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  • 9 か月前
有機農業の米作りを中心に独自の道を歩んできた山形県高畠町。米増産から減反へ、変転する農政のなかで、農薬の健康被害に直面した青年たちは有機農業へと進んだ。その活動は有吉佐和子の「複合汚染」で紹介され、安全な食を求める消費者との産直提携へと発展した。その後、農薬の空中散布をめぐって町を二分した議論を乗り越え、いま、日本一おいしい米作りで知られている。曲がり角にたつ日本の農業を高畠から見つめる。

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ニュース
トランスクリプション
00:00:00PPP 環太平洋パートナーシップ協定の交渉が進む中
00:00:14米どころ山形では農家の間に危機感が広がっています
00:00:19頑張ろう
00:00:21頑張ろう
00:00:24ここ山形県でも後継者不足から工作を放棄した水田
00:00:33いわゆる工作放棄地が増えています
00:00:36国は後継者を育成する新たな政策を打ち出しました
00:00:44しかしその説明会で農家には戸惑いが広がっています
00:00:50やっぱりほら農業政策ってのはコロッコロと変わるもんだから
00:00:55それに振り回さって
00:00:57今現在こうしておいた図書でこうしてやってて
00:01:00こうしておたんぱらつくったって
00:01:02おたん後継者にいれば何に何に返さ
00:01:04このままいけばやはり農家自体が全部衰退してしまって
00:01:11だめだなと
00:01:12やっぱり後継者も出てこない
00:01:15このままでいけばもう全部の農家がもう沈んじゃうと
00:01:20そんな中山形県高畑町では都市の消費者と直接提携した
00:01:30有機農業で独自の道を切り開いてきました
00:01:34高畑町で有機農業が始まったのは
00:02:0141年前の昭和48年です
00:02:05そこに至る道のりは苦難の連続でした
00:02:11戦後農業機関や化学肥料の普及が急速に進み
00:02:19農家は農業の将来に大きな希望を抱いていました
00:02:27かつての重労働からも開放されていきます
00:02:30やっぱり化学肥料とか農薬というものが楽に作業ができると
00:02:39まさに四つん這いをやらないでやれると
00:02:44しかし農薬による健康被害など近代化には負の側面もありました
00:02:52農業近代化の弊害を身をもって体験した高畑の若者たちは
00:03:15昭和40年代化学肥料や農薬に頼らない有機農業に取り組み始めました
00:03:21都市の消費者も農作業の応援に駆けつけ
00:03:29全国に先駆けた産直が始まりました
00:03:35しかし昭和60年代有機農業を揺さぶる出来事が起きます
00:03:40農薬の空中散布です
00:03:43空中散布をやめてほしいと
00:03:50無農薬米を購入している各地の消費者たちが駆けつけました
00:03:55若者たちは新たな有機農業の拠点を作り
00:04:09空中散布を食い止めていきます
00:04:14大秘や栽培法などに工夫を重ね
00:04:21高品質の米作りを追求しました
00:04:24お米はやっぱり土壌が変わらないと
00:04:30お米は変わらないとよく言われますけども
00:04:33その前に人間の考えが変わらないと
00:04:36土壌は変わっていかないんです
00:04:37日本の戦後を地方から見つめるシリーズ
00:04:43日本人は何を目指してきたのか
00:04:46第8回は日本一おいしい米作りを目指した
00:04:52山形県高畑町の歩みです
00:04:55大山脈のふもと
00:05:17山形県高畑町
00:05:19人口25,000
00:05:21米や果物の栽培が盛んな町です
00:05:25有機農業の里として知られる上和田地区
00:05:33昔ながらの稲の天日干しが今も行われています
00:05:39食いがけ作業をしているのは
00:05:47星幹事さん78歳
00:05:50これ星が座らないと泣かない
00:05:53高畑で最も早く有機農業に取り組み
00:05:59指導者として活動してきました
00:06:01昭和10年生まれの星さん
00:06:289歳の時敗戦を迎えました
00:06:31戦後日本の農村で大変革が起きます
00:06:41GHQ連合国軍総司令部による農地改革です
00:06:50地主制度が廃止され
00:06:52多くの自作農が生まれました
00:06:54村の人たちは総出でこの日を祝いました
00:06:59終戦の土地は私小学校の4年生だったんです
00:07:05戦地におもめておった青年たちも
00:07:09どこどこ帰ってきて
00:07:10農村は一気に人口が膨れ上がっていくわけですが
00:07:13それは大変なものだったと思いますよ
00:07:17今まで自分の土地というのは
00:07:20十分に持てなかった人たちが
00:07:24ちゃんとやっぱり自作地というものを
00:07:27与えられて持てるようになったわけですから
00:07:29その土地に対するものすごい強い愛着と同時に
00:07:34生産・栄養区というものが高まっていったわけですから
00:07:38当時都会に暮らす人々は
00:07:45食料難で飢えに苦しんでいました
00:07:47米の増産は緊急の課題でした
00:07:50食料不足を克服するには
00:07:56それまでの農地では足りない
00:07:58政府は大掛かりな政策を打ち出します
00:08:02森林や原野を切り開く改善政策です
00:08:06みんな遠側で掘り起こして開墾していったんですね
00:08:18大きな木の根っこは
00:08:21まさかりで根っこを切って
00:08:24そして遠側でぐるりを大きくえぐって起こすというような
00:08:29大変な努力をかけながら
00:08:32その地域の人々が力を合わせて畑を作ったり
00:08:37田んぼを作ったりしてきたと
00:08:40そういう時代を経験してるんですが
00:08:43星さんと共に有機農業に取り組んできた
00:08:51渡辺努さん65歳
00:08:54小学生の頃から家の農作業を手伝ってきました
00:08:58戦後間もなく高畑を撮影した写真です
00:09:06米作りは過酷な重労働でした
00:09:09田植えも腰を折って這うようにしての作業でした
00:09:15体が半分沈んでしまう泥沼のような田んぼもありました
00:09:25草取りの四つんばいというのが一番しんどい作業なわけですけれども
00:09:32昔はその腹いっぱいご飯を食って
00:09:39そして休憩の時にはそれこそ味噌のおにぎりをですね
00:09:442個ぐらい食ってやらないと1日持たないというような
00:09:51作業もやりましたし
00:09:53一連のことをずっと手伝いを
00:09:57小さな力ではあったんですけれども
00:09:59手伝いをしながらそういう農業もずっと見てきたということがありますよね
00:10:04昭和30年代に入ると
00:10:09日本は鉄鋼、石油化学など工業化が進みます
00:10:14経済成長率が年平均10%を超える
00:10:19高度経済成長の幕開けです
00:10:21都市住民の所得が農家を上回り
00:10:26農家の所得の向上が課題となっていきます
00:10:29昭和36年、国は農業の近代化と規模拡大を図る
00:10:37農業基本法を推定します
00:10:39多額の補助金が投じられ
00:10:51農地の改良が進められました
00:10:53それまでの小さな面積の農地を広げる事業が
00:10:58全国で進められていきました
00:11:00これは土地改良事業以前の高畑とその周辺です
00:11:11曲がりくねった小さな田んぼでした
00:11:14土地改良事業で四角く、整然とした広い田んぼに生まれ変わりました
00:11:25農機具メーカーは次々に
00:11:38新しい農業機械を売り出していきました
00:11:41幸運機、トラクター、田植え機、農家は
00:11:48新しい時代を実感していました
00:11:50二宮隆一さん、64歳
00:11:57高校を卒業して農家の後を継いだのは
00:12:01昭和43年
00:12:03農業基本法制定から7年後のことでした
00:12:07すでにかつての手作業による農作業は姿を消していました
00:12:14代表的なのは田植え機械が入ってくるというのは
00:12:20もう革命的な出来事でしたので
00:12:22そういう農作業がある程度重労働から解放されて
00:12:27非常に能率が上がる機械活動に対しては
00:12:31我々も当時は本当にもろ手を挙げて
00:12:35還元したというか喜んでいたことがあります
00:12:38さらに農業近代化で化学肥料や農薬が普及し
