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  • 12 分前

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教育
トランスクリプション
00:00その人たちの骨は必ずここにあるよと
00:18引き上げてくることで救われる人っていうのがいらっしゃると思うので
00:23かつての海底炭鉱に潜る
00:28海に眠る遺骨を家族のもとに返すため
00:33アジア太平洋戦争中
00:39この地にあった海底炭鉱が水没した
00:43犠牲者は取り残され
00:48多くが労働力不足を補った
00:51朝鮮半島出身者だった
00:54遺族は遺骨の返還を望み続けている
01:09思いに寄り添うのは地元の市民
01:15植民地主義であったり
01:21向き合おうとしてこなかった
01:24歴史の事実
01:26それが朝鮮炭鉱にはある
01:30戦後80年
01:34日韓国交正常化60年の今年
01:38ご遺骨は必ずある
01:40必ず対面できる時は来る
01:43遺骨の返還へ
01:46そして真の友好を目指して市民は歩む
01:51瀬戸内海
02:18山口県宇部市
02:22海面から突き出る2本の筒状の構造物
02:27ピーヤ
02:28かつてこの海底にあった朝鮮炭鉱の廃棄塔だ
02:36朝鮮炭鉱は最盛期の1940年代
02:4215万トン以上の石炭を掘り出した
02:46公道は炭鉱の入り口口口から2キロ以上伸びそこから縦横に分かれていた炭層が浅いところに広がっていたため安全の基準を無視して違法に浅い層を掘っていたという
03:08頭の上で船のポンポンという音やスクリューの音が聞こえて恐ろしくここから逃げることばかり考えていました
03:22当時はアジア太平洋戦争の真っただ中
03:30総動員体制の下石炭の採掘は続けられ悲劇は起きた
03:371942年2月3日
03:44港口からおよそ1キロ先で
03:48公道の天井が落ち炭鉱は水没
03:52183人が犠牲になり
03:57うち136人が朝鮮半島出身者だった
04:02犠牲者を取り残したまま港口は埋められ事故のことも忘れ去られた
04:13事故から半世紀後地元の市民が立ち上がった
04:27市民団体朝鮮炭鉱の水非常を歴史に刻む会
04:35共同代表の井上陽子さんは
04:40植民地支配と戦争が生んでしまった犠牲者だという
04:46戦争中のエネルギー政策で
04:50国のために日本の国のために無理をして
04:53人材で殺された人たちですよね
04:58人道的に考えたら必ずやっぱり
05:01このご遺骨はお返ししなきゃいけないっていう
05:03そこに正義の欠片も持っていない日本政府
05:07だから私たちはやっぱり市民の力で
05:12やっぱりまずやっぱり正義を尽くす
05:15活動を始めるきっかけは
05:19大学生の時に読んだ
05:22故郷長野県天竜村について書かれた本だった
05:271940年から戦争政策でね
05:32エネルギーを作るっていうので
05:35ダム建設が始まっていくんだけど
05:37犠牲者の遺骨を風雨にさらしたままの
05:41平岡発電所工事場って書いてあるんです
05:44これを読んだ時にすごいショックを受けたわけ
05:50村が恩恵を受けてきたダムに
05:55こんな遺骨の存在があったのかと衝撃だった
06:00結婚を機に山口県に移り
06:05長生炭鉱の遺骨の存在を知って
06:08取り組まなければと感じた
06:10戦争で父親がけがをして
06:15国の恩急に支えられ生活していたことに
06:19後ろめたさもあったからだ
06:22長生で亡くなった方たちは
06:26遺骨さえも日本政府に引き上げてもらえない
06:30やっぱこの差は何なのかっていうところが
06:36亡くなった方たちや遺族に申し訳ないって気持ちが
06:42私にはすごくあるっていう
