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船越英一郎の昭和再生ファクトリー 【#56】最後の付き人が語る 昭和のエンターテイナー・植木等 - 2026年04月16日
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00:03月をもっと自由にBS1212
00:09皆さんにとって昭和はどんな時代でしたか
00:16この番組は昭和の思い出のアイテムや昭和の思い出の場所
00:20昭和の思い出の人を振り返り
00:27古き良き昭和という時代を記憶とともに再生させる番組です
00:35船越栄一郎の昭和再生ファクトリー
00:41皆さんこんばんは船越栄一郎です坂田真凛です
00:54坂田真凛ちゃんもう僕はね本当にもう敬愛してやっぱねあの植木ひとしさんを今夜はね思い出再生をさせていただくことになってるんですよ
00:57本当に多分ね全部見てると思いますよ
01:24えー
01:46クレイジーキャッツのメンバーとして活躍
02:02昭和36年に発売されたコミックソングスーダラ節が大流行しブレイク
02:11さらにサラリーマン映画の金字塔主演を務めた日本無責任時代が大ヒット
02:16植木ひとしが演じるお嬢下のサラリーマンの立ち振る舞いは
02:22当時高度経済成長期だった日本社会のお堅い常識を打ち破り
02:27無責任男として根強く人気を博すこととなった
02:47まさに昭和を代表するエンターテイナーそこで今回はまあ弟子妙利に尽きるというか植木ひとしさんの付き人を12年間勤めた藤本さんが大スターの素顔を語る
02:58弟子から見たらやっぱり家族第一家族愛売れていながらスターでありながらも謙虚で質素でそして
03:07誇らしい気持ちもあるんだけれどもやっぱり窮屈っていう方が大きかったかな
03:14娘植木ゆう子さんが語るスター植木ひとしの父の姿
03:27さらにクレイジーキャッツは俺たちの憧れのねグループでしたからね なんとザ・ドリフターズ加藤茶さんが登場先輩植木ひとしさんのすごさを語ります
03:51パクルっていってもまねできないですよ加藤茶は加藤茶ですよね植木ひとしにはなれない植木ひとしさんとの思い出を巡る旅今回ロケに出てくれたのはこんにちは私は藤本康史と申します
04:001995年から2007年まで植木ひとしさんが亡くなるまで12年間月人をしました 船越さん今日はよろしくお願い致します
04:02よろしくお願い致します
04:23半年の植木ひとしさんを支えた最後の付き人元俳優藤本康史さんここ世田谷区絹田公園は藤本さんが植木ひとしさんとよく散歩をした思い出の地 そもそも付き人になったきっかけは偶然の巡り合わせだったそうで
04:42元々私関西で俳優の養成所に通って勉強してたんですねそれでその東京に出てきた時の仕事が求人情報誌を運ぶトラックの運転手をしてましてこの求人情報誌に職を探している時に
04:56植木ひとしさんのドライバー募集っていう求人広告が出てて付き人になったっていうのが経緯です 実際に掲載されていた募集欄がこちら思い出の雑誌は今でも大切に持っています
05:07そしてここから藤本さんの付き人生活が始まりました植木さんとの思い出の散歩コース
05:11木下公園を歩きながら当時を振り返っていきましょう
05:27そうで僕はねあの募集してたのは渡辺プロですけど 雇い主は植木さん本人なんですよだから事務所からお金もらって給料もらってるんじゃなくて植木さんが自分の稼ぎだ
05:38いわゆるまあ自分のポケットマネーで僕を雇うわけですよプライベートももう密着ですよ家にいる時またが床屋に行くとかゴルフに行くとかね
05:40マッサージに行くとか全部一緒に行くわけですよ
