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  • 3 時間前
トランスクリプション
00:14これはイギリスBBCが1971年に制作した番組である
00:37日本軍を滑る大減水から国民に寄り添う象徴へ
00:44世界もまた変わりゆく昭和天皇の姿を見つめていた
01:071945年8月
01:10敗戦により天皇は荒人神から人間になった
01:19そして復興に向かう人々を励まそうと全国を巡航した
01:37絶対的な存在として崇められた戦前から一転
01:42国民からは批判の声を飛び出した
01:49人間であるならば人民大衆の声を聞け
02:02かつての神家の者たちは天皇に戦争責任が及ば
02:07ないよう天皇をかばった
02:13東条たちの死刑執行の日
02:16昭和天皇は側近に大尉の意向を漏らしていた
02:22私は辞めたいと思う
02:25三谷はどう思うか
02:30お上がお嫌になる方
02:33極痛と思われる方
02:36お選びになるべきであります
02:51日本に豊かさが広がる中で
02:54平和の時代を国民と共に歩み
02:57象徴と定められた天皇層も定着していった
03:07しかし戦後の歳月を重ねても
03:11海外では侵略戦争を率いた指導者として
03:15厳しい非難の声が向けられ続けた
03:27天皇の容態が悪化し最後の時が近づくと
03:32メディアは細かな数値の変化までも
03:35連日報じ続けた
03:39体温が39.2度
03:42脈拍数が1分間に117
03:472回シリーズで激動の時代を歩んだ
03:50昭和天皇の生涯をたどる
03:53後編は戦後の時代
03:58荒人神から象徴となった後も
04:01昭和天皇は戦争責任の問いから
04:04逃れることはできなかった
04:20これは終戦の1ヶ月後
04:24昭和天皇がGHQの最高司令官
04:27ダグラス・マッカーサーを初めて訪ねた時の映
04:30
04:40階段前
04:41二人は並んで写真に収まった
04:45くつろいだ表情のマッカーサー
04:48その横で清掃し
04:50直立不動の天皇
04:53日本国民は敗戦の現実を見せつけられた
05:02いくら戦争に負けたからといって
05:07いや負けたからこそ
05:09なおさら毅然としていなくてはならないのではないか
05:15全くこんな屈辱はない
05:22賢くも天皇陛下には
05:24終戦のご報告
05:26並びに新生日本再建の全都ご記念のため
05:30伊勢の両神王をはじめ
05:32海戦から3ヶ月
05:37この頃天皇の立場は危ういものだった
05:43ソ連やオーストラリアが
05:45天皇制の廃止や
05:47天皇個人への戦争責任の追求を
05:51強く主張していた
05:56しかしマッカーサーは
05:58占領政策を円滑に進めるためには
06:02天皇の存在が欠かせないと考えていた
06:09平和と民主主義を浸透させるには
06:13日本民族は優れている
06:16天皇は神である
06:18といった誤った考えは
06:21取り除かなくてはならない
06:24おそらくそれは
06:26天皇による新たな直後によって
06:28達成されるだろう
06:361946年1月1日
06:40国民に向け
06:41天皇の証書が発表された
06:47この中で天皇は
06:48神にあらずと
06:50自らの侵略化を否定し
06:53いわゆる人間宣言を行った
07:07翌月から
07:08昭和天皇は
07:10地方巡行を始める
07:14軍服を脱ぎ
07:15背広に身を包み
07:17頭にはソフト帽
07:20親しみやすい姿で
07:22復興の要となる工場や炭鉱などを訪れた
07:29庁舎の30名以上金属車でございまして
07:3341名いるんでございます
07:36長いね
07:3730年
07:40前回にもあったんだろう
07:41いえ前回にはあったんだろう
07:52庶民と言葉を交わした経験は
07:54皆無に近く
07:56会話はぎこちなかった
08:01暑さでも苦しかない
08:02苦しかない
08:03そう
08:05体は丈夫にしてるか
08:07はい
08:07大丈夫になります
08:07そう
08:09巡行の様子はラジオで伝えられ