00:12:49米の増産が飛躍的に進みました
00:12:52やっぱり化学肥料とか農薬というものが
00:13:00楽に作業ができると
00:13:02米作りができるという風な思いが
00:13:06一番強かったと思いますし
00:13:08まさに四つん這いをやらないで
00:13:11やれるということで
00:13:14特にうちの親父なんかは
00:13:16体が弱かった性もあるものですから
00:13:17大変喜んでこれを使っておったという
00:13:21思い出はありましたよね
00:13:22一方村の若者たちの集団就職が始まります
00:13:29高度経済成長は都会の労働力不足を生みました
00:13:34農家の次男三男や娘たちが
00:13:39中学を卒業すると村を後にして
00:13:42都会で就職するようになったのです
00:13:44村に残った人たちも農間期の冬
00:13:53都会へ出稼ぎに行く人が増えていきます
00:13:56農器具や肥料などを購入するために
00:14:00今まで以上に現金収入を必要とするようになったのです
00:14:04稲作の他にリンゴやブドウを栽培している
00:14:19中川信之さん
00:14:2073歳
00:14:22農業基本法制定の長和36年
00:14:26高校卒業して農家を継ぎ
00:14:30その冬東京へ出稼ぎに行きました
00:14:33当時高畑町から出稼ぎに行く人は
00:14:40年間900人を超えていたのです
00:14:43やっぱり東北の農面
00:14:49あと群馬辺りの農面
00:14:52九州辺りの農面
00:14:55そういうカタカナが30年ぐらいの
00:14:59半場といいますと
00:15:00四ヶ月でそこに
00:15:02二度回りをする場所ですけどね
00:15:04その半場という建物は全くそまずいで
00:15:08いわゆる工事現場で使うパネルという板の輪具ですよね
00:15:13コンクリートを固める時に
00:15:14宿の板
00:15:16そういうものに組み立てた
00:15:18簡単な作業を緩めるような
00:15:22そういうところに宿泊してね
00:15:24もう砂ぼこりが入ってくるし
00:15:29寒いし
00:15:31いや正直東京の方には寒いですからね
00:15:34ですからもう朝は足が進めないですよ
00:15:37それでねでももう足が進めたくてもう眠りないそんな状況もありましたね
00:15:46本当にこう出稼ぎの人っていうのは一面に言えばまあ人員よりもどのみたいな感じで扱われたような経験がありましたね
00:16:01出稼ぎをしていた若者たちに衝撃を与えた詩がありました
00:16:10村の女は眠れない
00:16:14福島の農民詩人草野久雄が綴った詩です
00:16:19村の女は眠れない
00:16:21村の女は眠れない
00:16:23どんなに腕を伸ばしても夫に届かない
00:16:27どんなに乳房が熱く実っても夫に示せない
00:16:33どんなに腰をもだいさせても夫は答えない
00:16:39夫が遠い半端にいる女は眠れない
00:16:44女の夫たちよ帰ってこい
00:16:48それぞれの半端を捨ててまっしぐら
00:16:52眠れない女を眠らすために帰ってこい
00:16:59高校卒業後3年連続で出稼ぎをした二宮隆一さんもこの詩に大きな衝撃を受けました
00:17:11まあ当時我々もまあそれぞれこれから結婚しようという時期でしたんで
00:17:23このまま自分自身が毎年のように手稼ぎを繰り返して
00:17:30本当におみさんもらえるのかというようなことも含めて
00:17:36この内容に本当にこうなんていうか感動もしましたし
00:17:43ショックも受けましたね
00:17:45当時二宮さんや中川さんたち
00:17:50高畑の若者たちは熱心に青年団活動をしていました
00:17:54若者たちは政治や社会問題にも目を向けつつ
00:17:59自分たちの生き方を模索していたのです
00:18:06当時青年団の中で
00:18:11じゃあ今から我々が率先して出稼ぎ辞めようというような
00:18:18無謀なというか当時
00:18:19そういったみんなで話し合って
00:18:26じゃあ辞めようというようなことで
00:18:28なんていうかな
00:18:32提案したこともありました
00:18:35それに伴って私も含めてですけども
00:18:39次の年から出稼ぎに行かないで
00:18:41地元で冬場でも何か仕事を見つけて
00:18:45やろうということで
00:18:48切り替えた仲間がたくさんいます
00:18:50高畑の青年団は出稼ぎ拒否宣言を出します
00:18:57俺は出稼ぎ辞めたぞ
00:19:02出稼ぎを辞めた若者たちは
00:19:08今までにも増して米作りに励みました
00:19:11渡辺努さんもその一人です
00:19:16化学肥料を駆使し
00:19:28収量が多い品種を選んだ渡辺さん
00:19:32一票でも多く収穫することを目指しました
00:19:36ところが昭和45年1970年
00:19:48国はそれまでの米の増産から
00:19:51180度反対の政策を打ち出します
00:19:54米を作るな
00:19:58減炭政策です
00:20:00減炭が始まった昭和45年の秋
00:20:07実りを迎えた田んぼで
00:20:09農家の人たちがまるで雑草のように
00:20:12稲を刈り取る姿が全国で始まりました
00:20:15実った米を廃棄する青田狩りです
00:20:20私らはそういうふうに
00:20:26夢をかけてといいますかね
00:20:31米作りに一生懸命頑張って
00:20:34技術も磨いてきた矢先の
00:20:36本当にこれから私に知ってみれば
00:20:40一人前となって米作りができると
00:20:44生活も安定してくるというふうに
00:20:47思っていた矢先の源たんですからね
00:20:50これは非常にショックでしたし
00:20:54これはとんでもない話だというふうに
00:20:57まさに怒りしとというのが正直な話ですね
00:21:01だから最初の1年目はね
00:21:05私減炭しなかったんですよ
00:21:08昭和42年
00:21:12米の生産量はピークを迎えます
00:21:15一方米の消費量は
00:21:21それより4年前の
00:21:22昭和38年を境に
00:21:24すでに減少に転じていました
00:21:27米不足から
00:21:30米余りの時代へと
00:21:32大きく変貌していったのです
00:21:34その大きな背景に食の洋風化がありました
00:21:42戦後の食糧難の時代
00:21:46アメリカは地獄の四畳小麦を日本に食糧援助しました
00:21:51小麦は学校給食にも使われ
00:21:57子供たちはパン食に慣れ親しんでいったのです
00:22:01当時米は政府が全量を買い取っていました
00:22:11昭和17年に始まった食糧管理制度です
00:22:16主食である米を市場原理に任せず
00:22:20安定した価格で国民に供給するための制度でした
00:22:24しかし米の消費量が減り始め
00:22:30政府は大量の在庫を抱えるようになりました
00:22:34このまま余剰米が増え続ければ
00:22:38食糧管理制度が崩れると
00:22:40国は減端を始めます
00:22:42政策を大きく転換させたのです
00:22:46少しずつ米の消費が落ちてきておったという時に
00:22:56まだ増産運動を続けておったわけですから
00:22:58米が余るのは当然の話ですよね
00:23:00そういう状況にあったということを
00:23:05数年後に知るわけですけど
00:23:07余計にそれで怒りが湧いてきたというか
00:23:13当時の農政に対する不信感というものが
00:23:17大きくなっていたという事実はありますよね
00:23:20渡辺さんは米作りのほかに
00:23:25新たな活路を見いだそうとします
00:23:27国が農業基本法のもと進める
00:23:31大規模な畜産です
00:23:33一家の1年間の収入に相当する借金をして
00:23:39牛舎を建てました
00:23:40しかし5年後のオイルショックで
00:23:45畜産は大きな壁にぶつかります
00:23:48一番大きなのがやっぱりオイルショックでしょうね
00:23:571973年のオイルショックの時に
00:24:04肉牛が暴落し
00:24:08飼う資料・餌が高騰するというようなことで
00:24:15瞬く間に借金が積み上がっていったということがありますよね
00:24:19これはショックでしたね本当にね
00:24:22結局輸入品全てが輸入品なわけですから
00:24:28エサはね穀物が
00:24:29だからその資料穀物のエサが
00:24:33ものすごく値上がりをしたということもあって
00:24:37売るものは安く買うものは高いということですから
