- 2 日前
カテゴリ
📚
教育トランスクリプション
00:01今日は終戦から81年
00:03過酷な体験により心を壊されていった兵士たちは
00:07今なおその苦しみの中にいます
00:10元兵士だけでなく子や孫にまで連鎖する戦争トラウマ
00:15私たちはその実態を取材しました
00:21新潟県村上市を北に向かいます
00:24実際の戦場を体験した方が存命だと聞いたからです
00:48お名前と生年月日お年を教えてください
01:09佐藤哲夫さん
01:11先の対戦で最も無謀と言われたインパール作戦を生
01:16き抜いた一人です
01:20インパール作戦
01:22敵の補給路を建つため要所であるインパールを攻略する
01:27作戦でした
01:29しかし過酷な地理的条件と平坦を無視した作戦に
01:33当初から苦戦を強いられました
01:39佐藤さんの足には戦場で受けた傷跡が生々しく残って
01:44います
02:09けがは物量に勝るイギリス軍の砲撃によるもの
02:13です
02:14軍歴書には当時の状況が記されています
02:19這うようにして野戦病院に向かい
02:22玉の摘出手術を受けたのは3ヶ月後のことでした
02:28手足をしっかりすばってきて
02:31回せよ何もねえやんだ
02:34そのまましっかりすばってきて
02:35いでいでに泣けば
02:37部員何の方もいえば
02:39泣け泣け泣け泣けば治るってことに
02:44手術からわずか3日で退院
02:47最前線に戻されますが
02:49戦況は悪化の一方で
02:51転身撤退を余儀なくされます
02:57悲劇は戦闘時よりむしろ撤退の時に起きました
03:02食料も薬もない
03:04飢えと病で兵士が次々と倒れていきました
03:32ようやくジャングルを出てきた兵士を待っていたのは
03:36仲間ではありませんでした
04:00遺体がルイルイと横たわる道は
04:03白骨カイドと呼ばれました
04:09結局誰一人インパールにたどり着くことはなく
04:13作戦は中止されました
04:16動員された兵力10万
04:18犠牲者は3万人以上に上りました
04:23日本は勝つ見込みはねえんだと思ってた
04:27もうインパール作戦は失敗するだろうと思ってた
04:31そう
04:32最初最初から変える見込みはねえと思ってた
04:40第一次世界大戦が戦争の形を変えた
04:44総力戦と呼ばれる国家を挙げた戦いに
04:48一般市民も最前線に送り出された
04:53戦車や機関銃
04:55次々と投入される新兵器
04:58長時間にわたる残豪戦のストレスが
05:02兵士たちに重くのしかかった
05:07突然の痙攣や歩行障害などの症状は
05:11シェルショックと呼ばれた
05:211937年7月
05:23日中戦争勃発
05:26戦線の拡大とともに
05:27日本の兵士たちにも
05:29精神的な変調を訴えるものが増えていった
05:38過酷な戦争体験により
05:40心を壊されていった兵士たちの
05:44貴重な映像が残されている
05:48手足の痙攣が止まらず
05:51字がうまく書けない兵士
05:54コップの水を飲むことも難しい
05:59立ち上がったり歩いたりするのが困難で
06:04倒れてしまう兵士も
06:08当時は戦争神経症と呼ばれ
06:11痙攣や発作を起こす兵士も多かった
06:16だが軍は
06:20大戦名物の砲弾病
06:22抗軍には皆無
06:26精神疾患の兵士は一人もいないとして
06:29その存在を否定した
06:35そんな兵士たちを国民の目からそらすため
06:38軍はある施設に収容した
06:43千葉県市川市に開設された
06:46河野台陸軍病院だ
06:50日中戦争が拡大した1938年から
06:55太平洋戦争が終わるまでの7年間
07:001万人を超える精神疾患の兵士たちを
07:03収容
07:05全国から優秀な軍医を集め
07:08秘密裏に研究も行われていた
07:18兵士たちのカルテのコピーが
07:20千葉県内の病院に保管されている
07:24ここがこれはあれですか
07:29全ていわゆる病床日誌
07:32はい
07:328002人の方の病床日誌になります
07:37終戦の当時焼却処分しろという命令があったんですけれども
07:43うちの初代理事長の浅井俊夫らが
07:46焼却するには忍びない貴重な資料だったことが
07:49ドラム缶に入れて
07:51賑わなどこかに隠したらしいんです
07:56カルテを隠して今に残した軍医の一人
08:00浅井病院の初代院長浅井俊夫
