかね
05:22目です
05:23なんでここにこう目がなきゃいけない
05:26顔になってるんで
05:27それなら座ってみろって
05:29目つきしてるでしょ
05:30目があったんですよ
05:31だけどちょっと座ったら
05:32気持ちはいいから
05:33いやだけど下がる
05:35下がるの見られてるような
05:37いやいいですよ
05:38下がるの見られてるような感じ
05:40いいじゃないですか
05:41その方が楽しい
05:45今ずっと喋ってらっしゃるでしょ
05:49馬場だけを一回しかなさらないですね
05:52そうですか
05:52そうですか
05:53何何何
05:54おかもとさんは1911年
06:21明治44年東京青山で生まれました
06:25父は漫画家の岡本一平
06:31小説家で家人の母岡本かの子は自由奔放な性格だったといいます
06:37岡本さんは母かの子の性格に大きな影響を受けます
06:46私は子供の時から
06:54私とは母親を持ったという思いではないぐらいなんですよ
06:59それはどういうことなんですか
07:00全然私を買いがあったことはあるだろうと思うんだけど
07:05全然面倒見なかった
07:06朝早く僕の父は会社に
07:12朝日新聞だったけど
07:14あと母親と二人でいたんだけど
07:17庭の方に向かって
07:20色紙とか
07:23誕生金を書いて
07:26黒い髪の毛をずっと後ろに垂らして
07:30僕はへこびで柱やタンスに縛り付けられたもの
07:36僕はいくらわーっと喚いても知らん顔して
07:39全然振り返ってもくれない
07:44全然面倒見てくれなかった
07:44それで私は小学校入ってから
07:474つ学校
07:48小学校1年4つ学校変えたんですよ
07:50その時は学校の先生というのは
07:52神様の次に偉い存在だということにされていた
07:55ところが癒やしいこと
07:57態度がパッとしないと
08:00戦うともうダメなんです
08:02それで私は1年生を2年やったから
08:06小学校7年間やったんですよ
08:09その間中ずっと寄宿舎生活
08:11中学に入ってまた寄宿舎入れられるとなったんだけど
08:15あんまり僕は変わった子だったんで
08:17寄宿舎の先生がダメだって言われたんで
08:19家に帰ってた
08:20そしたら僕の母親は僕に余ったられてきちゃったね
08:24今度は妹みたいになっちゃったね
08:26全く変わった母親だった
08:28そんな母親じゃなかった
08:30それが私としてはむしろ逆に僕を引きつけたね
08:36私にとって母は宇宙を支配する大きな英知を持つ先導者であった
08:46岡本さんはこう描き残しています
08:59これは岡本さんが14歳の頃に描いた絵です
09:03そこにはすでに現代芸術に通じるきらめきがありました
09:1218歳
09:22岡本さんはパリに行きます
09:26日本の伝統に嫌悪を感じていたと後に語っています
09:30しかし数年間絵は思うように描けず悩みました
09:36ある日ラポエシー街の画廊で出会った一枚の絵
09:43ピカソの水差しと果物鉢です
09:46この絵がその後の人生を変えました
09:50僕はピカソの展覧会場から出て
09:56バスに乗って自分のアトリアの方まで帰っていったんだけど
10:00バスの中でパリのバスは後ろが空いているところだけど
10:07そこで涙が
10:09僕は人生涙を流すとは2回か3回しかないんですよ
10:13そんな話となかなか言いますけど
10:14それで幸運して
10:19涙出るのね
10:21感動した以上はあれを乗り越える
10:25あれとは全く違った
10:27そして乗り越える仕事をしてやる
10:29とそこが決意したんです
10:30それで僕は抽象にずっと入ったんです
10:32やがて天気が訪れます
10:36第1回国際シュールリアリストパリ展に出展された
10:44痛ましき腕
10:45絵はパリの美術評論家から絶賛されます
10:51この芸術家は東洋の門切り型から解放されているばかりか
10:57西洋の偏見からも解放されている
