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  • 2025/5/13
トランスクリプション
00:00第1話 ゲイトは爆発だ!
00:20ゲイトは爆発だ!
00:50人間だ!
00:52戦後の画壇に前衛芸術の騎士として一人反旗をひるがえし、同系者と酷評され、およそらしくない芸術家を貫いた岡本太郎にとって、創作とは何だったのか。
01:10比較されることも多い画家横尾忠則はこう称す。
01:16生命のエネルギーの放出というのか、発散というのか、それ自体を作品化していこうとしている、生きるということと同じことだと思うんですよね。
01:34きれいであってはならない。
01:38うまくあってはならない。
01:40そして、心地よくあってはならない。
01:44これは芸術の大原則だという。
01:47そんな岡本の代表作、太陽の塔。
01:50自他共に認める美術界の反逆時、太郎があえて戦後日本の経済繁栄の晴れ舞台、大阪万博の巨大シンボルを作ったのはなぜか。
02:05実はそこには岡本太郎の不敵ともいえるもくろみが隠されていた。
02:12一体何だったのか。
02:14そんな岡本太郎が最後に挑んだ戦い、難病のパーキンソン病であった。
02:24しかしこの時さえ、あの睨むような眼差しだけは変わらなかった。
02:35岡本太郎が目の奥から放っていたものは何だったのか。
02:39そして破天荒な84年の生命。
02:43私は初めてあの万博の太陽の塔を見た時、なんだこら。
02:50そんな感じがいたしました。
02:52そう思われた方は多かったんじゃないかと思いますが。
02:55太陽の塔、友子ちゃん覚えてますか?
02:58私、生まれてない。
03:00ないか、万博は。
03:02生まれた都市かしら。
03:03でも見に行きました。
03:04見にた?
03:05どんな感じしました?
03:06なんだこりゃでした。
03:08でも、何なんでしょうね。
03:11何なんでしょうね。
03:12別職は太陽とは見た?
03:15なんだこりゃですね。
03:17やっぱりすごい存在感っていうか。
03:20それを感じた?
03:21ちょっと後ろにありますよね。
03:23え?
03:24レプリカがね。
03:26やっぱあの当時は驚いた。
03:28気づかなかった。
03:29熊さんは何かどういう人ありますか?
03:31俺、本物見たことないんだよ。
03:33太陽のなんとかって。
03:35まあ、あれば。
03:37これ、そうですよ。
03:39レプリカでしょ?
03:40うん。
03:41今日十分見て帰ろうと思う。
03:43ははは。
03:45池田さんにも来ていただきました。
03:47まあ、今日は色々作品持ってきてますが。
03:49池田さん、この方の作品は全部なかなか理解できないっていうか。
03:52そういうけどね、非常に簡単なんですけどね。
03:55はぁ。
03:57好きになれば、全部いいんですよ。
03:59好きになっちゃうのね。
04:00好きになればね。
04:01あの、岡本太郎って変化してるようですけどね。
04:03はい。
04:04一貫してるんですよね。
04:05へぇ。
04:06ほとんど変化してないと言っていいんだよ。
04:07あ、そうですね。
04:08へぇ。
04:09まあ、そう。
04:10今日持ってきていただいて、その日の中にはね。
04:12あの、椅子なんかがあるんです。
04:14手前の方に4つぐらいあるのが、これが何ですか?
