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00:00番組と合わせてご覧ください
00:08知恵図
00:111920年代 フランスパリ
00:18第一次世界大戦の抑圧から解放された街は自由な空気にあふれ新しい芸術が次々と花開きます
00:30人々は夜ごとパーティーを開き希望に酔いしえます
00:37まさに凶乱の時代でした そんなパリの社交界にあってひと際注目を集めた日本人がいたこと皆さんご存知でした
00:50それが今日の主人公 薩摩二郎八です
01:00日本有数の木綿問屋の3代目として生まれた二郎八
01:0720代でパリに渡り 酒に美食そして女性と
01:17一族が築き上げた資産をユイズのごとく浪費します
01:24その額現在の価値にすると600億円
01:35月の小遣いは3000万円
01:41まるで貴族のような暮らしぶりからついたあだ名はバロン薩摩でした
01:50どれもこれも常識外れの宝刀人生にどんな知恵があるんでしょう
01:57それがあるんです
02:05二郎八はパリに入学する日本人のため宿泊施設の建設費用を全額負担します
02:17まさに人生最大の出費 そこにある二郎八流お金の使い方の美学とは
02:28世界恐慌 そして第二次世界大戦
02:32時代の荒波が二郎八と薩摩家を飲み込んでいきます
02:44戦後 無一門となって帰国した二郎八
02:49下町の劇場で人生最後の恋と出会います
02:56そしてたどり着いた最愛の妻とのつすましい暮らし
03:01そこには肩書やお金にとらわれない生き方のヒントがありました
03:07何かと気づらしい現代社会ですが
03:14肥大の怪談時薩摩二郎八の生きざまから人生を豊かにする知恵
03:21一緒に考えてみませんか
03:23ようこそ知恵伊豆へ山崎さんご来店くださいませ
03:31本当にありがとうございます
03:33漫画家山崎麻里さん時空や国境を越えた人間ドラマを描き大ヒット作品を次々と世に送り出してきました
03:44暴君と呼ばれたローマ皇帝から世界的IT企業の創始者まで高騰向けなアイデアと行動力で時代をけん引した人物たちを生き生きと描いてきました
04:01山崎さんは本当にいろんなタイプのお金持ちを作品の中で描いていらっしゃいますけどジロハチのお金の使い方ってどんなふうに感じますか?
04:14えっなんか潔くていいなっていうのとなんかまあほうとうほうとうというけど実はすごく文化に貢献したお金の使い方はしてるんじゃないかなとも思いますしまあでも妬みやっかみはたぶんたくさん感じてきただろうなという感じもしますしね周りからのね
04:30どうせお金持ちのやることでしようみたいないやだって月々3000万ぐらいの送ってもらってたお金多分仕送りがそれぐらいの額だったと思うんですけど私なんか月々本当に3万円とかもうそのぐらいの単位でどうやって来ていこうかなと思いながら海外にいましたんでいいな3000万円と思うんですよね
04:51まずうだいましいがありますよねさあ今日はねもう一方予約が入っててもうそろそろお越しになると思うんですけどまだかなどうだろうあっ来たかなこんばんはあどうもこんばんはあ小蔵師匠ご無参しております小蔵師匠美人女将のお店というのはありがとうございます
05:15落語家林家正蔵さんなんでですって聞いたらええ仏の顔も3度
05:23祖父は戦前から名人として活躍した七代目正蔵
05:31そして父は言わずと知れた昭和の爆笑を初代三平
05:38話し家の長い歴史の中で親子3代で落語家になったのは初めてのことです。
05:59よろしくお願いします。色っぽいおかめですね。
06:04ありがとうございます。なんかちょっと強制的に言わせたみたいな雰囲気もありますけど。
06:09肖像師匠は落語界では名門中の名門に生まれなきゃ。
