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  • 2 日前

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テレビ
トランスクリプション
00:00:0117世紀に望遠鏡が発明されてから
00:00:05天の川は実は無数の星の集まりなのだということ
00:00:11そして渦巻きの形をしていることが分かってきました
00:00:16このような星の集まりを銀河と言います
00:00:20この渦巻き銀河は千億単位の星で成り立っているの
00:00:24です
00:00:26私たちの太陽はその星の一つにすぎません
00:00:32この渦巻き銀河の直径は10万光年である
00:00:38そして様々な形をしたこのような銀河が何十万個も散ら
00:00:43ばっているのが
00:00:44私たちの宇宙だと分かったのは20世紀に入ってからのこと
00:00:49である
00:00:51星のように見えているこの一つ一つがすべて銀河なのだ
00:00:57宇宙全体の銀河の数は現在1兆以上と見積もられて
00:01:02いる
00:01:05話を我が銀河系に戻しましょう
00:01:09私たちの渦巻き銀河を横から見ると
00:01:13突レンズのような形をしているらしいと分かったのも
00:01:1720世紀に入ってからのことでした
00:01:21驚くべきことにその学説がヨーロッパなどで発表さ
00:01:25
00:01:26日本に紹介されて間もなく
00:01:29レンズ状の銀河の中を行く列車のイメージを着
00:01:32想した日本人がいたのです
00:01:40岩手県花巻市生まれの詩人
00:01:43そして童話作家の宮沢賢治です
00:01:51記者は銀河系のレイローレンズ
00:01:56大きな水素のリンゴの中をかけている
00:02:07宮沢賢治の銀河鉄道の夜はこのイメージを元にして
00:02:12作られた
00:02:20イタリアとおぼしき町に住む二人の少年が
00:02:24天の川沿いに走る銀河鉄道に乗って
00:02:28様々な登場人物に出会う中で
00:02:31人間の本当の幸せとは何かを考えるという物語である
00:02:40ジョバンニが銀河鉄道に乗り込んだその日は
00:02:43ケンタウル祭という星祭りの一日だったと報道で記さ
00:02:47れています
00:02:48ではそのケンタウル祭とはどういった星祭りだったのか
00:02:54ケンタウルの語源は
00:02:56ギリシャ神話に登場するこのケンタウロスである
00:03:01胴体や足は馬
00:03:03首から上が人間の上半身
00:03:06半人半馬の怪物である
00:03:10これをかたどった星座がケンタウルス座である
00:03:20ケンタウルス座は日本では夏の宵の星座として有名で
00:03:24その時期になると南の地平線上に
00:03:28この槍を構えたケンタウルスの上半身を見ることが
00:03:31できます
00:03:34なぜ半人半馬の怪物ケンタウルス座の星祭りに
00:03:39銀河鉄道は出発するのか
00:03:44作者の宮沢賢治は
00:03:46童話銀河鉄道の夜を4回も書き直しているが
00:03:51ケンタウル祭については何も説明していない
00:04:01ケンタウルス座の日に出発することで
00:04:04ケンジは何を銀河鉄道の夜に託そうとしたのだろう
00:04:08
00:04:14そしてケンジのもう一つの代表作
00:04:18あの風の又三郎にも大きな謎があるのです
00:04:22ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド
00:04:30ドドドドド
00:04:31青いぐるみも
00:04:38酸っぱいカリンも吹き飛ばせ
00:04:44風よドーと吹いてこい
00:04:49豆をくれてやるから風よドーンと吹いてこい
00:04:54岩手の子供たちに歌い継がれてきた
00:04:57風を呼ぶわらべ歌と
00:05:00山形や新潟に伝わる風の三郎さんなどのわらべ
00:05:04歌を
00:05:04取り入れて作られたのが
00:05:07童話風の又三郎だと言われています
00:05:13ある年の9月1日の朝
00:05:17種山ヶ原の近くの谷合の川岸にある小学校の教
00:05:21室に
00:05:22見知らぬ子供が座っているのを
00:05:24村の子供たちが見つけます
00:05:32しんとした朝の教室の中に
00:05:36どこから来たのか
00:05:37まるで顔も知らない
00:05:39おかしな赤い髪の子供が一人
00:05:43一番前の机に
00:05:45ちゃんと座っていたのです
00:05:52この子がこの日転校してきた高田三郎です
00:05:56ですが教室のみんなは
00:05:58強い風とともに転校してきた三郎のことを
00:06:02風の又三郎だと言います
00:06:04そして村の子供たちは三郎と一緒に
00:06:07野原で馬を追いかけたり
00:06:09川で魚を釣ったりして遊びます
00:06:12ですが10日ほど経ったある日
00:06:15これまた風の強い日に
00:06:17三郎は突然いなくなってしまいます
00:06:20実はお父さんの仕事の転勤で
00:06:22引っ越してしまったのですが
00:06:24残された村の子供たちは
00:06:26やっぱりあいつは風の又三郎だ
00:06:29そう思う
00:06:31それが宮沢賢治が書いた
00:06:33童話風の又三郎です
00:06:44この有名な風の又三郎ですが
00:06:48ちょっと不思議な点があります
00:06:51それはですね実は
00:06:52風の又三郎こと高田三郎の養子です
00:06:57具体的に賢治は三郎の養子について
00:07:00こう描写しています
00:07:03おかしな赤い髪の子供が一人だったり
00:07:07次のページでは
00:07:08教室の中にあの赤毛のおかしな子が
00:07:12その数行後には
00:07:14赤毛の子供は一向怖がる風もなくなど
00:07:17冒頭から髪の毛が赤いという表現を
00:07:20繰り返し使っています
00:07:22さらに
00:07:25顔といったら
00:07:26まるで熟したリンゴのよう
00:07:29ことに目はまんまるで真っ黒なのでした
00:07:34ちょっと不思議ですけど
00:07:36どういう感じなのか
00:07:38この賢治の表現通りに
00:07:39再現してみるとこうなります
00:07:48髪が赤く
00:07:50顔は熟したリンゴのようにも赤く
00:07:52そして目は真っ黒
00:07:56やっぱり他の周りの子供たちと比べても
00:07:59全然容姿が違うので不思議ですね
00:08:02不思議というかちょっと異様だと思います
00:08:06賢治はなぜ風の又三郎こと
00:08:09高田三郎の容姿をこのように表現したのでしょうか
00:08:16賢治の描く風の又三郎こと高田三郎を
00:08:20率直に再現すればこのような姿になる
00:08:25靴まで赤いとされている
00:08:28なぜ賢治は風の又三郎を
00:08:31こんなにも赤くしたのだろうか
00:08:49ココオの詩人
00:08:51宮沢賢治が残した
00:08:54ケンタウルサイの謎と
00:08:56風の又三郎の赤い髪の謎
00:09:01この二つの謎には
00:09:04賢治が生涯を懸けて愛した
00:09:07一人の男性が深く関わっていた
00:09:39音楽
00:09:40岩手県のシンボルともいえる岩手山
00:09:45標高二千三十八メートル
00:09:51四季折々のその姿は
00:09:53古くから岩手の人々に親しまれてきた
00:09:59そして岩手山に並ぶ
00:10:01もう一つのシンボルともいえるのが
00:10:03北上川
00:10:07北から南へと流れる北上川が
00:10:10岩手県の中部に差し掛かって
00:10:12大きな流れになる
00:10:19その西側の平坦地に広がる城下町が
00:10:23宮沢賢治のふるさと
00:10:26花巻である
00:10:32賢治は花巻川口町の中心地
00:10:36豊沢町にあった
00:10:38七夜古城の長男として生まれた
00:10:45誕生日は明治二十九年八月二十七日
00:10:52その二年後に
00:10:53妹俊子が生まれている
00:11:01父正二郎は
00:11:03家業の市地や古着省を堅実に経営する
00:11:07花巻の有力者だった
00:11:10その一方で
00:11:11熱心な浄土神宗の信者でもあった