04:16座ることを拒否する椅子。
04:18座ることを拒否する椅子。
04:20違いますよね。
04:21確かに。
04:22座れないですね。
04:23座れないですね。
04:24あの、黒いの方、痛そうですよね。
04:26うん。
04:27結構、アリスネーキがいいんじゃないか。
04:30ははは。
04:31そこに入るかもしれない。
04:33前にもいろんなものがありますが。
04:35懐かしいのもありません。
04:37グラスのそこに、こわっといて。
04:40いいじゃないか。
04:41と言ったときは、そうかなと思いましたけど。
04:43そういうものとか。
04:44バッファーローズもそうなんだね。
04:46そのデザインも、太郎さんも。
04:48ね。
04:49池部さんが、ご親戚だとは知りませんね。
04:53ああ、私のね、母が、そのおふくろが、太郎さんと親父の一平の末の妹なんです。
05:04へえ。
05:05ですから、従って、いとこですよね。
05:07片っ端は爆発ですしね。
05:09池部さんはもうちょう2枚目だしね。
05:11なんか、全然違うように思うんですよね。
05:12そうね。
05:13まあ、僕は、あれと一緒にされたんじゃ、商売ならないしね。
05:18ははは。
05:19でも、大変心の優しい人ですからね。
05:21ああ、そうですか。
05:22うーん。
05:23さあ、でも、なかなか、本当に普通ではよくわからないと、こういう意見の多い子の岡本太郎さんでございますが、やはり、この方にも父母がありました。
05:33この父母、あればこそだったというような気がします。
05:36好かれない絵を描き続けた。
05:39瞬間に生き、瞬間に死ぬんだ。
05:47幸福は癒やしいことなんだよ。
05:50常に過激な言葉を吐き、自らを天才と呼んではばからなかった岡本太郎。
05:57彼の両親もまた天才と呼ばれた。
06:00大正から昭和へ。
06:04一世を風靡した風刺漫画家、岡本一平を父に、そして、情熱の女流作家と言われた母、岡本かの子。
06:14太郎にとって、両親とはどんな存在だったのか。
06:21両親の死後、実の父親を名乗り出る人物が現れ、スキャンダラスな話題となった時、太郎は言もなげにこう言った。
06:31僕が特定の人の子である必要はない。
06:35ただ、僕にとっては、人生で現実に、一平かの子と厳しく付き合い、尊敬し合って生きたという、その事実だけが絶対なんだ。
06:51まるで身を焦がすような岡本太郎の生涯に秘められていた、親と子の壮絶な物語とは。
07:01この番組は、信頼の生活用品、タイガーマホービン、ライオン、ニプロ、ノエビやアサヒビールと、ご覧のスポンサーの提供でお送りします。
07:18では、岡本太郎さんの人生をまとめておきましょう。
07:22明治44年、風刺漫画家の父一平と、作家の母、彼の子の長男として誕生しています。
07:2818歳の時に、東京美術学校、現在の東京芸術大学に入学し、その半年後、パリに留学。
07:36留学中、母、彼の子が亡くなりまして、パリから帰国後、31歳で、現役兵として招集されています。
07:4437歳の時には、父一平も亡くなり、昭和45年、59歳の時に、太陽の塔が完成しています。
07:51その後も作品を作り続け、昨年の1月7日、84歳で、お亡くなりになっています。
07:58先ほどもちょっと申し上げましたけど、やっぱり岡本太郎さんを知るには、お父さんお母さんという、またこれがユニークといいますか、非常に普通ではないと言ってもいいかもしれませんが、じゃあそのあたりをご紹介してもらいたいと思います。
08:13岡本太郎の目の奥に、生涯焼き付いていた原風景。
08:20それは、幼い日、父と母が火花を散らし合う一種異様な光景。
08:27私たち3人の結び付きは、母を中心としていたし、母によって支えられていた。
08:37そして、私たち一家に、得意な運命を担わせたのに、母の非常な性格である。
08:44ゆきつばであり、ゆき母であろうとした母は、だがその願いをいつも遮られた。
08:53矛盾は、母自身の魂の中にあった。
09:00明治も終わりに近い、44年2月。
09:04岡本太郎は、この若い両親を運命として生まれ落ちた。
09:09画家の志を捨て、漫画家を目指していた24歳の父、岡本一平。
09:17そして、家人として出発したばかりの21歳の母、かの子。
09:23地主の娘として、御馬日傘で育ったかの子は、
09:28いわば世間知らずの同住そのままであり、家事や子育てにはおよそ無縁。
09:33夫の留守中、文学に情熱を燃やす母は、一日中机に向かい、我が子を振り返ることはなかった。
