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  • 2025/7/4

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ニュース
トランスクリプション
00:00日本への復帰を前に琉球政府最後の主席が日本政府に届けようと携えた県議書
00:11沖縄県民最後の訴えと言われた県議書が審議の場に届くことはなかった
00:19日米両政府の間で結ばれた沖縄返還協定
00:25衆議院の特別委員会で審議されていたが突然自民党議員から審議打ち切りの動議が出され強行採決された
00:37沖縄から東京へ向かうやらちほびを主席を乗せた飛行機が羽田空港に着陸する直前のことだった
00:46全く唖然として不当まではなかったです
00:50やるにしても私はやる過程そのものがですね
00:56みんなの納得終了な過程を経てやるべきじゃなかったかと
01:02格抜き本土並と言われながら基地がそのまま残る返還
01:08研議所には戦後占領下に置かれた沖縄の実情と復帰後の沖縄が望む姿が記されていた
01:19アメリカは沖縄に極東の自由諸国の防衛という美名のもとに
01:28排他的かつ恣意的に膨大な基地を建設してきました
01:33国による軍事優先政策のもとで基本的人権すら侵害されてきたことは
01:42毎挙にいともありません
01:44この度の返還協定は基地を固定化するものであり
01:53県民の意思が十分に取り入れられていない
01:58政府並びに国会は
02:04この沖縄県民の最終的な権威に
02:10謙虚に耳を傾けて
02:13県民の中にある不満不安疑惑意見要求などを
02:23十分に汲み取ってもらいたいと思います
02:26しかし政府と国会が沖縄の民意に答えることはなかった
02:36幻の県議所と言われるゆえんである
02:42国会周辺だけでなく東京には怒りの声が渦巻いた
02:53抗議に訪れた若い女性が激励に歩み寄ったこの人物
03:04今日の日は民族に対する仏欲を与えた日として
03:11実に沖縄県民を含む日本国民の胸から
03:17消すことのできない
03:18仏欲に満ちた仏欲に満ちた歴史の一ページを
03:24さらに作り上げたことになる
03:27翌日の委員会で質問に立つはずだったこの人が
03:33瀬永亀次郎
03:35復帰を前に戦後沖縄から初めて選出された国会議員の一人だ
03:43戦後占領下の沖縄でアメリカ軍の圧勢に完全と立ち向かい
03:50復帰へ向けて民衆をリードした人物
03:53演説会を開けば毎回何万もの人を集め熱狂させた
04:01亀次郎さんが演説するところにいつも満杯だった
04:08だからおじいおばあなんかはね
04:12亀次郎の話聞いてこようって言ってね
04:15出かけたもんですよ
04:17作詞作曲家の千奈貞男さん
04:21沖縄民業の大御所である
04:25瀬永亀次郎の存在感をこう語る
04:31亀次郎と言った方がね
04:35なんかものすごくね
04:37なんていうかな
04:39抵抗があまり感じられないですね
04:45亀次郎はすごいよ
04:47読み捨てですよ
04:49そのだけ愛されてたということでしょうね
04:54不礼にも勝る裸の略土地立法だ
05:03復帰後も沖縄の人々の土地が返されないことを厳しく批判
05:10占領下に労働者の権利を主張し
05:16土地を守り
05:18祖国復帰を叫んだ
05:22手を焼いたアメリカ軍は
05:24その影響力を封じるために
05:27逮捕し
05:28投獄
05:31その後
05:32当選した那覇市長の座から追放するなど
05:35徹底的に弾圧した
05:39しかし
05:40市民は亀次郎に絶大な信頼を寄せていた
05:48この青い海の先で進む護岸工事
05:52この場所に新たに滑走路が建設されることが決まった2005年
06:01大きな混乱を目の当たりにした千奈さんの心に浮かんだのは
06:06亀次郎だった
06:08その思いはこんな歌になっていった
06:12うーん
06:16素敵な先さ
06:21後の宝さ