11:001939年
11:07第二次世界大戦が勃発
11:10翌年ドイツ軍はパリに侵攻し
11:18岡本さんは帰国を余儀なくされます
11:26その後陸軍に配属された岡本さんは
11:29中国へ出兵します
11:31証拠や何かに呼ばれてね
11:40私はまだ本当に下の時にね
11:44僕がパリにいたってこととかその他で呼ばれて
11:48いろんな質問を受けて
11:49日本は勝つか
11:51勝つかっていやー勝ちませんって言ったら
11:55うわーってそれだけでもって大変なことになった
11:57銃殺されることになった
11:59じゃあ負けるかって
12:00負けるって言ったら本当に銃殺される時だったんですよ
12:03今の人たちにはちょっと想像できないことだけどもそうだったんですよ
12:08もっとひどかったのは
12:10ハンカオの近くに行かされたことがあるんだけど
12:15そこでもってね
12:16日本の飛行機が飛んでたらね
12:18アメリカの飛行機とかね
12:20ずーっと近寄ってきて
12:25みんな眺めてたらば
12:28バババッと撃ち合って
12:30日の丸の旗のね
12:32日本の飛行機がね
12:34バーッと撃ち落とされたんだ
12:36そしたらみんな大喜び
12:38えっ
12:39なぜ大喜び
12:42なんであれ今落ちたのは
12:44あれは日本の飛行機だった
12:46本当に日の丸の旗の飛行機が落ちても
12:49それは落ちた以上はアメリカだと思ってるって
12:51そういうところにね
12:52驚いたな
12:54だからそれはその時代だって
12:58今はそういうことないだろうけれども
12:59しかしなんか日本人の心の中には
13:02そういう似たようなものが
13:03残ってやしないかっていう疑いを
13:06例えば日本の芸術界
13:07ね美術界その他様々の界でも
13:11そういうなんか
13:12閉ざされた
13:13ね感覚
13:16閉ざされた意識ってのがあるんじゃないかと
13:18人間の証魂というものは
13:23時代とともに簡単に変わるものではありません
13:27反省したところで
13:30一長一短で消えてなくなってしまうわけではないのです
13:34自己疎外という言葉をご存知でしょう
13:44一日の一番長い時間
13:47単一な仕事に
13:50自分の本質を見失いながら生きている
13:53自己疎外の毒は意外に深く広く
13:58人間を蝕んでいるのです
14:00森の掟
14:11弱肉強食の世界に救う権力とは巨像なのです
14:16あの真ん中に動物がいますね
14:22あれは権力
14:23力と権力の
14:25ね
14:26象徴みたいな風にしてあるけど
14:29目玉こんな感じで
14:30だけど
14:31そこに
14:32チャックがこうずっとついたわけよ
14:35そんなもの
14:36パワッとチャックを開けてみると
14:38中が空っぽだよという意味の
14:41皮肉をその
14:42あの絵には象徴しているわけね
14:481951年
14:51岡本さんに衝撃が走ります
14:55偶然上野の博物館に行った
14:58不思議なものがあった
15:00縄文時代
15:02戦死時代の土器である
15:05驚いた
15:06体中に血が熱く沸き立ち
15:09燃え上がる
15:12まさに
15:13私にとって日本発見であると同時に
15:16自己発見でもあったのだ
15:22縄文土器というのは狩猟最終民族でしょ
15:25だから生身をかけてね
15:28よく相手を狙ってパッとこう
15:32自分のこうね
15:33例えば鳥が飛んでるとか
15:35あるいは動物が走っていると
15:36それに向かってさあこうひくにゃくて
15:38その走っていく方向に向かってパッと
15:42ね
15:44弓矢の矢を揺るんで
15:46だから
15:49動きがあるわけですよね
15:51生活の中でもしょっちゅうそういう
15:53動きの中で生活をしている
15:55本当に全身をかけ
15:57自然に挑み
15:59自然と戦い
16:01そして自然と溶け合い
