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ニューストランスクリプション
00:11100年前、たった7日間で終わった年がある。
00:18昭和元年、1926年、年の瀬の12月25日、大正天皇が
00:26訪問。
00:27新たな天皇が後位を継いだ。
00:30元号は昭和と定められた。
00:35昭和元年を記念し、本来は年明けに出されることの
00:39多い出生届が年末に相次いだ。
00:44秋子や和夫、昭和にちなんだ名前が多かった。
00:53始まりは7日間しかなかった昭和。
00:56しかし、その後64年まで続く歴代最長の元号となる。
01:07昭和天皇の質疑は昭和3年以来、60年余りにあ
01:12たってお住まいになった皇居を後にされます。
01:191989年1月7日、昭和天皇が崩御。
01:28戦争と平和をまたいだ、激動の生涯だった。
01:38ご在住に最も辛く悲しかった思い出というのはどういうことでござ
01:45いましょうか。
01:47それは言うまでもなく、第二次大戦であると思います。
01:57私は、こういう悲しむべきことが今後も起こらないことを
02:03祈っております。
02:09宝魚の翌年、吹き上げ御所で自重が遺品を整理
02:15していると、あるものが見つかった。
02:20一枚の地下鉄の切符である。
02:26裏には、天皇の手書きと思われるフランス語の文字が
02:30あった。
02:321921年6月21日。
02:38皇太子だった20歳の時に旅したパリ。
02:43公式予定の合間を縫い、お忍びで地下鉄に乗車
02:47した。
02:52私のそれまでの生活が、カゴの鳥のような生活でしたが、
02:58外国に行って、自由を味わうことができました。
03:12即位以来、ヨーロッパで学んだ、民主的な立憲君主像
03:17を模索した昭和天皇。
03:22しかし、時代はそれを許さなかった。
03:33経済の停滞とともに、国民の支持を集めた軍部を
03:37大統領する。
03:40天皇の理想は、押し流されていった。
03:55一転して、天皇は大減衰として、戦争指導の最前線に
04:02立つようになる。
04:05戦争は、やるまでは慎重に、始めたら徹底してやらね
04:12ばならぬ。
04:21映像の正規、ガタフライエフェクト。
04:25戦争と平和、二つの時代を生きた昭和天皇の生涯
04:30を、二回シリーズでたどり。
04:33前編は、戦争へ向かう時代。
04:37立憲君主は、荒人神へと変わっていった。
04:55明治維新以来、布告強兵を掲げた日本は、日露戦争
05:00に勝利し、列強の一員に加わった。
05:08これは、皇居の前で、凱旋する兵士を迎える人々の映像で
05:13ある。
05:19広人神皇、後の昭和天皇は、日露戦争の3年前、1901
05:26年に誕生した。
05:33一つ下の弟、康人神皇とともに、戦争ごっこに夢
05:38中になっていた。
05:46その一方で、皇族の生活の窮屈さを、幼い頃から感じていた。
05:571907年、上野で開かれた東京官業博覧会。
06:04兄弟は、初めて見る観覧車に心が戻った。
06:11しかし、実際に乗ることは許されなかった。
06:20観覧車も、ウォーターシュートも、乗ったわけではない。
06:26子供にも向いている場所は、所々連れて行かれたが、
06:31こんなものも世間にあるということを、
06:34一通り知らせるのが目的だったのだろう。
06:45やがて成長し、政府公館らと接する機会が増えると、
06:50社交面での問題が、たびたび指摘されるようになる。
07:00何かお話申し上げても、ほとんど、強盗なき状態
07:06なりしよし。
07:11あたかも、石地蔵のごときご態度。
07:241921年、19歳になった皇太子は、
07:29半年に及ぶヨーロッパ外遊へと旅立つ。
07:33初めての外国への旅だった。
07:40第一次世界大戦後の国際情勢を学んでもらおうと、
07:44政府が計画した。
07:56イギリスまでの航海は、
07:59香港、シンガポール、エジプトなどを経由して、
08:032ヶ月に及んだ。
08:09ポーツマスで船から列車に乗り換え、
08:12ロンドンに向かう。
08:18ロンドンの駅で出迎えたのは、
08:20イギリス国王ジョージ5世、その人である。
08:27国王自ら、日英同盟の絆を示した。
08:36第一次世界大戦後、ヨーロッパの王室は次々と崩壊して
08:42いた。
08:43だがイギリス王室は残り、国民の支持を取り戻し
08:47つつあった。
08:51君臨すれども統治せず、
08:56皇太子は国王から、立憲君主としての心得を学んだ。
