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  • 8 か月前
トランスクリプション
00:00大久保利光という人は偉い人です。日本の政治家の中で、明治後の人で最大の人は大久保利光です。
00:15これは文句のないところだろうと思います。
00:18明治維新を起こした人々は無数にいました。しかし最後に政府を作る、そしてその政府を主催した人は大久保利光でした。
00:35そして明治維新の軍事面、つまり革命戦の軍事面の大きな存在だったのが西郷隆盛でした。
00:45この2人はやはり明治維新の中で最も高い頂点に立つ人だろうと。
00:55大久保さんの家はお父さんが政治犯として政治的な事件にかかって、ほとんど親区寮というものは降りてこなかったために、ご飯が食べられない状態になった。
01:15西郷さんの家はお父さんも働いていて、お侍は軽く家のロックというのは僅かであります。
01:24お役目につかないと食べていけないわけです。
01:27お父さんも軽いお役目についてお役料が入る。
01:32西郷さんもその頃お役につくのは一番手っ取り早いお役につき方はその番を習うことです。
01:43サムライはその番を習うことは喜びませんから、西郷さんの家は貧しいですから、
01:50西郷さんをその番を習って、交流奉行のその番の方の仕事をしておった。
01:58西郷さんとしてはそれがうまかったそうです。
02:03だから親子2人で薬料が入るものですから、西郷さんとはご飯を食べやすい。
02:12ですからいつも昼飯か晩飯の時に、いつもこの大久保丼がちょっと年下なんですけども、
02:19やってきて黙って飯を引き寄せて、飯を食べたそうです。
02:23ですから西郷さんと大久保、これは年は西郷さんの上なんですけども、これはもう大変な中であります。
02:30そして幕末の革命期に入りますと、大久保さんは京都にあって、
02:39非常に政治的な動きをしておる。
02:42そして西郷さんは鹿児島にあって、人の心をまとめておる。
02:49これはちょうど野球でいうと大久保さんがピッチャーになって、西郷さんがキャッチャーになって、
02:54大久保さんが京都はこうだと、そろそろ京都に登った方がいいとか、そういう関係にあったわけです。
03:02逆に西郷さんがピッチャーになることもあったわけです。
03:06その時、必ず大久保さんはキャッチャーでした。
03:09ですから、この2人が少なくとも、薩摩は夕飯ですから、
03:15結局は明治維新のリーダーシップを長州と並んで取って、
03:21事実上、人材は長州にもいましたけれども、長州の出身者はどこか書生っぽいんです。
03:30薩摩は人の大将になるような感じの人材が多くございました。
03:37ですから、大久保さんがやはり政府の偉い人になった。
03:43これはですね、その島津様というのは殿様ですね。
03:48島津久光という人がいるんですが、絵の裏切りでした。
03:52島津久光は明治維新なんかを起こそうとは思っていないわけです。
03:55ですけど、いろんなこと、特に大久保が久光にくっつきましてですね、いろんなことを言って、
04:04これはもう内容は今は分かりません。
04:07分かりませんが、久光がひょっとしたら将軍になるつもりだったかもしれません。
04:14これは言い過ぎかもしれませんけれども、とにかく薩摩藩の公式の軍隊を動かすわけですから。
04:22そしてその意外にも徳川幕府を売ったわけである。
04:26久光という人は保守的な人でしたから、そういうことまでは絶対に考えていなかった。
04:32明治維新後もですね、久光はこの大久保と西郷を憎む続けてですね、死ぬまで憎い続けた人である。
04:42藩を滅ぼしたやつだと、島津の家を滅ぼしたやつだと。
04:47明治維新政府はこの久光に対して非常に、いろんな関与を与えたり、いろんなことをしてご機嫌を取ろうとしたんですけれども、久光は頑固でした。
05:00最後を中国の党の歴史で裏切り者の軍人で、安禄山というのを言いましたが、よく太った人です。
