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00:00偶然の勝利はあれども、敗北はすべて必然。
00:08日本の歴史を彩った偉人たちは、いかにして敗れていったのか。
00:13その裏にはどんな原因と過ちがあったのか。
00:19今回は相模の志士の異名で知られる戦国大名、北条氏康の敗北を紐解きます。
00:28今川義元、武田信玄と三国同盟を締結し、悲願の関東平定を達成すべく邁進するもの。
00:39そのさなか、同盟を崩壊させてしまった理由とは。
00:46敗れし者たちの失敗から学ぶ人生哲学。
00:53偉人敗北からの教訓歴史上の偉人たちが犯した失敗から私たちは何を学ぶのか。
01:11偉人敗北からの教訓。進行役の中西優里です。
01:15そして歴史作家の伊藤潤さんです。
01:17今日もよろしくお願いします。
01:19よろしくお願いします。
01:20ビジネスの世界ではよく3代目で潰れる会社が多いなんていう話を聞きますけども、伊藤さんこれはなぜだと思われますか。
01:29創業者が苦労して築き上げた会社なりお店なりを2代目が引き継いで、2代目はそれでも創業者の境外に接しているということもありますし、バントムも残っているということもありますので、大きな路線変更しない限りそんなに大失敗はしないんですけどね。
01:473代目ともなるとですね、外部環境がかなり変わってくるわけですよね。それによってやはりビジネスモデルの改変とか、選択と集中といった思い切った手を打たないとですね、なかなかですね、うまくいかないということが多いんですね。それが失敗に結びついてくることが多いんですよ。
02:02さあ今回は北条家の3代目でありながら一族の躍進に大きく貢献したこの人、北条氏康の敗北に注目します。伊藤さんは戦国最強の大名は誰かと聞かれると、この氏康の名前を挙げるそうなんですけれども、これ一体なんでなんですか。
02:22厳密には戦国最強というよりも最高といったほうがいいかもしれないんですけどね。その理由というのはですね、やはりバランスが取れているということなんです。
02:30つまり軍事だけではなくて外交、領民政策や税制に代表されるような内政とかですね、過信断統制、そして後継者の育成、こういったところにですね、力を発揮していた大名こそ北条氏康なんですね。
02:45全てに漏れがなく、全部うまくいったと、そういう非常に敬意な大名なわけです。
02:51宇治安は確かに成功者のイメージがすごく強いので、挫折とか失敗ってあったのかなというのもちょっと気になるんですけども。
02:59北条氏はね、5代まで続いて、それを宇治安は4代の宇治政に引き継いでいったんで、宇治安は敗者じゃないじゃないかというふうに思うかもしれませんけど、
03:08実は非常に長期的な意味で言えば、宇治安の最後の時の失敗がですね、結局滅亡の方にもですね、結びついていくということが言えるんですね。
03:17さあ今回はそんな北条氏康の敗北をひもときながら現代にも通じる教訓を探っていきますまずは北条氏康とはどんな人物だったのかこちらをご覧ください
03:47北条氏康は北条宗雲の名で知られる伊勢宗瑞です。
03:52宇治安が誕生した時、父宇治綱も伊勢氏を名乗っていましたが、宇治安が9歳の時に苗字を北条に改めます。
04:0216歳で宇治綱を飾った宇治安は関東の初代名との戦いで武功を重ね、北条氏の勢力拡大に貢献します。
04:1327歳の時に父宇治綱が病死し、北条家三代党首となった宇治安は、貴賓や天災などにより領民たちが混乱する中、
04:27県地や税制改革などを手掛け、内政の危機を乗り切ります。
04:32さらに武蔵の国の重要拠点、川越城での戦いで、関東関連の上杉則政らを破り、関東の主導者としての地位を確固たるものにしました。
04:491551年には、長年睨み合いが続いていた駿河の今川義元、貝の武田信玄と三国同盟を結びます。
05:02これにより、関東での戦に専念できるようになりました。
05:081559年、宇治安は45歳で家徳を釈南宇治政に譲って隠居しますが、その後も実権を握り続けます。
05:211561年には、関東に侵攻した越後の上杉謙信により、本拠地小田原城が包囲されてしまいますが、
