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鶴瓶ちゃんとサワコちゃん~昭和の大先輩とおかしな2人~ 【#62 喋って歌って昭和の思い出をもう一度SP】 - 2026年03月30日
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00:01スキをもっと自由に bs 12 12
00:10鶴瓶ちゃんと沢子ちゃん今夜はもう一度見たいトーク傑作戦
00:18まず最初は鶴瓶さんとは昔からの仲良し
00:20千田光雄さん
00:27本場にも昔から本当にも仲良ししてもうてよう飲みつれてもらいましたよ
00:33いつ頃なだからちょうどうわちゃんの時期ですこれの頃そうそうその頃に六本木でよううろうろしましたよな
00:43ものぞいギリがたい方でね私なんかお電話くれたりそれから娘にお祝いくれたり本当にね僕の
00:55千田溝の第一黄金期は昭和47年から54年までのわずか7年間なんでその時にちょうどで存じ上げてこの人はまだ鶴瓶さんの鶴の銃もみんな知らない頃に
00:56飛ぶ鳥を落とす勢いで
01:04僕は歩いてたら上からカラスとか鳩が怒ってきたんだから 全部鳥がねそんな時にお会いでしょっちゅう一緒だ
01:09山城慎吾さんも一緒によう六本木うろうろしましたよ
01:18山城慎吾さんが上田のチャンネルでレギュラーで入られた後に 千ちゃん大阪でねおもらい落語家さん話しかおるしね今度来るよ
01:27ええどういう方ですかって言ったらこういう頭でねまた井上陽水さんがアンドレ・カンドレって名前の時と同じで
01:29アーティストかなと思ったんだよ
01:38ちょっと来たら落語できない落語家だったんですよ でもその第一黄金期だったからもう本当にイケイケな状態で歯振りもよく
01:47その時の音は忘れませんよそれから迷惑もだいぶかかりませんよーしゃべるからね迷惑もいっぱいかかったけど
01:48うちに泊まってくれたんですよ
01:49そうそう お泊まりにもなれたのか 広島市の一等地にマンションがあったもんですからいやいやこれねほんまには本当に
01:58ほんまそれはほんまなんですよであのマンションを見てこういうところに住みたいと思って
02:06今のマンションもそうですよあらじゃあ一つの目標になったんですよ これはマジですよ一つの目標ですえーとこやなここあれ誰かの借りてたの
02:11そうですあそこのマンションだった社長の部屋を借りて
02:12すっごいところ7 ldk ぐらいあったん えっほら大音じゃない
02:19僕だって千代田区で第5位の納税そうそうそうそう 長蛇番付に乗ったんですよね7
02:22ldk ですよがっぽがっぽかすぎらした
02:27部屋の中で迷子になりましたもんいやマジで本当に
02:36夜夜いやそんなんで笑うと赤見してもらうもんもう全然おもろないやんかなんで止まったんですか
02:40いやいやでも本当にそばにおって楽しかったんですよほんと
02:41なんか芸能界のとなんていうかね スターの人がいっぱい寄ってくるところにてたんやからねだって前千代さんにお会いした時にその第1次4号機の時だと思うんですけどもたけしさんがまだデビューして間もないぐらいの頃に一緒に車に乗って千代さんがスポーツカーかなんか乗ってたんですかそれで助手席にたけしさんの設定としたたけしさんが俺はしばらくは売れるでしょうかねって千代さんに聞いた
03:01そしたら大丈夫だよっておっしゃったっていうだからたけしさんもたもりさんもすれべさんもみんなみんなまあこういう言い方はおかしい僕のある理由でもう一緒に車に乗って千代さんがスポーツカーかなんか乗ってたんですかそれで助手席にたけしさんの設定としたたけしさんが
03:17俺はしばらくは売れるでしょうかねって千代さんに聞いたそしたら大丈夫だよっておっしゃったっていうだからたけしさんもたもりさんもすれべさんもみんなみんなまあこういう言い方はおかしい僕のある理由でまあ僕の芸をパクったっていう
03:38そうパクリの代表やなあなあと岩原さんのパクリですパクリってより買ったんですけどねお金払ったお金払ったでもまあその辺をね正直に言うのがおもろいですよ岩原まさゆきさんがね芸能界の先輩なんですよ
03:40おー千代!那覇ってやったんですよそれ何ですか
03:54?って言ったらいやウルトラマンがなあ出てきて飛び立つときとか着散るときに那覇って言うんでえー本当ですかってテレビ見たんやってたからそのねちっちゃい声でねあ
04:07!って言ってるんですよあとで聞いたら第78星雲から来ててそれから7と8が取って那覇なんですでちょうど私は今年78なんですはいはいこれで那覇なんですよこれ記念番組ですよねだからいわゆる
04:37そういうところいわゆる一つの静かにせえ俺この人に弱いんですこの人に僕にこれだけ言えるのはねこの人しかいないんですもはやなんかねこの人にはね主従関係でね自由になっちゃうんですよなんでやそんなことない先輩ですよさんまさんと千代田さんは芸能界のトークの2位3位を争ってますね1位は誰だうまいことそんなうまいこと言えまんの
