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  • 2025/7/4

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ニュース
トランスクリプション
00:00フランス語で書かれた切った髪の毛の文字
00:05その主が誰よりも信頼した生涯の友のもとから見つかった威髪である
00:14帝国立海軍は本領下未明、帝英軍と戦闘状態に出る
00:22威髪の主が指揮した奇襲攻撃
00:26その指揮官は苦悩し続けていた
00:30これも命というものか
00:37連合艦隊司令長官山本磯六
00:41日米海戦に最も反対していた人物が苦悩を打ち明けた相手は
00:48生涯にわたって心を通わせた男、堀礼吉
00:53何が二人の間で響き合い
00:57そしてその信念を貫いた先に何があったのか
01:11堀礼吉の故郷、大分に保管されている
01:17礼吉と山本磯六二人をめぐる数々の資料は
01:22礼吉がこの川のカバンに納めていた
01:26礼吉自身の日記だけでなく
01:32山本磯六が礼吉にだけ心情をつづった28通の手紙
01:38さらに真珠湾攻撃の作戦要領が記された文書も含まれていた
01:47礼吉が晩年暮らした孫の渡辺武雄さん宅の蔵に
01:55それは残されていた
02:00野尾さんの真意が世の中に誤解されるとかね
02:04あるいは変に利用されるとかね
02:07そういうことを非常に警戒したんだと思いますよ
02:10それで自分でしっかり守ろうと
02:12蔵を建ててそこにいろんなものを収めたときは喜んでましたよ
02:19これで一安心というね
02:21これを発見し分析した安田亜紀子さんは
02:27研究者として資料の酷命さに驚いた
02:30本当にこれだけ貴重なものがここにあったんだという
02:34堀井さん自身はやっぱり歴史を伝えるということが
02:38どういう意味があるのかということが
02:40ちゃんと分かっていた人だと思うんですね
02:42堀井定吉は1883年
02:48今の大分県吉木市に生を受けた
02:52緑豊かな集落には地域の歴史を江戸時代から書き継いできた文化があり
03:00その精神形成にはこの地の文化風土の影響も大きかったようだ
03:06本人の性質ですかね
03:10お宮を訪ねるとかお寺を訪ねるとか
03:13好きでやっておりましたけど
03:14道楽というか趣味というかあまりなかったですね
03:17農家の子供ですから贅沢もできないし
03:20自分で勉強は人正しいですね
03:22人間実直がたいですね
03:25定吉が通ったひじ町の高等小学校
03:30城跡から見る海は定吉の原風景だ
03:3512歳の時に勃発した日清戦争がきっかけだった
03:45自局の影響を受けて軍人死亡の念を起こしたり
03:51死亡といえどもただなんとなく軍人になりたいという
03:56至極無邪気なる考えたりしに過ぎず
04:05広島県江田島にある海上自衛隊幹部候補生学校
04:17定吉が学んだ海軍兵学校の校舎が今も使われている
04:23ここが山本磯六との出会いの場所である
04:29200人中山本が2番
04:34定吉が3番の成績で入学
04:37定吉の記録にはそのことがしっかりと残されている
04:42翌年成績を落とした山本が故郷の兄に報告の手紙を書いた
04:49非常なる不成績を得て多分他人の笑いを買い
04:57しかし一人の友を得そうろ
05:00一人の友その友こそが定吉である
05:08順番が落ちて学校で来ている山本さんにですね
05:14自分のベストを尽くせばそれが順位は関係ないんだということを
05:19言ったんではないかなと思います
05:21でも閉学校というところは閉学校卒業時の順位というのが
05:27その後もずっとこうついてもあるので
05:29得意な考え方ではないかと思うんですけども
05:32それがやっぱり山本さんもですね
05:34非常に励まして非常に落ち込んでいた状況から
05:38立ち直っていったのではないかなと
05:39それが一人の友を得ということなし
05:42生涯にわたる非常に深い心の友ですね
05:46そういうような関係になっていったのではないかなと思います
05:49卒業の年日露戦争が起き
05:54定吉は省異候補生として三笠に乗り組んだ
05:59そしてバルチック艦隊と相対した日本海海戦
