著者:町田由美
マヤは氷を割りながら滑らかな英語で笑っていた。カウンターを挟んだ外国人客の冗談を受け流し、すぐさま隣の常連客へ日本語で軽妙な相づちを打つ。その鮮やかな横顔に、誰もが魅了されていた。
「マヤちゃんって、ハーフ? どこの国の人?」
悪気のない、何千回と繰り返された問いかけ。マヤの手元が一瞬だけ止まり、グラスを拭く白い指先がかすかに強張るのを、カウンターの端に座る私は見逃さなかった。
「父がアメリカ人で、母が日本人です」
いつもの完璧な営業用スマイル。マヤの両親は、かつてサーキットという熱狂の真ん中で出会った。父は風を切り裂いて走るレーサー、母はその傍らで日傘を差していたレースクイーン。轟音と歓声のなかで生まれたはずの彼女は、物心ついた頃から「どちらの国にも属せない」静かな孤独のなかにいた。学校では浮いた存在として見られ、父の故郷へ行けば異邦人として扱われる。誰もが彼女の均整の取れた容姿や流暢な発音を褒めそやし、勝手に都合のいいラベルを貼り付けて消費していった。
深夜二時を回り、喧騒が引いた店内で、私たちは氷の溶けたカクテルを分け合った。マヤはカウンターの上に置いたスマートフォンで、父の暮らす西海岸のニュースを眺めている。
「時々ね、私の本当の居場所ってどこなんだろうって思うよ」
ぽつりと落ちた声は、いつも凛と張られた声とは違い、頼りなく揺れていた。サーキットのチェッカーフラッグのように白黒はっきりした世界なら楽なのに、自分の立ち位置はいつも曖昧な境界線の上にあるのだと。
「どっち側の世界にも染まりきらなくていいんじゃないかな」
私がそう言うと、マヤは少し驚いたように顔を上げた。
「マヤは誰かの期待や視線に応えるために生きてるわけじゃない。ふたつの海を渡る鳥みたいに、マヤだけの場所を自分で作ればいいんだよ。迷いながらここに立っているマヤが、一番かっこいい」
マヤはしばらく黙り込み、それからふっと小さく吹き出して、いつもの強い瞳を取り戻した。
店の重いシャッターを押し上げると、青白い夜明けの光が街を染め始めていた。始発の音が遠くで響く。冷たい朝の空気を胸いっぱいに吸い込み、朝日を浴びて歩き出すマヤの背中は、どんな境界線も軽やかに飛び越えていくように真っ直ぐで、誇らしかった。