- 2025/5/11
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00:00新しい日本をどう作るかこれが円台です 主催者から与えられたものです
00:07考えてみて自分でも怯えるような結論らしきものが出てきたのですが遺産で語り たいという気にはなれません
00:14ですから以下は主張というよりも自分で考えたプロセスだけを申し上げます 結論は憂鬱なものなのです
00:22その前にちょっと余談を挟みたいと思います 今年1991年83歳で亡くなられた井上康さんが死の前証拠を得られた時
00:32会っておきたい人に会っておきたいということで新聞社を通して対談ということになり 私にとって思い出深いものになりました
00:40たまたま日本をめぐる国際環境の話になった時 日本も組合に入らなければいけませんね
00:46と言われたのが印象的でした それっきりの発言で井上さんらしい指摘本質論というべき短い言葉でした
00:54この言葉は奈良町以来あるいは明治以来の日本の姿勢を一言で象徴していると思います 組合に入ったことがない
01:03無論組合というのは世界の寄り合いということです この余談を私の話の最後のあたりで思い出してください
01:11文明という言葉で考えていきたいと思います 文明というのは曖昧な言葉で無論社会科学の用語ではありません
01:19各民族が国の枠を超えてそれに参加したいと願っている価値 あるいは煮詰めれば基準というものでしょう
01:26ローマ文明の基準は法と土木であり 156世紀までのヨーロッパではローマ文明の栄光の終焉に付設して起こったカトリックが文明そのものでした
01:35文明とは例えば航空機文明に参加するには微着陸の時にシートベルトを 占めるという程度で済むほどに勘弁なものでなければなりません
01:44定義として言えば誰でも参加でき参加すれば誰も普遍的価値を感じることができ そこに便利さと平和を感じることができるというものでなければなりません
01:55文明の普遍性に対しそれに裏打ちされる文化はいわばその反対の位置にあります 文化とは個人あるいはグループだけの得意なものでしょう
02:04例えばお座敷で襖を開けるときに立って開けたり足で開けたりすれば安直でいいのですが 日本文化にあってはそうはしない
02:12一旦座ってから両手で引き開ける作法を用います 非常に不合理な特殊なものであります
02:19しかしその文化を共有する者たちにとって感じがいい 文化は不合理で特殊ながらそれにくるまっていれば楽しく気が安らぎます
02:27ちょうど私がこうしてここに座っておりますと私の体温で1センチか2センチほどの 暖かい空気の飛沫ができていますが風が吹いてくるとそれが吹き飛んでちょっと寒くて
02:38居心地が悪いという感じになります そのように文化というのは飛沫のようでそれにくるまっていれば心地よくて風邪をひかない
02:46それぞれの民族および個人が持っている習慣というものは文化でありますが それは他国や他人には及ぼすことができないものです
02:54私には癖がありましてついことの起こりは何だろうと遡って考えてしまいます 難しく言うと歴史ということです
03:02日本について考えてみます 明治大正あるいは昭和のある時期まで古来からずっと文明を摂取してきた国であって
03:11自ら文明を起こした国ではありませんこれはまあほとんどの国がそうです 日本はご存知のように古東ですからどうしても文化が単一化していきます
03:21文化が単一化している社会では文明は起こらないようですが起こらなくて幸いだったという 気もないではありません
03:28文明というのは世界史から言ってもそう数多く起こっていませんし文明というものがない時期もありました 中国では古い時期に文明が起こりました
03:38古い時代のすき焼きは人の話によりますと月の鋼の部分にヘリにお味噌の土手を作って それで煮炊きしていくうちにお味噌が溶けて美味しくなっていくことから発展してきたようですね
03:50中国でそのお味噌の土手という役割を果たしているのが周辺の民族でした 中国大陸には古代からいろいろの生きていく方法を持った様々な民族がいて
04:00例えば牧畜をしているものあるいは洋スコーの周辺で米という不思議なものを 紀元前数千年以前から作っている民族もいました
