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  • 7 hours ago
Transcript
00:00今回はウィギーさんが20歳の頃の1983年の映像を集めましたそれではVTRどうぞああそうですそうですわらべですああファミコン買えなくてねこの頃ファミコン本体が
00:28俺抱き合わせでクソゲー3本くらい買った
00:33あ惜しいんだヤバ
00:37父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん! 父ちゃん!
00:43そうだよねこう逆のね真逆の境遇
00:49二十歳ですから
00:52大学生でしたかね僕は あなたも働いてらっしゃったんでしょ
00:57専門学校生に一応秘書課の方に入りましてあなた秘書いいと思いますよそうですか?
01:06今回ギュギュッとするお題は
01:13ラーメン
01:22NHKアーカイブスの中からラーメンに関する映像をひたすら探ってみると
01:28幼い子を連れ必死に生きるラーメン屋台の主人や
01:37ちょっとユニークなラーメン屋さんまで
01:43その数1万8000件以上
01:52毎日ラーメン今では日本の国民食ともいわれるラーメンが広まったきっかけは110年以上前の明治43年に開店した浅草の大衆食堂といわれていますそんな日本人とラーメンの歴史をギュギュッとすると?
02:193人のキーパーソンが飛び出してきました果たしてラーメンとどんな関係があるのでしょうか?
02:34ラーメンお好きでした?やっぱり? 僕大好きですねだからもうほんと毎日でもいい
02:41いや俺ねほんと福岡にいる間豚骨以外のラーメンを食ったことなかったの?
02:46あっやっぱそうなんだ今はいっぱいあるんだけどね東京で醤油ラーメンとか来たりうわっしゃれとんねえと思ったら豚の骨を肝心とやねえみたいな何か私こう目黒通りから山手に入りますと左側に有名なお店があって何か同じような性格好の人が毎日並んでらっしゃいますけども何なんですか?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?
03:16なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの?なの
03:46We'll see you next time.
04:16NHKアーカイブスには65年以上前の1959年ラーメンを味わう貴重な映像が残されていました
04:29クリスマスイブ 場所は東京墨田区 現在の墨田公園あたりです
04:47実はこの周辺には戦争で仕事や家を失った人々が多く住んでいました
05:03社会奉仕家北原さとこさんが献身的に支えた場所で
05:08一生懸命働く人たちの姿から当時はアリの町と呼ばれていました
05:14ケーキは買えない
05:18そんな人々のクリスマスイブにラーメンが振る舞われていたのです
05:23ラーメンはケーキより安かったってことですか
05:27ケーキは高かったでしょうね
05:34そもそも現在のラーメンの原型は明治43年開業の大衆食堂
05:40来来券が提供していたラーメンと言われています
05:44当時の様子が描かれた文献を見てみると
05:50有名な蕎麦屋に来来券があった
05:56生まれて初めて食べたが脂臭いのに驚いた
06:01もともとは塩味が主流だった中国の麺料理を
06:09醤油味にアレンジしたものだったそうですが
06:13まだラーメンを食べ慣れていない日本人にとっては
06:18脂っぽく感じたようです
06:20ラーメンが日本人の身近な食べ物になっていったのが戦後
06:30終戦直後の日本は食料不足
06:36国からの配給も満足に行き届いていませんでした
06:40人々が頼ったのが
06:47闇市
06:52何か食い物はないか
06:59食料から食料へと漁り歩いて
07:02一日を終わる人々がどこの街角にも増えていきます
07:06食料の闇市に行けば
07:10小さな握り飯2個で5円
07:12お菓子芋が5、6切れ5円
07:15とにかく超一日の上だけはしのげますが
07:19本当に食料がなかったんだね
07:22当時このような闇市が東京の至るところにありました
07:32そして食料難の中
07:34アメリカから大量に入ってきた小麦粉が麺の材料となります