06:45高校教諭で事故のことを研究していた初代代表の山口武信さんと出会い
06:551991年刻む会を結成した
07:00山口代表は事故が起きた時
07:12炭鉱の中にいた人の元を訪れた
07:16アンタの鉱口持ててどのようなことにならんのですが
07:22詰めかけてですね
07:24どこから上立て行けないけど
07:27とうとう足元を奥でてなんで
07:28アンタに
07:296時に入って
07:328時くらいまでしような
07:35じゃあもう8時にはもう全部使ってしまったわけだ
07:39
07:39炭鉱についての資料も集めた
07:54朝鮮半島出身者を記録した会社の資料には
08:00皆さんのことで
08:01朝鮮
08:02昭和15年10月17日っていうので
08:06入所式前に逃げ去り13名が
08:08記録同士残っていると
08:12入所式前に逃げ去るっていうのは
08:16まだ業務を経験してもない
08:19労働力不足を補うため
08:24少なくとも66万人が
08:27朝鮮半島から日本に渡ったとされる
08:311939年の募集から
08:36艦圧戦
08:37徴用と形を変え
08:40これは募集期とされる記録だが
08:44これは募集だったなんて絶対言えないと思うんですよね
08:50その辺の強制連行だったっていう証拠っていうのは朝鮮炭鉱ではこういう形で明らかになっていると
09:01戦時中にまとめられた犠牲者の名簿も見つけた
09:08そこには朝鮮半島出身者のほとんどが
09:14日本名で記されていた
09:16刻む会は本名を刻んだ追悼碑の建立を決め
09:24事故の事実を伝え
09:26本名を教えてほしいという手紙を出した
09:30父の亡くなった日だけでも教えてくれて感謝しております
09:47この手紙をきっかけに韓国で遺族会が結成された
09:57以降刻む会は毎年遺族を招いて追悼式を行った
10:06韓国遺族会のキムヨンチョルさんとヤンヒョン会長
10:18ヤンヒョン会長は朝鮮炭鉱でおじを亡くした
10:27最初は刻む会が誰かともわからなかったから
10:31気にも止めていなかった
10:331993年刻む会がアルバムを作って送ってくれました
10:39感銘を受けました
10:44全くの他人の先祖のためにこれほど神経を使ってくれるのかと
10:50キムヨンチョルさんの祖父は市場に買い物に出たきり帰ってこなかった
11:02遠くではなく村から少しのところなんです
11:08両親にお金稼ぎに行きますと伝えていくのが当然なのに
11:14伝えずにいなくなったのだから
11:15連れて行かれたと考えるしかないです
11:192ヶ月がたった頃
11:22家族の元に手紙が届いた
11:25一切の自由もなく外出もできない拘束の中で生活しています
11:33いずれにしろ必ず脱出して
11:37必ずお母さんのところに帰ってきます
11:40必ず家に帰ってくると言われたので
11:58遺族がその意思を受け継いで
12:01連れて帰らなければならないと思います
12:03戸籍簿には事故で亡くなり
12:11それを社宅の監督者が届け出たと記される
12:16家族には遺廃のような粉が届いたという
12:23遺廃を入れた壺
12:27一輪の花
12:29小さな贈り物も届いたと聞きました
12:32父は当然それが遺廃だとは思わなかったでしょう
12:38ただ送ってきたものだと
12:40刻む会は遺族に寄り添い続け
12:4520年後ついに追悼碑を完成させた
12:50記憶に残っているのは追悼碑の混流だ
12:582013年切実に待ち望んだ追悼碑だった
13:03とても大変だったんだ
13:06念願が叶った
13:11しかし集会で遺族は刻む会に迫った
13:17私たちの希望は素朴です
13:21父の遺品を探し出したいのであり
13:24父を海の底から引き上げ
13:26遺骨を故郷に葬ってあげたいだけなのです
13:29山口代表は
