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  • 2 日前

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テレビ
トランスクリプション
00:06農民服を身につけた宮沢賢治
00:09彼はかつてこう語りかけました
00:13俺たちはみな農民である
00:16ずいぶん忙しく仕事もつらい
00:19もっと明るく生き生きと生活する道を見つけたい
00:23一緒に正しい力を合わせ
00:26我らのすべての田園と
00:28我らのすべての生活を
00:30一つの大きな第四次元の芸術に作り上げようでは
00:33ないか
01:04森岡市の郊外に広がる田園地帯
01:07その一角にエッセイスト沢口珠美さんの小さな畑が
01:12あります
01:17沢口さんは昭和35年森岡市に生まれました
01:22小さい頃から生き物が大好きだったという沢口さんは
01:25岩手大学農学部で応用昆虫学を学びました
01:337年前に出版した虫のつぶやき聞こえたようで
01:36日本エッセイストクラブ賞を受賞
01:40岩手の自然の中に生きる人々に
01:42賢治の心を探ったそれぞれの賢治などの著書があります
01:53賢治が晩年に本当に命を燃やし尽くしたような農業
01:58というものへ
01:59ちょうど私もその時期に思いが至って
02:03それから先、じゃあどういうふうに土と関わっていこうかというふう
02:11に考えまして
02:12賢治さんのことを実際に見て
02:15そして教えを受けて生きていらっしゃる方たちがいる
02:20その方たちにその農業を直接学んだ
02:24どんなことを学んだのか
02:25そしてどういう思いでその方たちが
02:27その教えを胸に秘めてですね
02:31これまで生きてこられたのかということをお伺いする中で
02:36私がこれから土と関わっていく上での方向性っていうのが
02:41見出せたらいいなというふうに思っています
02:47岩手県花巻市
02:49北上川と豊沢川の流域に広がる国葬地帯の中
02:53心にあり
02:54古くから欧州街道の宿場町として栄えてきました
02:59宮沢賢治はちょうど100年前
03:01明治29年この町の資産家の長男として生まれました
03:14小さい頃から植物や鉱物採集に熱中していた賢治は
03:18やがて森岡高等農林で学んだ後
03:21大正10年12月
03:23花巻農学校の教師となりました
03:31森岡高等農林時代
03:33農業を学んだとはいえ
03:34商人の家に生まれ育った賢治にとって
03:37実際の農業に関わったのはこの農学校が最初でした
03:46賢治は後に生徒諸君に寄せるという詩の中で
03:51生徒たちにこう呼びかけています
03:57新しい時代のコペルニクスよ
04:00あまりに重苦しい重力の法則から
04:03この銀河系統を解き放て
04:06衝動のようにさえ行われる全ての農業労働を
04:10冷たく透明な解析によって
04:13その藍色の影と一緒に
04:15舞踊の範囲に高めよ
04:18およそ統計に従わば
04:20諸君の中には少なくとも
04:22100人の天才がなければならぬ
04:344年余り続いた花巻農学校での体験を通して
04:37賢治は働く農民の姿に
04:40自らの理想を見出していきます
04:57農学校時代の教え子の皆さんをお尋ねし
05:01教師・賢治の思い出を語っていただきました
05:04初めまして
05:06今日はどうぞよろしくお願いいたします
05:09いつもいつもお世話になってください
05:11帰ってどうぞ
05:13頭が坊主で
05:14なんとなく新宅に見えたわけだ
05:17そしてね来て
05:20テーブルの前に来てね
05:22ただいま校長先生から紹介に預かりました
05:27宮沢賢治ですと
05:29ずっと頭が下げてすぐ帰ってしまったわけだ
05:33私たちは何か一言どこに話があってもいいもんだなと思
05:38った
05:38なんとなく私たちは針のない先生が来たもんだなと思った
05:43それが第一印象
05:44それがだんだんに接するうちに印象は変わっていったんです
05:51
05:51何変わるところにまた面白いところがある
05:55先生の
05:572年生になってから
05:5910月のね
06:0110月小春っていうのはありますね
06:04その時に私のところに来てね
