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00:00混乱が長引く中東
00:07パレスチナガザ地区では
00:10民間人の犠牲も絶えない
00:18平和な街が
00:21ある日を境に戦場と化していく
00:26今から40年前
00:30同じ中東で
00:32日本人が突如 戦火に巻き込まれた
00:41イラク大統領 サダム・フセインが
00:4548時間後
00:47イラン上空を飛ぶ航空機は
00:50全て撃墜する
00:52と宣言したのだ
00:56当時は
01:00イラン・イラク戦争の真っ只中
01:04現地には
01:06200人を超す日本人が
01:08取り残されていた
01:1048時間以内に
01:14イランから脱出できなければ
01:17命の保証はなかった
01:20何かあったら
01:24真っ先に
01:26日本政府が何か
01:28飛行機を飛ばしてくれるんじゃないか
01:30私は思ってたんですけど
01:32実は来なかった
01:34だから
01:36生きて帰れるかどうかって
01:38わからないなという
01:40気持ちですよね
01:44彼らを救ったのは
01:46日本でもイランでもなく
01:48なぜか
01:50トルコの救援機だった
01:52一人の犠牲者も出すことなく
01:58日本人215人の命を救った
02:02決死の救出劇
02:04あのフライトは
02:08人生の中でも特別な任務だった
02:11200人を超す日本人が
02:14戦地で助けを待っていたんだからね
02:16おそらく彼らにとって
02:20最後の希望が
02:22私たちの救援機だったと思います
02:26この救出劇には
02:28トルコの首相と
02:30ある日本の民間人が
02:32深く関わっているんです
02:37なぜ
02:39彼らは日本人の命を救ったのか
02:423つの視点から
02:44その真相を解き明かす
03:02イラン・イラク戦争の真っ只中
03:09多くの日本人の命が危険にさらされる
03:12緊急事態が発生しました
03:14運命の分岐点は
03:191985年3月17日午後8時
03:24当時のイラク大統領
03:31サダム・フセインが
03:33恐ろしい宣言を発したのです
03:35今から48時間後
03:38イラン上空を飛ぶ航空機は
03:41すべて撃墜する
03:43イランの首都
03:48テヘランに取り残されていた
03:49日本人たちは
03:50一刻も早い脱出を迫られました
03:53第一の視点は
03:56自動車会社のエンジニアだった
04:01タカホシ・ヘルジ
04:05同じ境遇の仲間たちとともに
04:08ありとあらゆる手立てを探って
04:10戦場からの脱出を試みました
04:14生き延びたものだけが知る
04:17極限状態のアナザーストーリー
04:21当時 イランの首都 テヘランにいた
04:30タカホシ・テルジ
04:3340年前の絶望感を未だ忘れてはいない
04:38あの頃って1985年頃って
04:42もう世界中どこ行っても
04:44日本の勝者マンがいるぞみたいなことを
04:46よく言われたじゃないですか
04:48ああいうことが起こったら
04:51日本政府が救援機を出してくれるもんだって
04:55私は思ってたんですよ
04:57助けに来てくれるんだろうなと思ってたんですけど
05:01それがまあ裏切られた
05:04現地に取り残された日本人が語る
05:10緊迫の48時間
05:17遡ること6年前
05:201979年
05:23イランはホメイニシを指導者とする革命を成功させ
05:29イスラム原理主義を掲げる新たな国家を成立させた
05:38だが翌年
05:40革命の波及を恐れた隣国
05:43イラクとの間で戦争が起こる
05:47国境戦では5年にわたって軍事衝突が続いていた
05:56高星はそのさなか日系自動車企業のエンジニアとしてイランに赴任していた
06:04イラン政府がかなり大量の1万数千台という車をスポット外で買ったんですね
06:14その契約の中に現地でその車の整備なんかをする人を派遣するっていうのが契約の条件に入ってまして