06:13そうなんです。落語界は名門ってないんです。
06:17歌舞伎ですとか邦楽ですとか代々受け継がなくちゃいけない。
06:24落語家の場合はまあ私は芸人やってるけれども、せがれはなんか肩着になってちゃんとしてもらいたいなっていう世界なんで、たまたまたまたまです。
06:35代々続いているのも。
06:37はい。名門なんて言葉ではなくただただ。
06:41サラブレッドなんて言われること違和感。
06:45ダバダバ。
06:46ダバダバ。
06:47ダバダバです。
06:49そんな肖像師匠から見て、600億円を浪費するっていうこの金額についてはどう思いますか。
06:55かっこいいですよね。
06:58しかも儲けるんじゃなくて使い潰すっていうところがかっこいいなって思います。
07:05だいたい3代目って伺いましたけれども、よく言われますよね。
07:11初代が築いて2代目が守って3代目が済ます。
07:14そうですね。
07:15私3代目なんだ。
07:16なんと。
07:17ありがとうございます。
07:18なんと。
07:19いやいや、お金の使い方はこんな感じに公開するかな。
07:22全然。
07:23小林さんからご覧になって二郎八っていうのはどんな人物ですか。
07:27調べすぎちゃったからかえってはっきりわからないところがあるんですが、大きな疑問が一つあります。
07:33それはさっき山崎さんがおっしゃったように、奉頭をしたっていう。
07:37ところが日本語で奉頭っていう言葉が持ってる意味はですね、なんだかとってもある方向に極限されているような感じがあります。
07:48いろんな思い出話を二郎八は書くんです。それが広まって、そうするとこの人はね、受けたいんですね。
07:57自分の話をみんなが喜んでほしいから、いろいろ、僕、会ったことないこととは言いませんけど、会ったこと、会ったことなんでしょうけれどもね、とっても面白おかしく書くんです。
08:06それでね、何百万とか何千億とか、それから女が何人とか、そういう話がとっても広がってしまう。
08:15後から作られたものと実際とがこう妙にクロスして交わって、それで伝説が大きくなっていったのかなって感じがあります。
08:27その根底には人を喜ばせたいって気持ちがあって。
08:30とってもそれはあると思います。
08:32エンターテイナーですね。
08:34ですね。
08:35ですね。
08:36さあ、600億円って聞くとちょっと浮世離れした数字にも思えるんですけど、じゃあ実際、何に二郎八はお金使ってたんでしょう。
08:45薩摩二郎八は、1901年、現在の東京都千代田区に生まれます。
08:56祖父、慈平は、幕末、木綿の輸入で巨万の財を築いた立志伝柱の人物でした。
09:07明治時代、全国の高額納税者を番付けで紹介した書物。
09:14大隈重信とともに東の大関にランクインしているのが、慈平です。
09:22波の資産家じゃありません。
09:25薩摩家の三代目として生まれた二郎八。
09:32屋敷には、よそでは滅多にお目にかかれない薄雷の品々があふれていました。
09:39祖父の食卓には、メドックがテーブルぶどう酒として置かれていた。
09:49坊ちゃん、これを飲むと西洋人のような立派な体になるよと、祖父はぶどう酒を水に割ってくれて飲ませてくれた。
09:58初めて知ったフランスの酒の味覚。
10:03二郎八の外国への憧れは、この頃から始まっていたのかもしれません。
10:1112歳になった二郎八は、貴族の師弟が通う学習院中等科を受験します。
10:20面接官は、元陸軍大将、野木馬レスケ。
10:26野木は、質問します。
10:30将来どんな職業に就きたいか。
10:34正解は、軍人?それとも立派な跡取り?
10:39二郎八の答えは?
