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00:00大阪の地下に眠る謎のトンネル大阪の江坂駅から美濃茅野駅を結ぶ北大阪急行電鉄その敷地内に謎のトンネルがあるというちょっとですね私鉄道好きなんですけれども北大阪急行電車
00:29美濃茅野まで延伸してますし今ね勢いのある鉄道会社なんですよ営業路線なんで全てのトンネル使ってると思うんです謎のトンネルもあるいや分からないそれは千里中央駅と桃山台駅の間に存在するとのことで電車に乗って探してみることに電車から見える
00:55えー ここ営業線ですよね普通ですよ
01:02えどこだすると
01:06お前
01:09トンネルがあった
01:11うそでしょう 初めてみた
01:16車内からでは実態がよく分からないので車内から不思議なトンネルが見えたんですけども近くで見させてもらうことっていうのはこれ可能でしょうか?
01:43普段はちょっと絶対にお入りいただくことはできないんですけども本日各所と調整いたしまして終電後でしたらお入りいただけますということで深夜1時安全対策を行った上で線路内に限らせていただけることにこうやって地下鉄の線路の上を歩くっていうのは
02:13初めての経験ですねなかなかできない体験ですよこの広いねそして千里中央駅から歩くこと500メートルこれだ車内から見えたあの謎の不思議なトンネル見てすごい近くで見ると大きく感じますね奥真っ暗でやっぱり線をはね
02:41ないんですよここ
02:45奥真っ暗めちゃくちゃ怖い
02:49とここで
02:51とここで
02:53これって線路の脇に置いてる極線表だということは分かったここにやっぱり線路が敷かれてたってことなんだわ現在この先はコンクリートで塞がれているそうなのですが
03:23ここで問題千里中央桃山大間の線路から脇にそれる形で存在するこの謎のトンネルかつては線路があったのですが一体何のために使われたものでしょう?
03:52今日の本若テレビは特別編さあ恒例となりました今回も3チームに分かれましてねクイズに答えていただきます正解数の一番多いチームが優勝となりますそして優勝したチームにはこちらでございますオープン!
04:20覚えてますこれ実はこれね新潟県村上市の名産品これ塩挽き鮭なんですけども今年8月に本若テレビで放送してるんですよこの塩挽き鮭というのは新潟県村上市の三表川でとれた鮭に
04:50汎用週間ほどじっくり干した酒なんですそうすることで鮭が熟成してアミノ酸が生まれ他の酒では味わえない独特の旨味がたまらないとのこと
05:02さあそれではあの謎のトンネルは一体何に使われていたのか
05:10分かった!やっば!
05:14お前任せていいの?いやこれは任しておいてください僕住んでたんです
05:19さあそれでは解答どうぞ
05:22はい1個前の大阪万博1970年の大阪万博そこへ向かっていってたなかなか鋭いですね我々もそうですね前回の大阪万博会場へのアクセスはいもう方角が完全にそうなんですね僕住んでたから千里方向にはいはいはいはい皆さん同じ答えになりましたか正解をいってみましょうどうぞそれでは正解どれぐらいの?
05:241個前の大阪万博大阪万博1970年の大阪万博そこへ向かっていってたなかなか鋭いですね私たちが小屋さんの大阪万博会場へのアクセスはいもう方角が完全にそうなんです僕住んでたから千里方向にはいはいはいはい皆さん同じ答えになりましたか正解をいってみましょうどうぞ
05:48〈それでは正解〉
06:18地上に繋がっていた場所に行ってみると
06:23かつて線路があった場所は現在中国自動車道に
06:29果たして線路が続いていた先にあるものとは
06:35もうねこの辺りがトンネルから4キロの地点です
06:40何がある?
06:44あー! あれかな? 太陽の塔だ!
06:48ほら! 太陽の塔見つけた!
06:51すごいいいよね
06:53たどり着いたのは千里の万博記念公園
06:58一体どういうことなのか?
07:02北大阪急行電鉄設立時から車掌を務めていた
07:06久保田さんに伺うと
07:09あのトンネルからのこの路線あれは何なんですか?
07:1555年前にさかのぼるとその答えがわかると思うんですけど
07:2255年前ですか?
07:24はい
07:33これが55年前の写真なんです
07:37えー! この太陽の塔の前に駅があるよ! これ駅だ!
07:43ホームにずらーっとたくさんの人がいますよね
07:48これ
07:49実は当時万博輸送のため期間限定の路線があったんですけど
07:56えっ万博に人を運ぶためってこと?