00:24:43結果として導入した
00:24:46元牛代金に販売する時には
00:24:51それを下回るような格で売らざるを得なかったというような
00:24:55実態がありましたよね
00:24:56いやー言いたかったですね
00:24:58だからそのミューベル牛に
00:25:04一枚札を何枚も貼り付けて販売するような
00:25:09いわばそういう状況でしたからね
00:25:10とんでもない話ですよ
00:25:12生産向上に貢献した農薬も
00:25:22やがて深刻な問題を引き起こします
00:25:25当時使われていた殺虫剤の一つ
00:25:33現在では使用が禁止されている
00:25:36毒性の強い有機磷剤でした
00:25:39神経系を重ねる中毒症状が
00:25:47各地で問題になりました
00:25:49星幹事さんは若い頃
00:25:58体が丈夫でなかったこともあって
00:26:01農薬で頻繁に体調を崩したといいます
00:26:04ミストを背負って農薬散布
00:26:10当時は粉材だったんですから
00:26:11それなんかをやりますと
00:26:14大変なダメージを受けて
00:26:162日も3日も寝込まなきゃいけないという
00:26:19そういうのの繰り返しだったんです
00:26:21ですから農薬が生産性向上に
00:26:27大変な効果を果たしたと同時に
00:26:31それを使う人間にやっぱり大変なダメージを与えているんだなということを
00:26:37自分の体を持って自覚したということですね
00:26:41原炭、オイルショック、農薬の健康被害
00:26:47高畑の若者たちは将来を見出せずに苦悩していました
00:26:54そんな中、日本有機農業研究会を結成した
00:27:04一楽テルオと出会います
00:27:06一楽は訴えていました
00:27:12従属農業からの脱却はかれ
00:27:17近代農業を健康を忘れ、知力を忘れた農業と批判し
00:27:24有機農業の普及に努めていました
00:27:27その主張に高畑の若者たちは共感し
00:27:34昭和48年、渡辺さんや星さんたち38人の若者が
00:27:40高畑町有機農業研究会を設立しました
00:27:44やっぱり我々が当時いろいろ議論しておった中に
00:27:52自分で農産物の価格を決められない
00:27:56それから化学医療農薬というものを使うこなすだけで
00:28:02それが全て農協になり業者を通して資本に流れていくと
00:28:07いわば農民の主体性というものがどこにあるのかということが
00:28:13当時大きな反省材料だったわけですよ
00:28:17米の増産に沿った改伝でもね
00:28:23肉牛刑を始めようと思った特務を含めて
00:28:26与えられる情報だけでやってきたということはあったと思うんですね
00:28:30だけどそうじゃなくてやっぱり
00:28:33もうちょっと視点を変えてみれば
00:28:35やっぱり自分で物事を考えて
00:28:38それから食べる消費者がその先にいると
00:28:41そこにどうたどり着くかということなども含めればね
00:28:44やっぱり自分で考えなきゃならんという思いは当然あったしね
00:28:49有機農業では農薬や化学肥料を一切使いません
00:28:57とりわけ除草剤を使わない米作りでは
00:29:01夏の炎天下1か月以上除草を続けなければなりません
00:29:06農業近代化で開放された過酷な重労働に
00:29:16逆戻りするかのような農法でした
00:29:19もちろん親たちにとってみれば
00:29:32やっぱり近代化を実現するために
00:29:35それこそ全力を挙げて取り組んできて
00:29:40ここまでその成果が上がってきたと
00:29:44重労働から開放されて生産性も高まってきたと
00:29:47その近代化の成果と所産というものを
00:29:53自分の息子たちは否定するのかと
00:29:56結局自分たちの今までの努力と苦労みたいなものが
00:30:01次の世代によって否定されるというふうに
00:30:05受け止めたわけですから
00:30:07それは簡単に受け入れられないわけです
00:30:11あの隣中は頭がおかしくなった隣中だと
00:30:14いうふうに受け止められたんですね
00:30:18つまり雪農業研究会というのは
00:30:20変わり者集団であるというふうに
00:30:22片付けられまして
00:30:23有形無形の圧力が変わってきたんですよ
00:30:27で精神的にはやっぱ村八分状態に追い込まれた会も何にもあったと思いますね
00:30:35私自身ももう30代の半ば過ぎておりましたが
00:30:40そういう圧力というのはひしひしと感じるような
00:30:45そんな状況だったりですから
00:30:47出稼ぎ拒否をした二宮さんも参加しました
00:30:55ここで41年前無農薬での米作りに挑戦しました
00:31:122回ぐらい2作ぐらいやったんですけども
00:31:20あのやはり雑草もたくさん生えましたし
00:31:26やはりあの土がまだまだできてなかったということがあったと思うんですけども
00:31:32化学費用を使わなかったというようなことで
00:31:35もちろん大秘なんか入れたんですけども
00:31:37最初はちょっとやっぱり水位があまり良くなかったんですよ
00:31:41で収量的にもう雑草にもう犬の方が負けちゃって
00:31:47半作ぐらいのような状況で
00:31:51ちょっとがっかりしましたね
00:31:54これちょっと続けられないなというようなことで
00:31:56私はその時点で無農薬栽培を断念したんですよ
00:32:02何でも挑戦しようという気はあったんだけど
00:32:05やっぱり米作り農家としてはやっぱり
00:32:11実りが良くないとダメですよ
00:32:13これはがっかりですよ
00:32:14最初の2年間で高畑町有機農業研究会の会員は半分近くに減りました
00:32:281年目2年目は
00:32:34今までのやり方の数倍とか場合によっては10倍ぐらいの人で
00:32:43暇をかけながらも結果的に
00:32:456部作業止まりだったんですが
00:32:483年目ちょっと今までの経験を踏まえると
00:32:52対してもちょっと足らないんじゃないかというふうに思いまして
00:32:582トンを基準としておったところを
00:33:00もうちょっと増やそうということです
00:33:03次がある3トンを入れてみようと
00:33:063年目は意外に順調に全般は生育しまして
00:33:12これは3年目の正直で今年は
00:33:15平年作業にたどり着けるなという実感を持ったんですね
00:33:21ところが喜びもつかぬ間
00:33:24梅雨明けのシーズンが終わろうとしているのに
00:33:29いつまでたっても低温と雨降り山瀬が引き去らすという毎日だったんです
00:33:34有機農業を始めて3年目の昭和51年
00:33:41東北地方は大霊害に襲われました
00:33:45夏になっても気温が上がらず
00:33:48実らない稲が各地で大発生したのです
00:33:51気持ち病とか病気にかかった田んぼが広がっておったんです
00:34:00実りの風景といっても茶化色の
00:34:03つらちゃきた風景だったんですね
00:34:06そんな光景の中にポツンポツンと
00:34:11全く奇跡が起こったように
00:34:13黄金色に実った田んぼが現れたんですね
00:34:18それが3年経った有機栽培の
00:34:23開園の田んぼだったんです
00:34:24今まで馬鹿にしておった人も
00:34:28なんか不思議なことが起こったもんだと
00:34:30しぎすぎと見つめるような状態です
00:34:32我々自身も驚いたんです
00:34:34その時初めて有機栽培というのは
00:34:38異常気象
00:34:40例えば低温とか干ばつとかに
00:34:42非常に強い抵抗力を発揮するんだなということを
00:34:46初めて経験的につかんだんですね
00:34:50そういう情報も
00:34:52それ前までは全然伝わってこなかったんですが
00:34:55それは我々自身が体験してつかんだ
00:34:58新たな事実だったんです
00:35:01無農薬で育てた稲は
00:35:05化学肥料で育てた稲に比べて
00:35:09根が太く長く育っていました
00:35:11堆肥を十分に施すと
00:35:15微生物が活発に活動して
00:35:17土の温度が上がり
00:35:19例外に打ち勝ったのです
00:35:21研究会設立から2年目の秋
00:35:27作家有吉沢子が高畑を訪れます
00:35:32環境汚染問題を取り上げた
00:35:35複合汚染の取材でした
00:35:37土が死んでるって
00:35:41例えばどういうことですか