10:42男十郎のような役者になりたいです。
10:48残念ながら、結果は不合格。
10:52その後、二郎八は、ますます文学や芝居にのめり込んでいきます。
11:001920年、19歳になった二郎八は、イギリスに渡ります。
11:11長年、憧れ続けた外国暮らしがようやく実現します。
11:19語学などを学び、やがてオックスフォード大学への入学を目指したのですが、
11:29下宿先は、ロンドン郊外にある小さな村の牧師の家。
11:36そこには、芸術も娯楽もありません。
11:42二郎八にとって、絶え難い日々でした。
11:48翌年、音楽の勉強をしていた妹に会うため、フランス・パリを訪れたときのこと。
11:59二郎八は、地上の楽園とも言うべき世界を見つけます。
12:08そこは、劇場。
12:11バレー、オペラ、そして音楽など、華やかな舞台に目は釘付け。
12:18当時のパリは、第一次世界大戦の抑圧から解放され、自由な空気がみなぎっていました。
12:28二郎八は、一発でノックアウトされます。
12:35一度決めたことは、決して譲らないのが、二郎八の勝負でした。
12:41家族の反対を押し切り、勝手にパリへ移住してしまいます。
12:54さあ、ここからが、後に伝説となる二郎八の宝刀生活の始まり。
13:01早稲田大学図書館。
13:06ここには、二郎八の遺品、汚染店が保管されています。
13:12出てくるのは、オペラのパンフレット。
13:19これも、パンフレット。
13:24大量のパンフレットです。
13:29勉強はそっちのけ。
13:37二郎八は、劇場がよいの日々を送ります。
13:41このころ、社交会にもデビューします。
13:48凶乱の時代と呼ばれていたパリで、夜ごと繰り広げられる魅惑の宴。
13:57パーティーで出会った人妻との恋もありました。
14:05高級車に貴金属。
14:09欲しいものは何でも手に入れた二郎八。
14:15仕送りが足りず、実家に催促することもたびたびでした。
14:191923年、関東大震災が東京を襲い、実家の商店も大きな被害を受けます。
14:36父から早期の帰国を促された二郎八。
14:44しかし、こんな際、外国で多額の金を使うのを全く心苦しく思いますが、
14:53金を使わず小さくなっていたら、外国に暮らしている価値が全然ありませんから、
14:59まあ、あと一年はどうかお許しください。
15:05とまあ、のんきな限り。
15:09一体二郎八にどんな学ぶべき知恵があるんでしょう。
15:16知恵その1。
15:19世のために生きたお金を使え。
15:261924年、再三の要請に応じ、二郎八はようやく帰国します。
15:36伯爵家の礼女を千代と結婚し、いよいよ三代目として家業を継ぐのかと思いきや、
15:44全くその気はありません。
15:48そんなある日のこと、外務省の役人が二郎八のもとを訪ねてきました。
15:55後に総理大臣となる、広田浩輝です。
16:01さつまきの莫大な資産と、二郎八の金遣いを当て込んだ広田は、
16:06ある計画を打診します。
16:10分かりました。
16:13パリ郊外に建設予定の日本人留学生のための宿泊施設、パリ日本館。
16:22その費用を出資してほしいというのです。
16:27さすがの二郎八も、一人では決断できなかったようです。
16:40再びパリへ向かった二郎八は、ある人物と出会います。
16:49アンドレ・オノラ。
16:51かつてフランスの文部大臣も務めた、パリ日本館の発案者です。
16:59オノラは、自らの理想を二郎八に語って聞かせます。
17:04世界の学生たちが交流できる場所を作り世界平和の礎にしたいとオノラとの出会いは二郎八に何をもたらしたのか小林さんはこう推察します。
17:21向こうへ行って出会った人たちっていうのは自分のためというよりもいろんなこの世界の中の出来事の中で自分の仕事を見つけてそれを発揮していきたいと思うような人たちに大勢あったであろうことは間違いないんです。
17:38じゃあそこで自分が何をできるだろうか世界中の若者たちがお互いの共同の意識を持って健全にそして共鳴し合う環境の中で勉強してそれが次の時代の世界の平和をつくっていく土台になればいい。
18:00一度決めたらまっしぐら。二郎八は現在の価値で42億円にも及ぶ資金を全額負担します。
18:11一方で運営に関して金は出すけど口は出さないという切符の良さ。
18:18こうして1927年、二郎八が我が命と呼んだパリ日本館がついに完成の時を迎えたのです。
18:30ところが、時代の荒波が、二郎八とパリ日本館を飲み込んでいきます。
18:401929年に起こった世界恐慌は、さつめ家にも深刻な影響を及ぼし、家業は閉鎖へと追い込まれます。
18:52余儀なく日本に帰国していた二郎八に不安な知らせが飛び込んでいきます。
19:00ポーランドを侵攻したドイツに対し、フランスが戦線布告。
19:06戦争が始まったというのです。
19:12私はこの危機をどんな事情があっても傍観してはいられぬ。
19:19畳の上で犬死にはできぬ。
19:23切っても切れぬ関係のあるフランス。
19:26起用は当然の義務である。
19:34まさに今こそ、世のために生きたお金を使う時だ。
19:39二郎八は、なんと戦地フランスに戻る決心をします。
19:44結核を患い療養中だった、妻千代を残しての旅立ちでした。
19:55その後、千代は亡くなり、二人が再会することはありませんでした。
20:01ようやくフランスにたどり着いた二郎八でしたが、パリ日本艦はすでに閉鎖されていました。
20:15それでも、世のためにできることはあると、二郎八は行動します。
20:25ドイツに拘束され、窮地に陥ったフランス人たちを救出する活動にボランティアで参加。
20:32ドイツ人将校と自ら掛け合い、解放を成し遂げたといいます。
20:38ドイツの撤退後は、フランスに拘束された日本人の解放に資材を投げ打ち、奔走します。
20:53二郎八自身も拘束の危機に、「あなたはどんな罪を犯しましたか?」と尋問を受けると、こう答えました。
21:06自分が犯した罪があったとしたら、それはフランスを愛しすぎたということでしょう、と。
21:18尊徳勘定のものさしでは測れない二郎八の大胆な金遣いと行動力が多くの人々の命を救ったのです。
21:33いかがでしたか?