04:53すごいすぐさんまに電話するの来ますよここお仕事もらえなくなると困るけどいやだからこの世界だけは下告状と言葉があるけどやっぱり昔はねおい鶴瓶久しぶりだった時は鶴瓶さん今鶴瓶先生って呼ばれる
05:07オリンピックが日本で初めて開催され東洋一のホテルと言われたホテルニュー大谷が開業した昭和39年
05:15当時高校生のビリーバンバン菅原兄弟と出会います
05:19ビリーバンバンの弟の菅原すむの
05:30親友でどこで知り合った17から付き合ってます学校の頃に学校は別にあったんですけどある友達を介して気が合っちゃってあの頃
05:58気が合って気が合ってビリーバンバンは最初5人ぐらいでやってたんですよビリーバンバン5人おったんですよ学生4人か5人出たり入ったりしてところがレコード会社がまだその頃レコードですよドーナツ版ねレコード出す時に兄弟の方がかっこいいだろうと兄弟で売り出そうと全部首切られちゃったんですよ兄弟だからかっこいいってんじゃなくてスズームがやっぱりはっきりしてるからギャラがね
06:263等分より2等分の方が多いじゃないですかそういう打算があって切られたんですよそれで僕はこの2人が外れたら芸能界入れないなと思ってくっついたんですよそれでもあと運転の方とあの頃お兄ちゃんがウッドペース大きいベースを持って運んだりいわゆる付き人のような感じでこの2人に付いてるのは芸能界入れるなと思ったんですところが兄はあかないんやレコード会社がレコード出す時に白いブランコ
06:56白いブランコの後はセンダミソの長いブランクって作るはずだったんですよこれ以上はないところなんですけどねネタネタやもういいからもういいからもういいからもういいからもういいからもういいから
07:26ブランコ
07:40ちょっと芸名なんですか芸名なんですか芸名です本名だと思ってましたこの頃センダービート死んだミソって死んでない人死んでない人死んでない人一時一時一時突っ込み強要しないなお前は突っ込みだから突っ込むわいな
08:04ある大きなパーティーでお会いしてセンダーさんとお会いして久しぶりってこうやって会ってセンダーさん今何やってんのって言ったら失礼だって怒ってその時長嶋茂雄さんもいらしたんですよそのパーティーそしたら長嶋茂雄さんのとこ行って阿賀さん失礼なんですよ僕今何やってんのって言われたんですよって言ったらね長嶋さんがセンチャンまだ芸能界にいたのっておっしゃった
08:34その後ね最近芸能界の監督仕事がないからもう辞めようと思うんですよ僕まだ辞めてなかったのって言われてひっくり返りましたいやあの方はねすごい可愛がられてました1回目の監督を辞めになって2回目の12年間ずっとフリーターだから時間も終わりになった好きに3回はゴルフやって食事会一緒にやって一番最初に神奈川県でゴルフやったんですよ
09:02やっぱり長嶋さんトップに打つじゃないですかあとの3人見てて他のお客さんも見に来るんですよ長嶋茂雄さんがいきなり直角の右OBですよいやー長嶋さんがOB打ったらキャディさんも残りの3人もみんなもね言えないんですね言っちゃいけないオーランある長嶋さんに一瞬黙ったらね2秒後に本人言いましたもんファールですねファールファールないっちゅうの
09:24平気な顔してね本当12年間お付き合いさせていただいて本人に聞いた話あと1個だけ昭和33年に巨人軍に油断してるんですよ背番号3だったみんな3の背番号取り合いなんですよ少年野球は監督やっぱり3番という数字は僕ら段階世代にとったらね
09:46宝物なんですよやっぱり一番好きな数字はって言われたら監督やっぱり3でしょうねって言ったらそうですねやっぱり千田が言った通り一番好きな数字って言われたら今言ったラッキーセブンの3ですねって意味わかんないでしょ意味わかんないだろ意味わかんなくても何ですかって聞けない聞けないオーラがあるそうですねやっぱり千田さん
10:13もっちゃ好かれてたんですね長嶋さんに長嶋さんにそこまで好かれてる芸人ってあんまり心開く方いらっしゃらなかった宝物ですそうでしょ宝です何ですかそして長嶋修行さんからもらった宝物を持ってきていただきました大昔長嶋さんがどっかで外国行ってお笑いの方だからこのネクタいいでしょ監督が買ってきてほんまなのこれ
10:41長嶋監督が千田さんにくれたやつを持ってきてくれたはい黄色いところとブルーのところとリバーシブルなんですね可愛いだいぶ使い振りしてねいやでも本当に長嶋さんは千田さんのこと可愛くて可愛くてしょうがなかったんですねなんでやと思いますなんでだから長嶋さんも人の話聞かないしこの人も言うんだことわかんないけど一つだけいい話があります12年のブランクがあって
11:08第2次長嶋政権を作る新聞出たんですよはい監督就任監督また監督やるんですねってやらない疲れちゃってやらないだから新聞やるとボボン出てますよやらないやらないやらないやらないでくださいよ監督が始まっちゃったらねゴルフも行けないし食事も行けないし会えなくなるじゃないですか寂しいですよ大丈夫大丈夫会えますよ東京都分来ればやるじゃん
11:28やるじゃんあれは最高でした面白いなアニメドクタースランプあられちゃんの放送が始まり日本劇場が48年の歴史に幕を閉じた昭和56年