00:35:43私が高畑町の青年に聞いたところ
00:35:49このとんでもない素人に分からせるには
00:35:52どう説明したらいいかと
00:35:54みんな悩んだらしいのだが
00:35:57やがて一人が子供に話して聞かすように
00:36:01方言のままで喋り出した
00:36:04例えばよ
00:36:06分かりやすく言えば
00:36:09ミミズのいねえ土のことだな
00:36:12リュアンかければよ
00:36:14ミミズは搾取するから
00:36:16ミミズがいねえとよ
00:36:19土が固くなってどうにもなんねっす
00:36:23複合汚染はベストセラーとなり
00:36:29高畑町有機農業研究会の知名度は
00:36:32高まっていきました
00:36:34高畑の無農薬米は
00:36:43食の安全を求める消費者の関心を集めました
00:36:47都会の消費者たちが高畑を訪れて
00:36:52渡辺さんたちに直接無農薬米を購入したいと申し出ます
00:36:57しかし農家だけでは生産に限りがありました
00:37:03そこで田植えや草取りなどの重労働を
00:37:09消費者たちに手伝ってもらうようになりました
00:37:11縁納の始まりです
00:37:17渡辺さんの家には年間100人もの人が
00:37:27訪れるようになっていきます
00:37:29自宅に泊まってもらい
00:37:32さまざまな交流が生まれました
00:37:34お兄のパンツ
00:37:38箱を箱をお兄のパンツ
00:37:41あなたも私もおじいさんもおばあさんも
00:37:46みんなで箱をお兄のパンツ
00:37:51ある時に
00:37:56朝ごはんを提供した時に
00:38:02渡辺さんはこんな贅沢は都会ではできないと
00:38:05要するに朝取り野菜を
00:38:09その料理をして
00:38:12食事として食べられるという
00:38:16そういう贅沢さというのは
00:38:20都会では絶対味わえないことだとか
00:38:21まさに我々は日常生活の中で
00:38:24当たり前にやっていることの
00:38:26その重さというか
00:38:28そういうことを非常に感じられる出来事がありましたよね
00:38:35皆さんと一緒にこちらに伺わせていただいた時
00:38:40やはりこの風景と
00:38:43うちの子たちもカエル捕まえて遊んで
00:38:46その思い出っていうのは
00:38:48かけがえはない人生の思い出になると思います
00:38:53公民館でもち米をふかして
00:38:58お餅つきをして
00:39:00こちらで手作りの納豆やら
00:39:03作ってきていただいたので
00:39:05大根おろしやらいろいろなもので
00:39:06もうそこら中真っ白にしながら
00:39:09子どもたちと
00:39:10いただきましたけど
00:39:13子どもは
00:39:14あの時の味覚えてるんですよね
00:39:17あの納豆おいしかったとか
00:39:19あのお餅おいしかった
00:39:21高畑に新しい風が吹き始めました
00:39:27首都圏の2つのグループから始まった産直は
00:39:33昭和60年代には48団体に広がっていきます
00:39:37昭和44年には国の管理を通さない
00:39:44自主流通米の制度が始まっていました
00:39:47この制度を利用して
00:39:52無農薬米の価格を
00:39:54農家と消費者が話し合って決める
00:39:56独自の提携が生まれていったのです
00:39:59軌道に乗り始めた雪農業でしたが
00:40:1110年ほど経った頃
00:40:13大きな壁にぶつかりました
00:40:15ヘリコプターによる農薬の空中散布が
00:40:19広がり始めたのです
00:40:20空中散布は人手をかけずに
00:40:25広い範囲に効率よく巻くことができます
00:40:28高畑でも多くの農家が
00:40:33頼るようになっていきました
00:40:35しかし地上での散布に比べて
00:40:43その濃度は30倍以上になります
00:40:46動植物への悪影響が出始めていました
00:40:52空からの散布は
00:41:04住宅地のそばにまで泳ぎました
00:41:06畑の野菜にも被害が泳ぎました
00:41:14当時空中散布を受け入れる田んぼには
00:41:24白旗
00:41:24望まない田んぼには赤旗を立てて
00:41:28操縦士に散布する場所を示しました
00:41:30しかし空中散布を受け入れる田んぼと
00:41:39受け入れない田んぼは隣接しているため
00:41:42赤旗を立てても農薬が飛散してしまいます
00:41:46心配した消費者たちが全国から駆けつけてきました
00:41:54消費者たちから不安の声が相次ぎます
00:42:12これはなくなるだろうとか
00:42:16それからだんだん少なくなるだろうっていうのを黙って見ててね
00:42:21なくなるものじゃ絶対にない
00:42:23むしろ広がってくるんじゃないかっていう不安を
00:42:26私たちはいっぱい持って
00:42:28大都市や首都圏におられる方は見えないと思うんですけれども
00:42:32東北に住んでおりまして
00:42:34東北に過ごしておりますと
00:42:38もう空中散布をされてない水田を探す方が難しいんですね
00:42:43もうどこもかしこも空中散布だらけです
00:42:46福島市の消費者グループの代表
00:42:51境の米子さんです
00:42:54これほど農薬が嫌でみんなが貝まで作って
00:43:00貝費も払って
00:43:02食べている安全なものが
00:43:05実は農薬がかかっていたみたいなことは
00:43:10おかしいんじゃないかっていうことに
00:43:13気づき始めたわけです
00:43:15大丈夫なんだと
00:43:17旗立てておけば
00:43:18絶対農薬はくっつかないんだと
00:43:21いうような甘い考えではダメだということですよね
00:43:25確実に飛び散って農薬前になってしまうんだと
00:43:31いうことが分かれば
00:43:33これは有機農業の米なんだということは
00:43:36言えなくなってしまうわけで
00:43:39やっぱりそういう現実というものを
00:43:42みんながシェアして
00:43:43そしてどうするのかということを
00:43:46考えることを始めないと
00:43:48しょうがないわけですよね
00:43:51やっぱり食べる人というのは
00:43:53いいわ
00:43:55農薬の汚染があっても
00:43:59いいわっていう方は
00:44:01ごく少数ですよね
00:44:03なかなか我々の当時の力量で
00:44:07そこまで大きな反対運動をやれるだけの
00:44:12力量が当時我々の中にはなかったということもあって
00:44:16そのことが消費者から見れば
00:44:21だいぶ不満だったことは確かにありました
00:44:26だけど都会の中でやれる運動スタイルと
00:44:33我々が農村の中でやれる運動スタイルは
00:44:39自ずと違うというふうに私は強く感じていましたし
00:44:44いかに信頼関係が積み上げるために
00:44:48縁のうなり我々が物を運んだりということを
00:44:51かなり長年やってきて
00:44:54その信頼関係はかなり深まったというふうに
00:44:56思いますけれども
00:44:57でもやっぱり完全に分かりきっているという
00:45:00状況にはならなかったという結果だと思うんですよね
00:45:03あの場面を見ていると
00:45:04なんとか空中散布を減らしていけないか
00:45:11研究会のメンバーたちは動きました
00:45:15最初に空中散布を進めている
00:45:22高畑町農業共同組合に中止してほしいと
00:45:27要望書を提出しました
00:45:34これはもちろん小売川が進んで
00:45:38しばらくでも農業空気者が1人目いない人
00:45:412人目しかないという現状況ですからね
00:45:43やっぱりワンマジの米の23万病という米を
00:45:45今の経済的に価値観のある米を
00:45:49販売するとすれば
00:45:52やはり今の強度工場体系では
00:45:55空中散布に依存しなくてはならないのではないか
00:45:57というのが緊急だとしています
00:45:59当時農協で空中散布担当だった渡辺誠さんです
00:46:08やる側とやらない側の主観が違うから
00:46:13やらない方はやらない方でいいわけですよそれは
00:46:16やってもらいたくないし
00:46:18どんな手を使ってもやってもらいたくないということになれば
00:46:22それは消費者を抱き込んでも誰を抱き込んでも
00:46:25そういう運動というのがやっぱり
00:46:29やる側としては