21:35あの何かこうして見ると確かにお金があったからまあ良い家庭環境でフランスに行くことができたんでしょうけど何かお金が後からついてきてるぐらいの印象がありますね何かこう本人がものすごい大逸しててわーっと自分がやりたいことやってる時にたまたまお金があったからまあそれをいろいろと投じたりとかしてお金に支配されてなかったような自分がいてお金をこう要するに動かしてるっていう。
22:01亡くなったところで別に自分の追いつは変わらないからそのまま暴走するみたいな何かそういう人なんだなという気がしましたね何かね関東大震災のあとにもうちょっとお金くださいっていう辺りはすごいなって浮世離れしてますよねそうですねうん何だかとてもいいことをなさったんでしょうけれども
22:31指しと言いましょうか何かいいこととか自分のしたいこととか例えば私だったら実家のこととか後を継いだんだったらうちを守るとかって普通のそこのうちに生まれた息子の価値観なんかゼロじゃないですか
22:47そうなんですよねうんそれで人のためって言うとなんだかとてももう
22:54馬鹿に合わないんで分からない私たちの平均的な物差しで物を見てないっていう感じですよねそうですよねだからその震災の後にお金くれもそうですしその病気の妻を置いて戦争中のフランスに行っちゃうっていうのもしかもあんなきれいな奥さんですよそうですよ絶世の美女で確か彼女はほらフランスで何か雑誌の表紙とかにもなるぐらいのそういうそういう方なんですよはぁーっ!
23:21確かに奥さんの写真が出た文語のもどざしがあるんですよちゃんと今大事に撮ってあります表紙になってるんですねですからね2人もおっしゃったように何て言ったらいいかな人のためって本人が必ずしも言ったか思ったかそうではなくてねやらなければいけない種類の事柄があるとでそれをやると自分も幸せだそれをやっちゃえっていうのがこの人ね
23:51日本の映像があるんですよね。
24:21That's what I'm talking about.
24:25I'm thinking about it.
24:28There's a lot of opera and music programs.
24:34It's about 1923 years.
24:36It's about 23 years.
24:42It's about half a year.
24:45It's about 20 years.
24:55It's about 20 years.
25:00It's about 20 years.
25:34It's about 20 years.
25:44It's about 20 years.
25:49It's about 20 years.
25:50It's about 20 years.