11:55大河ドラマ女対抗期の出演を機に俳優業に火がつきます第4号機はNHKの大河に出られたっていうところがスタートですね第2号機第2号機は来年来年って言われて10年になりますから結構待ってるなと思ってまああのブレークする前にブレーキかかっちゃったもんですけどねこれいいだろう今の
12:06自分でいいだろうって嬉しそうな顔して言うけどどっかで使わないでくださいよ使わないでそんなもん使う女対抗期ああ昭和56年でした女対抗期ってどなたでした
12:14?西田さんが秀吉でああそうそう佐久間よし子さん佐久間よし子さん僕は泉ピンコさんの旦那の役で
12:32生理役かき込んで僕の奥さんが家康のフランキー坂井さんのとこに突破されちゃう僕は別れ刺されちゃう悲劇の役だった役やってたよねその時に確か電話もらったんですよいい仕事来てますねって
12:58まあそんな偉そうに言いませんけど今なりあの最後放送でそこの動画でフィリシャしてもらってはいで自分で見ててああちょっと芝居臭いけどこういう芝居やってたんだと自分で思いますフンフンに酔うって言われますまあまあでも振り返るとやっぱそう思うでしょやっぱりそのああええ仕事してたなっていうのはねあとやっぱ一番好きだったのは吉永さんの新夢中に吉永さんとも一緒にやってんの
12:59?はい悪いですか?
13:08いやいや近づいて欲しくなかったんですよ吉永さんに僕一緒にやっててもねそんな容赦めらんもんほんまにえそうなんですか
13:15?いやいやご飯は食べますけどね向こうはもう普通の方素晴らしい方ですよね素晴らしい方リュウチシュウさんってご存知でしょ
13:29?はいリュウチシュウさんリュウさんと仕事やったんですよやらせてもらったんですよリュウさんがサラリーマン生活終わって奥さんが亡くなってそれまで普通の生活したんだけど退職金で贅沢三昧して
13:59地方の友達を回って自分で命を落とすそういう決意の方に冬構えっていうドラマだったんですよはいドラマ
14:19その後何か事件があって一番最後にリュウさんが奥さんを思い出して自死するから泣く心があるから深町幸男って監督が夢中に行きの勉強になるから見に行きなさいって僕出番なかったんですけど見てたんですこうやってそしたら本番行きますリュウ先生いいですか
14:23?思い出してください奥さんのことも全て思い出してください
14:30はい恐縮でございますけども泣いた時にアップ行きますのでって言ったらNG2回出したんですよリュウさんが
14:42?泣かないんですよリュウさんがそしたら深町幸男さんが先生今目薬持たせますからいりませんあそうですかじゃあ本番行きますまた泣かないんですよ
15:07あの先生すいません泣いていただきたいんですけどって言ったらリュウさんに言った一言熊本の男は泣かない熊本出身だったんですよそれ芝居と全く違うんだけどそういう一徹なものを持ってた今の話すっごい良いよねすごい素敵僕が家買った時に昭和52年に彼が来てくれたマンションから引っ越して自宅を変えたんですよどこへ行ったんですか
15:11?世田谷区共同そこは行ってないわすぐそばに森重さんの家があった
15:33出ましたこっち側に中谷達也さんの無名宿があった行ったことありますこの二人に囲まれてないすごいだろうなと思って屋根の上のバイオリン式のためにやっぱりリムジンで家の前に通るんですよでちょうど娘がいて抱っこした娘が幼稚園ぐらいに行ってあ、森重先生だったら止まって後ろの窓を開けておいセンザー元気か
15:39?娘に娘やれやれって言ったら元気もりもりって娘がやったんですよ
15:54そういう意味で先生が喜んでくれて今度使ってもらえるなと思ったら一回も応募はなかったです森重さん何見ても使ってもらえるとかそうそうそうそうなんかそんなことばっかりやっぱりね、どんなコネクションでもね
16:06やっぱり人生はおかげさまよりお金さまっていうかでもその貪欲さがすごいですねやっぱりねやっぱり花束でサッタバですね言うてんねそのものいただきますえ
16:08?中谷さんお会いされたことあるんですか
16:10?中谷さんは
16:32めったに稽古場をお見せしない方なんですけどはい僕が行ったら見せてくれてあの方が中堅八甲八郎ああ、やりましたね映画見たらうちの娘とみんなでキヌタ公園っていうそばに朝行くんで中谷さんがジョギングして八甲のお父さんだよって喜んじゃって
16:35もう一人だけ丹波哲郎さん知ってると思いますか
16:41?あ、丹波哲郎さんはいセリフ覚えないで有名な方はいもう大霊界のパート3出てるんですよえ
16:57?出てるんですいろんなものに出てるんですそれで東映の衣装部屋で初めてお会いしたはじめまして千田光雄ですこれG面75とかいっぱい見てたから君が千田くんかうん、今回頼みよ千田くんちょっと顔を見せなさいはい
17:01?顔をよく見せなさいはいうん、千田くん
17:26君は間違いなく地獄に落ちるあのおっさんは、そうですか地獄にどうしてですか嘘つきだ顔に書いたら嘘つきだすいません今日から改めますから地獄だけは勘弁で遅いもう既に遅い役が地獄の門番の役で真っ赤に塗られて鉄棒を持ってセリフ1個もないの誰やわかるよ