07:59そうです万博輸送ですね
08:01そうあの謎のトンネルの正体は
08:071970年大阪万博への大規模な来場者輸送のためだけに作られた路線
08:14その名も海上線
08:18大阪万博といえば183日間にわたり
08:23人類の進歩と調和をテーマに開催された
08:26アジア初の国際博覧会
08:30史上最大のお祭りと称され
08:33世界77カ国が参加のもと
08:36入場者数は6421万人を記録した国家的イベント
08:42海上線はその万博への大動脈として大阪万博を精巧に導いた伝説の路線なんです
08:53これが当時のダイヤなんですね一番遠いソウルへの多い2分半間隔で運行してる時間帯なんですね当時のこの鉄道技術ってこんな感覚出してたんですかそうです
09:10期間中に運んだ人数はなんと4000万人以上これは当時の日本の人口のおよそ4割にわたり史上伝説未来規模の観客輸送だったそうですごいわそれまずクーラーがないでしょそっかー汗かいたお客さんあの化粧のマイルズムが落ちてきてちょっと化粧が崩れ始めるというか汗で汗で
09:39扉閉める時なんかほんまにお客さんを挟まないように扉1枚に1人の案内につけてましたからそんな大規模な万博輸送において今も語り継がれる伝説の一日があったそうで1970年の9月5日万博市場で最も混雑した日だといわれてる日なんですけどね
10:09この日は快晴に恵まれた閉幕全周の土曜日ということもあり大勢の観客が殺到会場内は人で埋め尽くされその数なんと83万人これは当時の世界記録で連日大混雑が報道された今年の万博の記録がおよそ22マッシなので
10:39災害級のかみつさ
10:41庭園後の駅にも大量のお客さんが押しかけたそうなのですが
10:47結局お客さんというのはちゃんとみんな運べたんですかいや万博会場に相当残ってたということを聞いてます
10:55終電が発車した時点でプラットフォームや駅周辺に積み残された人が10万人
11:05更に会場にも5万人が立ち往生結局4200人もの人が駅や会場で野宿することに帰ることを諦めた人たちで平越しにラーメンの出前が繁盛しもはや吹っ切れてお酒を飲み始め宴会を楽しむ人たちも
11:35結果として北大阪急行は一件の事故を出すこともなく万博輸送を完遂海上線は日本の鉄道の進化と威力を世界に示したのです
11:52しかし万博が閉幕したその夜から海上線の駅や線路の撤去を開始わずか3か月後には中国自動車道に作り変えられてしまいましたそして現在万博の跡地に整備された万博記念公園につながる鉄道は1990年に開通したモノレールだけとなったのです
12:20そんな僅か7か月で刹那的に姿を消した幻の路線しかし今回の調査で海上線の重要な遺産を発見すごい山奥まで来ましたよ
12:39訪れたのは千里から遠く離れた兵庫県丹波笹山市そう55年前海上線で使われた車両が現在も残っていたのです。
13:09きれいに残ってるね中に入るとすごい歴史感じるすごいですね当時のままだこれ床なんですけども木使用してるんですよ木材を使用してるんですよそれから久保田さん話してましたよね当時エアコンがなくてあの送風機があっただけだっていうふうに話してましたけどそれもちゃんと残ってますね歴史を感じますね。
13:37実はこの場所はリサイクル事業を行う会社の保養施設鉄道の廃車処理も担う会社だそうですが。
13:49もともとは北大阪急行様の車庫に保管されていたんですけど未納延伸事業の影響でその保管場所がなくなりましてでなくなく廃車を予定していたんですけどまああのなくさないでほしいという声が非常に多く集まりましてそれで弊社の方にお声かけいただいてこちらの土地で保存しているという状況です。
14:16この電車を愛する人たちの声により重要な遺産としてこの場所に保存されることになったのです。
16:28わずか30メートルほどの区間に錆びた鉄の梯子が3つもあるのですがどれも今でも使えるほどの頑丈な作り。
16:40かと思った。入ります!
16:42わあ〜!
16:44あすごい。めっちゃ流れ強いですよ。
16:46あ、あしたいね。
16:47でもそんなに深くないですね。
16:49この川底がコンクリートなんかな。
16:52すごい平らで、ちょっと平面になっているからすごい歩きやすいです。
17:00What is this?
17:02This is a paper, and it's got a piece of paper.
17:06There are three pieces of rock.
17:09There is a piece of rock.
17:11You can see it in the middle of the rock.