09:03キングジョージ5世が、ご親切に私に話をした。
09:09その題目は、いわゆるイギリスの立憲政治のあり方という
09:14ものについてであった。
09:19その伺ったことが、その時以来ずっと私の頭にあり、
09:25常に立憲君主制の君主はどうなくちゃならないかを、
09:30始終考えていたのであります。
09:39フランスでは、第一次世界大戦の激戦地を訪ねた。
09:49終戦から3年を経てもなお、
09:52戦没者の刺繍が漂うと言われる場所に立った。
10:02戦争というものは、実にひどいものだ。
10:16パリには20日近く滞在。
10:20街を歩き、店を覗き、
10:23初めて自分で金を払って、
10:25土産物を買った。
10:29そして、
10:31側近に無理を言って、
10:32望みを叶える。
10:35お忍びでの地下鉄乗車である。
10:39パレロアイヤル駅から乗車。
10:43闇を走り抜ける車両に、
10:45速いと、
10:46思わず声が出た。
10:50トラブルは、
10:52降車の際に起きた。
10:55切符を渡すことを知らずに、
10:57改札を出ようとし、
10:59駅員に止められてしまった。
11:04しかし、その小さな失敗は、
11:06むしろ、皇太子の胸に、
11:08温かな記憶として残った。
11:12切符を記念に持ち帰り、
11:15生涯を通じて、
11:16大切にした。
11:21自分の花は、
11:23欧州訪問の時だったと思う。
11:28自由でもあり、
11:29花であった。
11:41ヨーロッパから帰国後、
11:43皇太子は、
11:44西洋流のスタイルを実践していく。
11:501924年、
11:52長子女王と結婚。
12:00婚礼当日の新聞には、
12:02背広姿の写真が掲載された。
12:06軍服を見慣れた国民には、
12:08大きな驚きだった。
12:14敬民的で、
12:15モダンなイメージは、
12:17皇太子への親近感を、
12:19一気に高めた。
12:24婚礼祝賀に集う人々の映像からは、
12:28アイドルのような人気ぶりが伺える。
12:34陛下は、
12:35お若い時から、
12:36少し猫背だった。
12:39それが少し、
12:40女の子たちにとって残念だったが、
12:44眉が太くて、
12:46頬が締まって、
12:47美男子でいらした。
12:54翌年、
12:55長女が生まれると、
12:57慣例に反して、
12:58里子には出さず、
13:00夫妻の下で育てることを選んだ。
13:08さらに、
13:09新たな一面も見せる。
13:12科学者としての顔である。
13:16東宮御所に、
13:18生物学研究所を設立。
13:26クラゲの仲間である、
13:27ヒドロチュウ類を専門に、
13:29海洋生物の研究に熱を入れる。
13:38これは、
13:39戦後のニュース映像である。
13:42生物学者としてのご研究も、
13:45絶えみなく続けられ、
13:47その業績は、
13:48世界の学会にも、
13:49高く評価されています。
13:54自ら発見した、
13:55ヒドロチュウ類の新種は、
13:5732種類。
13:59学名は、
14:00すべてヒドロチュウ類の真種は、
14:02発表された。
14:08一枚の写真に、
14:10科学者としての思想が現れている。
14:14戦後撮影された書斎に置かれていたのは、
14:18ダーウィンの教像だった。
14:24ダーウィンは進化論で、
14:26人は、
14:27サルと同じ祖先から進化した動物であると説く。
14:37天皇を神の子孫とする天皇信仰とは、
14:40相入れないものだった。
14:45中に応対して、
14:46入国の九州とも乗り切っていた。
14:53天皇が修正に富せられる殿下は、
14:56皇室の祖先が真に神であり、
15:00天皇が荒人神であるとは信ぜられざるごとく
15:10ただいまはちょうど二重橋の上をおすすめになってお
15:15ります
15:19大正天皇の崩御から2年を経た1928年
15:25昭和天皇の即位の礼が挙行された
15:36昭和の幕が上がっていく
15:44これは京都の明治天皇陵を訪ねる映像である
15:50天皇の位を受け継ぐ証として三種の神器が運ば
15:54れていく
16:08立憲君主を志す昭和天皇の下
16:11日本は新しい時代へと歩み出した
16:161928年初めての普通選挙が行われる
16:22満25歳以上のすべての男性が投票できるようになり
16:27有権者は4倍に増えた
16:38この直後
16:39天皇は立憲君主としての試練に直面する
16:49朝鮮林爆殺事件
16:53満州の支配を目論む関東軍が
16:56軍閥の朝鮮林を列車ごと爆破した