16:03そして自然を逆に生かすという
16:05ああいう一体になる
16:06自然と人間が一体になるところに
16:08本当の神聖観となって
16:10自然即人間
16:12人間即自然だという
16:14そしてその風にするためには
16:16もう血を流しても
16:18全身をこう
16:19爆発させても生きていくという
16:23それが
16:24文化であり芸術であり
16:27生き方であると
16:28そう思いますね
16:29絵だけではなく
16:37彫刻や立体作品への
16:39挑戦が始まりました
16:41縄文式土器との出会いが
16:44岡本さんの創作活動を
16:46広げたのです
16:47芸術
16:53芸術は爆発だ
16:55爆発は戦いですよ
16:57その戦いも
16:58ぶん殴ったり
16:59蹴っ飛ばしたりするのが
17:01戦いじゃなくて
17:02音もしない
17:03何も飛び散らない
17:04だけど
17:05精神が
17:07バーッと
17:09宇宙に向かって爆発し
17:10心が
17:14飛び散る
17:15いわゆるものは
17:16爆発しないんだけど
17:17心が宇宙に向かって
17:19飛び散るというのが
17:21芸術ですね
17:211942年
17:27昭和17年に書かれて
17:29一枚の鳥貫図があります
17:31富士山の山陸に広がる
17:34まるで古代の日本を
17:36思い起こさせるような
17:38絵図面です
17:39戦時中に行われた
17:46大東亜共栄圏に
17:48ふさわしい建築計画を
17:50募集したコンテストで
17:52一刀を取った作品です
17:54そこには建築物だけではなく
18:05周囲の環境も含めた設計に
18:08壮大な試みが読み取れます
18:11図面を描いたのは
18:28東京大学大学院生だった
18:30タンゲ建造さんです
18:32都市計画という考えが
18:36まだ馴染みのない時代に
18:38タンゲさんは将来を見据えていました
18:40機能的という言葉が
18:48非常に支配的でしてね
18:50建築は機能主義な建築じゃなきゃいけないと
18:53大体どういうことかって
18:56ただ箱みたいなものに穴を開けて
18:57これが窓だと言ってたわけですね
19:00そんな面白くないものはやりたくない
19:02というのが最初の考え方でしてね
19:04日本の現代建築なんて
19:08衛生陶器みたいなもんだと
19:09そういうのは建築じゃないと
19:11大先輩たちに叱られたことがあるんですよ
19:16それは真剣に四角い箱に穴を開けた
19:19ビルを真剣になって
19:21推進しておられた先生方が
19:23いっぱいいたわけですから
19:241913年
19:29大正2年
19:30銀行員の父を持つタンゲさんは
19:33大阪で生まれました
19:34利発で成績優秀な子供だったといいます
19:39将来の進路を決定づけたのは
19:45大学受験を前にふと手にした一冊の雑誌でした
19:49コルビジエという本当に近代建築を作ったような方が
19:57その方の作品を雑誌でしか知らないんですけども
20:01拝見してこんなものも現代建築の中にあるのかと思いましてね
20:06それで建築家になりたいと思いましてね
20:102年間浪人しまして
20:12この人はようやく入りまして
20:14戦時中に一頭を取った建築計画
20:23東京と富士山を一本の道で結ぶ壮大な計画です
20:29その中心にあるのが
20:43伊勢神宮を思わせるような建物と神域
20:47そこには
20:51タンゲさんが大切にし続けた
20:54日本の伝統と
20:55装飾を配した近代建築の姿が見て取れます
21:001949年
21:20タンゲさんは日本の歴史に残る設計に携わります
21:30広島市平和記念公園および記念館の設計協議で
21:40一頭に選ばれたのです
21:50記念公園の設計は建築家タンゲ建造の名を
21:54全国に知らしめました
21:56一つは
22:02日本の伝統
22:05現代の建築技術の中に
22:09どうやって活かしていくかという問題であったわけですけれども