17:13It's about three pieces of rock.
17:18It's about the rock.
17:21It's about the rock.
17:24This is about the rock.
17:27聞いてみると更に、手がかりがないか川沿いを調査しているとでは、ここで問題です。
17:57謎のはしごや石のある白川、ここにはいったい何があったのでしょうか?
18:27洗濯!
18:29おばあさん!
18:31川沿いは川に入って洗濯していた!
18:37染め物工場があったので、そこの下に下りれて、平面やからそこで作業ができる。
18:49綺麗な水が流れているから、そこでこの染料を流したりとか、水止めたりとか。
18:55さあ、何を言ってください。
18:58これがこれにしたい。
19:31旧竹中製漠所に聞いてみると。
19:35そのね、大きい石が川の中にドーンってあったりとか。
19:39はしご、なんか小さいの3つかかってるんですよ。
19:42これ水車と何か関係あるんですか?
19:45あの、関係はないですけども。
19:47あ、ないんですか?
19:49水車とは関係ない?
19:51では、はしごや大きな石は何なのか。
19:55あの、疎水アカデミアの小森さんが歴史をご存知です。
20:00あ、疎水アカデミアっていうのがあるんですね。
20:03はいはい。
20:04こんにちは。
20:06その、小森さんに来ていただいたのですが。
20:10小森さんは、琵琶湖から京都へ水を引くために人工的に作った運河、琵琶湖疎水を長年研究しているというのです。
20:20ここって何かあったんですか?
20:22はい。
20:23実は、61年前にさかのぼるとその答えが分かるんです。
20:2861年前?
20:29あの、食べ物も戦後直後やろ。
20:31あの、何なの?
20:33ワンチャンあるんだね。
20:39この写真を見ていただくとその答えが分かるんです。
20:43えっ、なんかめっちゃ泳いでません?
20:46そうですね。
20:47浮き場とか持ってる子いますよね。
20:49そうですね。
20:50あっ、橋が。
20:51はい。
20:52これを使って、この川に入ってたんですか?
20:54そうですね。
20:55ここは白川自動プールと言いまして、地域の方々が子供たちが安全に泳げるようにということで、水泳場として使えるようにした。
21:06えっ、ここプールにしてたんですか?
21:09そうです。
21:10なんと、この白川はかつてプールとして活用していたというのです。
21:18そこに石が見えますよね。
21:20あの石のところに石板っていうのを挟みまして、で、お水を止めて水泳場として使えるようにした。
21:28そして、はしごや手すりは安全に川、いやプールに入るために設置されたものだったのです。
21:36なんで、わざわざ川の流れをせき止めてまでここでプールしようってなったんですか?
21:43あの、京都には例えば鴨川っていう有名な川があったりするんですけれども、鴨川ではちょっと浅いところとかがあったりとかで、水泳場として使うにはちょっと不向きなんですよね。
21:56泳げるところっていうのが本当に近くにはない。なのでこの白川、白川は疎水から水が流れてきているんですけれども、ここをうまく利用することで、天然のプールができるっていうところですね。
22:11大正から昭和にかけて琵琶湖疎水を使った水泳場は京都市内各所に。
22:18ここは1919年、熊野若王寺神社の近くを流れる疎水に作られた若王寺水泳場。
22:26子どもから大人まで多くの人でにぎわっていました。
22:32そして、毛上げインクライン近くの疎水には何センチプールが作られ、
22:40少なくとも京都市内の9カ所に疎水プールがあったと言われています。
22:46ここはね、ちょっと下がれば魚も捕れたし、エビもおったんですよ。
22:51手ぬぐいをあっちとこっちでもって、さーっとすくうだけでメダカみたいな魚がいっぱい捕れました。
22:58この辺りは夏休みになるとここへみんな来ると。
23:02もう本当にいいものをこう洗うというのか、そんな感じでしたね。
23:06まっすぐに泳げない。
23:09その頃なんか、もうみんな泳がないとダメみたいな感じがありましたからね。
23:14そんな疎水を利用したプールの原点となる場所があるというので案内してもらうと。
24:26その後大日本武徳会遊泳部は京都陶水会という京都最古のスイミングスクールになり現在もこの地で教室が開かれているのです。
24:42ええ。
24:48そのころっていうのは今まあ世間の人たちは古式英宝って言っておられますけれども立ち泳ぎをしながら水晶板という板があるんですけれどもそこにまあ和紙を張って毛筆で地を描く。
25:04甲冑を着たまま泳ぐとかひなはじを押すとか沈まないだけの泳ぎ方やっぱり自分たちが今ここで水泳ができてるっていうのは親子疎水に対して常に感謝してます。
25:18しかし、徐々に学校プールが整備されていったのに加えて高度経済成長期に入ると疎水の水質が悪化し1970年、疎水での遊泳が禁止に琵琶湖疎水の船だまりから始まった京都の水泳文化。
25:41京都冬水会は今年130周年を迎え日本英宝を礎に競泳、水球、アーティスティックスイミングなどこれまで多くのオリンピック選手を輩出してきました。
26:00白川に残っている鉄のはしごにはそんな歴史が刻まれていたのです。
26:06全チーム正解!