06:07北上に行こうんじゃないかって案内してくれって言われてね
06:12船がちょうど川の真ん中頃に行ったから
06:15とてもいいお天気でさざ波でね
06:19キラキラキラと光っておったんですよ
06:21そうしたところに先生がね
06:24ポケットの中にリンゴを持っておったんですよね
06:27あれは見なかったけどね
06:29ちょうど真ん中頃に行ったところは
06:33先生がポケットの中にリンゴを出してね
06:39その
06:39プターンと脅すんですよ
06:41川に
06:42川に
06:42そうするとね
06:44脅した途端に先生がね
06:45きれいだって言うんですよ
06:47だからね
06:48高く上げたり低く下げたり
06:50何回もきれいだきれいだってね
06:53言葉でね
06:54体全体でね
06:56きれいだって言ってるんですよ
06:58それが私こういう風にこう言うながら
07:01姿を見るってね
07:03本当に体全体できれいだってこう言うんだね
07:13ケンジは学校で英語、科学、土壌、肥料などの学科
07:18を受け持つとともに
07:19稲作実習の指導にも当たりました
07:29佐藤英作さんは農業は土作り
07:32家畜なくして農業なしというケンジの教えを守り
07:35農学校卒業後に始めた養鶏を今も続けています
07:43転がっているその辺の椅子を拾って
07:46これは安山岩だ
07:48これは安山周回岩だ
07:52これは石灰岩だとか
07:53ジャモン岩だとか
07:55これだ椅子のことを申し入るんですよ
08:00そういうことを申し入るんです
08:03そういう石のこともやっぱり農業をやる上で知っていると
08:07土壌農に関係があるわけです
08:10その銀石がどこになるかという
08:12そうですよね
08:13土は石が砕けてできるんですもんね
08:17そしてほら
08:18水によって運ばれてできているもんだから
08:23そうしたらそうやって草の上で休みながらやることも
08:28みんな農業につながってた
08:30そうそうそうそう
08:32そういう人でした
08:35つまり資料とか土壌農業とか
08:38いろいろそういうような
08:40みんどうな
08:44あだ
08:47いいもんだとかね
08:49そういうみんどうなようなのは
08:52ふとんと
08:53宮沢先生へと刺さってあった
08:57だから
09:01宮沢先生
09:02神社から教わったものは
09:13今んだね
09:14全面の頭にありますよ
09:17資料とかそういうようなものね
09:28当時の東北の農村は
09:30例外と間伐による教策が続き
09:33農村教皇のただ中で苦境にあえいでいました
09:41詩や童話を書き
09:43生徒たちと野山を歩く中で
09:45現実の農村の厳しさに触れた
09:47賢治は
09:48次第に農学校の教師としての
09:50自分の在り方に疑問を抱くようになっていきます
10:05朝倉六郎さんは
10:07花巻の東
10:08現在の東亜町の山村から入学しました
10:12家が遠いため寄宿舎に入り
10:14社官を務めていた
10:15賢治との触れ合いも多かったといいます
10:45朝倉さんは2年生の時
10:47賢治から月給取りにならず
10:50村に帰って百姓になれと言われた時のことを
10:53今も鮮明に覚えています
11:00今は岩にバスター来て
11:02カランダー洗ってきたとこに立っていて
11:04まるで疲れた顔して
11:06木々さんに年次予備の岩方
11:08立っておったことがありましたからね
11:10そこで
11:12私のブラグがいかに支払いしているかということを
11:15知っておったようなんですよ
11:17朝倉さんと
11:18私のブラグを取って
11:21朝倉君のブラグを取って
11:22ヨアニバスターで入れ帰ってきたと
11:24こう言っておりましたからね
11:26そこであれ
11:26特に私はね
11:30月給通りにならないで
11:31宇宿舎に行って
11:32村の狩りをする農業をやれと
11:35ブラグの狩りをしながら農業をやれと
11:38突然そう言ったってことは
11:40ずっと後からそれが分かったんですがね
11:44それで私もずっと
11:46あのうちに百姓をやりました
11:48十人間やりました
11:50うん
11:51全然三端とあるもんでした
11:54あの頃の農村教科というのは