22:12もう一つの問題は
22:13その平和公園と会館といいますのは
22:18ちょうど広島市の地理的にも真ん中でございますし
22:21たまたま爆心地でもあったわけですけれども
22:23その場所が都市全体を一つ統一するような
22:28象徴的な中心としての
22:31広島平和会館ということを担当する機会に恵まれまして
22:35建築と都市というふうなものの関わり合いについて
22:40考える機会を与えていただいたわけです
22:42設計の中でタンゲさんがこだわったもの
22:49それは当時撤去しようという動きのあった原爆ドームを残すことでした
22:59原爆ドームと平和公園や平和資料館を一本の線で結ぶ計画
23:14このまっすぐな線の向こうに私たちの未来がある
23:26タンゲさんはそう考えたのです
23:29タンゲさんが手がけた作品は生涯で330を超えます
23:421957年に建設された旧東京都庁舎もその一つです
23:55格子状に組まれた繊細な外観からは
24:02弥生的な匂いが感じられます
24:07一点中はモダンで開放的です
24:10都庁舎は国際建築美術賞を受賞し
24:14国際的に高い評価を受けます
24:17タンゲさんはこの時型破りな設計を試みて
24:27世間を驚かせました
24:29岡本太郎さんにロビーの壁画を依頼したのです
24:40まだ現代美術の作品が公共のスペースに掲げられることがほとんどなかった時代
24:55タンゲさんは避難を覚悟であえて押し通しました
25:00僕の感じでは例えば東京都庁がね
25:13一番最初に本当に脚光を見た後は問題になった
25:18社会的問題になったのは東京都庁舎の僕が協力した建物だけど
25:22あの時に僕はつくづく今でもそれを感じるんだけど
25:26今はますますすごく感じるんだけど
25:28あの時にそのあんな都庁舎あんなものは建物じゃないとか
25:33あんなのひどいもんだっていうことをね
25:36文化人とりわけ文化人ほとんどがそういう発言をして
25:40週刊誌とかいろんなところで座談会まで開いて
25:44あんなものはめちゃくちゃのもんだと
25:45いうようなことを言ってたわけですよ
25:48でね僕は非常に困るのはね
25:51いわゆる日本の文化人っていうのは何かっていうと
25:54発言する人ですよね
25:56つまりあのジャーナリズムの発言する人
25:59で本当にこうセンスのある人っていうわけじゃなくて
26:04発言する人がね
26:05だからまたその大体そのいわゆるインテリとか文化人っていうのは
26:09どうしてもあの普通考えると
26:12まあヨーロッパあたりで考えれば
26:14センスが誰よりも進んだ人を言うわけだ
26:17ところが日本の文化人とかインテリっていうと
26:20あのいろんなことを知ってたり知識はあるけれども
26:23センスの意味ではむしろこう非常に遅れた人のことを言うんだね
26:27だからまあ大変僕なんか違和感を感じて
26:29しょっちゅうがっかりしちゃってるわけだけど
26:31あの時本当に僕は短縁が気の毒でしょうがなくてね
26:35まあ大いに悪口言われた方がいいんだと
26:37俺の実践でね
26:39大いに本当の仕事をする人は
26:41あの誹謗され悪口言われ
26:43社会と逆にいけないんだってことを言って
26:45まあプッシュしたんだけどね
26:47太郎さんの壁画も相当問題ながら
26:51でもちろん俺の考えはしょうがないから
26:53もう褒められることはないんで
26:55僕の感じだけどあの建物は
26:57まあ造形的にはさっきから出てる
26:59やや弥生的な
27:01やっぱり太郎さんの持ってるなんか
27:03縄文的なものをあの中に持っていくべきだという感じがしてね
27:07まあ太郎さんにこう協力をお願いして
27:09本当に良かったと思うんです
27:11でも今でもあそこの壁画というか
27:13唐画は太郎さんの中でも相当の傑作のうちに入るんじゃないかというふうに
27:17揺ら込んでいるんだけども
27:19それがしかし相当問題を起こしてね