00:46:31これやっぱり気味なもんだぜ
00:46:33増産をするあるいは安定的に
00:46:35収入を得るために
00:46:37やらざるを得ない
00:46:39だからやっぱりそこにあるように
00:46:43間奏になって狭間になって
00:46:44いざかさみなんですよやっぱり
00:46:46やる側としては
00:46:48これしょうがないから認めてもらう方法ないな
00:46:51という感じだったらやっぱり私だよな
00:46:54あの時の方法はそれが一番いい方法だと思っていたわけやっぱり
00:47:01当時空中散布を実施していない地区では
00:47:07農家が共同で重いホースを担いで地上散布をしていました
00:47:12しかし兼業農家や高齢者は
00:47:21重いホースを担いでの農薬散布が負担になっていたのです
00:47:25萩原幸十三、58歳
00:47:41当時有機農業研究会のメンバーでした
00:47:44しかし空中散布に頼らざるを得ない
00:47:49大多数の農家の実情にも心を痛めていました
00:47:53妊婦としてくる出てくる人が
00:47:59お年寄りのじちゃんばあちゃんだったりとか
00:48:05それからちょうど夏休みの時期に入りますんで
00:48:08高校生の女の子だったりとか
00:48:12それも手袋をマスクもしないみたいな状況の中で
00:48:19作業をされていたというようなところを見て
00:48:26これはよろしくないなというふうに感じたところがありました
00:48:32ちゃんとした農薬に対する理解を持っている人が
00:48:40そういう作業に携わる分には
00:48:43何だいいんですけど
00:48:46やっぱり仕事の関係とかなんかで
00:48:48そういうふうな弱いものに
00:48:51弱いものを理解度の低いものに
00:48:56作業の手話寄せがいっているというような状況の中では
00:49:02やっぱり友人へにも仕方のない手段ではないかな
00:49:08というふうに感じたところがありました
00:49:11空中散布にどう向き合うのか
00:49:19研究会は発足以来の最大の危機に直面しました
00:49:24環境汚染の原因は空中散布だけではない
00:49:32それだけを目の敵にしても
00:49:35地域の理解は得られないと
00:49:37萩原さんは発言しました
00:49:39やっぱり食べる人ももちろん大事だことない
00:49:42大事だけども
00:49:43何としたら地域がいるのかというか
00:49:47実際問題で空気も汚染が去っていくかもしれないのも
00:49:51河川もかなり汚染が去っているわけだ
00:49:52だいたい俺井戸水組み上げで
00:49:57雪農業やってった子は草すごいなよ
00:50:00そして川の水が入ってくった子は
00:50:02その目の崎あたりは草多いねやわね
00:50:04除草水でかなり汚染されているわけだ
00:50:06そういうことを全然その
00:50:09相撲のいいことばっかで
00:50:10自分たちは利用して
00:50:12汚染された水を使って利用して
00:50:15空気がどうだから消費者がどうだから
00:50:18つってその泡肌立てとかどうなのこうなって
00:50:22ちょっとやっぱり夏が
00:50:24収支が雪農圏としての収支が
00:50:26ちょっと
00:50:27ずっちりなんねえかなっていう気がするね
00:50:30問題はすり替えないとよ
00:50:32まともに問題を見て発言する
00:50:34いやでももうそういうふうに素直に俺思うんだよね
00:50:40やっぱ汚染はよ汚染は空気だけでねえもんねよ
00:50:43空産によって地域が豊かになるわけだすと
00:50:45いや俺は空産に対しては反対です
00:50:48今あの
00:50:51高畑町の有機農業研究会
00:50:54あるいは今までずっと詰め上げてきた有機農業運動っていうのは
00:50:58ここでやっぱりその本質というのは問われていると思うんです
00:51:02空産の問題に絡んで
00:51:04自らが有機農業者であるという強力な自覚というものが
00:51:09基本的にない限り
00:51:10やっぱりそれは次第に薄まっていくし
00:51:13だんだんと発展するところから解消していくんじゃないかなって不安を持っているんです
00:51:20今の消費者質問が我々に問いかけているものっていうのは
00:51:25その基本姿勢が高畑に歩かないかということを言ってるんだと思うんです
00:51:30現状がこうだから金融化が進んでいるからという
00:51:35そういう現状妥協型の発想の中からは
00:51:39新しい運動の質っていうのは掴み取っていけないと
00:51:43いうふうに私は思っています
00:51:44当時星さんと激しく対立した萩原さんです
00:51:53高畑の農業が地域の農業がどういう形であればいいかなというふうなことを
00:52:14若いなりに一生懸命考えたのかなというふうに思います
00:52:19そっちの方かなって自分の心情はもともと
00:52:24その当時も
00:52:26とにかく地域の理解を得たいというふうに
00:52:31星さんの発想は
00:52:34遠い人、遠くの消費者の理解を得るための提案だったというふうに
00:52:41思うところがありました
00:52:45農協に結集している多くの生産者と
00:52:52町内に点在する有機能源を志して実践している農家との間に
00:53:00決定的な対立を生むような
00:53:05そういう場面だったんですね
00:53:09氷は我々にとっても一番つらいことだったんですよ
00:53:14しかし
00:53:15ここでの空産を補給に入れてしまうと
00:53:19運動そのものの先も見えないということで
00:53:24星さんが暮らす上和田地区です
00:53:28ここにはまだ空中散布が行われていませんでした
00:53:40なんとかこの地区だけでも空中散布を防ぐことはできないかと
00:53:46星さんはある提案を行います
00:53:52入ってからそれを廃墟するとはかなりとし難の技だから
00:53:56こっちが先手を打って構成に転ずるというか
00:54:01入れないために一般の農家に普及技術として
00:54:06低農薬有機米作りを推進するということは
00:54:09むしろ有効な方法なんじゃないかなというふうに思っているわけです
00:54:13これは除草剤が1回ぐらいはやむを得ないと
00:54:17ただ農薬散布は一切しないというような体系でやれないものがあって
00:54:21そういう模索を始めているわけです
00:54:24とにかくそれに酸化していくという人が増えてくれば
00:54:27そこにヘリというのはほとんど入り込めないという人のガードになるということは確かなと思うんだ
00:54:33星さんの提案は1回だけ漁素材の使用を認めるという
00:54:43原農薬の米作りでした
00:54:45有機農業に参加する農家の裾野を広げていこうとしたのです
00:54:53雪の業が広がっていかないやっぱり一番のネックにあるのは除草なんですね
00:55:05四つん這いで手で草を取るという作業を
00:55:10一年で何回もやっていくというのは
00:55:13よほどの強い石の力が伴わないと現代社会では不可能に近いんですね
00:55:23そうであればそのハードルをぐっとその助走の面で下げていけば
00:55:28取り組める農家というのは随分増えるはずだというふうに思ったわけです
00:55:34こうして昭和61年冬
00:55:39原農薬の米作りを推進する
00:55:42上和田有機米生産組合が設立されます
00:55:46参加したのは73個
00:55:51組合設立によって上和田地区への空中散布は阻止することができました
00:55:57組合にはこの地域で専業農家として生きていきたいと願う
00:56:0420代の後継者が多く参加しました
00:56:07当時28歳の遠藤五一さん
00:56:14農家の一人息子でしたが
00:56:17東北電力から入社の誘いを受け
00:56:20気持ちは揺らいでいました
00:56:22いや悩みましたね
00:56:25私それ返答するまでね
00:56:273ヶ月4月に言われて
00:56:30しっかり返答したのが9月頃でしたか
00:56:34半年近くに悩みました
00:56:40どうしようかと
00:56:42片方は有機米結成するので
00:56:45参加しないかという話も来ていた
00:56:49片方ではこっちは安定しているし
00:56:53純公務員のような仕事でしたので
00:56:56給料も高かったので
00:56:58こっちに行かないかという声がけだったものですから
00:57:02半年近く悩みました
00:57:04悩みに悩みました
00:57:06結局遠藤さんは専業農家として生きる道を選びました