06:23まあテヘラにいれば戦争の影響はないからといって私もあの派遣されたんですね一応会社の方からですね
06:31戦闘はイラクとの国境付近にとどまり 500キロ以上も離れた首都テヘランではまだ平穏な日々が続いていたという
06:50ところがその状況が一変する
06:56これがあのイラン全土の地図になりまして
07:03アファーズってここなんですよその
07:06南のゆぜんの町ですね
07:08ここが3月6日ですよね
07:11アファーズの町がなくなってしまうぐらいの爆撃を受けてですねでそこからあの今日はここがやられたとかですねあのそういうのをずっとこうメモっていったんですねでこちらってあの北部の工業地帯があるエリアなんでここなんかも3月10日あたりにやられていてですね
07:31戦線は短期間で一気に拡大
07:38さらに3月12日なんと首都テヘランまで爆撃を受けた
07:47まさに急転直下の出来事だった
07:53三番街と言ってる通りが私が住んでいたアパートなんですけれども
08:00でえっと3月12日の未明に落とされたところってここだからもう数百メートルしかない
08:08所に最初の爆撃が落ちてきたという
08:12一夜にして戦場と化したテヘラン
08:19イランに安全な街などもうどこにもなかった
08:25高星とともに現地に駐在していた
08:36沼田純一当時10人の同僚がイランへ派遣されていたでこれじゃもうね会社に行くわけいかないなっていうんで下の街の方にねあの地下室のあるホテルがあるっていうんでそこに入れさせてもらったその時ってあの街の中はいろいろまだ爆撃が続いたりするんですか?
09:05爆撃はね夜が重いでしたね
09:09降車砲っていってあの 市場から航空機めがけて打つあの大砲みたいのがあるんですねそれがそのあちこちですごい花火のごとどんどんどんどん打ち上げられるんですよ
09:2440年前なので今だったらその
09:28目標を物に正確にこう飛んでいくような
09:32迎撃ができるんでしょうけど当時はもう本当にあの下手な鉄砲も数打ち当たるの状態でもうどんどんどんどん
09:40今すぐイランから脱出しなければ いつ自分たちの元へ爆弾が降ってくるかわからない
09:50非常時に備え 出発便を自由に選べるオープンチケットは持っていた
10:00高星は
10:02空港へ急いだ
10:06最初は本当にオープンチケットも持ってるしあの行くとはいどうぞって言ってくれるのかなと思って行ったんですけど
10:12とんでもない話でやっぱりあの自国民を助けるのがまず第一優先ですと あとはそのヨーロッパの人たちを助けるのが第二優先ですと
10:21申し訳ないけど日本人に分けてあげられるシートはありませんという そういう感じですよね
10:28ヨーロッパ各社の回答は皆同じ
10:33当時イランに日本の航空会社は定期便を飛ばしていなかった
10:42そして日が暮れると イラクからの爆撃が始まる
10:51だから生きて帰れるかどうかっていうのは分からないなという そういうあれですよね 気持ちですよね
11:023月16日 テヘランの日本大使館は避難勧告を出し
11:08ヨーロッパの航空会社に日本人を脱出させる臨時便の交渉を始める
11:15さらに日本の航空会社にも 政府を通じて民間機の派遣を要請
11:22当時の自衛隊法では たとえ国民の救出が目的でも
11:30救援機を海外へ送ることは 認められていなかったからだ
11:37しかし 空路の安全が保障できないなどの理由で
11:48民間機の派遣は断念
11:52もはや自力で脱出するしかないのか
11:59焦る高星のもとに この日の朝 思わぬ情報が舞い込む
12:07それぞれのボルボという自動車会社 あとこもテヘランに工場を持ってたんですね
12:15その人たちはバスをチャーターして 陸路、山越えをして
12:21トルコ側に脱出する予定なんだけど
12:27乗っていきますか?という誘いをかけてくれたんですね
12:31あとは山岳地帯をバスで超えるわけですから山賊ですとかゲリラみたいな人に襲われる危険性は覚悟してくれと
12:44陸路での脱出は避けたかった
12:51国境まで数百キロもの道のり
12:55ゲリラが潜伏する危険地帯も通らねばならない
13:02かつて日本人が乗るバスが銃撃され
13:06負傷者が出る事件も起きていた