08:13昭和天皇の圧相は流行語になった
08:19この子供も元気でやってんの
08:23みんな元気で
08:24あそう
08:25愉快に
08:26あそう
08:27お父さんがみんな
08:29選手をいたしましたが
08:31そういう子供ばかりでございます
08:34働けるだけ
08:35分かる
08:37働けるだけ
08:38分かる
08:42しかし
08:42人間になった天皇には
08:45容赦ない批判も浴びせられた
08:49国民はひたすら飢えていた
08:52闇市の米の値段は
08:54肯定価格の130倍までに高騰
08:591946年5月
09:02国民の不満が爆発し
09:04皇居前広場に
09:0625万もの人が押し寄せた
09:11チンはたらふく食ってるぞ
09:14汝人民
09:16飢えて死ね
09:21事態を治めようと
09:23天皇はラジオを通じて
09:25国民へ呼びかけた
09:28終戦の極音放送以来だった
09:34都市における食料以上は
09:36未だ霊を見ないほど
09:39重複し
09:40その状況を合わせたと
09:42心を騙しめるものがある
09:46情報を互いに助け合って
09:49この状況を
09:51引き抜けなければならない
09:55しかし
09:56国民の反応は厳しかった
10:01さらに今の放送を大変期待していましたけれども
10:04別に変わった点もありませんし
10:09あるによって食料事情が
10:11そう我々の期待しているほど
10:13良くなるとも考えられません
10:16ああいった言葉だけでなく
10:17実行が最も重大なことだと思います
10:221946年11月
10:25日本の歴史は大きく書き換えられた
10:32新憲法の交付である
10:35戦争放棄が明記され
10:37主権は天皇から国民へと移った
10:43天皇は政治に関与しない
10:45象徴と規定された
10:50負け惜しみと思うかもしれぬが
10:54敗戦の結果とはいえ
10:57我が憲法の改正もできた
10:59今日において
11:02考えてみれば
11:04我が国民にとっては
11:07勝利の結果
11:09極端なる軍国主義となるよりも
11:13かえって幸福ではないだろうか
11:241947年12月
11:27巡航を続ける昭和天皇は
11:29広島を訪問
11:32未だ原爆の傷跡が
11:34生々しく残る町で
11:375万もの人々が歓迎した
11:40海外の記者にとって
11:42信じがたい光景だった
11:53天皇を迎えた
11:54広島の人々の喜びは
11:57彼らがこうむった不幸さえも
11:59かき消してしまった
12:03日本人は天皇を
12:05精神的な父として敬っている
12:13だが中には
12:14やりきれない思いを抱えた者もいた
12:22裸足の弦の作者
12:24当時8歳だった中澤刑事は
12:28原爆で
12:29父と姉
12:30弟を亡くしていた
12:36周囲の瓦礫の中には
12:38無数の人骨が埋まっている広島
12:43その場所に
12:45天皇はどんな気持ちでいるのだ
12:49よくぞ平然と
12:51この廃墟を見ていられるものだと
12:54呆れた
12:56私は
12:57必死で怒りを抑え
13:00震えていた
13:03東京裁判が
13:05いよいよ問題の確信に迫りました
13:07日本侵略主義者の驚くべき陰謀が
13:10今まさに次々に
13:12当たるみに出ようとしています
13:15戦後2年が過ぎ
13:17東京裁判が本格化すると
13:20再び天皇の戦争責任を問う声が
13:23国内外で沸き起こる
13:36開戦はどう決断されたのかが
13:40焦点になった
13:43医師と反しましたか知れませんが
13:46とにかく私の信言
13:49当水部その他責任者の信言によって
13:54渋々ご同意になったというのが
13:57事実でしょう
14:01東条秀樹は
14:02開戦の責任は自分にあると証言した
14:07天皇を追及から遠ざけようとする姿勢を
14:10最後まで貫いた
14:17昭和天皇は起訴されることはなく
14:20東条秀樹ら七人に
14:23死刑が宣告された
14:30全てを終了
14:32何ら心に残るものなく
