プレイヤーにスキップメインコンテンツにスキップ
  • 6 か月前
我情我欲が悩みや争いの素になっているのだからその我情我欲を取り除いてしまえばよいわけだが、生身の人間であるが故にそう言う訳にもいかない。そこを師匠大坪総一郎師は、我情を鎮め、我欲をコントロールすると教えて下さる。天地金乃神様に許されての情であり、許されての欲と言うことになる。

ご覧頂き有り難うございます。
(御理解の保管庫へ): https://www.gorikai.wagakokoronet.org/
トランスクリプション
00:00ご理解第65節
00:30雨風が強うでは今日は不祥のお天気者というではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。
00:41鳥や獣には日柄も包囲もない。人間にだけあるはずがない。天地の恩恵の中に生きるものはすべて、人間も動物の仲間である限り、生きる自由の与えられておることをわからねばならぬ。
01:00与えられておる。生きる自由の与えられておる。というその与えられておる範囲の中で私どもが生きようとする、生活をさせていただこうとすることであるならば、良いということではないでしょうかね。
01:25それが与えられている以上のものを求めたり何かしようとする。そこに問題が起きてくる。私どもの心も助からない。
01:41何と言いましょうかね。人が助かる。
01:48今朝いただきますのは、人が助かるということ。人が真に助かるということ。
01:55それは、人だけで得られるものではない。
02:00私ども、人間だけで、人間だけの働きというのでしょうか。動きというのでしょうか。
02:09それで、人の真の幸福であったり、真の助かりというものが得られるものではない。
02:19道は、道はこうならず、道は一人でには開けない。
02:24と、申されますけれども。
02:27まさに、私どもの真の助かり、真実の人間の助かりというものも、人間だけではどうしようもない。
02:36助かりようがない。
02:39ということなのですね。
02:44それは、では、どこに人の真の助かりがあるのか。
02:49やっぱりそれは、この神様、天地金の神様と、人間との、
02:57愛、拝み合う世界。
02:59愛、楽しみ合う世界。
03:02いわゆる、師匠が教えてくださる、愛楽世界。
03:07大坪総一教師が説かれるところの、その愛楽世界。
03:13に、真の、人間の助かりの世界がある。
03:17もちろん、それは、神様の助かりの世界でもある。
03:22人間と神様とが、愛、拝み合う。
03:27愛、楽しみ合う世界。
03:29それが、真の助かりの世界。
03:33だということなのです。
03:39私ども、人間が、問題がある。
03:45その問題、争いもある。
03:48その、もとになっているものを、たどっていけば。
03:52それぞれの、画像、画欲に行き着くわけですが。
03:57それぞれの、人が持っている画像と画欲。
04:03その、まあ、ぶつかり合いというのでしょうかね。
04:07まあ、攻めき合いではないですね。
04:09やっぱりぶつかり合いですからね。
04:12私はこれが欲しい。
04:14私もこれが欲しい。
04:16という、同じものを欲しがる。
04:20この土地が私のものだ。
04:23いや、私のものだ。
04:25といったような、同じものを欲しがったり。
04:28領土を拡大しようとしたり。
04:31一つのものを、二人、三人が取ろうとしたり。
04:36それぞれの画欲であったり。
04:39ああ、あったらよい。
04:40こうあったらよい。
04:41という、ああしたい。
04:43こうしたい。
04:44という画像であったり。
04:46そういうものが、まあ、ぶつかり合う。
04:50コンフリクトする、というのでしょうかね。
04:53その時に、争いが起こる。
04:56私どもの願いがある。
04:59画像がある。
05:01その画像が、満たされない。
05:04叶わない。
05:05時にまた、悩みも起こってくる。
05:08ああ、あってほしい。
05:10こうあってほしい。
05:11それが、そうならない。
05:13ですから、その元であるところの画像であり、画欲を取れば、まあ、たすかりにつながるわけですけれども。
05:26いかんせん、その画像、画欲をすべて取り除くというわけにはいかない。
05:34すべてを取り除いてしまえば、これは人間が人間ではなくなってしまう。
05:40どういうのでしょうかね。
05:41門家の殻になってしまう。
05:43画像、画欲を外さねば助からないけれども、すべての画像、画欲を取り払ってしまうということではありませんね。
05:57いわゆる、禁欲生活というのでしょうか、禁欲不思議というのでしょうか。
06:04そういうものがありますけれども、それとはまた違うように思いますね。
06:10人が真に助かるというところには、神様がやはりおられる。
06:19そして、その神様と人間を打ちことが拝み合い、楽しみ合う世界。
06:25画像、画欲を外せと言われても、そのすべての画像、画欲を外すのではない。
06:32やはり私どもでも、でもと言うとあれですけれども、私どもには、あれが食べたい、これが欲しい、飲みたい、というものがやっぱりあります。
06:46そういうものを一切合切外してしまえということではない。
06:51師匠はそこのところを、画像を沈め、画欲をコントロールする、とおっしゃっておられます。
07:01教えてくださいますね。
07:04いわば、その、あ、これは行き過ぎた画像だ、ということであったり、これは行き過ぎた画欲だ、というものは外していけというわけです。
07:21神様から許される情であったり、神様が許してくださる欲というものがあるのですね。
07:31師匠も、師匠も、師匠がその、やはり画像が欲を外しておられますけれども、一切合切の情や欲を外しておられるというわけではない。
07:47職層師匠でも、あれが食べたい、これが飲みたい、ということもあらえたようですね。
07:54そして、例えば、お茶の時間になった。
07:59お茶をしましょう、と。
08:01そして、お茶を入れてくださった。
08:04まあ、奥様が入れてくださった。
