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  • 5 週間前
司馬遼太郎「昭和という国家」第3回(全5回)KOYAMA♥HINAKOチャンネル15分4㎆240x134原軽版

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教育
トランスクリプション
00:00朗読の時間です 柴良太郎作昭和という国歌第3回
00:091943年の学徒出陣で旧陸軍に入隊した柴良太郎は22歳で敗戦を迎えました 戦争体験者の柴良太郎は昭和の戦争をどう見たのでしょうか
00:26私松茂豊が朗読しています
00:30こうして魔法の時代は始まります このように異様な陰惨な歴史をかつて日本史は持ったことがありませんでした
00:47鎌倉時代は800万人ぐらいいたでしょうか 弥生時代の頃は2、300万人いたでしょうか
00:55昔は昔で苦しかったこともあるでしょうが この時代に比べれば人々は呑気に過ごしてきたと思います
01:04江戸時代のお百姓は辛かったでしょうが それなりに気楽に暮らしたと思います
01:12兵隊に取られずに済むのですから
01:15けれども 昭和元年から20年までの間は異様ですね
01:22その時代の異様な感じが 古典化することは恐ろしいですね
01:29日本人は戦後に新しい憲法を持つことになりました
01:37むしろこの憲法の方が昔なりの日本の慣習 法慣習とまでは言いませんが
01:44日本人の慣習にふさわしい感じ 馴染んでいる感じであります
01:50むろん明治憲法も悪くはありませんでした
01:54しかし解釈の仕方によって運用を誤り 統帥権というお化けが出てしまいました
02:00やっぱり明治憲法はまずかったのでしょうね
02:05その理由を探すと 明治維新そのものにあったのではないかと思うのです
02:12明治維新はいろいろな素晴らしいものを持っていました
02:18幕末の人々も素晴らしいものを持っていました
02:22しかし思想は貧困なものでした
02:27尊王攘夷だけでした
02:29尊王攘夷は十三世紀に滅んだ 宗の時代に出来上がった思想です
02:37北中国は異民族の征服王朝金に
02:43さらに北方はモンゴルにと 異民族がどんどん宗を圧迫していました
02:50漢民族の王朝の宗は南へ南へ押しやられ
02:56やがて滅ぼされるのですが その時にたくさんのインテリが現れました
03:01宗の時代の学問は非常に特徴的なものでした
03:06それまで儒教と言っても 別にイデオロギーではなかったのに
03:12宗の時代 先鋭化したイデオロギーになってしまいました
03:16王を大事にして エビスは打ち払う
03:22つまり外国人は打ち払う これが尊能攘夷ですね
03:27この思想が幕府の官学になったり 水戸学になったりしました
03:34特に水戸学によって専鋭化していき 幕末の頃だと
03:41別に水戸学を綿密に勉強しなくても 一種のスローガンのようになってしまいました
03:47他の思想が入らなかったんですね
03:51例えば 文化文政の時代
03:56もし長崎経由でうまく ルソーの思想が勧約されて
04:01日本に入ってきていたら 一つのグループを形成したでしょう
04:06彼らが革命家とない 明治維新政府の要因の何パーセントかでも
04:13占めたとしたら 人々という思想が出来上がったと思います
04:17もちろん これは家庭のことです
04:22ところが 明治維新は立派な革命なのに
04:26尊能攘夷という思想しか持っていなかった
04:29人々という思想がありませんでした
04:34人々という思想がなくて
04:37明治10年になってから
04:39中江町民がやっとルソーの思想を持って帰ります
04:43けれども 革命政権というものは
04:48自分のイデオロギーを頼ります
04:52後から来たイデオロギーは 非常にいかがわしいものだとか
04:56敵のイデオロギーだとする
04:58人間というものが大事だという 当たり前の思想に対して
05:04異性者が一種の危険性を感じる国になったと 私は考えています
05:10しかし 明治のイデオロギーは貧しかったけれど
05:15明治の国家を作った人々は しっかりしていました
05:18何しろ自分で作った国家なのです よくわかっていました
05:24自分たちは果物で言うと ジュースの多いリンゴのようなものだ
05:31尊王上位と言っても 一つの掛け声のようなものであり
05:36元気を出せというようなものだと 当事者たちはよくわかっていたと思います
05:42ですから ヨーロッパのいいものを入れる
05:47そして 国の精神を少しずつ太らせていくという
05:52方向に向かったのだろうと思うのですが
05:55その人たちの多くが死んでしまうのが 明治四十年頃でした
06:01日露戦争に勝利します
06:05そこから 試験制度の完了が 国の前面に出てくるわけであります
06:13ペーパーテストで陸軍大将にもなれるし 総理大臣にもなれる
06:20そういうことで出てきた人たちが 昭和期になって 明治の干からびた思想を利用した
06:29明治人はそれがみな 干からびた思想だということを知っていたと思います
06:34その干からびた尊能攘夷を持ち込み
06:39陶水拳という変な憲法解釈の上に 乗っけたのではないかと
06:43それが 魔法の森なのではないかと思うのです
06:48口で言うだけでは 実感は伝わっていないと思います
06:55伝わらないのが当たり前で 自分でもただ喋っているなあという感じであります
07:02説明的な言葉で言うのは 虚しいものですね
07:08私は小説家でありますから 小説の形で書くべきなのだと思いますが
07:17小説は このようなテーマを包む風呂敷ではないのですね
07:23小説というのは 割合大きな風呂敷なのですけれども
07:29そこまでは包めないのだと思います
07:32二度あることはないと思います
07:40陶水拳というようなものがあって このようなことになったのですから
07:46今はもうないのですから 二度あることはないと思います
07:52この記憶を 感覚として伝えたいと思うのですが
08:00私は非力ですね
08:05しかしながら その 魔法の森の仕業のために
08:12数百万の日本人が死んでいきました
08:15太平洋戦争 あるいは
08:20満州事変以来の 十五年戦争と言われる
08:25戦争で死にます
08:27沖縄では 民衆が死にます
08:32小さな被害で言うと
08:35私の家などは 空襲でなくなりました
08:39そして
08:41多くのアジアの人々を 苦しめました
08:46実感として
08:49うまく伝えられないのが
08:53もどかしいのです
08:55第二章
09:00脱アロン 私の読み方
09:03また年の話になります
09:09私の老いで
09:12小学四年生の子がいまして
09:14よく懐いてくれています
09:17おじさんは 昭和何年生まれ?