05:30宇治安は巧みな牢状船でこれを退けます。
05:37北条氏を関東一の大名系と躍進させた宇治安は、1571年、57歳で激動の人生に幕を下ろしました。
05:49そんな宇治安にとって最大の失敗が、およそ18年にわたって機能した三国同盟を、1568年に崩壊させてしまったことでした。
06:06宇治安、敗北の瞬間です。
06:08これにより、宇治安が目論む関東平定が困難になってしまったからです。
06:17宇治安は、なぜせっかく築いた同盟関係を維持することができなかったのでしょうか。
06:24今回は、今川、武田との三国同盟崩壊を招いた、北条氏康の敗北に迫ります。
06:32さあ、ここで、宇治安の人生の主な出来事、振り返っていきます。
06:40この宇治安が生まれた頃の関東って、どんな状況だったんですか。
06:46この時期の関東には、いまだは子宮勢力、山の内上杉氏、大木安上杉氏、そして工学房などが残っていましてね。
06:54それをお父さんの宇治綱は、一身一体の工房を続けていたんですね。
06:57やっぱり、この北条っていう名前は、すごく意味があるわけですか。
07:02北条生というのは、もちろん鎌倉北条氏から取っているわけなんですけど、
07:07鎌倉北条氏というのは、関東において大きな権威を持っているわけですよね。
07:10その名前だけ聞けば、かつての関東の支配者だって誰もが知っているわけですから、
07:16その通った名前を自分たちの用事とすることによって、関東の支配をやりやすくするという、そういうことがあったわけですね。
07:23じゃあ、親戚だったとかじゃないってことなんですよね。
07:26これがね、はっきりした資料がないんで残念なんですけど、
07:29もしかしたら、伊豆にいた北条氏の暴流の子孫の娘さんを宇治綱が即日としてもらったとか、
07:36そういう縁があって、北条生を名乗った可能性はあると言われているんですけど、
07:40これ定かじゃないです。
07:42混沌とする関東において、宇治安はいかにして北条氏の勢力を拡大させていったのか。
07:48そして今川氏、武田氏との三国同盟締結に至った理由とは、こちらをご覧ください。
07:55宇治安が4歳の時、北条家2代当主となった父、宇治綱により、北条氏の勢力は初代、宗水が平定した伊豆と相模に加え、東駿河、武蔵半国、下総の一部にまで拡大していました。
08:14しかし、その周囲には今川氏、武田氏、山の内、大木ヶ谷津の両上杉氏ら有力大名がひしめき、各地で激しい攻防戦が展開されていました。
08:33そんな文雄各拠の関東の覇権を握るべく邁進したのが、北条氏最大の名句にして猛将とうたわれる三代当主、北条氏康です。
08:48生涯に36回もの戦いに出陣しながら敵に背を向けたことがないといわれる宇治安は幼い頃から怖いもの知らずだったのでしょうか一字資料はもとより軍旗者も丹念に読み取り宇治安の人物像を探究する板島さんがある逸話を教えてくれました。
09:1612歳ぐらいの時に鉄砲の音に驚いて腰を抜かしてそのことが家臣の間で今度の後取りは頼りないなみたいな噂になった。その噂を聞いてそれを恥じて自ら自害しようとしたという話があります。
09:40その時家臣にこう悟されたといいます。初めてのことに驚くことは決して恥ではありません。
09:52武将というのは勇猛なことと無謀なことこれは紙一重なんですね。
10:00で宇治安の場合は完全にこれは勇猛な方。要は決して無理はしない。
10:06宇治安は父宇治綱と共に関東全域の平定を目指し戦乱の渦に身を投じます。
10:18ところが1541年宇治綱が病死してしまいます。
10:26その直前27歳の宇治安に託されたものがありました。
10:33初代宗水が平和な世を築くために記した教えを宇治綱が厳選し分かりやすくまとめた五箇条からなる訓解状です。
10:46第1条、大将は義を守るべし。
10:51第2条、人物の適材適所を心がけよ。
10:58第3条、領民を豊かにせよ。
11:03第4条、万事奸役を守るべし。
11:09第5条、勝って兜の王を占めよ。
11:15実は宇治安としてメインになったと思われるのは義を守るということではないかと思うんですね宇治安はよく天道という言葉を使うんですね天道から見て間違ってとか正しいとかで彼はその天道という言葉イコール義。
