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  • 2 日前

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教育
トランスクリプション
00:00戦後80年、今ようやく声を上げられるようになった人たちがいます
00:06父親が振るった暴力は戦争の影響だったのではないか
00:16今、元兵士の子供世代が声を上げ始めています
00:25東京、大阪など全国に団体が発足
00:32虐待の証言などが相次いでいるのです
00:36そして、元兵士の親から子、さらに子から孫へと虐待の連鎖が起きていたという声も
00:59火の影の間から殺した中国人が見えると
01:06それにパニックになって殴っていると
01:09現況ってじゃあどれだって
01:12祖父の戦争
01:14あの戦争の影響はどこまで及んでいるのか
01:20今なお続く心の傷について考えます
01:24元兵士による虐待の証言は近年著名人の間でも相次いでいます
01:38オーストリア出身の俳優アーノルド・シュワルツェネッカーさんは
01:43ドイツ兵だった父親が戦争によって心身ともに壊れ
01:47自身や家族に暴力を振るっていたと証言
01:51そして、歌手で俳優の武田哲也さんは
01:55中国戦線から戻った父親が酒を飲んでは
01:58戦場の記憶を口にし、暴力を振るっていたと語っています
02:03長い沈黙の時を経て重い口を開き始めた家族を取材しました。
02:11なんかこんな写真見ても全くその他人としか思えないんですよ。こんな穏やかな顔をしていないし。
02:20藤岡道夫さんです。子供のころ、元兵士の父親から激しい虐待を受けていました。
02:28子供を踏みつけようとするんです。逃げるじゃないですか、転がって。
02:37そうすると、その体をつかみ上げて、もうあの父親の頭の上から床にバーンって投げられる。
02:45いつもだからわけがわからない状態で、突然暴力が降ってくる。
02:51父親の古本石松さん。20歳で海軍に招集され、千島列島の航空基地に配属されていました。
03:06戦後、石松さんが道夫さんに語った戦争体験は、勇ましい話ばかりだったといいます。
03:13トラックに乗ってお父ちゃんは敵の砲弾の中の味方に物資を送ったんやってすごいなんかこう自慢なんでしょうね彼にしたら自慢げにうわって話すんですよ。
03:32一方で石松さんには戦場での過酷な体験を思わせる言動がありました。
03:49台風みたいにすごい雨あるじゃないですかババババババああいう雨の音とかが続くともううわってあの体縮込ませて震えながらあいつが殺しに来るって叫ぶんです。
04:07あとねあの心中ごっこっていうのはもう子供を壁際にこう立たせてきりーっつって言うんですねそしたらみんなで死のうって宣言をしてプロパンガスのところに行って線をひねってシッてガスが出てくるんです分からないんですよもうとにかく心が何かで壊れてしまってる?
04:30戦地から戻ってきた兵士たちの心に何が起きていたのか。
04:41これは戦時中陸軍病院に収容されていた兵士の映像。
04:48戦争神経症と呼ばれた症状で中には戦場での記憶に苛まれる人もいました。
05:01死ね死ねという声が聞こえてきた恐ろしい恐ろしい早く自分を殺してくれ。
05:18ただこうした兵士の存在は伏せられ、その実態は長い間ほとんど知られていませんでした。
05:29現存する記録によれば1942年から45年の間、陸軍で精神病やその他の神経病になった人が66万人以上に上ったとされています。
05:50戦後、心に傷を負った元兵士は、国の支援の対象になります。
05:59無料で入院などができる療養の給付を受けていた人は、最も多い都市でも1100人ほどでした。
06:11この給付を受けるには、都道府県から軍隊での任務との因果関係を認定してもらう必要があります。
06:24しかし、元兵士の症状が公務によるものとみなされないことも少なくなかったとみられます。
06:36過去の戦争の例から申しますと、大多数はやはり先天性のものと思われます。
06:48専門家のご意見を伺いますと、どうも公務と考えられない例が多い。
06:55さらに、精神疾患を抱える人への偏見も重なり、元兵士たちは戦後の社会で孤立を深めていきました。
07:14藤岡道夫さん。父親は戦争神経症だった可能性があると考えていますが国の支援は受けていなかったといいます。そうした中、父親の胸の内がかいま見える出来事がありました。