06:00要するに365日のうちほとんどずっといるっていう生活ですよそんな藤本さんの初仕事は明治座の舞台稽古の顔合わせだったという初日の顔合わせだからスタッフとか出演者とかが稽古場の通路をガヤガヤしてるわけですよ
06:17そして植木さんがこうやって入った途端に オーラ植木さんだっつってこうやって人が割れてね植木さんの通り道が奥までこうやって出来上がったんですね僕そんな人が割れて通路をできるみたいな風景初めて見て
06:28植木さんが放つスターのオーラそんな植木さんは同業者にもファンが多かったそうで
06:49ドラマで共演があったのがイカリアチョウスケさんなんですよもうイカリアさん出迎えて植木さんおはようございますって言ってもうこんなもうなんかもみ手みたいなこんなになっちゃってでいやー植木さーんやっぱりいいですねみたいなもうすごい気使ってるんですよイカリアさんが
07:14クレイジーキャッツの後輩にあたるザ・ドリフターズ昭和の音楽コントを語る上で欠かせない2つのグループだから僕8時代全員集合見てて大好きだったまずはだからイカリアチョウスケさんねえ加藤茶さん志村健さん皆さんは現場で後日にお会いしていきましたけど加藤茶さんもね
07:42後日それから何年も後ですけどクレイジーキャッツ目指してウーキさんをパクったって言ってましたからねパクりましたってお別れの会で言ってましたよクレイジーキャッツをパクったその言葉は本当なのかえ本当に加藤さん持ってるんだね船越さんお久しぶりです久しぶりでございますなんと加藤茶さん本人が
08:10自ら当時の心境を応えてくれました亡くなられた時に親身を送るのは嫌だなって僕は思ったんですよねそれで長寿の中で実を言うとドリフは随分長さんの命令でネタをパクりましたって話をしたんですけど実際そうだったんですかね
08:32最初はやっぱりパクって話したってのを言っていいよいいよやれやれやれっていう最初はもう絶対叱られると思ってたんですよそしたら全然違ったことが返ってきたんでそもそもザ・ドリフターズ結成の経緯が
08:50やっぱりドリフターズってのは最初クレイジーキャッツみたいになれるといいよなって言うんでその笑い始めようかって本格的にやろうってやりだしたんですよクレイジーキャッツは俺たちの憧れのグループでしたからね
09:12そんな憧れのクレイジーキャッツ植木さんとの最初の出会いはドリフターズがまだ売れる前に僕を使ってくれたんですよ前から事務所同じですから会ってはいたんですけど話することはなかったんですけどその時に初めて話したらおー来たかって言われたんですよね
09:42最初はねやっぱり雲の上の人パクるって言っても真似できないですよやっぱあれはもう植木さん独特の芸術からあの明るさってなかなか出せないですだからやっぱり加藤茶は加藤茶ですよね植木等しにはなれない植木等しにしか出せない
10:10雰囲気とオーラプライベートの植木さんはどんな方だったのか植木さんの家で真似をやったことあるんですけどお家作られた時だったんですねその真似をやってると昔はほらタバコをどんどん吸ったっていうのが多かったんですよタバコ吸ってて畳をこなされるのが困るんで植木さんは真似をやらないで
10:25その火を一生懸命拾って歩いてましたよタバコ灰皿あるんですけど夢中でやってるとやっぱり置くとか間違っちゃうんですねそれでそれを一日拾って灰皿に置いてましたから
10:49マーチャン以外におかなかどんなことをしてたとかえっとね普段はネタの話全然しないしねこんなことやろうと面白いなとなかったの全然ないですタニケさんって人もマーチャンが好きで言ってたんですけどタニケさんは普段すごいギャグを言うんですよただ植木さんはそれすらないですね
11:06本当に真面目な方不真面目キャラを大真面目に演じていたという植木さんそんな植木さんの不真面目キャラは元月人藤本さんの目にどう映っていたのか