00:57:14結局今までの農業とは全然違う
00:57:22180度は違わなくても
00:57:2590度は違っていたわけですよね
00:57:27やり方がね
00:57:28ですからその部分に関しては
00:57:31密集じゃないですか
00:57:34今までやってきたことない部分ですから
00:57:37そういったものに関しては
00:57:38引かれる部分はあったと思います
00:57:3910年前
00:57:44無農薬米作りに挫折した
00:57:46二宮隆一さんも参加しました
00:57:49二宮さんは
00:57:52それまで近代農法に取り組んできましたが
00:57:55限界に突き当たっていたのです
00:57:58基盤整備が遅れた上和田地区では
00:58:05昔ながらの曲がりくねった小さな田んぼが
00:58:09数多く残っていました
00:58:10大型機械による近代農法には
00:58:16歴していなかったのです
00:58:17こういう傾斜地を抱えているような
00:58:23山間地においては
00:58:24規模拡大もままならない
00:58:26あるいは機械化についても
00:58:28なかなか難しいということがあって
00:58:30そういう流れには
00:58:32おそらくついていけなくなるだろう
00:58:34という心配と不安が
00:58:38常にあったわけで
00:58:39そういった流れでない
00:58:41別な形でこの地域の農業を守る方法はないか
00:58:45というようなことを考える中で
00:58:49さっき話した新たな取り組みを地域でやろうという誘いは
00:58:56非常に賛同できたことですね
00:59:00里山の自然に抱かれた神和田地区
00:59:06山から流れ出す
00:59:13ミネラル豊富な水で
00:59:15おいしい米が育ちます
00:59:18里山の自然を生かして
00:59:29安全でおいしい
00:59:30付加価値の高い米作りを目指したのです
00:59:34独自の有機質肥料も開発しました
00:59:40会員の田んぼはすべてこの肥料によって
00:59:47土壌を改良していきました
00:59:49頻繁に技術研修も行いました
01:00:00組合員全員が統一した栽培方法で稲を育て
01:00:08品質にばらつきが出ないようにしたのです
01:00:11神和田有機米としてブランド化を目指していきます
01:00:17その個人個人の差をなくすために
01:00:21どういった生産努力をするかというのが
01:00:24かなりポイントでした
01:00:26それをやっぱりするには
01:00:29やっぱり意識の統一
01:00:31投入主題の統一
01:00:33そういったものが非常に
01:00:37強固にやってきましたよね
01:00:39それを目指さないと
01:00:42やはり同じ組合の中でも
01:00:45あの人の方がおいしかった
01:00:46この人はダメだったという
01:00:47そういうような言葉になっちゃうわけですよ
01:00:49それをやはり最小限にするためには
01:00:53やはり生産者一人一人の
01:00:55自覚をやはり持っていただいて
01:00:59生産にやっぱり勤しんでもらうというのが
01:01:02非常に重要でしたね
01:01:04お米はやっぱり土壌が変わらないと
01:01:07お米は変わらないとよく言われますけれども
01:01:09その前に人間の考えが変わらないと
01:01:13土壌は変わっていかないんですよ
01:01:14生産しているその人のものの考えが
01:01:20変わらない限りですね
01:01:24土壌は変わらない
01:01:25日本一おいしい米を目指して
01:01:31遠藤さんたちは悪なき探求を続けました
01:01:35発芽前の種もみを水につける浸水についても
01:01:43条件を変えて実験を繰り返しました
01:01:46我々が何年かやっているうちに
01:01:55この浸水時間を長くすれば長くするほど
01:02:00そしてまた低温にすればするほど
01:02:02顕微な苗ができるというのは
01:02:04近年分かってきたことです
01:02:06冷たい雪解け水に20日間つけることで
01:02:12これまでより丈夫な苗に育つことが分かりました
01:02:15体肥は微生物によって発酵し
01:02:3260度もの熱を発します
01:02:34牛の糞ともみ殻を混ぜ合わせて作る
01:02:45有機質に富んだ独自の堆肥です
01:02:48遠藤さんはこの堆肥を秋にまき
01:02:55半年間寝かせて豊かな土壌を作り出してきました
01:02:59米の美味しさを競う
01:03:15全国米食味分析鑑定コンクール
01:03:18上和田有機米生産組合は
01:03:22平成14年から出品しています
01:03:25米の美味しさの指標である香りや粘りなどを
01:03:32米のソムリエと呼ばれる鑑定士たちが審査します
01:03:36遠藤さんはこのコンクールで
01:03:474年連続金賞を受賞しました
01:03:50評判は全国に広まり
01:03:53上和田有機米生産組合の米は
01:03:56通常の3倍の価格で取引されています
01:04:00日本一美味しい有機米として
01:04:09ブランド化に成功した高畑
01:04:11しかし農家の後継者不足が
01:04:16ここでも深刻になってきています
01:04:19担い手がいない工作放棄地が広がっているのです
01:04:25特に基盤整備が遅れた
01:04:29上和田地区などで放棄地が増えています
01:04:32遠藤剛一さんたち
01:04:37高畑町の農業委員が
01:04:39実態調査を続けています
01:04:41高校さん入ってくるんじゃな
01:04:45トラクター入ってこらんじゃん
01:04:46やっぱり道路のないところには
01:04:49大金機械入らんにはね
01:04:51結局は
01:04:52土砂のつまには
01:04:53手をつけられないという状況なのだよね
01:04:56人の田んぼ来ねえで
01:04:58来れないでしょ
01:04:58工作放棄地を引き受ける担い手はいないのか
01:05:04町では5年前から対策に取り組んできましたが
01:05:08なかなか成果は上がりません
01:05:10地表部の草刈りのみでは
01:05:15作物の栽培が不可能な状態の農地
01:05:18そこを中心に見ていただいて
01:05:22今高畑町で工作放棄地は
01:05:27農地の5%に及んでいます
01:05:29農家の後継者不足を
01:05:37すでに30年前に予測し
01:05:39その対策に乗り出した地区があります
01:05:41平野部にある
01:05:43大園塚地区です
01:05:46その中心となったのが
01:05:53山口俊博さん
01:05:5454歳です
01:05:5723歳で農家の後を継いだ山口さん
01:06:02近所の農家から
01:06:06米作りをやめたいから
01:06:08代わりに田んぼを耕してほしいと
01:06:11頼まれたといいます
01:06:13やっぱり一番感じたのは
01:06:23やっぱりその時からも高齢化が始まってまして
01:06:27後継者はいたんですけども
01:06:28やはりもう勤めになってますので
01:06:31結局兼業
01:06:33第二種兼業農家なわけですよ
01:06:35そうしますとどうしても
01:06:38なかなか土日しか
01:06:40昔は日曜日しか休みじゃなかったので
01:06:44なかなかその休みが取れなくて
01:06:46やはり高齢化の人が
01:06:49高齢の方が結局産業しているという状況が
01:06:52やっぱり目に深く見ますね
01:06:53山口さんは自分が暮らす
01:06:58細野塚地区の将来を予測したいと
01:07:02地区の農家にアンケートを行いました
01:07:04その結果は予想をはるかに超えていました
01:07:09集落の32個の農家のうち
01:07:16後継者がいないと答えた農家は27個
01:07:20全体の85%近くもあったのです
01:07:24このアンケートに答えた田中栄さん
01:07:3175歳
01:07:32そして息子の雄一さん
01:07:3550歳
01:07:36父親の栄さんは息子に
01:07:39後を継いでほしいとは思いませんでした
01:07:42なかなか米だけでは農家だけでは
01:07:48この都市では将来正規立てるのが大変だと
01:07:54とにかく日に入りというか
01:07:56毎日金入る
01:07:57住むことをしなければ
01:07:59農家だけではダメだという
01:08:01とにかく息子は
01:08:03後継者というよりも
01:08:07後継にならないのも
01:08:08農家をさせようとは自分から思わなかった
01:08:13農家辞めろとは言ってたんですか?