07:39さらにスープは鶏ガラや豚ガラ
07:46野菜の切れ端など
07:47残り物で作ることができました
07:50そのため外食の中で
07:56ラーメンは比較的安く食べられるメニューでした
08:05ラーメンは空腹に苦しむ日本人のお腹を満たす
08:09庶民の味方となっていったのです
08:12菅田浩二が出演
08:16昭和20年代の娯楽や食べ物が散りばめられている映画
08:21お茶漬けの味では
08:22当時のラーメン店の姿が描かれていました
08:28ラーメンはね
08:33おつゆがんないんです
08:34そんなラーメンの人気が広がった一つの要因に
08:58屋台の存在があります
09:00人通りも少なくなった盛り場
09:07あっそうそうそう
09:09チャルメラってあった
09:12チャルメラってあの笛のことなんですよね
09:15そうなの
09:18このころ東京大阪といった大都市に
09:24出稼ぎの人々が集結
09:25手軽に食べられる屋台飯は重宝され
09:31チャルメラを吹けばお腹を空かせた人たちが
09:35どこからともなく現れる
09:37戦後の日本人にとって
09:40ラーメンの屋台はオアシスのような場所でした
09:44さらに屋台を引く側も
09:54少ない資金で始められたため
09:57急増していったのです
09:59お店持つよりもすぐ
10:02今もねキッチンカーとかありますけど
10:05そうだねキッチンカーがいてみる屋台だ
10:07ね手軽に始められて移動できますからね
10:12ラーメン屋台を営む男性に密着した映像が
10:17残っていました
10:18屋台を引く人々は今大阪でざっと2000人いますが
10:25中には手押し車に幼い子を乗せた
10:28夫婦連れの姿も見られます
10:30昼と夜が全く正反対の生活で
10:39安宿住まい
10:41しかし長年続ければ得意先もできて
10:44商売も楽になる希望があり
10:47動く屋台も安らかな我が家です
10:501日に歩く道路は
10:5520キロもあります
10:5710時間以上の労働で疲れた体には
11:03夜風はひんやりと心よく感じられます
11:06もう屋台の湯気にぬくもりを感じる
11:15秋の気配です
11:17わー
11:19いいですね
11:20美術が
11:21湯気が
11:22ラーメンはお腹を満たすだけでなく
11:27生活の糧としても
11:29戦後を生き抜く日本人を支えていたのです
11:32俺も昔世田谷公園の前で
11:39おでんの屋台やってたの
11:40初耳
11:42本当?
11:44いやでもね
11:44作り方とかを習ってるんだけど
11:47そのおでん屋を任せてた
11:48ドミニカ人が全然もう
11:50作り方を諦めて
11:51作るのすらやめて
11:53入ってきたお客さんに
11:56寿司コーのメニュー出してた
11:58斜め斜め斜め斜め斜め斜め
12:02買ってきたものを出してました
12:04もうすいません
12:06よくありました
12:10なんかロマンティックなの
12:13そそりますもんね
12:14なんかやっぱりなんか
12:15また絶妙な時間に来るんですよ
12:19食べたい時間に来るんだ
12:21食べたがると
12:23おかんがもうすぐご飯やけん
12:25ダメみたいな
12:26なんかもっと夜のイメージだった
12:29いろんな時間帯に来るんだけど
12:31本当の真夜中は来ないけど
12:33ちょっと9時ぐらいに来ると
12:36もう食えちゃうなみたいな
12:37ご飯食べたけど
12:39食べれるな
12:40やっぱりちょっと肌寒くなった時の
12:43外の湯気を感じれる時が
12:45一番ラーメンうまいんじゃないですかね
12:47最高ですね
12:48戦後の日本を支えたラーメンですが
12:55実はその人気は都市部にとどまっていました
12:59ラーメンを全国に広めたのが
13:031958年に生まれた
13:05こちら
13:06インスタントラーメンです
13:13その発明の瞬間が
13:18連続テレビ小説
13:20満腹ではこのように描かれていました
13:22ああそういうことか
13:24今おいしい天ぷらを作ってますから
13:27これを食べて元気を出してください
13:29これだ
