かつて貧困にあえいでいた青森県下北半島。多くの若者が集団就職で村を離れた。1970年代「むつ小川原開発」による工場誘致にも失敗。原子力船むつの受け入れをめぐり激しく揺れた。そして1980年代、六ヶ所村は村を二分する葛藤の末、核燃料サイクル基地を誘致。村の経済は原子力産業に大きく依存するようになった。いまや日本有数の原子力産業集積地へと変貌した下北半島の戦後史を浜に生きてきた人々の証言から見つめる。
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ニューストランスクリプション
00:00:00本州の最北端 青森県の下北半島
00:00:15そこに暮らしてきた人たちの歴史を 一人芝居で演じ続けている人がいます
00:00:21グアンテイユーザーこと松橋雄三さん
00:00:30昭和21年生まれの67歳です
00:00:35埃をなくした時から埃があふれ この村も死ぬ
00:00:41海でしか生まれず 海でしか育たず 海でしか死なず
00:00:45海にしか葬られたくない 気高き海の戦士
00:00:49そんな男なんて ここにはもういないんだよね
00:00:56松橋さんが生まれたのは 津軽海峡に面した六市浜関根
00:01:04海にへばりつくようにして 100個ほどが暮らす静かな漁村です
00:01:10松橋さんは網元の家に 8人兄弟の五男として生まれました
00:01:19物心ついた昭和20年代 浜関根では定置網漁が軌道に乗り始めていました
00:01:26鮭やイカ ブリなどの水揚げに浜は沸いていました
00:01:33正月はすごかったですよ
00:01:38うちには正月3月に 村の人が朝から晩まで
00:01:44入れ替わり 立ち替わり 年賀が来るんです
00:01:52それでもしこったまわりがパラってね
00:01:56面白かったですよ
00:01:59下北辺では ほら ゴンボホルって言うんですけども
00:02:04酒飲んで 言うこと聞かなくなってしまう
00:02:08それで言うこと聞かなくなってしまって ほとほと困ると
00:02:13女房を呼びに行って
00:02:15女房が来て 何してるのって言うと ヒャッとなってね
00:02:18女房の言うことだけは聞くというのが いっぱい子供の時は見たことありませんね
00:02:26だから はっきり言って 六つ問題が来るまでは
00:02:32あの浜関根っていうのは 人間関係も豊かな
00:02:38人それぞれが 優しい人々の集まりだったんですね
00:02:46昭和44年 花々しく浸水したムツは 日本で最初の原子力船でした
00:03:04夢の船と呼ばれ 国民の大きな期待を集めていました
00:03:09しかし 母港となったムツ市大港では
00:03:15海の汚染を恐れる漁民の 激しい反発にさらされます
00:03:20反対を押して出港を強行したものの
00:03:245日目に 放射線漏れ事故を起こしたムツは
00:03:27日本中の港から入港を拒否され 彷徨える船となってしまいます
00:03:33そのムツを受け入れるよう 求められたのが浜関根でした
00:03:40放射線漏れ事故から7年
00:03:43地元の人たちには 寝耳に水の話でした
00:03:49静かだった浜は 賛成と反対とに引き裂かれていきます
00:03:54下北半島の付け根に位置する六ヶ所村
00:04:06昭和59年 核燃料サイクル施設の 建設話が持ち上がりました
00:04:12全国の原子力発電所から出る 使用済み核燃料をリサイクル
00:04:20再び燃料として使えるようにする 再処理工場など
00:04:25この施設を受け入れるのかどうか
00:04:28村では幾度となく 激しい対立が繰り返されました
00:04:36村の人たちの冬の場を作って 村の幸福度を上げるというのかなと思ったのが
00:04:48逆に地域を賛成判定に分けて
00:04:52地域の人たちが揺られているような構図が 垣間見たからね
00:04:58これちょっとつまうんじゃないかなと思ってね
00:05:00開発という名の下で 地域が揺れていると
00:05:05それが意外になっていると
00:05:07その一方で 貧しかった六カ所村は
00:05:12今 全国でも有数の財政力豊かな 自治体に生まれ変わっています
00:05:19日本の戦後を地方から見つめるシリーズ
00:05:43日本人は何を目指してきたのか 第7回
00:05:49苦悩の末に原子力との共存の道を選び取っていった 下北半島の人たちの記録です
00:05:57ご視聴ありがとうございました
00:06:13下北半島の太平洋側から津軽海峡にかけては
00:06:32北からの親潮と南から来る黒潮がぶつかり合う
00:06:37全国でも有数の工業場です
00:06:39多くの人たちが海の恵みで暮らしを立ててきました
00:06:45六ヶ所村とまりは人口およそ3000
00:06:54昔からイカ漁が盛んなところです
00:07:01昭和30年代までは前浜でイカが海から湧くように採れたといいます
00:07:07戦後間もなくまで行われていたイカ漁の方法を
00:07:1585歳の高梨智次郎さんが教えてくれました
00:07:19イカ漁が水面で髪を敷いたくないといいます
00:07:27ここからは自分が座っているから
00:07:29昔はイカの水面で髪を敷いたことができました
00:07:35髪を敷いたことができました
00:07:39イカの水面で髪を敷いたことができました
00:07:43そこから上がってきました
00:07:45イカが水面で髪を敷いたくない
00:07:49髪を敷いたくない
00:07:50厚く
00:07:51厚く
00:07:52そこから上がってきました
00:07:54そこをあずく上がってきたイカは
00:07:57この羽兎であるわけだ
00:07:59座っている
00:08:01座っているから
00:08:02こっち側上げるところで
00:08:03さっと半分になって
00:08:05半分になって
00:08:06おにさかに
00:08:07羽兎であるわけだ
00:08:08そしたら、腹4本ずらうんだから、頭白の目のイカを削るんだから、もうもずもずつくわけだ。
00:08:16そしたら、もうこうやって、こう上げて、シミから上げて、こっちは手、こうつかんでるわけだ。
00:08:24このハニゴをつかんで、ハニゴをつかんだ準備作業で、イカが腹持ってきて、こっちはイカがぶら下がってるところで、こうやって判断してるわけだ。
00:08:34こっちはもうこうやって。
00:08:36両方向こうやって。こうパンとやったり、こうやったり、こうやったり、いろいろ手段、手の運転してる。
00:08:45だから、この運転の、これ使う運転のつきの人が、3000ペルでとっても、これ、倒産の人分、手を削い人は、ご紹介もといないわけだ。
00:09:01昭和40年の泊りを記録したNHKの番組です。
00:09:05この頃は、まだ港が整備されていませんでした。
00:09:12浜から船を出すのは、家族が総出で、1時間がかりの仕事でした。
00:09:21少しでも海が荒れれば、船を出せなかったといいます。
00:09:30高梨智次郎さんは、この前年、昭和39年に船を新造、15歳の息子、瀬尾さんとともに、寮に出ていました。
00:09:42当時の寮は、手巻き式のイカ釣り機を使うようになっていました。
00:09:51羽子を使っていた頃に比べれば、漁獲効率は段違いです。
00:09:57しかし、寮には依然として人手が必要でした。
00:10:01泊りでは、男の子は中学生になると、夜のイカ寮に出ました。
00:10:07中学生が働かなければ、生活が成り立たなかったのです。
00:10:13今、高梨さん一家の友江丸は、大型化して、自動イカ釣り機を備えた船に生まれ変わっています。
00:10:2963歳になった高梨智次郎さんは、イカ漁を続けていました。
00:10:36中学校時代は、成績が抜群で、学年でも指折りの秀才だったという瀬尾さん。
00:11:05しかし、高校に進学しようとは思わなかったといいます。
00:11:20漁師を続けながら文学書を紐解き、独学で法律やマルクス主義を学びました。
00:11:27これよりの配偶は具材だ。
00:11:34おーっと、これ、えっと。
00:11:36インチューやスイマが逃げて、イカの隅というのは、昼イカに生きてれば、鈍たくても、イカの隅にじゅっと深げれば、鈍気が冷めるという意味の話。