27:21うんその時だってやっぱりひっくるめて
27:23悪口の対象であんなものをぶち壊さなきゃいけない
27:25あのとこって言ってるのもいいたけどね
27:39ご視聴ありがとうございました
28:071970年大阪で日本万国博覧会が開かれました
28:14敷地面積350ヘクタール
28:183カ国77
28:20この大イベントの総合設計を任されたのが
28:24タンゲさんです
28:27下手をいたしますと
28:29おもちゃ箱をひっくり返したようになってしまうのが
28:31今までの万博の世界的な経験であるわけであります
28:36やはりそれに対しても何がしかの構造を
28:41与えてあげなければいけないと考えたわけでありまして
28:44私はそれを木に例えまして
28:48幹とか枝をきちっと与えておけば
28:53そこにいろんな形の花が咲いても
28:56一応全体としては何か調和が保てるのではないかと
29:01いうふうに考えました
29:05パビリオンをUFO堂で結ぶアイデアは
29:08当時とても斬新でした
29:11さらにタンゲさんはシンブルゾーンを
29:18会場の中心に計画しました
29:23幅108メートル、長さ290メートル、高さ30メートルに及ぶ巨大な屋根
29:35この下にテーマ館や美術館をはじめ
29:39さまざまなイベント会場を配置しようというのです
29:43しかしその中に屋根をくり抜くという考えはありませんでした
29:49計画が進む中、テーマ館の総合プロデューサーに
29:55岡本太郎さんが内定します
29:57万博のテーマプロデューサーになってくると頼まれたんですけど
30:10進歩と調和というのは
30:14納得できないので断ったんだけど
30:17毎晩毎日毎晩のように現れてきて
30:22責任者がどうぞどうぞと言われるので
30:25まあ丹下剣道との関係もあったし
30:28じゃあ最後にじゃあしてみろと
30:34ただし普通の人間の考え方と違ったことがあるからと
30:37こいつをボカンと打ち破りたい衝動がムラムラ沸き起こる
30:44岡本さんの発想は丹下さんの想像をはるかに超えていました
30:49屋根を突き抜ける高さ70メートルにも及ぶ太陽の塔の製作が始まりました
31:04誤解
31:09大いに結構じゃないか
31:13一体理解したといっても自分の持っているカードと相手のカードがあって納得しただけじゃないか
31:21なかなか理解できないところから俺は一体何だろうと考え込む
31:27それが人間の血となり肉となる
31:32それに日本人は外国人にワンダフルと言われそうなものばかり作りたがる
31:39僕はそれをぶち壊そうとしているのだ
31:44岡本さんの発想と情熱は丹下さんの設計を変えました
31:51ここが非常に面白くですね
31:53炭細胞の世界を展開している
31:55炭細胞までになるとですね
31:57何も人間でなかったらいいんですよ
31:59今あなたは人間の腹とおっしゃったけれども
32:02これはこの中でも炭細胞で炭細胞に生きている
32:05してみるともう人間動物というその人間本人的な考えを
32:09ここで一度解消して
32:10つまり我々の不幸というのは全て人類の癒しさとか不幸というのは
32:15人間と意識があるから人間が不幸であり
32:18貴様が癒しくなっているので
32:19これを持って一度炭細胞に自分を還元したような気持ちになると
32:23初めて生きがいを感じるのがこの炭細胞の世界だろう
32:27建築というのは非常に計算特でできているし
32:30もうこの機械で生産されたような感じで
32:33それに対してそれとは全く反対なね
32:35そんなもんじゃないような今でもモダンアートでは非常に
32:40機械で生産されたような機械的な要素もあるけれども
32:44僕はそうじゃなくて今から何千年前の人間を作ったんじゃないか
32:47描いたんじゃないかというような絵を描いている
32:50で全くその建築のあれとね
32:54全く反対なものをぶつけるわけです
32:58その建築と絵の作品がね
33:01私の作品がぶつかり合うわけ