11:34宇治安が重んじていた天道思想には戦や天変地異が起きたり国が豊かになるか否かは異性者の心がけや行動次第だという考え方があります。
11:49だからいつもお天道様を見ながら自分は今これ正しいんですかお天道様っていうようなそんな感覚ですよね。
11:58藤安は父の教えを胸に刻み関東を聖室に導くべく勢力の拡大を図ります。
12:11ところがそのさなか今川義元が武田信玄の協力を得て北条氏が実行支配する東駿河に侵攻しました。
12:24さらに吉本と連携する領上杉氏と関東区房足利市に北条方の川越城が包囲されてしまったのです。
12:37北条氏研究の第一人者である黒田さんは当時の宇治安の心境をこう推察します。
12:47関東の基本的な勢力が全部敵型になっちゃうっていうことですからそれはやっぱり何とかしなきゃいけないっていうところになりますよね。
12:56今川との戦争を続けている限り関東は押されちゃうので。
13:02窮地に立たされた宇治安は即座に決断を下します。
13:08東駿河を放棄し吉本と和睦する。
13:13これを実行した宇治安は急いで川越城の救援に向かいました。
13:22しかし8万もの大軍を要する足利上杉連合軍に対し、
13:29北条方の軍勢はそのわずか10分の1に過ぎなかったといいます。
13:36劣勢を覆すべく宇治安はある策をとったと軍機者、韓八州古戦録は伝えています。
13:48それは父宇治綱の分解第2条適材適所を実践するものでした川越城を完全に包囲された老城衆が玉砕覚悟で戦うのを防ぐべく宇治安は女性と見惑うほどの美しい千年を短気で城に向かわせたのです。
14:11荒武者がねやりを振り回しながら突っ込んでたってまあよかったと思うんですよただそれだと多分途中で打たれるだろうと。
14:19難なく城に入った青年はこう伝えました殿は老城に耐えた皆様を決して見捨てません老城衆はこの言葉に奮い立ち団結力を高めますそして藤康は城を幾重にも囲む敵方を撃退し見事大勝利を飾ったと伝えられています。
14:47宇治安の一番の勝因とはやっぱりスパッと駿河を諦めたっていうところが最大のポイントじゃないですかね。
15:02宇治安は父が苦難の末に獲得した東駿河をあっさりと手放し関東の有力大名が集結した川越城の戦いに専念したことで勝利をもぎ取り関東一の猛将としてその名をとどろかすことになったのです。
15:24宇治安が戦国最高の大名といわれる理由とは?
15:31宇治安は両国経営においてもたびたび大きな危機に直面していました。
15:581549年関東で大地震が発生すると長年危機が続いていたこともあり、農民たちが田畑を放棄し逃亡してしまいました。
16:13宇治安はこの事態を打開すべくある通達を出しました。
16:20災害復興のための減税政策、富士斜面令です。
16:27工場が村にかけている税金で、田んぼにかけているものに単銭ってあるんですけど、それをそれまで寒高10%だったものを8%にしたりとか、あと屋敷地にかけるもので村別銭っていうのがあるんですけど、それは1件、間口1件につき50問だったものを35問にしたりとか、基本的には減税なんですね。
16:55それは父宇治安の勲戒第3条、領民を豊かにするための政策でした。
17:04領民が成り立たないと自分たちの権力が維持できないっていうのはもう宇治安から教えられていることだし、やっぱり政治はね、統治者の思想が大事ですよ。
17:20さらに宇治安は税を徴収する領主と領民、双方の不満に耳を傾けるべく、目安箱を設置しました。
17:32あらゆる紛争が領主からも、村からも上がってくるんですけど、それにきっちりと宇治安は対応する仕組みを作っていった裁判制度を組み上げていった。
17:47もう超人ですね。戦国時代においてはね。
17:54小田原を訪れた京都の高僧東麗中央は宇治安をこう表しました大主宇治安は表は文村は武の人で知性清くして遠近皆服しているまことに東大天下無双の覇主である。
18:21あくまでも表は文要は政治力が前面だよとそしてそれを裏付けるものとして素晴らしい文を持ってるよっていうことをこれはすごい褒め言葉ですよそんなこと言われてる戦国大名いないんじゃない?