04:07また正道器を作ることに早く目覚めた民族さらには遠く西方から無の思想を伝えた民族 曲芸のような大義の上手な民族もがインドあたりからやってきて定住したりしました
04:19大切なことは中国大陸は農業の敵地で大いに工作していたということです 誰もがそこへ行けば食えたという条件がありました
04:27これが鍋の底のように文明の基本的なものです ですからこんなにいろんな民族がいる条件の中では普遍的なもの
04:36例えば法という普遍的なもので収めればいいということになる 例えば中国古代の法家がそれであります
04:43これは真の始皇帝によって試みられて失敗しました また孔子さんは親孝行ということと礼儀ということを説きました
04:51親孝行ということで血縁を大事にするさらには礼儀ということで血縁外の人との 付き合いもうまくやっていく
04:58そのようにして大半島を治めていく 儒教はそのように普遍的思想として出現しました
05:04結局孔子さんが死んで遥かの地 漢の初期にようやく儒教が国教になって国教というと体がいいのですが悪く言うとこれが
05:13公認の君説ドグマになってこの対抗の中で中国文明が成立します そうでなければあれだけ広大な天地は収められなかったのでしょうね
05:22後にヨーロッパがカトリック文明を中心に統治されたように中国もまた文明によって 統治された経験を持っています
05:29ただそのことが中国大陸にとって幸福だったかどうか知りません 一つのドグマで統治されるとやがて好奇心が衰弱するのです
05:37私は漢の武帝が儒教を国教化して以来中国はずっと下り坂だと思っておりますが むしろ紀元前の春秋戦国の頃の方が近代という感じがしますね
05:48なんだか中国の文明は逆三角形のようになっていて19世紀の新潮に至ってはもう 古代のようでした
05:54文明というのは古びるものであります 日本の場合です
05:59日本は文明は海外にあると思ってきました 儒教も仏教も明治後のヨーロッパ文明もすべて海外にあり
06:07このため日本人は自分で普遍的思想を考えることをしませんでした そういう条件にはなかったのです
06:13また文明需要という点でも面としてべったりと受け入れたことはありません つまり文明国から占領されて例えばローマに支配されたガリア
06:23今のフランスの地のようにそれを受け継いだということはなかったのです 日本の場合風変わりでした
06:29自ら遠くへ行って摂取するという形をとりました 七石諸島もそうでしたし19世紀後半もそうでした
06:37留学生を遥かに派遣するという方法でした 理由は古島であること
06:43ユーラシア大陸の諸文明から地理的に離れていたためです 他の文明古くは中国文明
06:5019世紀後はヨーロッパ文明を征服を通じて受領したのではなく自立しつつ つまり文明を情報化することによって自ら作り上げたのです
06:59情報とはニュースと知識のことです 七石諸島
07:03遣隋し遣唐使というやり方でつまり中国文明の皮膚の切片を持ち帰ることで自分の国に 食費しました
07:109世紀までの200数十年十数回にわたりこの船団を派遣しました 命がけでした
07:16さらには無料ではありません 党からはよくしてもらいましたがいろんな形でちゃんと支払いはしました
07:23食費ですから元の個体の抗体反応が起こります その反応の結果が9世紀末
07:30検討し廃止後の独自な日本文化の展開 平安文化のことですがであります
07:35日本は自然鎖国が状態だったのかもしれませんね 9世紀末検討士をやめると自然に鎖国状態になりました
07:44後藤ですから使いをやめると縁切れになるのです あと500年経って室町時代に県民使が派遣されます
07:52この途絶時代500年の間に日本は武家政権というヨーロッパの封建制と似たような体制 つまり歴史を作り上げ東アジア離れをしてしまったのです
08:02室町時代はすでに中国に対して全くユニークな存在になっています ですから県民史の時代になりますと検討士のように
08:11どうして国を作れば良いのですか 文明を作るのはどんな要素があれば良いのでしょうという壮大な説問を持っては行きませんでした
08:2015世紀のその場合貿易が国家としての商売でありました 相変わらず本好きの国ですから輸入品目の筆頭は書物と絵画でした
08:29副産物として全州が入ってきました 全州の副産物として精進料理と言われるところの一種の中国料理が入ってきました
08:38茶も入りました 少し感想を入れます