01:08:14辞めろとは言ってない
01:08:16でも続けるとも言ってない
01:08:17続けるとも言ってない
01:08:19ですね
01:08:21先祖から残してください
01:08:23土地はもう絶対話してダメだ
01:08:26何もとあっても
01:08:28土地があれば生きてけれる
01:08:31という頭があったな
01:08:34古い頭という考えが
01:08:37なるほど 土地に対する執着はあったけど農業に対する執着はなかったっていう言い方ですかね農業に対してそんなに正直期待は持てないもう僕らね会社に入っておるっていうのはそんなに明るい未来が待ってるっていう感じではなかったので農業に対してね
01:08:59古関邦夫さん65歳父親が農協から言われるままに購入した農業機械の借金に苦しんでいたといいます
01:09:15まあ やはりどんぶりっていうのかなそういう農協さんが土地とか家屋とかを低等に裏を持ってるからいや小関さんまだ大丈夫ですよまだ大丈夫ですよっていうことで何年も過ごしきたわけですよ
01:09:35自分がその親父が倒いた時にきついた時にはうん千万の借金になってるんですよで農協さんに行って言ったことあるんですよその営農指導の時に行ってなぜこんなにうちの方の一千万も借金賜ることまでにその以前事前にねもっと前にそういった指導ってなかったんですかっていうことを言ったことあるんですよ
01:09:57うんうんそしたらその農協さんの言うことにはその担当者がもういやその昔その担当もこうコロコロ変わるわけですよその農協さんの人生ってだからいや当時は私と関係しなかったですからとかなんとかっていうのは言い農めされちゃってまあとにかく農業に対しての魅力っちゅうかなそういうの感じなかったですよね
01:10:25苦しいっちゅうか毎日毎日毎日日々のその追われるっちゅうか
01:10:31農家が米作りをやめていく一番の原因は米の値段が安いことにあります
01:10:41特に平成7年1995年食料管理制度が廃止されてからは米価は市場原理に左右されるようになり今では40年前の米の値段よりも安くなってしまいました
01:10:57このままいけばやはり農家自体が全部衰退してしまってダメだなとやっぱり後継者も出てこないこのままでいけばもう全部の農家がもう沈んじゃうと
01:11:16山口さんは当初工作を頼まれた田んぼを個人で受け負っていました
01:11:24しかし依頼者が増え一人では受け負いきれなくなっていきました
01:11:30会社組織なら大園塚地区全体の農地を受け負うことができるはずだ
01:11:39そう考えた山口さんは友人の専業農家と一緒に株式会社を立ち上げたのです
01:11:47ファーム大園塚です
01:11:50今までの接種生じゃないですけども自分の息子に自分の土地を預けて農家を継いでもらうという風なことを
01:12:00今までやってきたくて長年とやってきたんですけども
01:12:03結局それですともしも課長が病気とかもしも悪くすれば亡くなったとなれば
01:12:11結局お借りしていた土地を全部もう一回返さなくちゃならない
01:12:16現実にそういう事例も見てますけども
01:12:19結局それですとこの農家でいくら頑張ってもやっぱり農家ができない状態ができると
01:12:28最悪の状態で農家が続けていけないという風な感じになるのではダメだということで
01:12:35やはりこの集落の土地を有効活用していくにはやっぱり法人をして
01:12:41しっかり次の世代に農業を継いでもらいたいと
01:12:46稲作経営を継いでもらいたいという方針がありまして
01:12:49やはり逆に後継者は優秀な人間があればしっかりできると思いますので
01:12:55株式会社ファームお園塚を設立して農業を辞めていく人の田んぼを受け負うことにした
01:13:06山口さんと友人の市川さん
01:13:09しかしそれを実現するためには大きな課題がありました
01:13:14それぞれの農家の田んぼはあちこちに分散していました
01:13:22しかも小さな田んぼばかりで作業効率が悪かったのです
01:13:28効率的な作業ができるようにみんなの田んぼをまとめて広くしたい
01:13:37集落の農家と時間をかけて話し合いました
01:13:44さらにデータを集め将来像を描きました
01:13:51みんなが納得するまで6年間という時間をかけました
01:13:57集落全体が合意した後土地改良事業を始めます
01:14:10工事は5年もの歳月を要しました
01:14:13やっぱり50年60年以上の水田園をちゃんと確立していく上では
01:14:23しっかりとした農場にしなくちゃならないということで
01:14:28いち早く集落の中で相談をしながら
01:14:32やっぱりみんなが得意をするような方向性を
01:14:36ちゃんと見出してやるということがやっぱり大切だなと思いますね
01:14:40土地の所有権は分散していましたが
01:14:46将来性があるとみんなが納得し
01:14:49農地の再配分が行われました
01:14:516枚から13枚の小さな田んぼを1枚にまとめたのです
01:14:581枚の田んぼを1ヘクタールに広げることで
01:15:0425%のコストダウンを実現しました
01:15:07大園塚地区64ヘクタールの農地のうち
01:15:133分の2の40ヘクタールを
01:15:16ファーム大園塚が受け負っています
01:15:19山口さんは土づくりも大切にしています
01:15:26すべての田んぼに大肥をまき
01:15:30その半分で原農薬米を作っています
01:15:34高畑の有機農業の伝統を受け継いだのです
01:15:40やはりおいしいお米を作るには
01:15:50やっぱり土が越えてないとダメなんですね
01:15:54それが土が越えてないですから
01:15:56かがき漁をいっぱい投入していくんですけど
01:15:59やっぱりかがき漁をやるってことは
01:16:02逆にコストも上がりますし
01:16:03やはりこれは私たちがいらなくなった
01:16:07稲藁とかぬかとかをやって
01:16:10それを対比になっていただくってことで
01:16:14結局その分コストがかからない
01:16:17っていうことになりますので
01:16:18ファーム大園塚の正社員は4人
01:16:25普段の農作業は土地を貸している
01:16:29元農家の人たちを自給で雇って
01:16:32手伝ってもらっています
01:16:33その多くは農業経験豊富な
01:16:37地元の主婦たちです
01:16:39住民が一丸となった農業経営が
01:16:46全国に先駆けて動き出しました
01:16:48利益追求だけではないですね
01:16:53やはりこの土地を守っていくということもありますし
01:16:57やっぱり農業を守っていくということもあります
01:17:00やはり土地をお借りしている方を優先的に
01:17:04私たちは考えていました
01:17:05なるべく戸作料を秋に押し払いするわけですけども
01:17:12それプラス自分が労働した賃金がいただければ
01:17:16ただ貸しただけじゃなくて
01:17:20地域の営農に少しでも携わってもらえる場合だということで
01:17:24見守ってほしいという考えもありますので
01:17:27やっぱり地域にいくらでも貢献したいなと思っています
01:17:3111月末
01:17:36大園塚地区の人たちが
01:17:38収穫が終わったことを祝いました
01:17:41今ファーム大園塚に
01:17:46米作りを委託している元農家は28人です
01:17:50会社になったのでやっぱり働けば
01:17:54そしたら日当でもらえるし
01:17:57いいですね
01:17:59なかなかこの年になると
01:18:04独立は勤めもできないので
01:18:06いいかなと思って元気でいれば
01:18:10地域の会社というか
01:18:16信用もあるし
01:18:18そういうことで
01:18:20安心して委託に任せて
01:18:26自分の田んぼを作っていただけるということで
01:18:30本当に幸せだなというふうに思っています
01:18:33米作りを株式会社に任せても地域の農業は守っていきたい
01:18:50村で生まれ育った人たちの思いです
01:18:55耕作法基地の増加
01:19:07そして後継者不足
01:19:09この問題は高畑だけでなく
01:19:12全国の農村に広がっています
01:19:15国も2年前新たな政策を打ち出しました
01:19:19若い農業後継者を支援し
01:19:24担い手のない農地を集積していこうというのです
01:19:27新たな政策の説明会が高畑の各地区で開かれています
01:19:50人・農地プランです
01:19:53地域で話し合い将来に向けたプランをまとめるよう求めています
01:19:59実現すれば国からの補助金が支給されます
01:20:06冒頭に人の内プランというのはこういうものだというふうなことを伝えましたけれども
01:20:13これを作る作業を経った上で
01:20:16誰がこの地域を支えていく農業者なのか
01:20:20辞めざるを得ないというふうに考えている方がどれだけいるのか
01:20:23というところをやはり形にすると
01:20:26この地域はどういったところを目指していこうかとか
01:20:29そういった話し合いをさせていただきます
01:20:32このプランよ何をやろうとしているのか
01:20:36意図が全然見えねえよな
01:20:38僕はブラックサーバー当てはまんねえことなもんだから
01:20:41みんな切ったって
01:20:43何か何をやろうとしているのか全然分からんねえよな
01:20:47やっぱりほら農業政策というのは
01:20:49コロッコロと変わるもんだから
01:20:51それに振り回さって
01:20:53それを後継者がいればプラン続いていめえんのか
01:20:59今現在こうして
01:21:00俺たん年寄りこうしてやっていて
01:21:01こうしてプラン作ったって
01:21:03後継者がいれば何に何にめえんのか
01:21:06出てきた時どうしますか
01:21:08ん?