00:11:20賢治も子供の頃から
00:11:22朝に夕に
00:11:24南無阿弥陀仏と
00:11:25お題目を唱えて育った
00:11:31岩手の農村は
00:11:33古くから
00:11:34霊害や感慨に苦しめられ
00:11:36しばしば
00:11:37合社を出すほどだった
00:11:40賢治の店の客は
00:11:42ほとんどが
00:11:43そうした貧しい農民だった
00:11:46賢治は
00:11:47家業にひけ目を感じる少年だったようだ
00:11:55一方で賢治は
00:11:57花巻近辺の山野を歩き回り
00:12:01自然そのものに惹かれる
00:12:02科学少年でもあった
00:12:09植物や昆虫などの採集
00:12:13中でも
00:12:13鉱石を採集することに熱心で
00:12:17周りから
00:12:18イシッコケンさんと呼ばれるほどだった
00:12:25明治42年
00:12:27花巻小学校を卒業した賢治は
00:12:31森岡市の森岡中学校に進学した
00:12:37当時、若き家人として名を馳せていた
00:12:40石川拓木も
00:12:42森岡中学校だった
00:12:47拓木は
00:12:48ふるさと岩手に思いを寄せる歌を
00:12:51多く読んでいた
00:12:57柔らかに
00:12:59柳やおめる北上野
00:13:02岸辺目に見ゆ
00:13:04泣けとごとくに
00:13:13卓木の影響下
00:13:15賢治は
00:13:16入学したその4月から
00:13:19短歌を作り始めている
00:13:27おにこしの
00:13:29山のふもとの谷側に
00:13:32目の尾のかけら
00:13:34広いきたりぬ
00:13:41とろとろと
00:13:43甘き火を焚き
00:13:45真夜中の
00:13:47宮間の谷に
00:13:49ひとり歌いぬ
00:13:59山あいに白く平たく霞んでいるのが
00:14:02森岡の
00:14:03市街地である
00:14:05森岡は
00:14:06花巻の北20キロに
00:14:08位置する
00:14:10森岡に来てから
00:14:11賢治は
00:14:12本格的に
00:14:13岩手の山野を
00:14:14歩き回るようになった
00:14:17森岡の西には
00:14:18後に
00:14:19賢治の作品に
00:14:20よく出てくる
00:14:21七つ森や
00:14:22小祝い農場があり
00:14:24岩手山が
00:14:25そびえ立っていた
00:14:28賢治が初めて
00:14:29岩手山に登ったのは
00:14:30森岡中学に
00:14:32入学した年の
00:14:336月である
00:14:36賢治は
00:14:37岩手山を
00:14:38はじめとする
00:14:38山々を歩き回った
00:14:41しばしば
00:14:42山中で
00:14:42野宿した
00:14:48賢治は
00:14:4913、4歳の
00:14:51少年だったが
00:14:52山中で
00:14:53一人で野宿することを
00:14:55怖いと思ったことは
00:14:56なかった
00:14:57
00:14:57後日語っている
00:15:01一人山の中で
00:15:02星空を
00:15:03眺めながら
00:15:04賢治は
00:15:05自然と
00:15:06一体となり
00:15:07安らぎを
00:15:08感じる
00:15:08少年だった
00:15:16賢治が
00:15:17賢治が
00:15:18ケンタウルサイと
00:15:18風のマタサブローの
00:15:20謎に関わる
00:15:21男性に出会うのは
00:15:22森岡に来てからのことです
00:15:26私は
00:15:27森岡での
00:15:28賢治の足跡を
00:15:29尋ねることにしました
00:15:39最初に訪れたのは
00:15:41市内の
00:15:42西洋院という
00:15:43お寺です
00:15:47賢治は
00:15:48中学生時代
00:15:50この西洋院という
00:15:51総統集の
00:15:52寺の一室で
00:15:53下宿していたという
00:15:59本堂は
00:16:00ほぼ当時の
00:16:01形のままに
00:16:02保たれている
00:16:04この本堂の
00:16:05すぐ隣にある
00:16:06部屋が
00:16:07賢治の
00:16:08下宿していた
00:16:08部屋だという
00:16:13宮田賢治が
00:16:14このお寺で
00:16:15下宿をしていた
00:16:16という話を聞いたんですけど
00:16:18実際
00:16:18まだ残っていたり
00:16:19するんですか
00:16:20お部屋というのは
00:16:21実際
00:16:22ここのお部屋に
00:16:23下宿といいますか
00:16:25実際問題は
00:16:27森岡中学で
00:16:28社官さんの
00:16:29排斥運動をした
00:16:31それで逆に
00:16:32賢治さんが
00:16:33追い出されて
00:16:35それで
00:16:35転がり込んできたのが
00:16:37西洋院というふうに
00:16:38伝わっております
00:16:39どれくらいの期間
00:16:40進んでたんですか
00:16:41およそ2ヶ月ぐらい
00:16:42って言われています
00:16:45当時
00:16:46中学校は
00:16:47全寮制だった
00:16:48大正2年
00:16:49賢治4年生の時
00:16:51寮の社官の人事を
00:16:53めぐって
00:16:53寮制の
00:16:54反対運動が
00:16:55起こった
00:16:58学校側に異議を
00:17:00唱える
00:17:00首謀者の一人が
00:17:01賢治だった
00:17:03優しい
00:17:04石子賢さんは
00:17:05変わろうとしていた
00:17:10実際
00:17:11具体的には
00:17:11どういう生活を
00:17:12ここでしてたんですかね
00:17:13実際問題
00:17:15今の
00:17:15アパートのように
00:17:17学生さんが
00:17:19アパートで
00:17:19下宿するっていう
00:17:20スタイルはないわけですから
00:17:22実際問題
00:17:22書生さん的な形で
00:17:25お寺の
00:17:26お掃除とか
00:17:27あるいは
00:17:28法要があったら
00:17:29そのお手伝いをする
00:17:31それを条件にして
00:17:34ここで
00:17:36雑魚寝をしながら
00:17:38そして
00:17:41そういうもの
00:17:42仏教的なものを
00:17:43勉強しながら
00:17:44一緒に過ごしてた
00:17:46それが2ヶ月ぐらいあって
00:17:48別なお寺に
00:17:49転々とした
00:17:50ちょっと全然違う話なんですけど
00:17:52去年僕
00:17:53ブータンに行ってきまして
00:17:55すごい仏教
00:17:57街の人に
00:17:58若者にインタビューしても
00:18:00そんなに暮らしぶりは
00:18:01裕福じゃなくて
00:18:02貧しい人たちも
00:18:03多いんですけど
00:18:04自分が幸せになる
00:18:05っていうことよりも
00:18:06他の人
00:18:07家族とか
00:18:08友達が
00:18:08笑ってるとか
00:18:09幸せでいてくれることが
00:18:11自分の幸せなんだ
00:18:12っていうことを話してて
00:18:13それってこう
00:18:14誰かを愛するっていうよりは
00:18:16本当にもう周りの
00:18:17人たちとか
00:18:18生活とかを
00:18:19愛するっていうことが
00:18:20原点にあるのかな
00:18:21と思ったんですけど
00:18:22仏教っていうのは
00:18:23そういう
00:18:23周りの人を大切にすることで
00:18:25自分が幸せを感じるっていう
00:18:28そうでしょ
00:18:28だからこそ
00:18:29自分の実家の仕事に対する
00:18:32コンプレックス的なものが
00:18:34あの
00:18:35反骨心の方に
00:18:37出たのかなっていう面
00:18:39やっぱり喋ってる
00:18:40研究者の方も多いですね
00:18:46総統宗の寺
00:18:47西洋院のご本尊は
00:18:49釈迦仏である
00:18:52幼い時から