13:10だが
13:12ここにずっといてももう拉致が開かないから
13:15それに望みを託そうよという話になってですね
13:19そしたらそこへ行ったら
13:23ごめんなさいと
13:25事前に出国手続きをしていかないと
13:28国境を越えられませんという話になって
13:31じゃあ私たちはこのバスに乗っても国境から出れないんだと
13:36出国手続きを行う時間は
13:38出国手続きを行う時間は
13:39もはやなかった
13:47そして3月17日午後8時
13:51イラクのフセインから高穂氏らを絶望のどん底に突き落とす宣言が
13:5848時間後
14:02イラン上空を飛ぶ航空機は民間機といえども全て撃墜する
14:09そういう感情を失ってたのかもしれないんですけど
14:16自分今振り返っても不思議なんですけど逆に言うとあんまりの衝撃にそういう感情を失ってたのかもしれないんですけど何か意外とそのえどうなっちゃうどうなっちゃうみたいなそういう不安感ってなくてですね何かこれもダメなんだみたいな。
14:423月の17日かな何かに日本からの救援機は来ませんっていうふうに大使館から連絡があったんですよ。うん。だからもう見捨てられたと思いましたその時。
14:57翌日ヨーロッパ各国は臨時便を出し自国民の救出を急ぐ。
15:07一方、残された日本人にはもはや撃つ手はなかった。
15:16ところがこの日の夕方、耳を疑う一方が日本大使館からもたらされる。
15:2518日の夕方ぐらいでねどうもあしたトルクエアが救援機を飛ばすらしいとそれに日本人も乗せてくれるということらしいんだとちょっとでも可能性があるんだったらそれにすがるしかないよねという感じで。
15:45あの信じられなかったですね。来てくれるということは非常にありがたいおりやすいなと思ったけども本当なのかなと。
15:54だってヨーロッパの日にみんな断られちゃったんです。なんでトルコがじゃあ日本人を助けるためにね命懸けてくるのかっていうのはちょっと想像もつかなかったですね。
16:09なぜトルコが。
16:14わけもわからぬまま、高星たちは一縷の望みをかけ、空港を目指した。
16:22救いの手は日本でもイランでもなく意外にもトルコから飛び立った旅客機でした。
16:38第2の視点はこの救援機に乗り込んだパイロットの一人コライ・ギョクベルク。
16:55戦争の当時国でもないトルコの航空機が日本人を助けるために戦場と化したイランへ向かったのです。
17:04奇跡の救出劇。タイムリミットギリギリのアナザーストーリー。
17:13トルコ最大の都市、イスタンブール。
17:22この街にあの日本人救出に関わったパイロットがいる。
17:28コライ・ギョクベルク。
17:37よろしくお願いします。
17:40これは私だよ。
17:441990年に撮ったものだがね。
17:49あのフライトは人生の中でも特別な任務だった。
17:57200人を超す日本人が戦地で助けを待っていたんだからね。
18:06戦地へ向かったパイロットが目にしたものとは。
18:14戦地の派遣を命じたのは、当時のトルコ首相プルグット・オザル。
18:21フセインが発したあの宣言の翌日だった。
18:27あの日、私は非番で家にいた。
18:31すると夕方、会社から電話がかかってきて、
18:34テフェランにいる日本人の救出計画があると聞かされたんだ。
18:39このままだと彼らの命は危ないというので、
18:43私はすぐ行くと返事をした。
18:48選ばれたパイロットは3人。
18:51皆は軍人上がり。
18:53こういう仕事に慣れた奴が選ばれたんだよ。
19:00機長はオルハン・スヨルジュ。
19:03第2パイロットがアリ・オズデミル。
19:07キャリア30年を超えるベテランだった。
19:12ギョクベルクは、
19:14機体の安全確保や、
19:16飛行距離の計算を行う、
19:19第3パイロットとして乗り込んだ。
19:23まず、リスクを考えた。
19:26一番の心配は、
19:28本当にフセインが時間を守るのかということ。
19:31次に空港の状態。
19:34砲弾の穴でパンクでもしたら、
19:36我々も戦地に残ることになる。
19:39だが、とにかく時間がなくて、