17:45あの人はあの人はご相撃に青山大将行ったらその1年くらい前俺がなあの世界行ってもな1週間で帰ってくるから待ってろもう16年経つんですけど誰も見たことない誰も見たことないでも素敵な人だったないや素敵でした本当に
17:58そんなに疲れた人はいないですよだってある監督がね現場で僕は早く出てたらタンパちゃん高いキャラ取ってんだからセリフが家で覚えてこいバーンって台本投げたんだようんうんうんうんうん
18:25監督俺はな仕事は家に持ち込まないだってどんなおっさんやね調子調子めっちゃ調子その答えが分からない方調子笑ってしまうまだいけるまだいけるもうちょっと落ち着いたらまだいけるあと2年で80ですよだからまだいけるそんなもん笑ってるやんあんなめっちゃめっちゃ笑ってるやんそこまで笑ってあかんって次次何
18:54いろんな話いろんな話最高でしょ最高俺は仕事を家に持ち込まないでもうみんな助監督休憩入ります休憩しーっとしちゃって最後に昭和の大先輩千田光雄さんからの人生のお言葉ネクストワン次の一つが一番大事千田光雄
19:23この後千田晴雄さん登場内田雄也さんとの思い出を語りますちょうど京都でいろいろあれやったらあったときねだって内田さんタイガースを見出してそういうタイガースなんかのプロデュースとかやめて続いてはミュージシャンでありながらマルチに活躍する
19:34千田晴雄さんバンドいっぱいやってらっしゃるからねなんか飽きやすいんですよね一番最初のバンドハローのときまだ20代くらい
19:38?20代くらい70代ですからねへー
19:51だからねなんかその番組でなんかでお会いした後に青山通りをね歩いてたらなんか向こうの方から鶴瓶さんがなんか歩いてらっしゃってわかりやすかったそこでなんかこうなんとなく挨拶したって記憶がその時代はあったのでそれっきり多分お会いしてないと思うんですよ
20:07あったって青山通りであったってなんかこっちに出てきた頃でしょうね俺はいやいや俺だいぶ運や思ったんですよ千原さんがほぼ同いほぼ同いでしょうけど上ですよねちょっと上ですね上ですよハローのときはよく知ってるんですよその時代
20:35へーあんまり長いことやったそうですね75年からで70年代いっぱいぐらいなんで75、6、7、8くらいかなって僕だからセイヤングとかやってた頃ですねそうですそうですはいはいそうかねラジオずっとやってたからその頃近田さんはじゃあバンドのバンドやるミュージシャンって一方はミュージシャンなんですよ言葉言葉って言ってるんだけどいろんなことやってプロデュースのこともいろいろあったから
20:57何を一番最初に言ったら俺は近田ハローとハロー本っていうそんなバンドやってもミュノと違ってねあんな食えない時代だからとにかく来る仕事は何でも断らないでやっていたら何の人か分からないような感じになっちゃってどうしようかなって悩んではいましたけどね悩んだこともあるんですか
21:04?ありますよやっぱりそのちょっとはねタレントさんみたいなことやってるとちょっとはそこで売れたりするとさ
21:25少しは気分良かったりするじゃないですかやっぱり当時のその日本のロックシーンっていうのはもうシーン自体が小さかったからそんなにみんな儲かったりもしないんですよそれに比べたらそのテレビとかねラジオとかに出てるとまあなんて言うんだろうなもうちょっといい感じに稼げるんでそっちの方がいいなと思ったんですけど
21:41でも待てよ俺はやっぱりミュレシャンになりたくてこの世界に入ったんだよなっていうその葛藤はずっとあったよなかったわけじゃないですねでも元々はお母様は音楽の先生でピアノをそうですね家でピアノを教えてました
21:57でええとこの子やったんやすごいいやそんなすごい良いとこでもないんですけど母親はですからその芸大出てて今日ピアノできたんですけどそれ芸大行けとは言われなかったんですかあのーやっぱり母親から見た時にも
22:24本当はねあのー息子を自分が果たせなかった夢というか気合についてしたかったんだと思うんですけど僕自体はとにかくそのクラシックみたいなものとか全くその生理的に受け付けなくて幼い頃からそれはダメだとかダメでしたね感覚的に本当に歌謡曲もクラシックもジャズもなんかみんな受け付けなくて好きだったのは本当にアメリカンポップスだけだったんですよ
22:52いわゆるその握る背中とかそういうコニーフランシスとかねそういうものの延長線上としてあのー自分が小学校が終わる頃かないわゆるベンチャーズが出てきてあのエレキの音にねあれに何かその不良性みたいな音を感じてあとそのなんか持ってるだけで不良だって言われるようなそんな時代でしたねだってビートルズが来ても行っちゃいけなかったんですよねだからそういう時代ですもの僕ら中学の頃ですよちょうどあーそうですよね
23:17友達の間ではどういう存在として言われてたんですか小学校の時にはクラスの大半の人間のあだ名を僕が一人でつけてましたいまだにクラスカーに行くと僕がつけた時のあだ名が残ってますついて残ってる残ってますよだからあだ名つけるってだから顔見て雰囲気見てずっとつけると理解されなかったらあだ名がつかないあってないと定着しないじゃない
23:40そうそうそう例えばどんなあだ名があるんですかいろんなあだ名つけたんですけども結構シュールなあだ名もつけたどんなあだ名ですか似てる人