26:25それはそれまでヨーロッパ音楽っていうと芸大がそうであるようにみんなドイツ系だったそれをフランス系のピアノ音楽を日本で代々的に広めたそういうこともこの人はやってるんですよね。
26:45日本最初の呼び名をやってるわけですよ。工業師ってことですね。世のためにお金使えっていうことをやってるように聞こえますよね。生きていますよねその使い方はね。きちんと文化を通じて日本にそれまで接触がなかった文化をフランスからどんどん持って行くのに自分のお金を払ったわけじゃないですか。そうなんです。まさにここでの知恵はこちらなんです。世のため生きたお金を使えそういうことですよね。そうです。
27:12そういうことですよねそうですまさに世のために生きたお金を使ってるそれで本人も本人に対しての投資をしてるわけじゃないですかその海外行ったりまあウソホラーをつくことも含めてでもそれで楽しくなった人がいっぱいいるんだったらまあ世のためとも言えるのかなという気もするしうんいわゆる文化に関わってるお役人がやってる以上のこと全然規模が違います全然規模違いますうん
27:37実際にねパリで日本文化を普及させるために大使館がやってるいろんな文化活動に実はずいぶんお金出してるんです遊びごとに金を使ったって喜んで面白がって褒めたり悪口言いますけども外務省に後で返してもらえない金を使ったって誰も騒いでくれないんですけどねそういうのもあるだからいろんな形ででもそれをやってる時に人も楽しませたけれども一番楽しんでるのはやっぱり本人なんですよ
28:07みんなで楽しむ自分も楽しむそこにはいろんな夢がある世界でいろんな人と付き合う芸術と付き合う外交の仕事にも関わるそういう楽しみをみんなと一緒にやるためにお金使ったんだって
28:23肖像師匠のお父様は三平師匠昭和の大スター大スターだと思います芸も豪快でしたけどお金の使い方どうだったんですか?
28:35銀座赤坂六本に両邸大体多い時は30人引き連れて合流をしたそうです毎晩毎晩大体今のお金にすると1日300万円ぐらいで母は根岸の家でマッチ箱作りの内職をしていたそうです
28:56だからうちのお父さんが遊ばなければもっと大きな家が立ったんじゃないかってそれに言うぐらいです
29:03それは師匠には?
29:05全くないです
29:05全くないです
29:07何ででしょう?
29:08世の中がうるさくなったからです
29:11どう思いますかって今聞かれたら何て答えますかお父様のお金の使い方一貫してかっこいいなって思いますきれいに使ってるなって何か自分の身の回りのものとか何か自分のことに使うっていうことではなく人を喜ばせるとか人のためが大好きなんでしょうね多分それはきっと舞台とか講座とか落語とか大衆娯楽とかエンターテインメントに買うことができるんですよ。
29:41関わってるからとにかく喜ばしたかったんだと思いますそれもある意味やっぱり生きたお金だったなって思いますよねそうですよただそれはあくまでも当人が生きたお金って言ってるだけでもっと他に使い道があってどれだけ助かる人がいるのか分からない当人が言っているいわゆるスタンスの生きたお金のような気がしますさあ話は戦後に移っていきます頼みの家業も廃業してしまいまして二郎八実は
30:11もう一文になっちゃうんですよそのあとどんな人生を歩んだんでしょうか?
30:181951年横浜
30:24船から降りてきた一人の男50歳になった二郎八です
30:39少し古びたスーツを身にまとい髪はすっかり薄くなっていました
30:45無一文となった二郎八は随筆家として活動します
30:53原稿料は人生で初めて自ら稼いだお金でした
31:00二郎八はフランスでの体験をもとにした執筆を数多く手がけます
31:09といって高尚な文化論ではなくちょっと下世話で人情味あふれる内容が大衆の人気を集めました
31:21そんな二郎八が日本に初めてもたらしたものが
31:26シャンパンをオレンジジュースで割ったカクテルミーモーザ
31:32フランスで国民的人気の自転車競技も二郎八が初めて日本に紹介しました
31:45二郎八は浅草に安アパートを借り暮らし始めます
31:51芝居小屋などが立ち並ぶ街並みにフランスの下町の面影を感じたためでした
32:02この頃からある場所に足しげく通うようになります
32:08知恵その2粋な人生にお金は関係なし
32:24二郎八が訪れたのは
32:27ごきげんよう
32:31浅草のストリップ劇場
32:37毎日のように楽屋に顔を出し
32:42部屋の隅っこでパイプをくゆらせるのが日課となっていました
32:50そんな二郎八に待っていたのは運命の出会い
32:57いつものように踊り子たちと世間話に花を咲かせていた二郎八
33:03この日の話題はフランス映画
33:11いつもは控えめで後ろに隠れてばかりいた女性が
33:15興味津々に二郎八の話に身を乗り出してきたのです
33:20彼女の名前はトシコ
33:26年はまだ20代半ば
33:29劇場に入ったばかりの新入りダンサーでした
33:33文学好きで教養豊かなトシコに
33:39二郎八は惹かれたといいます
33:42走り出した二郎八を誰も止めることができません
33:49どう?