18:42宇治安自身も誰もが認める関東の覇主になることを望んでいましたそのためにはまず近隣の脅威を払拭しなければなりませんそこで宇治安は駿河の今川氏貝野武田氏と婚姻関係を結ぶことにしました
19:06三者が強力な軍事力で助け合う三国同盟の成立ですこの同盟により北条氏と武田氏は北の上杉謙信との戦いに今川氏は西の小田氏との争いに集中できるようになりました。
19:341554年貝都相模の国境に位置する上野原で
19:46宇治安の嫡男宇治政に嫁ぐ信玄の娘の腰入れが行われました。
19:55山梨の歴史を伝える資料勝山記などには武田側から1万人北条側から5000人もの人々がその行列に参加したと記されています。
20:11愚武している家臣たちはみんな金ぴかにあの衣装を着るわけですよ。それはもう世間に対してのアピール以外の何ものでもないのでそれを見た領民は両国の間が平和になったなっていうのを実感するってことですよね。
20:29有力大名と手を結んだ氏康は領民第一の政治により一層力を入れながら悲願の関東平定を目指すのです。
20:45最初に伊藤さんが戦国最強の大名はこの宇治安なんじゃないかということをおっしゃっていた理由がすごく伝わってきました。
20:56まああの戦国最強とかね最高っていうとまあなかなかね何を持ってということになると思うんですけどこうしたねあの軍事だけではなくて内政とか両国統治という意味で
21:08氏康が非常に多くの施策を行ってそれが成功をしていったというそういったことから考えるとまあ戦国最高とか最強と呼んでもいいんではないかなというふうに思ってるんですよね。
21:17その後今川氏と武田氏の間で三国同盟が締結されますけれどもこういう同盟って戦国時代こう続かせていくのすごく難しいじゃないですか。
21:29なんで18年も続けることができたんですか。
21:31これいろんな理由があるんですけどやはり3者にですね適齢期の男女がいたという偶然なんですね。
21:37しかもこのすべて着難にそれぞれ三国間ですね嫁のやり取りができたということも大きいんですね。
21:43つまり婚姻関係によって同盟を強化できたということになるわけです。
21:47ただですねこれ婚姻関係のであの同盟強化したというだけではなかなかねこんな18年も続くもんじゃないんですよね。
21:53やはりあの三国の力がほぼ対等で党首同士がお互いの力を認め合っているというこういった条件もあの必要ですしまた三国の利害が一致してなければいけないですよね。
22:05つまり今川氏は西の方に進みたい。
22:10で武田氏は北に進みたい。
22:12そして北条氏は東、つまり関東を制圧したいという。
22:15それぞれ思惑が違いますからバッティングしないですよね。
22:18こういった条件がそろっていたということですよね。
22:21それによってこの三国同盟というのは長く続いたわけです。
22:25この宇治安が最終的に成し遂げたかったことって何だったでしょうか。
22:30やはりですね関東の性質だと思うんですよね。
22:33あの戦国時代というのはですね大名は黒人に停戦を命じられる巨大な権力というのを持つ上記規がなくなってますよね。
22:41もうあの室町幕府の衰退。
22:43そして工学部の衰退とかあって。
22:45そうなってくると黒人たちというのはまあ国境によってですね戦い繰り広げなければならないということで。
22:52両国の冷えっていうのは言語に絶するものがあったんです。
22:55これ近現代でも考えてみるとわかると思うんですけど。
22:57軍縮条約がないと無限の軍備増強になってきますよね。
23:01そうなってくるとその軍備増強っていうのは税金で賄うことなんで国民から不満が出ますよね。
23:06それをなんとかしなければいけないということで宇治安が黒人たちの上位に君臨する機関となろうとなったわけですよね。
23:17利害が一致したことで手を結んだ関係はメリットがなくなると切れやすくなるもの。
23:26現代でも思い当たる節がありますよね。
23:32三国同盟を盾に関東平定を目指し邁進する宇治安。
23:37ところが3者にとって好都合だった同盟が崩壊し宇治安は震源と敵対してしまいます。
23:44一体何があったのか敗北までのカウントダウンが始まります。
23:49東京都あきるの市。ここもかつて北条市の両国でした。
23:58五日市郷土館には古代から近世に至るまでの貴重な狩猟が展示されています。
24:08その中には宇治安の前世を物語る古文書もあります。
24:15特別に見せてもらいました。
24:20これはA63年に北条市から安城村の百姓宛に出された特製、つまり農民救済政策に関する文書で虎の印が押されています。
24:31初代宗水の時代から使われる朱印は北条当主のお墨付きを示すものでした。
24:40関東全域で再び大飢饉が発生し、北条領の民たちが日々の暮らしに困窮すると、
24:50天道子祖を信奉する宇治安はこれを自らの責任と捉え1559年家族を息子の宇治政に譲ります。そしてそれまでの借金を帳消しにする徳政令を宇治政に出させたのです。
25:13これは当然のことなんですけども自分が責任取りますよってことを示すことによってその分宇治政の核が上がるわけですよね。だからそのピンチをチャンスに変えるみたいな部分っていうのはあったと思いますね。
25:311560年宇治安に驚愕の一報が飛び込みます。
25:42何吉本殿が討ちにした?