06:28はした想いよ
06:33届けていた方に
06:38それは昔 昔 その昔
06:50偉い偉い人がいて
06:56島のため 人のため
07:04尽くしたあなたならどうする
07:15海の向こう
07:21教えてよ 亀次郎
07:27辺野古の基地の前を通っていかなきゃいけないわけですよ
07:32そしたら 基地反対運動をなすっている座り込みの人たちが手を振るんですね
07:38手を振るんです
07:40頑張ろうじゃありませんかみたいなね
07:42あんたもたの思うよみたいな感じでね
07:44手を振るんですよ
07:45そこをね 僕は車で素通りしていくんですけど
07:48手ぺんとうでね
07:50その
07:52郷土合いをね むき出しにして
07:54あそこで座り込んでるわけでしょ
07:56この人たちに向こういるためにどうすればいいかというときで亀次郎がぽっと出てきたりするわけですよ。
08:05そしたらあんた教えてよみたいなねそういう気分になりますよねあんたがどうしましたかと。
08:21そして北部の山の中に身を置いた。
08:30気になるところにこれまとめてしばらく佇んでるとねそこからあの歌みたいなものがね感じられてくるんですよ。
08:40その自然界の中から歌も生まれてくるわけですよ。
08:45海をね 真っ赤に染めるのは
08:48赤土埋めるのはね よくありませんよと。
08:51山を切り開いてね
08:53基地を拡張するのもいかがなもんかと
08:57いう問いかけみたいなね
09:00ことも含めて
09:01この教えてよかみいろ
09:04には
09:05僕の思いがね
09:07込められてるんですね。
09:09それは海が赤く鳴いている
09:17自然を壊す人がいる
09:23約束は
09:28守らず
09:31そっぽを向く
09:35あなたならどうする?
09:41愛と
09:44
09:47教えてよ
09:50亀次郎
09:54亀次郎の存在に
09:56沖縄に対する愛をね
09:58感じてほしいと。そのために
10:01どうするんですか?あなたたちは。
10:03それは
10:05亀次郎への問いかけと同時に
10:08現代を生きる人間に
10:10突きつけたものでもあった。
10:17おなかです。おめでとうございます。
10:19おなか市長。
10:212010年9月
10:23当時那覇市長だった
10:25沖縄県の尾長知事が
10:27100歳の祝福に訪れたのは
10:30瀬永文さん。
10:33沖縄県が生んだ
10:35本当に超一級のですね
10:37素晴らしい政治家の奥様として。
10:40占領下で
10:42アメリカ軍の弾圧にも戦い続けた
10:45瀬永亀次郎の妻である。
10:51戦前の治安維持法などにより
10:54投獄された過去から
10:56亀次郎を刑務所から出てきた人
11:00思想犯などと
11:02ふみさんの親戚など
11:04周囲は結婚に反対していたという。
11:07しかし、ふみさんの心は揺るがなかった。
11:12何かをなす人じゃないかっていう
11:15意志が強くて、将来
11:18何かちゃんとやる人だと思っていた。
11:22この人と一緒になりたいっていうことで
11:24なったわけですから、見抜いていたんでしょうね。
11:29その目は間違っていなかった。
11:33暗黒時代と呼ばれた占領下。
11:36亀次郎は人々にとって希望だった。
11:43みんなはこんな弁護にづけづけは言えないけど
11:47みんなが言えないことを自分は代弁して言っている。
11:50みんながたくさん聞きに来るのはね、自分たちの思いを
11:54亀次郎が言うから聞きに来るんであってね。
11:57そうでなかったら指示はされないっていう。
12:01亀次郎と民衆が一体となることを恐れるアメリカ軍は、
12:06亀次郎の演説を聞いたと分かれば、
12:09基地従業員を解雇していった。
12:13自分の雇用員っていうのはもう木の上に隠れたりとか、
12:18暗闇に隠れて聞いているんですけど、それでも写真撮られて、
12:23もう翌日パス取り上げられて首だったっていう人がね、