08:06自らの著書でこう述べている
08:12これらの患者は考えてみると対戦がなければ
08:17彼らが経験したような人生の悲劇をせずに
08:22済んだかもしれない
08:27年代の孫にあたる現理事長
08:30浅井俊夫氏は
08:35軍の命令に背くっていうのは
08:37本当にもう命がけの行為だったというふうに思います
08:41やはりそこに患者さん一人一人の叫びも刻まれて
08:46ますし
08:49残された8000人分のカルテ
08:54そこには戦地での加害行為などにより
08:58精神に異常をきたした兵士たちの声が細かく記録
09:03されていた
09:06三島省において
09:09領民六名を殺したることあり
09:14これが夢に出て
09:15うなされてならぬ
09:21許してください
09:24何も悪いことはしておらんです
09:29殺されるようなことは
09:32しておらんですから
09:36戦場で負傷してから
09:38不眠の症状が現れた上等兵は
09:45どこからか
09:46父の声や
09:48兄の声が聞こえてきます
09:53死ねというであります
09:58今日は殺されるような気がして
10:04当時
10:05精神疾患の兵士たちに
10:07有効な薬や治療は
10:10ほとんどなかった
10:13そんな中で
10:15頻繁に行われていたのが
10:17電撃療法だ
10:211930年代半ばに開発された治療法で
10:25米紙に機械を当て
10:28電気を流し
10:30脳の機能の回復を促す
10:37戦後
10:38河野大病院に勤務し
10:40電撃療法を間近で見てきた
10:43元看護師の久保英子さんは
11:09だが症状の改善は難しく
11:13現体に復帰できる兵士は少なかった
11:20河野大陸軍病院の近くで生まれ育った
11:23平井浩二さん85歳
11:28当時地域では病院や兵士たちのことを語るのは
11:33タブーだったという
11:37ここに入り口のほら
11:39鉄筋じゃないけどほら
11:41陸軍病院ってあれがあったけど
11:44勧告令というかね
11:46要するに触らないんですよ
11:49聞いても知らなくてもいいんだよ
11:51っていうような言い方されるわけです
11:56軍はなぜ兵士たちの存在を隠そうとしたのか
12:03戦争トラウマに詳しい専門家は
12:07こういった精神疾患については
12:09名誉の不詳という扱いよりも
12:11むしろ恥なんですよね
12:13本人にとっても恥で
12:16距離にとっても恥ですので
12:18こういうものはなるべく少なく
12:20見えなくするということが
12:23やっぱり軍情総務の方針として
12:25あったんだと思いますね
12:30精神疾患を起こした兵士たちは
12:33戦後どのような道を歩んでいったのか
12:38東京小平市に開設された武蔵療養所
12:43終戦の年までに1000人近い兵士が入所し
12:47多くの人が何十年にもわたる
12:50療養生活をここで送った
12:56兵士たちを30年近く支援してきた
12:59元職員の古谷隆太氏に
13:03跡地を案内してもらった
13:08入ってくるとすぐここに
13:10大きな体育館があって
13:14元兵士の方々も参加していた
13:17合唱祭っていうのが毎年ここで行われてましたね
13:19ラバウルコ歌とか
13:22麦と兵隊とか
13:23昔の軍歌を歌う
13:30その光景を記録した映像が残されている
13:47これは1970年から15年間にわたり
13:52TBSの吉永春子ディレクターが
13:55武蔵療養所の元兵士の姿を追った
13:59ドキュメンタリー
14:03この療養所に
14:04未福音と呼ばれる人々がいる
14:08戦争中軍務に服しながら
14:10精神障害を起こした人たちがそれである
14:17ある元兵士は
14:18淀みなく軍人直輸を暗唱した
14:33彼らは戦後25年が過ぎても
14:36戦争体験を引きずったまま
14:39ここでひっそりと暮らしていた
14:4225年間は一体何であったのだろう
14:47後軍の兵士としての自意識は
14:53とても強い方々が多かったですよね
14:55すでに戦後ずっと経ているのに
15:01この意識は変わらないんだなというのは
15:04とてもみんな不思議ではありまして
15:09彼らを見てきた看護師たちが
15:11当時の様子を語った
15:17特攻隊外人の人がいたね
15:19あの人すごい良い人なんだけど
15:22突然で暴力的になるのね