23:44って呼んでたんですよ素晴らしいあだ名よそれ似てる人
24:00普通は例えば誰かでねたぬきとかそんな単純なものつけるけど小学校で似てる人ってそんなでもそれはなんか妙にそれがヒットしたらしくてめちゃめちゃヒットするわそれはそういう変なあだ名は結構大人になってからもつけてましたけどね
24:17へぇーピンとくるんですねそうですね本当に大人になってからだったら例えば一連の動きってあなたもつけたことありますか一連の動きディスコでバンドやった頃に結構その可愛い子がいたりするわけよ
24:42そうするとその女の子を何とかしようと思うんでメンバーその子に声かけたりするじゃないそのアプローチのね感じがその一連の動きだったんですよなのでそのその相手に対して一連の動きしたためにしちゃったあ、あ、あ、ウケてる顔ねだから直接は分からないけど一連の動きって言ったら分かるそうそうそう今日一連の動き来てたよみたいないやそれがおもろいやん面白い
25:11山口桃江さんがデビューし第一次オイルショックが発生した昭和48年内田雄也と1815ロックンロールバンドに参加することになった近田春夫さん内田雄也さんとバンドをやってらしたんですもんね20歳くらいですねあの時代に内田さんと出会ったんですか
25:35怖くなかったんですかいや全然怖くなかったですいや案外丁寧でねえものすごくゼントルマンですよねそうそう気遅があるしこれが表現したら怖いなと思いながら喋ってたけどね時々表現だけどねそんな一回も僕らはなかったちょうど京都でいろいろあれやってはったときねこのロックの集まりをずっとやってはったんですよ
25:50だって内田さんタイガースを見いだしてさあそうです京都にね京都にね京都の時期のあの頃ですか大体いやちょっと後がその後ですね後ですよねだからタイガースを見つけた頃っていうのはいわゆるグループスランズの頃なんで
26:17その頃は僕もまだ高校生だったんでゆうやさんと知り合った頃はタイガースなんかのプロデュースとかをやめて自分でフラートラベリンバンドっていうロックのグループを作ってその頃ですよねはいはいはい内田ゆうやさんと近田さんのエピソードで私好きなのは内田さんが毎回メンバーの顔を見ると手洗ってうがいしろって言われたら言われてる
26:44意外とそれは真面目に言うんですよだからみんな割と周りのメンバーゆうやさんの周りに集まってる人間は割と本当に手を洗ってうがいはしてましたねうるさいんですよ意外とロックだぜって言ってる人が手洗ってうがいしろって毎日言ってたでもそのロックっていうのもさあの人69って書いてロックじゃないあれ日本語じゃないですかそうですね
26:58そんなになんか妙にそれを信奉してるからそれもなんか不思議な人だなっていう内田ゆうやさんとバンドを組んでさあこれから要するにデビューを披露しようっていうクラブハウスでの話が最高なんです内田ゆうやさんがね
27:20その人しきり自分はそのそれまでプロデュースをずっとやっていてそろそろもう一回自分がメインでステージに達したいっていうことになってそれで自分の新しいバンドを結成しようっていうことになりまして内田ゆうやと1815ロックノールバンドっていうのを組むんですけどもそれがいついくつぐらいの時ですかそれがだから20歳ぐらいからそれでねその
27:35そのバンドっていうのは僕はその前にそのアランメリルっていうねヘレメリルの息子さんその人間とバンドやったりしたんですけどその人間とバンドやってそれをもう解散しちゃったんですけどその1815ロックノールバンドっていうのは
28:02そのゆうやさんがそのメンバーを集めるという中にそのアランメリルも入ってたんですねへぇただアランメリルは本来はギタリストなんだけどそのグループの時はベーシストで入っていてそれでそのあとドラムがそのテンプターズの大口ひろしっていうね大口さんそれでギターがそのクリエーションっていうロックグループの武田和夫っていうのがいてその他が武田和夫、アランメリル大口ひろしっていうのがいて
28:29なんですけれどそのゆうやさんはいわゆるロカビリをやりたいっていうことでそうするとロカビリっていうのはどうしても結構ピアノが必要なんですよキャンキャンキャンキャンキャンキャンって聞くようなそれでアランに誰かお前そのいいピアノにいいかみたいなことでちょっと似てるでしょ似てるのよ誰かいいピアノにいいかみたいなやめときは別に普通しゃべったらそんなこと真似させてやれ
28:44見たらねアランがあ、それだったら力はバッチリだからって言うんでそれでアランから電話かかってきて実はここにやるんだけど一緒にやんないって言うんで行ってゆうやさんのデビューのための生の枠を
29:021プログラムを組んだんですよそしたらそのテレビ番組テレビ番組ですリブヤングっていうふうに石田さんっていうプロデューザーがやってらっしゃったアランなんですけどそれでその本番当日その石田さんがゆうやさんのところに来て
29:12実は今日どうしても前座に出してほしいっていうアマチュアのバンドが来てるんだけどどうかなって言ってバチバチとか言って