11:35まあ言えばね真逆ですね本当の植木さんはねよく言ってたのは自分を指名してこの役は植木さんこの歌を植木さんにっていう風に自分を指名してくれることに対する責任ですか普通ねドラマにしても舞台にしても台本があって演出家がいて厳しいところなんて台本一言一句そのまんま言わなきゃいけないみたいな
11:56ことが当たり前ですけど植木さんこれちょっと無理だねカットみたいな俺は言えないみたいな俺はこのセリフ言えないみたいな真面目ゆえに役柄への強いこだわりを持っていた植木さん貴重な当時の台本にその片鱗が
12:26この世で一番無責任と呼ばれた男の現場での戦いの証しが今も残されていますだから芸能界の厳しさですか芸能界だけじゃなくてその主役をやり続ける厳しさ
12:39芸能界の舞台でお酒のとっくりせよって行くんですけど大道具さんにちょっととっくりに本物のお酒入れといてくれって言って花道こうやって出てきてね
13:06いやいやいやいやってこうやってしゃがんで観客に向かってようこそいらっしゃいましたねおちょこ出してこうやってついでまあいっぱいどうぞって言ってお客さんに飲ましちゃったわけですよそれで本当のお酒と思ってなかったでしょってやっとして言っててお客さんが本物のお酒だったもんだからそういうアドリブとか遊び心とかねアドリブが好きって言うんじゃなくて
13:33そういうお客さんとのリアルなやりとりで感じる受けを感じるとか感動されてるのを感じる通じ合うっていうそういうところが好きだったんでしょうね生身の人とのリアルを大切にしていた植木ひとしさんその感受性の豊かさは孫の運動会でも発揮されたらしく孫の運動会に行くって言って家族でみんなで僕運転して行くわけですよ
13:58そしたら孫が何百メートル走に出るみたいなおいちょっと行けーっつって応援してゴールしてたらゴールしただけなのに植木さん涙くんでたからね植木さん的には順位を生むんじゃなくてそのゴールして一生懸命走ったっていう孫が走ったっていうところに感動してこういう感じになってたからそれぐらいも家族大好きですね
14:14仕事で見せる真面目な表の顔ととってもチャーミングな裏の素顔裏の一面をもっと知りたいと続いて向かったのは植木さん思い出のお店
14:44どうもしばらくです70歳を超え晩年の植木さんが通っていた寿司店
15:11お寿司の時間が過ぎてしまってたんでちょっとで食べて帰ろうってことになって本当一元飛び込みで寄らせてもらったのが最初初めてのきっかけですね前のターシャンのこと好きでしたよねそうそうそうですねえまあ前のご主人職人気質で頑固な応援さんで僕なんかにも結構厳しくてねお寿司が大好きだったという植木さん
15:38決まって注文していたネタがいつも来たらお茶が出てきて植木さん光物が好きだったんですか小肌ですね寿司の原点の小肌そうです豊前寿司の原点というか穴棒穴棒を締めでね召し上がってた穴棒そうでしたねそれで植木さんねたくあんを細巻きで最後の相手をやってるっていうのがね締めの
15:59はい植木さんとはお会いされる一度だけありますねはい修行僕がまた修行してる時で仙台からうん植木さんいるからってちょっと挨拶しに来いってで挨拶してもらってまあ植木さんこえーなと思ったのがやっぱり正直笑顔がなかったんで植木さんうん
16:04うんまだまだお前修行してるんだろうっていうそういう目つきだというか
16:17スーダラ星のイメージがあるからうんお酒も飲むだろうしとか思ってたらうんゲコでってそうどっからあれが生まれてくるんだなってそうじゃないですかねみんなそう思うわけですよ
16:46数少ない行きつけのお店ですからね植木さん贅沢しなくてもうほんとに家がご褒美だって言ってましたから俺の仕事に対するご褒美はこの家だから外でも外食もだからとにかく家で食にするのが基本で晩年植木さんが愛したこちらのお店最後に訪れたのはこれから入院するからって来てくれた?