15:26カーッとなって
15:26気の毒だった
15:28皆さんこういう方々と戦争のお話を聞いたことがありますか
15:34とんどしてないです
15:36やっぱり30年40年経っても心の傷として残ってるっていうのはある
15:45ので
15:46結構人たちだって話さないけれども
15:49やっぱりやってきた気持ちの中でね
15:52片腕のない人がいたし
15:54シャキッとして
15:56あの人絶対言わなかったもんね
15:59腕のことも言わないし
16:01それで絶対言わなかったよ
16:04だから多分本人の中では相当あったんだろうとは思うけどね
16:11武蔵療養所では農業などの作業療法を取り入れ
16:17元兵士たちの社会復帰を後押ししようとした
16:22だが彼らを恥とみなす世間の風潮は根強く
16:28それは家族も変わりなかった
16:33面会は結構いらっしゃってたんですか
16:36ないでしょ
16:41聞いたことないよね
16:45もう預けたまま
16:46だって昔はもう変な話
16:50死んじゃったのと同じような扱いでしょ
16:53だってあんまり声が良くないから
16:56特に地方の人なんかね
16:58結構地方の人もいたからね
17:04元兵士たちの中には生まれ育ったふるさとに帰り
17:09たいと願う人も多かった
17:14あのふるさとのことなんて思いになりますか
17:18思います
17:20どういう風になっているでしょうね今は
17:22さあご存じじゃないですね
17:24ずいぶん変わっていることだと思いますけども
17:26もう20年も22年もいかないからね
17:30一度行きたいと思いになりますか
17:31はい行きたいと思います
17:35戦後
17:36行き場を失い
17:38療養所に取り残された精神疾患の元兵士たち
17:4655年前
17:47tbsは元兵士たちの様子を記録していた
17:56この日
17:57病状の良くなった元陸軍一等兵の男性が
18:02医師のつき添いで里帰りできることになった
18:09およそ30年ぶりとなるふるさと
18:13男性はこの日のために貯金をはたいて背広を伸長した
18:21玄関先で母親が出迎えてくれた
18:25ああ
18:27お母さん
18:28はい
18:30どなたさんもご苦労さんでございました
18:34これ病院の先生
18:35病院の先生
18:37そうかなな
18:38どうもありがとうございました
18:42俺元気だ
18:43俺も大丈夫だ
18:44その方がいい
18:45元気になったで何より嬉しい
18:47元気はやけない
18:48頭が少し読みかけちゃダメだ
18:51読みかけちゃ常でもな
18:55兄が寮から帰ってきた
18:58だが弟の顔をすっかり忘れていた
19:04食事の場でも弟の顔を見ようともせず
19:09ほとんど話もしなかった
19:13医師が退院できるようになったら
19:16家に引き取ってもらえるかと尋ねたが
19:20兄は断った
19:25里帰りは3日間の予定だったが
19:28自分は受け入れられないと悟った男性は
19:33翌日早々
19:34ふるさとを離れ
19:36東京の療養所に戻った
19:44戦争中
19:45軍務に復しながら
19:47精神疾患を起こした兵士たちは
19:50社会や家族からも受け入れられず
19:53結局
19:55療養所で暮らし続けるしかなかった
20:13そして
20:14そのまま最後を迎えていった
20:21故郷に帰りたいって思いをみんな持っていたけども
20:25故郷に帰れない
20:26言葉きついかもしれませんけど
20:28二度殺されたようなもんですよね
20:31でそのままあんまり
20:34自らそんなに訴えることなく
20:36言葉を飲み込んだまま
20:38亡くなっていく方が圧倒的に多かったということですよね
20:45心を病んだのは
20:47日本人だけではありませんでした
20:49李・ヨンギルさん
20:51戦後もふるさと
20:53朝鮮半島に戻ることなく
20:55日本の療養所で亡くなりました
21:00戦時中
21:01スマトラで捕虜の監視に当たった李さんは
21:04戦後
21:05戦犯となり
21:06懲役10年の判決を受けました
21:10言動に異常が見られたのはこの頃です
21:16日本へ移送された後も症状は改善せず
21:20千葉県の療養所の閉鎖病棟に移されました
21:26日本国籍を持たない李さんには恩急も出ません
21:30物心両面で支え続けたのが
21:33朝鮮半島出身の戦犯仲間たちでした