00:18:53浄土神宗のご本尊である
00:18:55阿弥陀仏を拝んできた
00:18:57ケンジにとって
00:18:58この時が
00:18:59初めての釈迦仏との
00:19:01出会いであったと思われる
00:19:05ケンジが
00:19:06釈迦の言葉に出会うのは
00:19:08もう少し先のことである
00:19:15大正3年3月
00:19:17森岡中学を卒業したケンジは
00:19:20花の病気で岩手病院で
00:19:23手術を受けた
00:19:26その時出会った若い看護婦に
00:19:29片思いの初恋をしたが
00:19:325月中旬
00:19:33退院して花巻へ帰ることになり
00:19:37初恋は儚く終わった
00:19:45父正次郎は
00:19:46ケンジが家業を継ぐものと決めていた
00:19:51上級学校へ進学したいケンジは
00:19:55悩んでノイローゼになってしまった
00:19:58仕方なく父は
00:19:59森岡高等農林学校の受験を許した
00:20:04大正3年の秋のことである
00:20:10ケンジはその頃
00:20:12父が友人からもらった
00:20:15緩和大正妙法蓮華経を読んだ
00:20:20ケンジが手にしたその本が
00:20:22今も残っている
00:20:24ケンジの生涯にわたって
00:20:26その生き方の満ちるべとなった
00:20:29運命の書である
00:20:34明宝蓮華経は
00:20:35古代インドの社家族のある王子が
00:20:38修行の末悟りを開いて仏となり
00:20:43世の人々に説いた言葉を集めたものである
00:20:50ケンジがこの本と出会ったのは
00:20:5318歳の時だった
00:20:56明宝とはこれ以上ない
00:20:58究極の真理という意味である
00:21:02この宇宙の広さは無限であり
00:21:04その時間も無限であること
00:21:08そしてこの宇宙を形作る最小の物質は
00:21:12みじんであることなどが説かれている
00:21:17ケンジは
00:21:18釈迦の説く妙法に
00:21:20深く感動するようになる
00:21:27大正4年4月
00:21:30ケンジは
00:21:30森岡高等農林学校農学科
00:21:33第2部合格者13名中トップの成績で合格し
00:21:38再び森岡で暮らすことになった
00:21:45ここが
00:21:46森岡高等農林学校の正門だったところです
00:22:00向こうに見える2階建ての建物が
00:22:03森岡高等農林学校の本館だった建物です
00:22:07佇まいは当時のままだそうですが
00:22:09今は岩手大学の資料館になっています
00:22:12そして今私が建っているこの場所は
00:22:14時計寮の跡と書いていますが
00:22:17宮沢賢治が入っていた時計寮があった場所です
00:22:21寮の部屋は約20畳ほどで
00:22:23店員は6名だったそうです
00:22:25そして賢治がこの寮に入寮してから
00:22:271年後の大正5年
00:22:29賢治は部屋の室長となって
00:22:31新入生5人を迎え入れることになります
00:22:35後ろの中央が2年生で室長の
00:22:38宮沢賢治である
00:22:40前に寝そべっているのが
00:22:42大阪家内という山梨から来た生徒だった
00:22:48室長の賢治に初めて対面した時
00:22:52彼は臆することなくこう述べたという
00:23:01私はロシアの文豪トルストイの小説を読み
00:23:05その生涯を知って
00:23:07トルストイのような生き方をしたいと思って
00:23:10森岡に来ました
00:23:13トルストイの成果は地主です
00:23:16彼は最晩年に土地を全部百姓に与えて
00:23:20自分はイエオで旅先で死にました
00:23:24トルストイは百姓こそ
00:23:26人間のあるべき本当の姿だと言っています
00:23:32私はトルストイのような生き方をしたいと思って
00:23:36森岡に来ました
00:23:43トルストイは僕も読んだが
00:23:47トルストイに触発されて
00:23:49農学校に来る人もいるんだね
00:23:53文学には意外な力があるんだ
00:23:57物語として読んでいてはダメなんだね
00:24:03これが家内と賢治の最初の出会いだった
00:24:13家内が石川卓木に憧れていると知った賢治は
00:24:17早速家内を卓木の母校森岡中学校に案内した
00:24:26家内はその日の短歌日記にこう記している
00:24:33宮沢市と森岡中学のバルコンに立ちて
00:24:37天才者 卓木を思いき
00:24:41夕日 明かし
00:24:50中学校時代から日記代わりに短歌を作っていることを
00:24:54知った二人は
00:24:55互いに歌日記を見せ合うようになった
00:25:05入学早々の大正5年4月30日
00:25:09賢治は家内を元教寺に誘った
00:25:14その日は元教寺の住職、島地大統の法和の日であ
00:25:19った
00:25:23島地大統は仏教の研究者としても知られており
00:25:28漢語の妙法蓮華経を日本語に翻訳した人だった
00:25:36当時の島地大統の法和中の写真が元教寺に残
00:25:41されている
00:25:43この聴衆の中に賢治がいると伝えられているが、特定でき
00:25:48ない
00:25:53元教寺のすぐ隣に、北景寺という名の寺がある
00:25:59鎌倉時代の宋、日蓮が
00:26:02妙法蓮華経をこそ真実の教えであり
00:26:06これを元にして、この世に極楽浄土を作るべきだと説
00:26:10
00:26:10日蓮北景宗を開いた
00:26:14この北景寺には、釈迦仏とともに
00:26:17日蓮聖人が祀られている
00:26:21あの世で極楽に行くのではなく
00:26:24この世に極楽浄土を作る、とする日蓮に
00:26:28賢治は次第に傾倒していく
00:26:34一方、家内は
00:26:36中学校時代から、キリスト教に関心を抱いていた
00:26:41森岡に来てからは、毎週日曜日の朝
00:26:45プロテスタントの下の端教会に通うようになった
00:26:51賢治も時々同行するようになり
00:26:54二人は、宗教についても
00:26:56お互いに刺激を与え合う仲になっていく
00:27:04自敬寮では、入寮懇親会で
00:27:07各部屋ごとに出し物をやることになっていた
00:27:14家内は、賢治を含めた6人全員で出演する
00:27:19芝居をやろうと提案した
00:27:23家内は、数日で一気に脚本を書き上げた
00:27:32人間のもだえである
00:27:36全能の神、全知の神、めぐみの神の3人の神様が
00:27:43人間たちに向かって、百姓となれ、と説く劇だった
00:27:53家内は、自分を全能の神に、そして賢治を全知の神に
00:27:59振り当てた
00:28:02賢治の全知の神の紛争を、家内はこう書いている
00:28:11全知の神、ダークネス
00:28:14地頭、顔真黒、体全部黒
00:28:18目の周り銀クマ、肌黒色
00:28:48全能の神、アグニ
00:28:50全能の神、アグニ
00:28:51頭、赤毛、旋回数
00:28:53赤色、ギリシャ服
00:28:55赤色、シャツ
00:28:57口に墨にて、大きくくまどる
00:29:00赤顔
00:29:08人間のもだえは、5月20日
00:29:11時計量懇親会で上演された
00:29:28よーく聞け
00:29:30ああ、人間よ
00:29:33土に生まれ、土に帰れ
00:29:36お前たちは、土の化け物だ
00:29:39土の化け物は、土だ
00:29:41自然だ、光だ、熱だ
00:29:47お前たちよ、土に心を入れよ
00:29:51人間は皆百姓だ
00:29:54百姓は人間だ
00:29:56百姓をしろ
00:29:58百姓は自然だ
00:30:02賢治は後に、このセリフ通りの道を歩もうとした
00:30:08それほどに、この時の賢治の演劇体験は、強烈なものだった
00:30:21穂坂家内とは何者なのか
00:30:25それを知るために、穂坂の故郷である、山梨県新崎市に
00:30:30向かった
00:30:46新崎市は、右手に富士山、正面に茅ヶ岳、左手に八
00:30:53ヶ岳が見える
00:30:56新崎は、花巻に似て、田園風景の中にあった
00:31:07まず訪ねたのは、穂坂家内の聖火です
00:31:26穂坂家内の聖火と申します
00:31:27穂坂家内の聖火と申します
00:31:28穂坂家内の孫で、新村美香と申します
00:31:31お孫さん?