01:21:08出てきた時どうしますか
01:21:10誰が
01:21:10分からないですか
01:21:11横側大会社のお店が
01:21:13お店入ってくれよな
01:21:14社員のお店がやりたい
01:21:15お店がいらした場合に
01:21:16そういう時に
01:21:19仮面に作っておる
01:21:20その人入ってくんなでにくって
01:21:22現犬よ
01:21:25あのよ
01:21:26本当はマーズがてる
01:21:27俺たちよ
01:21:28現犬の農家で育ててきてるな
01:21:31よその人がありにくれ
01:21:33こうさよ
01:21:35今先祖誰がザーッといるわけやべしだ
01:21:38その人がザーッといるわけで
01:21:40その人がいにくって
01:21:41他の宿泊して100種する
01:21:43バカな人に逃げてた
01:21:44結局この地区には
01:21:48将来の担い手が現れず
01:21:51このプランに参加できませんでした
01:21:53今グローバル化の荒波が
01:22:01日本の農業を直撃しようとしています
01:22:04TPP
01:22:06韓太平洋パートナーシップ協定への参加です
01:22:09日本の食糧基地として
01:22:13しっかりと貢献してきた地域でございます
01:22:16そこが一体どうなってしまうのかという
01:22:19本当にまさに
01:22:22キロに立っている時ではないかという風に
01:22:24思っているところでございます
01:22:26去年11月
01:22:29山形県では1700人が参加した
01:22:32TPP反対大集会が行われました
01:22:36頑張ろう
01:22:38頑張ろう
01:22:41頑張ろう
01:22:4310月には40年間続いてきた
01:22:49米の減炭の廃止を
01:22:52政府は打ち出しました
01:22:53補助金による保護政策を見直し
01:22:59競争を促そうというのです
01:23:01株式会社を立ち上げ
01:23:08効率的な稲作を進めてきた山口さん
01:23:12商社にとって手頃な価格で
01:23:16美味しい米を販売する努力を続けてきました
01:23:19しかし
01:23:23減炭廃止となれば
01:23:25米価がさらに下落し
01:23:27それも行き詰まるのではないかと
01:23:29危惧しています
01:23:30やはり需要と供給のバランスが
01:23:37うまく取れるのかどうかということだと思います
01:23:39それによって供給の方が多くなれば
01:23:42絶対米価が暴落して
01:23:44採算が合わないような米価になれば
01:23:47本当に
01:23:49いくら法人したり
01:23:51集落営農にしたとしても
01:23:53やはりやっていけるのかどうかということが
01:23:57すごく不安ですね
01:23:59どこまでが限界コストを下げて
01:24:03どれだけの米価でだと生き残められるのか
01:24:06ということなんですけれども
01:24:06実際それが先が見えないということであれば
01:24:12これからの地元でやっているのが
01:24:16だんだん少なくなるんじゃないかということで
01:24:19私は地域経済というか地域社会が少しずつ崩れてくるんではないかと思っています
01:24:25上原有機米生産組合も今
01:24:32悩みを抱えています
01:24:34有機農業が全国で広まり
01:24:37産地間競争が激しくなっているのです
01:24:40去年
01:24:46遠藤五一さんの長男
01:24:48雄一さんが
01:24:49会社を辞めて後継ぎになりました
01:24:52しかし
01:24:55喜んでばかりはいられません
01:24:57息子の将来を考えると
01:25:0020年
01:25:0130年先が心配です
01:25:03遠藤さんたち
01:25:08上原有機米生産組合では
01:25:10TPP参加をにらんで
01:25:13中国への輸出へと動きました
01:25:15中国の富裕像に
01:25:19完全無農薬米を
01:25:215キロ1万円ほどで販売を始めました
01:25:25今TPPで
01:25:28まだ決定はしておりませんけれども
01:25:31今後TPPは少なからず
01:25:33も多からずも
01:25:34影響はあるというふうに
01:25:36呼んでいます
01:25:37そうしますと
01:25:38TPPが今度入ってきた場合
01:25:41国内のみならず
01:25:44向こうから入ってくるんだったら
01:25:46こっちだとやっぱり
01:25:48県民諸国にやっぱり
01:25:51販売してもいいというふうに
01:25:53今考えております
01:25:54その準備も
01:25:56少しずつしているところです
01:25:58やはりどうしても
01:26:01国内が飽和状態であるならば
01:26:03TPPが目指すところの
01:26:05要するに
01:26:06加盟
01:26:08各国の中で
01:26:11お米を主食としているような
01:26:13状況の国に関しては
01:26:15当然向こうから来るんだったら
01:26:17こっちからも乗り出していこうという
01:26:19考えになるべきだと思いますよね
01:26:2240年前に始まった
01:26:31高畑の有機農業
01:26:33都市の消費者との提携は
01:26:38今も続いています
01:26:39経済効率だけに左右されない
01:26:46自立する農業を目指して
01:26:48独自の道を歩んできた
01:26:50星幹事さん
01:26:51今までの農政の転換とか
01:26:57あるいは様々な坂道を
01:27:03それなりに乗り越えできたという
01:27:05自負はあるんですけども
01:27:06今度のTPPの大津波は
01:27:10そう安々と乗り越えられるような
01:27:12生安しいものではない
01:27:14いたするとやっぱり
01:27:15日本農業と地域社会が
01:27:17足元から崩壊していく
01:27:19飲まれてしまうというような
01:27:21そういう危機感をはらんだ
01:27:23歴史的な場面だなというふうに
01:27:26思っています
01:27:26ただ40年有機農業運動を
01:27:30ずっと実践してきて
01:27:31これからもその延長で
01:27:34位置方を考えている私たちとしたら
01:27:36やっぱり壁に一旦ぶつかったとは言えながら
01:27:43経営系を基本としながら
01:27:46新たな関係を作り出していって
01:27:48そこにカトロールを生み出す
01:27:49方法がないのではないかなと思います
01:27:52戦後いくたの苦難に直面しながらも
01:27:59高畑の農民たちは
01:28:00日本の米作りを守り続けてきました
01:28:04それは地域の人々のつながりや
01:28:10里山が育く村の姿を
01:28:13次の世代に伝えようとする
01:28:16試みでもありました
01:28:18今その歩みは
01:28:23大きな岐路に立たされています
01:28:26ご視聴ありがとうございました
01:28:56ご視聴ありがとうございました
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