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司馬遼太郎「昭和という国家」第1回[全5回]
小山ひな子KoyamaHinako
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6 週間前
司馬遼太郎「昭和という国家」第1回[全5回]15分13㎆320x180元原版
カテゴリ
📚
教育
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00:00
朗読の時間
00:30
太平洋戦争が始まり、二十歳で学徒出陣。1945年に二十二歳で敗戦を迎えました。戦争体験者の柴良太郎は、昭和の戦争をどう見たのでしょうか。
00:45
今回は、その思いを綴った昭和という国家から、第一章、何が魔法をかけたのか、そして第二章、脱アロン、私の読み方、を私、松茂豊が朗読します。
01:07
作品の中に現在は使われない表現が含まれますが、原文のまま朗読します。
01:15
昭和という国家
01:19
第一章、何が魔法をかけたのか
01:24
人間は年をとるものですね。私はいつまでも若いと思っていたのですが、もう半世紀にプラス十二年、生きてきたことになります。
01:39
大正十二年、千九百二十三年の生まれです。
01:47
これからしばらくの間、昭和元年から昭和二十年の敗戦までを考えていきたいと思うのですが、
01:55
私の少年時代は、昭和の初めです。
02:01
これは私の仮の用語です。
02:05
元年から二十年までを昭和前期とし、敗戦からその後を昭和後期としますと、
02:12
昭和の前期の私は虫みたいなものでした。
02:16
ただ、少年期を生きてきて、やや青年になったというだけの時期です。
02:24
そして私にとって、敗戦の時が二十二歳でした。
02:30
敗戦はショックでした。
02:31
このショックはちょっと説明しなければなりませんが、
02:37
なんとくだらない戦争をしてきたのかとまず思いました。
02:42
そして、なんとくだらないことを、いろいろしてきた国に生まれたのだろうと思いました。
02:50
敗戦の日から数日、考え込んでしまったのです。
02:55
昔の日本人は、もう少しマシだったのではないかということが、
03:02
後に私の日本史への関心になったわけですね。
03:08
私自身の少年期を語るつもりはないのですが、
03:12
どんな人間だったかを簡単にお話ししますと、
03:16
まず、この時代にはパニックがありました。
03:19
昭和五年の大恐慌は、少年の身にも空気として相当に応えました。
03:29
いくら道をうつむいて歩いても五千玉一つ落ちていない。
03:33
五千でパンが買えますからね。
03:36
町には失業者があふれ、国中が不景気にあえいでいた。
03:41
人間は食べていくのは大変だと、
03:45
今の人が林文子さんの放浪期をお読みになっても、
03:50
相当深刻な状況がわかると思います。
03:53
これが昭和初年でした。
03:58
中学に入った頃、いわゆる当時の言葉で、
04:01
シナ事変が起きました。
04:03
父親がお客と話をしていて、
04:07
戦争になりますな、という言葉が耳に入ってきました。
04:13
その時感じた旋律をよく覚えています。
04:18
体中が震えてくるような、動物的な旋律でした。
04:23
私は別に自分が臆病な人間ではないと思っているのですけれど、
04:30
少年というものは非常に動物的なものですね。
04:34
少年は、
04:36
勇気よりも臆病の方が心理の多くを占めていて、
04:40
それが生物としての少年気を保護していると思います。
04:46
非常な恐怖、
04:48
恐ろしいものがやってくるという感じに襲われました。
04:53
昭和十二年であります。
04:58
私は学校が嫌いな少年でした。
05:01
人に物を教えてもらうこと、
05:05
物を習うことに不向きな人間でしたね。
05:09
授業の時間には、
05:10
教室で四十人、五十人と一緒に、
05:13
一時間ほどじっとしていなければなりませんが、
05:17
これほどつらいこともありませんでした。
05:19
世の中に学校がなければいいと思っていましたし、
05:25
図書館と本屋があれば、
05:27