12:27たくさんいたっていう話はよく聞くんですよ。
12:31それほど弾圧されても聞きに行きたいと思う人たちがいたっていうことは、
12:37自分たち胸のすくようなことを言ってくれる演説が聞きたいと思ったんだと思いますね。
12:45市民への影響力を損こうと、アメリカ軍はついに亀次郎を逮捕。
12:53懲役2年の判決が言い渡された法廷で、不安そうな表情を浮かべるのは、
13:00フミさんだ。
13:06週刊直後の沖縄刑務所では、
13:10待遇改善を求める受刑者が暴れだした。
13:15後に事件を振り返る、亀次郎の肉声が残されている。
13:22暴動事件と言いますか、あれ暴動ではなくてね、
13:27私は民族の兵器にも書いてあるがね、
13:30いわゆるその当時のね、アメリカ米軍政府の
13:35過酷な圧勢に対するね、一つの抵抗であり、
13:41さらに刑務官全部じゃないが、刑務官一部の暴力に対するね、
13:47抗議、いかなる権力のもとでもね、それを言うだけの勇気は持つべきだという風の教訓としてね。
13:56その存在自体が受刑者を元気づけたと考えた当局は、
14:02亀次郎を宮古島の刑務所に隔離する。
14:07他の受刑者とも全く接触させない、孤独な抗菌生活。
14:13その孤独感を克服させたのは、文さんからの頼りだった。
14:209時ごろ、文からの手紙を渡された。
14:25文の手紙は日記帯になっていて、世を得ている。
14:30僕の逮捕当局以来、こちらの世話、気苦労、
14:35当の同志たちとの相談や付き合い、犠牲者家族に対する世話など大変だろう。
14:42想像に絶するものがあるだろうが、あと19ヶ月だ。
14:48頑張れよ、文。
14:515回も読み返し読んだ。飽きないものだ。
14:58抗菌者心理も手伝っていようが、淡々なる文章の中に、
15:03あるだけの愛情を流し込んである。
15:06それが読むごとににじみ出てくるのだから、
15:11何回読んでも新しい感情が迫って、読み続けさせるのである。
15:18楽しかったんだと思いますけども、手紙が来たもんだから、
15:23とても喜んでから、ラブレター的なもんだっただろうなって。
15:29その後の文さんの手紙には、
15:34ご忠告、承知いたしました。
15:38私は別に負担過重とは思っておりません。
15:45張り切って、当再建のためにやっております。
15:50いろいろ出来事を詳しく報告できないのは、
15:54私たちの手紙を基礎に、いろいろな弾圧や圧迫や妨害がなさらんとも限らないという気遣いからです。
16:05演説会には、例の通り、CICや私服がいっぱい、後方に入り込んでいる状態です。
16:18出目した後、二人はさらに支え合った。
16:225時起床、洗濯。
16:29文は助かっているようだ。
16:33汚れ物は、一物も残さず、ザブザブ毎朝やっているのだから。
16:39また、彼女は店が忙しいので、洗濯物を押し付けるには気の毒である。
16:46もちろん、そんな道場から来ているのではなしに、自然に起きるのだから。
16:51手持ちぶさただから片っ端から洗っているのである。
16:56感謝しなくてもよろしい。
16:58私が一番尊敬するのは、やっぱり男女平等の精神を持っていたということ。
17:09掃除とか洗濯とか、もう率先して自分でやってましたので、
17:15大きなカナダライに家族全部の洗濯物を入れて、洗ってから洗剤がまだあってもったいないもんだから、
17:23おい、もっと洗濯物ないかって呼ばれたのよく覚えてるんですよ。
17:27家族中の洗濯ですよ。
17:29そしてシーツとかを足で踏んで洗ったりとかね。
17:3350年以上前に訴えていた女性が輝く社会。
17:39逮捕される前の立法院議員時代、亀次郎は女性の権利獲得にも奔走していた。
17:48自ら発議した労働法の審議で、男女平等の待遇を求めた。
17:54婦人労働者が弱い立場に置かれています。
18:013前3後の有給休暇2ヶ月とあるが、あまりに長い。
18:07特に洗濯家の苦しい家庭生活の中で、婦人は苦しい生活を強いられています。