06:04集中砲火によってロシア軍の艦船が沈没していくのを
06:10目の当たりにすることになる
06:12艦船の上に集まっていた多くの人は
06:18水中に転落しまたは艦とともに海底に消え去ってしまった
06:24自分は三笠の環境上から
06:29至近の距離で双眼距離にこれを目撃したのである
06:33ああ気の毒だ
06:37かわいそうだと思わぬものはなかったろうと思う
06:41一方山本は自らが乗っていた戦艦の砲弾が暴発し
06:49左手の指2本を失う
06:52国は勝利に沸いていたが
06:55戦争の現実に初めて直面した定基地は
07:00苦悩を抱えることとなった
07:02この種の戦争艦は
07:07自分の海軍軍人という現在の立場に関して
07:11絶えず大なる反問を招来した
07:14その答えを出した262日に及ぶ後悔がある
07:22世界各国での多くの出会いに
07:27海でつながっていると実感しながら
07:30今度はどこと戦争することになるだろうかと
07:34問い続けた
07:35軍備は平和の保障である
07:40海軍は世界の平和を維持するために
07:45これを備うものであらねばならないと
07:47体感することによりて
07:49自分の気持ちを落ち着けようと
07:51努力するようにした
07:53身を海軍において
07:57民族平和的発展に貢献できるように
08:00努力することを
08:02天職として心得ていこうと決心した
08:05軍人として戦わないために
08:12何ができるか
08:13それが生きる道と定めたのだ
08:17それから6年
08:21定基地のフランスへの駐在が決まる
08:25フランス駐在の3年は
08:28自分の個性に根本的な影響を与えた
08:31フランスのダンディズムとか
08:38リベラリズムとかね
08:39そんなものが身についているような人で
08:41フランス文化を背景にしている
08:44というようなことは
08:46往々にして感じることが多かったですよ
08:48ルーソーやモンテスキュー
08:52ビクトル融合など
08:53現象を読みあさり
08:55時間を見つけては劇場に通って
08:58文化を吸収し続けた
09:00パリ滞在中に勃発した第一次世界大戦
09:07大量殺戮兵器が使われ
09:10民間人が巻き込まれていく有様に
09:13定基地の戦争感はより明確なものになり
09:17フランスに戦線布告した
09:19ドイツへの見方は決定的となった
09:23ドイツのミリタリズムや
09:26インペリアリズムというものが
09:28極度に嫌になってきた
09:30日本人のドイツ崇拝の有様を見ると
09:35たまらなく不愉快であり
09:37ことにドイツのことといえば
09:39一も二もなく盲目的に感覚し
09:43称賛するのを見たり聞いたりすると
09:45耐えがたい思いがするようになった
09:48帰国後
09:52当時では大胆と言える論文をまとめた
09:55人はまず生きんがために
10:01この世に生まれたるものなり
10:04事故の生存を欲すれば
10:08同様に他人の生存を尊重せざるべからず
10:13あらゆる場合において
10:15国家が行う戦争を
10:17前任して善となすべからざるなり
10:22そして
10:23日本海海戦の体験から
10:26ずっと反問を繰り返した中で
10:29至った結論だ
10:30戦争なる行為は
10:33常に乱
10:36
10:37悪なり
10:39堀は共産主義だ
10:44危険思想だ
10:46別の論文も含め問題視されるが
10:50その信念は
10:51定期値を国際協調と軍縮に
10:55奔走させることになる
10:57軍艦の建造が国家財政を圧迫する中
11:031921年
11:05ワシントンで軍縮会議が開かれた
11:07定期値は海軍大臣
11:11加藤智三郎全権の随員として参加した
11:15加藤は
11:17主力艦と空母の保有比率は
11:19アメリカイギリスの7割という
11:22他の随員の主張を抑え
11:246割とするアメリカの提案を受け入れる
11:28そして本国を説得するために
11:32先に帰国させる定期値に
11:34伝言を託した
11:35日本は米国との戦争を避けるを必要とす
11:41国防は国力に相応する武力を整えると同時に
11:46国力を寛容し
11:48外交手段により戦争を避けることが
11:52目下の時政において国防の本義なりと信ず