13:30びっくりした
13:33
13:33天ぷらだ福子
13:35天ぷら
13:37インスタントラーメンは
13:42食品会社を立ち上げた
13:44安藤桃福が
13:45妻が天ぷらを揚げている姿を見て
13:48思いついたと言われています
13:50ラーメンというのはね
13:54家庭でできないから
13:56よく考えても
13:57これをもしも
13:59家庭にとるけることができれば
14:04みんなに喜ばれるんじゃないかと言う
14:06安藤桃福の願いが叶い
14:11インスタントラーメンは家庭の味方に
14:13お湯さえあればおいしいラーメンが作れると
14:19親たちは魔法使いのように一瞬でごちそうをこしらえ
14:24お腹を空かせた子どもたちを喜ばせました
14:27インスタントラーメンは発売から1年で
14:33なんと1300万食を生産するほど大ヒット
14:38さらにこの手軽な値段に飛びついたのが
14:48都会に憧れて上京してきた若者たち
14:53当時の若者たちとラーメンを
14:58脚本家市川真一さんが
15:01戦後50年を振り返る番組で語っていました
15:04日本がイケイケどんどんの時代ですよね
15:09物価もイケイケどんどんになっていく中で
15:13インスタントラーメンの値段だけは
15:15これが意外なことにずっと一定なんですよね
15:18むしろ下がっていったりもする
15:20田舎からの人口がどんどん都会に集中している
15:25その人口の流れ
15:27そういう人たちが都会に出てきて
15:30四畳半とか六畳の孤独な都会生活をしていく
15:34その人たちのやっぱり食生活を支えていたのが
15:39インスタントラーメン
15:40今この年になってラーメン食べるとね
15:43あの頃の何か寂しさとかまぶしさみたいな
15:47ラーメンの味がよみがえらせてくれますね
15:50何を持ってらっしゃるんだあれ
15:53ブースカラーメン好きだから
15:56戦後の苦しい時代
16:00日本人の隣にはラーメンがあり
16:04生活の支えとなっていたのです
16:07これもしかしたらブースカの脚本を市川先生書いてたのかな
16:12じゃないと唐突すぎないブースカが
16:15僕も上京してきた時の主食はインスタントラーメンでしたねやっぱりねえ
16:20マジかブースカ大好きだった
16:22ソフビモってさまです
16:25俺も僕はブースカブー
16:27いやそうなんだすごい
16:32先生もうさらにリスペクトですね
16:35リスペクトですね
16:37僕も上京してきた時の主食はインスタントラーメンでしたねやっぱりね
16:44お値段とお日もちとやっぱりね
16:48一口のコンロがあればいいわけだから
16:50お湯を入れるかもうその鍋で煮るかっていう
16:53最初東京のインスタントラーメンに慣れなくて
16:56あの醤油とか塩とかしか売ってないから
16:58味がねえ
16:59だからもう福岡から暖房魚を送ってもらって
17:05故郷のねえ味でもあって
17:08ねえだからなんか若い時はやってなかったけど
17:11韓国ドラマ見てほら鍋でさ
17:14韓国ドラマ見てるとむちゃくちゃラーメン食いたくないんですよ
17:16そうなのいい加減にしてほしいの
17:18みんな同じ鍋からこう取って食う
17:20食べたいのよ鍋の蓋にとってさ
17:23だからそれでやりだしてます
17:26なんか新大久保で鍋買ってきて金色の
17:29あれでやりたい
17:31でもインスタントラーメンで乾麺を発明したの日本人だから
17:34誇らしい気持ちになりますよね
17:36あれ日本人がやったのか
17:38うん
17:39言わなきゃ
17:40桃服がやってたんでしょうね
17:42いや何呼びしてる
17:46そして時は1980年代後半
17:50バブル消え
17:52ここでラーメンの存在感が増していきます
17:5724時間戦えますかという言葉が流行語になるほど
18:02当時のサラリーマンは深夜まで働き詰め
18:08そんな疲れ切った彼らの原動力になったのが
18:19夜10時を過ぎているんですが
18:21オフィス街のビルの窓にはまだ明かりがたくさんついています
18:25深夜営業のラーメン
18:28いやー美味しそうですね