07:39許してごせえってこう頭をなでるわけですよ。頭をなでて子どもの方をこう慈しむようになんか許してごせえ、許してごせえって言うんですけど、まあ、許してごせえの意味が分からない。何を許してごせえなのか。
07:59それから2か月後、道代さんの父親は自ら命を絶ちました。
08:09元兵士たちによる虐待は子どもたちの心に、大人になっても消えない傷を残すこともありました。
08:25長年、DV被害者などのカウンセリングをしてきた信田紗代子さん。
08:36終戦から数十年が過ぎた頃、父親から受けた虐待の記憶に苦しむ子ども世代からの相談が相次いでいたといいます。
08:49パニック障害の人もいたし父がやっぱり南の島に行ってたとか満州に行ってたとかみんな父親は何らかの形で戦争に関わっていた。
09:0650年にわたって心の傷に苦しむ元兵士の子どもがいます。
09:18新藤智子さん、何日も起き上がれなくなる症状に今も悩まされています。
09:27これは3か月もう寝てる状態ですね。
09:36もう頭が動かなくなってしまうんです。思考が全く。なので起きることができなくなるんですね。そうするとまたその幼いときの恐怖とか父にいつもいつも緊張していた気持ちとか全部よみがえってますます起きれなくなってしまう。
09:58友子さんの父親、松島真一さん。
10:05戦時中は朝鮮半島北部に従軍。その後、1年半にわたるシベリア浴流を経て帰国しました。
10:21新一さんはひとたび酒を飲むと評変し、家族に暴力をふるいます。
10:30そんなとき、身を挺して父親を止めようとする人がいました。
10:37友子さんの2つ年上の姉、三江さん。いつも父親の前に割って入り、代わりに殴られていました。
10:52社会人になってから、三江さんは統合失調症と診断され、入退院を繰り返すようになりました。
11:14そんな姉の姿を目の当たりにし、友子さんも体調の優れない日が増えていきました。
11:24姉を殴っている状態とかもやっぱり浮かんできて、何もできないでいる自分をまたそこで責めたりとかして。
11:35私は姉の力にならずに、ずっとずっとその後も姉を助けることを一度もしなかったんですね。
11:48自分だけが怖くて、いつも逃げていました。大人になっても。
11:52なので、私は自分が本当に情けなくて。姉が壊れてしまったのをやっぱり受け止められなくて。
12:07何かその時から私自身もはっきりと生きることがつらくなってきてしまいまして。
12:56私の父親もそうだったんですけども、非常に大戦末期の過酷な状況の中で十分して、非常に様々なトラウマがある中で。
13:11例えば、仲間がたくさん亡くなっていくところで生き残ってしまうとか。
13:15あるいは、場合によっては、科学的な行動ですね。住民に対しての殺してしまったりとか。
13:22あるいは、自分だけが生き残ってしまったというような追い目ですね。
13:29そういういろんなストレスを抱えて帰国するわけです。
13:34もともとは、平和な幸せな家庭に戻るということは、戦争中は希望したと思うんですね。
13:43望んでたと思うんです。ただ、いざ帰ってみると、そこでうまく適応できないんですね。
13:48家庭に帰っても、頭や心や体は戦争のままという状態が続いて、そのギャップの中でいろいろな感情が爆発したりとかしたときに、
14:00それが子供さんに影響が及んでくるというようなことですね。
14:04その受け取った、暴力を受けた子というのは、どういう心情になるんでしょう。
14:10先ほどビデオでもありましたように、子供からすると父親のストーリーというのはよくわからないんですよね。
14:18往々にして、親は戦争中のこと、つらいことはほとんど語らないのでね。
14:24したがって、なんで自分がこんなことを受けるのか分からない。
14:28私もそうだったんですね。
14:29父親が棒でたたくときというのはよくすることがあったんですけど、なんでたたかるか分からないですね。
14:37そのうちに、なんでなんでと思ううちに、それは自分が悪かったからじゃないかと。
14:42自分が悪い子だからそうされたんじゃないかみたいにして思ってしまって、それはまた子供にとってみたらトラウマになっていくんですね。
14:49そして、そうしたトラウマを今になって声を上げるという動きが広がっているわけですけれども、元兵士の家族会の代表を務める黒井明雄さんは、親が亡くなって、自分との関係性を客観的に見られるようになった。