00:31:31はい、孫です
00:31:33ここは、実際に穂坂家内さんが住んでらっしゃった場所なん
00:31:37ですか?
00:31:37そうなんです
00:31:39生まれた場所もここで?
00:31:40生まれた場所もここです
00:31:41当時のままですか?
00:31:43割とこういう蔵とか、結構歴史がありそうなものが多いと思うん
00:31:46ですけど
00:31:47はい、ほぼ当時のままです
00:31:50すごい、でもちょっと外から今歩いてきてたら、結構な敷地ですよね
00:31:54そうなんです
00:31:56この辺りの地主をしていたので
00:31:59じゃあこの辺り一帯は割と、昔は穂坂家のものだったんですか?
00:32:05はい
00:32:05すごい
00:32:06その家内さんの自慢には、自分の家から小学校まで
00:32:10自分の土地だけを通って通えるっていう
00:32:15自慢話があるんです
00:32:16じゃあもう、大地主ですね
00:32:18どういう人だったって聞いてました?
00:32:21あの、まずユーモアはたっぷりで面白い人だったと
00:32:25ユーモア
00:32:27大阪家内の家内って結構珍しい名前だなと思うんですけど
00:32:32そう、名前にしては珍しいですよね
00:32:33あんまり聞いたことがない、まあ響きとしてはね
00:32:36家の家内とか言いたりしますけど
00:32:39ああいう字で家内っていう男の人っていうのは
00:32:42ほとんど見たことがないんですけど、何か由来とかってあったり
00:32:45するんですか?
00:32:45あの、沖縄地方の方で、海の彼方にある楽園のことを二来
00:32:54家内
00:32:55はい、二来家内、聞いたことありますね
00:32:57って言うんですけど、その家内から
00:33:00はぁー、じゃあ、その家内のお父さん、まあ、ひよじさんのユーモア
00:33:06があった人なんですかね
00:33:06そうですね
00:33:07そういう名前をつけるっていうのって珍しいですもんね
00:33:09うん
00:33:13家内は明治29年、大阪家の長男として生まれた
00:33:18家は代々大きな地主の庄屋だった
00:33:25家内の小学校時代、このあたり一帯は度重なる水害
00:33:30に見舞われ
00:33:31田畑は荒廃し、多くの死者が出た
00:33:39遺体は河原に埋められたが、時が経つにつれ
00:33:43人骨が露出し、火にさらされるようになった
00:33:52家内は子供心に
00:33:54人間は死んだらこんな風に自然に帰り
00:33:59土と化してしまうのだ、と思ったという
00:34:06母方の親族の影響もあって
00:34:09家内は子供の頃から
00:34:10プロテスタント系の教会に出入りするようになった
00:34:17ただし家内は、ロシアの文豪トルストイの影響か
00:34:22神を絶対者として信仰するというまでは至らなかった
00:34:28トルストイのように、この世に地上の楽園を作ろうと
00:34:40家内は甲府市の甲府中学校に入学した
00:34:48子供の頃から体を動かすことが好きだった家内は
00:34:52中学に入ると八ヶ岳や富士山など山登りをした
00:34:57
00:34:58中学の柔道部に入ったりもした
00:35:02一方で、短歌や詩などが好きだった
00:35:08中学5年になって、家内は
00:35:11短歌や詩などの文芸師の同人となった
00:35:15冬の八ヶ岳卸の卸を文芸師のタイトルにした
00:35:27人間のもだえの原稿を保管している
00:35:29新田崎市のアザリア記念会
00:35:35ここには、宮沢賢治と穂坂家内の関係を示す
00:35:40多くの資料が残されているという
00:35:44事務局長の向山さんが待っていてくれました
00:35:50これ家内のスケッチ帳ですけども
00:35:52大体中学1年生からスケッチ帳です
00:35:57これはとにかくいろいろな家内の
00:36:01いろいろな
00:36:04これが家内が描いたスケッチブックです
00:36:12山などの風景、そしてデザイン模様など
00:36:17いろんなものが描かれています
00:36:29これは家内が甲府中学校時代に描いた
00:36:32歌舞伎俳優のスケッチです
00:36:36しばしば東京の親戚を訪ねては
00:36:39歌舞伎を見ていたとのこと
00:36:42かなりの芝居好きだったと思われます
00:36:57甲府中学校の時に弁論部に行ったんです
00:37:01弁論部でいろいろな自分の考えを
00:37:07まとめたかを発表するんですけども
00:37:115年生18歳の時に家内は弁論部に入部した
00:37:17これが家内の生き方を決める天気となった
00:37:21その弁論原稿が残っている
00:37:27最初の弁論は美的百姓と題されていた
00:37:37土に生まれ
00:37:39土の生むものを食って生き
00:37:41思考して死んで土になる我らは
00:37:44筆強土の化け物である
00:37:47あらゆる生活の方法の中
00:37:50最も良きものを掴み得たものは
00:37:52農業である
00:37:55諸君
00:37:57農は神聖であります
00:38:04花園農村とは
00:38:07美しく豊かな理想の農村という意味である
00:38:15諸君
00:38:17諸君は百姓についてどう考えますか
00:38:21春霞たなびく山々の泡紫にけぶる光景
00:38:25きなる菜の花に蝶のとまる風情
00:38:29私はただ諸君
00:38:32百姓たれ
00:38:33と言ってこの段をおります
00:38:43そして
00:38:44ケンジとの初対面の席で語った
00:38:47ロシアの文学者トルストイについての弁論原稿も
00:38:52あった
00:38:56諸君
00:38:57レオトルストイは
00:38:59世の人々の救いとならんために
00:39:01親しき妻
00:39:02こぼ捨て
00:39:03かの思い出深き村を出たのであります
00:39:07また
00:39:08かの聖者釈迦は
00:39:09大秘の心をもって
00:39:11カピラ城を出て
00:39:12安田良姫を捨てて
00:39:14雪深き山に苦行したのであります
00:39:17そして
00:39:18あらゆるリコの心を犠牲にして十字架にかかった
00:39:22主イエスクリストのごとく
00:39:24ふるさと
00:39:26ヤスナヤプラナを出た
00:39:27レオトルストイのごとく
00:39:28自己を生贄として捧げねばなりません
00:39:36諸君
00:39:37人民に受け
00:39:39百姓をせよ
00:39:41そして我々のハッピーキングダム
00:39:43幸せの王国を
00:39:44パラダイスを
00:39:46すなわち極楽浄土をつくれ
00:39:51ここに
00:39:52自己犠牲という生き方を目指す
00:39:55家内の考えが示されている
00:39:59そして家内は訴える
00:40:02理想の農村についての強い憧れを
00:40:08ディベートをしたり
00:40:11文章を書くっていうのも好きだった
00:40:13そうですね
00:40:14いろいろとにかく残ってますね
00:40:17詩とか段歌とか
00:40:20そういうのもですね
00:40:21こうしていますし
00:40:23ちょっと小説っぽいね
00:40:25ふーん
00:40:26賢治の方が一つ上なんですけども
00:40:29入学したときにね
00:40:31そういう寮の同じ部屋の人たちと
00:40:36劇をするんですね
00:40:37それが人間の問題っていう
00:40:39これ原本ですか
00:40:40そうですね
00:40:41賢治が初めて
00:40:44こういう劇っていうのを触れたのが
00:40:47人間の問題だったんじゃないかって
00:40:48言われてますけども
00:40:49歌舞伎が好きだったから
00:40:52そうそうそう
00:40:56さらに向こう山さんが
00:40:58驚くべきものを見せてくれました
00:41:06家内が
00:41:07甲府中学校時代に描いた
00:41:09風のサブロー社のスケッチだという
00:41:13山梨にも風のサブローがいたのだ
00:41:20八ヶ岳から吹き降りる強風
00:41:22八ヶ岳おろしを
00:41:24この辺りの人々は