18:32これを食べてまた職場に戻るというのがちょっとお気の毒でございますが
18:40真夜中1時半です
18:42都内の幹線道路沿いにひときわにぎわう場所がありました
18:47深夜まで営業しているラーメン屋です
18:51周辺は住宅地 繁華街からは離れています
19:00しかしこの時間店には入りきれないほどの若者が集まっています
19:09営業時間は午前3時まで
19:12行列ができるのは決まって深夜になってからです
19:17カンナナラーメン戦争といわれるほどラーメンが社会現象を起こしていましたそうそうそうそうカンナナあそこは行ったあそこは俺はもう100や200じゃないと思いますねね男の子は行ってましたねちょっとここが本格的な豚骨を東京に出したことによって東京にもたくさんのこの後に豚骨ラーメン屋さんが本格的に来たんですようんそうかね
19:36そしてここが本格的な豚骨を東京に出したことによって東京にもたくさんのこのあと豚骨ラーメン屋さんが本格的に来たんですよ。
19:47さらにこの頃書店にはラーメンを特集する雑誌があふれ掲載されているラーメンを食べ歩くラーメンマニアたちが多く生まれました
20:00それは音楽界からも矢野亜希子さんはラーメン好きが高じてラーメン食べたいという曲をリリース
20:13ラーメン食べたい一人で食べたい熱いに食べたい熱いに食べたい
20:28あれどうやって作ったんですか?
20:30本当に夜中にね夜中にね急にラーメンが食べたくなったのでそれで食べたいなと思ってどうしても食べたい
20:42それから他のもんでもまだ冷蔵庫にあるものやったら作ればいいんだけどそうじゃなくてラーメンはどうしても食べたい食べたい食べたいって思ってるしラーメン食べたいって何でできたわけ。
20:56落語家初代林家菊蔵さん現在の菊王さんは全国ラーメン島を結成しラーメンブームの一端を担いました。
21:10そして全国のご当地ラーメンも人気に NHKアーカイブスには全国各地独自のラーメン文化を紹介する映像が
21:22この北方市ラーメンの街として調べています。なんと北方市内にラーメン屋さんが120軒です。120軒もあるんです。
21:34ラーメンの香りがしてきました。こんにちは。こんにちは皆さん。
21:40朝にラーメンを食べるアサラー文化があるほどラーメンが生活に根付いている街。
21:48わー美味しそう。腹減った。
21:52どこが美味しいんだろうね。それね、僕が分からないけどやっぱり
21:59どこで食べるよりもやっぱり北方のラーメンはどこのお店行っても他のところよりは美味しいね。
22:05リリーさんのふるさと福岡県は
22:09この通りと魚市場を結ぶ小さな横丁に
22:13屋台を含め20軒近くのラーメン屋さんが連なる通りがあります。
22:18通称長浜ラーメン通り。
22:21ラーメンブームにより今では観光の名所として知られるようになりました。
22:26やっぱり博多のラーメンが一番美味しいんじゃないですか。
22:41博多ラーメンといえば替え玉。
22:452回3回替え玉は当たり前。
22:50その安さが食べ盛りの若者たちに強烈に支持されました。
22:54この頃行ったかも。仕事で福岡行くと。
23:00この頃替え玉とかをワーンって投げてバシャって受け取って入れる。
23:07パフォーマンス込みだったんですよ。長浜は。
23:09替え玉は博多の文化でうち北九州の方なんですけど、
23:14北九州は替え玉やってる店が少ないんですよ。
23:18その代わりラーメンとお稲荷さんとかラーメンとのり巻きとか。
23:23他のものを食べる。
23:25お酒置いてないんですよね。
23:27北九州の屋台はお酒を置かないって防衛本能ですよね。
23:33お酒なんか置いてあって。
23:34その代わりクールダウンさせるためにラーメン屋さんの屋台におはぎを置いてあげる。
23:39おはぎを見て。
23:41おっか俺頑張ってるみたいな。
23:43なんかこうちょっと。
23:46冬の北海道。
23:52特別な出前で温かなラーメンを届ける映像が残っていました。
24:05バスを改造したラーメン店です。
24:09揺れるなぁ。
24:12お昼休憩中の工場へ駆けつけます。
24:18なるほど。
24:19うーん、なりがたいね。
24:21うーん、なりがたいね。
24:24いえーい、ゆーゆーみ。
24:26ラーメン食べるってことですの?