09:45母の背に飛びつき、相手になってもらおうとする幼い太郎。
09:49だが、母はうるさがって、へこ帯を私の胴に巻きつけ、その端を柱とかタンスの缶に結びつけてしまう。
10:02犬っころのように。
10:03帯を解かれるや、裸足のまま外へ飛び出してゆく太郎は、やがて泥だらけで帰ってくる。
10:13太郎自身、無事に育ったのが不思議だという、野放し状態であった。
10:19そんな彼の子は、皮肉屋で洒落者だった夫一平にとっても飛んだ爆弾であった。
10:27家事は愚か、太郎を出産後、若い学生と恋に落ちたことを夫に告白する妻。
10:34その底抜けの無邪気に、愕然としながらも、妻の余りの様子に、一平がなんと、学生の愛人に同居を許したのが太郎3歳の時。
10:49だが、家は愛憎を渦巻く修羅場と化した。
10:53一平と彼の子は、些細なことでも激しくぶつかり合い、彼の子が命を断とうとしたことも、再三ではなかった。
11:08そんな母親は、一途が反面、傷つきやすかった。
11:14女として非常識だという、世間の霊性と軽蔑が、いや往々なく彼の子に突き刺され、
11:21幾度、子供のようにわーわー泣きながら駆け返ってきたか。
11:26世の無理解にむせび泣き、夫と恋人の狭間でもだえ、心病んだ母は、
11:33涙いっぱいの目を、物心ついたばかりの我が子に隠そうとはしなかった。
11:40やつれ果て、近所から幽霊だと言われる、そんな母親に抱かれて、幼い太郎は育った。
11:47泣き疲れて、呆然と見つめる涙の目に、みじろぎもしない後ろ姿、
11:57腰まで垂れた黒髪と、青白い綿のような横顔が、
12:02私には、熱い血で一体に燃え上がるような共感で迫った。
12:08威厳、神秘、同型、そして、愛おしさ。
12:13姉妹には、大人の男にすがるように、目で訴える母を、太郎の方が慰めではならなかった。
12:26母は太郎にとって母ではなく、一人の傷だらけの人間であった。
12:31やんちゃで激しい気象を見せ始めた太郎は、小学校に上がるや問題児となった。
12:44権威や常識を胸とする教師たちが、子供扱いする言葉に反発した太郎は、登校を拒否。
12:51手を焼いた一平かの子が、寄宿舎のある慶応幼稚舎に入れたのは、1年遅れの太郎7歳の時。
13:03周囲の子供とあまりに異質な自分に、太郎は自殺を思い悩むことさえあったという。
13:11やがて、母かの子が仏教にようやく救いを見出すと、夫一平もかの子を、
13:18観世音菩薩の生まれ変わりと信じるようになり、酒も煙草も立って出直すことを決心。
13:28二人が葛藤を超えて強く結びついたこの時を境に、一平は漫画の革命児として一躍時代の長寿に、
13:37そして孤独を突き抜けたかの子は、作家として花開いていった。
13:42そんな両親は、太郎を一平が果たせなかった美術の道に進ませたいと考え、
13:52絵の手ほどきをさせるようになった。
13:56太郎13歳の時、描いた絵。
13:59だが、そこには、廃山の嘆きと題されている。
14:06私は幼児の頃から絵が得意で、描くことが好きだったのだが、
14:11この絵の技自体が、中学生の頃にはひどい苦痛を伴うようになってきた。
14:18何のために描くのかという疑惑が、私を悩ませ出したのである。
14:23天才と言われた両親から、画家として期待されたことに思い悩みながら、
14:32太郎は高校を出ると、結局、東京美術学校への進学を選んだ。
14:38ところが、そんな昭和4年、
14:41一平かの子は、一平のロンドン取材の機会を利用して、
14:462年余り海外を巡ることを計画。
14:49太郎も、学校を中退して、パリに絵の留学に行くことが決まった。
14:57親子3人が盛大な見送りを受けて出発したのは、この年の暮れ。
15:02太郎、18歳。
15:05行く手には、嵐のような時代が待ち受けていた。
15:08もう、ここまでの段階で、すごいですよね。
15:14もう一発食らっちゃったって感じ。
15:17受けるぐらい。
15:19普通の親子関係以上の何か。
15:22もう全然違うよね。
15:24父とか母とか以上の何かですね。
15:28でもあの13歳のね、廃山の嘆き。
15:3113歳とは思えないですよ。
15:33タイトルを付け方からして。
15:34あの絵はね。
15:35ああ。
15:37でも13歳の頃っていうと、なんかこう、ちょうど思春期で、
15:42あの僕なんかもなんか、初めて子供の頃にどうやって生まれてきたかとか、
15:48なんかそういういろんなことに揺れることはあるじゃないですか。
15:51加茂太郎さんの声は、それがなんか思いっきり、あの絵にぶつけたような。