08:42これらの情報のおかげで15世紀の日本大名と太郎家者が出てくる狂言の世界をお思いください におけるごく一般的な生活文化はひょっとすると同時代のヨーロッパより優れていたかもしれません
08:54しかしながら県民史が途絶えるとごく自然に元通りの鎖国状態に戻りました 法令による鎖国は17世紀に始まり明治維新まで200数十年続きました
09:05政治的鎖国が日本文化を作ったことはよく知られるところです 同時に政治的鎖国は日本人の閉鎖的な気質実に厄介な気質ですをも作りました
09:17日本は19世紀後半になって開国し1868年 いわゆる明治維新によって盛大に国際社会に入ります
09:24国際社会に入ったのは2000年来初めてのことで前代未聞のことでした それだけでこの自然鎖国が状態のような国にとって
09:34物狂いのようなものでありました 物狂いは日本の近代化の特徴でもあります
09:39自分が持っていた明治以前の文明のほとんどを捨てて他の系列の文明を自発的に 取り入れたのですから
09:46つまり自分自身を他のものにほとんど入れ替えてしまったのです 19世紀の日本の転換の動機は防衛でした
09:53幕末の尊能上位という言葉を思い出してください 防衛というのは現実に戦闘現象があったのではなく幕末
10:02日本が滅亡するかもしれないという 滅亡の危機感の共有が西洋需要になったのです
10:08ちょっと余談を申し述べます ここは活字で言うと小さな活字で組まれるべきですね
10:14先の検討士時代の日本が感じた文明の基準とは
10:18例
10:19ということでした 例をもって党の皇帝に接すれば相手も受け入れてくれる
10:2619世紀の日本が感じた文明は法と科学技術それに軍事でした 軍事が後に自他に悲劇的な結果を招きました
10:35私は今歴史的なことを喋っています 新しい日本をどう作るかにたどり着く前に古い日本は今日も含めてどうであったかを語っておかねば
10:45ならないと思って喋っています 国家はどこの国でも法や文明や文化によって華麗に装飾されています
10:52しかしどこの国だって化けの皮を剥いだ本当の正体というのがあるでしょう 日本にもあるに違いありません
11:00日本の正体は何か ちょっと露骨すぎる言葉ですがやはり正体は歴史から考えねばなりません
11:07このためつい過去に足を取られています 繰り返しになりますが日本が初めて遣隋史を出版させる時も
11:14文明の基準とは何か ということが気がかりの大部分だったようです
11:20明治維新を起こした時もそうでありました 耳休めのためにエピソードを申し上げますと明治2年3年という早い時期の話ですが
11:29制度や法律の担当だった佐賀の江藤新平がどうも国家というのは法体系のことらしい 法こそ国家である法のもとには万人が平等であるということに気づきます
11:39江藤はそれが文明の基準だと思ったのです 江藤は正しかったと思います
11:45彼は整備を急ぎます 以前の法を投げ打って新しい法を導入するのですが何分西洋の法については西も東も分かりません
11:54幕府時代の洋学者に三つくり臨床 後の司法大将という秀才がいました
12:00この三つくりにフランスの民法と商法を翻訳させます 廃下蔵が立つような忙しさで三つくりの手元で翻訳画に3枚できると
12:09引っ張らすようにして持っていって会議にかけるという具合だったと言われています 三つくりも法律を学んだ人じゃありませんからフランスの法律の用語が分かりにくい
12:19それまでの日本語にないものが多く用語以前の概念もない 大苦労をしてついに悲鳴をあげて
12:26江藤さん私を留学させてください 明治に3年の政府はそんな時間的ゆとりはない
12:33江藤は思いつきましたじゃあフランス人を呼ぼう そのフランス人に三つくりが質問すれば良いその方が早い
12:40そんな事情などで呼ばれたのがフランスの弁護士26歳のジョルジュブスケでした 同じく有名なボアソナードも
12:49お雇い外国人としてやってきました 大学も一つしかありませんでした
12:54各分野ごとにお雇い外国人を入れます 彼らの給料はとびきり高かったので喜んできました
13:02合わせて各省や大学の各分野から秀才を要項させます 明治10年代の終わり頃にはお雇い外国人と要項帰りが交代します
13:11その後も秀才たちを要項させ続けます 1200年を得て第二のケントール学章が蘇ったようなもので
