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  • 2025/5/8
トランスクリプション
00:00私の好きな人の中にフランク・ギムニーというアメリカのジャーナリストがおられて
00:12今はTBAのブリタニカの責任者でいらっしゃるんですけども
00:21太平洋戦争の時に例えばドナルド・キーンさんとか
00:28サイデン・ステッカーさんと同じように海軍の日本語学校に入られて
00:35そのために日本通になられた方でありますが
00:39この人の本を読んでました時に
00:43日本は職人を崇拝する社会だという言葉がありまして
00:53そう言われてみるとそうだなと
00:56職人というのは技術ということに置き換えて考えてみたいと思うんですが
01:02なかなかこういう社会は少なくて
01:07例えばお隣の韓国・朝鮮というのは
01:13以前においては職人というものは重んじられませんでした
01:20非常に重んじられなかった社会であります
01:24中国も同じでした
01:26中国も随分職人
01:31つまり職人的技術というものは非常に発達した社会であったんですけれども
01:44必ずしも職人というのは重んじられずに
01:48やはり重んじられたのは
01:50軽自動的なものを考えたり
01:53紙弁的な能力を持った人とか
01:57あるいは偉い管理とかいうものが重んじられて
02:01職人はやはり重んじられなかったようです
02:04ヨーロッパでも似たようなものだと
02:07中国や朝鮮よりは重んじられたでしょうけれども
02:11日本は際立って職人が
02:14例えば左陣五郎というようなものは大変な尊敬を
02:20江戸時代およい明治大正の
02:26銅団の種として活躍する
02:31こういう職人を尊敬する社会
02:38これが昭和とどういう関係があるかを
02:41考えていきたいと思います
02:45日本に技術が来たというのは
02:47高度の技術が来たというのは
02:49やはり仏像がやってきたときですね
02:52それまで日本人というのは
02:55例えば人間の形を作るのに
02:57今ある埴輪
03:00あの程度がリアリズムでした
03:03ところが仏像がやってきたとき
03:05非常なショックでした
03:07人間と同じ姿を作れるんだなと
03:12人間と同じ姿のものがやってきた
03:15そしてそれに金滅気をしているわけです
03:21これは大変な技術であります
03:23ですから確か日本書記でしたか
03:29その通りの文章だったかどうか
03:33異国の神はキラキラしと
03:37キラキラしとキラキラ光っている
03:40非常にそのリアリズムに驚くわけで
03:44そしてそのメッキ技術に驚くわけで
03:47そして中造技術といいますか
03:51聖堂を作る技術に驚くわけで
03:55そこから日本の人の技術への憧れが
04:02出発するわけであります
04:04もちろん建築これにおいても
04:07寺の建築が入ってくる
04:09これは大変な驚きであります
04:13お国自慢をするわけではないですけども
04:21日本の奈良時代の建造物交流寺
04:26あるいは東大寺の大仏殿
04:31奈良の寺寺というものがですね
04:36約4時も入りますが
04:39それを作り出した
04:43作り出す能力を持っておった
04:45中国や当時の朝鮮の出来よりはいいんじゃないかと
04:51お国自慢ですが
04:53これはそういうものを作る人々を尊敬する
05:00当時から尊敬するという
05:02作る人々が非常に励みになり
05:05今の流行りの言葉で言うと元気になる
05:08それがやはり彼らの創作力といいますか
05:13私もオリジナリティばかりではなくて
05:16伝統技術なんですけれども
05:18その中で自分がちょっとこうやってみたいという
05:20こうやるとちょっとこの薬師寺の友も
05:23かっこよくなるんじゃないかと
05:25そういうことが入ったんじゃないかと
05:28だからやはり尊敬された上で
05:31薬師寺の党という
05:32中国や朝鮮にはちょっと似たようなものがない
05:36中国や朝鮮の技術でありながら
05:38それ以上のものが出来上がったというのは
05:41作り出たちの心の弾みがあったんだろうと