13:35自分の親兄弟を亡くした人にとっては
13:48どれだけ悲しいものか
13:49思っただけの
13:53体の悪い山口先生が
13:58よじ登るようにして
14:00壇上に上がってきて
14:02ご遺骨を発掘しましょうって
14:05必ずできますっていう風に
14:10先生に言われた時の
14:13やるんだなと
14:16その2年後山口代表は亡くなり井上さんらが医師を継いだ
14:28刻む会は当初から
14:35宇部市や山口県に
14:37追悼碑の建立や
14:39遺骨発掘など
14:41協力を求めてきた
14:43しかし支援はない
14:46朝鮮半島出身者の遺骨返還は
14:512004年の日韓首脳会談を機に
14:55日韓政府双方が取り組んでいくことが
14:59確認されている
15:00これをもとに2018年
15:06初めて日本政府に支援を要請した
15:11これに対し厚生労働省は
15:16しておりますので
15:18具体的な場所が明らかではないこと
15:23などから現時点で海底に埋没している
15:28ご遺骨の調査を行うということは
15:32現実的に困難であると
15:35何もやってないですあなたたちは
15:37奇情のことですよ
15:39こういうことで判断をされたら
15:42この命の尊厳はどうなるんですか
15:47しかし厚生労働省は
15:50所在が明らかではない遺骨は
15:52対象外として
15:54現地視察も行わないと伝えた
16:00日本政府は遺骨発掘は困難と
16:07言い切って見捨てるのでしょうか
16:10遺族に残された時間はもうありません
16:13事故から83年たち
16:17遺族も高齢になっている
16:20刻む会は
16:24口を開けることを決断した
16:27遺骨のある場所を見つけ
16:30政府を動かすためだ
16:34活動に賛同した人から1200万円以上の寄付が集まった
16:44去年夏
16:47生い茂る草木を借り
16:49投棄されたゴミを捨てることから始めた
16:54骨の一辺でも私たちが見つければ
16:58国はやらざるを得なくなるというふうに
17:01思っておりますので
17:02何とかそういう状況を切り開いていきたいと
17:052ヶ月後
17:16掘削に着手
17:18掘り進めるが想定していた場所に
17:31口口がない
17:38たぶん調べたのが10メーター10メーター10メーターで
17:41証言も踏まえて
17:44掘削範囲を広げた
17:462日目の夕方
17:50口口が姿を現した
18:01労働者が命を預けるには小さな穴だった
18:07口口にたどり着くことができて
18:14報告できるというのは本当に良かったと思っています
18:21一夏を終え井上さんの肌は黒く焼けていた
18:28それから1ヶ月後
18:35口口の前に遺族が招かれた
18:41犠牲者が出ることがかなわなかった口口を見つめ
18:46手を合わせた
18:49これから始まります
18:51この中に家族がいる
18:56小学5年生の時
19:06父親を亡くしたチョン・ソッコさん
19:10今年96歳を迎えた
19:15最後の旅だと思ってと井上さんが招いた
19:21韓国第3の都市テグ
19:29チョン・ソッコさんが家族と暮らしている
19:33広口を見るために何とか日本を訪れたが
19:40恒例で簡単に遠出ができる状況ではない
19:45井上さん
19:47ソッコさん
20:11ソッコさんも初期から遺族会に参加する
20:17今は耳が遠く認知症があり日々のことは忘れてしまうが炭鉱のことは覚えている
20:27学校の授業中の朝10時に調整炭鉱で事故が起きた
20:36学生たちは家に帰れと言われました
20:40外に出てみたらピーヤから水が噴き出ていました
20:46炭鉱の社宅に家族で暮らす中事故で父親を失い母親が一人で子供を育てた
20:58おばあさんは大変な暮らしをされたの?