11:56そういう時代ですから
11:58先生はその
12:00そういう絶対の農村の状態も話したり
12:05うん
12:06そんなかと思うと
12:07取る人への話をしたり
12:09ある時には理念の話をしたり
12:11ある時には下辺の話をしたり
12:14そういうその特別な授業と言いますか
12:19何と言いますかな
12:21それをその十分間やるんですよ
12:23うん
12:23考えてみれば変ですもんね
12:25自分が作ったお供よ
12:27自分が食えねえっていうような
12:29だからそういうのを
12:30先生に見入れようってから
12:33入りも立ちもいられなかったんじゃないんですか
12:36内審は
12:41賢治の作品を読むと
12:42食べるということに
12:44深く思いを巡らせていたことが分かります
12:47食べ物を作る農業を
12:49本当に尊いものと考えていたようです
12:53しかし
12:53その農業に携わる人々が
12:56今はともかく
12:57当時は一番貧しく苦しんでいた
13:01そんな人々の姿を見て
13:03賢治は
13:04自分にできることは何だろうと問い詰め
13:07実践に踏み込む気持ちを
13:08強めていったのではないでしょうか
13:11こんな詩も書いています
13:17日が照って
13:18鳥が鳴き
13:20あちこちの奈良の林も煙るとき
13:23ギチギチとなる汚い手のひらを
13:26俺はこれから持つことになる
13:35大正15年3月
13:37賢治は4年4ヶ月の教師生活に終止符を打ち
13:41花巻農学校を去りました
13:44その後
13:45移転した農学校の跡地は
13:47市の公園となり
13:48賢治が愛した銀泥の木が風にそよいでいます
13:56農学校を辞める前の年
13:58賢治は親しい友人にあてた手紙の中で
14:01新たな生活への予感と期待を書き綴っています
14:12お手紙ありがとうございました
14:15来春は私も教師を辞めて
14:18本当の百姓になって働きます
14:22いろいろな新産の中から
14:24青い素材の玉や
14:26泥の木のひらめきや何かを予期します
14:29今は
14:30縄しろや草の生えた石の
14:33うすら濁った
14:34温かな
14:35たくさんの微生物の楽しく流れる
14:38そんな水に足を浸したり
14:40腕を浸して
14:42皆口をつくろったりすることを願います
14:54生徒さんたちには
14:56非常に苦しみという部分を見せないように
14:59接してきたようですけれども
15:01その4年間の間には
15:03妹さんが病気で亡くなるという事件もありまして
15:08自分の命
15:10妹さんが亡くなるということを通じてですけれども
15:13自分の命にもいつか終わりが来る
15:16そしてそれは決して丈夫でない自分にとって
15:19他の人より早いものであるかもしれないということを
15:23突きつけられた時代でもあったというふうに思います
15:27だから自分はここで一生を終えるのか
15:30それとも何か違う道を探すのかということで
15:33悩んだと思いますし
15:35最後に生徒たちに生徒諸君に寄すという詩を書いて
15:39ここの生活は本当に小鳥のように楽しく
15:43決して何も後悔していないということを述べて
15:50でも最後の方に生徒さんたちに
15:52君たちはたくさんの山の中のそれぞれ違った形の
15:56要するに頂き頂上でなければならぬと
16:00その山並みの中に没することを欲するかという
16:03問いかけを残して去ります
16:05それは多分検事自分の身にもですね
16:10そのことを言い聞かせつつ
16:13未来からの風を感じないのか
16:15このまま渦もれるのかという思いで
16:19辞めただろうと
16:26大正15年3月に農学校を退職した賢治は
16:304月には花巻の町外れの田園地帯にある
16:33小高い丘に移り住みました
16:39ここには賢治の祖父の別宅がありました
16:42その別宅で賢治は一人暮らしの自炊生活に入ります
16:50跡地の一角には賢治の死後
16:52昭和11年に建てられた
16:54雨にも負けずの死碑があります
17:06賢治が住んだ家は
17:07現在県立花巻農業高校の敷地に保存されています
17:13賢治はここでラスチジン教会を作り
17:16理想とする農民生活を自ら実現しようと