00:41:26風のサブローさんと
00:41:27愛称で呼んでいた
00:41:30山陸の森の中に
00:41:32その風のサブローを祀る祠があったという
00:41:37明治44年
00:41:38甲府中学2年生で
00:41:40十四歳の穂坂家内は
00:41:42八ヶ岳に登った帰りに
00:41:44この祠に立ち寄った
00:41:47その時
00:41:48風のサブロー社と呼ばれていた
00:41:50石の祠は壊れていた
00:41:53家内は壊れた祠の上に
00:41:56野草を備え
00:41:57スケッチしたのが
00:41:58この絵だという
00:42:05もしかしたら
00:42:06あの風のマタサブローと
00:42:08関係があるのではないだろうか
00:42:10そこへ行ってみたいと思い
00:42:12向こう山さんに
00:42:13案内してもらうことにしました
00:42:21向かった先は
00:42:22八ヶ岳の麓の
00:42:24北都市高根町清里
00:42:28八ヶ岳卸の強いところで
00:42:31風切りの里とも呼ばれていた
00:42:37どう見ても
00:42:38この道は
00:42:39ふと通りがかりによってみた
00:42:41というところではない
00:42:44家内は
00:42:45はっきりと目的を持って訪れたのだ
00:42:47と私は確信した
00:42:51ひたすら歩いた八ヶ岳の登山の
00:42:54帰りにここに
00:42:56立ち寄ったわけですけどね
00:42:57風切りの末
00:42:59でもちっちゃいほらですね
00:43:01これは風のサブロー社ではなくて
00:43:03八ヶ岳権原っていう風に
00:43:05言ってるんですけども
00:43:06本来はこのそばに
00:43:08戸坂家内が訪れた当時は
00:43:11あったそうなんです
00:43:12ここの近くにあった
00:43:12ここの近くにあった
00:43:14へぇー
00:43:15無くなっちゃったんだ
00:43:16それもあとじゃない
00:43:17ダートで行きますけど移転したんです
00:43:21十数時間の登山の後に
00:43:23ここにわざわざなぜ立ち寄ったのか
00:43:26っていうことと
00:43:27地元の風俗習慣とか
00:43:30風の神様の話とか
00:43:32そういうことに関心があったり
00:43:34関心があったとしてわざわざ歩いてね
00:43:37訪ねるっていう風なことを
00:43:39してたってことは
00:43:42じゃあ実際ここに来て
00:43:44スケッチもしてたんですね
00:43:45そうですね
00:43:45うわぁ
00:43:49風のサブロー社は
00:43:51今は下の柏山地区の
00:43:54トネ神社の境内に移されている
00:44:0814歳の少年が
00:44:10わざわざ風のサブロー社を訪れ
00:44:12花を添えてスケッチした
00:44:15なみなみならぬ八ヶ岳卸への関心です
00:44:21家内はこの風のサブロー社のことを
00:44:24スケッチを見せながら
00:44:26ケンジに話したのでしょう
00:44:32そして真っ赤なイメージの家内
00:44:35それが風のサブローの元だったのです
00:44:48二来家内にちなむ名前を持つ家内
00:44:52ケンジには
00:44:53八ヶ岳卸の風に乗ってやってきた
00:44:56風のサブローに思えたのでしょう
00:45:01こうして
00:45:02二人の付き合いは始まったのである
00:45:10ケンジと家内の共通の趣味は
00:45:13短歌を読むことや山登りでしたが
00:45:15もう一つ彼らの人生に大きく関わる
00:45:18共通の趣味がありました
00:45:21それは星空を眺めることです
00:45:23ケンジは小さい頃から星空を眺めていましたが
00:45:26家内も家内が通っていた
00:45:28甲府中学校の先生
00:45:30野尻宝恵先生の影響で
00:45:32星空を眺めることが好きでした
00:45:34そして当時家内が描いたスケッチに
00:45:37驚くべき天文現象が描かれているのです
00:45:431910年、すなわち明治43年
00:45:47波霊彗星が地球に近づき
00:45:49日本でも観測されるはずだった
00:45:54あいにく天候が悪く
00:45:56ほとんどの地域で見ることはできなかったが
00:45:59山梨付近で奇跡的に観測できたようだ
00:46:05この絵は
00:46:06甲府中学の寄宿舎のあたりから見た
00:46:09波霊彗星を家内がスケッチしたものである
00:46:16明治43年と記されている
00:46:21家内は甲府中学1年生であった
00:46:27そして家内はこの絵にこう記しているのです
00:46:35銀館を行く彗星は夜行列車の様に似て
00:46:40遥か虚空に消えにけり
00:46:46銀館とは銀河のことです
00:46:49賢治も天文好きだと知った家内が
00:46:51このスケッチを見せていた可能性は大いにあります
00:46:54そしてそのイメージは銀河と余儀者
00:46:57まさに銀河鉄道です
00:46:59もしかしたらその家内が描いたスケッチを元にして
00:47:02賢治は銀河鉄道の夜を描いたのかもしれません
00:47:08翌大正6年
00:47:10賢治、家内、そして河本、小菅の4人が中心となって
00:47:16文芸道人史を出すことになった
00:47:20指名はアザリアと名付けられた
00:47:24校内の植物園に咲く西洋ツツジを意味していた
00:47:32第1号は7月1日に発行された
00:47:36発行部数は12部
00:47:40賢治も家内も担架を投稿した
00:47:477月7日の夜、総勘号の合表会が開かれた
00:47:55その後、気持ちの高ぶりを抑えかねたこの4人は
00:48:00真夜中に森岡を出て、秋田街道を西へ語り合い
00:48:05ながら
00:48:06夜を徹して歩いた
00:48:11明け方、雫石のかっこんだ川にたどり着き、河原で
00:48:16眠った
00:48:19馬鹿旅行と名付けられた徹夜な歩きの語り合い
00:48:23の中で
00:48:24賢治と家内は、互いの歓声が響き合うのを感じた
00:48:302人だけで岩手山に登ろうと約束した
00:48:391週間後の7月14日、賢治と家内は
00:48:44夜明けを頂上で迎えるために
00:48:48真夜中に麓の宿を出て登り始めた
00:48:56夜道を照らす明かりは、松明だった
00:49:01柳沢の放牧場のあたり、柏原に差し掛かった時
00:49:06家内が夜空を降り仰いだ
00:49:092月14日に多くは、最初に2月1日に出て
00:49:32第3月14日に急いでいって、縣来無い
00:49:39銀河が流れ 星が輝く
00:49:52行こう
00:49:57照らしゆく 松明の日の明るさに
00:50:01巻き羽の馬は驚きてくる
00:50:12柏原まで来たとき
00:50:14不意に松明が消えた
00:50:45消えた松明の沖を 家内と二人で変わる変わる
00:50:50息を吹きかけた
00:50:51と 賢治は短歌にも残している
00:51:02柏原 炎を絶えたる松明を 二人片身に吹きてあり
00:51:10けり
00:51:22天の川がよく見える夜だった
00:51:35途中 賢治と家内は 岩場に腰を下ろし
00:51:40銀河を眺めながら 自分たちの将来について 熱く
00:51:44語り合った
00:51:47そして 何かを誓い合ったと思われる
00:51:51しかし 何を語り合い 何を誓い合ったのか
00:51:56賢治も家内も このときは記録を残していない
00:52:05ああ それはいいや
00:52:09二人でやろうよ
00:52:12二人で
00:52:16うん やろう
00:52:20ははは
00:52:23よし
00:52:29うん 使って
00:52:32ははは
00:52:36ははは
00:52:36ははは
00:52:37ははは
00:52:38
00:53:10二人は山頂で夜明けを迎えた
00:53:21岩手山 頂にして真っ白なる
00:53:27空に火花の湧き散れるかも
00:53:37二人が交わした銀河の誓い
00:53:41それは賢治にとって
00:53:43これから生きていくべき道を照らす
00:53:46松明となるはずだった
00:53:54そんな二人の別れは突然やってきた