05:10安禄山だと絶えず言ってました。そして大久保に対しても憎んでました。
05:16ですから、複雑な政治情勢の中で薩摩抜、明治維新に、太上官政府における薩摩抜は成立してて、その頂点に大久保さんがいたわけ。
05:30西郷さんは軍隊を握っておった。軍隊といっても特に薩摩藩の軍隊が東京政府の東京に駐屯して、長州兵もいるし土佐兵もいますが、特に薩摩兵が駐屯しておる。
05:49それらをすべて騒乱しておった。最初の陸軍大将であります。一人っきりしかいない陸軍大将であります。
05:58その二人がだんだん仲が悪くなっていって、つまり保守的な。
06:04二百数十派がいきなり、今までの江戸木メッシュを送ってきた大名も侍も足軽も全部、大革命ですな。
06:24市民は平等になっちゃう。その藩は取り上げられ、お城は国のものになり、大変な革命が起こったわけです。
06:35ひさみつが起こるはずです。
06:39そういうことができる。つまり将軍という偉い人を倒し、あるいは自分が属している藩の殿様を乗り越えて、
06:50いちかきうぶしが、つまり大久保さんという人が、あるいは西郷が、この二人が頂点に立つということは、
07:00例えば島津の殿様、正式の殿様ではありませんが、殿様のお父さんのひさみつ、これが起こるはずです。
07:08明治新政府というものは非常につらい政府でした。
07:13革命政府でありながら、あらゆるところから罵り、恨み、日本全国の種族という種族で、
07:23薩摩藩、長州藩も含めて、明治新政府を喜んでいる者は一人もいなかった。
07:28明治新政府を構成している会員になった人は、その頂点に大久保がいるんですが、
07:35これはいいんですけれども、その藩に残った人、それはほとんどが藩に残っているわけです。
07:40いつの間にか、なんとかが、偉い顔をして、官員の顔をしてですね、我々に命令する。
07:47この国に君臨したというようなことでですね、殿様をひさみつの論理よりは裏切ってしたと。
07:57大変な政府であります。大阪の長人は日本中の金融機関でした。
08:06河野池が半死半生で残った程度で、あとは全部倒れました。
08:11明治新政府と同時ぐらいに倒れました。大名菓子、全部防備金だったものですから。
08:18ですから、これはもうやはり革命ですね。
08:22その革命の、革命政府というのはだいたいわっと迎えられるべきもの、
08:29人民の慣行の中で革命が出来上がるべきものを、
08:33明治新政府というのは辛くてそういうことはなかった。
08:38ですから、他に権威、権力というより権威を求めざるを得なかった。
08:44大久保という人はですね、多条間の頂点に立っておりましてですね。
08:51なんかいろんな案を持ってきますですね。
08:54例えば、西洋のように郵便局を作らなきゃいけません。
08:59郵便制度を設けなきゃいけません。
09:03と考えて、無口な人で。ほとんど笑ったことのない人で。
09:08物をゆっくり言うそうですな。
09:11だから、大久保という人は、言い方がですね、いい案でありますと、
09:18それは、倫理されましょう。敬語を必ず使います。
09:26それは、つまり、会議に、つまり、かけましょうと言うんですが、
09:33何かね、物の言い方はうまく言いませんが、
09:36何か後ろに偉い人がいましてですね、
09:39大久保さんはその下であって、ご倫理なさることでしょうと。
09:45つまり、無形の偉い人が後ろにおってですね。
09:49それは、つまり、いい案だから、一つ考えておきましょうと言うんじゃなくて、
09:58おそらくお考えになるでしょうと言って、何かこう、背後に見えないものがあって、
10:06それに対して大久保が仕えておって、それのご意向を言うがごとく言う癖がありました。
10:14大久保の処分権、あるいは大久保に接した人々のいろんな語った話などをずっと読むと、
10:23大久保の政策決定の時の言葉というのは、大体、