29:41ボチボチバチバチバチバチバチバチバチバチ面白いじゃないかみたいなそれでそのグループがじゃあその前座で生ですよその日やるっていうことになって当日行ってどんなグループなんだろうなって見たらリハーサルで衝撃を受けて要するに種分かしをすればキャロルなんですけど矢澤さんのところですね
30:10あのだからカワジャン来てリージデント当時ロックバンドでそんな格好してる人はまずいないじゃないですかしかもああいう昔のオールドスタイルロックンロールやってるグループもなくて演奏もかっこよかったし僕らって言えば井上さんは一応ロカビニーなんだけどあとのメンバーの中端版ロックっぽい格好してるわけよ向こうは全員そろいのさカワジャンでさリージデントでさそれが前やとそうこれがリハ見た瞬間に演奏もすごかったんですか演奏も見てくれも
30:24その瞬間これは勝てないかもしれないと思ってリハ見た瞬間に全員意気消沈してそれでも一応しょうがないから本番になったらまたその本番のその時のキャロルの演奏が素晴らしくて
30:39多分ねグッド・オード・ロックンロールってやってたと思うんですけど印象のことだけどこれがあまりにもすごくてでもその後一応メインは屋さんだからさ僕たち演奏しなきゃいけないじゃないですかもうどういう顔でやったのか当時はそのVTR見てないから分かんないんだけど
30:55そーっと暗い感じで演奏を聴いたのでその後楽屋に帰ってきて全員そこから全員ですよお互いに口も引かないでそれぞれ用意されたタクシーに乗って帰っちゃったっていうそれだけ衝撃受けた
31:23衝撃受けたいやーだから本当にキャロルの衝撃を多分日本で一番最初に味わった人間の一人だと思いますけど誰もそれは言わなかったすごかったなとかも言われるんですねゆうやさんには何にもそのそういう言葉を出すことも無理なぐらいの衝撃でしたねそれでゆうやバンドの方はどうなったんですかそれでね一応そのゆうやさんとしてはその後に自分としてはねその日本
31:53全国ツアーを組んでたんですよなんだけれどへぇそれはもうそんな状況だからそんな状況ってキャロルを見てでしょでもう無理になっちゃったんだけどブッキングはしてあるからどうしようかってことになったらしくてそれでその武田和夫のいたクリエーションっていうバンドがあったんですけどそのだからそのいわゆるさっき言ったアランとか大口博士はもう僕がそこで無しになってそのクリエーションとゆうやさんだけでその全国ツアーを消化するってものになったんですけど
32:15なんですけどそのどうしようかロカビーやるんでピアノだけが必要だったんでゆうやさんから上がってきてというかそのクリエーションでやるそのツアーに参加してくれっていうことって断れないじゃない僕も何個ぐらい回ったんですかそれ結構回りましたよいやでしょそれもただなんていうのかなまあ子供だったしね
32:45それはそれで面白かった
32:54ビーフっていうなんかなんか不気味なロックシングルが出てたんですよでその名前が良くてへー今ビーフって結構なんか人をディスるみたいな言い方が
33:13そういう意味らしいんですけど当時そら知らなくてねそのビーフっておかしいなと思ってよし次のバンドは絶対チカダバンドをビーフにしようと思って名前に敏感なチカダさんだったそれを作ったんですけどそのレコード会社をねその前のキングレコードからコロンビアに移籍するということになったときに
33:42当時紳士協定があってAっていうレコード会社からBっていうレコード会社に移籍するときに相手はそのよくほら離婚した後何ヶ月ならさ結婚できないとかあるじゃないですかそんなこと言った子供生まれるわけじゃないのよね昔あったでしょ今から一人話したけどそれに近いものがあってそのビーフで出ようと思ったらレコーディングできないってことになって仕方ないからそのビーフの自分以外のメンバーを自分だけ外れてそのビーフのメンバーで
33:45レコードを作ろうってなったのがジューシーフルーツなんですよえ
34:09?あ、そうですかそうなんですよそれでそのジューシーフルーツっていう名前もさっき言ったそのビーフっていうのと同じでそのファントムオブザパラダイスっていうその映画の中に登場するグループの名前だったんですよねそういう面ってヒットしましたよジューシーフルーツだからプロデュースっていうのは自分がねプロデューサーになるっていうそういう意識をしたわけではなくて今言ったような事情なので
34:25どこかに力を張ったら付けとかなきゃいけないっていうんでだったらプロデュースにしとこうかみたいなその当時のそのディレクターがねコロンビアだったんですけど自分の大学の先輩だったもんですから結構そのお前俺なのよ
34:36向こう偉いからお前いなくたっていいじゃないかよみたいなであのボーカルあのギターの女綺麗だからあいつに歌わせていいじゃんってもうひどいでしょ言い方そういう関係だった
34:48本当に面白いバンデーってね面白かったし結果的には面白かったんですけどだからそれを本当にねひょうたんからこもっていうか一応名前どっかに付けるのにじゃあプロデュースっていうのがいいんじゃないみたいなでその後にねその