25:47宇治安と三国同盟を結ぶ今川義元が桶狭間で織田信長に撃たれたのです。
25:58義元の死後、釈南宇治座により三国同盟は維持されますが、今川氏の勢力は急激に衰退します。
26:10これを後期と見た越後の上杉謙信が関東に侵入。
26:15翌年10万もの大軍によって小田原城が包囲されてしまいます。
26:23この時、宇治安は焦らず牢状に徹しました。
26:30謙信が引き連れてきている軍勢っていうのはほとんどが国衆だったりして直接の家臣ではないんですね。
26:37宇治安はそこを見てたと思うんです。
26:39だからここで牢状してしばらく見てれば内部分裂するだろう。
26:45そこに三国同盟を結ぶ武田と今川の援軍が駆け付けます。
26:54三代目をそろいぶみですからね。これはもう最初の時代なんで。
26:58やっぱり関東の少将もびっくりしたよ本当に竹田と馬が来たよって。
27:05強力な援軍を得た宇治安は見事謙信らを撤退させることに成功しましたもちろん助かったなと思うでしょうしいやこれだからこそやっぱり三五同盟結んでてよかったなって一番多分感じたんじゃないですか。
27:241565年宇治安は同盟相手である武田渦中の不穏な動きを耳にしました慎言の嫡男義信が家臣のクーデター未遂に巻き込まれる形で後継ぎの座を外され寺に遊兵されたのです。
27:52三国同盟締結の際に今川氏実の妹と結婚した慶喜が拝着されたことにより武田家と今川家の亀裂が深まります。
28:07A60年の慶喜の病死それがもう決定的ですね。まあ多分氏実はあのー信玄の命令による自害って受け止めたんじゃないですかね。
28:14氏実はこれ以前から信玄に疑念を抱いていました。
28:21信玄の命令による自害って受け止めたんじゃないですかね。
28:28氏実はこれ以前から信玄に疑念を抱いていました。
28:36そもそも沖縄沢合戦で武田軍に不審な行動があったらしくてそこからずーっと氏実は引きずってるんですよね。
28:48氏実は信玄の行動が父吉本の内死に関係しているのではないかと疑っていたというのです。
28:58武田軍多分援軍出してたと思うんですけど戦場での問題なんであの動かなかったとかね成果を上げていない当初だから疑い深くなっちゃったんですかね。
29:14氏康は三国同盟を維持すべく懸命に両家の仲を取り持とうとしますが事態はさらに悪化していきますそこには氏康にとって思いもよらない衝撃の出来事が。
29:351568年今川氏康は信玄に対抗すべく秘密裏にある人物と同盟交渉を開始しました。
29:52その相手とはなんと氏康にとっても宿敵であるあの上杉謙信だったのです。
30:03謙信が氏康に同盟結ぼうよって誘っちゃうんですね。
30:08まあ氏康もちょっと1ヶ月ぐらい考えて返事しちゃうんですね。そこからですかね。
30:1612月ついに信玄が行動を起こします。
30:26今川寮の駿河に侵攻したのです。
30:31この時氏康は信玄から協力を求められましたが拒みます。
30:39氏康としては信玄が一方的に馬賀との関係を破ったので、それを自分が仲介したものを断りもなしに破ったということは自分を苗頭にしているということになるので、それに対しての報復はしなきゃいけないので。
30:56これによりおよそ18年間維持された三国同盟が破綻し、北条と武田は手切れとなりました。
31:09氏康、怒り浸透の敗北です。
31:16武田軍に駿布を追われた氏康は家族と共に掛川城に逃れました。
31:24同盟締結の際、氏康の性質となった氏康の娘は、故事に乗ることができず、自らの足で必死に避難したといいます。
31:39この地獄、進み難く揃う。
31:47氏康は信玄だけでなく、義理の息子である氏康にも怒りの炎をたぎらせました。
31:57氏康、何やっとんじゃって感じじゃないですか。
32:00なんで俺が対抗してる謙信と同盟交渉してんだよお前はって、後で知ったことだと思うので。
32:10まあだからやっぱりちょっと不可抗力の積み重ねですよね。