13:18東京各省と帝国大学のことですはその受信版であり各地方や下級学校への 配電装置でもありました
13:25首都がこんな機能を持ったのは世界史に東京しかないのではないでしょうか 文明の需要と配給装置としての首都であったために日本人の異常な首都崇拝が出来上がったのかも
13:36しれません 要するに世界の基準は何かということを模索しそれを摂取するというものでした
13:43しかし国内的なものと基準とがうまく合致したかどうかを見ますと 日本史は各時代に亀裂と矛盾があります
13:50その点について大急ぎで振り返ってみます なぜそんなことでもっていちいち歴史を振り返らねばならないのかと申しますと
13:57実は先走って結論を申し上げねばなりませんが日本がすでに世界の基準を 担う国の一つになっているのかもしれないからです
14:05むろん私などはこれを恐れます 古風に言うと日本滅亡の兆しではないかと思うほどにです
14:12半ば冗談です さて歴史についての検証です
14:17大まかにやります 7世紀から8世紀にかけて中国式の律令体制を入れました
14:23合わせて随筒式の国家仏教というものを入れました 2つの原理が一つの器に入ったのです
14:30セットとしての文明でした 当時の日本が理解し展開した律令体制というのは一種の一国社会主義でした
14:38このことは高知公民近伝法反伝収受の法といった用語で理解していただきます 農地を国有にし農民に均等に分配してその収穫から租税を取ります
14:49息の詰まるような制度で奈良時代数十年は過労死で守られましたが平安時代には大きく崩れました 律令制度が始まるまでは地方地方に大小の豪族がいて市民を要していましたが
15:02律令制によって市民は公民になりました なお彼ら豪族の不満があったはずでしたが8世紀710年奈良の都
15:11平城京ができますと大小の豪族たちはおとなしくなります それまで都市というものは日本になかったのですが長安を模しそれを少し縮めた大都市が
15:21万国博覧会のパビリオン街のようにしてできたのです 諸豪族はおそらくこれに圧倒されておとなしくなったのでしょう
15:28さて奈良時代の仏教のことを述べねばなりません 隋藤は国家仏教でした
15:34何しろ大乗仏教は正乗仏教と違い金がかかるのです 増時増物を伴います
15:41結局は国家仏教になるわけでこれに消えしますと帝王といえども三方の宮津湖として仏教の下に入るのです
15:48僧は官僧として国家公務員であり神戸国家という国家的原理を背負っていますから時に俗間俗利を圧倒します
15:57その上平城京に巨大漢字が集中し弊害が多かったろうと推量させます
16:02奈良町国家がわずか70年余で奈良を捨てて後京都と呼ばれる平安京に移った その主要な理由はおそらく鎮後国家という大それなものを振りかざす仏教から脱出したかったのでありましたろう
16:14奈良仏教はソ連や中国における共産党のようなものでありました 国家の上に立ちそれを鎮後する形態においてです
16:23この機備については新しい平安京京都にあっては漢字を置かせなかったことで察しがつきます
16:29さらには新しい都では最長と空海に国家よりも人間を救済する新教義を開かせました
16:36彼らの寺も英山と荒野山といったように都から遠ざけました 以上で仏教についてのことはとどめます
16:44平安京に移ると立領性が崩れてきます 立領性つまり高知公民であるべきことを建前としつつも
16:52松園という貴族や大寺などの私有農場が増えるのです 平安期は松園という資料の時代であります
16:59そのくせ完成だけは名のみの律領なのです 明治維新までそうでした
17:05日本史はこういう体制の基本的矛盾を平然と抱えてきました 平安後期頃からおそらく鉄が安くなったせいか
17:13農業器具が増え各地で力のある者が不老人を集めて後部の地を水田化する開墾 根田ということが流行しました
17:20特にその流行は 坂東関東地方に集中しました
17:25それらの農場主を武士と呼ぶようになりました 開墾すればその水田は貴族や謝辞の省エンに組み込まれます
17:33この天の下に私有地はないという立領の建前は依然生きていて いかに自ら開墾したからといって私伝は許されないのです
17:41このために貴族や謝辞に差し上げてその土地の生地などにしてもらいます 管理人であります
17:47しかし所有権は不安定で京都の省エン領主からあの土地は汝のおじのものだと言われれ ばそれまでです