24:28いえーい。
24:32工場で忙しく働く女性たちのために、その場でラーメンを作ります。
24:38おにぎりは地産で。
24:47おにぎりは地産で。
24:48おかずはどっちさんですか。
24:50いただいたの、みんなに。
24:51うーん、やっぱり大きな丼が空なってるときはですね、たれもすっかり飲んでもらってきれいになってるときは、あ、うれしい。
25:00やっぱりラーメンはラーメン屋になっていかったなっていうような感じがあります。
25:1524時間いつでも全国各地どこでもラーメンは日本人には欠かせない国民食へと進化を遂げたのです。
25:32親子とかカップルでラーメン屋さんで並べるっていうのは、絶対仲良くないと無理じゃない。
25:39ありえないですよね。
25:41だからあんまり好きじゃない人と2人で迎え合わせのレストランで食うことができても並んでラーメン食うのは何か嫌だ。
25:50分かります。
25:52そしてラーメンは海外の人々も魅了していきます。
25:582008年にニューヨークで豚骨スープが大受け。
26:04また2016年にミシュランガイドでラーメン店で初となる星を獲得。
26:11今ではラーメン店に連日外国人観光客の行列が。
26:16日本人を支えたラーメンが今や世界に誇る文化となったのです。
26:35今でも海外の人は日本のラーメンを食べに来てる人とても多い。
26:40あとこんなに種類があるっていうことにやっぱグッとくるみたいで今日は味噌と塩を食ったから明日は豚骨としょうゆとみたいな。
26:51で餃子食べてみたいなそれ安いし止まんないっすよいい国だなでも冒頭に優に言われてからずっと考えてたんだけど何で男の人こんなにラーメン好きなんだろうな何なんだろう?
27:12でも何かそういう男の子のこだわりみたいなものが出る食べ物なのかもしれないですね何かそういった意味では種類もいっぱいあるしもう全部行ってみたいみたいなことなんでしょきっと。
27:28あと適度に食べる時間もかからないしお金もそんなにバカ高くないから夢中になれるよねなれやしそうですねラーメンは男の子のロマンなのかもしれません
27:44君が大きいそうだよ
27:46あああああ
27:48君が大きなblesが大きなサイズ・ご視聴ありがとうございました
27:53君が大きなサイズ・ビッシュ・ビッシュ・ム・一番組み合わせて
28:06いくわりみたいなお problem
28:08ああああ
28:11Oh
28:41飲み鉄本線日本旅。
28:57今回は秋の中国地方を旅します地球鉄道紀州北部を走るローカル線活気がある素晴らしいそれは地元の農家を支える市場列車でした
29:23弾丸空港トンボ帰りツアーモングルの大草原にある空港を徹底取材BSで21日金曜夜8時すごい景色です歌える青春のベストソング
29:42フィールドオブビュー朝岡優也さんをゲストにお迎えして景色が見える名曲ヒット曲をご紹介フィールドオブビューのあの名曲を生歌唱お楽しみに!
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