05:46心の弾みは繰り返すようですが
05:49それを尊敬する一般の人々
05:52あるいは当時の偉い人々が
05:57君は大したものだということがあったんだろうと
06:01ですから日本というのは非常に
06:05食技術を尊ぶ国であります
06:09農業においてもですね
06:12これはガタッと話は変わりますが
06:20我々はもう今その肥料を使っていませんけれども
06:24下越というものが農業の肥料の中心でした
06:29これは秀吉豊臣時代ぐらいに伝わったものであります
06:33伝わったんだろうと思います
06:35すでに中国の吉豊下流地方では
06:38稲作地方ではこれを使っていましたから
06:41それがもう江戸時代にはもう全日本に普及した
06:45それは取れ高がうんと変わったと思います
06:50中国の場合は吉豊流域地方はそれを用いておりましたが
06:57この河北の方、例えば北京とかその周辺では
07:0519世紀になっても用いていたかどうかちょっと疑問なところがあります
07:14全中国はそれを用いていたということは言いにくいんですけれども
07:19日本はその一つそういう素晴らしい肥料の
07:23つまり農業に関する技術が入るとさっとこの全国に広がる
07:28そういう国でした
07:35いものならいものというものは古くに入っているんですけど
07:39あれはなかなか難しい技術であります
07:41高度の温度を出さなきゃいけないので
07:44そして鉄なり銅なりを湯のようにしなきゃいけませんものですから
07:50なかなか定着したものの広がりが少なかったんですけど
07:55室間時代にはもう大変な広がりようでした
07:59いいものというのは大変な技術になってきました
08:04そういうわけで江戸時代を迎えるんですけれども
08:08江戸時代、この前に物騒な兵器の話を
08:13私はこの問題を昭和市は兵器の話
08:18このくだりは技術といっても軍事技術の話に
08:22どうも行きかねるだろうと
08:24行くんだろうと思います
08:26鉄砲が伝わってきます
08:29天正11年でしたかね
08:32種ヶ島から伝わってきて
08:3410年経つとほとんど広がっておったと言われていますが
08:40鉄砲というのは難しい技術でありまして
08:43鉄の棒を一つ
08:45芯をくり抜くんじゃないんですね
08:48くり抜く旋盤は当時ありませんから
08:51だから鉄の棒を置きまして
08:53薄い板を
08:56鋼の板ですが巻いていくわけであります
08:59張っていくわけであります
09:01ですから鉄砲というのは当時の言葉でですね
09:07戦国諸島もしくは室町末期の言葉で
09:11鉄砲を作るとは言いませんでした
09:14鉄砲を張るというように言ったわけです
09:17張るわけであります
09:19当時よりちょっと後の17世紀ぐらいに
09:26ロンドンで発行された世界地図ですね
09:31大した精密な地図ではありませんが
09:36その縁に各国の風俗が
09:40象徴的な風俗が書かれておりましてですね
09:43東アジアの地図ではいろんな民族がいます
09:47その日本人がいます
09:49日本人は鉄砲を担いでいます
09:51つまりそのぐらい鉄砲が普及したわけです
09:55そして江戸時代になる
09:58江戸時代になるとですね
10:00江戸体制の権利というのは
10:04徹底的な何て言いますか
10:08非武装
10:11大名には形ばかりの武装は許しますが
10:16戦国末期における武装の範囲を出ないように
10:23幕府は統制しておりましてですね
10:27やたらと鉄砲を作ったりまして
10:31新兵器を作ったりすることは
10:36法律よりも思想として禁じておりましてですね
10:41幕府の怖い目ににらまれるのは嫌ですから
10:44兵器というものは発達しませんでした
10:48ですからこの日本刀の飾りとかですね
10:56それから鉄砲に造岩を入れたりして
10:59美術的に美術工芸品のようにしていく
11:04兵器よりもそれを美術品にしていくという方向が江戸時代でした
11:10江戸時代というのはなかなか立派な時代ですな
11:16非常にもう少し世界の人が江戸時代の研究というのをしてほしいですね
11:21非常に日本のこの広くもない国土の中で