00:11:54そうですし、はっきり言って、ご飯が出てくるか出てこないのが問題なんですよ。
00:12:04そんなシビアな時代だったからね
00:12:09食べに食えずか食えないかの
00:12:11頭に何を入れようがかにより俺にはお仏感もないし
00:12:18明日食う米ある方がずっとずっと言う義務だったね
00:12:29国立競技場に世界94カ国5500人の選手が集まりました
00:12:38近代オリンピック史上最大の規模を持つ東京大会の開幕です
00:12:44高梨さん一家が船を新造した昭和39年
00:12:491964年の日本は東京オリンピックの興奮に包まれていました
00:12:54高度経済成長の真っ只中でした
00:12:59しかしその恩恵が下北半島の人々に及ぶことはありませんでした
00:13:06岡山勝博さんは東京オリンピックの年15歳
00:13:12父と共に農地の開墾に追われていました
00:13:16こっちを人間が持って馬が向こうにいて
00:13:20これでぐるぐるぐる回って畑を起こす
00:13:23だから7丁分くらいの畑は中学時代は自分がほとんどやったんです
00:13:29開拓の時に
00:13:31畑を探さなければ私は作物を売れないじゃないですか
00:13:36昭和33年に始まった国営パイロットファーム開拓事業です
00:13:51気候が厳しく例外に悩まされ続けてきた下北半島に
00:13:56畜産を導入しようというものでした
00:13:58今まで言う文書建て売り牧場代
00:14:053分の2が牛舎下が牛が入って
00:14:08上が牧草地と牧草牧の間奏が
00:14:103分の1が家族が入ってやった
00:14:12何等ぐらい飼えば生活が成り立つという説明だったんですかね
00:14:17だってあの牛舎に全部入っても6等ぐらいしか入らなかったから
00:14:21牛だけでは飯食えないのさ
00:14:24水が生活用水が渋滞の宿舎というか渋滞のところから
00:14:30300円みたいにずっと入った沢
00:14:32そこから一斗缶で天秤坊でこうやって数えてくる
00:14:37でまあ亀になる
00:14:38風呂は1週間に1回ドラム缶の風呂で
00:14:411週間に1回しか入れない
00:14:42だからまあ異性的にはそうとか
00:14:44劣悪だったと思うんだけども
00:14:47今考えれば劣悪
00:14:48当時はそれであざいめだなさ
00:14:50朝牛舎の踏んだしをして
00:14:54ちちしろって踏んだしをして
00:14:56学校に行く時にはついた牛の踏んを吹いて
00:15:00で学校に行く
00:15:01着替えないんですか
00:15:03ねえんだもん
00:15:04で修学力をだけ生かしてもらったんだけど
00:15:07着替えのバイシャツがない
00:15:09だから何が気が当たるんだ
00:15:12夜洗ってこう叩いて
00:15:14シワの場し叩いて干して
00:15:16まだ次の日ちゅるっていう
00:15:18でも修学力は生かしてもらった
00:15:20昭和44年
00:15:26経団連首脳が下北半島を空から視察
00:15:31高度経済成長から取り残されたように見えた
00:15:35下北半島に巨大開発の計画が浮上しました
00:15:39国の新全国総合開発の一環として
00:15:45青森県は6カ所村を中心とした地域に
00:15:49一大工業基地を建設することを決めたのです
00:15:53武津小川原開発計画です
00:16:00地下が安く
00:16:04水資源が豊富な下北半島に
00:16:07石油コンビナートや鉄鋼など
00:16:09重工長代型産業を立地させることを
00:16:12歌っています
00:16:13年間工業生産額5兆円
00:16:1910万人以上が働くとされていました
00:16:226カ所村となりで新聞販売店を経営する松下志美男さんは
00:16:40中学校の社会科の事業で
00:16:43武津小川原開発計画の話を聞かされたといいます
00:16:46開発が来るよと
00:16:51こういうふうな大きな石油コンビナートの
00:16:56将来的な20万年のような大きな開発だよと
00:17:00だからそのとも雇用の場もあるだろうと
00:17:04うつの土球生が140ちょっとあるけども
00:17:10高校に行ったのが男女合わせて
00:17:1210年いるかな
00:17:1610年3年かな
00:17:19あとはもう漁業館就職ですよね
00:17:24集団就職か
00:17:26青森から青森県の就職
00:17:28そして集団全部一緒に
00:17:30容疑者で行ったから
00:17:33上野それから東海道線通って
00:17:36名古屋
00:17:37宝石会社だとかいろんな会社のね
00:17:40一つがまとめて
00:17:42行ったからうつらが最後じゃないかな
00:17:44集団就職
00:17:46列車を育てたというのはね
00:17:57じゃあその開発がどうなるかみたいなのも
00:18:00愛知県から気にしてたっていう
00:18:02もうしょっちゅうね
00:18:04テレビ新聞とね
00:18:06録画書の開発がもう話題でね
00:18:08いろんなのが入ってますからね
00:18:10ずっとふるさと録画書が
00:18:12開発することによって
00:18:14いろんなね
00:18:16雇用の場ができるということがね
00:18:18いつもとにか注目したところだからね
00:18:20雇用の場ができれば
00:18:22手稼ぎさなくてもいいです
00:18:24家族みんなで暮らせるから
00:18:26家族でバラバラに暮らせる人ってのは
00:18:30もうほとんどだからね
00:18:32ぽんと正月ぐらいしか
00:18:34家族が揃わないから
00:18:36みんなやっぱりね
00:18:38通年でね
00:18:39家族で生活できる
00:18:41そういうところがね
00:18:42雇用の場があれば
00:18:44それができるでしょう
00:18:45だから
00:18:46期待してる方もいっぱいあったんじゃないかな
00:18:50うん
00:18:52しかし開発のためには
00:18:55それまで暮らしてきた人たちを
00:18:57立ち退かせる必要があります
00:18:59公害発生の懸念もあって
00:19:02開発反対の声が高まっていきます
00:19:08反対運動の中核になっていたのが
00:19:11当時の寺下力三郎村長でした
00:19:15貧しいながらも安定した村の暮らしを守ろうと
00:19:21農家は土地を売るな
00:19:23漁師は海を売るなと訴え
00:19:26開発阻止の姿勢を貫いてきました
00:19:31何しろ
00:19:33金貨を売った相手が
00:19:35キーダンディンである
00:19:37政府である
00:19:39あるいはまあ
00:19:41信者さんでございますので
00:19:43こっちはこれは田舎役者でございますけれども
00:19:46向こうの方が貫物役者なものですから
00:19:49ご覧の国民の手前もあって
00:19:51これはまあ
00:19:53売る人があまり
00:19:57大きい方々なので
00:19:59安い買えるだけでも
00:20:01これは高く買わなければいけないと
00:20:03まあ
00:20:05その高く買うのが最後には
00:20:07たった一人になるかもしれませんけど
00:20:09これはまあ
00:20:11それらを沿って
00:20:12それでその
00:20:13見えすべきだと
00:20:15開発絶対反対の村長をよそに
00:20:20東京の不動産業者が村に乗り込み
00:20:22農地買収の規制事実が
00:20:24積み上げられていきました
00:20:30村には銀行が次々に進出
00:20:33開発予定時に住む人たちを招いての
00:20:36接待合戦が始まります
00:20:38将来土地が高く売れると見込んで
00:20:43銀行から融資を受け
00:20:45家を新築する人が相次ぎました
00:20:52岡山さんが会社を起こされたのは
00:20:5373年
00:20:54小48年
00:20:55そうです
00:20:56はい
00:20:57会社を起こそうと思われた時に
00:20:59その開発との関係というのは
00:21:01あるんですか
00:21:02ありますね
00:21:03多分今現在は