17:19様々な活動を展開します
17:29この家で賢治は
17:31農学校の教え子や周囲の農民を集めて
17:34農業に関する基礎的な科学講義や
17:37農民文化の向上を目指した芸術講座を開きました
17:47農学校の退職金を当てて改造した集会室では
17:50音楽会やレコードコンサートも行われました
17:54経済的な向上と同時に
17:56農民の生活に芸術を取り入れることは
17:58賢治の変わらない願いでした
18:03賢治が周囲の農民に呼びかけた
18:06集会案内の文章が残されています
18:10今年は作も悪く
18:12お互い思うように仕事も進みませんでしたが
18:15いずれ明暗は後退し
18:17新しいいい年も来ましょうから
18:20農業全体に大きな希望を乗せて
18:23次の支度にかかりましょう
18:36賢治が書いた肥料設計書です
18:39教会での活動とともに
18:41この時期いよいよ本格的に農村の中に入り
18:45農業の実地指導を盛んに行いました
18:54こうした肥料設計にあたり
18:56賢治は農民から田畑の条件や
18:59作物の作り方を細かく聞き取り
19:01収量を上げるための肥料のやり方を教えました
19:10賢治が書いた肥料設計書の数は
19:12実に2000枚にも上ります
19:23あそこの田はね
19:25あの種類では窒素があんまり多すぎるから
19:29もうきっぱりと水を切ってね
19:31三番除草はしないんだ
19:34林産がまだ残っていない?
19:36みんな使った?
19:38それではもしもこの天候がこれからいつか続いたら
19:42あのシダレバをね
19:43こういう風なシダレバをね
19:46虫って取ってしまうんだ
19:56賢治の肥料設計の活動には
19:59それぞれの村に帰って
20:00家の仕事に就いていた
20:02勝手の教え子たちが協力してくれました
20:17川村よざえもんさんも
20:19家業の酒造りを継ぎながら
20:22賢治を手伝って村を回った一人です
20:27大事にも
20:28じゃあそれにはね
20:30こういう風に入りはね
20:32こういう風に入りはね
20:33くずっとってね
20:34どぶんどぶんどけってね
20:36タンポさん
20:37そしてこういう風に入りなさい
20:39こういう風に深く入ると
20:44入りが育てないとか
20:45入りがならないとか
20:47送り入れるとか
20:50そういうようなことを思って
20:53一生懸命
20:55それこそ実地指導をして歩いたり
20:58もうそれは歩きながら
21:00歩きながら道道
21:01歩きながら道道
21:01どこの人でもね
21:03どこの農家の人でも
21:05それくらい農業というのを
21:09やっぱり好きだったんだろうね
21:14宮沢先生がね
21:15競りずがと思った時に
21:17そっとその農家の人に行ってね
21:21こんにちはって話してるのね
21:23お前さんこの辺の人だっすか
21:25そんなちゃった
21:27タはどの辺なんですか
21:29このタはおれんの棚だっす
21:30やっぱりこういうの
21:31分かるんですか
21:32おれんの棚だっすか
21:33はい分かります
21:34おれんの棚だっすか
21:35ああそうか
21:36去年の安倍を取ったんだっすか
21:387票取ったっていうのでね
21:41先生が死なり店で
21:43雪の時の田もなくて
21:44手をつくつくんでね
21:46そして頭をこう呼べてこう
21:48印銭でながら
21:50そしてからね
21:51来年は
21:53筒をこうね
21:54もう少し深く掘って
21:56そして
22:02孫にももう少しやって
22:04電算とか
22:05それを狩りといったような
22:07金品ももう少しやれば
22:09来年は
22:11初日を取れるわけだと
22:13初日を取れると
22:15三国二頭だから
22:18本当に上々の収穫ですよね
22:21そういう風にして
22:22振動してね
22:23例えば百姓がね
22:25お前さんどこで死んだっすって
22:27聞いたところで
22:28おれか
22:29おれこの日の人っすって
22:31全然名前を惜しいね
22:33そうして
22:36農民にそういう振動をしてるわけだね
22:40だから先生が
22:41農民の接し方は
22:43こういう姿で
22:44何も知らせないんで