10:29俺はこう思うんだということは一切言わずに、きっとこれはご倫理になりましょうとかですね、
10:37そういう言い方だったようです。
10:40これは、そういうことでなければですね、自分が、まあまあ、ひさみつの言葉で言うと裏切った
10:49諸大名、まして薩摩藩主、藩主たちに対して悪いわけであります。
10:55薩摩藩主に藩主を旧大名に命令したり、旧大名以下の、それも我々百姓長人に至るまでですね、命令をするんですけど、
11:04とにかく旧大名、二百何十人の旧大名という、そして特にその中でも自分の出身の藩である薩摩藩の殿様。
11:13これに対する、つまり配慮・営釈の仕方が大変でした。
11:22そのために将軍の権威を用いればいいんですが、将軍は追っ払ってしまっておりますから、やはり天皇ということになった。
11:31これが明治維新成立の最も重要な、何と言いますか、キーであります。
11:39ですから、明治大将官政府が浮上しておって、あれだけ演算の声が盛んで、演算の声というのは要するに職を奪われ、
11:50そしてその今まで上位上位と言って、外国人のことを獣のように言ってたのに、手のひら返して文明開化だ、開国だという、
12:02この得体の知れない革命政権に対してですね、みんな恨みを持っています。
12:08思想的に、政治的に、あるいは経済的に恨みを持っています。
12:12ですから、しかも一番怒っているのは旧薩摩藩士であります。
12:19ですから、とにかく、つまり権威と、つまり大久保一人の権威なんてものは、たくが知れたものであります。
12:29大久保に言わせれば、へのようなものであります。きっと。
12:33とにかく、つまり権威がこの案を採用するんだと。
12:38俺が採用するんじゃないということが、明治太上官政府の、もう何と言いますか、命の妻と言いますか、でありました。
12:50ですから、これを戦後の、まあ、最悪的な社会科学用語で天皇制と言いますが、天皇制と言ってしまえば、もう身も蓋もないんであって、
13:03とにかく明治維新政府、明治維新をもし肯定するとしたら、このメカニックは、何と言いますか、あったかく見てやらなきゃしょうがない。
13:18そして、薩長、土が、あるいは日前の日、佐賀が加わって明治政府ができて、その薩長、土秘の4班の軍隊が明治政府を守っていました。
13:34この4班が一番強いですから、俺を守っていました。
13:39ところが4班のうちの一般の肝心の薩摩藩、一番強い薩摩藩の兵隊が、ほとんど西郷と一緒に国に帰ってしまった。
13:48つまり、諸国の種族の不平というものと連動したわけです。
13:54もっと複雑な理由がありますけれども、しかし簡単に言えば、新政府、これ何するものぞと。
14:01もう一度、俺たちが大体新政府を作ったんだ。
14:04だからもう一度、俺たちは薩摩に帰って、そして久三派とも仲良くして、薩摩の私風というものをもう一度鍛え直して、そして大軍を率いて、もう一度東京政府をやっつけるぞと。
14:21これは若き薩摩、桐野俊明とか、そういう西郷の下にいた人の気分であって、西郷さんその人は西南戦争、明治10年の西南戦争、これを始める気はなかったと、いくら考えてもなかったですね。
14:40結局担がれて、熊本責めで最初の初段階で潰れてしまいます。
14:47意外にも新政府は強かったわけである。陳代兵は強かったわけである。
14:52何にしても、薩摩の西郷さんはそのために明治10年において大久保との決戦ですね。
15:03考えてみると、東京政府を代表しているのは大久保。
15:08そしてそれに対する、もう一度革命を起こすんだという。
15:14これはどちらかというと保守的な革命。
15:18種族の保存という強いエネルギーを持って、だけどさほどの革命理論もなくて、暴発したのが西南戦争である。
15:29で、諸国の不英氏族がやっぱり同じように立ち上がった。
15:33立ち上がって、だから新政府としては百姓上がりの陳代兵を熊本城に込めておいたのを、これで一生懸命そのですね、防いでですね、やっとこの防い切った。