19:42すぐに準備を始めるしかなかったんだ。
19:45もともとトルコは、
19:483月19日に、
19:50自国民をテヘランから脱出させる、
19:53最後のフライトを準備していた。
19:56そこに、
19:58日本人200人を乗せるための救援機を追加し、
20:02先発させることになった。
20:04機体は300人ほどが乗れる大型機、
20:11DC10だ。
20:15戦地に向かったのは、
20:17パイロットだけではない。
20:19客室乗務員も。
20:22チーフパーサーを任されていた、
20:25アイシェ・オザルプと、
20:27当時、まだ新人だった、
20:30ミュゲ・サセル。
20:32これは、あのときの写真です。
20:39私はここ。
20:44こっちは私。
20:47このとき、25歳だったの。
20:51あっという間ね。
20:54客室乗務員は8人。
20:58緊急時に脱出する際、
21:018つある出口に1人ずつ担当がつき、
21:04誘導する。
21:06フライトに必要な、
21:08最低限の人数だった。
21:14フライトの前日に、
21:16初めてこの計画を聞かされました。
21:19私やミュゲは、
21:22すぐに行くと決めましたが、
21:243人、辞退した乗務員がいました。
21:29でも、これは通常とは異なる、
21:32危険を伴う仕事です。
21:35誰も責めることはできません。
21:40イスタンブール・テヘラン間のフライトは、
21:44片道3時間ほど。
21:47余裕を見ても、
21:488時間あれば往復できる。
21:513月19日、午前10時。
21:58救援機はイスタンブールを出発。
22:02テヘランへと向かった。
22:04だが、国境を越えたところで、
22:09イランの関西島から、
22:12不可解な指示が送られてきた。
22:15イスタンブールからテヘランまでは、
22:19普通、この青い線のように飛ぶ。
22:23だが、こんな感じでルートを外れて、
22:29飛ぶように指示してきたんだ。
22:32まっすぐにテヘランへ向かうルートを大きく外れ、
22:39カスピ海上空へ行き、
22:42その場をぐるぐると旋回するよう指示してきたのだ。
22:47なぜこんなことをさせたのか。
22:52私たちが本当に救援機か、
22:54敵なのかを確認したかったんだ。
22:57もし敵なら、そんな指示には従わず、爆撃に向かう。
23:02従わなければ、
23:07降車砲で撃ち落とされる危険があった。
23:13午後4時過ぎ、
23:15通常の倍以上の時間がかかって、
23:18ようやく、テヘランに到着した。
23:24そのころ、高星ら空港で待つ日本人は、
23:29チケットを入手し、出国手続きを始めていた。
23:36ところが…
23:40全然動かないんですよ。
23:41パスポートコントロールの列がね。
23:44まったく動かない状態で、
23:47その勝者の方と私とカウンターの方まで見に行ったんですよ。
23:51列を離れて。
23:53そうしたら、まさにスタンプを押してくれる人のところで、
23:57ソ連の人たちが後ろからどんどん、
24:00みんなのパスポートを集めているんですね。
24:04なんと、入国審査の列を無視して、
24:09手続きを進めていた。
24:13何やってんだって文句言ったんですよ。
24:16そうしたら、結構年配の、
24:20それのおばあちゃんですが、
24:22お年を召した女性の方が、
24:25私の国の飛行機は危ないとなったら、
24:29私たちが乗ってなくても、
24:31飛び立って帰ってしまうんです。
24:34あなたたち日本の飛行機は、
24:36あなたたちが乗るまで待っててくれるでしょう。
24:40だから私たちを先に行かせてくださいっていう、
24:43言い方をされたんですね。
24:46まあ、複雑な気持ちでしたね。
24:49事態は一刻を争っていた。
24:54と、その時。
25:05機体を止めていると、
25:07大きな爆発音が聞こえた。
25:10一体何が始まったんだと、
25:12外の様子をうかがうと、
25:14イラン軍の降射砲だった。
25:17ドーンという爆発音があって、
25:21で、あの、