15:56うん。
15:57なんかすごいそういうエネルギーみたいな感じちゃいます。
15:59もうありますで、すでに。
16:01もうすでになんかそういうの。
16:03さーっと。
16:05ちょっと教えてください。
16:09パリに留学したその後の小本太郎さんです。
16:12芸術の都パリでスタートした太郎の新生活。
16:19当時パリには、日本から留学中の画家が300人余りいた。
16:24しかし太郎が見た同胞たちは、日本人だけ固まって暮らしながら、
16:30パリらしい風景などを描き、それで箔をつけて日本へ帰り、
16:35成功することばかり考えているではないか。
16:39太郎はこう反発する。
16:42私はそのような惰性的雰囲気とは離れて、
16:47まず無条件でこの土地に溶け込み、絶対存在として生きたいと思った。
16:55フランス語を学びながら、高校の寄宿舎に入った太郎は、
16:59一人フランスの若者たちと一緒に教育を受けている。
17:04とはいえ、太郎の表情は暗い。
17:08選ばれた立場に置かれたという責任感は、
17:12かえって未熟な私には追い目となった。
17:16ひどい自己不信と古代妄想的な自負心が絡み合う。
17:21疑惑と勝利に錯乱し、数年間、無有描写のような方向が続いた。
17:29人に会うたびに私は強いて笑顔を作った。
17:32いつも鏡の中にある自分の顔が憂鬱に醜く歪んでいたので、それを見られるのを恐れたのだ。
17:41そんなパリ暮らしの2年目、各国を巡っていた一平かの子が、
17:48日本への木と太郎に別れを告げに訪れた。
17:53駅で両親を見送った時、別れを悲しんでだだっこのように泣く母は、その思いを歌に託す。
18:01写し世に人の母なる我にして、手に触れる子の泣きが悲しき。
18:13ようやくキャンバスに向かい始めた21歳のある日、太郎に運命的な出会いが巡ってきた。
18:23偶然入った画廊で引き付けられた一枚の絵画。
18:27それは今まで見たこともない大胆で不思議な絵だった。
18:34これだ。全身が叫んだ。
18:36グンと一本の棒を飲み込まされたように、絵の前で私は身動きできなかった。
18:46作者の名はパブロ・ピカソ。
18:51感動をアトリエに持ち帰った太郎は、自分の表現を模索しながら一連の作品を描き上げ、
18:58発表した作品は新聞で好意的に取り上げられた。
19:06ところが、絵を描いた途端、太郎はなぜか筆を持つ気にならなくなった。
19:13自分の絵を認めさせようとか、出さんばかり考えてしまい、
19:17肝心の創作意欲が湧いてこない。
19:23太郎が大学へ通って、哲学などの講義を受け、
19:27また、作家や思想家との交友に答えを求めたのもその頃である。
19:32だが、考えれば考えるほど、かえって太郎の迷いは膨れるばかり。
19:40そんなある日、太郎は生き主さを紛らわそうと映画館に入った。
19:47暗い座席でじっと目を伏せる。
19:53自分の奥深いところで燃えているはずの炎。
19:59とその瞬間、脳裏をよぎった稲妻のような思いを、太郎はこう念こう記す。
20:05ある時、パッと目の前が開けた。
20:09そうだ、俺は神聖な炎を大事にして守ろうとしている。
20:14大事にするから弱くなってしまうのだ。
20:18自分自身を突き飛ばせばいいのだ。
20:21炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無、爆発するんだ。
20:25この道を進んだら危険だとか、不利だとかいう場合、迷うことなく逆にその方を選ぶことに決めたのだ。
20:40一方、遥か異国での我が子の成長ぶりを伝え聞いた彼女は、沸き上がる思いをこう手紙に託す。
20:48太郎さんの喜んで貧乏しますという手紙を見て、私は泣き続けているのです。
20:56お前はやっぱりそんな可愛い、しおらしい素朴な子だったのね。
21:01この私の可愛らしい、かわいそうな性質を受けた子だったのね。
21:07私の身を差し殺してしまいたいほど、嬉しい、悲しい自分の子の正体を見たものよね。
21:14太郎に直に会いたくて、もう手紙なんか書くのうんざりだ。直に会いたいんだよ。
21:24そんなパリ滞在10年目の昭和14年、日本から電報が届いた。
21:34彼女は病気、回復の見込み。父一平からだ。太郎は胸騒ぎを覚えた。
21:43その2日後、また電報だ。
21:49彼女、気得、希望を捨てず。
21:54そして、また2日後。
21:58彼女、安らかに眠る、気を落とすな。
22:03彼女、去年49。
22:06太郎は最後の電報をポケットにねじ込むと、泣きながら夜のパリを歩き、さまよった。