21:08そうだ
21:10当時のことを話すことができるか
21:12言葉にできない
21:16車で1時間ほど離れた場所に母と過ごした家がある
21:22しかしソッコさんがこの家で過ごした期間は難い
21:28住み込みの方向に出たからだ収入源はおじいさんで子供も5人いたのでとても苦労をされました
21:47ブドウ栽培など農業で発展し工業も盛んなキムチョン
21:59ここに事故の犠牲者の娘シンポクヒャンさんが眠る
22:06その子供たちが報告に訪れた
22:11口口が開いたのはちょうど休暇期の日だった
22:18仲のいい4兄弟は犠牲になった新4オプさんの孫にあたる
22:39祖父が亡くなったのは家族で社宅に暮らす最中のことだった
22:48長女のヨンスンさんは母親から祖父に大切に育てられた思い出を聞いてきた
22:57母をあれほど愛して大切にしていた人が亡くなったんですから
23:03母はどんな思いだったでしょうか
23:07母にはハン、晴らされなかった恨みがあります
23:12母ほどではありませんが私にも
23:16ハンを背負いながら願うことは一つ
23:23183人の中の一人だけでも見つかってくれればいいです
23:33183人は同じ魂だと思っています
23:44日本にもこの苦しみを知る遺族がいる
23:50常西勝彦さんも事故で父親を亡くした事故の4日後に生まれ父親を知らない母親もそばにはいてくれなかった
24:09帰ったら連れて行くからって言って僕を学校に送り出して自分はそのまま老いたのに帰っていって靴も教科書も変えず中学校を卒業してからは働きながら祖父母の面倒を見た
24:32親父がいないからそういう状態だもんだから親がおるとこんな苦労せんでもいいなっていう気持ちはずっとありましたね
24:4120代の親父はね
24:45常西さんも神口を訪れていた
24:49親父はしっかりね
24:54分かりました
24:57冷たい水の中にねまだいるんだと思いましたね
25:02だからいつなったら
25:04遺骨を
25:08皆さんのやつをあげてくれるか
25:11個人にはできないもんね
25:13国が動かないとね
25:16なかなか深いですよ
25:22口口は開いたが
25:24公道の中の水はひどく濁る
25:29遺骨を見つけるには特別な潜水技術が必要だ
25:35キザ向かいに一人のダイバーが協力を申し出た
25:48水中探検家のイサジヨシタカさん
25:52洞窟など閉ざされた空間を潜水する日本の第一人者だ
26:00日頃は潜水の行使をしている
26:05長さ
26:08角度
26:09深さが出ます
26:12今やった工程がこれで出る
26:16イサジさんは日本政府との意見交換会を見て
26:21調査は自分の役目だと思ったという
26:25政府はそれに対して
26:29例えば別にお金じゃなくても
26:32意見を募集するでも
26:34何かしら全員の知見を持ち寄るようなことが
26:39やっぱりできたらなと思っていて
26:42悲しいことだから協力しましょうねって
26:45僕はそれだけでいいとは思うんですけどね
26:47いさじさんが調整炭鉱を訪れた日現場は希望の空気を帯びていた満潮に合わせ夜が明けてすぐに出航したひざ向かいは港口から350メートルほどの所に遺骨があると見ている
27:16証言から行動で一番深いと考えられる地点だ
27:23行動には並行して旧行動が走りピーヤにつながっている
27:30まずはピーヤから潜って行動に抜け目指す場所にたどり着けないかを探る
27:39いさじさんはピーヤと旧行動が交わっていたと考えられる地点まで到達した
27:48一番下にタイプみたいなものが折り重なっていたので今回は通れなかった
27:58引き上げれば通れる可能性もあるなと思いました
28:02さらに港口から行動に進んでいけることも確認した
28:09刻む会といさじさんは国会議員に調査の安全性を説明した
28:20私は戻ってきています
28:22感触的には見つけれるんじゃないかなというのが実際の所感であります
28:27準備は整った
28:31しかし日本政府が姿勢を変えることはなかった
28:39平和国家として戦後一回
28:41現時点では遺骨発掘を実施することは困難であると考えております
28:47井上さんの家にはたくさんの花が咲く
29:09趣味は園芸だ
29:12みんなクリスマスロードですね
29:15あの淡い白ともいえん黄色ともいえん色が好き
29:21世話できなくても枯れないところがいいという
29:27この1年本当に忙しすぎて花もほったらかした
29:32もう本当に休み暇もなく調整炭鉱を毎日毎日追っかけてたような感じがしますね
29:41ついにこの日を迎えたということで
29:49ここにご遺骨があるよということの証明を今日はしたいと
29:53真冬の寒さが肌を刺す1月末
30:02後口から遺骨の発掘を目指し潜水調査が始まる
30:08十分注意しながらご遺骨を探していただきたい