14:36ほっとした気持ちである
14:44この日の昭和天皇の様子を
14:48近くで見守っていた
14:49自重が記憶している
14:54陛下は目を泣き晴らして
14:57真っ赤な顔をしておられた
15:02生涯忘れられないお顔である
15:141951年
15:16サンフランシスコ平和条約が締結された
15:21戦慮の終結と
15:22日本の独立回復が決まった
15:33昭和天皇は独立を祝う式典で
15:37戦争への反省を示したいと考えていた
15:46私は
15:48例の声明メッセージには
15:50反省するという文句は
15:54入れた方が良いと思う
15:59この前
16:00長官は反省するというと
16:03政治上の責任が私にあるように
16:08言い描かれるといけないと言ったが
16:13私は
16:15どうしても
16:16反省という字を
16:19どうしても
16:20入れねばと思う
16:28これは
16:29日本の独立回復を祝う式典の映像である
16:35皇居前広場で
16:37天皇は
16:38国民に向かって
16:40言葉を述べた
16:44ここに
16:45我が国が
16:47独立国党をして
16:49再び
16:50国際社会に
16:52ファールを得たことは
16:54誠に喜ばしく
16:56日本国
16:57憲法を
16:59ご視聴ありがとうございました
16:59戦争への反省や
17:01謝罪の言葉はなかった
17:04総理の
17:05吉田茂らが
17:06反対したからだった
17:08反省を口にすれば
17:10戦争責任の問題が
17:12再燃してしまうことを
17:14危惧した
17:24これ以降
17:31天皇の
17:32戦争責任をめぐる議論は
17:34表だっては
17:35語られなくなっていく
17:39日本国
17:40反対
17:43反対
17:44反対
17:45反対
17:511954年
17:53昭和天皇は
17:54北海道を訪問し
17:56地方巡行を
17:58締めくくった
18:00全国の都道府県を
18:02くまなく回ったが
18:04ただ一つ
18:06激烈な地上戦で
18:0720万人もの命が
18:09奪われた沖縄だけは
18:10訪れることが
18:12できなかった
18:14アメリカ統治下に
18:16あったからだった
18:26戦後復興が一段落し
18:29天皇は
18:30控えていた趣味を
18:32再開した
18:341955年
18:36戦後初の
18:37相撲観戦に訪れる
18:40力士の名前が
18:41紹介されると
18:42いちいちうなずかれ
18:44興味深く
18:45ご覧になっていました
18:49幼少の頃から
18:50大の相撲月
18:53象徴となり
18:54発する言葉一つに
18:56慎重さが求められたが
18:58短歌には
19:00胸の内の素直な思いを
19:02込めることができた
19:07久しくも
19:09見ざりし住まい
19:11人々と
19:13手を叩きつつ
19:15見るが楽しさ
19:23昭和天皇は
19:25ドラマ好きでもあった
19:29この崖下からは
19:30よく見えます
19:43たびたびの
19:44NHKのスタジオを見学し
19:46スタッフに
19:48撮影の仕組みなどを
19:49質問することもあった
19:57キクカオル
19:57開成の11月10日
19:59皇太子殿下の立太子の霊と
20:01御成年式が行われました
20:06皇太子
20:07昭人神皇が
20:08成人を迎えた頃から
20:11昭和天皇が
20:12心を配っていたのが
20:14お妃選びだった
20:19東宮ちゃんは
20:21外国語ができるから
20:24外国語も
20:25できなければいけないし
20:28また
20:28普通の家庭の
20:30妻としてもの
20:31要素がいるから
20:34なかなか難しい
20:37あまり
20:38おとなしくても困る
20:501958年
20:52皇太子比に決まったのは
20:54一般家庭で
20:56生まれ育った女性だった
21:00皇族や家族の出身ではない
21:03民間から初めて迎えられた
21:05皇太子比
21:08国民と皇室の距離を