32:17氏康は戦国最強ともいえる同盟を失い、悲願である関東平定を遠のかせてしまったのです。
32:27大きな敗北だとは思うんですけど、氏康が何か積極的に失敗したわけではないなと思うんですよね。
32:39だからこういう状況に追い込まれたとき、どうしたらよかったのかなっていう、なかなか難しい問題ですよね。
32:46いや、確かにそうですね。原因作ったのは信玄なわけだし、さらにその原因っていうのは氏康が謙信と同盟を結ぼうとしたというところにあるわけですから、氏康絡んでないんですよね。
32:54そうなんですよね。でもこういう外交では失敗もあったと思うんですけど、内政の能力っていうのは本当に高い人でしたよね、この人。
33:02はい。氏康は優れた領域経営者、その評価っていうのは非常に高いんですよね。
33:08本当に氏康というのは政治とはどうあるべきかの手本になると思うんですよね。
33:12ですから現代の政治家もですね、氏康から学んでほしいなと思うんですよね。
33:14特に氏康の考え方の中で最も重要だと思うのは平等性なんですよね。平等性。
33:22つまり賄賂をもらわずひいきしないことによってですね家臣や黒人や民から信頼されたわけです。
33:29信玄の鶴が信仰によってもう武田と今川っていうのは完全な敵対関係になってしまいますけどもそれ以前にも何かこう関係が悪化する前兆みたいなのってあったんでしょうか?
33:41ここで歴史作家ならではの視点で歴史の裏側を考察する伊藤潤の見解ポイント。
33:51当然前兆はあったんですね。さっきVの中でもありましたけど武田義信が父信玄に無本を働こうとして遊兵されてますよね。
34:00この吉信という人はですね吉本の娘を性質に迎えていたということで当然外交的には真今川派だったわけなんですよね。
34:09本来であれば何か警鐘を鳴らすとかですね警告を与えるということを信玄に行うべきだったんですけど信玄大丈夫だよなって思ってたという一面があったんじゃないですか。
34:21そこに宇治安の墓穴があったわけですね。
34:26宇治真とこの宇治安の関係性というのはどうだったんでしょうか。
34:30西からどんどん徳川安が湿地回復でもないですけどミカの国全土を領有してなおかつ東東海の国まで領有しようという時にですね一番それを見て焦ってたのは信玄なんですよ。
34:41駿河まで頂かれちゃったら困るよなってことで駿河だけでも確保しとかなきゃなということで信玄南下政策を急に取り始めたんではないかなと思うんですよね。
34:49もちろんそれまでの間に駿河を持ってたらいいななんて思ったことあると思うんですけど三国同盟のメリットっていうのはそれ以上のものがあったんで信玄も駿河を頂こうと吉本が健在の時代には思わなかったわけですよね。
35:01均衡を保つということの難しさっていうのは痛感しますよね。
35:05これ三国同盟の崩壊を招いた宇治安の敗因っていうのはどこにあったと思われますか。
35:11当然三国同盟が破綻した原因っていうのは信玄の領土的野心にあってまたさらに宇治真があの剣心とね結ぼうとしたというところにあるのであのう
35:21宇治安の責任っていうのはほとんどないんですけどただこの三国同盟が堅固なことに安心しきっていたところに宇治安の過失があると思うんですよね。
35:31これ非常に宇治安を責めるのはかわいそうなんですけど、まあ洞察力がちょっと足りなかったかなっていう点は言えると思うんですよね。
35:38まあなんかこう消極的な失敗という感じがしますよね。
35:43日頃から相手の動きや考えの変化に注意していないと何かが起きたときすぐに対応できません。
35:52それにしても宇治安お気の毒です。
35:58北条氏最大の名君と歌われる宇治安はどんな思いを貫いてその生涯を全うしたのか。
36:05そして一族がたどった運命とはこちらをご覧ください。
