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00:00Welcome to the show.
00:12Today's guest is this person.
00:18The singer of岩崎博美.
00:2116歳のとき、実力派のアイドルとしてデビュー。
00:31数々のヒット曲を世に送り出してきました。
00:41歌手、岩崎博美さんのルーツに迫ります。
00:46今日のゲストは岩崎博美さんです。どうぞ。
00:53よろしくお願いします。
00:57よろしくお願いします。
00:59どうぞ、どうぞ、さっさりください。
01:01いやー、岩崎さん、紅白出場おめでとうございます。
01:05ありがとうございます。
01:06もう、我々は今さっき速報で流れてきました。
01:1137年ぶりだそうで。
01:13えー、どうですか、ご心境のほうはどうなんですか。
01:17いやー、よくわかんない。
01:19いやー。
01:20もうなんかすべてに緊張してるから。
01:22さあ、そして今回なんですけども、このファミリーヒストリー。
01:26想像がつかないのに、もう今、頭真っ白で。
01:30知らないことだらけ。
01:45東京都江東区で生まれた岩崎博美さん。母の末さんは鹿児島県奄美大島の出身でしたが詳しいことは何も聞かされていないといいます。
02:03母方畑家のルーツをたどるため奄美大島に向かいます。
02:13戸籍を明治時代のものまでさかのぼると鹿児島県大島郡笠原村とあります慶応3年ここで生まれたのが広見の祖祖父畠牛太郎です牛太郎こんにちは。
02:37牛太郎のひ孫に会うことができました。
02:43広見の鳩子、鬼塚千鶴子さんです。
02:47郵便局の前に道があるんですけど、ここからずーっと本家があったんですよ。
02:58350坪ぐらい、宅地が。
03:02明治時代、街道沿いには武銀社という実力者の家が並んでいました。
03:09畑家もその一つだったといいます。
03:14こちらへんが畑家代々の受け継いだとなんですけど、サトウキビです。
03:27牛太郎はサトウキビで黒糖や焼酎を作り暮らしました。
03:36そんな牛太郎には自慢の妻がいました。
03:40こちらが畑家出松さんです。
03:44広見の祖祖母、伝松です。
03:49集落のおさんばさんがいない代わりにおさんばさんの代わりをしてあげたり、昔って食べ物がないときに食べ物を持って行ってあげたりとか、周囲の人がすごく信頼感が厚かったみたいで。
04:07伝松には、集落である重要な役割があったといいます。
04:16伝松の孫の雨水よし子さんです。
04:23みんなが集まったりうれしいことがあれば歌うんですね。
04:35奄美の伝統的な文化、島歌です。
04:42歌者とは、特に優れた歌い手で、集落に伝わる歌を熟知して継承する語り部のような存在でした。
05:05歌者は、結婚などの祝い事や、死者を見送るときに歌い、喜びや悲しさを歌うことができました。
05:28歌者は、結婚などの祝い事や、死者を見送るときに歌い、喜びや悲しみを分かち合う重要な役割を果たしました。
05:39歌者、伝松を調べていくと、さらに興味深いことが分かってきました。
05:52こんにちは。
05:55島歌を研究している福山隆さんです。
06:01ある島歌の一節に気になる箇所があるといいます。
06:07ここに、徳之島節という歌があります。
06:12その中で出てくるのが、伝松アゴコア。
06:16伝松っていうのは、使徒の名前ですね。
06:19伝松姉さんっていう意味です。
06:22有名な歌者だと、よく島歌の歌詞に名前が出てくるんです。
06:37この島歌は、海の向こうの徳之島にいる人へ、蝶々に伝言を頼みたいと歌っています。
06:49そしてその蝶々に思いを託そうとしているのが、伝松という人物です。
06:56伝松アゴコア。
07:09私の母推論でしかないんですけど、徳之島に向かう愛しい人の身を案じて、それを心配している。
07:21恐らく伝松アゴコアの気持ちを歌った歌だと思われます。
07:28この歌にある伝松が、広見の祖祖母なのか、それとも同じ名前の別の歌者なのか、その答えはわからないまま、歌だけが今に伝わっています。
07:46そして歌者伝松の息子が広見の祖父重蔵です重蔵は代々続いてきたサトウキビ作りとは全く異なる道を進みます孫の坂爪昇さんに話を聞きました
08:13船の食事を作るコックさんですか料理人が乗るくらいだから多分かなり大きい船だったと思います多分外国航路だと思いますよええ重蔵には5人の女の子がいましたその4女が後に広見の母となる末です初めて見た写真です。
08:40末は奄美の自然に囲まれのびのびとした少女時代を過ごします国民学校で末と同じクラスだったという人を見つけることができました