15:06また、自分も高齢になって人生を振り返るタイミングになったからではないかとおっしゃっていますけれども、前田さんはどういうふうにお考えですか。
15:15黒井さんがおっしゃる通りだと思いますね。
15:17やっぱり親が生きているときというのは、なかなかいろんな複雑な感情があるので、なかなか自分の気持ちを整理できないと思うんですけど、
15:24亡くなった後に、その中でやっと整理するような冷静な時間を持っていたということもあります。
15:31もう一つですね、やはりトラウマという考え方が、戦争であるいは他のいろんなことでね、私たちに起こり得るんだと、非常につらい出来事があると、人間というのは非常に長期にわたる心の傷を負ってしまうんだということがね、専門家だけじゃなくて、一般の方々にも分かってきたということがあると思いますね。
15:55ようやく社会で認知されるようになってきたと。
15:58特に阪神淡路大震災以降ですね。
16:0095年の阪神淡路大震災以降、日本の社会でも認知されるようになってきた。
16:06それ大きいと思います。
16:07こうした心の傷に対してこれまで国はVTRでもお伝えしましたけれども療養の給付という形で多い年で1100人ほどを支援してきましたがその数は元兵士の高齢化などに伴って減り続けてきました。
16:25一方、海外はといいますと元兵士に加えて家族にも積極的な支援を続けているんです。
16:34退役した軍人たちのメンタルヘルスケアを行う国の専門機関です。
16:43相談に来た人とここで話します。
16:52全国各地に32カ所の拠点を設置。
16:59精神科医、カウンセラー、ソーシャルワーカーなど専門家が連携し、治療支援にあたります。
17:11特徴の一つは本人だけでなくその家族も対象としていること。
17:20この本は元軍人の親を持つ子供向けのものです。
17:29学術調査によりPTSDを患う元兵士の子供はPTSDの発症リスクが高いということが分かっています。
17:41私たちは軍務やトラウマに関する専門知識を生かし相談者の症状や苦しみの背景を丁寧に聞き取っています。
17:54こうした取り組みのきっかけはオーストラリアから6万人が出兵したベトナム戦争です。
18:07帰還した多くの兵士が精神疾患を発症。自殺や家庭内暴力も社会的な問題になりました。
18:22支援を求める声を受け、国がまず行ったのはカウンセリングサービスの設立。
18:37そして現在に至るまで、保障や支援のあり方について議論を重ね、制度を整えてきました。
18:52さらに、ベトナム戦争の重軍兵士の3割に当たる1万8000件以上のPTSDを認定、保障をしています。
19:01さらに、軍務との関連性が認定されなくても、家族でも支援を受けられる仕組みにしています。
19:20支援を受け、回復した1人、リオン・カウドレーさん。
19:2410年以上、PTSDの苦しみを家庭内で抱え込んでいたといいます。
19:40社会から見捨てられたようで孤独でした。
19:45苦しい状況を抜け出す天気となったのは、支援団体からの働きかけ。
19:54退役軍人のPTSDは珍しいことではないと知ったためでした。
20:05カウンセリングや治療を受け、回復したリオンさん。
20:09今はその経験を生かして、当事者とつながる支援に携わっています。
20:18苦しみを抱え込んで閉じこもるのではなく、助けを求めることが大事です。
20:25社会には退役軍人向けの支援がたくさんあるのですから。
20:31近年の研究で、こうした社会とのつながりによって、トラウマの影響を改善できる可能性があることが分かってきています。
20:47大事なのは、組織的な支援をしっかり行うことです。
20:54それにより、社会との深い関わりが感じられれば、PTSDを防ぐことにつながる可能性があります。
21:06戦争で心に傷を負った人たちを支えようという機運は、今では地域コミュニティにも広がっています。
21:1724時間体制で、退役軍人やその家族からの相談を受け付けているこの非営利団体。
21:43力を入れているのが、地域の人々の理解を深める活動。
21:52物資の寄付や交流イベントなどを通じて、住民たちがこの問題に触れる機会を生み出しています。
22:03以前は精神疾患に偏見がありましたが、今は社会の中で受け入れられていると思います。
22:17退役軍人が問題を抱えているなら、支援されるべきです。それは私たちみんなの責任なのですから。