33:03そうすると逆に両方が生きていくっていう感じね
33:06こう慣れ合うっていう
33:08日本人の常識だけど慣れ合うっていうのはね
33:11それじゃなくて本当にぶつかり合うことが
33:14本当の意味の調和だと思う
33:171970年3月大阪万博は開幕しました
33:25そして建築の世界からも芸術の世界からも
33:30国際的に高い評価を得るのです
33:32万博が終わるとたんげさんの元に20を超える国から
33:45仕事の依頼が押し寄せました
33:50世界のたんげ
33:54たんげさんが設計した新しい都市が
34:00世界中に生まれていったのです
34:0670歳を超えてもたんげさんの制作意欲は衰えません
34:151986年たんげさんは東京都新庁舎の設計を激しい競争の上勝ち取るのです
34:24たんげさんは設計計画を練るために
34:35100人のスタッフと不眠不休の毎日を続けたといいます
34:43この時の合言葉が他の競争相手にぶっちぎりで勝とうでした
34:521990年東京都新庁舎が完成しました
34:58高さ243メートルのヨーロッパの寺院を思わせる荘厳な建物です
35:07その外壁には大小の窓を利用した細かな格子状の模様が付けられています
35:14日本の文化、塩地やふすまをイメージしたものです
35:21商工費1250億円
35:25税金の無駄遣い、過備に過ぎる
35:29建設当時、東京都新庁舎には批判が相次ぎました
35:34しかしここでもたんげさんは自分の考えを貫き通したのです
35:40岡本さんは旅をする時、いつもカメラを持ち歩きました
35:55過去に偉大な文化を持ちながら、かえってそれにスポイルされて、全く想像力を失い
36:04ただ、遺跡の番人、ツーリストのガイドになり下がっている民族があります
36:11うっかりすると、よそ事じゃない
36:16伝統は自分にかかっている
36:19俺によって生かし得るんだと言い放ち、新しい価値を現在に作り上げる
36:26伝統はそういうものによってのみ、たくましく継承されるのです
36:33ノートはこういう風になっているのよ
36:40ほら、岩手とか大阪とかね、みんなこういう風になっていてね
36:47ほら、こういう風にしてね
36:49普通はみんなこういうノートを持って行くんですけどね
36:52沖縄に行く時はね、今度は本当のほの休めでね
36:56遊びだぞって言うから、ノート持って行かなかったの
37:00で、いろいろ喋りだしたでしょ、だからしょうがないから
37:03これみんなあれですよ、ホテルの便箋ですよ
37:08最初はね、いろいろ見せて、案内されて見てたんですけどね
37:14久高島に行ってね、ノロに会った時にもうね、もう惚れちゃったのね
37:20ノロの写真いいでしょ、あのおばあさんね
37:242005年、メキシコから一枚の絵が神戸に到着しました
37:34戦争と原爆に対する怒り
37:41そして悲劇を乗り越えた人間の姿が描かれた明日の神話
37:47岡本さんが日本を世界にアピールしようと描いたと言われています
37:59時間と空間を超えること、そういうことが、つまり本当の芸術表現であると言う人間の生き方である
38:13人間の生き方は即芸術
38:16芸術はきれいであったらいけない、うまくあったらいけない、心地よくあったらいけないというのを芸術の三原則にしちゃっている
38:25きれいというのと美しいというのは正反対なんですよ
38:29きれいというのはその時代に合わせたものね
38:31美しいというのは何だこれはと思うようなものが美しいのでね
38:39僕はいずれ話をするけれども、縄文なんてのは何だこれはという感じで
38:44だから僕は感動したわけです
38:47それから例えばピカソといえば目がこっちにあってこっちにあって
38:52お尻がこんな風に飛び出してね
38:55心地いいものじゃない、きれいなものじゃないと
38:59でもそれが美しい
39:01まあ、人間を飛び出してね
39:03ちょっと飛び出してもらいたい
39:13あなたに飛び出してね
39:16磋かに飛び出してね
39:20だろと
39:22大きな飛び出してね