09:10末は急調地やったからね頭はいいしその頃ね劇なんかもあったんだけどそれも皆言い訳しちゃったよ
09:19あれの声は特別だったから
09:23だからあれよみんなで所に歌ったんだけどもう住み切ってなんちゅうか声も出るしあれの歌を聴けば何でも聴きたいですよね。
09:38伝末の歌声は孫の末に受け継がれていたのですしかし末は島唄を継承することはできませんでした
09:56太平洋戦争が始まると父は軍族となり残された末は母と鹿児島に疎開することになりました
10:11その頃みんなほとんど疎開してねこれ以降末が島唄に触れる機会はほとんどなくなってしまいました疎開先での生活は苦労の連続でした
10:37鹿児島の近現代史に詳しい中島新平さんです
10:45天海の人たちっていうのはこっちに本土側に来るとマイノリティなので知り合いとか身内がこっちにいる人はある程度そこの捨てを頼って何とか逃げたっていうところありますけれども
10:59そういう人たちがそういう捨てがない人たちもたくさんいるのでそういう人たちも含めて基本的にやっぱりこっちに来た天海の人たちっていうのは大変な生活だったと思いますね
11:09それある意味本土の人たち以上に苦しかった部分もあると思いますね
11:13天海から来た人は仕事も家もまともに確保できない人が多かったといいます
11:22終戦から4年がたった昭和24年
11:30一家をさらなる不幸が襲います
11:33戦争を生き延び
11:38福音した父重蔵が病気で急死したのです
11:42重蔵はまだ47歳でした
11:46残された母と娘たち
11:53生活は困窮します
11:56それでもふるさとの天海は米軍の占領下にあり
12:04簡単には帰ることはできません
12:06末は決意します
12:12東京で小料理店を始めていた姉を頼り
12:19上京することを決めました
12:21列車を乗り継ぎはるばる東京へ
12:28末は姉夫婦が経営する店で懸命に働きます
12:35するとある日
12:41一人の男性客が店を訪れました
12:45男性の名は岩崎健三
12:52後にヒロミの両親となる2人の出会いでした
12:57いやーパパのあの写真もちょっと驚きでした
13:06お父さんの写真も知らない
13:08知らなかったです
13:09ファミリーヒストリーはどうやって手に入れているんですか
13:11そうしてるんでしょうね
13:12祖母の歌にもできた電末さん
13:17いかがでそれ聞いたこととかは歌歌ってないんですか
13:21歌を歌われてたっていうのはどう感じますか
13:25頼もしいですね
13:26なんか受け継いでるんだなと思います
13:29お母様の末さんは疎開先の鹿児島で
13:33お父さんが亡くなって
13:35ふるさとにも帰れなくなって
13:37すごく苦労されて
13:38そうなんですね
13:39いや母からあんまり苦労した話って聞かされたことがなくて
13:44ただお父さんが亡くなった途端に
13:46お家も全て取られてしまったって話は聞きました
13:49取られたの
13:50でも奄美代島行きたくなりました
13:53行ったことないっていうのも
13:55行ったことがないんです仕事でもないんですよ
13:57続いては父方岩崎家のルーツを探ります
14:06調査を始めるにあたり
14:13ご自宅に残っていた資料を預かりました
14:16私が持ってたものね
14:21その中にあった一本の巻物
14:24広げてみると260年にわたり
14:30先祖代々の名前が記された家計婦でした
14:34広げてみると260年のお餅だったんですね
14:38岩崎家の当時は代々神左衛門と名乗り
14:42相川町に暮らしたとあります
14:45そこは現在の新潟県佐渡市
14:54世界文化遺産に登録された金山の麓に広がる町です
15:08江戸時代初期ここで金が発見されると全国から人が集まり
15:14最盛期の人口は5万人だったと言われています
15:23岩崎家が住んでいた相川町4丁目とはどんな町だったのか
15:30郷土市の編産を担当した浜野博さんに伺いました
15:38はいここからが4丁目になってきます
15:42新潟団の開発が進みにつれて
15:441丁目2丁目3丁目という町立てがなされてきます
15:49ここも4丁目も多くの商人たちがここに
15:54お店を構えるようになってきます
15:57豆腐屋とか作り酒屋とかいろんな店が広がっていくわけですね
16:04岩崎家が代々どんな商売をしていたのか
16:10その記録が見つかりました
16:12当時の町役人が記録した
16:17佐渡国略記という歴史書です
16:21こちらに4丁目神座門という名前が記載されています
16:28ニューリアとあります