17:02あぁそうでしたかうんよく覚えてますうんそうそうだからもう入院するからちょっと寿司食っとこうみたいなことをそう言えばそういうやりとりがあったかなっていうようなおぼろげな記憶です
17:21最後に何食べたいかって言ったら寿司食べたいなっていうね入院前に思って寄らせてもらったんでしょうねねえそして今も植木さんとの思い出の写真を大切に飾っているというおかみさん
17:40ここに僕がいないのは僕がこれ撮ったからなんですよ舞台中に共演者の人たちと行きつけのお寿司屋さんがあるから今日一回公演で昼で終わるからご飯食べに行こうって言って来たんですねでもお疲れの顔してるねそうですか
18:02と行くべきさん舞台中で気が張ってたからかもしれませんね記念に1枚撮っておいて本当に良かったです良かった懐かしい思い出すって何だろうただ見るだけいいじゃないですかそうただ見てもらったらそういうことですね
18:25本当は外食にすらほとんど行かれなかったっていう私生活だったんですねねえ家で食事するのがご褒美ご褒美すごい初めて聞きました本当の植木ひとしさんはどんな方だったっていうのはその想像の範疇を超えた方だったんじゃないかなと思いますねそうですね
18:52実はねあの藤本さんは植木さんの遺品とか写真とか資料とか大切に保管されていらっしゃるようなんですよへぇそしてその今回貴重なものをお見せいただけるそうなんですよいいんですかこの後植木さん愛用のギターですね貴重なお宝が続々さらに植木さんに対するね尊敬はねもうやっぱりそれは本物だったんですね
19:12小松正男さんと植木ひとしさんの秘話も続々これからは俺のことをおやじと思えばいいからおい小松お前な明日からもう来なくていいから植木さんの貴重な遺品が眠るお宝倉庫にカメラが潜入
19:33どうぞどうぞああこれ全部植木さんのそうですまあ一応ね植木さんのご遺族から依頼され植木さんの思い出の品や貴重な資料や写真を大切に管理している藤本さん
19:58植木さん愛用のギターですね植木さん愛用のギターですね60年前ぐらいに買った植木さんのギターですから長い間使ってましたよねすごいギタリストだったんですよ植木さんが使われていた時のままやってましたねそうですその通りですもうその時のまま綺麗な状態植木さんがコンサートの時に弾いたままのギターの弦が付いているはずですよね
20:25まあ丁寧やっぱまあ植木さん道具大事にする人ですからね当時のまま残されているものは他にもねえこっちでいいのかないいなこんなのとかリップスティックなんかこれ植木さんが塗ったそのまんまですよへえそれからこれ見てください
20:48ブラシこれなんかまだほら髪の毛がついてる溶かしたまんまですから植木さんのこの白髪がついてますからねタイムスリップみたいなそう懐かしいねえさらに
21:04舞台が多分終わった時か何かの記念でじゃあちょっと2階に行こうって言ってクローゼット開けてお前の好きなやつどれでもいいから一着やるよって言われてそれでまあ自分なりに似合いそうなやついただきますっていただいたんですよ
21:11オーダーメイドのスーツにはおしゃれだった植木さんらしいあるこだわりが
21:19ジャケットとかってこうネームがねこの辺とかこの辺に入るけどこれ入ってないでしょ
21:43ところがだなって言ってここへへへへへへペロッとめくってねここに入ってんだよって言って植木さんがニヤっとしてこれ見せてくれたんですよへへへへシャレてんだろうなんて言ってそういうやりとりもあった思い出の一着ですね自分で仕立てて自分で作った服をこうくれるっていうのがね
22:10なんかやっぱり特別な感情がありましたよね嬉しいですよねそういうこういうものっていうのはね他にも思い出のエピソードがそうですねなんかじゃあ1枚って言われたらもう僕はこの植木さんと楽屋で撮ってもらった写真もう僕的にはもう最高の1枚ですよ
22:38でもしかしたら初めて撮ってもらった2ショットかもしれないへへへだからその2年ぐらいの間1枚も写真撮ってくれなかったってことですよまず植木さん僕がついた時ってもう68歳で僕25歳で43歳も差があるんですよねやりとりっていうのがそのもう仕事のことだけなわけですよそれで徐々に5年ぐらい経つ頃にようやく今の俺の芝居どうだったとか