17:54この不安定さに耐えかねて立ち上がったのが12世紀末の万能武士の反乱でした 彼らは源の頼朝を要して鎌倉幕府を作るのです
18:04武士の世になりました 全国の土地に守護地頭を置き日本国を支配しました
18:10余談ですが鎌倉彫刻におけるリアリズムは時代の風でありました 武士たちにとって自分もしくは自分の父親が開墾した土地がやっと自分のものになったのです
18:21立領という絵空ごとの世は去って直に手触りのあるようになったのです 鎌倉の世がいかに生き生きした時代であったかはその後の日本仏教が独自のものになり
18:31武士を含めた民衆のものになったことでもわかります 法然新蘭日蓮道元という独創的な思想家が創出したことでもこの時代の元気が察せられ
18:41ます 明治維新後の法の整備は右予曲折を経つつ1889年明治20に帝国憲法が発布されます
18:49無論立法行政不死法の三権分立という点では十分に近代性を持つ憲法でした 後昭和10年前後から国家を漏断するもとになる党水権
19:00憲法上の大権の一つと言われるものですという不思議なものは発布当時は曖昧な存在でした 明治憲法を奏した人々はこんなものが昭和になって三権を超越して国家を牛耳
19:12とは思わなかったでしょうこれが明治憲法国家の矛盾でした さて新しい日本をどう作るかであります
19:19また振り返ることになりますが明治維新成立の時の日本は外貨手持高ゼロで出発しました 痛々しいほどに非力でしたがともかくも外国に売り得るものはキートであると
19:31みそれを売った金で文明の需要をしました その間借金もしましたが返さなかったということは一度もありません
19:38国家は信用であるということをよく知っていました このことを思うと涙のにじむ思いがします
19:45さて文明というのは基準であるということはすでに触れました 自由と人権を守るという今の文明の基準は20世紀も終わろうという今日ほとんど世界の
19:56氷のようになっています ある国の政府がその人民を抑圧しているという状態があるとしますと他の国がクレームをつけます
20:04例えば中国政府が天安門前広場に集まった学生たちを武力で弾圧したことに対し 各国が抗議を申し入れました
20:12日本政府もそれらの機微に伏しました 19世紀なら内政干渉になったようなことを今世紀末には平気でやります
20:21戦後の日本は国内的には自由と人権ということでは十分と言っていい水準に達しているでしょう しかし他国の人権あるいは自由という面での急迫の状態に対して他の国々に率先して
20:33苦情を申し入れるというほど朗々と自信のある姿ではありません 自信というよりも世界の現段階での文明を一人背負っているという自負はない
20:42今それを持つものはアメリカでしょう あるいはイギリスとフランスでしょう
20:48日本はそれに従っているにすぎません 例えば天安門事件における苦情申し入れとか南アフリカ共和国における人種隔離の状態に対し
20:57他に先んじて制裁を加えるかどうかということです イギリスの場合南アフリカ共和国のその状態に対して当時の首相サッチャーさんは実に
21:07果敢でした 文明の基準はイギリスにあると彼女は自負していたのでしょう
21:11あるいは自負することによってかつての大英帝国の栄光を世界に再認識させようとしたに違い ありません
21:18日本はそれほど勇敢にやるわけにはいかないのです 理由は歴史への遠慮というものであります
21:25ところが経済力だけは大きくなっています 無論かつて文明の基準であった今のイギリスよりも今の日本は遥かに巨大です
21:35日本は科学を生んだか ある英国人は私に言いました
21:39ほとんどの英国人は全日本人にそのように言いたいでしょう 無論生んだことはない
21:45科学はヨーロッパの所産であります ところが科学もまた1868年明治国家を出発させた日本にとって摂取すべき文明の基準でした
21:55特に技術の導入には理学部より工学部的な学問において実に果敢でした 明治の40数年間に19世紀の技術は下手なりに780%はマスターしたかもしれません
22:08科学と技術は無論違う概念です しかしここ20年来の日本の動きを見てみますと
22:15好もしいユニークさに気づきます 科学と技術をくっつけて科学技術といった分野においてそれは実に経済に組み入れやすいもののようです
22:24得意であるような感じがします 電子工学バイオテクノロジー遺伝子工学といった分野で科学が技術に癒着した分野かと思います