21:39京セン女学園大学の宇住愛子名誉教授は
21:43李さんを見舞ったことがあります
21:47お土産に持って行ったバナナ
21:51それを虫に召し上がっていました
21:54話をしないで
21:55ひたすらバナナを食べているというのが
21:57私の時の印象でした
22:00インドネシアのスマトラ
22:02そしてその後先般になって交流されたジャワ
22:06だから南方ですから
22:08やっぱりバナナっていうのは
22:10彼の中にはずっとあったんだと思いますね
22:161991年8月のリオンギルさんの死を伝える新聞
22:21見出しには孤独の死とあります
22:2678歳でした
22:28半世紀にわたって社会から隔離された李さん
22:33棺には先般仲間が新調した背広が入れられました
22:42李さんの遺骨は今
22:44東京小平の寺に安置されています
22:50遺骨を見守ってきた先般仲間たちは
22:53すでに他界しました
22:59在日朝鮮人のユンピョガム住職が
23:03李さんの遺骨と私たちを引き合わせてくれました
23:13本堂に朝鮮式の度胸が響きます
23:19李さんは日本の戦争責任を負わされ
23:23心も傷つけられました
23:26戦後81年
23:27その事実は忘れ去られようとしています
23:39由美さんのすべての老い骨です
23:42きれいですね
23:46骨がね
23:47言葉がないと思いますけれども
23:50血のつながりもない人たちが
23:53このお骨一つの問題にね
23:55みんな携わってきてくれるので
23:58その喜びの声がね
23:59聞こえるんですよ
24:03戦後家族にも見取られることなく
24:07静かにこの世を去っていった
24:09精神疾患の兵士たち
24:13彼らが苦しみ続けた戦争トラウマは
24:17次世代にまで連鎖していた
24:21こんにちは
24:24こんにちは初めまして
24:27大阪で小さなカフェを営む
24:30藤岡道夫さん67歳
24:35藤岡さんは50年以上経つ今も
24:38亡くなった父親の写真を
24:41直視することができない
24:43ここですね
24:45父の写真があるところは
24:48ここ
24:48普通に海軍帽をかぶった
24:51穏やかな父の写真なんですよ
24:54でもその写真は私にとったら
24:57大魔神の父に見えるんですよ
25:00今も見ることはできない
25:02できないですね
25:03こうやってハンカチで包んでるから
25:05なんとかここにいてもらえるけど
25:11藤岡さんの父
25:13古本石松さん
25:16二十歳の時
25:17海軍に入隊し
25:19機関兵として
25:21航空基地などに配属された
25:25戦後3年間のシベリア浴流を経て
25:29ふるさとに戻った
25:33戦争に行く前は穏やかでいい人だったと
25:37親戚中が口を揃えていたが
25:41福音後は酒に溺れ
25:43暴力を振るうようになったという
25:48突然キリッて言うんですけど
25:50今からみんなで死のう
25:52お父ちゃんと死ぬんだって言うんですよ
25:54で父がプロファンガスを
25:57線をピッて開けるんです
25:59そしたらシーッて音がするんです
26:02母がもう半狂乱で
26:04死ぬんだったらお前だけ死ね
26:06一方でこんな時も
26:10窓ガラスがガタガタガタって言うと
26:13軍隊の足音が聞こえるとか
26:15あいつが殺しに来るって
26:17もうその大の大人がね
26:18もう部屋の片隅でね
26:20もう本当にガタガタ震えて
26:22もう号泣してるんですよ
26:28藤岡さんが9歳の時
26:30両親が離婚
26:33その年の暮れ
26:34父親は亡くなった
26:38自殺だった
26:4220歳になり
26:43保育士として働き始めた
26:45藤岡さん
26:47だが父親の暴力の記憶は消えず
26:52突然フラッシュバックに
26:54襲われることもあった
26:59ミストがね
27:00駅を出た時にシーッて聞こえたんで
27:02うわーガスが出てる
27:04と思って
27:04もう一瞬にして
27:065歳6歳の自分に戻っちゃって
27:09お父ちゃんがガスをひねったと思って
27:15そんな藤岡さんの気持ちを変えたのは
27:173年前
27:20同じように
27:21父親の戦争トラウマに苦しむ人たちとの
27:25出会いだった
27:29父親のことを知りたくなった
27:31藤岡さんは
27:33役所から軍歴書を取り寄せた