22:58それでいやおやさん今のちょっとイマイチだったですねとか言ったらあっそうか悪いけどちょっともう1本撮ってみたいな要するに自分がおやさん今のちょっとイマイチだったですよって言ったらあっそうかじゃあもう1回ちょっと撮ろうみたいなそういうきっかけになるようなことが起こりだしたのが5年経つかどうかいうぐらいの徐々に認めてもらえた藤本さん
23:18そんなある日とってもうれしい出来事がよしじゃあちょっと敷地と筆持ってこいよってそしたらお前に1枚書いてやるよって言ってね分かっちゃいるけどやめられない植木ひとしそれでねこの分かっちゃいるけどやめられないっていうのは
23:43有名な数だら節の歌詞でなぜこの言葉を書くかって言ったらまあ植木さんの人生を決定づけた歌それとこの分かっちゃいるけどやめられないっていう人間の真理をついているっていうところでまさに自分の添える言葉としては一番合ってるっていう意識で使ってたんでしょうね
24:09植木さんとのうれしかった思い出は他にもお前に名前を付けるからって言うんですよ俺の親戚に性命判断する人がいてその人は小松雅夫も命名した人だからとその人にお前の名前を今頼んであるからその名前を使ってお前は芸能界で生きていけと
24:24その名前こそが藤本康っていう名前だからどうだって言ってありがとうございますって言って植木さんが書いてくれたんですよ
24:36師匠植木さん自らが書いてくれた貴重な一枚だから植木さんに名前付けてもらったのは小松さんと僕だけですよ
24:54そしてクレイジーキャッツ前世紀に植木さんの付き人を務めた弟子こそがコメディアン小松雅夫さん小松雅夫さんと藤本さんは元お弟子さん同士として何度か交流もあったという
25:06これは小松さんと植木さんの楽屋での写真でこれが小松さんが植木さんから送ってもらう送られたのれんですよ
25:21小松さんは自分からはとてもくださいとは言えなくてようやく植木が自分にのれんを送ろうって言ってくれたそのことがもう小松さんからしたら待ちに待ったっていうわけじゃないですけどようやく認めてくれたんだなと
25:30あの植木が俺にのれんをくれるっていうねそこにやっぱり小松さん感無量っていうかね
25:50お酒好きでねそう飲むんですけれどもあのテレビで言えない話もいっぱい聞きましたよ面白い話ねとにかくね僕が小松さんと話してて思ったのはね植木さんに対するね尊敬はねもうやっぱりそれは本物だったんですね
25:58うん小松さんももう正月本正月はもう欠かさず挨拶に来てね
26:22師匠植木さんを心底を持っていた小松雅夫さんここからは初期の付き人小松雅夫さんと師匠植木仁さんとの秘話を語っていきます小松さんは付き人になった最初の挨拶での植木さんの一言で覚悟が決まったといいます
26:41君はあの名前なんて言うんだ松崎です言って家庭環境を言っても実は父が亡くなっていないですっていう身の上話してそうかそしたらなこれからは俺のことを親父と思えばいいからって言ったらしいんだ
26:57ところでそれって俺のことを何て呼ぶんだって聞いたら先生なんて言ったら発達からなって言って植木さんに言われたらしくてその発達度っていう言い方がそのテレビで見てるまんまだったらしくてね
27:23小松さんが植木仁だと思ったって言ってましたけど親父と思えばいいからって言ってもらったから親父さんって呼んでいいですかって言ったら親父さんかそれいいなぁよしじゃあそれで行こうって言って植木さんのことを親父さんって呼ぶことになったんですよそれでその後小松さんが親父さんと呼び始めて
27:49最後の僕までその代々の付き人弟子たちは植木さんのことを親父さんと呼んで親父さんという呼び名を定着させたのは小松さんっていうことなんですねその後付き人だった小松雅夫さんは徐々に頭角を表していきます小松さんって会社員時代に芸達者でね楽屋ネタがもう面白かったんですよ宴会芸とか
28:18それでクレイジーの付き人になって楽屋でそういうのを披露してたらもうクレイジーのメンバーがゲラゲラ笑ってお前小松面白いよってことになってそしたらそのバラエティの中で小松さんの出番がこれ小松やらせたら面白いんじゃないかみたいなことになって小松さんがちょくちょく出だしたんですよねそのうち他の番組から上さんが出てない番組から小松さんを使いたいっていう話が徐々に増えてきちゃったんですよ
28:36そんな状況を見て師匠の植木さんはある日突然小松さんがまた運転して帰った時に小松お前な明日からもう来なくていいからって言われてどういうことですかみたいな飲み込めないでいたら