21:09近づける出来事だった
21:14とてもご誠実で
21:17ご立派で
21:19心からご信頼申し上げ
21:23ご尊敬申し上げていかれる方だというところに
21:27魅力を感じたしました
21:31非常にいい感じだった
21:34記者会見の時も立派だったし
21:38国民一般も
21:40喜んでくれているようだし
21:45こんな嬉しいことはない
21:58広宮様のご挨拶
22:02滑り台でご機嫌の
22:04広宮様です
22:06天皇陛下のお顔も
22:08ほころびます
22:12ご成婚の翌年には
22:14孫となる広宮殿下が誕生
22:18天皇一家の何気ない日常も
22:21国民の関心を集めた
22:24テレビでは皇室番組が
22:26次々と放送され
22:28雑誌はこぞって特集を組んだ
22:391971年9月
22:42昭和天皇は
22:43戦後初となる外国訪問
22:46ヨーロッパへの旅に出発した
22:5750年前
22:59皇太子時代のヨーロッパ訪問は
23:01各国の王室と交流し
23:04カゴの鳥が自由を味わった
23:07人生の花として記憶されていた
23:1410月5日午後0時30分
23:17両陛下は待望のロンドンご到着
23:22イギリスでは国賓として招かれ
23:26エリザベス女王の出迎えを受けた
23:35かつて女王の祖父
23:37ジョージ5世から
23:39立憲君主の心得を学んだ
23:42忘れがたい地
23:47その時だった
23:51一人の男が沿道から飛び出し
23:54昭和天皇に向け
23:56上着を投げつけた
24:02四半世紀が過ぎた今でも
24:05戦時中の日本兵の忌まわしい行為が忘れられず
24:10国賓としての訪問によって
24:13それが覆い隠されることを
24:15多くの遺族は望んでいない
24:20国の象徴として
24:22彼は現在だけでなく
24:24過去も代表しているのだ
24:32次に訪問した
24:33オランダでは
24:34事態はさらに緊迫した
24:39コロナの出迎えた
24:42オランダの出迎えを受けた
25:07ホテルの前では日の丸が燃やされた
25:15天皇が乗った車に魔法瓶が投げつけられ
25:19フロントガラスにひびが入った
25:29国民的人気を誇ったコメディアンウィム・カンも
25:34強い意義を示した
25:45日本軍の適震が発生されている
25:49のがおさまざとなり
25:54戦時中
25:55カンはオランダ領だったインドネシアで
25:59日本軍の捕虜となっている
26:02その後ビルマに送られ
26:04対面鉄道の建設現場で働かされた
26:09一万数千もの捕虜が命を落とす中
26:13生き残った漢はその記憶を音楽に託し語り続けてきた
26:48人々が拷問され
26:52殴り殺された収容所のすべての監守室には
26:57彼の肖像が掲げられていた
27:03天皇の名の下にあらゆる犯罪が行われたのだ
27:10もし彼が何も知らなかったというのなら
27:15我々が教えてやろうではないか
27:27漢は天皇と直接話がしたいと日本大使館に申し入れた
27:32
27:32受け入れられることはなく実現しなかった
27:40この旅行をかゆみるとき
27:43真に国際神前の実を挙げ
27:47世界の平和に寄与するためには
27:51なお一層の努力を要することを痛感しました
28:024年後アメリカ訪問が決定する
28:06訪米を前に天皇へのインタビューを許可されたア
28:10メリカ人記者は
28:12日本ではタブーとされていた
28:14開戦や終戦の判断について質問した
28:38この旅の第二次大戦に際しては
28:48私は常に立憲君主として
28:54憲法の上司法に従って行動したつもりでおります
29:05戦後30年
29:07日米友好神前を進めるための訪問だった
29:13しかしアメリカ国民の記憶から
29:17パールハーバーの屈辱は消えていなかった
29:27まもなくホワイトハウスの晩餐会の
29:31貧客となる小柄な男は
29:34戦時中東洋のヒトラーと罵られていた
29:401941年
29:42天皇の指揮下にある日本軍が戦争を開始し
29:4829万2100人のアメリカ将兵が
29:52命を落としたのである
29:59訪米3日目