25:23たぶんジェット戦闘機だと思うんですけど、
25:26緊急橋みたいな感じで、
25:27ピューンと飛んでく音が聞こえるんですね。
25:30ここから出られるんだろうかって、
25:32本当、また不安になってしまう。
25:37すぐに客室のカーテンを閉めるよう指示されました。
25:42日が落ちて、窓から光が漏れていると、
25:46飛行機の場所が分かり、
25:48標的にされてしまうんです。
25:53無差別攻撃までの、
25:55タイムリミットが迫っていた。
25:59いよいよ乗れるぞっていうことになって、
26:02その建物から出て、
26:04飛行機まで走ったのを覚えています。
26:07イランから脱出する、
26:10最後の希望。
26:12大人も子どもも、
26:15無我夢中で救援機に乗り込んだ。
26:18もし何かが起これば、
26:24取り残される状況でした。
26:26乗客もそれを察してか、
26:29誰も口を聞かずに席に着き、
26:33出発を待っていました。
26:36タイムリミットまで3時間を切った、
26:41午後5時10分。
26:44日本人を乗せた救援機が、
26:47テヘランを出発。
26:51機内は以前、
26:53張り詰めた空気に包まれていた。
26:59途中に誰がいたかも分からないし、
27:03それからジェーッとして、
27:06座っていました。
27:09これで助かったっていう雰囲気はまだなくて、
27:14シーンとしてて、
27:16飛んでしばらく立ってから、
27:20左側の前方の方で、
27:22何かざわざわざわめいて、
27:24皆さんが窓を見てるんですよ。
27:27何なんだろうなと思って、
27:30自分の窓を見たら、
27:33本当にすぐ近くに、
27:35戦闘機が、
27:37トロケアの飛行機と同じ速度で、
27:41ピタッとついてるんですよ。
27:43どこからともなく現れた、
27:474機の戦闘機が、
27:49救援機を取り囲んだ。
27:57トルコ空軍の戦闘機が、
27:59迎えに来てくれたんです。
28:01私はそれを見て、
28:03これでもう安心だと思いました。
28:09トルコのオザル首相の指示で派遣された、
28:13護衛のための戦闘機。
28:19その姿を確認した機長は、
28:22乗客たちにこう告げた。
28:26ウェルカムトゥーターキー、
28:28トルコへようこそ。
28:31ウェルカムトゥーターキーっていうのが、
28:34聞こえたんです。
28:36それで、あ、
28:37じゃあ、
28:38トルコ国境に来たんだと。
28:41その時初めてね、
28:43ああ、助かったかなと思って、
28:46わーっと。
28:47周りの人もみんな拍手したりね。
28:51機長が、
28:52トルコへようこそとアナウンスした時、
28:54コックピットにいても、
28:56拍手と歓声が聞こえてきた。
28:58今もその瞬間が、
29:00心に残っているや。
29:05日本人は無事、
29:06トルコ、
29:07イスタンブールに降り立った。
29:10まさにタイムリミット、
29:12ギリギリの救出劇。
29:18翌日、
29:19日本の新聞各紙は、
29:22民間人215人を戦地から救い出した。
29:26トルコの偉業をたたえた。
29:30その時は本当に申し訳ないんですけど、
29:36何でトルコが助けてくれたのかっていうのも、
29:40何の疑問も持たず、
29:43助けていただいちゃったんですけどね。
29:45命を懸けた、
29:48トルコによる、
29:50日本人の救出。
29:52そこには、
29:55もう一つの物語があった。
29:58作戦は、
30:11見事に成功しました。
30:14でもなぜ、
30:15戦争と関係のないトルコが、
30:18日本人救出のために、
30:20救援機を飛ばしたのでしょうか。
30:23フライト命令を下したのは、
30:26当時のトルコ首相、
30:28トゥルグッド・オザル。
30:30決断の背景には、
30:32一体何があったのでしょう。
30:34第3の視点は、かつてオザルの番記者を務めたジャーナリスト、エルダル・ギュベン。
30:47救援の舞台裏に、
30:50一人の日本人の存在があったことを明かしてくれました。