16:31焼き魚などを提供して
16:35秋なってたというような記載がされています
16:38しかし江戸時代が後半に差し掛かると
16:46金山は衰退
16:47前世紀の姿は見る影もないほどに
16:51人が減っていきます
16:52江戸末期の記録を見ると商売が立ち行かなくなった岩崎家は
17:03店を売却していたことが分かりました
17:06衰退の一途をたどる町で明治35年岩崎家に男の子が生まれます
17:18安久 後の広見の祖父です
17:22安久は寺から借りたい家で暮らしていたといいます
17:30ここのですね
17:35あちらのお宅が
17:37広見さんのおじいさんが住んでいたというふうに聞いてはいます
17:43たまたまその岩崎家とは江戸の初めの頃からの
17:48そういう段下関係というふうなことがあって
17:51そういうふうな縁があって
17:52じゃあこちらっていうようなことになったのかもしれませんね
17:56安久の両親は未婚だったため
18:01父方の祖母に引き取られ暮らしたといいます
18:05そして学校を卒業した安久は立身出世を願い
18:13茶道を出る決意をします
18:2018歳で東京に行き働き始めます
18:24これは安久が働いた会社の記録です
18:32名前は柴浦製材所
18:35帯の子や丸の子といった木材を加工する機械を所有しています
18:41製材技術の歴史に詳しい長岡造形大学の平山育夫さんに
18:51資料から分かることを読み解いてもらいました
18:54帯の子1台あって
18:59丸の子4台
19:01縦の子切りってこうやってどうやり着るらしいんですけれども
19:06これだけあるっていうことは非常に大きいと思います
19:10でも帯の子もその時代では東京都内では
19:13十数台しかない
19:15帯状になっているので割れてしまったり切れてしまったりすることがありますので
19:21それの管理ですよね
19:23それを制御できるっていうことも
19:26技術的には高いものであった
19:29安久は当時最先端の機械を使って
19:35木材加工の仕事をしていたのです
19:38そして5年後
19:43安久は津田と結婚
19:45孔子ともに充実した日々を送ります
19:49ところが
19:52太平洋戦争が勃発
19:56東京大空襲で家と勤めていた会社が焼かれました
20:02しかし安久は立ち上がります
20:12昭和20年
20:15自ら製材加工機の販売会社を設立し
20:19東京復興に力を注ぎます
20:22この時の様子を伝え聞いていた
20:30製材組合の阿弥中雅さんです
20:34皆さんがいろんな工夫をされて
20:38日本各地から材木を集めて
20:41それを製材をして
20:42建築現場にお届けするということについては
20:46大変な努力をされておったと思いますので
20:49やはり携わる者として
20:51いいものを安く早く届けたいという気持ちは
20:55男気としてですね
20:57やっぱりあったんだろうなと
20:58その後会社はどんどん大きくなり
21:04安久は立心出世を果たしたのです
21:07戦後安久が熱心に取り組んだことがあります
21:16剣道です
21:21剣道はGHQによって戦闘訓練とみなされ
21:30禁止されていました
21:32しかし安久は地元の剣士を集め
21:38剣道ができるよう活動していました
21:41当時のことを伝え聞いている
21:49江東区剣道連盟の内田達夫さんです
21:53連合国軍に負けた日本が
21:59しょぼんとしている状況の中に
22:03当然その元気づけというのが必要であり
22:07またそのためにも剣道を復活させるということで
22:13尽力をなさったというようにお伺いしております
22:17そんな安久の長男として生まれたのが
22:23剣道
22:23後の広見の父です
22:26初めて見た
22:27やっぱり初めて見た
22:28剣道は動物が大好きな心優しい少年でした
22:33特に好きだったのが鳩です
22:41電子鳩の飼育に夢中になっていました
22:44剣道の当時の様子を聞いていた
22:54広見の姉、初見さんが手紙で取材に答えてくれました
22:59父は子供の頃から動物が好きで
23:07飼っていた鳩と一緒に寝たいと言って
23:10祖母は鳩の寝袋を作ったと言っていました
23:14優しい、ツタさん
23:16また私たちが子供の頃には
23:21シェパード、猫、文鳥、キジ、チャボ、鯉などがいました
23:27好きだな
23:29建造には心に決めた夢がありました
23:35高校を出ると
23:43獣医の資格を取るために学び始めます
23:47しかし
23:48父安久が激しく言い放ちます
23:54商人の子が獣医とは何だ?