15:47ところが、この西南戦争の前に薩摩兵が大居、故郷に帰る。
15:59その時の図は凄かったそうですね。
16:02さつまの将校たちがですね、みんなこの防止の上が赤いんです。みんな西洋防止をかぶっていますが、それをその池に、連帯の池に、みんな防止を投げ捨ててですね、その池が真っ赤になっていたと。
16:23だからその薩摩氏族たち、つまりこの絵士官ですね、つまり天皇を守るわけですから、東京政府を守るわけですから、当時その後のこの絵という意味じゃなくて、当時この絵ということを扱っていました。
16:41この絵の薩摩兵、特に将校たちはこんな馬鹿な政府と一緒にできるかというので、
16:52帽子を投げ捨てていく。ここではまだ、つまり天皇に対する忠誠心というものはなかったわけです。
17:02ですから、西郷さんと家でもですね、とにかくこの政府には気に食わんって言って帰っちゃうわけですから、まだ、いろんな可能性を持った政治状況だったと思います。
17:20ところが、収まってしまいますとですね、もう一度こんなことがあったら、もう明治政府は姉妹だというので軍事に直位が出たわけです。
17:30すぐさま、一つ初段階のものが出ました。それは直位じゃありませんでした。
17:36山形は、まず軍事に対する自分の名前で、なだめのもうちょっと違った思想を持つべきだと思ってまとまれ、国家の軍隊なんだというようなものを出します。
17:54それでもやっぱりうまくいかなくて、明治15年、西南戦争は10年ですが、5年経って明治15年に軍人直位が出るわけである。
18:04これによって軍人は、つまり天皇の軍隊だという、直後は法律じゃありませんから、一つの佐藤氏でありましてですね、ありますんですけれども、
18:19それでも山形が言うよりは有効だったわけです。
18:24この軍人直位というのはですね、明治23年後に、明治23年出る教育直後よりも、ずっとその分かりやすい文章であります。
18:38そして教育直後が何か一つの規範を述べておる。客観的な序述法で規範を述べておる。
18:49そしてさらに前に申し上げましたように、漢文そのものである。漢文に送り仮返り点をつけただけの文章でありまして、漢学者が寄贈したものですから、結局そうなったわけなんでしょうけども、
19:07軍人直位はやっぱり軍人がもう一度暴発するとダメだという必死の思いがあるものですから、分かりやすいんです。非常に分かりやすい。今読んでもそのまま分かります。
19:19ですから軍人直位が軍人に対して、軍人はつまり一つにならなきゃダメだと。そして軍人は政治に関与しちゃダメだということをいろいろ悟してある。
19:34つまりもう二度と暴発するなということを悟してある。これはもう必死に悟してますから。
19:39その文章は井上強雄という熊本県人、これは明治政府を代表する知識人でした。知識人というより本当の切れ物の官僚でした。
19:53この人は漢文の達人でしたから漢文脈的な文章を書く人でしたが、それは硬いということがあったんでしょうね。
20:06ブラッシュアップといいますか、書き直し、ちょっと手を入れる、あるいは大きく手を入れる、文章の気分を変えていく、というようなことで、福知大地という、これはまあ、最人ですね。
20:22なんて言いますか、漠進の出身であります。漠進といってもややこしい出身でありますが、代々の漠進ではありませんが、
20:32とにかく洋楽はできるし、芝居見えたことは書けるし、それから吉原に遊びに行くのが大好きな、遊び人のような、いわゆるこの文章といった方がいい人で、
20:46同時にまあ、有名なことは、東京日日新聞の創始者の人であります。
20:54創始者であります。その人が非常に柔らかい文章を書ける人ですから、芝居も書く人ですから。
21:03ですから、芝居、芝居と言いましたが、まあ、芝居と言いましたが、芝居と言いましたが、芝居を書く人ですから。
21:17その人が手を入れて、ですから、うーん、非常にわかりやすいんですね。
21:23その中にですね、やっぱり最後を意識した期待があります。