30:55多くの日本人の命を救った、決死のフライト。
31:00その真相に迫る、アナザーストーリー。
31:05ジャーナリストのエルダル・ギュベン。
31:26かつて、トルコの大手新聞社の特派員として、
31:315年間、東京にいた。
31:36その知見を生かして書いた、
31:39あの脱出劇に関する著作もある。
31:45私は若い頃、オザルさん付きの番記者でした。
31:52そこで、日本人救出の舞台裏について、
31:55彼から直接聞くことができたのです。
32:00この救出劇には、
32:02森永という人物が深く関わっています。
32:05彼とオザルさんの友情が、
32:07日本人の命を救ったのです。
32:10奇跡の救出を実現させた、友情とは。
32:211983年、トゥル・グッド・オザルは、
32:25国民の圧倒的な支持で首相となった。
32:31当時のトルコは、石油資源や外貨を獲得できる主だった産業もなく、
32:38深刻な不況にあえいでいた。
32:42そこで、優れた政治手腕を発揮していたオザルに、
32:47国の発展が託された。
32:51経済に精通する彼は、日本と協力関係を築き、
32:58国を豊かにしようとしていました。
33:02首相になる前の経済大臣の頃には、
33:07日本から技術提供を受け、
33:10トラクターの製造工場を作っています。
33:14日本の技術力を生かして、
33:17新たな産業を育む。
33:21トルコ製トラクターの開発、製造を、
33:25成功へと導いた。
33:30この時、トルコと日本企業の橋渡しをしたのが、
33:35伊東中商事の森永隆。
33:40森永さんとオザルさんは、
33:44首相になる前からまさに同志。
33:48でも、彼ら二人は日中とても忙しくて、
33:53ゆっくり話す時間がない。
33:56そのため、夜に会うしかなく、
33:59パジャマに着替えてから話し合いが始まる。
34:03二人はお互い、
34:05パジャマ友達と呼び合うほどの仲でした。
34:09そんな中、降って湧いたフセインのあの宣言。
34:18隣国イランにいる日本人に命の危機が迫った。
34:2648時間以内に脱出しなければ、もう脱出はできないと思っておりましたから。
34:35トルコの救援機に助けられた一人、
34:40モーリ・サトル。
34:44日本人の救出に、森永が関わっていたことは後から知った。
34:51森永さんは、非常にエネルギッシュでね。
34:56目が乱々と眩いている印象がありましたね。
35:00帰国後、たびたび開かれたシンポジウムなどで、
35:05救援機派遣のいきさつを聞いた。
35:09森永さんに伊東中の本社の方から電話がかかって、
35:16救援機を要請してくれと。
35:18テヘランには商社の同僚とその家族30人が取り残されていた。
35:31そこでオザルと特別に親しい森永に白羽の矢が立ったのだ。
35:39で森永さんいわく何でトルコが救援機を日本人のために派遣しなきゃいけないのか筋から言えば日本の飛行機かあるいはイランの飛行機ではないかと。
35:57親友とはいえ、外国の首相に日本人の救助を頼んでよいのか。
36:07だが、事態は刻一刻と悪化していく。
36:15民間機撃墜という最悪の事態が現実のものとなってしまう。
36:23いろんなことを悩まれたそうなんです。
36:26でも時間がどんどん切迫してきているので、もうこれはもう電話をかけるしかない。
36:33その時の様子を、後に森永はこう記している。
36:42トゥルグッドさん、助けてください。
36:46どうした、親友、森永さん。
36:50トルコ航空を在留法人救出のために派遣してください。
36:57私にとってこんなことをお願いできるトルコ人は、トゥルグッドさん、あなたの他にいません。
37:09長い沈黙の後、オザルは答えた。
37:18分かった。
37:20心配するな、親友、森永さん。
37:23後で連絡する。
37:25テヘランに救援機を向かわせるのは非常に危険で、途中で攻撃に遭う可能性が極めて高いことは、誰もが分かっていました。
37:42しかし、責任は私が持つ、戦地にいる日本の友人を救えと命じたんです。
37:51重い決断を下した、オザル。