33:50劇場の楽屋に安しげく通い赤いバラの花束に
33:59俊子が大好きな豆大福を差し入れて彼女の気を引こうとします
34:06出会いからほどなく
34:11二郎八はついに結婚を申し込みます
34:1730歳差のプロポーズに困惑したというトシコ
34:22とぼとぼ寂しそうに帰っていく二郎八の後ろ姿を見て
34:26私がこの人の役に立つなら何かをしてあげたいと思ったのだとか
34:371956年2人は結婚
34:40トシコのアパートに二郎八が転がり込む形で同居生活が始まります
34:51トシコは踊りをやめ
34:53要塞仕事で収入の不安定な夫を支えました
34:59そんな二人の暮らしぶりをよく知る人物がいます
35:07人務以来の美少年と呼ばれた三羽昭弘さんです
35:14人務以来の美少年っていうのをね
35:17でそれをねいやそれはね薩摩二郎八さんが付けてくだしたの
35:23あのバロン薩摩っていうのをね一世を風靡した
35:27シャンソンにも詳しい二郎八が三羽さんの歌を大絶賛したことがきっかけで二人の親交が始まりました
35:36白八さんは人間の進化や物の価値をお金に換算するような
35:46いやしい真似は決してなさいませんでした
35:50超一流のレストランの味を知っていながら
35:55バスへの食堂の安い定食でも美味しい美味しいと召し上がっておいででした
36:02狭苦しいアパートでもセンスよく暮らしていた
36:10こういう暮らしもなかなか面白いと笑っていました
36:15白八さんこそ本当の意味で豊かさを知る
36:22粋でおしゃれで優しい紳士でした
36:27そしてその本領は無一文になってから発揮されたのです
36:341959年 敏子の故郷徳島を訪れた二郎八
36:44念願だった阿波踊りの観覧中
36:48脳卒中で倒れます
36:50その後 徳島で療養生活を送った二郎八
36:55港の汽笛が聞こえる静かな町で妻に支えられながら1976年この世を去ります少年74波乱万丈の人生でしたお金の面ではね前半のVTRと後半が全く違う感じなんですけどね
37:25何かあんまりお金関係ないかなってもうこの人多分内側がもう充足されててどんな状況も楽しめる人なんで何かこう世間体とかとにかく気にしないあと周りから自分がまあとにかくどう見られてるか以前に自分がどう満たされてるかのほうが問題なんでだから何かこう虚勢もなければさっき三和さんの言葉でその癒やしさがないっておっしゃってたけど確かに癒やしさがないと思いますそれは何でかっていうとお金にしがみついてないからね
37:54あったらあったなりの生きたお金をどうやって生かしていこうかっていうふうに使うけどないならないなりの楽しさがあるねっていうふうにきちんと転換できるっていうか大したもんだなと思いますね
38:06僕すごくその方の魅力を感じるのは美食の限りを尽くしていながらも朝木さんの一伝飯屋のかっこ見ようなご飯もおいしいものはおいしいって認める器量がとても広いというか大きい方なんだろうな振り幅がねとても広いし寛容だしねえここでの知恵はこちらです
38:30粋な人生にお金は関係なし
38:34散々ねお金と接してきた人だから言える言葉ですね
38:39お金がないとなくてもいきなり人生って歩めるんですかね
38:44お金を一回持たなきゃ言えない言葉じゃないですか
38:49ですよね
38:50それはね我々それぞれに分がありますからね
38:55この人はすごくお金使えたんですよ
38:57だけどお金持ってなければいきな人生にできないかっていうとそんなこともなさそうでしょ
39:03水滝に我も楽しみ人も楽しみそのために出し惜しみはしないというのがもしも標語になるとしたらねそんな暮らしができればと今までの話を伺って結局思うんですけども生きを狙うと野暮になるんですよ
39:24やっぱりね
39:25意図することじゃないですか
39:28目指しちゃダメなのかもしれないですね
39:30結果論的に誰かがそう思うか
39:33この人みたいに自分でもうそう
39:35計算しちゃダメなんです
39:36そうそう
39:37こうすれば粋になるだろうと思うと必ず計算は外れる
39:40そうそう
39:41目指しちゃダメ
39:42でも野暮の野暮字もないですもんね
39:44かっこ悪いっていうのがないんですよ
39:46最後までね