11:56国防は軍人の占有物にあらず
12:00それは定期値の考えそのものでもあった
12:05定期値の軍縮の思想には
12:10平和主義に加えもう一つ骨格があった
12:14合理主義というのはあって
12:17合理的に考えれば考えるほど
12:20軍備というのを各国がむやみに拡張してやり出せば
12:25経済が非常にお互いに困るので
12:27そういう点から言っても
12:29できるだけ軍縮をした方が
12:32経済的合理主義から言って助かるので
12:35だが海軍行政を司る海軍省と
12:40作戦指揮を管轄する軍令部の溝が広がっていく
12:45艦隊派と呼ばれた軍令部の強硬派は
12:49軍縮条約が屈辱的という主張を繰り広げた
12:54その後主力艦や空母以外の補助艦をめぐる
13:00軍縮会議がロンドンで行われた
13:03ここでも海軍の主張はわずかに届かず決着
13:08海軍内の組織の対立はさらに深まり
13:13艦隊派による条約派への攻撃が激しさを増していった
13:18非常に強硬論の人がいて
13:22この人たちが堀に対する嫉妬陣でいろいろ固まっている
13:30人たちの雰囲気とかいろんなものをリックスしながら
13:33ワシントン会議から堀のやることを妨害していくという
13:38非常に困ったことになっていくんですよね
13:39この人たちは要するに合理的に考えることができない
13:44人たちなんですね
13:462年後の上海事変はその後の定基地の運命を左右することになる
13:54司令官を務めた部隊が突然攻撃を受けると
13:58定基地は一旦退避し
14:00体制を整えた上で住民に被害が広がらないようにして反撃に出た
14:06だがこれが定基地を追い落とそうとする艦隊派の攻撃を一層強める材料となった
14:14戦闘準備を怠り逃亡したと献伝し
14:19指揮官には不適格という評価につながった
14:23しかし定基地は自らの立場の危機にも一切争うことをしなかった
14:32対立する意見を持っている人とかね
14:37自分に対してちょっとオフェンシブな人とかね
14:41そういう人に対してやり合うっていうのはね
14:45自分もそこまで下がるような気がして
14:48嫌だったんじゃないかと思いますね
14:50それだったらもうお前様方ね
14:52それやったらいいじゃないなと
14:54ということで挑戦とするっていうか
14:56それを一歩引くっていうかね
14:58死死存存に至るまでかかる海軍の人となるなかれ
15:04戦火誇張、巧妙争いのガキ堂
15:08同僚敗撃の醜悪なる畜生堂である
15:13可用な遊軍と共同して警備に従事せねばならなかったのは
15:19自分の不幸な巡り合わせである
15:22海軍も世の中も明らかに
15:28定基地の危惧する方向へ向かい始めた
15:31ややもすれば落ち着いて考える努力を惜しみ
15:37しかも人前では大きな強いことを言うような風潮が
15:41一般を支配し始めていた
15:44山本は定基地を何とか守ろうと
15:51艦隊派に影響力を持つ軍令部総長に異例の直言をする
15:57数計する堀中将を推薦されたく
16:02人事の構成が海軍結束の唯一の道
16:10しかし条約派の一層人事は行われた
16:14定基地は予備役に編入され
16:17海軍を追われることになった
16:20対米強行路線の艦隊派が主流となった瞬間だった
16:26経歴から言うと海軍男子になって
16:31全くおかしくはない人物ですので
16:34そういう人が残っているとですね
16:39これからの艦隊派の人たちにとっては
16:42やっぱりかなり目障りだというか
16:46そういう存在だったのではないかなと思います
16:49この人たちが追われることによって
16:53自分の力量は決まえない戦争に
16:57行ってしまったということになるので
16:59かなりの程度ですね
17:00堀中将の運命が日本の運命になったと
17:04出張先のロンドンで事実を知り
17:09落胆した山本が定基地にしたためた
17:13海軍の前途は誠に関心のいたりなり
17:19身を殺しても海軍のためなどという意気込みは
17:24なくなってしまった
17:26そんな山本の気持ちを立ち直らせたのは
17:31他でもない定基地だった
17:34山本さんまでいなくなったら
17:38結局その海軍の中で
17:40堀さんの考え方と同じように
17:43考え方を持っている人たちが