23:57今すぐやめろ
24:01かわいそう
24:02安久は自分が築き上げた会社を息子に継がせると決めていたのです
24:11建造は従うほかありませんでした
24:16深く絶望した建造は行き場のない思いを抱え毎日を過ごします
24:25そんな時、ふと立ち寄った一軒の料理屋で一人の女性と出会います
24:36それは父を亡くし上京したばかりの末でした
24:44互いにつらい境遇を経てきた2人はひかれ合い結婚します
24:53肩に手を置いてる信じられないそして4年後長女に続きヒロミが誕生したのです
25:04すごいもうすごい見たことないですか若い時の父と母が寄り添ってるとこ見たことないんですよえあんまり仲良くなかったしあんな肩に手乗せてるないやいや仲良いからですよそうですよねねえありえないどこにあんな写真あったんだいやほんとどこから見つけてきたんだろういやびっくりやっぱ真面目な方でしたかお父さんはえっと頑固でしたあやっぱ頑固ないやでもやっぱりその人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人の人を
25:3410位になりたいってねちっちゃいだから動物が好きで大好きでしたねお前は俺のここを告げっていういや私にとって祖父はすごく優しい印象しかないんですよでも自分の息子にはそんなに厳しかったんだと思っていやあただやっぱり苦労して大きくした会社をそうですよね継がせたかったんですねでもそのお父さんの夢諦めるっていうようなねもう鳩と寝るぐらいに
26:04かわいそうにやらせてあげればいいのにねいやほんとにねその葛藤みたいなのはどうされたその辺の話は吉崎さん聞いたことないですないですかはい今きっとでもパパとかおじいちゃんも今これ見ながらへえっと思い出してるんじゃないですかそんなこともあったなぁみたいな
26:343つ見つかった岩崎家の家族写真です唯一ないんだもんにこやかに笑う両親と博美たち3人の娘
27:04はうちのリビングで撮った1枚とかそういうのしかない父はすごく厳しかったしほとんどうちにいなかったので私たち3人姉妹はいつも眠るときに母にねパパにお休みって言っといてっていつも3人で寝ていたんですよ
27:24子供の頃のことを思い出すとあんまり笑ってる顔って思い浮かばないんですよね
27:30子供たちに笑顔を見せず家を留守にして建造が取り組んでいたものそれは剣道でした獣医になる夢を絶たれた後建造の思いの行き場は剣道になっていました
27:51広見が3歳になった年建造は剣道の後段位6段を取得しています
28:03当時の稽古の様子を本人が書き残していました
28:10朝稽古が終わりその足で福島県郡山の道場へ行き夕刻に稽古を終わり
28:24一路東京に向かい午後7時半には江東区の稽古場での稽古を行い一日を終了する
28:34建造は何かに取り憑かれたように市内を振り続けていました
28:43もう先生の剣道の熱心さは全然私らとレベルが違います
28:53全てが剣道で回っているというふうに私たちのものには感じられます
29:02父がいない中広見のそばにいてくれたのは母末でした
29:10休日には広見たちを連れて遠出することもあったといいます
29:19広見と一緒に遊びに連れて行ってもらったという
29:26いとこの田中陽子さんです
29:29夏休みっていうと泊まりに行くときに
29:38広見ちゃんのおばちゃんが車に乗せて
29:42私たちを乗せて横浜まで行くんですけど
29:46その間ずっと車の中で歌を歌ってました
29:49コマーシャルとか流れますね
29:52その時に広見ちゃんがもうパッと一回聴いた
29:56コマーシャルのそのリズムが耳から聴いたら
29:59すぐパーッとはまれる音程がすごいなと思った
30:04歌の才能を見せ始めた広見
30:10末はあるところへ見学に連れて行きます
30:14それは合唱クラブでした
30:19広見の歌を聴いて先生は驚きます
30:25お母さんこの子は普通の子とは違います
30:31ぜひ歌を習わせてください
30:34これは広見が7歳の時の歌声です
30:42すごい
30:43心より2人のメロディー
30:54歌は花及び空を渡る
31:02広見はいつしか芸能の道を夢見るようになります
31:08一方この頃建造はますます家庭を顧みず
31:18剣道に没頭していきます
31:20そしてとうとう剣道八段を目指すようになります
31:28それは合格率が1%を切る