00:21:056回発売の時は
00:21:06あまり仕事もないわけだ
00:21:07まあそれで住宅
00:21:09牛舎
00:21:10小屋
00:21:11サイレリー作る
00:21:13サイロ
00:21:14ぐらいだったのね
00:21:15開発が来る
00:21:16あの頃はものすごかった
00:21:17重工長大のプラントが切れて
00:21:19そうすると地元でも
00:21:21建設の仕事が増えるよね
00:21:23で24で会社を
00:21:25株式会社にして
00:21:26自分が社長になって
00:21:27親父会長にして
00:21:28そこから今の岡山建設が始まった
00:21:30ちょうどその巨大開発で揺れてた
00:21:33真っ最中ですね
00:21:34土地が異常に上がったじゃないですか
00:21:36一旦分10万円で売りのやつが
00:21:38一旦分100万ぐらいだな
00:21:40壺3000円で売り始めたと
00:21:42豪華で
00:21:44トイレワインでも半壺だと
00:21:46風呂が一壺どころかあってね
00:21:48玄関とか今
00:21:50今4万は
00:21:52とてつも大きい不手とかあって
00:21:54あの頃はお金がみんなあるから
00:21:56競争で打ち立てたのかな
00:21:58っていう風な感覚はありますけどね
00:22:00お疑い頑張りましょう
00:22:04昭和48年
00:22:06六箇所村村村長選挙
00:22:08開発反対の寺下村長に
00:22:12開発推進を訴える
00:22:14前村議会議長の
00:22:16古川伊勢松候補が挑みました
00:22:18村を真っ二つにした激しい選挙戦
00:22:22わずか79歳の
00:22:24日本の素晴らしを成り出す
00:22:26そしてただ単なる反対を唱えて
00:22:28六箇所村の将来はどうなると思いましょうか
00:22:32この場合の状態であるならば
00:22:34若い世代の一人も
00:22:36おらない過疎な村組になることは
00:22:38発生しておると
00:22:40私は考えているのでございます
00:22:44村を真っ二つにした激しい選挙戦
00:22:48わずか79票の差で
00:22:52開発推進の古川候補が当選します
00:22:56六箇所村の人たちは
00:22:58巨大開発に村の未来を託する選択をしたのです
00:23:10しかしちょうどこの頃
00:23:12日本はオイルショックの直撃を受けていました
00:23:16重工長大型産業の衰退が始まり
00:23:20買収が終わった六尾瓦に進出しようという企業は
00:23:24現れませんでした
00:23:26高橋さんは前どちらから来られたんですか
00:23:32家族でプラグという開拓だったんですよ
00:23:34そうするとお仕事は
00:23:36お仕事は楽の
00:23:38入院が
00:23:40土地を売った保証金で家を新築した高橋徳一さん
00:23:48進出してくる企業に就職できると聞かされていました
00:23:52しかし地元に職はなく
00:23:56次第に生活が困窮していきます
00:23:5826年後の平成17年
00:24:08取材に訪れた時には
00:24:10高橋さんの自宅はなくなっていました
00:24:14総秘場作りで22畳の大広間を2つ持つ自慢の家でした
00:24:22補償金を使い果たし
00:24:36一年中で稼ぎに行くしかなかった高橋さん
00:24:40ついには家を手放すところまで追い込まれてしまいます
00:24:44ここに
00:24:50土地を売ってきた人
00:24:52やっぱり収入がない人が結構多かったんだ
00:24:54収入がない
00:24:56誰もない
00:24:58あんたあれって言ってわかるでしょ
00:25:00あるか
00:25:02ここはね
00:25:04働く場所がないということですか
00:25:06働く場所がないでしょ
00:25:08はい
00:25:09あるか
00:25:10ないでしょ
00:25:12今銀材も
00:25:14超銀材も
00:25:20六ヶ所村に巨大開発話が持ち上がった
00:25:24ちょうどその頃
00:25:26むつし
00:25:28出稼ぎに依存する経済からの脱却を図ろうと
00:25:32工場誘致を進めながらも失敗続きでした
00:25:36このむつしに期待と不安を共に背負って停泊する一隻の船がありました
00:25:44日本で最初の原子力船です
00:25:48当初母港として横浜を要請したのが断られ
00:25:52むつし大港に決まったことからむつと名付けられました
00:25:58この港で核燃料を積み込み出港する日を待っていました
00:26:04むつしの隣東通村出身の伊勢田健一さん
00:26:20働いていた船舶会社から出港を命じられ
00:26:24機関員としてむつに乗り組んでいました
00:26:28その辺のそこの壁
00:26:32昔のままの壁ですけども
00:26:34あそこまでもデモ隊いっぱい来てましたからね
00:26:38この頃むつ湾では
00:26:44ホタテの養殖が軌道に乗り始めていました
00:26:48むつは放射能による海の汚染を恐れる漁師たちの
00:26:53反発の声に取り囲まれます
00:26:56実際の執行騒げの時は
00:26:59うわぁすごいなと
00:27:01あんなデモっていうか
00:27:04むつ湾のホタテ汚染がザーッと取り巻いて
00:27:07敷地の侵入道路には
00:27:09デモ隊がザーッと押し上げてですね
00:27:12あんな光景は初めてですね
00:27:17出港騒ぎの時は
00:27:19岸壁犯で
00:27:21船の放射を離したり取ったりと
00:27:26いう役目をやってました
00:27:28船の?
00:27:29放射、おやいですね
00:27:31こんだけ囲まれたら
00:27:33もう船としては目向きで取れんだろうなと
00:27:36いうことからもう私としても
00:27:40出れるのか出れないのか
00:27:43これはもう判断つきません
00:27:47むつが漁船の包囲網を突破して港を出たのは
00:27:51昭和49年8月26日午前0時45分
00:27:57たまたま夜中にね
00:28:00ものすごい風吹いてたんですよ
00:28:02漁船もむつの周りに折れなくなったんですよ
00:28:07で、今の母港の反対側、大平岸壁側に漁船が避難したんですよ
00:28:14その隙に出たんですよ
00:28:16その6日後のことでした
00:28:21むつは原子炉の出力を1.4%まで上げたところで
00:28:28放射線漏れ事故を起こしてしまいます
00:28:31どこから漏れているかということは分かったんですか
00:28:36いや、分かっていないんですよ
00:28:38それぞれ今追求中なんですよ
00:28:40銃が臭いですね
00:28:42そうすると上の方の
00:28:45鉛とポリエチレンでカバーしてある方の方から
00:28:49漏れているという風に考えられますか
00:28:51そこら辺です
00:28:52そこら辺が多分変だろうと思っていますが
00:28:55これは全く予定外でしたね
00:28:58むつ市はむつの大港気候を拒否
00:29:06放射線漏れを起こした原子力線を受け入れようという港は
00:29:10日本のどこにもありませんでした
00:29:17事態の打開に動いたのは自民党でした
00:29:20鈴木前後総務会長を派遣し
00:29:23県、市、青森県漁連と協定を締結します
00:29:27原子炉を稼働しないこと
00:29:316ヶ月以内に新しい母港を決めることを条件に
00:29:35むつの大港気候を認めるというものでした
00:29:3950日ぶりに大港に戻ってきたむつ
00:29:45しかし、新しい受け入れ先が決まるまで
00:29:49船を動かすことはできません
00:29:51乗組員にとって
00:29:53港に停泊したままの船で働く
00:29:57予想だにしなかった日々が始まります
00:30:01まあ、止まっている船での経験というのは
00:30:05私としてはその当時は
00:30:07むつが初めてですよね
00:30:09当然、船と動くものだと
00:30:11我々の認識としては
00:30:13荷物を積んで動くものだという認識ですので
00:30:17実際の原子炉を動かすことはなかったんですか?