17:45少なくなるわけですよね
17:47だからお前までやめたら
17:49海軍のこの先どうなるんだという風に
17:52言って説得したと
17:54山本は口にこそ出さなかったが
17:58自分に物心両面における不自由をさせないと
18:03涙の出るほど気をつけてくれた
18:05山本は再就職先を紹介するなど
18:13その後の定基地を支えていた
18:15誰にもわからぬように
18:18私服で軍人らしさを見せずに
18:22よく定基地のもとを訪れたという
18:25ヒトラーが急速に独裁体制を築く
18:32ドイツとの軍事同盟に傾く空気が
18:35日本には広がっていく
18:37アメリカ駐在の経験から
18:41同盟は戦争につながると
18:43強く危惧していた山本は
18:45命に変えても
18:47同盟に反対する決意を記していた
18:50この身滅すべし
18:53この志奪うべからず
18:57志とは
19:00日米海戦があってはならないという
19:03定基地と共通の信念だった
19:05しかし
19:09対米戦争は避けられないものになっていく
19:13そして皮肉にも
19:16山本は
19:17連合艦隊司令長官として
19:20対米海戦の作戦を立案する立場に置かれていた
19:25攻撃の目標を
19:28真珠湾に定め
19:30月明の夜
19:34または霊明を期し
19:36全航空兵力をもって
19:39全滅を期して
19:41敵を強襲す
19:44だが山本は定基地にだけ苦悩を漏らしていた
19:50個人としての意見と
19:54正確に正反対の決意を固め
19:57その方向に
19:59一途邁進の他なき現在の立場は
20:02誠に変なもの
20:05これも明というものか
20:14万事急須か
20:15うん、万事急須
20:19もっとも
20:21もし交渉が打決を見るようなことになれば
20:25出動部隊はすぐ引き返すだけの手筈はしてあるが
20:28どうもね
20:30真珠湾攻撃の4日前
20:35定基地は横浜駅で
20:38山本の出発を見送った
20:42別れに臨み握手して
20:44じゃ、元気で
20:47と言うと
20:48山本氏は
20:50ありがとう
20:52もう、俺は帰れんだろうな
20:55と答えながら
20:57列車に登り
20:58進行を始めるとき静かに一言
21:01千代子さん、お大事に
21:04これが最後の別れであった
21:08それから1年4ヶ月
21:15山本は南洋
21:17ブーゲンビル島上空で
21:20土壌機が撃墜され
21:22戦死した
21:23死を覚悟していた山本は
21:26定基地へと
21:28ある封筒を託していた
21:30掘り定基地中将立ち合いで
21:34開封をこう
21:35中に入っていたのは
21:382通の10師と
21:40真珠湾攻撃の作戦案
21:43定基地と共通の
21:46非戦の信念と
21:47それを秘めた上で
21:49戦いに臨む覚悟だった
21:52それを定基地は川のカバンに入れ
22:22守り続けた
22:23明るみに出る日を待ちながら
22:27山本の真意をこう綴った
22:29対外強行論を執行して
22:33唐い張りをするような言動を
22:35好まざりしこと
22:37日独接近
22:39三国同盟には
22:41神明をとして反対したりしこと
22:44対米英戦争については
22:47大義名分の上より
22:50および国家暗記の古旅上よりして
22:52根本的に反対たりしこと
22:55中心より
22:58自極の平和解決を
23:00熱望したりしこと
23:01だがこの国は
23:08あの戦争に突入した
23:10三国同盟反対でも
23:14自極収集に関してでも
23:16何かもっとしっかりした貢献ができたのではなかろうか
23:21たとえ天下の体制すでに決し
23:25いかんともすることができなかった
23:28自由があったとするも
23:29何らかの形において
23:31何らかの方向に
23:34自分の力を致すことができなかったものであろうか
23:37これらの点は
23:40開墾の念が永久に消え去らずに
23:43いかにか心の奥底に潜むゆえんである
23:48信念を貫いたがゆえの苦悩を
23:54定吉はひそかに抱え続けていた
23:58ご視聴ありがとうございました

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