35:16そのいわゆるジューシーフルーツっていうのがちょっとヒットしたときに漫才のザ・ボンチいるじゃないですかもちろんそのボンチの曲を作るときにそのボンチの曲を作るザ・ボンチのお兄さんの曲作ったわけですかそれでそれは当時その盗作騒ぎでえらいことになったんだけどえへへへビーたけしさんがなんかオールナティボンカなんかでそのこと言ったらそれがすごい盛り上がってそっからなんかそうなっちゃったんだけどさうーんあれ盗作だよとかそうそうそうそう
35:44ええひどいでもようヒットしましたよねそれもしかも結局その誰からも訴えられなかったからまあロックノールそういうもんなんだろうってことで済んじゃったんだと思うけど最後に昭和の大先輩近田春男さんからの人生のお言葉適当に親切近田春男この後
36:05ボニージャックスボニージャックスタマダさん登場あの低音ボイスで歌ってくれます続いては同様でおなじみコーラスグループボニージャックスのタマダ元康さん
36:18ボニージャックスボニージャックスボニージャックスって僕ら子供の頃からですからねええそうですねタマダさん分かってますの僕らが子供の頃ですからねほんまに
36:23結成が1958年ですから51年までです
36:33ボニージャックスボニージャックス時代は私たち本当に子供の頃からでしたけどダークダックスが慶応でボニージャックスが早稲田で
37:02デュークエイセスももうちょっと後にデュークエイセスが出てきたいや、デュークエイセスの先なんです先なんですデュークエイセスは先ですかダークダックスが長男デュークエイセスが次男でボニージャックスが3ボニージャックスが3なんですかはいただね、年齢はダークと僕らはちょうど平均5年ぐらい違うんですけどデュークは意外と僕らと変わらない年は変わらないですね世代も同じぐらい
37:19古い方の名前出すとねいろいろあるんですよ一番皆さん驚くと思うのは一緒にキングレコードでレコーディングしたことあるのがエノケンさんですエノケンさん
37:20?エノケンさんと
37:30?エノケンさんと一緒にね浅草オペラの歌をね僕らボニージャックスでレコーディングしまして
37:36あのもうあの頃ちょっと足が悪かったんででもレコーディングは
37:59ボンビンと立って歌ってらっしゃるんですよね文体昇華感って文体昇華感って文体昇華感って文体昇華感って
38:00Yes.
38:13Then,
38:14do you know?
38:16Do you know?
38:19Ah.
38:26Okay.
38:27Do you know?
38:31I'm going to start the show
38:35I'm going to start the show
38:38We have a regular show
38:43We have a new show
38:46We have a new show
38:48We have a new show
38:56I would like to dance with a little story.
39:01It took about a 2-3 years.
39:07At that time, the pression was also more to play.
39:13The pression was also more to play.
39:17Yeah, so.
39:21えっみんなの歌でもたくさん
39:23そうですそうです
39:25レパートリーが増えて
39:29まずとにかくそれと小さい秋見つけたんで
39:34昭和37年にレコード大賞の童謡賞っていうのが
39:36あの頃童謡賞っていうのがあったんですよね
39:38昭和5年です
39:41佐藤八郎さんと中田芳直さん
39:47僕らと3者でレコード大賞童謡賞ってのをいただいて
39:48Well, that's what I'm going to do with Bonnie Jacks, which is very good for me.
39:59Bonnie Jacks is a good friend of mine.
40:02He's a good friend of mine.
40:06He's a good friend of mine.
40:08He's a good friend of mine.
40:16He's a good friend of mine.
40:19I'm sorry, you forgot that I got it.
40:24But remember, I'm a good friend of mine.
40:29I was like, I'm going to go to this one.
40:41I'm going to go back to the program.
40:52She said,
40:53I had a skill to meet the music,
40:59and I was like,
41:00I was like,
41:00I'm sure I had a skill.
41:03But I didn't want to say,
41:05I was like,
41:05I was like,
41:07I was like,
41:08I have a skill now.