36:10三国同盟が崩壊した翌1569年かつての盟友信玄の侵攻を受け小田原城が包囲されてしまいます。しかし宇治安は冷静に対処しました。
36:29まあ領民も武士もそうですけど生きることがまず第一なんですそして次が財産を残す家だとかそういうものその他っていうのはもう二の次三の次生きてさえいれば何とかなる。
36:42負けないことを第一に考えた宇治安はまたしても籠城に徹し見事強敵を跳ねのけました。
36:54激戦を重ねた宇治安が関東平庭を夢見つつこの世に別れを告げたのは2年後のことです。
37:08千葉県巨南町。
37:12この地に生前の宇治安の苦悩がうかがえる資料が残されています。
37:191561年、天津に小田原城を包囲されたあと、ある神社の別頭にあて、自責の念を記した書状です。
37:33国家安泰のご記念をお願いしていたところこの度北方の敵が出撃し国中が三夜のように荒廃しましたしかし私は万民を哀れみ農民に礼を尽くすべく特性を発し売られた領民の祭祀も取り戻してきました。
38:0010年来、目安箱を置き、領民の訴えも聞いてきました。
38:07私の今までの行動は天道に背くものだったのでしょうか。
38:15一貫して領民の暮らしを最優先し、平和な世を願い続けた宇治安の類稀な魅力とは。
38:30戦国大名っていうのは本当は武闘派であるとともにそうした帳簿も全部読める超ハイスペックなインテリじゃないと務まらない。
38:45やっぱミスター戦国大名だね。戦国大名の中の戦国大名。
38:52北条宇治安を知らずにして戦国大名を語るなんて。
38:59しかし宇治安の死から19年、孫宇治直の時代に天下人豊臣秀吉の大軍に行くし、戦国大名としての北条氏は五代で滅亡してしまうのです。
39:14もしあの時三国同盟が崩壊していなければ北条氏の未来は変わっていたのかもしれません。
39:30この北条氏康っていう人は間違いなく銘君だったと思いますしVTRに出てきた書状からはなんかこう自分はこれだけのことをやってきたんだなのになぜみたいななんかすごくこう自分がやってきたことへの自信みたいなものがすごくある人なんだなすごくそこを認めてほしいっていう気持ちが強い人だったんだなっていうなんかそこも感じました。
39:53まあなかなか複雑な心理だと思うんですけどあの宇治安の美点というのはやっぱり何事も実績で考えられる点だと思うんですよね。
40:01でまぁ45歳で隠居した際も自らの基金や意気棒対策が不十分だった。その責任を取って家督を譲るということを言ってるわけですよね。
40:09もう一つ面白いのは謙信が小田原城まで攻め寄せて撤退した後ですね反撃を起死した宇治安は箱根権原に勝利の祈祷を依頼するんですよね。
40:19その時に別島の悠山は意外な答えを言うわけです。
40:23両国内の農民の多くが高知を放棄し留民となって合室寸前になっていると。
40:28こんな時にはですね反撃を慎んで万民を愛人し農民たちに礼を尽くすべきだと。
40:34つまり全盛を心掛けよということを言ってるんですけどこれに対してですね。
40:38今度自責で考えているはずの宇治安は完全と反論するんですね。
40:42そうでしたよね。
40:43宇治安の制度こそ農民のための正義である。
40:47これを主張してるんですよね。
40:50まあ確かにねそういったことで言えば宇治安は民を第一に考えた政治思想ということを実践していたわけなんですけどこの面白いですよね。
40:58自責で考えながら人から言われんと腹が立つ。
41:01これのすごい気持ち分かりますよね。
41:03分かりますよね。
41:04自分ではいやいや私なんてって言いながらも人からそうだよねって言われるとすごく怒っちゃうっていう。
41:10みんな同じです。
41:12いやそうか。宇治安にもそういうところがあったんですね。
41:14そうですね。
41:15ちょっと親近感が湧きました。
41:17伊藤さんはこの宇治安の最大の功績って何だったと思われますか。
41:21やはり非常に大きいのは小田原書類役長の作成だと思うんですよね。