22:18父は母の突然の死に自分が動転しないよう、三通に分けて打電してきたのだ。
22:28太郎はこの時、妻に残され、自分以上に悲しいであろう父にこう電報を返している。
22:36母は、我が家に生きつつあれば悲しからず、父は僕に煩わされず仕事に生きよう。
22:48僕たちの心の中に生きているお母さんの命は、我々が生き抜くところまで生きていてくれるのです。
22:57だから、我々は本当な生き方をしなければなりません。
23:01僕のことについては、本当に無駄な心配をしないで、お父さん自身の仕事に専念してください。
23:10死ぬまで戦ってください。
23:13生きるということが、全く血みどろの戦いの続きで、瞬間の滞りもないことがわかります。
23:20それは、激しく燃焼して死んだ母、彼の子から、命がけの戦いを引き継ぐ太郎の決意宣言であった。
23:31折しも、頭上には時代の暗雲が垂れ込めていた。
23:40パリも、すでにその自由さを失い、外国人を排斥する空気がみなぎっている。
23:46太郎の中でも、自分が日本人だったという自覚がいや往々なく膨れ上がる。
23:52よし、自分の命がけの戦い、その舞台は日本だ。
24:02パル扇動直後、太郎はついに11年ぶりの祖国へ帰ることを決意。
24:10昭和15年、時に太郎、29歳。
24:14行く手の祖国には、文字通り、血みどろの戦いが待っていた。
24:19血みどろ、戦い、命がけ、ナレーションの中にもそういう言葉がたくさん出てくるんですけどね。
24:27この辺は分かるかなと思っています。
24:31決して私がイメージしていた芸術は爆発だって言って、
24:36奇想天外のことを発想されるような方とは程遠く、
24:40どこか自分を利しているっていうか、
24:45なんていうんだろう、そのギャップに今ちょっと驚きがありまして。
24:49お母さんに惚れてたんだろうね。
24:51でしょね。
24:52やっぱり。
24:53ガキにとくから。
24:54こんなちっこいとくからね。
24:55ちょっと加藤お母さんが惚れてるね。
24:57あの女性ニア。
25:00いい女だな。
25:02クマさん好みの。
25:04俺の好みだな。
25:07ずっとお母さんに褒められたかったんじゃないのか。
25:11生き方も低めて。
25:12そうですね。
25:13うん。
25:14さあそれではその後を見てみましょう。
25:16帰国した太郎を待っていたのは、太平洋戦争の開戦。
25:24そしてパリ暮らしとは対照的な軍隊生活だった。
25:28昭和17年、30歳過ぎの身で一兵卒として徴兵された太郎が、中国奥地の自動車部隊に配属。
25:39しかし、日本の学校にさえ馴染めなかった太郎が軍隊に馴染めようはずもない。
25:46まして、ヨーロッパ帰りの太郎は、新兵いじめの格好の的になった。
25:52だが、太郎は当時の自分を交渉する。
25:564番目主任。
25:58上官が部下を並べて殴るとき、調子が出てきて一番こっぴどく殴られるのが4人目。
26:04そして、太郎は、あえてこの最悪の位置、4番目を勝って出た。
26:13弱気になって逃げようとしたら、絶対に状況に負けてしまう。
26:18逆に挑むのだ。無目的に。
26:22それこそが、私の生きる筋だった。
26:26地緑に殴られ、立っては殴られ、また立つ。
26:31果たして太郎は、痛みも恐怖も通り越した先に、
26:36快感にも似た奇妙な方針状態を味わったという。
26:42そんな軍隊生活と収容所暮らしを経て、
26:46太郎が痩せをとらえた体で日本へ復印したのは、
26:50昭和21年夏。
26:52東京の実家は焼け野原で跡形もない。
26:59その頃、父一平は彼の子の死後、
27:03再婚して子供もでき、疎開先の岐阜にいた。
27:07そこで、父に再会した太郎は、
27:10無有描写のような父の姿に呆然とした。
27:14彼の子の死後、身の回りにも全く無頓着になっていた父は、
27:19昔、パリで買ったヨレヨレの帽子に武将髭、
27:25シワクチャのシャツに擦り切れたネクタイを締め、
27:29藁造り。
27:31ふんにゃらふんにゃらと鼻歌混じりに歩く変人ぶりは、
27:35土地の名物だという。
27:38妻かの子を観音様と信仰していたほどの父にとって、
27:43失った衝撃はあまりに大きかった。
27:45魂を失った人間の身の軽さ、
27:52私の目には痛々しかった。
27:55母が永眠したあの時、父はすでに一度死んだのだろう。
28:00そして、それが太郎が父を見た最後の姿だった。
28:06再会後、ほどなく岐阜から知らせが届いた。