22:28地域のコミュニティーにかかっていますもっと話せる場を増やし問題提起をしていくべきですそうすれば社会はもっと心の傷に向き合っていけるはずです。
22:47このオーストラリアと80年にわたって戦争を経験していない日本とで単純な比較はできないですけれども、なぜここまでオーストラリアは支援が進んでいるというふうに考えられますか。
22:58やはりベトナム戦争以降、特にアメリカにおいて非常に機関兵たちの心の問題についての研究とか臨床、ケアが進んだというふうに大きいと思います。
23:10やはりベトナム戦争が大きかった。
23:13ベトナム戦争はそれまでアメリカを第1世界大戦で参戦しているんですけれども、いずれもそのいわゆる大義ある戦いで戦勝国だったわけですね。
23:24ベトナム戦争で初めていわゆる汚れた戦争というか、事実上敗北した戦争を経験したわけですね。
23:31そこでたくさんの兵士たちが重大なトラウマを抱えてしかも帰国してみるとそこで反戦運動とかには巻き込まれてしまったとこういったことから兵士たちの問題というのは非常に長く続くんだということが分かってきたというのが本当にいいと思います。
23:47一方で日本はようやく子ども世代の間で子どもの心の傷について語られ始めたという段階ですけれども、今後、どんな調査やケアを国は行っていくと考えているのか、今回、厚生労働省に聞きました、戦後80年が経過し、因果関係の判断が難しいなどの課題がある、どのようなことができるか、検討してまいりたいという回答でしたけれども、どういうことが求められるというふうに前田さん、考えていらっしゃいますか。
24:15まず日本では戦後、長い間、専門家の間でも戦争の問題というのはタブーだったんですよね。精神科医の間でもほとんど語られなかったんです。ですから、まず実態がよく分からないというのが一番ありましてね。ですから、やっぱりまず可能であればね、まだ機関への方も生きていらっしゃる、まだ今の時期にきちんと調査を行うと、家族も含めて調査を行うということが大事だと思います。
24:41そしてそれは子や孫にもつながっていく調査になるというふうに考えたいですよね。
24:46そうですね。そういったトラウマの広がりがあるということに関しても、そこできちんと実態を調べるということが大事だと思います。
24:53そうですね。そしてVTRでは社会との関わりが重要であるというふうに指摘がありましたけれども、私たち社会はどういうふうにこれ考えていったらいいでしょうか。
25:02先ほどのオーストラリアの取り組みでもですね、非常に熱心にされていたことが、やっぱり偏見の払拭ですよね。これが非常に重要だと思います。
25:09これは大きく二つあると思います。一つは精神的な病に関しての偏見ですね。例えばそれはその人は弱いからであるとか、そういう偏見をまず払拭していくことが大事で。
25:21もう一つがですね戦争に従事したということですね特にあのベトナム戦争のようなねあるいは前の太平洋戦争のような大義がちょっと大義に疑問を持たれたような戦争で二重軍した兵士たちというのはうややもすると社会から受け止められないですねそういうその兵士たちに対する偏見これも払拭していく必要があるんだと思います。
25:47あのそうです。そのためにはその受け止めるために語れる社会、語れる環境を作るということも重要でしょうか。
25:56そうですね。その偏見が強い間はやっぱりとても語れないですよね。語ったらどんなことがどんな反応が出るか分からないという怖さがありますから。
26:04ですからまずその語れる雰囲気をコミュニティ地域がやっぱり作っていくということが非常に重要だと思います。
26:10それは今日本にはやはり足りていない。
26:13クリーンさんのような投票者の方が声を上げていったというのはとても大事なことだと思います。そういった意味ではね。
26:19そうですね。
26:20それがもう少し広がってくるといいなと思いますね。
26:22そしてこうした心の傷の連鎖というのがひとたび戦争が起こるとまたさらに増えていく。
26:28今は今日はここで見ましたけれどもこの先ですね未来にまた起こりうるということここも考えていかないといけないでしょうか。
26:35もう考えたくないですけどそういったことが起こると当然のことながらそのトラウマというのはずっと伝承されていってしまうということですね。

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