00:30:21なかったですね
00:30:23それは当然完璧で
00:30:25制御簿の至る運動はできません
00:30:27ただ、炉内の水を温めるとか
00:30:31そういう訓練は
00:30:331回打ち2回いかな
00:30:352回打ち2回いかな
00:30:37必ずやっていましたよ
00:30:39炉は動かしていませんけども
00:30:41あと、当直
00:30:43全く動いていないけども
00:30:44当直入っていますよね
00:30:46そうすると
00:30:47当時8時間の当直ですけども
00:30:498時間の当直の中で
00:30:51未開かな
00:30:53炉の中から何か
00:30:55全部点検しに入るんですよね
00:30:58当然、炉は動いていないけども
00:31:00全部衣服も着替えて
00:31:02防御服のオーバーオール着て
00:31:06頭にもキャップかぶってですね
00:31:09当然、線量計もつけて
00:31:12そういう作業はしてましたね
00:31:17約束の半年が過ぎても
00:31:19新しい母校は決まりませんでした
00:31:22ムツはそのまま長期停泊を余儀なくされます
00:31:27伊勢田健一さんのふるさと
00:31:33東通村
00:31:35当時、世界でも最大規模と言われた
00:31:38原発20基の建設計画が持ち上がっていました
00:31:43原発の誘致には
00:31:45慎重だった父の金さん
00:31:47様々に言われるんだよ
00:31:49俺はサラリー食ってる
00:31:51サラリーマンで
00:31:53飯食ってるし
00:31:54サラリーもらって
00:31:55俺は
00:31:57原子力店に乗っとったからね
00:31:59結局
00:32:01だから
00:32:02我々はこれから
00:32:03大きさに原子力発電所の
00:32:05考えでやる
00:32:06だから
00:32:07今までは
00:32:08どう
00:32:09お金まで課題ね
00:32:10って言う
00:32:11それは
00:32:12根がないわけよ
00:32:13だから
00:32:14もしね
00:32:15反対になったら
00:32:16そこまで反対なさい
00:32:17その場合だけどね
00:32:19もっと根本的にな
00:32:21原子力ってのは
00:32:22こういうもんである
00:32:23ね
00:32:24ここだって
00:32:25よく勉強してからな
00:32:27物言ってもらいたいんだよな
00:32:29村の将来を原子力に欠けるか否か
00:32:34当時再現なく繰り返された会話です
00:32:37東通村には
00:32:39現在までに原発1基が建設されました
00:32:46ムツが原子炉の修理のため
00:32:48長崎県の佐世母港に入港を認められたのは
00:32:51事故の4年後
00:32:53昭和53年です
00:32:56新しい母港は未だ決まらず
00:32:58原子炉の修理を終えても
00:33:00行き先はありませんでした
00:33:04かつては
00:33:05夢の船と呼ばれた
00:33:07ムツ
00:33:08そのまま
00:33:09佐世保にとどまることになってしまいます
00:33:20原子力船ムツの新しい母港として
00:33:23ムツ市関根浜が浮上と伝えたのは
00:33:26昭和56年1月1日の読売新聞でした
00:33:31すべての関係者が納得し
00:33:33丸く収まるのは
00:33:34関根浜を置いて他にないとしていました
00:33:38ムツ湾の古くから知られた港町大港に対し
00:33:48外洋に面した関根浜
00:33:56小さな漁港を中心に
00:33:58100世帯ほどが寄り添うように暮らしてきた浜辺です
00:34:02その関根浜が
00:34:08ムツの新しい母港として浮上した背景には
00:34:12霊災漁民が多いことから漁業保障が少なくて済むこと
00:34:16青森県漁連も
00:34:18容認の構えを見せていたことがあったと言われています
00:34:25ムツ市もこの時期には地域振興のため
00:34:28母港を手放したくないという姿勢に転じていました
00:34:32ビックリしましたね
00:34:38ちょうど松橋浩二郎が
00:34:44読売新聞を撮っていたんです
00:34:46それで
00:34:48これは何だって言って
00:34:50結局後々
00:34:52なぜかということを考えたら
00:34:54結局
00:34:56ムツの母港を
00:34:58ムツ市内に起きたかったんですよね
00:35:00理由は
00:35:02それで大港がダメなら
00:35:04もう関根浜しかないんですよね
00:35:08ムツはに比べれば
00:35:10波も荒く
00:35:12風も強い
00:35:14あんなところになぜムツを持ってくるんだと
00:35:18小さな浜に持ち上がった巨大な港の建設計画
00:35:30当時NHKでは
00:35:32ムツの母港家に反対する
00:35:34松橋さん兄弟の姿を記録しています
00:35:38もともと
00:35:40松橋家はこの浜に漁場を開いた網元で
00:35:44一番上の兄工造さんは
00:35:46港の建設が予定されている海域で
00:35:48定置網漁を行っていました
00:35:50そうしますと2つが引っかかるわけですか
00:35:54そうです
00:35:56もう見るとおりこれはもうバッチリだね
00:35:58この漁場ってのは
00:36:00松橋さんってのはどんな
00:36:02どういう漁場なんですか
00:36:04そうですねやっぱり何と言いましても
00:36:06この海岸の一頭場所だから
00:36:08まあ人間であれば心臓だね
00:36:10ああ
00:36:12反対運動の先頭に立ったのが
00:36:163番目の兄、甲志郎さんです
00:36:20日本海で行われていた底立て網漁を
00:36:24この浜に持ち込み
00:36:26水揚げを伸ばしていました
00:36:28漁師が漁場を失うことで
00:36:30出稼ぎ頼りの生活に戻るのを恐れていました
00:36:34何としてもムツの母校問題を決着させたい政府は
00:36:46中川一郎科学技術長長官を送り込むなどして
00:36:50地元の説得に当たりました
00:36:55関根浜を訪ねた中川長官は
00:36:58ムツ受け入れの引き換えとして
00:37:00漁港の整備などを提示します
00:37:03中川一郎が
00:37:09浜関根に
00:37:13挨拶に来た時には
00:37:15あの
00:37:17やっぱり
00:37:19せっかく大臣が来るんだから
00:37:21自分たち反対してるんだから
00:37:23デモをしようと
00:37:27いうことで
00:37:29赤旗がないから
00:37:31大量型がいいだろうって
00:37:33あの
00:37:352キロ周辺のあれを
00:37:37漁師が100人ぐらいで
00:37:40デモしたんですよ
00:37:41大量型を持って
00:37:43それで
00:37:45ちょっとね
00:37:47岩屋つけるのがないから
00:37:49何やろうかって言ったら
00:37:51角材
00:37:52ちょうどうちの父親が製剤やってたから
00:37:55角材持って行ってて
00:37:57ちょっと待てよ
00:37:58そろそろ
00:37:59狂気準備集合剤になるって言うんで
00:38:01いやーいいだろって
00:38:03いやーいいだろってやろうってやって
00:38:05それで
00:38:06一応ね
00:38:07お前
00:38:09学生運動やってんだろうとか
00:38:11なんかうち兄貴に言われて
00:38:13テレビで見れば
00:38:15その
00:38:16シプレヒコールっていうのをやってんだから
00:38:18いやーお前教えてくれって言って
00:38:21やったんですよ
00:38:22シプレヒコールが
00:38:23兄弟の中でただ一人
00:38:27東京の大学に進んだ松橋さん
00:38:30学園紛争の最中に
00:38:32当時流行のアングラ芝居と出会い
00:38:34演劇の道に進みました
00:38:41松橋さんは
00:38:43ムツの母校問題で揺れる関根浜を舞台に
00:38:46一人芝居100年語りを世に問います
00:38:50父の亀蔵をモデルに
00:38:52浜で生きてきた人たちが
00:38:54政治に翻弄されていく様を描いたものでした
00:39:01中川教官来た時に
00:39:03みんなでその自分の声を伝えるために
00:39:06一つシプレヒコールを練習しましょう
00:39:09しゃべった
00:39:11俺も含めて
00:39:12シプレヒコールなんて
00:39:13わけわかんないやつ
00:39:15様子だ
00:39:16おいおい
00:39:17官民どこの息子来て
00:39:18シプレヒコールって思えば
00:39:19お前は何だかわかるか
00:39:21わかるかって
00:39:22ワサキになって
00:39:23ワンブイでなししゅくれんのだって
00:39:25何だか
00:39:26言ったら
00:39:27今まで蚊の泣くような
00:39:29声しか出なかった人だぜが
00:39:31ほら
00:39:32中川教官目だったね
00:39:34はっきり言ってさ
00:39:35ぐるっと囲んで
00:39:36それぞれがそれぞれに
00:39:38さっき見たい
00:39:39それぞれのシプレヒコールやって
00:39:40しまったもん
00:39:41興奮してるもんね
00:39:44中川教官
00:39:45お前何さんで
00:39:46何も考えても
00:39:48何も考えても
00:39:49何も考えても
00:39:50何も考えても
00:39:52何も考えても
00:39:53ほぎんまんだ
00:39:54好きなの
00:39:55何や
00:39:56三平てるかわかんない
00:39:57しかも
00:39:58中川教官の通りの人だ
00:40:00やや
00:40:01皆さんどうもご苦労様
00:40:02お迎えご苦労様です
00:40:03すいません
00:40:04やや
00:40:05どうもどうもどうも
00:40:06どうもどうもって
00:40:07気出されれば
00:40:08しょんず
00:40:09あっ
00:40:10どうもちょっかいさ
00:40:11いやいやいや
00:40:12何すぐ来てんだと思う
00:40:17関根浜漁協では
00:40:18当初は母校家に反対していた
00:40:20組合長が賛成に転じ
00:40:221200万円の迷惑料と引き換えに
00:40:25海域調査の受け入れが決まります
00:40:28ムツの母校を建設するためには
00:40:35漁民が予定水域の漁業権を放棄することが必要です
00:40:41漁業保証の金額がいくらになるのか
00:40:44浜には様々な思惑が走り始めました
00:40:49関根浜の人たちが母校受け入れを決めるのを待たず
00:41:04政府はサセボにいたムツを大港に移動させます
00:41:09原子力戦ムツです
00:41:13今大港港に入ってきました
00:41:16ムツは今朝6時前にムツ湾に姿を見せました
00:41:19そして海上保安庁の巡視船など
00:41:2151隻が警戒に当たるという
00:41:23後通りの厳戒態勢の中を
00:41:25ゆっくりと今大港港に入っています
00:41:29結局、この静かな裏で
00:41:35まだ賛成とか反対とか
00:41:37非常に嫌な思いをしなくてはならないと思います
00:41:41だから本当にムツ問題さえなければ
00:41:47非常にここの浜地の人間関係というか
00:41:51非常に人の意いという場合なんですけども
00:41:55そういった非常に隣の人場をうまくいっているものを
00:41:59ムツのおかげで
00:42:01結局賛成とか反対とかって
00:42:03本当に非常に全く情けないというか
00:42:06もう何というか
00:42:07本当に腹立たせて思います
00:42:09兄からのどうすればいいんだというのがあって
00:42:23要するに何とかしてこれを食い止めたいから
00:42:27何とかできないかと
00:42:29これはやっぱりきちっとね
00:42:33記録したいという要望があったもんですから
00:42:37水俣をずっと取っていた土本則明さんに相談したんです
00:42:43そしたらそれは記録しましょうと
00:42:47ご視聴ありがとうございました
00:43:17ご視聴ありがとうございました
00:43:47どこから情報が来て
00:43:49私が浜崎にいるときに
00:43:52松橋幸四郎と私と
00:43:56それから弁護士と3人で
00:43:58そこへ押しかけていったこともあります
00:44:02そしたら私たちが出かけ
00:44:04打ちかけたということを
00:44:06向こうに伝わったんでしょうね
00:44:10一体委員会場には誰もいないんです
00:44:13ただタバコの煙が上がっているし
00:44:17おかんのお酒がまだあったかいって
00:44:21で、小四郎は事情を知っているものですから
00:44:24上に上がっていって
00:44:26おい、部長
00:44:29なお前は寝てないんだべえさって
00:44:32起きているんだろうと
00:44:34上は寝室?