27:37すると
27:38千島列島の航空基地で
27:41過酷な任務に就いていたことが分かった
27:46アメリカの艦砲射撃にあったりとか
27:48トラックで味方に物資を運んでいる時にも
27:53自分の部下たちがバカンバカンとやられながら
27:56なんとかこう飼いくぐって
27:59自分だけ生き残ってしまったような
28:01罪悪感でうらーってやってしまうっていう
28:08戦争トラウマの連鎖は子供だけでなく
28:12孫世代にも及んでいた
28:19戦争トラウマの苦しみは
28:22世代を超え
28:23子供からさらに孫にも連鎖している
28:29旧日本軍兵士の孫
28:31石井美希子さん
28:3341歳
28:373年前
28:38医師から複雑性PTSDと診断され
28:43今も自宅に引きこもる生活を続けている
28:50本当に数年間家の中で
28:52本当にここのリビングで過ごすっていう
28:58石井さんは幼い頃
29:00母親に暴力を振るう父親の姿を
29:04よく目撃したという
29:08いわゆる免前DVっていう
29:11何かいつ暴力が分かるか
29:13起こるか分かんないって
29:14緊張状態は
29:16無意識ながらもあったのかなっていう風に
29:21父親の暴力は
29:23幼い石井さんにとって
29:25恐怖でしかなかった
29:29その気持ちは
29:30大人になっても拭いきれず
29:33生きづらさに苦しみ続けた
29:38そんな中
29:39親戚との会話で
29:41父親が祖父から軍隊で行うような暴力を
29:46度々受けていたことを知った
29:51連帯責任を取らせて
29:52一列並べて顔をビンタするとか
29:56そういうことを
29:58祖父は戦後
30:01生まれた自分の子供たちに対して
30:04懲罰として行っていたようで
30:08父親の暴力は
30:11祖父の代から続く
30:12戦争トラウマによるものかもしれない
30:16そう考えるようになった石井さんは
30:19祖父の軍歴書を取り寄せた
30:23すると終戦の前の年
30:25鹿児島の守備隊で
30:27敵の上陸を阻止する
30:30決死作戦の訓練を受けていたことが分かった
30:36私が親戚から聞いていた祖父が
30:38実際にやってしまったことを
30:39付き合わせると
30:41すごく腑に落ちたんです
30:43訓練を受ける軍隊の中で
30:45すでに祖父は
30:47心を押そうと
30:50壊されていたんじゃないかなという
30:55戦争トラウマを研究する専門家は
31:01元兵士のお子さんとかお孫さんに
31:05最近インタビューをしているんですけれども
31:07もう本当に重度のアルコール依存症であったりとか
31:12精神科での治療が必要そうな方とかですね
31:17そういう方でもなかなか治療を受けていないという
31:21ケースが非常に多くて
31:24戦争の影響というのがいかに長く続くのか
31:31生きづらさの原因が
31:33戦争に由来していると思えたことで
31:36少しずつ気持ちが楽になれた石井さん
31:42今年同じ経験を持つ人たちと
31:45悩みを共有するため
31:47戦争トラウマ賛成の会を立ち上げた
31:52こうして語り合うことが
31:54心の支えになっている
31:56自分の今の生きづらさというのが
32:02まさか2世代前の戦争から始まった
32:07家族の苦しみだということが
32:09どこにも情報がなくて
32:12分からないということほど
32:14正体不明ということほど
32:17人を苦しめることってないと思うので
32:22国は戦争が終わっても
32:25兵士たちの精神疾患は
32:27大多数が先天性で
32:30個人の素質によるものだとして
32:33その存在を認めてこなかった
32:38だが3年前
32:40家族界の強い要請などにより
32:43戦争トラウマ兵士の問題が
32:46国会で取り上げられた
32:52戦争トラウマ2世の
32:54藤岡道夫さんは
32:56去年2月
32:57家族界の仲間たちとともに
33:01戦争で心を壊した兵士たちの
33:03実態調査を求めるため
33:06国の担当者と面談した
33:11私たちが生き生人なんです
33:14本気で父がどんな生き様をしてきたか
33:17ということを
33:18あなた方にきちんと分かってほしい
33:24国はようやく調査を始め
33:27去年7月
33:29国立の戦傷病者資料館で
33:32初めて概要を公開した
33:37大戦末期の4年間