28:54あのなお前な今渡辺真と話し社長と話してお前が渡辺プロのタレントに所属させてやってくれと話しつけてきたからと給料も決めてきたから明日からお前は渡辺プロのタレントでやっていく
29:13そういうことだって言ったらもう小松さん感動感激したもう涙が出て車運転できなくなっちゃってすいませんちょっと止めさせてくださいって言って止めてそれでもう涙だらだらですよ泣いててまだ泣き止んでなかったんだけど
29:40おい小松そろそろ行くかって言って植木さんが泣いてる小松さんにね声かけて泣きましたって言ってだからまあ親父と思えばいいっていうところから自分のそういう出番を増やしていって渡辺プロの一番目指してたところですよねそこまでたどり着いたっていうしかもこの植木しとしっていう師匠の下で成し遂げたっていうところがもう小松さんのその
30:08亡くなるまで植木さんに対する感謝の気持ちと尊敬の念っていうことだと思いますね小松さんの師匠植木さんへの感謝の思いは藤本さんもひしひしと感じていました自分が本来なったらね事情が許す場は全然植木さんのそばにいたいぐらいなんですよ小松さんはね自分のそういう気持ちを
30:26その後輩に託してるわけですよねだからおやつさん調子どうかなとかやっぱりたびたび電話があったりとか弟子から弟子へ小松さんの感謝の思いは藤本さんへも向けられました
30:27そう 君がやっぱり一番大変だったと思うとそう
30:41最後までちゃんと勤めてくれてありがとうって言ってね断るごとに飯食いに行こうって言ってねで
30:50食べに行って帰り際にじゃあまた次なっていう次の約束するみたいなそう
30:51そういう関係だったですよ
31:19師匠植木さん兄弟子小松さんから藤本さんが教わったものそれは仕事に対する姿勢っていうのはもう小松さんからずっと僕まで変わらないわけですからそのやっぱり仕事とは何ぞやっていう姿を弟子たちがその付き人たちがずっと間近で見て影響を受けて人生観とかそういう仕事観っていうのを
31:39自分なりに確立していったっていうのはみんなに通った話だと思いますねはぁーまあそういう意味ではそういうこう師匠にとって不足がないっていうかねだってもうあの以上の師匠はないですよ小松さんにしても僕にしてもねだからそこにもう迷いがなくて
32:04この人でいいっていうねそこがやっぱり小松さんにしても僕にしても幸運だったんじゃないですかね植木ひとしではいいっていうところがねうんいいお話ですね植木さんと小松さんとのねご関係もまた本当に素敵昭和の時代を象徴しているというか
32:28素晴らしい風情でしょこういうさ人情模様というのはねそうですねしかもそのお伝えになった時には全部お膳立てが澄んでたっていうそうなんですよこれねもうちょっと泣けますよねこの話ですね植木ひとしさんの思い出再生旅続いてはご家族が語る父植木ひとしとしての素顔
32:48この後植木ひとしの娘っていう看板を背負っていたから僕は娘植木ゆう子さんが語る家族秘話植木さん今日どうですか体調はって聞いたらそんなの分かんないよ藤本に聞いてくんないとって言ってたっていう
33:12植木ひとしさんの思い出再生旅続いてはご家族が語る父植木ひとしとしての素顔華やかな芸能界を駆け抜けたコメディアンスターそのあまり知られていない家庭での素顔はどんなものだったのか
33:24お話を伺ったのは現在ドイツ在住の植木ひとしさんの娘優子さん今回特別にご出演いただけることに
33:38よく植木さんがご家族のこととかお子さんのこととかっていう質問を受けた時に
33:50でもううーちゃんは俺がスターになってから生まれた子だからねだからスターの俺しか知らないわけだよっていうのをよく言ってたんですよ
34:00クレイジーキャッツが大躍進中だった昭和39年植木家の産女として生まれた優子さん
34:07母の話だと私が寝てしまってから仕事から帰ると必ず抱っこして
34:09あの近所を散歩して回ってた
34:15聞いたことありますそれ私も聞いたすごく愛情深い人だと思うし
34:43さらに家庭ではこんな一面もうちにあったのかそれとも借りてきたのかあのカラオケの機会があった自宅にはいであのうちの父が司会者になって次はトミコで何とかを歌いますみたいなあの司会者が一番声が良くって