00:54:00大正七年二月に出したアザリア五号
00:54:09そこに乗った家内の短文が
00:54:12思わぬ事態を引き起こした
00:54:17家内は危険な虚無思想の持ち主で
00:54:21公室に異を唱えていると
00:54:24学校側に判断され
00:54:27三月に退学処分となったのである
00:54:40掲示板に貼り出された
00:54:42退学処分を見た賢治は
00:54:45驚いて山梨に帰省中の
00:54:48家内宛に手紙を書いた
00:54:53今聞いたら
00:54:54あなたは学校を除名処分になったそうです
00:54:58その訳はさっぱり分かりませんが
00:55:04長い慰めの言葉の後
00:55:07賢治は校課内に語りかけている
00:55:13いつかお約束した願いは
00:55:16この旅で終わるわけではありません
00:55:19しばらく人を離れましょう
00:55:21どうか私のようなものを
00:55:24押してくださらず
00:55:26諸共に一心に修行してまいりましょう
00:55:32大正七年三月下旬
00:55:36穂坂家内は森岡を去って
00:55:39山梨へ帰った
00:55:42以後家内とは手紙だけの付き合いとなった
00:55:50家内宛の賢治の手紙が
00:55:52山梨県立文学館に保管されていると聞き
00:55:56訪ねてみたいと思いました
00:56:04序名を知らせるあの手紙の中の
00:56:07いつかお約束した願いというのは
00:56:11あの岩手山へ二人で登った
00:56:13夜の誓いのことではないだろうか
00:56:31失礼します
00:56:34中野と申します
00:56:37うわーすごい数ですね
00:56:42これ全部で何通あるんですか
00:56:44こちらのですね全部で73通
00:56:4673通
00:56:47これは大体どれくらいの期間で73通
00:56:51大正5年から大正14年までの
00:56:56期間の手紙
00:56:5710年間くらいですね
00:56:59そうですねはい
00:57:0473通のうち56通が
00:57:07家内が退学してからの
00:57:093年4ヶ月に集中している
00:57:14岩手山での二人の誓いを
00:57:16家内が守らないのではないかと
00:57:19検事は不安になったのだろう
00:57:23こういうペンで書かれたものや
00:57:25あと墨で書かれたもの
00:57:27いろいろな形のものがあります
00:57:30あの宮沢検事の原稿なんかは
00:57:33やっぱりペンで書かれたものが
00:57:34多いんですが
00:57:35この手紙を見てみると
00:57:37いろいろな筆記用具であり
00:57:39いろいろな用紙を使っているので
00:57:41どういう使い分けがあったかというのは
00:57:43ちょっとわからないんですけれども
00:57:46なんかしっかりやりましょう
00:57:48しっかりやりましょうが
00:57:491,2,3,4,5,6,7,8,9,10
00:57:5320回も
00:57:55しっかりやりましょう
00:57:56しっかりやりましょう
00:57:57しっかりやりましょう
00:58:01すごいな
00:58:03私が友お坂家内
00:58:05私が友お坂家内
00:58:07我を捨てるな
00:58:11我を捨てるな
00:58:13なんかあんまり友達に言うような
00:58:16言葉じゃないような
00:58:18しかも同じ言葉はね
00:58:19さっきもそうですけど
00:58:21こっちも南宮法蓮劇だけ書いてますね
00:58:25そうですね
00:58:26この1枚はその言葉だけを書いていまして
00:58:30裏表にびっしりと書かれているような
00:58:33なんかちょっと
00:58:36怖いですね
00:58:37怖いって言ったら失礼ですけど
00:58:42詩人になる前の宮沢賢治
00:58:46一人の一途な若者としての宮沢賢治の
00:58:49生々しい素顔がここにある
00:59:10宮沢賢治のある種人間的なところというか
00:59:15教科書に出ている宮沢賢治ってやっぱり
00:59:17歴史の人になっちゃってますけど
00:59:20なんというか
00:59:21生きてたんだなって改めて思うというか
00:59:25何だろう
00:59:26息吹を感じますね
00:59:28すごい
00:59:33ここちょっと興味深いのがあったんですけど
00:59:37思い出ですよね
00:59:38岩手さんに一緒に登った時の思い出
00:59:45賢治が家内と岩手さんに登った
00:59:48あの夜のことを書いた手紙だった
00:59:56あの銀河がしらしらと南から北にかかり
01:00:01静かな園の薄明かりの中に
01:00:05消えた松明を吹いていたこと
01:00:22賢治はあの夜のことを繰り返し繰り返し
01:00:277回も手紙で書き送っている
01:00:34そして7回目の大正10年1月30日付の手紙で
01:00:41あの夜
01:00:42二人が何を誓ったかについて触れていた
01:00:48かつて森岡で我々の誓った願い
01:00:53我らと首相と無常道を醸善
01:00:57これをどこまでも進みましょう
01:01:00無常道とは最高の悟りの世界のことを言う
01:01:07賢治と家内が誓った願いとは
01:01:10二人で世の中の人々のために
01:01:13最高の悟りの世界を
01:01:16つまりは極楽常道を作ろう
01:01:20その道をどこまでも二人で進もう
01:01:24ということのようである
01:01:28家内は中学時代から
01:01:31トルストイのように
01:01:32自分を捨てて
01:01:34百姓たちのために生きたいと考えていた
01:01:38賢治も思いは同じだった
01:01:42自分を犠牲にしてでも
01:01:44みんなの幸せのために二人で生きよう
01:01:49岩手山の銀河の夜の誓いとは
01:01:53そういうことだったのでしょう
01:01:59二人で誓った岩手山の銀河の思い出
01:02:03それがあの熱い手紙を書かせたのだ
01:02:08銀河の岩手山に私も登ってみたいと思いました
01:02:18今は2018年の7月中なんです
01:02:25天寺と家内も
01:02:287月中に登ったということで
01:02:30同じ域を選んで登っていますが
01:02:34夏とは言えまだまだ寒いです
01:02:50あの銀河がしらしらと
01:02:52南から北にかかり
01:02:55静かな裾野の薄明かりの中に
01:02:58消えた松明を吹いていたこと
01:03:08あの柏原の夜の中で
01:03:10松明が消えてしまい
01:03:12あなたと変わる変わる一生懸命その沖を吹いた
01:03:17沖は小さな赤子の手のひらか
01:03:20夜の赤い花のように光り
01:03:26かつて森岡で我々が命名の中に立てた
01:03:30あの大きな願いは
01:03:32あなたを去らないことを
01:03:35少しも疑いません
01:04:01手紙の中で
01:04:02この岩手さんとの
01:04:04あの誓いを実行しようと
01:04:06あの時決めた二人の生き方を
01:04:09実践しようじゃないかと
01:04:10手紙に書くのですが
01:04:12家内からの返事は
01:04:13賢治を満足させるようなものでは
01:04:15なかったようです
01:04:17だから賢治は何度も何度も
01:04:19家内を誘って同じような内容の手紙を
01:04:22必要に送ったのだと思われます
01:04:26そこには賢治の焦りというようなものが
01:04:29とても強く現れているような思います
01:04:48見えてきた見えてきた
01:04:55一応御来訪になるんですかね
01:05:13おー
01:05:14おー眩しい
01:05:18だからただのこう
01:05:20二人の登山とか旅行っていうことじゃない
01:05:23何か
01:05:24本当に
01:05:27ちょっと変な言い方すると
01:05:29二人の姫事のような
01:05:31秘めたる思いを共有するための
01:05:34肯定だったのかなと思いますね
01:05:42いなくなった穂坂家内
01:05:45いなくなった高田三郎
01:05:48やはり風の又三郎は穂坂家内だったんですね
01:06:00そして大正十年
01:06:02賢治は
01:06:03双子の星と題する童話を書いている