11:27これが天下でした
11:28天下というのは地球というぐらいの意味があるんですけど
11:31これが天下でした
11:32天下はこの範囲内では実によく収まっていた
11:37いろいろ欠点はありますけれども
11:39それが明治になってですね
11:48明治維新というのは徹底的な革命ですな
11:53しかしある意味では
11:55このフランス革命やロシア革命のように下から起こってきて
12:00この頃フランス革命は必ずしも下から起こったのではないという説があるそうですが
12:05下から起こってきてですね
12:07下革命じゃなくて外圧によって
12:11日本は統一国家にしなきゃ植民地になってしまうという
12:16要するに植民地になるかもしれないという不安と恐怖心とが
12:21その国民のコンセンサーになりましてですね
12:27統一国家ができてその代わりいろんなものを
12:31例えば大名もお侍さんも自らの
12:35つまりいろんな特権を捨てました
12:38そして国民の9割をなしておった
12:44侍以外の階層の人たちは
12:47名字をつけてですね
12:49侍のような
12:51かつての侍のような
12:53姿をとることによって
12:55国民国家が成立したということに
12:59一応はなっています
13:01そしてこの軍備であります
13:07軍備というのも明治初年の軍備というものはですね
13:13決して対外侵略のものでなくて
13:19明治維新政府を守るためのものでした
13:22これは明治初年の段階であります
13:26ちょっと今技術のことで思い出したんですけれども
13:31非常に面白いエピソードがあるのはですね
13:35これ前に行ったかな
13:37うーん
13:40ペリーショックが
13:43海6年にペリーがやってきて
13:46今の東京湾に入らんとして
13:49日本中が大騒ぎになって
13:53ここから幕末の騒乱が始まって
13:56明治維新に至るわけであります
13:58ペリーショックがなければ
14:00明治維新というものは起こらない
14:04ペリーショックが
14:07日本史上最大の事件の一つであります
14:11それは何にショックを受けたのか
14:14それ以前にも
14:16もちろんオランダ人も来てますし
14:19前後してロシア人も来てますが
14:23そしてまた長崎に
14:25イギリスの軍艦が突如入ってきたこともありますが
14:30それほどのショックを受けなかったのに
14:34なぜペリーによってショックを受けたかというと
14:38技術であります
14:40ペリーを連れてきた軍艦はオートマティックに動いているのであります
14:47ロとかホとかというもので動いているのではなくて
14:52蒸気で動いているわけです
14:54それはしまったと
14:57日本人はもう我々は世界から遅れてしまったと
15:01我々はこういう技術で
15:07ひょっとすると征服されるかもしれない
15:10というのが驚きの
15:12つまり神といいますかコアでありまして
15:17要するにペリーに象徴される技術で
15:21技術に驚いたわけです
15:23そしてエドワンに当時
15:25お大名が幕府の命令で動員されまして
15:30随分エドワンの警備に当たったわけです
15:33当時古道具屋が大儲けしたそうですね
15:37なぜかというと
15:40江戸200数十年の間平和でありましたから
15:44そして江戸大政の武装は大戦国の武装ですから
15:50鎧かぶとを買わなきゃいけない
15:53というので
15:54それはもう古道具屋へ走っていかなきゃしょうがないので
15:57古道具屋には鎧かぶと時々飾ってありますから
16:00それがもう不定してですね
16:03古道具屋さんも大儲けしたという話であります
16:07同時に面白いのはですね
16:11こういう船を作ってやろうと
16:15少なくとも3人の人物がそう思いましてですね
16:193年後に3人とも完成させたわけであります
16:28薩摩殿様と鍋島殿様とそして上島殿様であります
16:34薩摩殿様はやはり大藩らしくなかなかずるい手を考えまして
16:42長崎でオランダ人の士官と話をつけまして
16:48こっそり来てもらってそれの指導を得た
16:51で佐賀の鍋島の佐賀県ですね今の