30:13はい期待してますのでよろしくお願いいたします
30:16ありがとうございます
30:18ありがとうございます
30:20いざいさん頑張って
30:24いざいさん頑張って
30:26いざいさん頑張って
30:28目指すのは遺骨があるとみられる350メートルほどの地点
30:421時間半後
30:52いざいさんが帰ってきた
30:56もうちょっと先ですね。
31:02翌日大粒の雨が降る中400人以上が見守る前の日から15メートルほど先
31:18港口から180メートル付近まで進んだ
31:25しかしそこが木材などで塞がれていた
31:31調査最終日
31:44いざいさんは炭鉱の中から板や電線を持ち帰ってきた
31:51しかしその手に遺骨はなかった
32:011カ月がたち地元のダイバーがピーヤ内部の鉄管を取り除く作業にあたる
32:13ピーヤからの発掘を進めるためだ
32:20雪降る海上
32:24私たちはもう人と人とのつながりでこうして大変なことを受け負ってくれる人たちがいるっていうので本当に感謝しかないですよね
32:384日後、フィールドワークで事故を伝える
32:45そして助かったのがイチョンチョンさん
32:47それで保証とかどんな
32:48保証はですね、保証問題いうともう本当に差別的で私もね
32:54日本人の方と朝鮮人の方に対するもちろん生活面での対応も全然違っていたわけですけども
33:01その最中
33:08骨のようなものが見つかったと連絡が入った
33:16これ骨じゃん
33:19間違いなく骨じゃん
33:23足から手かね
33:25手やね
33:26分からん
33:27細いから手やね
33:28分からんけど黒くなってるね
33:29まあしょうがない
33:31すごい、どこに帰ってくるって佐田さんが
33:33浜辺
33:34浜辺に帰る?
33:35はい
33:36じゃあ今からそっちに急ごうか
33:38待ち続けた犠牲者の遺骨なのか
33:47いや、本当に?
33:50いや、人かどうかは分からないです
33:52分からん?
33:53はい
33:54分からないんですけど、骨は骨だろう
33:57ああ、そうやね
33:59まあ私には分からんけど骨には間違いないだろうね、これは
34:03うん
34:05警察に渡し確認が行われた結果は人の骨ではなかった市民による遺骨返還はかつて北海道の地で実現されていた。
34:33道内でも有数の豪雪地帯で、春先も雪が多く残る。
34:40ほろか内町、朱丸内にある雨流ダム。
34:46まだ氷が溶けないね。
34:50住職の戸野平義彦さんは、雨流ダムや鉄道工事による犠牲者の遺骨を返還した。
35:01でもあの慰霊塔、あれが1943年にこのダムが出来たときに、ダムを作った、雨流電力株式会社というところが作った慰霊塔ですね。
35:48この道を発掘した。
35:50案内するからついてこいって言うんですよ。
35:52この道をずっと歩いて、この先に右側にまた上がる道があるんですね。
36:01戦後に生まれた私たちがね、戦争の歴史とか植民地支配の歴史を学ぶ上で、体験する上で、遺骨と出会うというのは遺骨から教えられることがいっぱいあったんじゃないかと思いますね。出会ってそれを手にしたものっていうのは、その支配に対する責任をね、やっぱり感じたでしょう。
36:23市民の協力を得て歴史を記録する博物館を建てた。発掘した遺骨の多くは個人が特定できなかった。それでも返してほしいと遺族の願いを受け、強制労働による共同の犠牲者の遺骨として韓国の地に届けた。
36:52家族の元に戻れない遺骨が今も安置されている。
36:59遺骨発掘に取り組む理由は井上さんと同じだった。
37:06ここに輝いている電気も含めてね、これは私たちの生活を支えてきたでしょう。
37:13でもこの使者たちはその電気を作るためのダム工事の犠牲になった。
37:20で、この人たちを無視してね、電気の恩恵だけを受けるていいのかということは、私たちにやっぱりあるんじゃないですかね。
37:274月。
37:34韓国の遺族たちが事故現場を訪れ、花を手向けた。
38:11父の感情を感じられたことに感謝したいと思います。
38:24ピーヤの近くへ。
38:39代わりに、あなたの娘、スミ子の服を着てきましたと伝えました。
38:48そう考えるからなのか、涙が出てしまうわ。
38:54今回の調査は、イサジさんに韓国のダイバー2人も加わる。
39:13日韓市民共同の調査。
39:17戸野平さんも安全を祈る。
39:22死者は沈黙の中でね、その地下の土の中や海の中に消えていくのかね。
39:32それはね、あまりにも僕はひどい。
39:36より先に進めないかふさがる場所を迂回できないか可能性を探る。
39:55しかし、甲口からの発掘は難しいことが分かった。遺族はこれまで感謝と任せきりの申し訳なさを伝えてきた。しかし、この日は違った。
40:17どうして興奮しているのですか?