01:06:08天の川のほとり
01:06:09向かい合った水晶の宮殿に
01:06:12双子の兄弟が仲良く暮らしている
01:06:15兄の名はチュンセ
01:06:16弟の名はポーセという
01:06:20二人の仕事は毎晩宮殿の階段に座って
01:06:23星巡りの歌を横笛で吹くことだった
01:06:30書かれた時期を考えると
01:06:32この双子の星には
01:06:34賢治の家内への思いが
01:06:36託されているような気がしてなりません
01:06:44家内が去って三年が過ぎた
01:06:48大正十年
01:06:49賢治は
01:06:50日連集計の宗教団体で
01:06:53奉仕活動をするために
01:06:54東京に下宿していた
01:06:58そこへ家内から
01:06:59葉書が届いた
01:07:03軍隊に志願して一年
01:07:06現役除退となったが
01:07:08今度は
01:07:09見習い士官として
01:07:10王将して
01:07:127月1日から
01:07:13東京の兵舎に入園した
01:07:16という知らせであった
01:07:24結局
01:07:25二人は
01:07:267月18日
01:07:28上野帝国図書館で
01:07:30再開することになった
01:07:33上野帝国図書館は
01:07:34現在は国会図書館が管理する
01:07:37国際子供図書館となっている
01:07:41全体はほぼ当時のままで
01:07:4310階建てであったが
01:07:453つの閲覧室は
01:07:47天井を高くしたため
01:07:4810階の高さの部屋が
01:07:513階となっていた
01:07:55再開の場所は
01:07:57その3階の閲覧室であった
01:08:03検事は
01:08:04先に来て待っていた家内を
01:08:06ダルンへという名前にして
01:08:09再開の様子を
01:08:11詩やエッセイに書き残している
01:08:16鉄階段をやっとのことで
01:08:19俺は10階の床を踏んだ
01:08:22ここの天井はずいぶん高い
01:08:27そうだ
01:08:28この大きな部屋にダルゲがいて
01:08:32今度こそもう会えるのだ
01:08:36俺はなんだか
01:08:38胸のどこかが
01:08:39熱いか溶けるかしたようだ
01:08:45大きな扉が半分開く
01:08:48俺はスルッと入っていく
01:08:56部屋はガランと冷たくて
01:08:59猫背のダルケが
01:09:01額に手をかざし
01:09:04大きな窓から
01:09:05西空をじっと眺めている
01:09:14この後検事は
01:09:15家内の姿を描写するのだが
01:09:18それが何とも不可解なのである
01:09:26ダルゲは陰気な灰色で
01:09:29腰には厚いガラスのミノをまとっている
01:09:34ダルゲは少しも動かない
01:09:41ミノは藁でできた雨具であり
01:09:44当時は百姓たちが使っていた
01:09:47濡れるのを防ぐためであるから
01:09:49コシミノだけつけるということは普通ありえない
01:09:54つけるなら上下ひとつながりのミノである
01:09:58こんな風に
01:10:01さらに不可解なのは
01:10:03コシミノがガラスでできていることである
01:10:07つまり
01:10:09見えないコシミノをつけて
01:10:10ダルゲはすなわち家内は立っていたのである
01:10:17検事は部屋に入って家内を見た瞬間に
01:10:21もう家内はあの近いから遠く離れたところに行ってしまった
01:10:26と直感したのではないだろうか
01:10:30彼は百姓になりたいと言っていた
01:10:34一人
01:10:35その道を進むつもりなのだと
01:10:44どのくらいの間話し合ったのか分かっていない
01:10:48家内が出て行った後
01:10:50検事は地下室に向かった
01:10:56我はダルケを名乗れる者と
01:11:00冷たく最後の別れを交わし
01:11:03閲覧室の3階より
01:11:05その地下室に降り来たり
01:11:09片身に湯と水とを飲めり
01:11:13かくてぞ我は
01:11:15その不味にダルケと名乗る鉄人と
01:11:19永遠の別れをなせるなり
01:11:31その日の家内の日記には
01:11:33宮沢賢治面会来ると書かれて
01:11:37斜めの罰が引かれていた
01:11:42何を話したのか
01:11:43家内の日記にはない
01:11:47検事も記録を残していない
01:12:03この時期に作られたと思われる
01:12:05検事の詩の断片がある
01:12:07題名は付けられていない
01:12:12ひたすらに思いをかけている
01:12:14この恋しさをいかにせん
01:12:19あるべきことにあらざれば
01:12:22夜のみぞれをゆきて泣く
01:12:28ひたすらに思いをかけているのだけれど
01:12:32この恋しさをどうしたらいいのだろう
01:12:36あってはならないことなので
01:12:39みぞれの夜を
01:12:40ただ泣いて歩くしかできない
01:12:47検事は自分の心に沸き上がっている感情を
01:12:51あってはならないこと
01:12:53すなわち道に外れたことと思っていた
01:12:59大正10年12月
01:13:02検事は花巻の冷え抜き農学校の教師に職を得
01:13:06
01:13:08科学や農業実習の担当だった
01:13:14そして新しい年を迎えた
01:13:21大正11年4月
01:13:23検事は花巻から汽車で森岡に出
01:13:27そこから徒歩で外山高原に向かった
01:13:32検事は詩人として
01:13:35新しい人生を始めようとしていた
01:13:42初めての詩の題名は
01:13:44ハルト・シュラだった
01:13:48その詩作の現場に選んだのが
01:13:50外山高原だった
01:13:58なぜ外山高原だったのか
01:14:04外山高原は森岡からおよそ26キロ
01:14:09土曜日の午後
01:14:10森岡から夜通し歩いて
01:14:12日曜日の明け方
01:14:14外山高原に着いた
01:14:17当時は五両牧場で馬の繁殖を行っていた
01:14:21検事は大正4年の春
01:14:24一度外山高原を訪れている
01:14:29緩やかな丘の起伏を
01:14:33境界線の唐松の褐色の紐
01:14:35がどこまでも縫い
01:14:40空は輝き
01:14:42丘は輝き
01:14:46宿り着の実は輝き
01:14:50午前10時頃まで
01:14:52馬はみな馬屋の中にいます
01:15:00輝かの枯草丘のふもとにて
01:15:04馬屋の中の薄しめりかな
01:15:14また検事は家内と別れたすぐ後で
01:15:18巡国と僧侶という
01:15:21二人の若者の対話劇を書き
01:15:24家内と思われる若者に
01:15:27外山高原へ行って開拓をする
01:15:30というセリフを言わせている
01:15:39どこで百姓をやろうと言うんだ
01:15:43山梨県か
01:15:48いや
01:15:49岩手県だ
01:15:52外山という高原だ
01:15:54北上産地のうちら
01:15:57俺はただ一人で
01:16:00そこに畑を開こうと思う
01:16:12もちろん
01:16:14穂坂家内が
01:16:15この外山高原に来たということは
01:16:17ありませんでした
01:16:17つまりあの劇は
01:16:19宮沢賢治が自分の頭の中で
01:16:21空想で描いた物語です
01:16:23つまり賢治は
01:16:25幻の家内に会うために
01:16:26この外山高原に来たのでしょう
01:16:34賢治が訪れた当時は
01:16:35宮内町の五稜牧場だったが
01:16:39現在は岩手県の畜産研究所になっている
01:16:45ところでこの春としらなんですけど
01:16:49どこの場所に立って
01:16:50どういう風景を見ながら
01:16:51賢治はこの春としらを作ったのでしょうか
01:16:54具体的に場所を特定する文言は
01:16:57特にないのですけど
01:16:58そのヒントとなる一つがあります
01:17:02天山の雪の量さえ光るのに
01:17:06調べたところ
01:17:07この天山というのは
01:17:09天山山脈のことで
01:17:10その山脈は