00:44:36部屋になっていたの
00:44:38そこで寝てたわけですか?
00:44:40そうしたら何のことはない
00:44:42ネクタイしたまま
00:44:43みんな布団をかぶってた
00:44:45漁業権放棄の是非を決める漁協総会
00:44:55税組合員の3分の2の同意があれば
00:44:58漁業権の放棄が決まります
00:45:01県が提示する漁業保証金は
00:45:04この時までに総額23億円に膨れ上がっていました
00:45:11組合員に対する不正な利益誘導が行われているとして
00:45:15松橋さん兄弟は総会の無効を主張しました
00:45:19賛成票が必要な3分の2を4票上回り
00:45:32関根浜の人たちは原子力線を受け入れることを決めました
00:45:38多い人で1億円を超える漁業保証金を手にすることになりました
00:45:44兄の甲造さんもその一人でした
00:45:49松橋甲造が定置網もうまくいかなくなってしまったのも
00:45:57漁業保証金をもらったことが大きな原因ですからね
00:46:03山のように人がたかってきたんです
00:46:08甲造さんですか
00:46:09甲造のところ
00:46:12そしてもともとは根がいい人ですから
00:46:17誰かに困っているから保証人になってくれるとか
00:46:23本当は引き受けちゃいけない
00:46:27私はそのことを本当は心配したんですよ兄でね
00:46:30でも知らないところで保証人になったりして
00:46:37それで向こうは計画的に倒産しちゃって
00:46:40その保証金を全部負わされて
00:46:43それで気がついたときには
00:46:45もらったはずの漁業保証金と
00:46:52それに匹敵するぐらいの借金を背負ってしまったわけです
00:46:59一時的貸金を持った人間がたどる末路というか
00:47:07昭和63年1月
00:47:16原子力線ムツは関根浜に完成した
00:47:20新たな母港に入港します
00:47:22この時までに政府はムツを廃線にするという方針を固めていました
00:47:28松橋さんは兄とともに埋め立て差し止め訴訟などで争いましたが
00:47:39港の建設は計画通りに進みました
00:47:48平成4年、実験公開を終えたムツは原子炉を停止
00:47:57120億円を投じて建設された港が
00:48:00ムツの母港として使われたのは5年間でした
00:48:10ムツの母港のあたりはすごいモバだったんですよ
00:48:17で、お作りがあって
00:48:20それで日のあたり加減がコントロールされて
00:48:26朝夕日常の日の移ろいの中で
00:48:29程よいで昆布が生えて
00:48:32そこで地域が育つという場所だったんですよね
00:48:37で、それはもう漁師もみんな知ってて
00:48:41だってあそこでみんな昆布とったんだからね
00:48:45だから、昆布がなければ
00:48:51雲になって、アワビだって、サザエだって育たないわけですから
00:48:56だから、結局、あ、あ、あ、あ、あ、海殺しですよ
00:49:08今、関根浜を望む高台には
00:49:13船をかたどった科学技術館が建設され
00:49:17ムツの原子炉が保存、展示されています
00:49:27放射線漏れ事故を起こし
00:49:29日本中の港に入港を拒まれた
00:49:32日本で最初で最後の原子力線
00:49:37その心臓部がここに眠ります
00:49:48巨大開発や原子力線に翻弄されてきた下北半島
00:49:54さらに、昭和59年、1984年には
00:49:586カ所村に核燃料サイクル施設の立地が浮上します
00:50:07ムツ小瓦開発のために買収を終えたものの
00:50:10企業が来ず、荒れ地のままだった土地に持ち上がった計画でした
00:50:17核燃料サイクル施設
00:50:20それは、天然ウランを原子力発電の燃料に加工する
00:50:24ウラン濃縮工場
00:50:25発電の後に残る使用済み核燃料をリサイクルし
00:50:31再び燃料として使えるようにする再処理工場
00:50:35発電所から出る低レベル放射性廃棄物を貯蔵する施設です
00:50:41核燃料サイクル3点セットと呼ばれました
00:50:44昭和59年、電力会社9社で結成する電気事業連合会電事連は
00:50:56正式に6カ所村への立地を要請
00:50:59当時、小林昭一郎電事連会長は、朝日新聞の取材に応じて、次のように語っています
00:51:136カ所村の武津小川原の高齢たる風景は、関西ではちょっと見られない
00:51:21やっぱり、我々の核燃料サイクル3点セットがまず進出しなければ
00:51:27開けるところではないとの認識を持ちました
00:51:31日本の国とは思えないくらいで、よく住み着いてこられたと思いますね
00:51:37いい地点が本土にも残っていたな、との感じを持ちました
00:51:426カ所村では、核燃料サイクルに関する説明会が開かれました
00:51:53集団就職先から戻って、自動車修理工場を開いていた松下志美男さんです
00:52:00角年というのは、意味がわからなかったから、角年というのは、会社の名前だと思ったんだ
00:52:09角年という会社、その会社が何をやる会社なのかというのは、わからなかった
00:52:16日本では、この角年サイクルは必要なんだと、採承料というのは必要なんだと
00:52:21その採承料って何だと、説明会があって、いろいろ何回も来ていたけども
00:52:27それでもやっぱり分からなかったよね
00:52:29もともとそういう
00:52:32オランに130個が燃えるとか燃えないとか
00:52:35230発が通るのとか
00:52:37プロテノイムが通ったとか
00:52:38中性質が通ったとかっていうのは
00:52:39誰も分からないんだもん
00:52:41イカ漁に湧く漁港止まりでは
00:52:46放射能による海の汚染を心配する人たちの間から
00:52:50確認立地に反対する声が上がり始めます
00:52:57原子力施設を受け入れ
00:53:05地域活性化の起爆剤としたい推進派
00:53:08放射能への不安を拭えない反対派がぶつかり合い
00:53:13漁協総会が紛糾
00:53:14昭和60年暮れの村長選挙は
00:53:24確認立地の是非が争点でした
00:53:27これからの通知をしがりでやります
00:53:32どうぞ漁業
00:53:35逆のにとれましては
00:53:37海外施設に下げくと起きるであることは
00:53:40無理にとるように思います
00:53:41開発の経済効果を期待する地元の建設業者の多くは
00:53:47この時、古川候補の応援に回りました
00:53:53鳥山和一郎さんもその一人です
00:54:06開発の経済効果を期待する地元の建設業者の多くは
00:54:11この時、古川候補の応援に回りました
00:54:14鳥山和一郎さんもその一人です
00:54:18鳥山和一郎さんもその一人です
00:54:23やはり6カ所で将来生きていこうとしたならば
00:54:30やはり確認サイクルでもいいです
00:54:33また原子力発電所でもいいです
00:54:36いかにしてやはり6カ所の人が豊かな生活をするか
00:54:42いかにして地元で自分の家から帰って
00:54:49地元を出てるかというところがまず第一でしょう
00:54:53確認推進を訴える古川候補は自民党の公認を受け
00:54:59当時の県知事も応援に駆けつけるなど
00:55:03国や県を挙げての支援体制が敷かれました
00:55:06実感してそのサイクルステースを
00:55:14図内に受け入れるべきだという
00:55:18固い信念のもとに
00:55:20今日までその考え方を貫いてきていることを
00:55:24ご承知をしております
00:55:25またその信念たるや考え方たるや
00:55:30古川さん一人で決めた考え方ではないのである
00:55:33現職大臣も応援に行きました
00:55:37核燃料サイクルの最高責任者
00:55:40科学技術長長官です
00:55:42核燃料サイクルがなければ
00:55:47原子力発電そのまま安定しないわけであります
00:55:50そういう意味でこの6カ所もらっているのは
00:55:53誠に日本のエネルギー問題
00:55:56原子力発電のそれが順調にいくか
00:55:59安定していくか
00:56:01そういうことの鍵を握っているのと
00:56:04気がなさしく
00:56:05生まれ故郷の泊まりで自動車修理工場
00:56:13後に焼き鳥屋を開く松下志美男さんです
00:56:16安定した暮らしに期待して推進派を応援していた
00:56:24松下さん一家もまた激しい選挙戦に巻き込まれていきます
00:56:284回4種類あるんでしょう
00:56:304種類
00:56:31お店やっていると車が奥に止まって
00:56:37どこに動くんだか見張りがつくしね
00:56:40選挙になると商売にならないんですよ
00:56:44両方に入り口に着くんですよ車が
00:56:47その反対派の車が