18:143前3後2ヶ月はそんなに長いとは思いません。
18:19男にそんな休暇はない。男女平等ではない。
18:26子供はおっ母さんが産むものでして、父親は産まないことになっています。
18:313前3後の有給休暇は、もう近代国家の常識になっています。
18:39亀次郎が那覇市長を追放され、非選挙権も奪われている間、
18:46フミさんは周囲に押され、那覇市議となった。
18:53フミさんにとって亀次郎は、政治の友であり、死でもあった。
19:01フミ、どうかと思ったが、案外落ち着いて、原稿も見ないでうまくこなしている。
19:08早口は直さなければならない。
19:12憲法の条項など取り入れて説明するあたり、特によろしい。
19:18直してもらいたいこともあるが、初めての演説だ。
19:22まず合格点。
19:25演説が得意な亀次郎の指導で、
19:28フミさんは亀次郎がいない間の市民の声の受け皿になっていた。
19:38亀次郎の自宅は、自らが集団された刑務所の隣にあった。
19:45町やごわと呼ばれる小さな雑貨店でもあった。
19:5112年間ここは店だったんですね。母が議員に当選するまで。
19:58いろんな人が生活相談に来る場でもあったし。
20:01那覇市長を追放されてからは、亀次郎も店番をした。
20:09町やごわは多くの市民と関わる、いわば窓口になっていた。
20:15亀次郎さんのお店は、タバコも1本ずつバラして売るのよ、とかね。
20:22チョウインガムも1枚ずつ売るとかね。
20:24とても今でも有名ですね。
20:27これぐらいでしたよ、このぐらい。
20:30ヘイト、道がね。
20:32はい。
20:35ここは、かつて父亀次郎が集会。
20:39この囚人たちがね、出国してくるでしょ。
20:43一番先に来るのは、うちのお店なんですよ。
20:46そしたら、神次郎さんにお世話になりましたって。
20:50同じ釜の飯を送っていましたって言ってね。
20:54神次郎さんが、出国してくるでしょ。
20:56一番先に来るのは、うちのお店なんですよ。
20:59そしたら、神次郎さんにお世話になりましたって。
21:02そしたら、あの、神次郎さんにお世話になりましたって。
21:05同じ釜の飯を送っていましたって言ってね。
21:08神次郎さんがあの時ね、暴動事件の時、逃げたらダメだよって言って。
21:13もっと罪が重くなるからって説得されたからね。
21:16僕は今出てこれましたっていう囚人たちが多くて。
21:20今、子どもたちの声が響く公園になった、かつての沖縄刑務所。
21:26その跡地を新たな姿に変えたのは、那覇市議としての文さんの仕事だった。
21:35そんな文さんが、夫、亀次郎を語っていた。
21:40セナガは、ほとんど物に動じない人です。
21:47住民や労働者の要求を、アメリカ占領軍に掛け合う時、一歩も後に引かなかったとか。
21:55那覇市長時代、米軍党保守派から、ありとあらゆる妨害、嫌がらせを受けながらも、
22:04これを大然と跳ね返していた姿も、忘れられない一コマです。
22:09こんな彼でも、自分は貧乏していても、一一倍困っている人のことを考え、
22:18持っているものをみんな与えてしまうたちです。
22:22欲がないから、いつでも貧乏でいます。
22:27全ては、持たざる人のために。
22:33常に民衆と歩み続けた、セナガ亀次郎は、
22:38苦難の時が止まることのない沖縄で、今も人々が教えをこい続ける人物である。
22:47平和を愛するうちだと、戦う拠点の基地がある。
23:01目を合わせる、ふやふじがいるのに。
23:11あなたならどうする?
23:19隣、合わせを、教えてよ、亀次郎。
23:30この沖縄の大地は、基地となることを拒否する。
23:42戦後、アメリカの圧勢に挑んだ男がいた。
23:46アメリカが最も恐れた男。
23:48その名は、亀次郎。
23:50みんなに勇気を与えたんです。
23:52ご視聴ありがとうございました。

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