22:47料金も取らないで
22:49という先生の姿というのは
22:52はっきり分かりましたね
22:59伊藤津也さんのお父さんも
23:01ケンジから肥料のやり方を
23:03教えてもらった一人です
23:12ケンジの教えを守って
23:14作ったその年
23:15稲はよく実り
23:16喜んだお父さんは
23:17正月の鏡餅をついて
23:19お礼にケンジの家に
23:21持っていきました
23:26父親のバソリンに
23:27乗せられてきた
23:28つやさんを見て
23:29ケンジは大変
23:30喜んでくれたといいます
23:57今でもそうだかもしれませんけど
24:00やっぱりお礼に
24:02まず
24:05鏡餅にして
24:07まずお書きさんにしたと
24:08小田さんは
24:09穂作に出たら
24:09いっぱい取りだった
24:11いやー
24:11いいかったいいかった
24:12というような感じで
24:13また来年も
24:15お願いしやすと
24:16祖父親は
24:18金子さんの時に話を
24:20ついていたから
24:21あれは
24:22父親がお火だと思っているな
24:28父親がお火だと思っているな
24:28父親は
24:29父親は
24:29守っていながらなんて
24:31父親で
24:32こうして
24:33貸しんでいれば
24:34何とにも
24:35栗パンを食べるんだっていうのは
24:38こう書いていれば
24:39本当に今食べると
24:42マミコ一つも見えても
24:44一つも何かになるから
24:46一遍になるから
24:48だから土は宝になるんだって
24:50俺土をやりにかけたと思うなさ
24:54土っていうのは
24:59よく
25:00肥やすっていうか
25:02いい土にして
25:04そしていいものを摂りなさいよ
25:06っていうことが
25:06多分宮沢先生が
25:08知事親に教えてることが
25:11宝だよっていうのは
25:12親父さんが
25:13そこを今度自分の娘に
25:15教えたんじゃないかな
25:16と思うんですけど
25:24伊藤津也さんに
25:26昔ケンジが稲作指導をしてくれた
25:29という水田を
25:30案内してもらいました
25:39水田は
25:40一枚一枚が大きくなって
25:42昔の面影は
25:44なくなっていました
25:46でも
25:46今も胸を張って
25:48土は宝だ
25:49と言い切る
25:50津也さんの姿は
25:52これから土と
25:53関わっていこうと
25:54考えている私にとって
25:55大きな励ましとなりました
26:07ラスチジン教会での
26:09学習と文化活動
26:11村々での農業指導に
26:12打ち込んだケンジは
26:13一方では
26:14北上川の川べりにある
26:16小さな畑を
26:17自ら耕して
26:18自給自足の生活を
26:20貫こうとしました
26:22自ら桑を握っての畑仕事は
26:24ケンジにとって
26:26初めての体験でした
26:34僕は
26:35諸君のように
26:36雨に打たれ
26:38風に吹かれ
26:39育ってきていない
26:41けれども
26:42僕は僕できっと仕事をするよ
26:45ずっと前から
26:46僕は
26:47野原の富を
26:48今の3倍も
26:49できるようにすることを
26:50考えていたんだ
26:52僕は
26:53それをやっていく
27:03わずか2丹4瀬の
27:04小さな畑は
27:05北上川が
27:07少し増水すれば
27:08水をかぶってしまう
27:09痩せた砂地でした
27:17ここで
27:17ケンジは
27:18白菜
27:19玉菜
27:19当時では珍しい
27:21トマト
27:21セロリ
27:22それに花も
27:23育てました
27:25作った野菜を
27:26リアカーに積んで
27:27花巻きの町に
27:28売りに行く
27:29ケンジの姿が
27:30よく見かけられました
27:40しかし
27:41こうした
27:41他方面の活動は
27:43もともと
27:44丈夫でない
27:44ケンジの体を
27:45蝕み
27:46昭和3年8月
27:48急性肺炎で倒れ
27:49農民ケンジの実践は
27:512年余りで
27:52終わりを告げます
28:03この後
28:04ケンジは
28:05自宅に帰って
28:06療養生活を
28:07送ることになります