39:47野暮じゃないのかっこいいな
39:50いやーやろうと思ってできることじゃないですよ
39:53ここでジロハチの愛したカクテルミモザを味わっていただきましょう
39:58ミモザですか
39:59はい 作り方はすごく簡単で
40:01まずオレンジジュースを半分ぐらい注ぎます
40:06そしてそこの上に
40:10シャンパーニュです 本物です
40:14この店では本物しか使えませんので
40:18でこれを軽く混ぜて出来上がりです
40:26大好きだったみたいで
40:28フランスと往復する船の中でよくバーテンダーに作らせていたそうです
40:32せっかくですから皆さんで乾杯したいと思いますが
40:35ご発声師匠にお願いしていいですか
40:37はいでは皆様方の家坂を起点し
40:40乾杯乾杯乾杯乾杯
40:45おしゃれな人ですねやはりね
40:52ツーブルとだいたいバーのカウンター行けば
40:56ドライマティーニノーステアとか言うじゃないですか
40:59かっこつけてね
41:01ミモザって言ってるバーで男性にあまり弱いしないです
41:06へえミモザってほら女性の象徴女性の人からみんなミモザを飾らなきゃいけないとなんかそういう意味で非常にやっぱ彼はジェントルな女性に対してもすごくこううんそういう意味がというよりもねそういう意味に彼はそうですねそうですねそうですねそうですねそうですね小林さんは生前の敏子さんはいはいはい何度もお会いになっているんですよねはい何度もお会いになりました
41:36最初に倒れた時、徳島で2日ぐらい後でようやくごそことできるようになったら何してるかと思ったら髪剃り取り出したって何するんだと聞いたら髭を剃るんだってつまりそれは身だし並みなんですよ。
41:53それが身に染みてるからそれで私が剃りましたって敏子さんが剃りました。
42:07敏子さんってねお話を伺ってストリップをやっておっしゃってたけどもこの方エコールド・パリのすごい華やかだった時代のパリにひかれてるじゃないですかあの頃の要するに踊り子要するにああいうレビューとかやってるような方たちとか女優さんだったりとか結構やっぱり皆さん表は華やかだけど裏側では聞きのモンパルナーさんはみんなそうだけど結構ほんとにつつましい中でもう悲しい思いをしてお金もなくてっていう生き方をしてる人たちたくさん多分接してるんですよね。
42:37だけども感受性とインテリジェンスはある多分それに近いものを敏子さんに見いだしたのかなって思います敏子さんも去っていく彼の後ろ姿をかわいそうだと思う普通当時の女性っていうのはやっぱり自分を養ってくれる生活力になるどんとした男の人に惚れるじゃないですかなので彼女は自分がいないと支えてあげないとって逆に思ったそこがすごくちょっと西洋的な感じもしますよね背中だよ背中ねえ
43:05今日は薩摩二郎八の人生そして知恵を味わってきましたが小僧さんどんな印象でしたかはいこの店を出た時に背中がいいっていう男性になりたいなと思いましたいい背中だねっしょって言われる話よりも背中ですね
43:21おいおい
43:22山崎さんいかがでしたかいや面白かったですねあの魅力的な人ですよね魅力的だけどやっぱりなんかこうそれほど私と知らなかったじゃないですかそれほど彼についていろんなところで語るわけではないし
43:40だからもうこれだけやっぱり得意な経験持ってしまう人は共感できる人も少ないのでメディアとかでも紹介されることが少ないのかなってちょっと思ってしまったけどでもありがたかったですここでこういう人がいたってことが知らなかったので今日も知恵図でのご覧店ありがとうございましたありがとうございます
43:56二郎八と敏子さんに乾杯乾杯!
44:04チェーンズ映画特報で話題の曽根崎真珠その生みの親近松門左衛門新たなジャンルを切り開くパイオニアの知恵に迫るいやもう神様の中の神様ですよね意図的にやるとダメです自然発生してくれると困るよねEテレ16日夜10時
44:34NHK 最末助け合い海外助け合い中野大賀です大賀ドラマ豊臣兄弟で主人公豊臣秀永を演じます
44:44秀永は兄豊臣秀吉を支え時には支えられ強い絆で天下統一という偉業を成し遂げます
44:53誰かと支え合うことでできることが増える世界にあなたの
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