17:08国際協調を重んじる天皇は
17:10規律の強化を政府に強く求めた
17:17首相の田中義一は
17:20関係者の厳重処分を天皇に約束した
17:27しかし陸軍の反対により
17:29田中首相は方針を翻す
17:33天皇は田中を叱責した
17:40お前の最初に言ったことと
17:43違うじゃないか
17:48昭和天皇の言葉に衝撃を受け
17:50田中首相は退陣を決意
17:54内閣総辞職に至った
18:01若き天皇は
18:03君臨すれども統治せずという
18:05立憲君主としての一戦を
18:08計らずも踏み越えてしまったのだった
18:12昭和の政治はここから軋み始める
18:20その4ヶ月もさらなる試練が訪れる
18:25世界恐慌である
18:29これは恐慌の最中に公開された
18:31国の啓蒙宣伝映画
18:38経済南極
18:41人口増加
18:44天然資源の欠乏
18:48国が直面する危機を
18:50いかにして打開すべきか
18:54国民に
18:55巨国一致という回答を示している
19:04これは1931年
19:07葉山の海岸で過ごす天皇一家の映像である
19:14白い帽子をかぶり平泳ぎをしているのが
19:17昭和天皇
19:22水泳の指南役や
19:26自重町の鈴木勘太郎の姿も見える
19:33家族や近しい者たちと過ごす
19:36恒例の夏のひととき
19:41やがて訪れる激動を前にした
19:44束の間の安らぎだった
19:54一月後に満州事変が起こる
20:02関東軍は自作自演による鉄道爆破を口実に
20:07中国への軍事行動を開始した
20:15天皇は軍の独走を苦々しく思いながらも
20:19結果的に追認してしまう
20:25こたびは致し方なきも
20:28将来十分注意せよ
20:36そして傀儡国家満州国が建国
20:42軍事の拡大は産業界を活気づかせ
20:45世界恐慌以前の生産水準を回復する
20:56これは国賓として来日した
20:58満州国皇帝不義を
21:01昭和天皇が東京駅で出迎える映像である
21:09満州国の誕生は日本に
21:12植民地がいかに経済を押し上げるかを実感さ
21:16せた
21:20そして軍部は大元帥である天皇の権威を
21:24自らの行動を正当化するために利用していく
21:29私は軍大臣荒木中将であります
21:37我が国の軍隊は国王軍であって
21:41王子に国軍なのであります
21:45藩主の人気によって検証されております
21:49日本の天皇像このもの
21:54陛下の心のままに動く
21:57これが日本の軍隊である
22:05軍国主義の色濃い
22:071933年12月23日
22:13朝の東京に大きなサイレンが響いた
22:21中日アメリカ大使のジョセフ・グリーも
22:24このサイレンを聞いていた
22:307時ちょうど
22:32妻がサイレンよと言って私を起こした
22:40公室の赤ちゃんの誕生を知らせるサイレンだった
22:46もし女の子なら1分間
22:49男の子なら10秒の間を置いてもう一度鳴らされるのだ
22:562回目のサイレンが鳴り響いたとき
22:59私たちは喜びに浸った
23:11皇太子アキヒト神皇の誕生である
23:16天皇夫妻は4人の女子を授かっていたが
23:20男子は初めての誕生だった
23:28昭和天皇は皇太子に帝王教育を施したが
23:33一つだけ許さなかったことがある
23:37軍服を着せることだった
23:42皇太子が満10歳に達したとき
23:45皇族の定めとして陸海軍の武官に任官する決まりだ
23:49ったが
23:50それを拒否したのである
23:58だが天皇自身の意向とは別に
24:02その存在を深刻化しようとする動きが
24:05政治の場で進んでいた
24:10憲法学の権威、水戸辰吉が唱える天皇機関説は
24:16天皇の統治権は法によって制限され
24:19絶対的なものではないと説き
24:22広く指示されていた
24:27これを不敬な学説だと陸軍や右翼は強く攻撃
24:33統治権は神聖不可侵の天皇に属し
24:37法に制限されないと主張した
24:44議会で激しい論戦が繰り広げられる中
24:48陸軍出身の自重部官庁は軍の考えを天皇に伝
24:52えた
24:56軍においては天皇は荒人神と信仰しあり
25:02これを機関説により人間並みに扱うがごときは
25:07軍隊教育および統水上至難なり
25:17一方科学を問じる天皇自身は
25:21神格化に否定的で天皇機関説を受け入れていた
25:29自分の位はもちろん別なりとするも
25:34肉体的には武官庁らと何ら変わるところなきはずな
25:39り
25:40精神的にも身体的にも迷惑
25:49最終的に政府が天皇機関説を否認して論戦は決着
25:55する