41:11It's really different from me.
41:12And you're a skill you can get.
41:17I don't know.
41:52危機はあったんですか大町が辞めるときがねあの実はあの大町っていうのはちょっとやまけが多くて
42:00ああそれあのちょっと鹿島屋西脇とちょっと契約になってきてで私はね
42:10あのそのマーマリーダーだったんですがなるべくその後の3人とと行き東京に似てあろうとそういう意識を非常に持って
42:25たんですねだから鹿島と西脇がもう大町と非常にも こうはやる使ってもう母に辞めたいと言い出して俺はその大町庄司とかいうのを立ち上げてやるんだとか言って
42:33まあそのこともあって実は実は今と彼は自分から辞めていったんですが
42:47ああやめてがまあその頃にはもうかなりその 観光編が進んでいってねそれまあまたそのその彼がやった商売がまあ仕事商売うまくいくわけがなくて
42:55まあそのその後我々の今までお世話になった方のところでねまたから行って
43:09いろんなことをまあお願いしてるんですよねまあ 俺がねちょっともうこういうのとかねいろいろであってもよまあまあのまあまあねえって言っててよかったんですよねこれ
43:19まあそうですねそれでまあ彼がその事態やした後で今入ってる吉田
43:27吉田さんってぐっと若い吉田秀幸さん 今年の今年感激になりましたけどね見たところも高いでしょ
43:33ねはい今2人でボニージャックスは続けていらっしゃるんですね
43:44そうなんですもうねなんと新生ボニージャックスさんって言ってまあでもね 2人でも20勝ですけどハマるようにまあ私はいろいろ考えて
43:51だんだんレパートリーを増やしてくれます すごい先生ちょっと小さい秋を
43:57僕らも歌いましょうよ一緒に歌い一緒に小さい秋
44:06誰かさんが誰かさんが誰かさんが見つけた
44:21小さやき小さやき小さやき小さやき小さやき小さやき見つけた目隠しように三手の鳴る方へ
44:27澄ましたお耳にかすかにしみた
44:28ど ¿らで歌わされる阿部学校には三人も五人も出てくる準備ができ不住みお伝えしたい2人も一緒にお伝えしたいき
44:39seiお伝えした
44:41delta チャバー正月 ロー
45:11いやいやいやこの後ボニージャックス玉田さんの知られざる姿今なお介護施設で働く日常に迫ります
45:44コーラスグループボニージャックス玉田元康さんの知られざる日常高齢者施設でお仕事もなさっているんですってその活動以外にも働かせていただいております働かせていただいてますどんな仕事してあるんですか単純作業です実はその施設はうちの神さんを見取っていただいた施設なんですけどね
45:58それから1年ぐらいちょっと主役がその病気でということもあったしもううちの会社も非常に大変な状態で困窮していたのも確かなんですが
46:18その新聞の広告でお手伝いさん募集と経験学歴不問年齢不問年齢不問のところに括弧して70以下って書いてあったんですが年齢不問なのに
46:39それはその時応募したのが85くらいかな雇っていやいいでしょということでその代わり逆にこっちからお昼ご飯前にみんなで歌をやらせてください歌ってない日はほとんどないかなってそれはありますね
47:06もちろん手のひらに体温を歌わるわけですかまあ当然ですね懐かしいいや嬉しいやんかそんなね紅白とか見てた人がここにいたあるわけでしょでも歌の教室やってない間ではお掃除したり一番初めに行くのは8時に行って朝食がちょうど終わる時なので朝食の食器を全部種類別に分けて
47:34台所にエレベーターで送ってあとエプロンは下見してあんまり大変に汚れてるやつは下洗いして洗濯機に突っ込んだり残済を集めてそれもエレベーター下に送ったりそんなのやってそれを終わると今度は各階の洗面所トイレ
47:59家具用ベッドの手すりを消毒して歩くいやいやいやいやちょっとだからこれそうですこういうこといやいやこれはお仕事としてやっておられるんですかもちろんそうです楽しいですかあのねもちろんここで歌わせてもらうことも楽しいしまあ僕横目でねこれをやりながら見てると
48:26本当にねその介護の職員の方なんてもうね非常に頭下がるしまあ施設までうちから20分ぐらい上り坂上っていくとか20分歩いていやちょっといくつですかもう91でございますまだなんかあったらすぐ車乗ってまうわそうは言いながらね私なんかも見えちゃうとエレベーター乗っちゃうしエレベーターぐらい乗っておられるんですかそんなもんは
48:41最後に昭和の大先輩玉田本康さんからの人生のお言葉月を貫く玉田本康
49:00次回の昭和の大先輩は香川真理子さん若かりし頃の思い出や鶴瓶さんとの息のあった近況話だってそんな時間に出ていかないよねかわいいんだよ
49:08私のスカートがちょっとめくれてたりするともうちょっとあげてとか言うのなかなかセクシーでしたよ
49:09ご視聴ありがとうございましたチャンネル登録よろしくお願いしますご視聴ありがとうございました
49:11necesit
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