人間はそれでいいんだと思っていました。
05:30
世の習いで、
05:32
仕方なく学校に通っていたわけです。
05:35
そしてだんだん学校で社会訓練を受けるうちに、
05:41
どういうわけだか、
05:43
中国人と朝鮮人が好きになりました。
05:47
短い間に説明するのは不可能なのですが、
05:51
彼らは非常に人間というものを感じさせてくれた。
05:55
私に感じさせてくれた存在として、
06:00
恩人と言ってもいいのですが、
06:03
その中国と戦争するという。
06:07
やがて、世界と戦争するようになった。
06:11
私はなお学校に行っていましたが、
06:14
日本が嫌いだと思いましたね。
06:16
嫌いと言っても、
06:21
非常に好きだということの裏返しなんです。
06:25
こういう感情を、
06:27
西洋人はうまく言い表します。
06:31
アンビバレンスという便利な言葉があります。
06:35
そういう気持ちでした。
06:38
父親が非常に頑固で、
06:41
自分の前に立ちはだかる壁である場合、
06:44
父親を憎悪することが、
06:47
社会を呪うバネになります。
06:50
けれども、
06:51
私の父親はごく普通の人でした。
06:55
悪いことをしない、
06:57
正直で律儀な、
06:58
少し私よりも貧のある人間でした。
07:02
ですから、
07:03
父親を憎悪することもできないまま、
07:06
学校の途中から軍隊に入れられてしまったわけです。
07:12
いわゆる満州というところにいまして、
07:15
そして敗戦の年の半年ほど前、
07:18
連帯ごと関東地方に帰りました。
07:21
そこで敗戦を迎えました。
07:26
何と言いますか、
07:28
何をしている国かという感じです。
07:32
何をしている国かと。
07:34
一体日本とは何だろうということを、
07:40
最初に考えさせられたのは、
07:42
野門藩事件でした。
07:45
昭和14年、
07:46
私が中学の時のことでした。
07:50
こんな馬鹿な戦争をする国は、
07:53
世界中にもないと思うのです。
07:57
野門藩には実際に行ったことはありません。
08:00
その後に入った戦車連隊が、
08:03
野門藩事件に参加していました。
08:07
一体こういう馬鹿なことをやる国は、
08:10
何なのだろう、
08:12
ということが、
08:13
日本とは何か、
08:15
日本人とは何か、
08:17
ということの最初の疑問となりました。
08:21
これは兵隊だった頃から考えていました。
08:25
そして敗戦の時に、
08:27
しみじみと感じました。
08:31
人々はたくさん死にました。
08:34
いくら考えても、
08:36
つまり町内の饅頭屋のおじさんとか、
08:39
ラジオ屋のおじさんなら、
08:41
決してやらないことですね。
08:43
ちゃんとした感覚があれば、
08:45
お店の規模を考えるものです。
08:50
ところが、
08:51
こんな馬鹿なことを国家の規模でやった。
08:55
軍人を含めた官僚が戦争をしたのですが、
08:59
一体大正から昭和までの間に、
09:02
愛国心のあった人間は、
09:05
官僚や軍人の中にどれだけいたのでしょうか。
09:09
無論、戦場で死ぬことは愛国的であります。
09:13
しかし、戦場で潔く死ぬことだけが、
09:19
愛国心を発揮することではないのです。
09:22
死者誤入して言っておりまして、
09:25
あるいは、誤差を恐れずに言っています。
09:28
私自身の経験を言いますと、
09:33
私は戦闘に参加したことはありませんが、
09:37
どういう状況になっても、
09:39
恥ずかしいことはしなかっただろうと思います。
09:43
周辺の人間数人、
09:46
あるいは十数人の人間を前にして、
09:49
みっともないことはしたくないという気持ちですね。
09:52
それがあれば、
09:55
人間は毅然とすることができると思います。
09:59
それは、
10:00
愛国の感情とは違う問題になります。
10:05
無論、
10:06
愛国心はナショナリズムとも違います。
10:10
ナショナリズムは、
10:11
お国自慢であり、
10:13
村自慢であり、
10:15
家自慢であり、
10:16