33:39戦病者785万人のうち
33:43およそ8%に当たる67万人が
33:47精神病その他の神経症と推計
33:52だがこの数字は
33:54病院などで治療を受けた兵士に限ったもので
33:58一部に過ぎない
34:04専門家は
34:06日中戦争から台北戦までの時期を含めたら
34:11もっと増える可能性がありますし
34:14あと戦争末期になってくると
34:16本当に軍隊自体が崩壊していきますので
34:20実態調査というにはちょっと違うかなというか
34:29長年なかったことにされてきた
34:32兵士たちの心の傷
34:35その解明を望む一方で
34:37父親から受けた暴力は
34:40今も許さないと
34:42藤岡さんは話す
34:46父がそうならざるを得なかったっていう
34:49あのきっかけとして戦争はあったけど
34:53だからといって
34:54父の暴力は絶対許しちゃいけない
34:57私はそれを許さないって言い切るのは
35:00あの戦争も許さないっていうこと
35:02絶対許さないっていうことなんですよ
35:13さきの対戦で悪名高いインパール作戦を戦った
35:17佐藤哲夫さん
35:209月には107歳の誕生日を迎えます
35:26インタビューは3時間近くに及びました
35:30佐藤さんが戦争体験を語り出したのは
35:33実は最近のことです
35:38戦争から帰ってきて
35:40ずっとあんまり戦争の話はしなかったって聞いてるんですけど
35:43なんでしなかった
35:44なんで
35:45言うたらだって村だから言わねえの
35:49分かんない
35:50戦争行ったことのない人は戦争分からない
35:53分からない
35:54言うて聞かせても
35:57自分だと苦労してねえから分からない
36:01何度も視線をさまよった佐藤さん
36:05ただその辛さを口にすることはありませんでした
36:09心に秘められた過酷な体験
36:13同居する家族はこう話します
36:17こういうふうに取材を受けた後に
36:19やっぱり亡くなった人の
36:22人が出てきたりとか
36:24その夢の中に出てきたりとか
36:26そういうのあるみたい
36:27うなされてる時のやっぱりあった
36:30声出して助けてくれとか
36:31という声もね
36:32聞いたことありますやっぱり
36:34そういうことを一切語らないですね
36:35語らないですね
36:36本人はやっぱり生きてきたことが
36:38やっぱりそういうことが
36:39なんていうかな
36:40自分の弱みを見せないというかね
36:44戦争ダメですね
36:45戦争は絶対ダメ
36:50私がお話を伺った藤岡さんは
36:5330歳くらいの時に
36:54ベトナム戦争を題材にした映画を見たそうなんです
36:58その映画の中で暴力を振るったり
37:01幻覚幻聴におびえる機関兵の様子が描かれていて
37:06あっこれうちのお父さんだと
37:08その時に初めて
37:09父親と戦争が結びついたとおっしゃっていました
37:15もしこの映画に出会っていなければ
37:17藤岡さんは今も原因不明の苦しみに悩まされていたか
37:21もしれないわけです
37:23戦争トラウマというのはとても根深くて
37:25とても見えづらいものだなと感じましたね
37:29終戦から今日で81年
37:31取材を通じて感じたのは
37:34いかにこの国と社会が
37:36先の大戦ときちんと向き合ってこなかった
37:39あるいは未消化のまま
37:41ここまで来てしまったということなんですね
37:43日本に限らず国家や軍隊というのは
37:46士気が鈍るなどとして
37:47戦争と戦争疾患の関係には
37:50触れたがらないんですよ
37:51ただ日本の場合は国家だけじゃなくてね
37:54社会までもが戦争による戦争疾患をですね
37:58恥とする文化を受け入れてしまったと
38:01言ってみればですね
38:02社会も一緒になって
38:04彼らをないものにしてきたわけですよね
38:06戦争というのは国家が場合によっては
38:09国民に死をも強要するものです
38:12戦場では正気を保つことが難しい局面が
38:15いくらでもあります
38:17310万もの犠牲者を出した戦争をですね
38:20私たちは決して美化することなく
38:22きちんと認め直す
38:24こういったことが必要だと思います
38:28今日は戦争トラウマについて特集でお伝えしました
38:31ご視聴ありがとうございました