26:11絶対当たった思ったやろ。
26:13いや、こいつ言ってたんですよ。
26:14一番最初はプールって言ったんですよ。
26:16そう、井上プールって言ってたんですけど、これとこれがめちゃくちゃイマイチなリアクション。
26:21関西の謎風景。
26:24一体、これは何だ?
26:27さあ、皆さん、関西各地の謎風景を見てもらいます。
27:09池はなぜ飛行機の形をしているのでしょうか皆さんも一緒にお考えください大阪府三崎町の生き生きパーク三崎にある飛行機の形をした池一体なぜこんな形をしているのか?
27:31どうぞどうぞ。井上君。
27:32えっと、関空への通り道を示している。
27:36ではないんですね。
27:37はい。
27:38はい。
27:39はい。
27:40何位どうぞ。
27:41飛行機でパイロットの人が上から飛んでいるときにちょうどあそこにハマったら気持ちいい。
27:46はい、石田君、飛行機がぴったり洗える。
28:06この池をさらに上空から見ると飛行機の向くはるか先に実はイキイキパークは関西空港の第二滑走路を作るとき大量の土砂を採取した場所なんです。
28:28へぇー。
28:29そのため関西空港ゆかりの地として飛行機の形の池が作られたとのことでした。
28:36ということで正解は関西空港を作るための土砂を採った跡地だからでした。
28:43という意味ではこちら。
28:45こちらは滋賀県高島市大見今津駅近くの交差点なんですが、なんとそこに真っ白な怪獣の像が立っているんです。
28:56高さは3メートルほどあるのですが、実はこの怪獣、琵琶湖に非常にゆかりのあるものなんです。
29:05さあ、この怪獣の正体は一体なに?
29:09はい、なにどうぞ。
29:11鳥人間コンテストの守り神。
29:15琵琶湖でやってるのかな。
29:17それじゃないんですよ。
29:19琵琶湖に取りつかれた怪獣ちゃいますか?
29:28琵琶湖へ行こう!のキャラクター。
29:37この怪獣反対側から見るとビ・ワ・コ・タ・ワ・アとうっすら書かれています。
29:56実はこの怪獣、1965年から2001年まで営業していた遊園地、琵琶湖タワーにあったものなんです。
30:07怪獣が置かれている美容院の方に聞くと当時店主の方が琵琶湖タワーでアルバイトをしていて2001年に閉園した際跡地でほったらかしにされていたのを見て引き取ることを決めたんだそうです。
30:24ここまで知ってて、なんで出てこなかったんですか?
30:36ここに謎の巨大物体があるということで向かってみると。
31:06地面に描かれていたのは緑色で奇妙な形のイラスト。
31:13さらに隣には人のような形の絵も。
31:18これが人の大きさならこの物体相当な大きさになるはずですが、一体なんなのでしょうか。
31:27絵の先には怪しげな山道がそこを10分ほど上るとなんと巨大な岩がその高さは5m!
31:44横幅は11m岩肌には何やら削られたような跡もそして立て看板には岩船という文字がそれではここで問題7世紀にはあったという岩船と呼ばれる巨石その正体は一体何なのでしょうか?
32:09あれを触って赤ちゃんが。
32:18赤ちゃんが。
32:19はい。
32:20っていう岩。
32:22安山岩。
32:23安山岩ではありません。
32:25あの岩は岩船って言われてるの。
32:27はい。
32:28安山岩。
32:29安山岩。
32:30いやいやいやいや。
32:31確かに。
32:32止めた。
32:33止めた。
32:34止めた。
32:35止めた。
32:36止めた。
32:37止めた。
32:38止めた。
32:39はい。
32:40岩船さん。
32:41えっと船の停留所。
32:43は?