37:55この時、彼の心に巨来したものとは何だったのか。
38:03救出劇の直後、日本とトルコは共同で、ボスポラス海峡に巨大な橋を架けるという、ビッグビジネスを成立させた。
38:16全長1.5キロ、総工費680億円をかけたこの橋。
38:24アジアとヨーロッパをつなぐ物流の大動脈として、トルコに大きな経済効果をもたらした。
38:3485年の休園っていうのは、小猿首相が、今後の日本との関係を見据えたとおっしゃる方もいるんですけど、私がまあ、森永さんとか、ほかのいろんな方にお伺いしたかぎりで、持ってる印象では、それとは結びついていないと思います、直接はね。じゃあ、なぜなんだっていうのは、非常に皆さんの疑問なんですね。
39:00その答えを両国の歴史的な友好関係に求める向きもある。
39:10日本とトルコの関係は明治時代、そしてオスマン帝国時代に遡ります。
39:25その時代から、トルコは日本を尊敬していて、日本人のことも大好きなんです。
39:32友好関係の始まりは、1890年、和歌山県沖で起きた、エルトゥールル号遭難事件だ。
39:47オスマン帝国の施設を乗せた軍艦、エルトゥールル号が台風で座礁し沈没。
39:54知らせを聞いた現地の人々が、懸命の救助活動を行い、69名の命を救った。
40:021890年のエルトゥール号の時に日本人がどんどん献身的に助けてくれたっていうのは、トルコの教科書に載ってて、皆さん、子どもの時に学ぶらしいんですよね。
40:21そういうことがあったから、その95年後に私たちが助けてもらえたのかな。
40:34トルコの人々に深く刻まれた日本人への恩義。
40:41それが、テヘランでの決死の救出劇につながったというのだ。
40:47だが、当事者からは意外な答えが返ってきた。
40:58エルトゥール号のことは、歴史的な出来事としてもちろん知っていた。
41:04だが、日本人を助けに行くとき、そのことが頭に浮かんだかというと、そんなことはない。
41:12国同士の関係を考えれば、そういった見方もあるかもしれません。
41:19でも、私の考えでは違います。
41:22エルトゥール号のことがなくても、助けに行ったと思います。
41:29困った人がいれば、助けに向かうのは当然のことです。
41:35そこに何か理由が必要なわけではありません。
41:40なぜあの時日本人を救ったのか当事者たちは自らの行動をただ当たり前のことと語った困ったことがあるとトルコの人にどうしたらどうしたもんだろうと相談するとまあ大体心配するなっていうんですね。
42:07それで、いつも私はあなたと一緒にいるからって言うんですよ。
42:14救援を待つ人たちがいて、危機に瀕している人たちがいるから助ける。
42:20そこにまあ、プッシュしたのは、最終的にプッシュしたのは森永さんと大沢さんとの関係だったということだと思いますね。
42:29天皇陛下から頂いた勲章だよ。
42:42こんなものを頂けるなんて、あの時行動して本当によかった。
42:492006年、テヘランの救出劇に関わったトルコ航空のスタッフには日本政府から勲章が授与された。
43:022024年、日本とトルコ、外交受立100周年では、秋篠宮ご夫妻がトルコを訪問。
43:17関係者に直接、感謝の言葉を伝えた。
43:24日本の皆さんは、今も私たちを忘れていない。
43:29お礼を申し上げたいのは、私たちの方です。
43:35私は幸運だ。
43:37こんな素敵な物語を孫に残すことができたんだから。
43:42日本とトルコ、2つの国の絆は、これからも語り継がれていく。
43:59DS世界のドキュメンタリー
44:01ウクライナの激戦地で衛星兵として従軍するキューバとアラスカを追う後編。
44:06キューバは前線で同僚の兵士と恋に落ちる。
44:12負傷したアラスカは、PTSDと怪我の後遺症を乗り越え、前線復帰を果たす。
44:19放送は今夜10時45分。
44:25サンブル川の事件。
44:31凶悪犯罪はなぜ見逃されたのか。
44:3430年もの間、犯人はなぜ野放しに。
44:38NHKBSで毎週水曜夜11時35分。
44:42フェルメールの牛乳を注ぐ女を徹底解剖します。
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