16:57佐賀の殿様はですね
17:00もうすでに自ら相当な
17:03つまり長崎に近いものですから
17:06物理や科学やその他のテクノロジーの技術は
17:10佐賀藩というのは割合を持っていましてですね
17:13自ら似たようなものを作った
17:18宇和島は遠いです
17:20そして佐賀や薩摩のような大半じゃありません
17:2410万国であります
17:26これがですね
17:28どうして作ろうと思ったら
17:30八幡浜から宇和島のお城下に移住してきて
17:35非常に器用な人間がいまして
17:38器用貧乏というのを絵に描いたような人でありましてですね
17:42長賃の張り替えをしておりましてですね
17:46それを商売である
17:48長賃の張り替えだけでなくて
17:50仏壇の修繕もしておりましてですね
17:52それも器用に修繕します
17:54カスケさんという人が呼ばれましてですね
17:57お前作れと
17:59これはとうとうカスケさんが作ったわけだよ
18:03まああの
18:05オランダの本がありまして
18:08蒸気館についての本があって
18:11それを後に明治陸軍を作ることになる
18:17大村増次郎が
18:19当時宇和島に身を寄せておりまして
18:23村田増六という名前であります
18:25それが翻訳をして
18:27本を翻訳しただけで
18:29カスケさんに見せて
18:31カスケさんが考えて
18:33これは発明と同じですね
18:35蒸気館を作ってしまったわけです
18:37その間いろいろカスケさんの苦労がありますが
18:39その船は動くことは動いたんですけど
18:45お船のボディの割にはエンジンが小さくて
18:49宇和島湾をひらひらひらひらと
18:51大きな波があると
18:53よたよたするというような
18:55船だったんですけども
18:57当時この船を作ってやろうと
19:00江戸湾で思った3人の人たちは
19:04政治的な一つの
19:06なんて言いますか
19:07多分金税が一つ取れたんです
19:12江戸幕府がですね
19:16各派に大きな船を作るなというのは
19:18江戸幕府の大きな大きな金税でした
19:21それをその法律を廃止しましたもんですけど
19:27大半は大きな船を作ることができる
19:30大半ではなく各派は作ることができる
19:33ようになりましたから
19:35それを思いついたわけです
19:37だから政治的な制約が取れれば
19:40さあ技術だと
19:42さあ技術だと
19:44技術つまり直接兵器につながるような技術は
19:49決して開発してはいけないというようなムードの
19:52江戸時代がその場所で終わったわけですね
19:57そしたらすぐさま蒸気船を作ってやるというところに行って
20:02そしてまた明治政府もですね
20:06早い時期に小さな軍艦は
20:10自分の国で作るようになってました
20:13明治10年代、20年代は
20:18当時幕府時代からあった横須賀の
20:21これはフランス人が設計して作ったものですけれども
20:24そこに江戸幕府が末期の頃に
20:28小栗光月之助が監督して
20:31勘定奉行でした
20:32そしてその幕府は潰れるかもしれないけども
20:37潰れてもこれはつまり残るんだというつもりで
20:42割合しっかりした造船施設を作りました
20:47それがその後に行きまして
20:50戦艦は作れませんが
20:52それより小さなものは大体国産で作れておったわけであります
20:57それが明治のある時期までは作れておったわけであります
21:02つまり技術の好きな民族だというのは
21:08いいことか悪いことか分かりませんが
21:11そういう民族性が割合が古くから
21:19奈良町時代くらいからあったんですね
21:21そしてその
21:25ですので
21:26つまり家族議論や
21:35のことがでなくても
21:36薬り言っている
21:37それがあったんですね
21:38それがあれば
21:39それを見つかる
21:41もちろん
21:43そういう場所が
21:45のための
21:47大体統の
21:47主も
21:50それを見たの

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