32:44停留所。
32:46奈良。
32:47奈良。
32:48奈良。
32:49奈良。
32:50前から7世紀は海になってたっていうか。
32:53水が。
32:54止めた。
32:55済めよう。
32:56済めた。
32:57済める。
32:58済める。
32:59済め、止めて。
33:00済める。
33:01済める。
33:02昔の偉い人のお墓。
33:05はい。
33:06偉い人のお墓は何て言うんですか?
33:08古墳。
33:09遺跡。
33:12ええ、めんちゃん。
33:14古墳の。
33:16はい。
33:17爪痕。
33:18岩船の意味を調べてみると神が乗って天空を駆け巡る船とも記載されています。
33:48そして上から見てみると意図的に掘られたような穴が2つ岩の周辺を調べるとケンゴシズカ古墳という案内札が矢印が示す方向へ山道を進むこと10分そこにあったのは7世紀のものを復元した!
34:18ケンゴシズカ古墳。中には当時のものが残っているそうで案内してもらうと。
34:28そこには高さ1メートル幅2メートルほどの空間が。
34:38これはですね石室になります西明天皇と娘の橋人の姫御子を滑走したお墓ではないかと。
34:48この石室と岩船はどういう関係がある?そうですねあのもともと岩船が石室にするために加工されていたものではないかと。
34:58実は先ほどの穴を掘り進め岩全体を横向きに倒して石室にする予定だったらしいのですが作業の途中で岩に亀裂が入っていることが判明し計画を断念別の岩を使い現在の場所に作られたのだそうです。ということで正解は古墳の石室を作るために削られた岩でした。
35:26すごいやんそれでは次が最後の問題となります天王寺のど真ん中にある謎のお屋敷長年の再開発でハルカスやミオなど商業施設が立ち並ぶ大阪第3の都市天王寺何か謎の風景があるって聞いたんですけどここ天王寺の中心なんですけど
35:55あるんかなそんな調査するのは本枠初登場中西ゆうきリポーター jr 天王寺駅の北側谷町筋から1本入った路地の先で見つけたのが
36:09あれあれやめっちゃおっきいうわっお屋敷ですよねしかもなんか後ろにねめっちゃ高層マンションだったのにここだけタイムスリップしたみたいやし
36:24ビルに囲まれポツンとたたずむ巨大なお屋敷周りの塀からしても随分と年季の入った建物ですがこちらが入り口ですねおお玄関もめっちゃ立派ちょっと入るの緊張するんですけど一体誰のお屋敷なのか?
36:49こんにちはすごいすっごくここ立派な建物なんですけどありがとうございます何をされている場所なんですか?
36:58お豆腐ベースにした日本料理の安丸というレストランでございますレストランなんですねずっとこの場所で営業されてるんですか?
37:06こちらがオープンしたのは去年の10月でございます
37:08こちらは屋敷をリノベーションし去年オープンした日本食レストラン重厚感のある入り口ですが中はというと
37:19大広間でございますおーなんて素敵なロケーションありがとうございますこちらの日本庭園を見ていただきながらお食事楽しんでいただくカウンターのお敷をお願いしますめっちゃいいさらにこちらのお庭
37:35京都の平安神宮などを策定していただいた有名な七代目の大和寺平さんという方が作られた結構有所あるお庭らしいですね
37:45そんなもう貴重なお庭なんですね天王寺の路地裏にひっそりと広がる名庭師の庭園カウンター席以外にもすてきな個室のお部屋が全部で10部屋すてきすぎるな面積でいくと300坪ぐらいの敷地内で建てられたのが大正時代地区が121年という形です111年?はい最初は本当にあの人のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭のお庭
38:15住まれるお庭として建てられたようです結構あの有名な方のお庭だったみたいですねはいさらにこちらのお屋敷もとはすき家造りという伝統建築で茶道の和美の精神と美意識を反映した造りになっているんですあそこに茶室も茶室ですかあれ茶室でございますそうなんや
38:45このお屋敷一体どんな人が住んでいたでしょうか?