30:01ホワイトハウスでの晩餐会
30:04昭和天皇がどんな言葉を口にするのか
30:07アメリカ上の視線が集まった
30:12私は他年帰国訪問を念願しておりました
30:18もしそのことが叶えられた時には
30:22次のことをぜひ
30:26帰国民にお伝えしたいと思っておりました
30:30と申しますのは
30:33私が深く悲しみとする
30:36あの不幸な戦争の直後
30:39曲が我が国の再建のために
30:45温かい好意と援助の手を
30:48差し伸べられたことに対し
30:53この時通訳を務めた正木秀樹は
30:58私が深く悲しみとするという言葉に
31:01強い遺憾を意味する
31:04ディプロワーという略語を選んだ
31:09陛下の悲しみというのは何なのか
31:14誰も知らないんですよ
31:17私が長年お勤めして
31:19押し量るんだったら
31:22嫌で嫌でたまらないけれども
31:25仕様がなくこうなってしまった
31:28ということでしょう
31:31だからそれは
31:32ディプロワーではないかと
31:46この発言は
31:47謝罪に近いものと
31:49受け止められた
32:02行く先々で歓迎の輪が広がった
32:07謙虚で穏やかな天皇の姿が
32:09連日報じられ
32:11東洋のヒトラーというイメージは
32:13払拭されていった
32:23帰国後
32:25日本記者クラブの強い要望で
32:28昭和天皇初の公式記者会見が開かれた
32:33日本のテレビカメラの前で
32:35区内記者以外の質問に答えるのは
32:37初めてのことだった
32:43今日は
32:47日本記者クラブの
32:51皆さんに会うことができたことを
32:55私は嬉しく思います
33:01事前提出の代表質問の後に
33:04関連する内容ならば
33:05質問することが許されていた
33:10ある記者が
33:11アメリカの晩餐会のスピーチについて
33:14質問した
33:20ホワイトハウスにおける
33:23私が深く悲しみとする
33:25あの不幸な戦争
33:27というご発言がございましたが
33:29このことは
33:30陛下が海戦を含めて
33:32戦争そのものに対して
33:34責任を感じておられる
33:35という意味と介して
33:37よろしございますか
33:38また
33:39陛下はいわゆる
33:40戦争責任について
33:41どのようにお考えになっておられますか
33:43お伺いいたします
33:47そういう言葉のあやについては
33:51私は
33:53そういう文学方面は
33:55あまり
33:57研究もしていないので
33:59よく分かりませんから
34:01そういう問題については
34:04お答えができかねます
34:09さらに
34:10広島への原爆投下についても問われた
34:13お答えをかけておられるわけですが
34:16戦争終結にあたって
34:17原子爆弾投下の事実を
34:19陛下はどう
34:21お受け止めになりましたのでしょうか
34:24この原子爆弾が
34:33投下されたことに対しては
34:43いかには思っていますが
34:45こういう戦争中であることですから
34:50どうも
34:53広島市民に対しては
34:56気の毒であるが
34:59やむを得ないことと私は思っています
35:09この発言は
35:10波紋を読んだ
35:12宮内庁長官は
35:14質問されることに慣れてなく
35:16言葉が簡単すぎたとコメントを出し
35:19引け死に追われた
35:23これ以降
35:24宮内記者以外との公式会見は
35:27開かれなくなる
35:39戦後42年
35:40本土復帰から満15年を迎えた沖縄では
35:44今年初めて天皇陛下を迎えして
35:46全国一巡最後となる国体が
35:49開かれることになっています
35:531987年
35:55昭和天皇の沖縄訪問が決定する
36:00戦後の巡航で
36:01ただ一つ訪れることができなかった地
36:05沖縄への訪問が実現すれば
36:08戦後の総決算になるはずだった
36:30訪問の1ヶ月前
36:32昭和天皇が腸のバイパス手術を受けると発表された
36:39天皇の外科手術は歴史上初めてのことだった