親戚自慢であり、
10:18
自分自慢です。
10:20
これは人間の感情としては、
10:24
あまり上等な感情ではありません。
10:28
愛国心、
10:29
あるいは愛国者、
10:31
パトリオットとは、
10:33
もっと高い次元のものだと思うのです。
10:37
そういう人が、
10:38
果たして官僚たちの中にいたのか、
10:42
非常に疑問であります。
10:43
私は、
10:47
ノモンハン事件のことを、
10:49
調べてみたかったのです。
10:51
ずいぶん調べました。
10:53
資料も集めました。
10:55
人にも会いました。
10:57
会いましたけれども、
11:00
一行も書いたことがないのです。
11:02
それを書こうと思っていながら、
11:06
未だに書いたことがなくて、
11:08
ついに書かずに終わるのではないか、
11:11
そういう感じがします。
11:12
日本という国の森に、
11:18
大正末年、
11:19
昭和元年ぐらいから敗戦まで、
11:22
魔法使いが、
11:23
杖をポンと叩いたのではないでしょうか。
11:28
その森全体を、
11:30
魔法の森にしてしまった。
11:33
発想された政策、
11:35
戦略、
11:36
あるいは国内の締め付け、
11:38
これらは全部変な、
11:41
いびつなものでした。
11:44
この魔法はどこから来たのでしょうか。
11:48
魔法の森からの門藩が現れ、
11:52
中国侵略も現れ、
11:54
太平洋戦争も現れた。
11:57
世界中の国々を相手に、
12:00
戦争をするということになりました。
12:03
例えば、
12:06
戦国時代の織田信長だったら、
12:09
考えもしないことですね。
12:12
信長には、
12:13
ちゃんとしたリアリズムがあります。
12:15
自分で作った国を大切にします。
12:19
不利益になることはしません。
12:23
国というものを、
12:25
爆地場の賭けの対象にする人々がいました。
12:29
そういう、
12:30
滑稽な意味での、
12:31
勇ましい人間ほど、
12:33
愛国者、
12:34
パトリオットを気取っていた。
12:37
そういうことが、
12:38
パターンになっていたのではないか。
12:41
魔法の森の、
12:43
魔法使いに魔法をかけられてしまった人々の
12:46
真理だったのではないか。
12:50
私は長年、
12:52
この魔法の森の謎を解く鍵を作りたいと考えてきました。
12:58
例えば、
12:59
これをマルクス主義に当てはめれば、
13:01
パッと一言で、
13:04
これこれだ、
13:05
ということになるのかもしれませんが、
13:08
それでは魔法の森の謎を解くことはできません。
13:11
手作りの鍵で、
13:15
この魔法の森を開けてみたいと思ってきたのです。
13:18
どうも手作りの鍵は、
13:21
四十年たっても、
13:23
できたのか、
13:24
できていないのか、
13:26
その元気があるのか、
13:28
ないのか、
13:30
とにかく、
13:31
その鍵を合わせて、
13:33
野文藩について書きたかったのですけれども、
13:36
あんな馬鹿な戦争をやった人間が、
13:40
不思議でならないのです。
13:43
当時、
13:48
三望本部という異様なものがありました。
13:52
いつの間にか国家の中の国家になりました。
13:55
国家中枢の中の中枢になりました。
13:58
そういう仕組みがいつでき始めたかというと、
14:03
大正時代ぐらいから始まっています。
14:07
もうちょっと遡れば、
14:09
日露戦争の勝利の時が始まりでした。
14:12
そういう異様な権力、
14:15
それがどうも魔法の元らしい。
14:18
元らしいのですが、
14:20
この間亡くなった方で、
14:22
最後は陸軍中将となった人が、
14:25
野文藩の時の作戦を担当していた人でした。
14:28
柴涼太郎作
14:34
昭和という国家第1回
14:38
朗読は松重豊でした。
14:43
この続きは明日のこの時間に。
14:58
ご視聴ありがとうございました。
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