41:26この書類役長によって個々の家臣の治療だか等をまとめることができた。
41:31いわゆる帳簿ですよね。
41:32それができたことによって平時の場合には不審作時、戦時の場合には軍役負担。
41:37こういったものをですね。
41:39家臣や黒人の負担を明確にできたということなんですよね。
41:42例えば城を築く場合はその規模。
41:44で、合戦の場合は軍兵制や戦い方も事前に決められるということですね。
41:49さらに平等という点からしても家臣や黒人から問題出ないですよね。
41:53それは帳簿しっかりしてるんです。
41:54平等ですよね。非意気なしですよね。
41:56ですから北条氏は反旗を翻されることが少ない。
41:59そういう大名になっていったわけです。
42:01だからそういう基盤をしっかり作ったっていうところがこの人の功績だということですね。
42:07そのとおりです。
42:08さあ、改めて北条氏康の敗北から私たちが学ぶべき人生の教訓をお願いします。
42:15いや、これ難しいんですけどね。
42:18短期は損期ということにしていきたいと思います。
42:21信玄の駿河信仰に対する氏康の怒りは分かるんですよ。
42:25ただ竹田氏との手切れっていうのはやっぱり北条氏にとっても致命的だったと思うんですよね。
42:30その事前に信玄は今治を信仰しますよというその理解を得ようと氏康に死者まで送ってるわけですよね。
42:37そんなはずあるまいみたいな感じで氏康は思ってたと思うんですよね。
42:41信玄としては北条氏と敵対するというそういう思いはなかったわけなんですよね。
42:46で、結局ただ氏康の方の怒りが激しくてですね。
42:51今川氏は滅亡してしまうし、関東の翼谷はかなり信玄の舞台によって荒らされてしまったということで。
42:59信玄にとってもそこで関東に行ったということで、正常作戦が遅れてしまったということもあったんでマイナスだった。
43:06誰もハッピーな人はいなかったわけなんですけど。
43:09ただですね、情報を当然氏康は把握してたはずなんで、外交的手段によって解決が図れた可能性はゼロじゃなかったと思うんですよね。
43:19まあ人というのは年を取ると誰でも衰えます。
43:23平野清盛とか豊臣秀吉などはその典型例だと思うんですけど、
43:27まあ氏康もその例に漏れず晩年にですね、ちょっと短期を起こしてしまったと。
43:32それによって失うもの大きかったということなんだと思います。
43:36戦国最高の名君といえども判断力に衰えが。
43:42カッとなって行動していいことなんて何にもありませんよ。
43:48これぞ北条氏康の敗北から学ぶ教訓です。
43:57番組の最初に企業でも3代目っていうのは失敗しやすいみたいなお話がありましたけれども、
44:04それでいうと氏康は頑張りましたよね。
44:07頑張ったと思いますよね。
44:09やはり冒頭でもね、外部環境の変化にどう対応していくかという話をしたと思うんですけど、
44:14まさに外部環境が変わっていく。
44:16戦国時代っていうのは軍有格局の時代から大勢力にまとまっていく時代に、
44:21つまり武田信玄、上杉謙信、そして北条氏という形での三国志的なものが関東、東国で行われるわけですけど、
44:29それにうまく対応してですね、北条氏を次の世代に伝えていったという功績が大きいと思いますよね。
44:35そうですね。
44:36そんな優れた打ち安でも、うわ、こんなところにっていう落とし穴がある。
44:41これが戦国時代の厳しいところだなっていうのを、きょう改めて感じました。
44:45厳しいですね。
44:46はい。
44:47伊藤さん、きょうもありがとうございました。
44:49ありがとうございました。
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