28:09志半ばで
28:10倒れたケンジの
28:11気持ちを考えると
28:13本当に
28:13無念だったろうと思います
28:16けれど
28:17一人の若者が
28:18世の中を
28:19少しでも
28:19良くしたい
28:21そのために
28:21何かをしたい
28:22という気持ち
28:24それは
28:25私たちの
28:25誰にでもある
28:26気持ちだと思います
28:29ケンジが
28:30やろうとしたことを
28:31崇高な
28:32自己犠牲と
28:33遠くに見上げるよりも
28:35少しでも
28:36人の役に立つことを
28:37したいと思い
28:38それを実現しようと
28:40精一杯頑張った
28:41若者が
28:42ここにいた
28:45その事実の方が
28:47私にとっては
28:48大事で
28:49そう考えた時
28:50ケンジは
28:52本当に私たちの
28:53身近な存在になる
28:54という気がします
29:04岩手県南部にある
29:05東山町
29:07昭和5年4月
29:09この町で
29:10採石工場を経営していた
29:11鈴木東蔵が
29:12まだ病床にあった
29:14ケンジを訪ねました
29:16採石工場の
29:17技師として
29:18事業に協力してほしい
29:19という妖精でした
29:28当時鈴木は
29:29東山町で
29:30石灰岩を採掘し
29:32石灰肥料などを
29:33生産販売していました
29:35ケンジはこの要請を
29:37受けることにしたのです
29:44しかし
29:45当時のケンジは
29:46病気で弱り切った体が
29:47まだ完全には
29:49回復していませんでした
29:52トリブジを
29:53かぶってね
29:56すぐこう
29:57技師らしくなるような
29:59格好でした
30:00だけどね
30:01先生のお顔はね
30:04すっかりね
30:05病人
30:05老後の
30:06病後の先生のような
30:08格好でね
30:08ピン
30:09昔の
30:11お会いした
30:11百姓をやって
30:13働いた
30:15素晴らしい格好とは
30:16全然違い
30:18か弱い
30:19先生に
30:20見えたんですよ
30:23だから私
30:25この辺りいいのかな
30:26と思った
30:27なんかして
30:27おったんです
30:33石灰岩も掘り出し
30:35それを焼いて作る
30:36石灰肥料は
30:37当時の農業に
30:38欠かせないものでした
30:44岩手県の土は
30:45岩手山などの
30:46噴火による
30:47火山灰に広く覆われ
30:48土地は産生で
30:50痩せていました
30:52農作物の収量をあげ
30:54農民の暮らしを
30:55豊かにするためには
30:56石灰肥料で
30:57産生の土を
30:58改良することが
30:59まず必要です
31:01農民の肥料設計の
31:03体験から
31:03検事は
31:04誰よりも
31:05そのことを
31:06痛感していました
31:12石灰肥料を
31:13安く大量に
31:14農民に与えること
31:16その願いが
31:17検事を動かしたのです
31:27検事は
31:28採石工場のために
31:29こんな宣伝文を
31:31作っています
31:33各校も内定
31:35大豆を巻く頃になりましたが
31:37石灰は
31:38ご用意でありましょうか
31:40私ども製作の
31:41炭酸石灰は
31:42磷酸と根治
31:44種子と接触せしめて
31:45何らの害なく
31:47効果は
31:48全生育期間に通じます
31:50大豆をよく作ることは
31:52単に収量を
31:53増すばかりでなく
31:54また
31:55地味を肥やす結果とも
31:57なりますので
31:58ぜひ
31:58ご使用を願います
32:13この時期の検事に
32:14たった一度あった思い出を
32:16今も大事に胸に秘めているという方に
32:19お会いすることができました
32:21この辺なんだけどね
32:22確か
32:24畑山本さんです
32:29そしたら検事さんが
32:31お茶を飲んだ
32:32トム口っていうのは
32:34この辺なんです
32:35ここへだ
32:36はいはいはい
32:37すぐ
32:40当時
32:40畑山本さんのお父さんが