00:56:50そうです
00:56:51違う派の車が
00:56:52そうです
00:56:53タバコ買いに車に行っていると追いかけるんですよ
00:56:58私がどこへ行ってね
00:57:02どういうアレするのか
00:57:03要するに
00:57:05相当ね
00:57:06選挙と言われた時の事例ですからね
00:57:09そういう機械さんじゃないのかな
00:57:11それは
00:57:12相手もそうだけども
00:57:14こっちのもそうだよね
00:57:15疑いにそういう風にやっているから
00:57:17別に
00:57:19まあ
00:57:20率直に言っちゃうと
00:57:22松下さんが誰かを買収するんじゃないかと
00:57:24疑われたわけです
00:57:27それはお互いの経験ですよ
00:57:29お互いはね
00:57:31パディコンドで人も
00:57:33要するに知っている人なんでしょ
00:57:34みんなそうですよ
00:57:35顔なずみですよ
00:57:37みんな顔が見えますよ
00:57:38だからみんなね
00:57:42終わった後みんながね
00:57:44嫌な思いが残るのみんな
00:57:45選挙に勝ったほうが負けようが
00:57:48勝ったほうにつくほうが
00:57:49負けたほうにつくほうが
00:57:50みんなね
00:57:51嫌な思いが崩れるんですよ
00:57:54フルコア村長万歳
00:57:57万歳
00:58:00万歳
00:58:02万歳
00:58:03万歳
00:58:03万歳
00:58:04万歳
00:58:05万歳
00:58:06万歳
00:58:08万歳
00:58:10何とも言えないような
00:58:14気持ちであります
00:58:14本当に
00:58:16ありがとうございます
00:58:17今日の酒は美味しいですが
00:58:19美味しい
00:58:20お祝いのお酒ですから
00:58:23お道ですから
00:58:24村長選挙は
00:58:28推進派の勝利に終わりました
00:58:30しかし
00:58:32各年立地を進めるためには
00:58:33まだ超えなければならない
00:58:35ハードルが残っていました
00:58:37反対の声が根強い止まり地区で
00:58:42漁協の同意を得て
00:58:43海域調査を行う必要があったのです
00:58:46昭和61年1月の漁協総会
00:58:52この日は海域調査を受け入れの
00:58:58是非を決するはずでした
00:59:00ところが
00:59:06推進派の組合長は
00:59:08冒頭で
00:59:09流会を宣言
00:59:10反対派が多数を占めていたからだと
00:59:13言われます
00:59:142ヶ月後に再び開かれた漁協総会で
00:59:20組合長は
00:59:22海域調査への協力を決めます
00:59:24事前に集めた同意書が
00:59:27過半数に達しているとの理由でした
00:59:29同意書は示されず
00:59:32討議もないまま
00:59:332分足らずの総会でした
00:59:35各年反対派は反発を強めます
00:59:49種市野郎さんは
00:59:51当時の総会で
00:59:53組合長が読み上げた議決書を
00:59:55今も保管しています
00:59:57反対派の仲間が
01:00:13混乱の中で奪い取ったものだと言います
01:00:171号議案つまり調査の受け入れは書面による同意が
01:00:24400人上で過半数を超えているので同意を決定
01:00:30要するに調査を受け入れますと
01:00:32これで閉会しますと
01:00:34要するにこれだけ
01:00:35それだけで終わっているわけ
01:00:39これを読んだんですか?
01:00:41それを読んだ
01:00:43こうやって読んだらしいんだよ
01:00:45読んでいるところが多分使ったところを捉えた場所だよ
01:00:50こうやって読んで会場に取ったらしい
01:00:55今はもう脱ぎ詰まったんだよね
01:00:59会議調査そのものをさせないために
01:01:05我が子はいろいろなことを考えてやっている
01:01:08僕はいろいろなバッグがあって
01:01:12進めろというのが
01:01:13いろいろなことを作戦を組んでやっている
01:01:17動員…なんていうのか…それを訴えているのか
01:01:21そういうのまで配置したんだよ
01:01:23だからいろいろなことを
01:01:25やらかに知事はもう全部
01:01:29板垣郡内庁の考えでなく
01:01:32わらぬ
01:01:36大物だか小物だかわからないけれども
01:01:39いろいろな人が
01:01:40ついでやったらやらしいなというのか
01:01:45そう思われるわけ
01:01:47昭和61年6月
01:01:55追進派組合庁の同意をもとに
01:01:58核燃料サイクル会社は海域調査に乗り出しました
01:02:02実力阻止を叫ぶ反対派漁民を警戒して
01:02:06海上保安庁の巡視船38隻が出動
01:02:10青森県は機動隊400人を動員して港を封鎖
01:02:18反対派の動きを封じ込めようとします
01:02:20反対派漁民の中村勘次郎さんは
01:02:31警戒をついて船を出し
01:02:33仲間とともに調査船の行く手を阻もうとしました
01:02:36保安庁の船が旋回して
01:02:41こういうふうに反対派の
01:02:44あの船は
01:02:45はいはいはい
01:02:46こういうと言えば
01:02:48ただここを旋回していればいいんだけれども
01:02:51徐々に進んでくっているわけだ
01:02:54距離をね
01:02:56付き合うか
01:02:56船は小さいものだから
01:03:00寄りるわけだ
01:03:01漁船は
01:03:04今でも船がそれこそ
01:03:06まあ転封をすると言った時の
01:03:08船を
01:03:10大きいですばってから
01:03:11ここにいられなくなってする
01:03:14こう横にこう旋回しながら来るから
01:03:16こういうふうに
01:03:18渦を巻いて
01:03:19来るから波がこう
01:03:21その後も
01:03:31調査の度に繰り返された激しい衝突は
01:03:34止まり沖海戦とまで呼ばれました
01:03:36この時期
01:03:41反対派漁民の中には
01:03:43威力業務妨害などの容疑で
01:03:45逮捕される人が相次ぎます
01:03:51核燃料サイクル施設の6カ所立地は
01:03:54国や県の全面的な支援の下
01:03:57押し進められていきました
01:04:036カ所村で核燃料サイクル施設の建設が始まったのは
01:04:19昭和63年のことです
01:04:22しかし建設が始まってもなお
01:04:26反対の声は根強く
01:04:27村民の間には亀裂が残っていました
01:04:36翌年の村長選挙では
01:04:38核燃を推進してきた
01:04:40古川伊勢松村長の姿勢が強引すぎるとして
01:04:44村長の右腕と言われた
01:04:46土田博候補が立候補
01:04:48村民の亀裂を修復するため
01:04:50核燃の推進を一時凍結すべきだと訴えました
01:04:55一枚岩だった
01:04:59戸まりの反対派漁民は
01:05:01あくまで絶対反対を貫くか
01:05:03土田候補の凍結に希望を託すのかで
01:05:07分裂してしまいます
01:05:17中村勘次郎さんら多くの反対派は
01:05:20この時
01:05:21土田候補と政策協定を取り交わして
01:05:24応援に回りました
01:05:30核燃料サイクルを止める
01:05:32現実的な選択だと考えたのです
01:05:37住民投票
01:05:39上流を設定させて
01:05:41そしたら
01:05:44それで
01:05:45正面のロールに
01:05:47乗ってて
01:05:50水戦が起きれば
01:05:52使わないと
01:05:53反対票が起きれば
01:05:56ここでストップを
01:05:57拘束力がないとしても
01:06:00万全五つは
01:06:01ここで半止め
01:06:02プリックスになるんだと
01:06:07この協定は
01:06:08再処理工場建設の是非は
01:06:10住民投票によって決めること
01:06:13再処理によって発生する
01:06:16高レベル放射性廃棄物は
01:06:18受け入れないことなどを
01:06:19取り決めています
01:06:20開票の結果はご覧の通りで
01:06:26核燃料サイクル施設の凍結を訴えた
01:06:28無所属で新人の土田氏が
01:06:30核燃水深の現職で
01:06:32五戦を目指した古川氏に
01:06:34300票余りの差をつけて
01:06:35初当選しました
01:06:36核燃料サイクル施設は
01:06:39原子力発電所で使う
01:06:40核燃料を再処理して
01:06:42繰り返し利用していこうという施設で