22:32日本はそれを得意とし始めたのです いずれにしても日本の経済的な体力が巨大になってしまいました
22:40無論アメリカの市場に物を売る 主としてアメリカの文庫解放主義に依存した上でのことです
22:46商品が良かったから値段が高くなくて故障が少なくてアフターケアも悪くなかったから 売れたのだという話題は今私が語っている大掴みな話の中では差し控えます
22:58他の主題に属することだからです ここで不要意に文庫解放主義という言葉を使いましたが無論競技ではあるいは正確には1899年
23:09明治32日から第二次大戦までのアメリカの対中国政策の基調を成した政策のことです 19世紀のある時期までイギリスは中国貿易を支配していました
23:19ところがドイツやロシアイタリアフランス 後発として日本が中国分割に乗り出してイギリスの中国における老舗としての維持が困難になりました
23:28文庫解放を密かに唱えたのはイギリスだったと言われています 中国に対して手つかずだったアメリカにそれを言わせたと言われています
23:37その後アメリカの基本政策になりいわゆる満州事変以後の日本と対立しました アメリカは国内的にもオープンドアーでだからこそその地震の上に立って対外政策でもそのように
23:49オープンドアーを主張し続けたのでしょう 内外の市場解放主義こそアメリカの本質であり将来もし濃密な保護政策を取るような
23:58事態になればアメリカはアメリカであることを失うでしょう アメリカ文明の特徴の一つは経済におけるオープンドアーであると思います
24:06第二次大戦後極東政策の用語としての文庫解放主義は歴史のファイルに入りました が開放的な市場経済はアメリカの基本姿勢になりました
24:15つまりは新しい文明の基準になりました このアメリカの基本姿勢もしくは本質は農業と製造業において世界に
24:24卓越しているという条件においてのみ成立するものです その2点でアメリカは十分に自信がありました
24:31市場解放が今世紀の文明の基準でありそれが人類に幸福をもたらすということは 戦後日本は知っていましたがしかしこの文明の基準ばかりは明治後の日本は取り入れ
24:42ませんでした とてもひ弱でしたから
24:45アメリカのような体力があってこそ可能だと思っていたのです 日本は高知に保護主義を作りつつ製造業を育成しました
24:53アンフェアというのではありません まさか気弱な自分がアメリカ国内の市場に打撃を与えようとは思わなかったのです
25:01アメリカは第二次大戦後閉鎖主義社会 例えばソ連型の社会主義に実に過敏に反応し反発し続けました
25:09自分たちはオープンでありフェアであるという姿勢がアメリカにあってはほとんど 進学化しているかのようであります
25:171950年代の朝鮮戦争も60年代のベトナム戦争も閉鎖勢力に対するアメリカの挑戦だったと 見られなくはなく以上に述べたような意味でのアメリカ的文明主義の表れと
25:28見ていいと私は思っています なぜなら朝鮮やベトナムにアメリカが兵を出したところで見返りで得る利益は考えられないからです
25:3620世紀のアメリカのやり方は189世紀の帝国主義とは全く違ったものです なお当時日本には社会主義という文明の基準もあると思っている人々が少なくなかったのですが
25:49今日それが文明の基準ではありえなかったということが一般的になっています ベトナム戦争が終わった頃アメリカの体力は数年で回復して
25:58依然以上に国内の市場は活発になるだろうと思われていましたが結果はそうは なりませんでした
26:03逆比例して日本の工業製品がつまり文明の基準を持っていないと見られるこの国の 工業製品がアメリカの市場に大きく入り込んだのです
26:13さて文明の基準の中に自由と人権それにやや声を小さくして市場開放ということを 入れてもいいでしょう
26:20市場ということには労働市場も入ります 千数百年自然的な閉鎖国家であった日本の場合辛いですね
26:28私などどうも怯む思いがします 日本がまだまだ外国人労働者に対しオープンに迎え入れるということにはなっていないことに
26:37密かな喜びを感じます しかしこれは文明の担い手としては従前ではありません
26:43私はそういうあたりを百も知りつつこっそり喜んでいるのです しかも将来に不安を覚えつつです