28:14昭和23年10月、一平が62歳の生涯を閉じたという。
28:19駆けつけた太郎は、一平の枕元で夜通し泣きながら、
28:26父の死に顔をスケッチした。
28:29太郎、37歳のこと。
28:31父の死は、画家として再出発を誓う太郎を、思わぬ修羅場に引きずり込んだ。
28:42残された義理の母と4人の子供たちが上京、その生活を背負う羽目になったのだ。
28:49しかも太郎はろくまけ縁にかかり、絶対安静が続いていた矢先のこと。
28:59ところが、まさしくこの逆境が太郎に火をつけることになった。
29:05昭和23年、安倍公募、原田清輝と前衛芸術運動の夜の会を結成した太郎は、
29:16わずかの絵の具で作品を次々と発表。
29:20強烈な原色と大胆な構図、激しい息遣いが見るものを圧倒した。
29:27それは、くすんだ色を良しとし、作品より地位や名声で評価する日本の画壇への宣戦布告であった。
29:40そこに、あの睨むような目をした太郎がいる。
29:46日本を壊さなければいけないって言うんで、漫画みたいな絵を描いたでしょ。
29:52だから、あんなの絵の描き方を知らないとかね、色ぼんちだとかね、散々言われてましたよ、それはもう。
30:02ああ、いいわね、なんていうもんじゃなくて、むしろ不快なのね、自分を無理に超えさせられる。
30:09なんて言うんでしょうね、理解できないものに引きずられるっていう。
30:13そんな時、太郎は何気なく立ち寄った博物館の片隅で、思いもよらぬものと出会った。
30:20縄文土器である。
30:25なんという力強さ、美しさ。
30:29純粋な生命力の表現だろう。
30:32日本人の原点には、こんなすごいものがあったのか。
30:36太郎は、体中の血が湧き立つのを感じた。
30:41太郎にとって、美しさとは、母が身をもって教えてくれた、命の躍動に他ならなかった。
30:51格式をおもんじる日本の美術は、生きた芸術ではない。
30:58太郎は、それまで無視されてきた縄文土器の美しさを積極的に評価すると、
31:03作品を繊細に、小さくまとめることをたっとく風潮に反旗を翻して、
31:10巨大な作品を次々と発表、内外に一大センセーションを巻き起こした。
31:16そして、昭和43年、57歳の太郎は、こんな名前の古典を開催した。
31:26太郎爆発。
31:29私の言う爆発は、音もない。
31:32物も飛び散らない。
31:34全身全霊が宇宙に向かって、無条件にパーッと開くこと。
31:39それが爆発だ。
31:42人生は本来、瞬間瞬間に無償、無目的に爆発し続けるべきだ。
31:49命の本当の在り方だ。
31:53作品だけでなく、太郎は頭だけで考える現代人の生き方や、
31:59戦前と変わらぬ日本的体質を通列に批判。
32:03目立ちたがり、パフォーマンス。
32:06なんと言われようと人々を激しく挑発した。
32:11しかし、そんな太郎は嘲笑うかのように、
32:15日本は経済成長に没頭、金と物の繁栄を謳歌していた。
32:23そんな時、太郎のアトリエを訪ねてきた者がいた。
32:27大阪万国博覧会のプロデューサーである。
32:301970年に開かれる国家的プロジェクト、大阪万博。
32:37人類の進歩と調和を掲げるその計画は、
32:42実質、経済大国日本を世界に誇示しようというものであった。
32:47海外でも名の知られている太郎に、そのシンボルを作ってくれというのである。
32:5410億円で何を作ってもいいという、太郎は内心困惑した。
32:59大阪万国博覧会のテーマそのものに、最初から俺は反対だと公言していましたからね。
33:06人間は進歩なんかしていないと言うんですよ。
33:09それで困っちゃって、いろんな人に意見を聞いたんですよ。
33:12そしたら、本当に岡本太郎を大事に思っている人ほども猛反対なんですね。
33:19あんなことをやったって、自分の得になることは何一つないし、
33:23ちょっとでもマイナスがあったらば、みんなで袋叩きにするに決まっているんだし。
33:31だが、太郎はあえてこの申し入れを引き受けることにした。
33:40そして迎えた1970年3月。
33:45人々は、海上にそそり立つ巨大創造物に息を呑んだ。
33:50高さ70メートル。
33:54大屋根をぶち抜いた生き物のような塔。
33:58どこか原始的な怪しささへ漂っている顔。
34:04太郎がここに込めた意図をいたずらっぽく告白したのは、
34:106400万人が見上げた万博終了後のこと。
34:14テーマと反対のことをやったわけだ。
34:20人間は進歩なんかしていない。
34:23逆に破滅に向かっていると思う。