01:06:446カ所村では
01:06:454年前に立地受け入れを決めました
01:06:47今回の村長選挙は去年の10月
01:06:50実際に施設の工事が始まってから
01:06:53初めて行われるもので
01:06:54全国的にも注目されていました
01:06:56しかし土田新村長は
01:07:04約束の住民投票を
01:07:06行おうとはしませんでした
01:07:08何が条件がどうあろうと
01:07:13小さな拠点を結んだり
01:07:15これずっとするのが
01:07:17すずでしょと
01:07:18あたがた
01:07:21ずっかいずんが
01:07:23私だぞ
01:07:25いつ
01:07:27そんなの
01:07:29騙すのかと
01:07:32私はですね
01:07:34住民投票することにといては
01:07:38もともと反対だと
01:07:40間接民主主義がここで公開される
01:07:43そのための尊敬がありですね
01:07:47議会の決議があるわけですから
01:07:49それはダメだと
01:07:51いうことを
01:07:53私が政策協定するときに主張した
01:07:55強くですね
01:07:56そうですね
01:07:57そうです
01:07:58そうです
01:07:59うん
01:08:00そうです
01:08:01うん
01:08:02そうです
01:08:03うん
01:08:04そうです
01:08:05うん
01:08:06そうです
01:08:07うん
01:08:08そうです
01:08:09ね
01:08:10ちょっかいに大活断層がある
01:08:14こんなことあれ一個ないって言っちゃって
01:08:16でもこれとうとう私は
01:08:18自分で名前を書いておっしゃったんですから
01:08:21だからはっきり言って
01:08:25この政策協定そのものが
01:08:28やはり私から見ると
01:08:30まったくね
01:08:32幼稚な人だましみたいな
01:08:34まったく法的に一つの
01:08:37何ものあれができてない
01:08:39無意味な協定だった
01:08:45土田村長は結局
01:08:47百年凍結の解除を決めます
01:08:50考慮したのは
01:08:51核燃料サイクルの経済公開した
01:08:54施設の立地を受け入れれば
01:08:57国から数百億円に上る
01:08:59電源散歩交付金がもたらされます
01:09:05各年を受け入れたことで
01:09:07村の経済は活発になっていきます
01:09:10建設工事の下請けに入った
01:09:12地元の業者が売り上げを伸ばしていきました
01:09:15さらに電源散歩交付金や
01:09:22核燃料サイクル施設から上がる
01:09:24固定資産税で
01:09:26公共事業の量が爆発的に増えました
01:09:30村の財政規模は100億円を超え
01:09:33全国でも有数の財政力豊かな自治体になりました
01:09:37核燃料サイクル施設を経営する日本原燃が
01:09:44地元にもたらす経済効果も無視できません
01:09:49村の人口のおよそ10分の1が社員です
01:09:53関連会社も含めれば
01:09:55雇用を一手に引き受けている形です
01:09:58村議会議員の多くは
01:10:04核燃施設の建設や公共事業で力をつけた建設業者
01:10:10村の政治を動かしています
01:10:15開発による村の活性化を期待してきた
01:10:18鳥山和一郎さんです
01:10:20眺民の古典の国民の sitturers
01:10:22国民は北陸に領われております
01:10:25年がいろんな野郎さんです
01:10:28他の地元の公共事業のイッセイス
01:10:34教会までは実家たち居民の突きなど
01:10:35国民の党のあったとおかしい
01:10:46十分周り方党とお蛇い choice
01:10:47安心とは安心、本当に安心していいのかと言われれば、果たしてどうなるのかなということは当然考えるけども、
01:10:56要は近代の通知者を信じないわけにはいかないでよ。
01:11:05開拓農家から建設会社を起こした岡山克弘さんも村議会議員になりました。
01:11:35要するに、だから我々は迷惑施設を引き受けたという感覚がないんですよ。全くないんですよ。
01:11:44来たことによって言ってみれば巨大な感覚工場を誘致しました。
01:11:49いろんなところでね、トヨタでもシャープでも誘致した時にみんな大歓迎じゃないですか。
01:11:55なんでここだけああいうふうに批判されるのって。批判している一番旧戦法が東海の人だろうな。
01:12:00宮城市ってなんでいいのって冗談でないって。本当はどれだけの大きい出る、大きい出る。
01:12:066ヶ所村民は感謝さりごそしれ批判する何ものないじゃん。
01:12:14原子力発電を行えば必ず発生するのが、放射能を持った使用済み核燃料です。
01:12:21これを再処理して、プルトニウムとさらに強い放射能を持つ高レベル放射性廃棄物に分離します。
01:12:28廃棄物はガラスで固めて、地中深くに処分。
01:12:35残ったプルトニウムを高速増殖炉で繰り返し燃やすことで、エネルギー効率を60倍にまで高めようというのが核燃料サイクルです。
01:12:49国は資源小国からの脱却を図ろうと核燃料サイクルを推進してきました。
01:12:55しかし、1990年代に入ると、再処理の実現を危ぶむ声が出始めます。
01:13:03当時、資源エネルギー庁原子力産業課の課長だった奥村博一さんです。
01:13:09資源エネルギー庁原子力産業課長
01:13:39放射能的に汚いレベルが、そうなると、やっぱりもうちょっと高度な再処理技術がいるんじゃないかと、こういう話なんですよ。
01:13:48第二次再処理工場をやっぱり作る必要なのかなという議論を他方でしていたんですね。
01:13:55マスもそこらへんがかかると、今のレベルではないんですよね。
01:14:00そういうのを繰り返していくと何十倍かになるんですよ。
01:14:04それは技術的には可能なんだけども、科学的には可能なんだけども、エンジニアリング的に難しい、あるいは商業的に難しいと、そういう課題が実はあるんですね。
01:14:15平成7年、1995年、思わぬ事態が起こります。
01:14:24高速増殖炉の実用化を目指して建設された福井県の門樹で、ナトリウム漏れ事故が発生。
01:14:33高速増殖炉が実現する可能性は一気に遠のいてしまいました。
01:14:386カ所村では、計画通り再処理工場の建設が進められました。
01:14:49その背景には、各地の原発が置かれていた深刻な状況があります。
01:14:59原発の敷地内に使用済み核燃料が溜まり続けていたのです。
01:15:08貯蔵プールを埋め尽くそうとする、使用済み核燃料。
01:15:15どこかに運び出さない限り、原発の稼働は続けられなくなります。
01:15:28使用済み核燃料の搬出先として選ばれたのが、再処理工場の建設が進む6カ所村でした。
01:15:38再処理が始まったらリサイクルするという理由で、
01:15:43まだ稼働していない施設に、全国の原発から使用済み核燃料が集められたのです。
01:15:56さらに問題がありました。
01:15:59海外から日本に返還されることになった、高レベル放射性廃棄物です。
01:16:04当時、海外に再処理を委託していたため、高レベル廃棄物がガラス固化体の形で帰ってきました。
01:16:19強い放射能を持つ高レベル放射性廃棄物を、最終的に日本のどこで処分するのか、
01:16:26全く目処が立っていませんでした。
01:16:31結局、一時貯蔵という形で、50年の間、6カ所村で保管することになります。
01:16:38私の時に、ガラス固化体の貯蔵施設を作るという話が出てきたわけですから、
01:16:46一体全体これなんだのよと、
01:16:48どこから高レベル廃棄物が出てきたんだと言ったら、
01:16:52それは、実は、立地協定の時にも知事や全村長にも話をして、
01:16:59そういうものが含まれて、最終的にサイクル施設になるんですよということをしているんですと、
01:17:04こうなっているわけです。
01:17:04日本元年がそういうふうに説明したということですか。
01:17:09だから、そこら辺のね、
01:17:10いくつは私はよくわかりませんけれども、
01:17:13考えてみると、
01:17:15サイシリ工場を本格化動作すれば、創業すれば、
01:17:19出てくるのがガラス固体なんですから、
01:17:21ガラス固体とプロトニウムなんですからね。
01:17:23なるほどな、そうか。
01:17:25それも、そういうことが含まれるとすれば、
01:17:28それにしても、
01:17:30そうだとすれば、最初にね、
01:17:32そこから発生するガラス固体の一つの説明と含めて、
01:17:364点セットにすべきではなかったの?と、
01:17:38こういったものの、
01:17:40これは言いましたよ、