26:50このあたり雑談風に述べます 今ここで遠いローマ文明や紀元前後から7
26:578世紀の遠ぐらいまでの遥かな昔を頭に置きながら文明という普遍的な価値という ものを考えてみます
27:03文明はある条件の下に起こり内部事情によって崩壊します 国の内外を一元的につまり極めて開放的な市場経済を基礎にして起こったアメリカは文明という意味では
27:14人類が久しぶりに持ったものです 日本は文明を起こす条件としては欠けているように思えます
27:21まず圧倒的な農業生産力が必要です そこへ行けば異民族でも食べられるというものでなければなりません
27:28大東帝国というのはそのようなものでした インドから仏教や極芸を持って行くものさらには後来から遥か北アジア平原から来るもの
27:37それぞれが文化を持ってきて広大な農業地帯のる壺の中でそれぞれが溶けて 普遍性を生み出したのです
27:44党は帝室そのものが異民族でありました 党帝国の創設者の利縁は先輩族モンゴル系のでとされている
27:50アメリカの場合もっと徹底した土着性がほとんどない形での文明であります わずかに原住民がいる中へイギリスを中心としたヨーロッパそのものが引っ越してきて
28:01法を唯一史上のものにして互いが互いを治め合ったのです 日本はそうはいきません
28:08自然に成り立った国家のことを仮にネーションと呼ぶとしますと日本史の発展の ほとんどはネーションであり法による国家
28:15ステートができたのは明治憲法以来近々100年に過ぎません その間つまり旧憲法時代ネーションという古くからの根がはびこって
28:24統帥権という形で国家そのものを虐殺したこともある国です 戦後憲法1947年始後日からわずかに44年です
28:34もはや統帥権などという怪しげなものを持っていませんがいつ日本に自然国家が 蘇るか少なくともアジアは用心深く見つめています
28:42もっとも今日の日本をよく見てくださればそんな用心はご無用でありますが 法によって万人は平等である
28:51ということを日本人は一人残らず知っていますがしかしその平等性がタフであることを 試されていないのです
28:57例えば 隣も向こう隣もそして町内の半分が外国系である
29:04しかも法によって平等である という風な試され方はしていないのです
29:09そういう国が経済においてのみつまり製造業と貿易においてのみ優位に立ったのです ずいぶんつまらないことになったものです
29:21私どもは現在の文明の担い手としてはほとんど近似地まで行っているように思います 例えば自由であること
29:28日本社会は自由ですね かといって自由を世界に売り出すほどに文明の担い手は文明の押し付け手でもあります
29:36タフな自由ではありません 例えば先に触れました労働市場の自由性についてです
29:42仮に他国に自由を押し付けるからには自らも自由でなければなりません どうぞご自由に好きなように日本にいらしてください
29:50そして永住して働いてください一定の緩やかな基準によって日本国民になることが できますという風なレベルには私どもは達していないのです
29:59少なくとも私などは遠い将来は別としてたった今のこととして申しますととんでもない 今のままの日本がいいんですと思ってしまうのです
30:09何分年を取りましたから目の前の安寧秩序を愛してしまうところがあります そしてししそんそん日本が平穏無事であることを祈る気持ちが強いのです
30:18ともかくもアメリカの開放的な市場経済の社会に手も足も突っ込んで成功した 以上は自らもアメリカと同様のレベルで市場開放せざるを得ないことは当然なことです
30:30このままの成長を続けていればやがては労働市場も今の幅などより はるかに大きな規模で開放せざるを得なくなるでしょう
30:37国際化などというような高当然で済む規模ではありません もし大きな規模で労働市場を開放すれば国家そのものが変質します
30:46より純粋度の高いステートたらざるを得なくなるでしょう そこまでして我々は文明の担い手にならざるを得ないのかというのが新しい日本をどう作るかという問題に
30:58入る前の私どもの少なくとも私の当枠であります もはや剣刀市の日本も鎌倉武士の日本も江戸の長人文化の日本もすべて思い出の中の日本に
31:08ならざるを得ないのです これ以上の道は古い日本を大きく捨てるということだということの怯えが私にあります
31:15お大師さんのご利益も中心蔵の物語も遠い思い出になるでしょう むろん半分冗談です