31:32日本最難関の試験といわれる狭き門でした
31:36己を鍛える厳しさは日常生活にも及びました
31:45建造先生から預かった大きいお札を崩して戻す際に
31:56若干折れ曲がっていったら回った
31:58で構わず私先生にお渡したら
32:02先生がちゃんと折れ曲がったやつを直して
32:05向きも直してお家だ
32:07こういう風にして人に渡す時はこういう風にするんだぞ
32:12そんな厳しい父の下
32:17ヒロミはどんな少女に成長していったのか
32:21中学校の同級生は
32:27ある朝の出来事を鮮明に覚えています
32:30同級生
32:32小田急線の中かな
32:35中の女性が痴漢にあって
32:38すごく迷惑そうにしていて
32:41それにヒロミは気がついて
32:44近づいてすごい勢い大きな声で
32:47私のお姉さんに何するのって電車の中に聞こえる
32:51すごい大きな声で
32:53一斉にその男性みんなが注目して
32:57もう次の駅ですごすごと降りていったっていう
33:00そして中学2年生の時
33:05天気が訪れます
33:06太陽の明るさを持った
33:11オーディション番組
33:12スター誕生への出場です
33:14もしも私が家を建てたなら
33:28小さな家を建てたでしょう
33:37ヒロミの歌は芸能事務所に認められ芸能界への道が開けたのです
33:55よかったね
33:57はいおめでとう
33:58喜ぶヒロミ
34:01しかし
34:04父と家で多分会った時に
34:08あっパパ
34:09あのなんか私来年
34:11デビューできるらしいのよねって
34:13言ったんですよ
34:14そしたら
34:15お前いくつだって言われて
34:16え?
34:18来年はいくつなんだって言うから
34:1916ですって言ったら
34:2116で芸能界だのが
34:22ダメだって言われて
34:24自分の夢をここで壊されるわけにはいかない
34:29ヒロミは食い下がります
34:33そうかその時15で受かったんですね
34:36そうね
34:36怖かったんですけれども
34:38じゃあ二十歳までっていう約束でやらせてくださいって言って
34:41そこまで言って
34:42歌手活動は二十歳まで
34:47そう約束を取り付け
34:49歌手になる夢をかないます
34:52昭和50年
34:5816歳でデビューすると
35:00すぐに90万枚を売る大ヒット
35:03その年の新人賞を総なめにします
35:07テレビやイベントの出演依頼が殺到し
35:16家に帰るのは連日深夜になるほどでした
35:20それでも建造は変わりません
35:24あの当時
35:28編み上げのブーツが流行っていて
35:30こうやって編み上げのブーツを
35:33紐解いてる途中で寝ちゃったんですよ
35:36そしたら夜中に父がお手洗いに行く時に
35:40玄関で横になってる私を見て
35:43もう蹴飛ばされて
35:45そんなだらしのない生活んだろうな
35:49すぐしてやめろって言われて
35:50もう飛び起きてね
35:52その後もヒロミの活躍は止まりません
35:59次々とヒット曲を飛ばし売り上げチャートの上位には常にヒロミの名前がありました
36:0717歳
36:09しかし20歳という約束の時は近づいていました
36:16そして間もなく19歳になるという時
36:24ある曲がヒロミに舞い込んできます
36:27その曲の名は刺繍期
36:3318歳から19歳になる女性の揺れる心を歌った歌でした
36:44この曲のレコーディング中
36:49ヒロミは歌がある部分に差し掛かると
36:52何度も泣き出してしまいます
36:54歌詞にある卒業式という言葉に
37:05もうすぐ歌手をやめなくてはいけない
37:08自分の境遇を重ねずにはいられませんでした
37:11涙を乗り越えヒロミは歌います
37:24そしてあふれる思いを歌に乗せます
37:54涙もろい私
37:58青春は壊れ者
38:04愛しても傷つき
38:08青春は忘れ者
38:14過ぎてから気がつく
38:19歯周期を発表して以降
38:33健三が広見にやめろということはありませんでした
38:38編曲をした萩田光雄さんはこの曲には特別な力があったと振り返ります
38:50確かにもう本当に今思い出してもなんかうるうるするぐらい
38:57なんか本当になんだろうね
39:00あの感じは本当にあんまりなかったですね