32:43採石工場で働いていました
32:46ある日
32:47お父さんを訪ねてきた検事に
32:49本さんが
32:50お茶を出したのだそうです
32:56検事が訪ねてきたという
32:57仕事場の後には
32:59
33:00石灰岩を焼いた
33:01レンガの窯が
33:02草に埋もれて
33:03残っていました
33:09元やお客さん来たからな
33:12鎌膜をあがして
33:13お茶っこ
33:14入りできろやって
33:15こういう風に
33:16実に言われたんです
33:17そうして私が
33:19お茶を摘みました
33:20そうしたら
33:21実がに言うんです
33:22この子
33:23私はね
33:24母がなくて
33:258歳ぐらいから
33:27ご飯を炊いたり
33:28なんかしてね
33:29よくやってくれるとか
33:31つまみじゃなことを
33:32話してね
33:33私は嫌なんです
33:35まだ出たんです
33:36ここに
33:36そしたら先生は
33:38こう言ってくれました
33:41貧しさの影が
33:45全然なくて
33:47優しい娘さんに
33:48仕掛けましたねん
33:49って
33:49一言だけ
33:50私も
33:51誰様に
33:52言わないんです
33:53いやでも
33:54あのー
33:56その先生にね
33:57貧しさの影が
33:59全然なくて
34:00はい
34:00優しい娘さんに
34:02来ましたねんって
34:03って言われたことは
34:05その後いろいろなご苦労なさっているときに
34:08こう何かどこかで
34:11あのー
34:11私はね
34:12あれでした
34:13あのー
34:14祝いたのがね
34:16宝だと思ってね
34:18思いましたの
34:19誰もそんなこと
34:21言ってくれる人ないんだ
34:22まず
34:23人なんかさ
34:24言わない時代だから
34:25この胸から
34:27
34:29離れないんだね
34:42東北西石工場の技師となった
34:44ケンジは
34:44父親の出資を受けて
34:46花巻に出張所を開き
34:48製品の研究宣伝
34:50販売活動にあたることになりました
34:56ケンジは
34:57石灰肥料の販売普及のため
34:59東北から関東一円を駆け回ります
35:02当時
35:03ケンジが携えていた川のトランクの中には
35:05石灰肥料の見本や宣伝の文書などが詰め込ま
35:09
35:09重さは40キロにもなったといいます
35:15こうしたケンジの活動で
35:17肥料の販路が広がり
35:18工場の生産量は2倍に増えました
35:26しかし
35:27販売普及のため
35:29東本清掃する日々が
35:30病後のケンジの体を
35:32次第に蝕んでいきます
35:37昭和6年9月
35:39宣伝販売のために上京したケンジは
35:42高熱を発し
35:43一時は死を覚悟します
35:4820日夜
35:50激しく発熱いたし
35:51今後の経過はちょっと良き月がたく
35:54そうらえども
35:55回復さえ致さば
35:56必ず外交も致し
35:58あるいは
35:5811月頃は多分の注文を得るやも知れず
36:02小生のことは
36:03どうせ
36:04いくたび死したる体に候あいだ
36:07これ以上のご心配はご無用に
36:13人のために
36:15生きたいという願いが
36:18やはり
36:20その思いとは別にして
36:21いてもたってもいられないという
36:23思いとは別にして
36:24やはり生身のケンジさんにとっては
36:27あまりにも重かったのだろうかと
36:29私はここで
36:30やはりあのグスコーブドリの電気
36:33という作品を強く感じます
36:37もう自らのシナリオを
36:39あの中で描いていたかのように
36:42最後
36:43火山の爆発で
36:46救おうと
36:47そして自分の命を
36:49火山の爆発と一緒になくする
36:51義士が
36:52グスコーブドリが主人公で
36:54まさに
36:56ケンジさんはその岩手県の土壌に
36:59石灰を
37:01染み
37:03渡らせて
37:04酸性の土壌を何とか良くしようとすることに
37:08やはり命を捧げてしまった感じがある
37:11と思います
37:16東京で倒れたケンジは
37:17やがて花巻に戻り
37:19以後再び世に出ることはなく