25:57これによって天皇の神格化は決定的となった
26:05天皇神格化の流れは暴走を生む
26:09陸軍の青年将校たちが反乱を起こした226事件
26:13である
26:16彼らは天皇が直接統治する天皇神聖国家へ
26:21日本を作り変えようとしていた
26:25天皇は激怒、鎮圧するよう指示した
26:45反乱軍は天皇のための決起を掲げながら
26:49天皇が信頼する側近を標的にした
26:54自重庁の鈴木勘太郎も重傷を負って後に辞任
27:00昭和天皇の孤立が深まっていく
27:09東京事件発生以来、軍戦力と我が部隊
27:141937年、日中戦争が勃発した
27:20日本軍は南京を占領
27:24日本は勝利の法に湧き返った
27:33二重橋前へ集まった後進の群れは
27:36十五の歓喜と歓喜を胸に込めて高らかに万歳を
27:39交渉
27:43この頃から、昭和天皇の様子に異変が現れる
27:50側近たちは、天皇の独り言や大声を耳にした
27:59それが、六皇教事件の後になると
28:03急に多くなってきたと思います
28:06陛下にお伺いに行くと
28:09御政務室に通じるドアは開きっぱなしになっているため
28:14に
28:15階段を上がっているうちに
28:18お独り言のお声が聞こえてきました
28:24天皇陛下、参戦へ
28:291940年、日独意三国同盟が締結される
28:35バスに乗り遅れるなの掛け声の下
28:39快進撃を続けるドイツとの結びつきを強めた
28:45アメリカはこれに反発
28:48日米の緊張が高まっていく
28:55これは、三国同盟を結んだ年の冬
28:58家族で過ごす天皇一家の映像である
29:03皇太子の姿も見える
29:10この時、天皇は
29:12穏やかな映像とは裏腹に
29:14ある懸念を抱いていた
29:18アメリカと戦争になれば
29:21124代続く天皇家の血筋が
29:23途絶えかねない、という危機感だった
29:32万が一、情勢の推移によっては
29:36重大な危局に直面するのであるから
29:40神様のご加護を祈りたい
29:54天皇の懸念を知るよしもなく
29:56国民の天皇崇拝は最高潮に達していた
30:02神話に基づく
30:03初代神武天皇の即位2600年を祝う
30:07式典の映像である
30:10小野江総理大臣は
30:12天にも届けと
30:13天皇陛下の万歳を奉唱しました
30:17天皇陛下
30:19万歳
30:24万歳
30:27万歳
30:28国民は
30:30天皇を頂く国家の歴史の節目を
30:33共に祝うことで
30:35一体感を強めていった
30:40教育の現場でも
30:42忠君愛国が徹底された
30:46小学校には
30:47天皇皇后の御神栄を収める
30:50法安殿が設置され
30:52児童教員たちには
30:54峠工事の再敬礼が定められた
31:00さらに
31:01人々の日課となったのが
31:03皇居の方角に敬礼する
31:06九条要拝である
31:12こうした日常の積み重ねの中で
31:15天皇の荒人神としての位置づけは
31:18定着していった
31:281941年9月
31:30アメリカとの海戦を求める声が高まる中
31:34政府と軍首脳が集まり
31:36御前会議を開いた
31:41昭和天皇は
31:42海戦論を牽制するため
31:45一種の歌を読み上げた
31:49日露戦争の際
31:51明治天皇が戦いを憂えた歌である
31:59よもの海
32:02みなはらからと思うように
32:07など波風の立ち騒ぐ乱
32:17海の向こうの国々は
32:19みな同胞と思うこの世で
32:22どうして
32:23波風が立ち騒ぐのであろうか
32:30台北交渉は行き詰まり
32:32その後2回の御前会議を重ね
32:35政府と軍は
32:36海戦という結論を天皇に示した
32:42そして天皇は
32:44海戦を再化した
32:54今、戦線の対象を拝しました
32:59上空、感激絶えません
33:03陰中報告の大精神ある限り
33:07英勢といえども何ら恐るく
33:10足りないのでありません
33:19いざ開戦すると天皇は大元帥として
33:23戦争指導の立場に立つ
33:30戦争はやるまでは慎重に
33:34始めたら徹底してやらねばならぬ
33:45戦争は
33:45これは、アメリカ軍が制作したプロパガンダ映画
33:50天皇は
33:52敵国日本の顔となった
34:17日本の快進撃はつかの間だった
34:20アメリカ軍の反抗が本格化すると
34:23一気に劣勢に立つ
34:24戦争に立たされた
34:291943年
34:31アリューシャン列島、アッツ島の守備隊は
34:33アメリカ軍の上陸作戦に遭い