39:02あの作品聞いて
39:04うん
39:06うんって感じ
39:08多分
39:09うんって思ったんだろうな
39:11親父さんはなきと
39:12うん
39:13さあいかがですか
39:16いや
39:17いや
39:18どういう
39:19うん
39:20あの
39:21ほんとちょっとでもうちでだらしない生活態度を取ってると
39:26すぐやめろっていう人だったので
39:28ただこの四周期歌い始めてからは言わなくなったんですよ
39:33何でなんですかね
39:34多分この歌が
39:37まあこいつは言ってもやめないだろうと
39:40このままやっていくんだろうっていう
39:42父の気持ちを説得してくれたんだと思っています
39:45なるほどね
39:47でもこれお父さんも絶対テレビ見てて
39:49やっぱ歌詞が伝わって
39:52お父さんに重なるものっていうのが
39:54もしかしたらすごくあったのかなっていう
39:58そうですね
39:58お父さんがこんなこと思ってたんだなっていうような
40:02会話っていうのは今まであったんですか
40:05全然なかった
40:07なかったんすか
40:08さあ眠りなさい疲れきった
40:16体を
40:17二十歳を超えても歌手を続けたひろみさんは
40:2123歳の時にマドンナたちのララバイを発表
40:26この年の日本歌謡大賞を受賞しました
40:32ひろみさんに歌手になるきっかけを与えた母の末さん
40:42晩年はふるさとの天海を思い
40:48同居者の集いに参加していました
40:50ああ本当だ
40:52同じ会に参加していた山下陽子さんは
40:58末さんの忘れられない姿があるといいます
41:01会の中で余興でカラオケですね
41:05ひろみさんの歌を歌った方がいらして
41:08それを聴いて末さんが喜んで
41:11その方にお祝儀っていうかお花をあげたっていうのは
41:16聞きましたけど
41:18やっぱり嬉しかったんじゃないですか
41:20一方父健三さんは長年の修行の末
41:2957歳で剣道の現在の最高段位8段を取得しました
41:36その後は地域の子供たちの指導に熱心だったといいます
41:44そんな健三さんが今に残したものがあります
41:52岩崎木です
41:57この旗を作り
41:59子供たちが目標とする大会を作ったのです
42:03晩年健三さんは
42:10ひろみさんにあるお願い事をしました
42:12それは自分が理事を務める団体の会合で
42:20歌を披露してほしいというものでした
42:23その団体は趣味で続けていた電車場との愛好家たちの集まりでした
42:34鳩仲間だったという藤井和一さんは
42:42この時見せた健三さんの表情が忘れられないといいます
42:47そりゃ喜んで笑顔ですよ
42:51それは普通の顔と違いません
42:55もう娘が歌って皆さんに聴いてもらって拍手してもらって満足ですよ
43:01その遺願は今でも私は忘れませんよ
43:07歌手に反対していた健三さんを変えたあの曲
43:14健三さんは刺繍機を聴いて一体何を思ったのか
43:21今回の取材でその胸の内を本人から直接聞いたという人がいました
43:32共に剣道の修行に励んだ内田達夫さんです
43:40広瀬さんは刺繍機を歌った時点において
43:46岩崎健三先生がこういう歌を歌えるようになったんだなと
43:52一川も二川も向けた歌手になったんだなという
43:57お言葉をしたということは聞いております
44:02岩崎博美さんのファミリーヒストリー
44:07歌に導かれ時に不器用にぶつかり合いながらも懸命に生きる家族の姿がありました
44:18いかがですか
44:28いやーびっくりしてちょっと言葉にならないですね
44:34いやー
44:38お父さんそんなことをおっしゃってたんですね
44:40ねえ私にはいませんけどね
44:43うん
44:44ファミリーヒストリー清水美智子さん
44:51初めて目にする祖父の顔
44:53嘘つけ英座と呼ばれた先祖
44:56そして母の愛を教えてくれた人
44:5916日火曜夜10時
45:01ねえ
45:06ずっと
45:12気づきて
45:14もう一文も
45:173
45:18でも
45:18和
45:21感じ
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