31:22私は子供の頃からアジアが大好きでしたからこの想像には多少の楽しさが入ってます ともかくも日本が閉鎖的であり得た段階は今がギリギリ
31:32いっぱいのところだろうと思います あとは多様性の中で根幹になる日本の炉心のようなものが溶けてしまうか
31:39つまり骨なしの多様性になって泥沼のようになるかそういう国は滅びるでしょう それとも日本の炉心アメリカで言えば初期のプロテスタンティズムのようなものです
31:48日本の場合は武士道と受け取ってもよく江戸っ子の心意気と受け取ってもいいでしょう 江戸っ子の心意気は流入してくる立ち方からの人々の中で普遍性として
31:59醸し出されたものですを高々と残して残すことによって多様性に耐えられる 精神的体力を作っておいて日本を普遍化させていくしかないのではないでしょうか
32:08要するに日本人はいい奴らだというものを再生産していくことしかないのではないでしょうか やや抽象的に言えば古来の日本精神史におけるいい感じの日本というものを再発見して
32:21再充電しつつ多様性に耐えていくしかありません 日本も組合に入らなければいけませんね
32:27という言葉に対する答えは以上のようです私の話はほとんどためらいの連続です 日本人がもし腰を入れて世界の組合員になる気なら今の日本の場合
32:38文明の責任を持たざるを得ません 古くからの先進国イギリスやフランスのようなは内心滑稽さを感じて
32:46日本にそれをやるだけの哲学があるのかね とささやくかもしれません
32:52実は日本にはそういうものはあるんです 老子としてあります
32:57唐突のように思われるかもしれませんが華言の哲学です 華言の哲学というのは日本人が大好きだった大日教
33:05仏説阿弥陀教などに入っている思考法もしくは世界把握法です 今は俗哲学として日本人の血肉の中に入っています
33:13キリスト教のような絶対者がいる思想ではなく世界を相対的なものとして それが巧妙の根源に相和されているという考え方です
33:22巧妙を産業しつつ万物はお互い様という思想です 皆関連しあって昭和原子や分子のレベルから大は宇宙に至るまで
33:31すべてがお互いのおかげで生かされているという考え方であります 日本の青年海外協力隊なども意識するしない和別としてこういう伝統思想をどこかで感じ
33:41ているからこそあのように熱心にやっておられるのだろうと思います 組合に入る
33:46ただそれだけで私は以上のようにためらっています 明治時代の日本は電車で言えば小児切符でした
33:54大正時代の国際連盟これは例えですでも日本は半分尻をずらしていました 昭和初年から20年までは半組合でした
34:03戦後はオキュパイドジャパンで出発しました 近代化を遂げてから一度も大人の精神として組合に入ったことがないのです
34:12これは例えですが国連でも旧敵国ですから常任理事国ではありません 無論常任理事国であろうとなかろうとそれは形に過ぎません
34:21日本が精神として世界の大人として世界の面倒が見られるか つまり文明の基準たり得るかそういうことだけです
34:30誠に私は日本国民の意識という上から見てそのことにすぐさまには自信がありません 自由と人権
34:37がどうもここ当分おそらく半世紀以上の文明の基準だと思います この基準は時に世話人が人数のためにスイカに飛び込む覚悟がなくては基準足り得ないように
34:50思います 無論西部劇のスターのようにして飛び込むのではなく日本的なやり方でもって己の問題としてその課題に
34:58肉迫するということです とても今の日本ではまだまだ無理かもしれませんね我々が自分自身を教育してからでないと
35:06今日の現状のままそのような場に立つというのは間違いなことになります 何しろ文明の主役になるということはこいつばかりはやったことのないゲームですから
35:16それとも引き返しますか つまり今の日本経済を大きく減速させて中心国の段階にまで日本を戻しますか
35:24無論敵に背を向けるのは鎌倉以来日本人は恥としてきました 日本人の誰もがそんなことを望まないでしょう
35:33それならば一歩踏み出しますか あるいはこのままで次の100年やって行きますか
35:39もしそれができれば相当な玉だと言えそうですな
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