08:07そして、そしたら、ああ、このお茶、おいしいな、と。
08:11あ、このお茶に、もう一つ、ここに羊羹が添えられていたら、もっとおいしくいただけるな、と、まあ、心に思われたとしましょうか。
08:22そうしたら、どこかの誰かが、それこそ、今、羊羹のお備えがありました、と言って、持ってきてくれる、というような、そういう働きがいただけるものだと。
08:38今、それこそ、何か喉が渇いたな、ビールでも飲みたいな、と思ったら、そこにスーッとビールが出てくる。
08:47いわば、あれを持ってこい、これを持ってこい、と、命令をすることもなく、
08:56あれを買ってこい、これを買ってこい、と、わざわざ、買いに走らせる、ということもなく、
09:03ああ、あれが飲みたいな、これが食べたいな、と思ったら、そこにスーッとそれが出てくる。
09:10そういう世界があるものだと。
09:14それはいわば、神様の、まあ、ご親切というのでしょうか。
09:21神様が許してくださる、手の、いただけるものだと。
09:27それこそ、自分で買って食べるのではなく、神様が寄せてくださる世界がある。
09:35その寄せてくださる世界。
09:37そこにまた、その、食べて、味わうことの、おいしさ。
09:44と同時にまた、神様がそういうものを寄せてくださる。
09:48私どもの、まあ、心根を知っておられるというのでしょうかね。
09:54私どもの、欲しいものを、神様が知っておって、それを寄せてくださる。
10:00今、食べたいと思っているな、というものを、神様が寄せてくださる。
10:05そういう、神様のご親切にも触れる。
10:09ですから、おいしいものがおいしい。
10:12それ以上に、神様のご親切を感じて、そのおいしいものを食べさせていただく。
10:18より一層、おいしくいただけれる。
10:21より一層、ありがたくいただけれる。
10:23ただ、おいしいものを食べるだけではない。
10:27そこに、神様のお働き、ご親切を感じての、おいしいものを食べさせていただく。
10:33ということになりますね。
10:36あれを買ってきて、食べる。
10:41では、食べただけです。
10:43お金を使って、食べただけです。
10:47これでは、信心のありがたさというものは、そこには、湧いてきませんね。
10:53しかし、そこに、あれが食べたいな、これが欲しいな、と思ったら、すっとそこに出てくる。
11:00誰かが、持ってきてくださった。
11:03まさに、これは神様が寄せてくださったのだな、と、そこに、まあ、お許しくださったな、というものを感じながら、ご親切も感じながら、より一層、ありがたく。
11:18まさに、信心で、そのことを、おいしいものをいただくことができる。
11:24そういう世界があるのだ、ということを、師匠、お坪総一教師は、教えてくださいました。
11:33ですから、そういう、なんと言いましょうかね。
11:37神様が、許してくださる、また、神様の方から寄せてくださるような、私どもの、星というものに、あれが食べたい、これがしたい、と、いったようなものに、神様が寄り添って寄せてくださる、与えてくださる。
11:59そういうものは、それこそ、喜んでいただけば、よいわけですね。
12:05まあ、この辺のところのことも、含めて、師匠は、人間が人間らしく、と、おっしゃられたのではないか、と思いますね。
12:17一切合切の、あれはしません、これはしません、あれはいけない、これはいけない、という世界ではない。
12:26許されて、神様から許されて、しかも、神様の方から、それこそ、ご親切に寄せてくださって、
12:35まあ、私どもの、いわば、画像画薬というようなものを、叶えてくださる、そういう世界もある。
12:44そこに、何と言いましょうか、私どもと、神様との、それこそ、拝み合う世界がある。
12:52楽しみ合う世界がある。その世界が、たすかいの世界だ。真のたすかいの世界だ。ということになりますね。
13:03一切の画色や、一切の画像、というものが、捨て去らねばならない、ということではない。
13:19神様から許されて、神様から許されてのもの、まあ、神様は公認の画像であったり、神様は公認の画像であったり、神様は公認の画像である。
13:30これは、許される。
13:34いや、むしろ、人間として、持つのが、まあ、当然というのでしょうか、何というのでしょうかね。
13:45まあ、人間として、やっぱり、持たねばならない、欲もあるのではないでしょうかね。
13:51私どもが、何も食べたくない、まあ、食べたくないという欲と言えば、欲かもしれませんが、もし、食欲というものがなくなってしまったら、もし、私どもに、性欲というものがなくなってしまったら、子孫は、もちろん、続きませんね。
14:10その代で終わってしまう。
14:12食欲というものがなかったら、命が保てなくなり、また、すぐ死んでしまうことでしょうね。
14:23人間の中の食欲、あれが食べたい、これが食べたいというものが、全くなくなってしまったら、それこそ、何日もしないうちに、人類は滅びてしまうのかもしれませんね。
14:37ですから、持たねばならない、神様が持たせてくださった欲もあるわけですから、全ての画像、画欲を離せということではないということなのですね。
14:50いわば、画像を沈め、画欲をコントロールすることが大切なのだということなのです。
15:00神様のお働きを見ていく中に、これは許されている欲だな、これは許されない画像だな、というものを見極めながら、神様のお働きをいただきながらの生活であって初めて、そこに真の助かりの世界があると。
15:25ですから、これは許されているのか、許されていないのか、そこを見極めながら進めていかねばならない。
15:35その見極める手立てが、成り行きの中にある。
15:40成り行きを見ていくことによって、許されている画像であり、許されない画欲である、というようなものを見極めていくことがいるというのですね。
15:53画像を沈め、画像をコントロールする。
16:02よくよく味わってみなければ、また身につけていかねばならない、生き方であるということですね。
16:11どうぞよろしくお願いいたします。
16:15ありがとうございます。
16:15ご視聴ありがとうございました。
コメント

お勧め