01:17:41言いましたものの、
01:17:44いや、実は事前にそういう話で含まれているんですから、
01:17:48なんとか頼みますというふうになっちゃったわけです。
01:17:50認めるしかなかったって言ったんですか。
01:17:57高レベル放射性廃棄物を受け入れるに際して、
01:18:01青森県議会では、
01:18:03このままでは、
01:18:04なし崩しに最終的な処分地にされるのではないかと、
01:18:08危惧が高まっていました。
01:18:09最終処分地問題については、
01:18:14将来にわたって、
01:18:15私は、
01:18:16私自身が反対ですから、
01:18:20知事就任前から反対です。
01:18:21知事としても反対ですということを明言いたしました。
01:18:26平成6年、
01:18:28木村盛雄知事は、
01:18:29科学技術庁長官との間で文書を取り交わし、
01:18:33青森県を、
01:18:34高レベル放射性廃棄物の最終処分地にしない旨を確認しました。
01:18:456カ所村では、
01:18:47平成16年から再処理工場の試験運転が始まりました。
01:18:52ところが、
01:18:53作業員の内部被曝や、
01:18:55排液漏れなどのトラブルが相次ぎ、
01:18:58創業開始は20回以上にわたって延期されます。
01:19:04その間にも、
01:19:06使用済み核燃料が運び込まれ、
01:19:08再処理工場の貯蔵プールは、
01:19:11ほぼ満杯の状態です。
01:19:17今、
01:19:17六市関根浜、
01:19:19かつて原子力線の母校とされた場所には、
01:19:22中間貯蔵施設が建設されています。
01:19:286カ所村で再処理するまでの間、
01:19:31使用済み核燃料を保管しようというもので、
01:19:34貯蔵能力は3000トン。
01:19:38高レベル放射性廃棄物の最終処分場が決まらない中、
01:19:43下北半島には、
01:19:44日本中の原発で発生する、
01:19:47使用済み核燃料と廃棄物が集められています。
01:19:53地元の経済界からは、
01:19:55このまま高レベル廃棄物の貯蔵を受け入れようという声も出始めました。
01:20:006カ所村は一時貯蔵を50年やりますよ。
01:20:08国も一時貯蔵を50年やったら、
01:20:10最終処分を持っていきますよって思いできたわけだ。
01:20:14今のこの現状を考えた時に、
01:20:16最終処分値が決まらないと思うのに。
01:20:20決めれない。
01:20:20だとするならば、一時貯蔵を50年はOKよって。
01:20:25最終処分値貯蔵を200年6回でやろうよと。
01:20:29この核のゴミといいますか、
01:20:31それがここにあることに対する不安というのはお持ちではないですか。
01:20:34全くない。
01:20:36安全に管理しているでしょ。
01:20:39核分裂しているわけではないでしょ。
01:20:41もうレベルダウンして収まったやつを持ってきて、
01:20:45プリに入れといて、
01:20:47それを今度は処理してガラスココアタイムにする。
01:20:50じゃあこれは何が不安があって。
01:20:53原子力も確かに不安ですけども、
01:20:56安全にちんと管理していれば原子力だって安全なもんだ。
01:20:582011年3月、福島第一原発事故。
01:21:08当時の民主党政権は脱原発の方向性を打ち出します。
01:21:15使用済み核燃料は全て再処理するという従来の政策の見直しを
01:21:21原子力委員会に諮問しました。
01:21:23原発で発生する使用済み核燃料を再処理せず、
01:21:31そのまま地中に埋める直接処分の可能性を探り始めたのです。
01:21:383.11を踏まえますと、
01:21:41原子力がこれまでは推進拡大という着実に進めるという方向でしたから、
01:21:48核燃料サイクルももともと確立してですね、
01:21:52高速増殖につなげていくという政策をずっと継続しているわけですが、
01:21:57原子力政策を根本から見直すということになりましたので、
01:22:00当然燃料サイクル政策も見直しましょうということになったと。
01:22:05電量再処理と直接処分、今後20年間、30年間いくらかかるかというのをきちんと計算しましょう。
01:22:12ということで計算したら、電量再処理の方が直接処分よりも今後20、30年間で3、4兆円高いという数値が出たということですね。
01:22:25長いスパンで20、30年間で見るとやっぱり3兆円、4兆円というオーダーで違ってくるんですか。
01:22:30違ってきます。
01:22:316個で再処理工場の運転費はたっぷり高いので、そのぐらいの差が出ます。
01:22:36要するにリサイクルをしない方が安いというか。
01:22:40経済性は間違いないそうですね。
01:22:47平成24年9月、6カ所村村議会は、
01:22:51再処理を堅持するよう国に求める意見書を全会一致で採択しました。
01:22:58再処理をやめるなら、これまで保管してきた使用済み核燃料と高レベル放射性廃棄物を
01:23:04すべて村から運び出すよう求めるものでした。
01:23:12その1週間後、政府は核燃料サイクルの継続を決めます。
01:23:17要するに、原子力でここまで国が栄えてきて、たまたまそうなったら、
01:23:25そこだけ見て、安全に何かやめようという考え方が、我々は受け入れられる。
01:23:30おかしいだろう、お前。
01:23:31みんな何度も政治でも、要するに約束のことがあるじゃないですか。
01:23:36流れが、こんなことです。
01:23:37こうしたら来て、今までいいですよって、柄とかでジェルにしまう人は、
01:23:41何を受け入れるわけないでしょ。
01:23:43そしたら、我々はできることをやるしかないじゃないですか。
01:23:46で、いかがどうかやれば、国家権力が決めたやつを、
01:23:48地方の議会がひっくり返したんですよ。
01:23:50今、日本で稼働している原子力発電所はありません。
01:23:58将来、原子力をどうするのか、議論は分かれています。
01:24:04すでに生み出された、使用済み核燃料や、放射性廃棄物の行方は、
01:24:13いまだに回答のない宿題であり続けています。
01:24:16今もほとんど、学年反対の雇用がほとんどなくなって。
01:24:25ないですね。
01:24:28これだけは、若い人たちが腹ついて雇用されて、
01:24:33この地域で経済活動を行っているということで、
01:24:37中の間、やっぱり家族が一緒に暮らして、
01:24:42この地域で生活するというのを、
01:24:45当たり前のことが、ここにもやっと当たり前になってきたということだから。
01:24:53だからその、プラスの良い面の中で、
01:25:00我々がその裏の部分を受け入れているということでしょう。
01:25:05行き場の内装詰め、高レベルとか、
01:25:08あれ、あ、ほんのあるといわれるもの、
01:25:11ここが受け入れているということだから。
01:25:13ただ、それは、もう、今、福島の図工をね、
01:25:18教訓と、盛りとして、もう、
01:25:21論じてね、何かの方向性をつけなきゃならない、
01:25:25もう、先送りでいけない問題でしょう。
01:25:27松下志美男さんには、
01:25:34泊まりの港で大切に思っているものがあります。
01:25:40かつて、各年の受け入れをめぐって、
01:25:43地域を引き裂くような対立があったとき、
01:25:46和解への祈りを込めて、
01:25:48子供たちが防波堤に描いた絵です。
01:25:53これは、もと、ちょっとあったんだけどね、
01:25:56まだあったんだけども、ちょっと構図でね、
01:25:58防波堤がもう、壊されてもったけど、
01:26:02山口は何か握手しているんですか?
01:26:04このやつ、漁業者同士がね、
01:26:06こう、お互いに握手しているの。
01:26:09だから、夏を残すくれと。
01:26:11あれが一番のね、
01:26:13あの、ここのね、地域の訴えるね、
01:26:16子供たちのね、ミッセージだからと。
01:26:19それで、残してもらったんですよ。
01:26:22ね、ほら、周りの子供たちがね、
01:26:24みんな笑顔でしょ。
01:26:29対立と混乱の日々から、
01:26:3130年が経とうとしています。
01:26:35しかし、村には、
01:26:36未だ目に見えないしこりが残されているといいます。
01:26:41国策に翻弄され、
01:26:44引き裂かれてきた下北半島。
01:26:47この土地に生きる人々の胸に、
01:26:50かつての平穏が戻ってくる日を、
01:26:53松下さんは待ちわびています。
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