40:21犠牲者のことを思うからだ。
40:26遺骨が出なかったから?
40:29そうだ、遺骨が出ないことで心が痛むんだ。
40:34船に乗られてやっぱり感情がね、犠牲者に対する思いがやっぱりだんだん強くなっていくと思いますからね。
40:49まあ、道は遠いけども、歩けば、歩いていけば、その遠い道も近くなるわけですから。
41:01これまでの道のりは30年以上。
41:08翌日、ピーヤからの発掘に望みを託し、作業を進める。
41:16遺族はイサジさんを見守り、そして迎えた。
41:22私たち遺族の気持ちは焦りますが、これはとても難しいことなので、心を無にして待たないといけないと思いました。
41:37ゆっくり、ゆっくり待つことにします。
41:44頑張ります。
41:46遺族が日本を離れる時、見送る井上さんの手を取った。
41:53遺骨発掘への障害は多い。
42:14しかしその活動は着実に状況を変えている石破総理はひざ向かいの活動を尊いことと評価し自己責任というわけにはいかないと述べた。
42:36どういうことが必要かということは、政府が責任を持って判断をさせていただきたいと思っております。
42:46この2週間後、井上さんは東京へ向かった。
42:51障害を乗り越えて、また一歩前に進むという、本当に素人の人力で頑張ってきているわけですけれども、やはり今こそ、政治の技術的な支援、財政的な支援、それが必要な時期に来ていると。
43:11厚生労働省は専門的な知見を得て検討したいと対応に乗り出す姿勢を初めて示した。
43:25すごい大きな前進だったというふうに考えています。でも時間が本当にないので、長足さんにね、どの骨でもいいと思ったんですよ、今ね。どの骨でもいいわ。骨を抱いていただきたい。
43:40原動力となる遺族への思い。井上さんには心に残るやりとりがある。韓国政府に支援を求めに行ったとき、天野・尹奥さんとの場面。
44:03私があなたにコーヒーをおごりたいのよって。ここに座ってって言って、コーヒーをおごってくれたのね。
44:14だから私はもう日本が憎くてたまらなかったけど、それが今少しずつ溶けていってるって。
44:24その人から直接聞いたのね。それがすごい嬉しかった。
44:31日本に対する持っていた藩が少しでも和らいでいく過程っていうのは、たぶんきっとこの30年の長きでね、市民同士が培ってきた中では起きていることかなと。
44:57ユン・オッキさんは遺骨に遭う前に亡くなってしまった。
45:04今は息子が寺の管理を継いでいる。
45:09お母さんと井上さんの距離が近づいたことをどう思いますか?
45:16当然のことだと思います。はじめ母は刻む回のことをそれほど評価していませんでしたが、活動を見る中でよくやってくれていると思うようになったんだと思います。
45:30市民の間で培ってきた関係。
45:37私が今やってくる。
45:41いました。
45:42はいございます。
45:47私がこれをジャンパスになると、
45:52慾霧に一番歌を歌わ 전。
45:54sweating!
45:55daybたいな お父さんに何が言っていました。
45:58海底に取り残された遺骨
46:15遺族への返還
46:21そして友好へとつながる道を
46:27見つけ出すため
46:28困難を乗り越えて市民は歩む
46:35疲れてもやり切った感が残っているからね
46:43この人たちにご遺骨を犯したいという気持ちが
46:47私を突き動かしている

お勧め