34:26僕は人間の原点に戻りたいという気がする。
34:30調和と言ってごまかすよりも、むしろ純粋に戦い合わなきゃというのが僕の主義。
34:38アンチハーモニーこそ本当の調和ですよ。
34:42岡本太郎、時に59歳。
34:48いつしか若者たちからも、変なおじさん、ファイティング太郎などと呼ばれていた。
34:57岡本太郎さん、断念です。
34:59歓励を迎えたことも意に介さず、岡本太郎の戦う姿勢は、作品でも生き方でも変わることはなかった。
35:1250歳近くで始めたスキー。
35:15一度やったら、徹底して熱中した太郎は、骨折を繰り返しながらも、とうとうプロ裸足の腕前まで上達した。
35:25上手、下手、いわゆるかっこいい、悪い、飛び越えた。
35:29要するに斜面があれば、そこに突っ込んでいこうと。
35:32なぜか知らないけど、顎が疲れるってわけですね。スキーを滑ると。
35:37だから歯がグーッと食いしばって、朝から晩まで真っ滑ってると。
35:42その歯を食いしばって、こう、雪山にチャレンジする。
35:48それが太郎さんのスキーだったという中にしますね。
35:52一方で、太陽の塔以来すっかり有名人になってしまった太郎だが、その言動をいかに同型者と霊障されようと誤解されようと、逆に進んで同型を演じるように、テレビやコマーシャルに登場。
36:15何だこれは。
36:17権威や常識、口当たりのいいものばかり好まれ、他人の目を気にして小さくなっていく現代人を憂いながら、太郎は自分の信念を子供のように体中で表現していった。
36:34本音でぶつかってこそ、初めて一体となれるんだ。
36:40芸術は爆発だなんて盛んにみんなに言われるけど、でもそれはご自分の生き方であり、哲学であり、何もそのコマーシャルのために言った言葉じゃないんですよね。
36:53実際に考えるっていうのか何かが出てくるときは、本当に閃くみたいですよ。パーッと閃くの。
37:02一度作ったものを決して振り返らない信念の太郎であったが、実はひときわ思い入れの深い作品があった。
37:12父、一平の七回忌に母妃として捧げた顔。
37:19ユーモラスな顔の頭上に線香を手向けた太郎は、こうぽつりとつぶやいた。
37:26これが親父公の塩サメだ。
37:31そして母、彼の子の故郷、玉川べりに作り上げた記念碑。
37:36ホコリ、空に向かって羽ばたくような白い姿を見上げて太郎はつぶやく。
37:44純粋な命、それを聡味に花開かせた人間をたたえるのである。
37:51生前、世の誤解が彼女を一生苦しめ続けた。
37:56しかしまた、それゆえにこそ、彼女は誇らしく息貫いたのだ。
38:03太郎はそこにこう刻んだ。
38:07この誇りを亡き一平と共に彼の子に捧ぐ太郎。
38:14自分自身が一平彼の子最大の作品という太郎が、
38:20結婚することはなかったが、太郎は長年尽くしてくれた秘書の敏子さんを幼女として迎えている。
38:29そんな平成4年、自分の作品は商品ではないと所蔵してきた評価額500億円とも言われた352点の作品を、
38:42母の出身地、川崎の新しい美術館にポンと寄贈した太郎はこうつぶやく。
38:51僕の作品には太陽をモチーフにしたものが多いが、太陽というのは光もエネルギーも無限に与えているのに見返りをよこせなんて決して言わない。
39:06芸術も与えるだけ。
39:13太郎は手足の異常に気づいたのは程ない頃。
39:18筋肉の運動障害を引き起こす難病、パーキンソン病であった。
39:25歩けない。言葉が出ない。転倒しては体中傷だらけとなった。
39:34ところが…
39:37ご当人は何か障害があればそれにぶつかっていくっていう哲学ですからね。
39:43だから病気だからそれで引っ込んじゃうっていう方ではないから。
39:49それで歩くのも前のめりになっちゃうから転びそうで怖くて目を離せないんですけどね。
39:55それで絵なんかをね、立ってね、シャーっと上に描くでしょ。
40:01それは転ばないの。気力って言うんでしょうかね。
40:04精神がそういう線を引きたいと思えばついてくるのかしら。
40:11体重が35キロまで痩せを衰えながらも、太郎から捜索の気力が失せることはなかった。
40:21体の不自由を押しながら、時に3ヶ月も半年も現場に出かけては捜索にのめり込み周囲を驚かせた。
40:33しかし、太郎が捜索の手を休める時が不意にやってきた。
40:45平成8年1月、太郎は84歳の生涯を眠るように閉じ、父母の懐へと旅立った。
40:55呼吸不全であったが、医師は命を燃焼し尽くした果ての自然史だったと語った。
41:05太郎が眠る母妃。そこには頬杖をついて笑いかける顔の作品が、両親の母と向き合うように置かれている。