37:22昭和8年9月21日
37:2637歳で亡くなりました
37:28その年
37:29岩手県は久しぶりに豊作で
37:32死の数日前
37:33ケンジは秋祭りの
37:35獅子踊りを楽しんだということです
37:40板月に家にも口に命なり
37:45祈りにすれば
37:48嬉しからなし
37:53ほぼ獅子踊り
37:59冷え抜き
38:00冷え抜き
38:01飲みかも
38:03稲売れて
38:05見祭り三日
38:07空晴れ渡り
38:09これは別々
38:11この
38:14振り返すね
38:152本が残ってますね
38:17これね
38:19やっぱりただの人ではないですね
38:21死ぬ前に
38:23普通は悲しく思うんですよ僕はね
38:26なんと言いますか
38:30あの世に勇んで
38:33死んでいったような感じですね
38:36でもなんかずっと
38:37農業のことを心配してた
38:39ケンジ先生が
38:41亡くなる年だけでも
38:44こう実った稲を見れて
38:46良かったですね
38:52生前のケンジに接した人たちが
38:54ケンジから得たものを
38:56現在にどう生かそうとしているか
38:59知りたいと思いました
39:037月20日
39:05花巻市文化会館で
39:06児童劇風の又三郎が上演されました
39:11教え子のてるい金次郎さんが
39:13戦後50年以上続けてきた
39:15ケンジ童話の上演は
39:16これまで159回を数えています
39:35敗戦直後の荒廃した世相の中で
39:38ケンジの心を子供たちに伝えようと始まった
39:40児童劇も
39:41てるいさんが恒例のため
39:435年間中断していました
39:46生誕100年の今年
39:48ケンジ先生のために
39:50何ができるかを考えて
39:51久しぶりに上演したと
39:53てるいさんは言います
39:58本当に宮沢先生
40:00夢でもちょっと
40:01にだるしなんかするもんだから
40:05先生のやることを見ると
40:06楽しくて楽しくて
40:09楽しくて楽しくて
40:10どうせやめられないもの
40:13そういうのだから
40:14理屈つけてどうやって解釈ができないの
40:17楽しくて楽しくて
40:18それがケンジの童話の正解じゃねえでしょうかね
40:26ケンジの教えを守って
40:28養鶏を始めた佐藤さんは
40:30経粉を畑に施して土を肥やし
40:33この地区に初めて
40:34リンゴ栽培を取り入れた先駆者となりました
40:49最初の年に植えたリンゴの木が
40:52今年も実をつけています
40:58人の争いのない
41:02競争という
41:05お互いに引き付き合うようなことがないと
41:09みんなが楽しくやって
41:13自分でいたというのが
41:15生活をやっていくという
41:18人の理想郷というのは
41:21ユートピアというのは
41:25そういう笑いのある
41:29農村を起こして
41:31ということじゃなかったんですか
41:34まず急ぎしようとしまいと
41:37やっぱり先生のことを思い出すと
41:42本当に悪いことはありませんね
41:44どんなこともあっても
41:46苦しいこともあっても
41:47まだ我慢できますしね
41:50あの人のことを考えると
41:58いや素晴らしい
41:59今考えてみると
42:00その頃は何とあんまり思わなかったけど
42:03でもこんなに先生の読みで
42:05おなかったし
42:07今考えてみると
42:09やっぱり素晴らしい
42:11非常になんて言いますか
42:14俺にとっては
42:15非常に良かったなと思っていました
42:18宮沢先生の教わったということ
42:20宮沢先生と巡らわったということ
42:34賢治が願ったこと
42:37それは自然に心から感謝すること
42:40あらゆる命を尊重し
42:43謙虚に生きること
42:46それは今こそ大切な思想で
42:49一人一人ができることから始めるべき時代に
42:53来ていると思います
42:56賢治の願いは
42:58未だ達成されていません
43:01だからこそ
43:03本当の幸いを探し求める人々によって
43:08賢治はこれからも
43:10読み継がれていくのではないでしょうか
43:25ご視聴ありがとうございました

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