09:21と聞かれたので
09:22いや 大正の十二年だ
09:25というとびっくりしまして
09:27恐竜のティラノサウルスか何かを
09:31見たような驚きを浮かべるのです
09:33もっとも
09:35そういう年齢になりますと
09:37人間はおかしいですね
09:39昔を語ってはいても
09:42ついこの間のような感じがします
09:45私は二十一歳の時ですが
09:48当時の満州におりました
09:50戦車の
09:52いわばインスタント商工の
09:55養成所に入れられて
09:57教育を受けておりました
09:58やはり国の命令で
10:02学校の途中から軍隊に
10:04行かされたせいでしょう
10:05もともと勉強は嫌いなのに
10:09日曜の度に中国語を
10:11勉強しようと思ったから
10:13不思議ですね
10:14大阪外語学校で
10:17中国語を一週間に
10:19七時間ぐらい習っていたからでしょうか
10:22今は話せないのですが
10:25当時の私はそれを
10:27忘れないでおこうと思っていたのですね
10:29中国人の農家に行って
10:32農機具の名前を
10:34単語帳に作ったりしていました
10:36そのうち
10:38中国の農業
10:40農民というものに
10:41非常に関心を持ちました
10:43面白かったのは
10:46農機具の種類が少なくて
10:50一種類を多目的に
10:52使っていることでした
10:53道具というものは
10:56一つの目的のためにある方がいい
10:59それが一番道具として
11:01進歩すると思うのですが
11:03こういう時に進歩という言葉を
11:06使っていいかどうか分かりませんが
11:09中国の農家はそうではなかった
11:12日本の農家は
11:14小さな農家でも壁いっぱいに
11:17タケノコを掘る時のクワとか
11:20何々する時のクワとか
11:23たくさんあります
11:24どうしてこう違うのかを
11:27ずっと昔から考えていました
11:29それは
11:30日本では鉄がたくさんできた
11:34つまり安かったんだろう
11:36中国では鉄が貴重品だったのだと
11:40ぼんやり考えたりしました
11:42それにしても
11:45その時に中国の人たちは
11:47親切にしてくれました
11:49私は占領軍の一兵士ですが
11:53そうとは見ずに
11:54人間としてしか見ない
11:56本当の人間とは
11:58こういうものかと思いましたね
12:00もし自分が生きながらえることがあったら
12:04外国人には親切にしなければいけない
12:07と思いました
12:08満州の農民から受けた
12:12感激と恩によるものであります
12:14ここでいう満州の農民というのが
12:18要するに私のアジアであります
12:22ここから福沢諭吉の脱アロンの話になっていきます
12:30私は福沢諭吉が好きなのですが
12:33福沢の脱アーニューオーは非常に評判が悪いですね
12:39彼の脱アーはアジアから抜けましょう
12:44ニューオーとはヨーロッパに入っていこう
12:48ヨーロッパのものを入れましょうということです
12:52アジアというのは要するに中国朝鮮のことですね
12:56今まで尊敬していた中国朝鮮から抜けて
13:00ヨーロッパの学問をやろうじゃないか
13:03技術を取り入れましょうという考えです
13:06戦前はこれについて議論する人は誰もいませんが
13:11特に戦後福沢諭吉の悪口を言う場合に
13:15必ずこれが出ます
13:17そして福沢諭吉から離れても
13:21日本人の野郎時代といいますか
13:24俺だけがアジアでは偉いんだという
13:27もうとんでもない不思議なプライドという言葉も惜しいような
13:32そっくり返った姿勢の時代がありました
13:35それは今に続いているのかもしれません
13:40そういう考え方も
13:42要するに明治の脱亜入王から来ていると言われたりします
13:47言葉そのものが一人歩きしている感じがありまして
13:52ちょっとかわいそうなところがあります
13:57福沢諭吉がなぜ脱亜入王と言い出したかということは
14:02福沢諭吉論をたくさんしなければ出てこないのですが
14:06少し話を進めます
14:08福沢という人は幕末に幕府の下級の役人
14:14つまり通訳になって二回外遊しています
14:18二回とも上海に寄っています
14:21上海に寄りますとほとんど植民地化されようとしていて
14:27大火功労が立っております
14:29西洋人は威張っていて
14:32中国人は奴隷のごとく働いていた
14:35柴良太郎作 昭和という国歌 第3回
14:44朗読は松茂豊でした
14:47この続きは明日のこの時間に
14:51ご視聴ありがとうございました
15:00ご視聴ありがとうございました
15:04ご視聴ありがとうございました
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