01:17:11中国とロシアの間にあるそうです
01:17:14雪のかかった山の量が光っている
01:17:17その天山が見えるということ
01:17:20当然ここから天山山脈が見えるわけないですよね
01:17:28天山山脈は
01:17:29主砲が7000メートルを超える山脈で
01:17:33その山陸にオアシスト市があり
01:17:36仏教の栄えた地域であった
01:17:48研究センターの方が
01:17:49もうちょっと上の方までいたら
01:17:51開けた場所があると教えてくれたので
01:17:54実際に行ってみたいと思います
01:17:59あれ
01:18:01宿り駅ですよね
01:18:03ああ
01:18:07源氏も見てたのかもな
01:18:23スタートして
01:18:24だいたい3,40分かかるって
01:18:27言われてるんで
01:18:28まだまだあると思うんですけど
01:18:30今だいたい標高が
01:18:33800メートルを超えたぐらい
01:18:35みたいなんですけど
01:18:37そんな開けた
01:18:39屋上はそんな上の方にあるんですかね
01:18:41本当に
01:18:43と疑いつつ
01:18:46ああ
01:18:56見えた見えた
01:18:59あれか山が見えた
01:19:01岩手山
01:19:04ああ
01:19:06まだ雪がかかってんだな
01:19:13ここですね
01:19:13きっと
01:19:16ケンジが
01:19:18アルトシラを
01:19:19書いたのは
01:19:21きっとケンジは
01:19:23岩手山ちょうど雪もかかってますけど
01:19:25あの岩手山を
01:19:27さっきの天山に
01:19:29かけたというか
01:19:30天山と見立てたんでしょうね
01:19:38はぁ
01:19:40ケンジも実際に
01:19:41この外山高原のこの景色を見ながら
01:19:44このハルトシラを
01:19:45描いたんだなと思うと
01:19:46とても感慨深いものがありますが
01:19:49ここで改めて
01:19:50この場所で
01:19:51このハルトシラを
01:19:52読んでみたいと思います
01:19:58ハルトシラ
01:20:00新章の灰色鋼から
01:20:03明け火の鶴は
01:20:04雲に絡まり
01:20:06冒頭のこの新章という言葉ですが
01:20:09読んで自論ごとく
01:20:11心の減少というか
01:20:13まあ一種のイメージといいますか
01:20:16ケンジは
01:20:16修正自分の詩や作品のことを
01:20:18心象スケッチと呼んできました
01:20:20つまり何かを見聞きしたときに
01:20:22自分の頭の中に思い描くイメージ
01:20:25その心象をスケッチするという方法です
01:20:28このハルトシラの冒頭も
01:20:30その心象から始まります
01:20:37心象の灰色鋼から
01:20:40明け火の鶴は雲に絡まり
01:20:45野原のやぶや
01:20:46腐食の湿地
01:20:48一面の
01:20:50一面の天国模様
01:20:54正午の間隔よりも茂く
01:20:57琥珀の欠片が注ぐとき
01:21:05私の心に見えている空は
01:21:08冷たく固い鋼のように灰色だ
01:21:13その灰色の点から
01:21:15明け火の鶴が伸びてきて
01:21:17雲に絡まり
01:21:19大地の茨のやぶや
01:21:21腐った湿地が
01:21:23一面の天国模様を作っている
01:21:27実際の空からは
01:21:29天人が演奏する
01:21:31正午の音楽よりも
01:21:32もっと華やかな光が
01:21:35琥珀の欠片のように
01:21:37キラキラと光って
01:21:39差し込んでいるというのに
01:21:45天から明け火という
01:21:47ツルカの植物が生えてきて
01:21:49雲に絡まりついている
01:21:51そしてその風景は
01:21:53天国模様だ
01:21:55この一面の一面の天国模様の
01:21:57天国というのは
01:21:58一体どんなもので
01:22:00天国模様というのは
01:22:01どういう模様だったんでしょうか
01:22:08賢治が熟読していた
01:22:10妙法蓮華経には
01:22:12天国に横島
01:22:15すなわち邪道を意味する
01:22:17ルビが降ってある
01:22:24目の前には
01:22:26とても素晴らしい春の風景が
01:22:28とても心地よい風景が
01:22:30広がっていますが
01:22:31賢治にとっては
01:22:32この素晴らしい景色が
01:22:34とても歪な
01:22:36天国模様に見えた
01:22:37ということなんですが
01:22:39そんな模様に見えたのは
01:22:40なぜなのか
01:22:41それを説くヒントが
01:22:42次の詩の言葉にあります
01:22:49怒りの苦さ
01:22:50また青さ
01:22:524月の起草の光の底を
01:22:55椿し
01:22:56はぎしり
01:22:57行き来する
01:23:02俺は
01:23:03一人の修羅なのだ
01:23:26俺は一人の修羅なのだ
01:23:33修羅というのは
01:23:35一般的には
01:23:38戦いを好む
01:23:39怒り狂ってるような
01:23:41鬼神のようなイメージですが
01:23:44もちろんこの春と修羅の中の修羅にも
01:23:47唾を吐いたりはぎしりをしたり
01:23:49怒り狂ったりする場面はありますが
01:23:52時に涙を流したりもしています
01:23:56ですから一般的な修羅のイメージとは
01:24:00少し違うのかもしれません
01:24:07賢治はどんな風に修羅をイメージしていたのか
01:24:11日蓮のある本に
01:24:13むさぼるはガキ
01:24:15愚かなるは畜生と並んで
01:24:17横島なるは修羅とある
01:24:21むさぼり食うのはガキで
01:24:23愚かなのは畜生で
01:24:25横島なのは修羅とされている
01:24:31つまりここでの修羅とは
01:24:32横島なもの
01:24:34道を外れた遺旦者のようなものだと言っています
01:24:38つまり賢治は自らのことを
01:24:40横島な修羅のような人間だと言っているのです
01:25:12まことの言葉は失われ
01:25:15雲はちぎれて空を飛ぶ
01:25:20ああ 輝きの四月の底を
01:25:23はぎしり 燃えてゆききする
01:25:28俺は一人の修羅なのだ
01:25:33俺は一人の修羅なのだ
01:25:34俺は一人の修羅なのだ
01:25:47日輪 青く陰るエヴァ
01:25:51修羅は地輪に交響し
01:25:54陰るエヴァ
01:25:56陰るエヴァ
01:26:02陰りくらむ天の湾から
01:26:05黒い木の群落が伸び
01:26:08その枝は悲しく茂り
01:26:18天の湾ですからね
01:26:20天ですからきっと
01:26:22空のことでしょうから
01:26:23そこから黒い木の群落が伸び
01:26:28今のこの景色から考えると
01:26:31空から黒い木の群落が伸びてくる
01:26:34っていうのは
01:26:36全く想像ができる状況ではないんですけど
01:26:39きっとそれが賢治の心象だったんでしょう
01:26:42ですから今僕たちがこうして見ている
01:26:44実際の景色と
01:26:45賢治のその心象と
01:26:48現実と想像の2つのイメージを
01:26:50重ね合わせたものを
01:26:51賢治は見ていたのかもしれません
01:27:02すべて二重の風景を
01:27:06草心の森の梢から
01:27:08ひらめいて飛び立つカラス
01:27:17きそういよいよ澄み渡り
01:27:20ヒノキもしんと天に立つ頃
01:27:24草地の小金を過ぎてくるもの
01:27:28ことなく人の形のもの
01:27:31けらをまとい
01:27:32俺を見るその農夫
01:27:36本当に俺が見えるのか
01:28:03本当に俺が見えるのか
01:28:04くさちの小金を過ぎてくるもの
01:28:09ことなく人の形のもの
01:28:19けらをまとい
01:28:20俺を見るその農夫
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