21:30最後のような人が出てくれるなと。
21:33イニシエより、あるいは小説の真偽を立てんとて、大公の巡逆を誤り、大きなことで道を誤ったと。
21:44あるいは、公道の公の道の利比、いかわりかに踏んまよいて、史上の真偽を守り、つまり、薩摩の氾濫、西南戦争のことであります。
21:58あたら、英雄豪傑どもが、あたら、英雄豪傑どもがというところに、西郷への思いが込めてありまして、西郷への恋の思いが込めてあって、惜しんでおるわけです。
22:11英雄豪傑どもが、災いに遭い、身を滅ぼし、屍の上に、お命を後世まで残せること。
22:18その例、そのためし、少なからぬものを、深く戒め手やはあるべきと。
22:31当時、軍人といっても、もう種族が少なくてですね、種族は将校が主として種族で、陳代兵という百姓上がりの兵隊が主であります。
22:46それまでよく読み込めるように、そういう文体であります。
22:53非常に、当時としては、よくこなれた日本文章であります。
23:01しかも、こういう言葉があります。これは、まあ、軍人職位の中の非常に大事なところでしょうな、当時としては。
23:10当時の状況では、非常に必死の状況であって、するんですが、
23:15ずーっと書いてあって、陳和南次郎軍人の大元粋になるぞ、ということがありましてですね、
23:22陳和南次郎軍人の大元粋になるぞ、というところにですね、大変なアクセントがあって、
23:28薩摩の、西南戦争で薩摩へ帰ってしまって反乱を起こした兵隊たちは、別に天皇をもって大元粋と思ってなかった。
23:41自分の狩猟であるとは思ってなかった。
23:44そして、ある考え、つまり幕末以来の志、それに対して順次たわけであって、自分たちの思想に順次たわけであって、
23:56何と言いますか、天皇というところはまだ、農耕には軍人の中でなくて、天皇さんというのは、京都から来られた小桂さんの親方だと思う程度にしか思ってなかった薩摩人もいます。
24:14ですから、そういうわけですから、反乱を起こした。
24:20だから今度は、明治15年の段階では、もうはっきりした国民軍であります。国家の軍隊であります。
24:32国家の軍隊である以上は、つまりお前たちは国家の軍隊だぞと教えても、国家というものがまだはっきりしていないのであります。
24:42したような、しないような、まだつまり反の気分があって、二百何十反の気分があり、それで、なんて言いますか、国家という、国家というのをよく考えてみたらですね、明治維新は国民国家の成立だと思います。
25:02思いますが、いきなり国民国家の意識が生まれたわけではなくて、私の先祖は満州の先祖と言っても大した先祖ではありませんが、百姓でした。
25:14それ、明治政府ができたいことは知っていたでしょう。
25:19しかし、国家、この見えないもの、こんなことは分からなかったと思います。
25:24ですから、まして旧幕臣、旧薩摩人、そして、自流の波に乗り損ねた多くの長州侍、長州の侍の8割、9割は、
25:38氏族で亡くなって、伊藤博文とか、井上文太とか、紀戸公園とかがいいことをしていると思っているわけです。
25:49それだけの認識であります。
25:52それが、国家という目に見えないものができているんだぞと言うので、お前たち国家の軍隊だぞと言われても、国家が分からないから、天皇ということにしたんでしょうね。
26:03それの方が、非常にティピカルに分かる。はっきり分かる。
26:08そして、収まりがつく。
26:14この段階での状況で、軍隊というものをかっちりとしたマヨネーズで言いますと、流れた状態じゃなくて、マヨネーズを固めた状態としての軍隊を作ることができる。
26:26それが軍人直輸の成立の非常にもう唯一無二の、つまり歴史条件、状況、つまり軍人直輸成立の状況でした。
26:43ご視聴ありがとうございました。
26:45ご視聴ありがとうございました。
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