39:09はい解答をお出しくださいどうぞあの家紋みたいな石に彫られてたマークが住友古くというかのマークだと思ったんで住友さんいやもう分かんなかったとりあえず金持ち書きましたまあいろんな企業をやってたから一歩くらいああいう家紋にぶち当たればええかなと住吉さんはいあのもんは住吉さんのもんだそうですはいはい
39:39それでは正解見たことあります私はいこれよく言われる住友グループさんはあ
40:09そうこの建物実は鉱山経営で財を成した住友財閥が映画を誇っていた頃に建てられたもの住友資料館に確認するとこのお屋敷が住友財閥に関係するのは間違いないとのことでさらにここ天王寺には住友家の本邸があったというのですということであべのはるかすの展望台へ。
40:38地上300メートルの場所から先ほどの邸宅付近を調査していると再び地上に戻りはるかすから見た場所を目指すことに
41:08えっあれそうですよねあの あのあそこあの出っ張ってるところ
41:13あれあれ住友のマークじゃないですか違うそうですよね 美術館の日差しに先ほど見た住友のマークのようなものが
41:24これは偶然かはたまた本邸につながる手がかりなのか 大阪市立美術館の館長に来てもらい深層を直撃
41:35私先ほどあのマークに似てるマークを見つけたんですよ なるほど大阪市立美術館に住友家のマークがあるっていうのは何でなんですか
41:45まずこの場所に関係があるんですこの場所 100年前に遡ってみるとその謎が解けるんです100年前ですか
41:55これは今からほぼ100年前の天王寺の地図なんです ここに天王寺という駅の名前があって
42:11そしてここに新世界がありますね ちょうどそれに挟まれたここに住友邸と
42:18本当だ 書かれてますでしょ 書かれてます
42:22ここがまさに今我々のいる大阪市立美術館の場所なんです
42:28そうおよそ100年前のこの場所に建っていたのが住友財閥の本邸
42:35ここはですね上町第一のちょうど南の端にあたるんです
42:39ちょうど高くそして水はけも良いという住宅地として非常に最適な場所なんですね
42:44だから住友邸がここにあったんですね そうなんです
42:46実はこの大阪市立美術館が建てられたのも住友さんのおかげなんです
42:531936年に開館し今年90周年を迎えた大阪市立美術館ですが
43:01もともとこの大阪にはですね 美術館や博物館がなかったんですね
43:06明治時代に国立博物館が東京京都奈良というふうにできてそして今度は公立美術館が東京京都というふうにできて今度は大阪が作らないといけないだろうということで大正9年に作ることを決めたんです
43:23しかしそこで直面したのが美術館の建設地がないということ一時は湿度が低く高台にある大阪城を押す声もあったそうですがうまくいかず
43:53養子として住友家に入り住友銀行の創設など財閥の発展に貢献したとっても高貴なお方そもそも住友家のルーツは江戸時代世界で最も古い歴史がある財閥といわれ現在も大阪淀谷橋一帯に住友村と呼ばれる住友グループの本社が立ち並んでいるその元になった一族
44:20恐らく今我々が知っている金持ちとはちょっと桁が違うぐらい中野島図書館それは建物を作って建物ごと寄付するという
44:33自身も美術品収集が好きだった友井戸さんお金はみんなのために使わなくてはいけないという思いから甲子園球場2個分ほどの土地を美術館にするという条件で大阪市に寄付したんです
44:50さらにその土地は建物だけでなく
44:54上から見てたんですよですっごい広くてここですねここは住友家の庭園だった
45:07ちなみにこちらのお庭を手がけたのも名庭師の七代目小川寺平さん
45:16さらに多くの展示品も寄贈していて美術館も画家も苦しかった戦時下に展覧会を開催
45:24そこで展示された作品は住友コレクションと呼ばれているんです
45:29建物も敷地もコレクション
45:33全部お世話になっているそういう方なんですね
45:37と歴史を学んだところで
45:41お待たせいたしました
45:43お待たせいたしました
45:44ありがとうございます
45:45こちらが当店で一番人気のランチ箱庭全ランチでございます
45:50めちゃくちゃ彩りが豊かですね
45:53ありがとうございます
45:54背景を全部知った上でここに戻ってこさせてもらうと
45:58なんか背筋が伸びている
46:00天王寺でこういうところが少ない
46:04そうですねこの都会の中に
46:07今はちょうど長い歴史の中でたまたま我々がやらせていただいているので受け継いだバードを大切にしてこれからも長いこと営業できたらなと思っております。
46:20クレーンカメラにいじられてる!というわけでですね土屋さんとね天才ピアニストのチーフが優勝です!
46:33今日の放送をもう一度見たい方はTVerで次回のほんまかテレビは祝コーナー放送100回ノンスタイルが長崎ハウステンボスの自慢探しへ!
47:01本当に?
47:03みてもいいかも食べてないのにもあります!
47:12今日もこうしたのが Indonesiaです!
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