35:11歌ってる方は結構ヘロヘロしてるみたいなあのそういうのをちょっとテープに取ったり家庭的でありながら外に出ればスター植木ひとしそんな父をどう思っていたのか本当に小さい頃はみんなのお父さんもテレビに出てると思っていたらなってあなたのお父さん何の番組出てんのみたいな感じで
35:29運動会とかなると動物園みたいにわーってこうパンダが来たみたいになりますよね人だかり先生がちょっと母とかに困るんですみたいなしてもらうと困るっていうのを見てからあなんかちょっと違うらしいなみたいなのもあり
35:52高校になった時に誰々のファンだからお父さんのなんか手帳かなんかから誰々の電話番号見てきてくれないとかサインもらいたいんだけどとかっていうのが結構あって面倒くさいなっていうのはあったし
36:13やっぱりどこに行くにしても植木ひとしの娘っていう看板を背負っていたから下手なことできないみたいなのはあってそれは当然ですもちろん誇らしい気持ちもあるんだけれども父としての植木ひとしも尊敬していたし
36:27芸能人という植木ひとしも大好きだったしなんだけれどもやっぱり窮屈っていう方が大きかったかな
36:41小学校からバレエを習っていた優子さん19歳でフランスに留学親元を離れバレエダンサーとしての道を歩んでいった
37:08そして同じ表現者の父からはちょっと変わったアドバイスがあったそうでそうね舞台を見に来てくれた時にライトの当たり方があるでしょはい照明の当たり方で手が例えばここだったんだけど本当はだけどここにするとライトで顔が影になるんだけどそれをもうちょっと上にすることはできないのとか
37:37そういう感想はあったけれどもならではのアドバイスですね他にもマスクをかぶってる子ここら辺が見えなくて鼻がこう長いみたいなこういうのをつけて踊ってる場面があったんだけどこれしか見えてないっていう私はさすが植木ひとしの娘だなもう出てきただけでわかる
37:40ベタも上だったんですか?ベタも上だったんですか
37:43?ベタも上だったんですか?
38:14なるほど
38:44そして優子さんには最後の付き人藤本さんへ伝えたい思いが植木家は藤本さんにはもう感謝してもしきれないいやいやとんでもないです本当にずっとそうなんだけれどもうちの父が信頼していてあの家族以上に家族のように父に寄り添ってくれていたからあのこれは人から人からって姉から聞いた話をしてくれましたね。
38:52ベタも上だったと思うんだけどもあのうちの父が最後に入院してた時にどなたかが尋ねていらして
39:10で植木さん今日どうですか体調はって聞いたらそんなのわかんないよ藤本に聞いてくれないとって言ってたっていうそれぐらい信頼して自分の体なのにっていうのがあったりしてね
39:40本当にもう誰よりも心置きなく信頼していた人だなって私は思っているしきっとうちのきっとというかうちの家族もそう思っているので感謝していますありがとうございます何よりなんて言うんでしょう皆さんが私をこう家族としてね認めてくださって家族と同様に扱ってくださって
40:08そういう中でこう植木の中に入れていただけたっていうことはもうやっぱり僕は一番嬉しかったですしまああの弟子妙利に尽きるというかそういう気持ちでしたね本当にありがとうございましたっていうこいつも感謝の気持ちでいっぱいだったんですねそして2007年3月27日
40:24植木さんは都内の病院で生去去年80植木さんの後輩ザ・ドリフターズの加藤茶さんはその時の様子をこう語る
40:37えぇって言いましたからね絶対復活するだろうと思ってたんですよやっぱりすごい残念だなって気持ちがありましたよね
40:42絶対に絶対に絶対に死ぬと思ってなかったですから
40:57ほなさんと植木さんには特別な方が変わってもらったんですよだからそういう気持ちがすごいありましたよね伝えたいことみたいなのも何かあったりしますか
41:07もっと一緒にやりたかったですねもっと教えてほしかったですねコントのことですよね音楽コントのこと
41:32だからクレイジーさんとどうでしょうがその元気であればね両方もやっぱり音楽コントをやりたかったですね盛大に合体して音楽コントをやったら派手で面白かったんじゃないかと思うんですよねやりたかったですねほんとにやりたかったもうありがとうしかないですね