41:15まるで一平かの子の懐で、二人に笑いかける無邪気な子供のように。
41:25さあ、別職、何か。
41:29周りにいた人は大変だったんじゃないかなと思うんですけど、岡本さんを支える周りの人っていうのは、すごく大変だったんじゃないかと思うんですけど、
41:39ああいう生き方ができる人って、男の僕から見ると羨ましいし、魅力的ですよね。
41:47だけど、エネルギーは大変だよね。常にエネルギーを燃やし続けてなきゃいけないからね。
41:53俺はカタカナでゲイスかって言ってるんだよね。
41:56ゲイスってのは、ほとんど俺、金になんないんだよさ。岡本さんとは違うんだけどね。
42:02岡本さんなんかあんまりそう思ってないみたいですね。
42:05俺はね、思うんだけどもならないんだ。
42:09でもゲイスは、俺の場合はカタカナでかけながらね。
42:13自分が、俺がね、生きる様式、スタイルのことだから、ゲイスってのはね。
42:18だから、まあ職業じゃねーんだよ。この場合はね。
42:21岡本さんみたいにね、こんなこう麺みたいなのかしないけどね。
42:24俺は本当に、あの人は炎とか対応を相手にしてるけど、俺は本当に火もして鉄とかして、ガラス吹かしてるから。
42:32あんな目を見てたら、目が熱くてしょうかね。
42:34やっぱりこう、目を細めながらカッと言うこともね。
42:36もう目をつぶっても、こういけるよって言ってるんだけどね。
42:40面白い人って。
42:42面白いですね。
42:43さあ、とんごちゃんも何か答えが出ましたか。
42:46うーん、その様式っていうお話で、あーって。
42:51絵だったり彫刻だったりっていうのが、たまたま自分のスタイルだったっていうか、自分としての生き方っていうか、生きる様式だったっていう感じをすごく今、あー様式って思ったんですけど。
43:05思ったんですけど。
43:07彼はね、あのいろんなことを喋ったんだけど、本当に一貫して同じことを言ってますね。
43:13それは何ですか。
43:14もう20代、まあ20代はちょっとわかんないけど、30くらいから、死ぬまでね、80何歳まで、一貫して同じことを言ってるんです。
43:23それは何ですか。
43:24それはですね、やっぱしあの、生きるってことですね。
43:28うん。
43:29生きるさんはどの感じですか。
43:30そうね、今あの生きるって言葉があったけどもね。
43:33太郎さんはやっぱり自分で生きるってことについてのね、信念が、っていうか、コンセプトっていうか、まあそういうものがね、きちんとできてたんだよね。
43:43芸術っていうか、そういうこの一つの形のものに対してね、戦闘を挑んでるんだよね。
43:50だから戦ってるということのほうが、なるほどね。
43:54岡本太郎を生きたんだよな。
43:57岡本太郎って生き物を生きたんだよな。
44:01生きたみたいなね。
44:02そうそう、そんな感じなんですよね。
44:03俺は俺を生きる。生きなくちゃいけないんだよね。
44:07そうですね。
44:08では、もう一度岡本太郎さんの声を聞いていただいてお別れしたいと思います。
44:14過去のこととか未来のことは当たりに聞く必要がいるけれども、私は過去を無視して、未来も無視してるわけですよ。
44:22現在、この瞬間瞬間に爆発して生きるんだから。
44:26まるで全身をぶつけるようにそのエネルギーを作品に、人生、ありったけ刻みつけていった岡本太郎。
44:40彼が生涯誇りとした両親、一平かの子から手渡されたエネルギーの源とは何だったのでしょう。
44:50私はあれほど純粋に、命いっぱいに生き切った人間を他に知らない。
44:57すっぱなかで、無条件に生きる命の本当のあり方も、捨てれば捨てるほど、命は分厚く膨らんでくる。
45:08太郎。
45:38私の為
45:43飾らずに
45:49愛せたら
45:56心にも
46:01むすか
46:04果たして彼は天使か
46:07哲学者か
46:09それとも謎のコメディアンか
46:12次週の知ってるつもりは
46:14タコハチロー 伝説の生涯
46:16タコです
46:18番組に対するご意見をお寄せください
46:22抽選で30名の皆様に
46:25オリジナルテレフォンカードと
46:27番組で参考にした単行本をセットでプレゼントいたします
46:31ふるってご応募ください
46:34この番組は信頼の生活用品
46:38タイガー魔法瓶
46:39ニプロ ライオン

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