34:372600人が玉砕した
34:46これは、アッツ島で戦没した部隊の異霊祭である
34:51白木の箱には、島に置き去りになった遺骨の代わりに
34:56砂などが入っていた
35:02戦没者は、軍神として称えられた
35:08わずかに33年の生命にして
35:13私は、まさにシセントス
35:18天皇陛下、万歳
35:23聖死を受けたまわりて、精神の平常なるは
35:27我が喜びとするところなり
35:39敗北が濃厚となる1944年
35:43天皇は大減衰として、一撃講和に望みを託す
35:49決定的な一撃を与えることで、有利な講和条件を引
35:53き出す道を探った
36:00陸海軍が始めたのが、特攻だった
36:17特攻隊員の中には、昭和元年の7日間に生まれた者
36:21も6人いた
36:24昭和や、昭和や昭和や昭和にちなんだ名を持つ者も
36:28いた
36:32いよいよ、突撃です
36:36必ず、やります
36:40目へ下る今ぞ、この身を捧ぐれば
36:45公国は、永久に栄えまつらん
36:51天皇陛下、万歳
37:04陛下から、貸し込みの次のお言をいただきました
37:12大当たり機は大事者によくやって、立派な成果を収
37:17めた
37:19神明を国家に捧げた、よくもやってくれた
37:25こういうお言葉をいただきたい
37:31はい
37:36天皇が褒めたたえた特攻作戦によって
37:396000人の若者が、命を落とした
37:48これは、1945年
37:50疎開先の日光にいる、皇太子の映像である
37:56この時、11歳
37:59空襲を避けるため、この地に疎開していた
38:09皇太子は、戦況報告に来た陸軍中将に
38:13こう質問した
38:17なぜ日本は、特攻対戦法を取らなければならないの?
38:273月10日の東京大空襲では、一夜にして、10万人が犠
38:32牲となった
38:36天皇は、8日後に被災地を訪ね、その惨状を目にした
38:508月、アメリカは、史上初めての原子爆弾を、広島と
38:58長崎へ投下した
39:04科学の力は、特攻も対抗しえず
39:17これは、戦時中天皇が避難していた皇居内の地下号を、終
39:23戦から70年後に撮影した映像である
39:288月14日、ここに、政府と軍の首脳が集まり、最後の御前会
39:36議が開かれた
39:41昭和天皇は、徹底抗戦を主張する軍部を制し、終戦
39:46の政壇を下した
39:53戦後、天皇は、アメリカのメディアの取材に対し、
39:58初めて、その決断について、自らの言葉で語った
40:14戦後、戦後、戦後、戦後、戦後、戦後、戦後は、戦後も二十
40:16月に喪うことになりました
40:34結果、私に決定を依頼しましたから、私は終戦を私の意見に
40:43よって決定しました。
41:008月15日正午、ラジオから天皇の声が流れた。終戦の
41:07証書。国民の多くが初めて聞く天皇の肉声だった。
41:17戦争を誇示し、得て終了なる南寺市民の席政に信
41:22じ、先、南寺市民党ともに彼。
41:27雑音ばかりで天皇陛下が何をおっしゃっているのかわ
41:31からなかったが、大人たちは戦争は終わったと抱き合って大
41:39喜びしていた。
41:42自分の国が負けたのに、なんて非国民なのだろうと、
41:48子供の私は密かに憤慨していた。
41:52何せ物心ついて以来、新国は絶対に負けないと信じ
41:59ていたから。
42:04終戦直後、アメリカ軍は焼け落ちた東京を上空
42:10から記録している。
42:15見渡す限りの焦土の中に、空襲の直撃を免れて緑
42:20が残る皇居の姿が捉えられていた。
42:34敗戦から一月後の9月、まだ疎開先の日光にいた皇太
42:41子昭人親王の下に、一通の手紙が届いた。
42:48差出人は、父、昭和天皇だった。
42:59国家は多事であるが、私は丈夫でいるから安心してください。
43:08今度のような決心をしなければならない事情を、早く話せ
43:13ばよかったけれど、控えておったことを許してくれ。
43:23敗因について一言言わせてくれ。
43:28我が黒人が、あまりに広告を信じすぎて、英米を侮
43:34ったことである。
43:37我が軍人は、精神に重きを置きすぎて、科学を忘
43:44れたことである。
43:48戦争を続ければ、三種の神儀を守ることもできず、国民
43:55をも殺さなければならなくなったので、
43:58涙を飲んで、国民の種を残すべく勤めたのである。
44:48次回は、昭和天皇後編。
44:52嵐と神から象徴となった戦後も、戦争責任を問われ
44:56続けた苦悩の記録。
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