42:00娘ゆうこさんは最後の時をこう語る最後の時にこう並んでたじゃないですかベッドの横でで心電図がゼロになってピーってなってるのにうちの母がしっかりって言うとパーって戻ってきてたでしょ何回もなんか頑張ってたんだなって最後まで頑張ってたなって思って
42:24改めて娘ゆうこさんから見た父植木ひとしさんはどんな人だったのかとにかく自分を立していた人だと思っていて祖父の鉄条鉄之助は住職だったというのもあって
42:34鉄条は亡くなった方を喜ばせるために仕事をしている僕は人を喜ばせるために仕事をしている
43:04とにかく人を喜ばせること
43:16家族第一家族愛そう家族の喜ぶ顔が見たいから頑張れる売れていながらスターでありながらも
43:29そういう芸能一家像っていうのを見せてもらえたのは僕はやっぱり
43:37良かったですね運が良かったですよね植木家っていう芸能一家だったことが
44:03だから今僕自分があると思ってますからまあ植木さんよく縁だと人は縁だと家族でもあり弟子でもありというまあ唯一無二の関係に私はまあ植木さんとつながってですねまあ幸せですよね
44:19そういう人にめぐりあえてつながれたっていうところがだから今あるこういう自分がある自分の家族があるそこにこう導いてくれた植木さんにやっぱりもう感謝ですね
44:48俺はこの世で一番無責任と言われた男ガキの頃から調子よく隠して儲けるスタイル
45:15この世で一番無責任と言われた男はこの世で一番と言われるほど真面目な男この世で一番と言われるほど責任をもって弟子を見守り続けた男この世で一番と言われるほど責任をもって家族を愛し続けた男
45:35そんな植木さんを今も愛する現在98歳の奥様富子さんの素敵なエピソードが私あの父のテレフォンカードを持ってるんですよねそれでお守りとしてもあのお財布に入れてるんですけどそれ出して
45:51ママこれ知ってるって言ってこう渡したらあらって言ってこう手に持ってじーっと見ててでうちの姉がまた生まれ変わってもパパと結婚したいって言ったらうんって言って
46:02それでテレフォンカードにチチチチチチってやってて顔めちゃくちゃ可愛かった奥さんっていうのが可愛いおばあちゃんになりましたなるほど
46:16家族、弟子、後輩、仲間、たくさんの愛に包まれ人を喜ばせたい思い出、真面目に不真面目を演じた
46:44昭和が生んだ奇遂のエンターテイナー植木ひとし決して奢らず一つ一つの仕事をコツコツ全うする責任男の生き様はこれからも語り継がれていくことであろう人生で大事なことはタイミングに市長に無責任
47:14とかくこの世は無責任コツコツやるやつご苦労さんはい、ご苦労さん家族に見守られた晩年それもまた、なんて言うんでしょう派手さはなかったのかもしれないけれども
47:30すごく幸せだったんだろうなっていう思いがね胸に迫ってくるようなそんなお話でしたねどれもね娘さんがね、プロになったねって言っていただけたっていうちょっと声を上げてすすり泣いてしまいましたが
47:45やっぱり、僕も同じようなそうですね上木さん大スターでいらっしゃいますけれども似たような経験をしてきた身としてはねゆう子さんとは通ずる思いもありましたし何かお父様に言われて印象に残った
47:54嬉しかった一言っていうのは船越さん自身はあったりしたんでしょうか一番はね、仕事始めて10年ぐらいしてからだったと思うんですけど
48:13お前なんで、船越A字の息子で同じそのAの字に変えてA一郎で、いいじゃねえかわしの名前に聞くすりゃよかったなうん、なんて新聞見ながら言ったそれを俺ももうすっごい嬉しくてこれがもしかしたら
48:39お前もプロになったなと同じくらい僕には嬉しい言葉だったんだよ次の控えたそれだけね、同じ表現者っていう道をたどると父親の影響っていうのは強く受けるもんなんだよね次回、シンガーソングライター小倉圭さんが登場神田君って歌を上手だよって言ったんだよ先生ね、一言で小倉圭になったようなもんだからね
49:08さらば青春など、数々の名曲とともに思い出を巡る佐田正史さんからさ、作ってくれませんかって依頼があってこの店をモチーフにしてなんということもなくって歌をつけて思い出の場所ごとに、いい友達に僕は恵まれたなと思うなみんな構えちゃうのかな違う、私も構えちゃうけどタバコのおかげそれじゃやめらんねーな
49:09おーおー
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