36:46医師団の中には
36:48玉体にメスを入れることに
36:50世間では反対もあるという意見もあった
36:58正常が手術を受けられることには賛成できない
37:03天命と思って
37:05天寿を全うしていただくのが
37:08自然であると思う
37:15手術は無事終わったが
37:17悲願だった沖縄訪問は
37:20断念せざるを得なかった
37:33手術からおよそ1年
37:3787歳になった昭和天皇は
37:40全国戦没者追悼式に出席した
37:46黙祷
37:56これが公の場に姿を見せた
38:00最後となった
38:07宮内長です
38:09先ほど3時過ぎに記者会見がありました
38:12その記者会見場にいた津住記者です
38:14天皇陛下は昨夜10時前
38:17凍結遊ばされたので
38:18輸血等の緊急治療を行った
38:23追悼式の1ヶ月後
38:25昭和天皇は大量に凸結し
38:29一時重篤な状態にあると伝えられた
38:34マスコミは来るべき時をXデーと呼び
38:38容態の詳細を我先に報じようと
38:42血まなこになった
38:52誰もが
38:53いくら天皇でも
38:55一人の人間の死の瞬間を狙って
38:59これほど大掛かりなスタンバイ体制を取るなど
39:02尋常ではないと
39:04本心では思っているんですよ
39:08だけど消耗戦から位置抜けたと
39:12とんづらするわけにはいかないですからね
39:18天皇陛下の御病状が大変気遣われる現在
39:22一部行事につきまして
39:23中止することが適切であるとの結論に至りましたので
39:28派手なイベントや秋祭りは中止になった
39:33日本中に自粛ムードが広がっていった
39:46デパートの食品売り場からは
39:48祝いごとにつきもののタイや赤飯が姿を消し
39:53結婚披露宴を延期する人もいた
40:00楽しみにしていた区民祭りが中止され
40:03そのお知らせの紙には
40:06詳しい理由は書かれていませんでした
40:11どうして天皇が病気だからといって
40:14楽しい行事を次々に中止しなくてはいけないのかと
40:19つくづく疑問に思います
40:23やはり天皇は神様なのでしょうか
40:36天皇の容体は発表されるや否や
40:40テレビ番組のさなかでも速報スーパーで報じられた
40:46日暮らしセミ
40:48深夜には公共バッグに
40:56血圧脈拍などが表示され続けた
41:17天皇陛下におかせられましては
41:20本日午前6時33分
41:27吹上御所において
41:28抗議をあらせられました
41:351989年1月7日早朝
41:40昭和天皇は息を引き取った
41:48この日直ちに
41:50皇太子の昭人神皇が行為を継承し
41:54第125代の天皇に即位した
42:04翌日から元皇は平成へと変わり
42:09昭和64年は
42:11わずか7日で幕を閉じた
42:21皇居前広場には
42:23皇居を痛み
42:24全国から数十万の人が訪れた
42:39昭和天皇の死は
42:41海外でも大きく取り上げられた
42:45皇居に生きている
42:47皇居が夜の朝が
42:50朝日の朝に死に
42:50皇居に死を
42:52第22世代の朝に死を
42:59第4世代の朝に死に
43:03朝日の朝から
43:05朝日の朝に死を
43:09第6世代の朝に死に
43:10第27世代の朝に死を
43:12戦争の霊が取り行われた
43:23在意期間は歴代最長の62年14日
43:30昭和天皇は最後となった戦没者追悼式に臨んだ思い
43:35を歌に読んでいる
43:39そこには自らの生涯を重ねたような無念が滲んでいた
43:50安らけきよう祈りしも未だならず
43:58悔しくもあるか兆し見うれど
44:36ご視聴ありがとうございました
44:46次回は6000万と言われる世界最大の移民集団
44:51河京の終わりなき旅
44:55ご視聴ありがとうございました
44:56ご視聴ありがとうございました
44:58ご視聴ありがとうございました
45:01ご視聴ありがとうございました
45:03ご視聴ありがとうございました
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